第18話 挑発。虚勢。はったり ↑

 予選、当日。


 よく晴れた、朗らかな一日だった。明梨は久方ぶりの『鰯』シャツを羽織ると、寝室から庭へと出ていた。うんと伸びをすると、愛田の実家の庭で深呼吸をする。


 明梨の『ジャッジメント・ベル』には、予選一回戦の開始時間は午前十時半と記述されていた。一足先に東京へと戻った夢遊と違い、明梨は予選を終えてから東京に帰るつもりだ。


 エレベーターはないが、一人になれる場所はある。明梨の現在地を認識しての事なのか、『ジャッジメント・ベル』には「誰も居ない場所である事を確認し、『スタート』ボタンを押下してください」と表示され、若干ではあるが内容が変化していた。


 時刻、午前十時。カウントダウンだ。対戦相手は、『ゴーレム忍者』の『ハヤテ』。


 そして――――神凪爽子だ。


 遅れて現れたトットが太陽の眩しさに目を眩ませていた。今日は薄水色のワンピースで、風景にも気候にも合っている。


 夢遊の私物を何着か頂戴したのだ。


「わっ。……良い天気ですね、明梨さん」


「そうだな――――」


 明梨は、決して表情を崩さずに言った。


「絶好の勝負日和だ」


 トットは不安そうな顔をして、俯いた。まだ、自分に自信が無いのだろう。明梨の力を持ってしても、トットの弱さが足を引っ張って負ける、そんなシチュエーションを想像しているのかもしれない。


 明梨は笑って、トットの肩を叩いた。


「大丈夫だって、トット。自信持て!」


 トットは明梨の励ましを受けて、困り顔で笑い、頷いた。


 いいか、絶対にパニックになるなよ。明梨はそう言おうとして、立ち止まる。


 ――そんな事をこの場で言ってしまったら、まるで対戦中にパニックになると予言しているようなものではないか。


 苦笑して、頭を撫でるに留まった。


「『ゴーレム族』は、『マリオネット族』と同じ『第七階級』。一般市民の位は第八階級ですから、少し上流の種族です。その多くは豊富な戦闘能力を持ち、魔力にも、体力にも長けています」


 トットが明梨に、そう説明した時だった。明梨はトットの言葉に気付き、目を丸くしてトットを見据えた。


「トットって、他のクリーチャーについての知識、多いんだな」


「お祖父様のお陰で私には奴隷としての時間拘束が無かったので、図書館なんかに行って情報を漁っていたんです。『身体から☆出ますよ?』の手助けになれば良いと――でも、あまり役には立たないみたいですけど……」


 事前に出来る限りの情報を収集することは、対戦において有利に働く事は間違いない。トットも一応、トットなりには戦闘準備をしていた、ということか。


「例えば、相手がどんな戦闘をしてくるとかは……」


「やっぱり情報があるクリーチャーと無いクリーチャーに分かれますが、『ゴーレム族』は身体を岩石化して岩を飛ばしたり、物理攻撃をする手段に長けています」


 トットとは正反対の能力持ち、ということか。明梨は頷いて、腕を組んだ。


 ネコウサギ族の致命的な弱点は、体力でもスピードでもない。それ即ち、相手に決定的なダメージを与えるための『攻撃力』。これがクリア出来ない事には、いかに訓練をしたところで暖簾のれんに腕押しだ。相手を倒す術を持たない。


 その攻撃力をどうにかして獲得する方法を、明梨はずっと考えていた。その解答は明梨なりに見付けたつもりだったが――少し、手強い相手となるだろうか。


 トットにとってメアリィは、糸を使った戦闘スタイルの半分以上が物理攻撃でない事が救いだった。まるでシューティングゲームのプレイヤーのように、迫り来る攻撃を避ける事を考えれば良いからだ。


 だが、次の相手は『間合い』を知っている、ということだろうか。


「……あ、あの、明梨さん。……やっぱり、厳しいんでしょうか」


 考え込んでしまった明梨に、トットは不安そうな眼差しを向けた。明梨はトットの柔らかい銀髪を撫で、語り掛けるように笑顔を向けた。


「安心しろ。少なくとも俺は、『神凪爽子』には絶対に負けない」


「でも対戦相手のクリーチャーについて、詳細も分かっていないんですよ? 私も弱いし……」


「プレイヤーの事はよく知ってる。神凪爽子は東京のゲーセンで『瞬速』と名乗る、反射神経の良さに磨きを掛けた超反応プレイヤーだ」


「ちょ、超反応……。もしかして、ミューさんのお祖父様よりも?」


「まー、体感的には反応だけなら良い勝負だろうな」


 明梨の言葉を聞いて、トットは胡乱げに首を傾げた。どうしてその超反応相手に明梨が余裕でいるのか、その根拠が分からなかったからだろう。


 だが明梨はそれら、超反応を頼りにしてくるプレイヤーへの対処を、よく心得ている。


 戦闘において重要なのは、必ずしも反射神経だけとは限らない。


 明梨は、笑みを浮かべた。周りに誰も居ない事を確認し、『ジャッジメント・ベル』を構える。


「よし――――――――行こうか」


 トットに合図し、『スタート』ボタンを押下した。




 ○




 ふと気付けば、明梨は新宿駅の西口付近に立っていた。


「あれ……? ここは……」


 トットが遅れて、辺りを見回している。……なるほど。舞台はあくまでも新宿、というわけか。明梨は理解し、見慣れた新宿の景色を眺めた。


 背の高いビルに囲まれたバスロータリー。然しながら、ロータリーに停車しているバスは昼間だというのに走り出す気配もない。歩道橋の向こう側に見える、見慣れたデパート。普段ならば人で埋まる、歌舞伎町方面から続く緩やかな坂道――……


 明梨は、木刀を軽く振った。


 神凪と今回の審判は、何処に居るのだろうか。明梨は辺りを見回し、両名を探した。当然の事ながら、<フロスト・ワールド>として構築された仮想の新宿駅には、人気はまるでない――……


 ――いや。バスロータリーの向こう側に、パイプ椅子が設置されている。わざわざ横断歩道のど真ん中にそれは設置してあり、そこだけが異質な空気を纏っていた。


 明梨は、デモ戦でサトゥーリャと名乗ったクリーチャーが呟いた言葉を、今更ながらに思い返していた。


『……デモ戦ってつまんないよね。まあ、予選自体観客居ないからやること少ないんだけど』


 ならば、何故あのようなものが必要なのだろうか? 答えは明確だ。わざわざこの予選を、見に来るクリーチャーが居るということ。


 つまり、居るということだ。


 この予選には、観客が。


「……気を引き締めないとな、トット」


「は、はいっ!」


 トットは俄然やる気で、頼もしい限りだった。


 やがてバスロータリーの向こう側、地下の階段より上がって来る影があった。数名のクリーチャー。妖精のような姿をした娘と、純白の翼を持つ女性。そして、その先に――黒いスーツの男、エルクレアの姿もあった。


 ふと、エルクレアと明梨の目が合う。エルクレアは明梨を見て、不敵な笑みを浮かべた。


 明梨も、笑みを返す。


 この対戦で判断する、と言っているかのようだった。


「とうっ!!」


 上空から、謎の掛け声が聞こえた。わざわざ駅ビルの屋上から落ちて来るのは、以前デモ戦でも見た審判、サトゥーリャ。緑色の髪を靡かせ、観客席にも居る妖精と同じ姿の、ビデオカメラを持った娘――名称は不明だが、あれも種族なのだろう――と共に、地面へと降り立つ。


 鋭い音がして、サトゥーリャの周囲数メートルのコンクリートがヒビ割れた。


「っしゃ――――!! ようやく予選だね!! あたしゃこの時を待ってたよ!!」


 元気良く、観客席に手を振る。そして右手で握り拳を作ると、真上に勢い良く振り上げた。


「<トランス・ホログラム>の前のみんな――――!! 予選Bブロック審判の、サトゥーリャだよ――――!! 熱くなってるぅぅ――――!?」


 観客席の人数は少ないため、特に返事も返って来ない。


 サトゥーリャはふと、明梨とトットを睨み付けた。思わぬことで、明梨は面食らってしまった。


「はいはい、予選は有名所にしか期待が集まらないよね知ってた!! まったく、冗談じゃないわよもー!!」


 俺に言うな、と明梨は思った。


「大体『第十階級』のクリーチャーの戦いなんてどうせ負けるに決まってるんだから、フルボッコにされて余興にもならないのは目に見えてるし……。あたし、はずれクジ引いたんだよね。わかってるよー」


 その言葉を聞いて、トットが明梨の後ろで萎れた薔薇のように小さくなる。明梨はサトゥーリャの態度を、面白く無いと感じた。


 まだ、神凪は現れていない。明梨は前に出ると、サトゥーリャに目を合わせた。


「なあ、サトゥー。一応この対戦は、『ソーシャル・エッグズ』の他のクリーチャーにも届いてるのか?」


「んー? まあ、一応届いてるよー。種族の階級が賭かってるし……はあ、私次の対戦もネコウサギ族なんだよね。もっと目立ちたかったなー」


 明梨はポケットに手を突っ込んだままで、言う。


 勿論、虚勢だ。神凪はともかく、他のプレイヤーに必ず勝てるとは明梨も思っていない。だが――明梨は不敵な笑みを浮かべて、言った。


「サトゥー、安心しろ」


 サトゥーリャは明梨の顔を、気怠そうな眼差しで見る。


 だが――……、明梨の態度が、自信に満ち溢れていたからだろう。その表情は、少しだけ驚きに染まった。


「目立つぜ、おまえ」


 歌舞伎町側から、二名の男女が歩いて来る。片方は長い金髪を左右でツインテールにし、白黒を基調にしたドレス姿の少女。縞模様のハイソックスを着用している。


 もう片方は水色の髪を逆立て、漆黒の鉢巻を締め、口元を同じように黒い布で隠した男。肩の部分が刺になっているランニングシャツに、ベージュのズボンを履いている。


 そして、その左腕は肩から先が岩で出来ており、右腕の倍近くはあろうかという大きさだった。鋭い眼光が、トットを見据える。


「れ、<戦闘準備レディ>!!」


 トットが、慌てて戦闘準備に入った。それ程に、その男は気迫に満ちていた。


 鷹のような鋭い眼光が、トットを射抜いている。


「『ネコウサギ族』か」


「『ゴーレム族』のハヤテさんですね。よ、よろしくお願いします」


 戦闘準備に入る事で、明梨は自然とシンクロ状態に入っていた。サトゥーリャがマイクを片手に、元気良く声を張り上げる。


「じゃあ、両名は賭ける星の数を指定してください!」


 明梨は、『ジャッジメント・ベル』に表示された五つの星のうち、一つを指定した。


 爽子も同じ数を指定。二人は、決定ボタンを押下した。


「はい、それじゃあ予選の第一回戦を始めます!! ワンプレイヤー側、『ゆるふわネコウサギ』のトット!!」


 トットは深呼吸をして、気持ちを落ち着けているようだった。目を開くと、そこに怯えは感じられない。


 良いコンディションだ、と明梨は思った。


「ハヤテさん。……この勝負、貰います」


 対するハヤテは、左腕を何度か開いては閉じ、質感を確認しているようだった。


「ツープレイヤー側!! 『ゴーレム忍者』のハヤテ!!」


 ハヤテは右腕を前に出すと、人差し指と中指を立て刀を模したポーズを取る。自身の目の前に出した。


 俯きがちな表情のせいで影になった瞳が、怪しく動く。


「悪く思うな。……俺とて、憐れな低階級に情を捧げるほど、余裕は無いのだ」


 トットは唇を引き締めた。


 サトゥーリャが指を立て、豪快にカウントダウンを始める。


「スリー!!」


 明梨は目を閉じ、心を無にしていた。


 心頭滅却すれば、火もまた涼し。神凪が明梨の左手に握られた木刀を見て、怪訝な顔を浮かべた。


「……何それ、自分で戦うつもり?」


 まだ、怒りを感じているのだろう。その声音は、何処と無く出会った当初の神凪爽子のものと似ていた。


 明梨は不敵な笑みを浮かべて、返す。


「気にすんな。お守りみたいなもんだ」


 準備は万端。仕込むべきものは、全て仕込んだ。


 後は――――自分を、信じるのみ。


「トゥー!! ……ワーン!! <戦闘開始アクション>!!」




 ――――そうして、戦いの火蓋は切って落とされた。

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