第22話 認めざるを得ないというもの ↑

「えっ、本当に勝ったの!?」


 よく晴れた、夏の日。某ハンバーガーの有名なファーストフード店で、小野寺八橋は素っ頓狂な声をあげた。

 しかし周囲の誰も、八橋の声を気に留める者は居ない。価格も手頃で若者に好かれるハンバーガー、加えて夏の日の休日だ。店内は若者でごった返しており、誰かの声など四六時中聞こえ続けている。そうと知って入ったのだから構わないと思いつつ、八橋の対面に座った不死川明梨は慎重に辺りの様子を確認していた。


「…………大声出すなよ。何事かと思われるだろ」


 勿論、明梨の隣に座っている、銀髪紅眼の少女――……トットの事を慮ってのことだ。

 当の本人は全く何も気付かずに、普通の飲み物に使用されるそれよりは、一回り大きなストローの刺さったドリンクカップを、綺羅々と目を輝かせて見ている。一口吸えば魅惑の甘味に支配され、舌から熱を奪っていくそれに夢中だった。


 彼女の頭には、まるでコスプレか何かのように飛び出た二本の耳――――兎の耳が付いている。店内だと言うのに、トットはベレー帽を被ったままだ。

 それは、耳付き帽子と勘違いさせる為。本当はベレー帽に穴が空いているだけなのだが、一般的にそうだとは思われないだろう。精々外国人が希有な格好をしていると思うだけの事だ、と信じたいが。

 残念な事に、その耳は脅威の飲み物を前にして、せっせと上下運動を繰り返していた。


「こ、これが、ばにらしぇいくという飲み物ですか…………!!」


 ――――耳が邪魔だ。

 人知れず、明梨はそう思う。


 八橋の膝に座っている、五歳児程の身長を持つ金髪の少女。西洋人形によく似たクリーチャーのメアリィは、まだ人としての特徴を外れていない分、人として認識されるだろう。

 その身長は確かに低い。隣に座るとテーブルの高さが合わない為、今は八橋の膝に座ってバニラシェイクを啜っているが。…………まあ、可愛らしい幼女だと思われる程度の事だ。

 だが、トットはそのようには行かない。一度正体がばれてしまえば、周囲で騒ぎが起こってもおかしくないのだ。

 明梨は、ぴこんぴこんと跳ねるトットの耳をさり気なく抑えつけていた。


「まっ…………まっ、まっ、まっ、まあ? べ、別に第七階級のクリーチャーに勝った所で? 大した事は無いですけどね?」


 メアリィの身体は携帯のバイブレーションも裸足で逃げ出す程に震えていた。……どうやら、余程衝撃を受けたようだ。


「小野寺の方はどうだったんだ?」


 問い掛けると、八橋は鞄の中から『ジャッジメント・ベル』を取り出した。八橋が操作すると、星形のチップが格納される楕円形のボードが飛び出す。

 そこには、合計六つのチップが光っていた。


「一応、勝ちました。僕らは第九階級との対戦だったので、結構ハンデのある戦いだったんですけど……」

「いや、関係ないよ。凄いと思うぜ、二人共」


 実際、階級など関係無いのだと、明梨は神凪爽子との一戦で思い知った。自らのポテンシャルを引き出す事さえ可能なら、多少の階級差はハンデには成り得ない。

 だが、それを加味してもやはり――……トットと他のクリーチャーの間には、それなりの能力差はある、とも思っていたが。それを肯定してしまうと、この先が辛くなりそうなので、明梨は努めてその事を考えないようにした。

 神凪爽子が操っていたクリーチャーのハヤテは、第七階級のクリーチャー。メアリィもそうだが、まだ上にレベルが六つも上がるのだ。……泣き言を言っている場合ではない。

 メアリィが顰め面をして、小さな両手で抱くようにシェイクを持ち、飲む。


「ふん。どうせ、小狡い手を使ったに決まっていますわ」

「…………否定はしない」


 明梨は苦笑して、明後日の方角を見詰めた。

 何しろ、あれは一回しか使えない手段だった。爽子とも同じ対戦をもう一度は出来ないだろうし、もしそうなった時に明梨は未だ、別の作戦を思い付く事が出来ていない。

 だが、勝ちは勝ちである。明梨のように、理論上不利と言われる対戦に勝利するためには、騙し討ちや罠、初見殺しの戦法等を駆使して性能差を引っ繰り返さなければならない。そういう意味では、トットの能力はひとつ、明梨に貢献していたと言って良いだろう。

 知る人ぞ知る戦い方、と言う訳だ。


「まあ、どんな手段を使っても勝ちは勝ちですからね。仕方ありませんわ」


 鼻を鳴らして、メアリィは八橋にシェイクのカップを渡した。


「おかわり」

「無いけど」

「なっ……!? 二つ買わなかったんですの!? この八橋が!!」

「…………じゃあ、僕のをあげるよ」


 八橋からバニラシェイクをぶん取るメアリィには、全く可愛気は感じられなかった。


「半分しか入ってない……!!」


 しかも文句を言っていた。

 クリーチャーは総じて、甘い物が好きなのだろうか。それ程でもない明梨にとっては、このバニラシェイクは少し甘すぎると感じていたが。


「あ、でもそういえば、新技も覚えたんですよ」


 何気ないトットの一言に、メアリィの顔が豹変した。毎度の事ながら、人形の癖によく変わる表情だと明梨は思う。


「えっ、しっ、新技…………!? 何それ!? そういうシステムなの!?」

「さあ…………」


 だから、何故ゲームのルールについての情報を、明梨に問い掛けるのか。相変わらず、この『身体から☆出ますよ?』という珍妙な名前のゲームは、参加者であるクリーチャーにまともなルールが一つも説明されていなかった。

 だが、メアリィは目を血走らせて、背中の八橋に顔を向けた。


「八橋!! 私達、新技」

「勿論覚えてないよ。……というか、そんな事起きてたら言うよ」


 当然の反応だった。


「こ、こんな……境界ストリングス……」


 メアリィが何を言っているのか、さっぱり分からない明梨だったが。

 しかしメアリィは力が抜けてしまったようで、どこか目を虚ろにして、放心しているようだった。……格下のクリーチャーに先を越されてしまったのが、そんなにも悔しかったのだろうか。

 そうとは気付かず、美味しそうにシェイクを貪っているトット。やはり、二人は全く気が合わないようだった。……しかし、トットも食べるの遅いな、と明梨は思ったが。


「…………あーほら、あれじゃね? 始めからレベル十の奴とレベル一の奴が居てさ。どっちが成長するの早いかって言ったらさ」

「はっ…………!! そ、そうですわよね!! うふふ、私としたことが、少々取り乱してしまいましたわ」


 少々所ではなく取り乱していたが。メアリィは額の汗を拭って、我に返ったようだった。面白い娘である。

 そろそろ店を出ても良い時間だろうか。明梨は時計を確認し、今後の予定を思い返した。……と言っても、愛田賢三郎からトット用生活費の支援があったので、トットの私服を揃えていただけなのだが。

 帽子にせよ、スカートにせよ、耳と尻尾の場所を考えなければならない。慣れない裁縫は夢遊にでも頼むとして……それを省いてしまうと、特に予定もない事に明梨は気付いた。

 不登校のフリーターが行く所など限られているという、良い証拠だった。


「そうだ不死川さん、僕もようやく見ましたよ。不死川さん、『SOH』のネット対戦でランキング一位じゃないですか」


 不意に、八橋がそんな事を言った。……そうだとは思っていたが、やはり八橋も格闘ゲームをプレイする人間なのか、と明梨は漠然と思う。

 服の柄こそ違うが、明梨は今日も『鰯』と文字の入ったシャツを着ている。気にする者も居ないだろうと思ってその格好をしていた明梨だったが、こうなると少し身なりを考える必要が出てくるかもしれない。

 明梨は前髪をかき上げて、気不味い表情を見せた。


「別に、大したもんじゃないよ。ニコ動でちょっと有名とか言うのとあんま大差ねーし……」


 明梨が言っているのは『ニッコリ動画』という名前の、インターネットで一般人が動画を投稿・閲覧できるコミュニティサービスだ。自由にユーザの作成した動画を見てコメントを付けられるという所がポイントで、若者に人気がある。


「いやいや、大会に出てないだけですよね? わりと良い線いけるんじゃないですか、出てみたら」

「出ないし、やらないよ。賞金なんかいらないし、あんま目立ちたくないんだ」


 秋梨は手を振って、目を輝かせる八橋に制止を掛けた。

 元々、見世物でやっていた訳でもない、と明梨は思う。本番に弱いという訳ではないが、ステージに場慣れしている訳でもない。本当にその時が来れば、明梨など強者に一捻りされて終わりになってしまうだろう。

 大会には大会の実力というものがある。誰もが本来の実力を発揮できる訳ではないのだ。


「いやあ、僕なんて、精々『格劇二○○九』で青切符取ったくらいで……」

「青切符!?」


 八橋の言葉に、明梨は衝撃を受けた。


「何ですか、それ?」

「あー……早い話が、格闘ゲームの大会で県代表って事だよ」


 トットの問い掛けに、明梨は簡単な回答をした。

『格劇』とは、一年に一度行われる、格闘ゲームの大会だ。国内最大級の大会で、全国各地から選りすぐりの格闘ゲームプレイヤーが集まり、最強を目指す。

 各県はそれぞれ、複数の地域にあるゲームセンターでトーナメントを行い、そのトーナメントで優勝した者に『赤切符』が与えられる。その後、同一の県で赤切符を取得したチーム同士で総当り戦を行い、最も成績の良かったチームが『青切符』となる。少々、変則的なルールなのだ。

 そのため、早い話が『青切符』取得者は県代表なのである。


「いやいや、本当に大したもんじゃ無いんですよ。チームに強い人が居てくれたお陰で、勝ち上がれたようなものだし」

「それにしたって……あれって確か、三人で一チームだろ。キャラ的に無理な組み合わせとかあるじゃないか」


 改めて。エルクレアはこの『身体から☆出ますよ?』に、本当に格闘ゲームの強者ばかりを集めているのだと、そう明梨は実感させられていた。自身が出場して良いものなのかと、明梨は少しだけ思ってしまった。

 あの神凪爽子にしても、少なくとも公の大会では、明梨よりも良い成績を出しているのだ。明梨は大会に参加した事さえ無いのだから。


「……小野寺、お前結構名前通ってるプレイヤーなのか?」

「それは分かりませんが……一応、大会では『くろメガネ』で参加してますね」

「『くろメガネ』…………!!」


 派手さは無いが、徹頭徹尾凡事徹底、野暮なミスをしない事で有名なプレイヤーだ。明梨も名前はよく知っている。そのため、勝てない人間と勝てる人間が明確に分かれ、勝てない人間にはギャンブラータイプが多い。

 それにしても、『理論上勝てない』を素で行く人間だ。八橋の自己評価はどうだか知らないが、間違いなく上から数えた方が早いプレイヤー。……一時期は、最強とも謳われていた。

 明梨は、喉を鳴らした。


「ふん、今頃気付いたようね。格闘ゲームをやらせたら、八橋の右に出る人間は居ないわ」

「こらメアリィ、変な事言わないの」


 あながち間違いでも無いのでは、と明梨は思う。八橋に勝つためには大概の場合、不利な賭けに出なければならない。という事は、トータルでは明梨でも勝てない事が多いという事だ。

 明梨は、トットを見た。八橋のように基盤を作って理論を詰めるプレイヤーには、キャラクター相性がはっきりと現れる。そして、そのようなプレイスタイルを貫くプレイヤーは、八橋だけではないだろう――――…………。


「明梨さん…………私もおかわり、ありませんか」

「いつからあると思っていた?」


 やれるのだろうか、自分とこの娘に。

 明梨は、心の中で溜息をついた。



「そういえば、『SOH』もそろそろ、新作が出るみたいですね」



 八橋の言葉に、明梨は我に返った。


「ああ…………そういや、『コック』も長い事、触ってないな」

「それって、こっちのゲームでの、明梨さんの持ちキャラですか?」


 トットが耳を動かしながら、首を傾げる。……格闘ゲームのキャラクターがリアルに現れたというのは、何とも奇妙な出来事だ。

 いや、これを格闘ゲームと称しているのは、恐らくエルクレアを始めとする、第一階級のクリーチャーだけなのだろうが。


「そういえば八橋、私も本物の格闘ゲームを見ていないわ」

「そうか……そういえば、そうだね」


 トット達クリーチャーは『からでま』に参加するまで、人間世界を知らなかった。当然、ゲームの知識など無くて当然だ。明梨は頬杖を突いて、メアリィの様子を眺めていた。

 不意に、八橋が手を叩いて言った。


「そうだ不死川さん、この後って時間ありますか?」

「ん? ……まあ、何も無いけど」


 今日はアルバイトのシフトも入っていない為、一日フリーだった。……最も、学校に行っていないから、という但し書きが付くが。

 明梨の答えに、八橋は笑顔を浮かべた。


「じゃあ、少しだけ『SOH』やっていきませんか? 僕、不死川さんと戦ってみたかったんです」


 八橋の言葉に、明梨は目を細めた。


「…………別に、良いけど」


 大会の上位者等と戦って、自分が勝てるとはどうしても思えない。

 八橋が残念がらない程度の実力があれば良いと、明梨は心の隅で思っていた。

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