第19話 挑発。虚勢。はったり ↓
明梨の指示で、トットはバックステップを行う。何をしてくるのか不明な『ゴーレム族』から真っ先に遠ざかり、彼の戦闘スタイルを確認した。
『ゴーレム族』のハヤテは、その場に立ち尽くしたまま――何も、してこない。
じっと、こちらの隙を伺っているように思えた。……なるほど。安易に手の内を見せてくれる訳ではないという事だろうか。
ならばと、明梨は前に出た。相手の性質が分からないのであれば、こちらから探りに行くのみだ。
時間は九十九秒。普通に戦っていたら勝ち目はない。
「四百年続くネコウサギ族の由緒正しき歴史に従い、全身全霊で欺き生きる事を誓います!」
トットが呟くと小さなロッドが伸び、ステッキのようになる。戦闘準備をした後にいつも持っているそれが、一体何の役に立つのかはまだ理解されている部分ではなかったが。
だが明梨はトットを操作し、その先端に星の付いたステッキをハヤテ目掛けて振るった。
岩を突き合わせた時のように鈍い音がして、トットのステッキとハヤテの左腕が激突する。
「慌てるな。まだ戦闘は始まったばかりだ」
ハヤテはトットにそう言い、岩石の左腕でトットのステッキを握り締めた。
――まるで、効いていない。
う、とトットは呻いた。ハヤテは握り締めたトットのステッキを、トットごと駅ビルに向かって投げ付ける。
ショーウインドウの窓ガラスが割れ、内側に立っていたマネキンに激突した。明梨にも、背中に衝撃が伝わるが――流石の耐久力か。トットは傷一つ負っていないようだ。
「ハヤテ!! <
ハヤテの左肩から先――巨大な岩石の左腕が、未だ尻餅を付いているトットに向けられる。大きく手を広げると、ハヤテの掌が盛り上がり、拳一つ分程度の岩がトット目掛けて放たれた。
質量は充分。しかしその速度は、銃撃のように速い。明梨はトットの視力と反射神経を利用し、岩石の速度と方向を捉える。両手両足を使い、ショーウインドウから飛び出すように跳ねて、その攻撃を避けた。
続けて、ハヤテの左腕から岩石が乱射される。連射可能か――明梨は目を閉じ、トットの視界に集中した。
これもまた、賢三郎の乱打と大して変わらない。放たれてからトットの所に辿り着くまでは必ず直線であり、規則性があるだけ賢三郎の攻撃よりは避けやすい。
細かく飛び跳ねて、トットは乱射される岩攻撃の隙間を縫うように動いた。
「――――えっ?」
爽子が呟く。息をつく間もなく、トットは飛び跳ねながらハヤテ側に距離を詰めていく。初めて、ハヤテの額に汗が浮かんだ――――トットの動きは細かく素早く、銃撃のような飛び道具で捉える事は不可能。ステッキを頼りに跳躍し、ハヤテが照準を定める間もなく、その首元にドロップキックを放つ。
ハヤテはその攻撃を、先程まで前に出していた左腕でガードした。
トットはハヤテの左腕を踏み付け、ハヤテを飛び越えて反対側に。空中で一回転するとハヤテ側に向き直り、バス停の屋根に着地した。
トットは慌てていない。肩で息をしているものの、まだ体力にも余裕がありそうだ。そして何より――メアリィの時のように、あの乱射される岩攻撃にパニックにならなかった。
落ち着いている。
明梨とトットの目が合う。明梨は、笑顔で軽く頷いた。トットは少し緊張の色を見せながらも、明梨に頷き返す。
その向こう側では、審判ことサトゥーリャが実況もせず、驚愕の表情でトットを見ていた。椅子に座っているエルクレアは――明梨を見て、満足そうに微笑んだ。
「なんで――――!? 今のって、魔法少女コックの……」
ハヤテが爽子の呟きを聞いて、何のことかと視線を宙に向ける。トットも目をぱちくりとさせて、首を傾げていた。
今はトットに恐るべき秘密兵器が隠されていると、勘違いをさせなければならない。
明梨は余裕の笑みで、蔑んだ瞳で爽子を見た。
「おいおい、何か勘違いしてないか? もしかして『ネコウサギ族のトット』が第十階級のクリーチャーだから、余裕で勝てるとか思ってんの?」
爽子の『疑惑』。それこそが、この戦いを勝利に導くのだ。
決して、ただの一つも焦りの色など見せてはならない。爽子の余裕を失わせる姿勢でいなければならない。
「勘違いするなよ」
極めて低い声色を選んで、明梨は凄みを利かせる。
「――お前が戦っているのは弱キャラを使わせたら負けなしのプレイヤー、『いわし』だぜ?」
爽子が唇を引き締めて、顎を引く。その一挙手一投足を、明梨は爽子の心情を計るため、冷静に観察した。ハヤテが鉢巻を固く結び直し、鋭い瞳でトットを見詰める。
「爽子よ。あの不死川という男は、一筋縄ではいかない男のようだな」
明梨はトットを屋根の上から降ろし、ハヤテに向かって走らせた。意識して、トットと呼吸を合わせる。そうする事により、通常の操作の何倍ものスピードを得ることが出来る。
挑発することで、相手がどの程度本気になるかは分からないが――……
ハヤテがトットに向かい、左腕を向けた。明梨はトットを、どのようなタイミングでもハヤテに攻撃を仕掛けられる位置でストップさせる。相手の出方を伺うのだ。
「……そう。あっちのゲームでは、一回も勝てなかった」
「そうか。当然、全力で戦ったのだな」
「うん。全力で戦って、それでも勝てなかったよ」
ハヤテは頷き、固く左腕を握り締める。
「そうか――ならば、全力で行かなければ話になるまい。魔力の温存などとは言ってられないな」
「うん。――――潰そう」
そうして、その左腕は大きく盛り上がった。明梨は目を丸くして、その変化に見入ってしまった。
明梨よりもハヤテの近くに居るトットが、この対戦で初めて顔色を悪くした。
「今度は、あたしが勝つ!!」
爽子は明梨を指差し、はっきりとそう宣言した。同時に『ジャッジメント・ベル』を操作する。何かの技を繰り出す事は、明梨にも分かった。
ハヤテを中心として、その周囲に巨大な魔法陣が現れた。但し、その魔法陣はメアリィやトットのものとは違う――魔法陣に文字が書かれている。模様ではなく、どことなくそれは東洋の呪文のようだった。
「……ま、まさか……」
トットが震え出した事を確認して、明梨は苦い表情を浮かべた。
バックステップし、ハヤテから距離を取った。ハヤテの瞳はトットのように紅く染まる。しかしその視線は、肉食獣のように凶暴だった。
――攻撃しようにも、魔法陣の内側に入ると何が起こるか分からない。
八重歯が伸び、右手で幾つかの印を結んだ。
「その小さな身体では防ぎ切れまい――――<巨人>」
ハヤテがそう唱えた瞬間、世界が暗転した。
おいおい、こんなに早い段階から大技を打つのかよ。明梨はそう思ったが、一応ここまでは計算通り――……
魔法陣が消えるとハヤテの左腕は巨大化し、本体の三倍近い大きさになった。パキパキと鈍い音を立て、巨大な腕は動きを確認している。
――――ちょっとだけ、規格外だったかもしれない。
「今度は、捉える」
爽子は呟いた。ハヤテは高く跳躍し、頂点で一回転するとトット目掛けて落ちて来る。――右か? ――左か? 避けるべき方向を探したが、如何せんどのような攻撃が来るのかも分からないので対処が出来ない。
「……明梨さっ……私、もう、限界です……」
トットが弱音を吐く前に、明梨はトットを全力でバックステップさせた。
握り締めた巨人の左腕が、巨大なハンマーを振り下ろすが如く、トット目掛けて襲い掛かったからだ。
トットの前髪が掠るも、その左腕を間一髪で避ける。一瞬手前までトットが立っていた地面が割れ、コンクリートが捲れ上がった。同時に地響きと、轟音が辺りに響く。
「ふぎゃ――――――――!!」
限界だったのか、トットが両耳を押さえて叫んだ。
全力を出させるのは想定通りだが、その能力については物申したい威力だ。是非、トットにもその一部を分けてもらいたい。
巨大化した左腕はハヤテのスピードを決して衰えさせない。にも関わらず、恐るべき火力と範囲を持っている。
ハヤテは左腕の射程内にトットを捉え、一足飛びに近寄った。
ぞわり、とトットの緊張が明梨にも伝わって来るようだった。目の前の巨大な左腕に恐怖し、ステッキを持つ両腕が震え出した。
「た、助けてください許して!!」
『落ち着けトット!! まだ何も攻撃されてない!!』
明梨はシンクロを通じてトットに声を掛けるが、制御不能な状態に陥ってしまっている。
ハヤテは左腕を振り払う。それをどうにか、垂直跳びで避けるトット。だが――――
「馬鹿ッ……!!」
明梨は思わず、呟いた。
真上に跳んで避けてしまうと、空中では身動きが取れない。心配する明梨だがどうにも成らず、トットは無防備なまま、ハヤテの目の前に落ちて来る。
「鉄槌!!」
攻撃は一瞬。地面にも接触しないので、音は殆どしない。
ハヤテは空中のトットにしっかりと狙いを定め、ボクシングのようにストレートを放った。
トットはステッキを構え、ハヤテの拳を受けようとした。
「――――けふっ」
だが、当然その小さな体躯では、本体の三倍強にも膨れ上がったハヤテの左拳を受けられる筈もない。めり込むような衝撃が明梨にもあり、トットはハヤテに殴り飛ばされた。
左肩に、嫌な感覚が張り付く。明梨は何ともないが――――トットは、骨をやられたかもしれない。
叩き落とされたようにトットは地面に激しく身体を強打し、反動で跳ね返り、地面を転がった。
「トット!!」
止むを得ず、駆け出す明梨。トットは横向きに倒れたまま、微動だにしない。
――――まずい。まずい。まずい。
明梨の中で、警報が鳴り響く。何故なら、明梨の作戦では『対戦終了まで、一度も攻撃を喰らってはいけなかった』。それが、こんな所で必要以上の大打撃を受ける事になるとは。
トットは、巨大なものが苦手なのだ。それはメアリィとの対戦時に分かっていた。潜在的に恐怖を感じるのか、それは分からないが――……
「だからフラグを立てるなとあれほど……!!」
知らず、明梨は口走っていた。
左腕がおかしな方向に曲がっている。
焦点は定まらず、口から涎を垂らして倒れていた。
「うわっ。……えぐっ」
サトゥーリャがマイク越しに、本気の一言を呟いた。爽子は開いた口が塞がらないようで、呆然とトットの様子を見ている。ハヤテが鉢巻で目を隠し、トットに背を向けた。
明梨の胸に、ざわざわとした嫌な感覚が纏わり付いた。
…………また、負けたのだろうか?
いや、それ以前にトットは大丈夫なのだろうか。明梨はトットの頬を撫でる。だが、トットが反応する様子はなかった。
「……悪く思うな。種族の名誉を賭けた戦い。それが、お前の望んだ道だ」
ハヤテは腕を組んだまま、そう言う。
そう、これはゲームであってゲームではない。
負ければ、どちらかは死ぬかもしれない。そういう戦いなのだ。ルールのどこにも、『クリーチャーを殺してはいけない』というルールはない。
プレイヤーでさえ、故意の攻撃でなければ罪に問われないゲームなのだ。
「トット、しっかりしろ!! トット!!」
明梨はトットの肩を掴み、揺さぶった。
トットからの反応はない。
――――何度声を掛けても、無かった。
「……駄目か」
明梨は立ち上がり、空を仰いだ。
凍結された雲は全く動く素振りを見せず、数名のゲーム参加者を除いて人は居ない。明梨に作戦はあったが、ついにそれを実行する事もなく、ゲームを終えることになってしまうのだろうか。
たった一発の攻撃。しかしそれは重く、身体は少しだけ丈夫だと言ったトットを一撃でノックアウトしてしまう程の威力を持っていた。
効果時間が終わったのか、ハヤテの腕が元の大きさに戻った。明梨はふと、悲壮な表情でこちらを見詰めているサトゥーリャと目が合った。
明梨は、サトゥーリャに向かって歩いて行く。
「……すまん、サトゥー。ノックアウトだ」
サトゥーリャは明梨を見て、頼りない表情で――マイクのスイッチを切った。
「……いいの?」
「ゲーム、閉めてくれ。トットをどうにかしないと」
明梨は力無い表情で、笑った。サトゥーリャは小さく頷き、おそるおそる、左腕を上げた。
「そ、それじゃあこのゲーム――――」
――――宣言される。これでもう、トットが『身体から☆出ますよ?』を勝ち抜く事は無いのかもしれない。
だが、今はトットの身体が優先だ。生きてさえいれば、まだチャンスはある。
明梨は、目を閉じた。
「待ちたまえ」
そう言ったのは、椅子に座って足を組んでいるエルクレアだった。相変わらずの余裕な笑みで、トットの方を見ている。
――――トットを?
明梨は、振り返った。
トットに背を向けているハヤテが、前方向に飛んでいた。何が起こっているのか分からず、明梨は目を見張った。
そのまま、頭からビルの柱に突っ込む。
ハヤテの背中を蹴ったのは――――トット?
「隙有り、です」
トットが呟いた。先程まで背を向けていたハヤテは何が起こったのか分からないようで、再び鋭い眼光をトットに向ける。
誰もが明梨とサトゥーリャに意識を向けていた。爽子でさえ、蹴られるまでトットの存在に気が付かなかった。
見れば、トットは左肩を押さえ、立ち上がっていた。ステッキは折れてしまい、最早使い物にはならないようだったが――……トットは明梨を一瞥すると、口元から血を流しながらも、笑みを浮かべた。
『ごめんなさい明梨さん、ちょっとだけ意識が飛んでました』
『それは分かるけど――……、大丈夫か? ここは負けにしても、そこまで痛くないけど』
明梨とトットは、シンクロを通じて会話する。それは、トットがまだ明梨の作戦を理解し、そして実行しようとしている意思に他ならなかった。
『……私が弱いせいで、明梨さんの足を引っ張る訳にはいきません』
胸を張り、トットはハヤテに向かって歩いた。その瞳は憔悴していたが、はっきりとした意思を見て取る事ができた。
明梨の態度を、コピーした。嘲笑し、腰に手を当ててハヤテを見下ろす。
「――――もう、魔力切れでしょう? おバカさんですね。大技を使い切らせるための演技だとも知らないで」
ちょっとそれは、流石に無理があるんじゃないか。だが、ハヤテは大技を喰らってトットが立ち上がった事に、僅かながら怒りを感じているようだった。
明梨は慌てて、トットとハヤテの戦場に戻る。
「……腕が折れているようだが? まだやる気なのか?」
爽子はどうしたら良いのか、決め兼ねているようだった。……爽子がそのようなコンディションでは困るのだ。爽子には余裕もない程に怒り、全力を発揮して貰わなければ困る。ハヤテにも、また――……
トットは怖気付かず、余裕たっぷりの笑みで――……倒れているハヤテの、肩を踏み付けた。
恐怖しているのは、よく分かる。シンクロしている明梨には、嫌と言うほど伝わってきた。
だが、それ以上に――――覚悟が、勝っているようだった。
「あんな攻撃、痛くも痒くもないです。『ゴーレム族』も、落ちたものですね」
ハヤテの眉が、動く。
明梨は時間を確認した。『ジャッジメント・ベル』に表示された、残りの時間は僅か三十秒。七十秒近い攻防の中に、濃厚なやり取りがあった。
仕掛けるまで、十秒。元々、時間いっぱいに使い切る予定だったのだ。
まだ――いける。可能性は、ある。明梨は前を向き、トットの後ろに付いた。
トットがしっかりと、挑発してくれれば。
「前から思っていたんですよ。もしかして『ゴーレム族』って、第七階級『最弱』の、残念な種族さんじゃないんですか?」
ハヤテが、右腕で踏み付けたトットの足首を掴む。ぴくりとも反応せず、トットは虚勢を張った。
「私の大技の方が、まだマシですよ――面白すぎて、茶でへそが湧きます」
ハヤテの中で、何かが切れたようだった。同時に、爽子も戦闘意思を思い出したように、明梨を睨み付けた。明梨はまだ自分の作戦が終わっていないと示すかのように、腕を組んで笑みを浮かべる。
ハヤテはトットの足首を掴んで、振り払った。軽やかに空中で一回転し、トットは左肩を押さえたままハヤテと距離を取る。
行ける。ならば、賭けるしかない。明梨の作戦に――……
ハヤテはその血走った瞳でトットを睨み付け、ゆらりと立ち上がった。その全身からは、殺意がはっきりと見て取れた。
「――――面白い」
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