第七話 

 一年生の皆が、学院の地下にある地下迷宮ダンジョンで戦闘訓練に励んでいる最中さなか、エレーナは学院の応接室に向かっていた。一度、とことん話し合ってみては? とサバティー先生からのアドバイスを受けたからだ。


 足取りは重い。いったい何を話せば良いのやら……。あれこれと考えてみたが、考えがまとまる前に応接室にたどり着いてしまった。


 一瞬の躊躇ちゅうちょの後、応接室の扉をノックする。返事がない。扉越しに中の様子をうかがうと、男はまだ恐怖と不安にさいなまれ、意味不明の単語を心の中で呟いていた。


 意識を男に向けると、心の声が聞こえて来るようになった事に気付く。試しに他の事に意識を向けてみると、男の心の声は聞こえなくなった。四六時中、つながっている訳では無いと分かり少しは安心する。


 もう一度、少しだけ強くノックをする。やはり何の反応もない。

 エレーナは、そっと扉を開き中の様子をうかがった。まず毛足の長いモダン柄の絨毯じゅうたんが眼に入って来た。奥にはマホガニー無垢むくざいのキャビネット。

 もう少し扉を開くと、中央には重厚感のあるガラス製のセンターテーブルと、豪華な革張りのローカウチソファーが備え付けられていた。


 そして男は、そのソファーにうつむいて座っていた。此方こちらに気付いた様子はない。


 エレーナは、そっと部屋に入り男の目前まで歩を進める。


「座っても良いかしら?」


 しばし躊躇ちゅうちょの後、思い切って声をかけてみる。返事は無い。


 —— 此方こちらを見なさい!


 強く思念を送ってみる。男の反応は劇的だった。心の中であれこれ呟いていた事柄が一気に喪失する。


 一点の曇りもない眼差しでエレーナを見上げる。今はじめて目覚めたかのように二、三度瞬きをして、ゆっくり辺りを見回し、再びエレーナに視線を向けてきた。


「座っても良いかしら?」


 再度、問い掛ける。男は素直にコクリと頷いた。


 エレーナは、向かい合わせの席に腰を下ろす。男の視線はエレーナに釘付けになっていた。


「初めまして。私の名前はエレーナ・エルスミストよ。貴方のお名前を伺っても宜しいかしら?」


 通常、使い魔の名前は主人マスターが付ける。しかし相手が人間である以上、名前を持っているだろうと予測し名を尋ねたのだ。


「川島竜也……」

「カワシ・マタツ…ヤ?」


 非常に言いにくそうに発音する。


「竜也で良いです」

「タツヤね」


 エレーナは安堵あんどの溜め息を漏らす。非常に覚えにくいし、発音しにくい名前を言われた時には冷や汗が出たが、どうやらこの異世界人の名前の系統は、使い魔と同じ系列らしい。


「まず貴方に、現在の状況を説明いたします。いきなり私の心の声が聞こえたりして驚いているでしょう」

「ええ、人の名前を使い魔と同じ系列とか、使い魔なのだからお似合いの名前だとか虚仮コケにされてビックリです」


 表層心理だけでなく深層心理まで読まれている事に狼狽ろうばいする。


「ご、ごめんなさい。虚仮にしたつもりは無いのよ。タツヤに似た名前でタクヤとかタカヤとかテツヤとか、此方こちらの世界では使い魔に付ける名前なのよ……」


 言い訳をいろいろ考え、考えれば考えるほど泥沼にはまり込んでいる事に更に慌てる。


「別に良いよ。失礼なこと考えているのは、お互い様だろうし」

「そうね……」


 エレーナは頬を引きらせながら同意する。

 竜也はエレーナを見た瞬間『すげー可愛い! 足長い! モデルみたい』等と絶賛したのだ。しかしその視線が胸に移動した瞬間、興奮度マックスだったテンションが急降下、盛大な溜め息と共に消沈したのだ。


 あまつさえ、『残念な胸のヒロイン』などという渾名あだなまで付けられている。


 エレーナは、咳払いをして心の切り替えを図る。


「貴方は私に召喚されて、この世界にやって来ました」


 —— やって来たじゃ無くて、連れて来られたんだけどね……。


 竜也の心中の突っ込みをスルーして話を続ける。


「ここはコスタクルタ王国にある、サラスナポスという町の外れにあるセント・エバスティール魔法学院という所です。ここまでで何か質問はありますか?」

「では、バストサイズはいくつですか?」


 —— なっ!


 想定外の質問に、思わず胸をかき抱く。サイズを誤魔化そうと、あらぬ事を考えてみるが、逆効果になるとサバティー先生に忠告されていた通り、如実に数値がさらけ出されてしまう。


 エレーナは涙目になりながら、思いっきり竜也の頬を引っ叩いた。


 竜也は叩かれた頬をで摩りながら、ある衝撃に打ちのめされていた。


 —— 痛みが、ある……。


 叩かれた頬の痛みは、現実のものと変わりない。ペインアブソーバーシステムが発動していない証拠だった。この様子では、ショックアブソーバーシステムも発動はしないだろう。


 ハラスメント防止システム発動には胸を突っつくか、それ以上の行為に及ばないと発動しないかもしれない。

 一瞬、試してやろうかとエレーナの胸に視線を向ける。


 エレーナはその思考を読み取り、胸をかき抱きながらソファーの上で後退った。

 貞操の危機だ。数々のあらぬ妄想が沸き立つ。


「い、いや……こっち来ないで!」

「何もしないって。そんな『ちっぱい』に興味はないよ」


 数々の意味不明の単語の中で『ちっぱい』だけは意味が理解できた。失礼にも程がある。しかし、どうやら本気で言っているようだ。あまつさえ『試すのだったら、あの巨乳ちゃんが良いな……』などとのたまっている。


 恥辱と屈辱で、怒りがメラメラと燃え上がりかけたが、グッと我慢する。この男とは今後、良い友好関係を築いていかなければならない。ここで怒りをぶつける訳にはいかないのだ。


 ドリーヌの胸で、ハラスメント防止システム? なる物を試そうというのは、冗談だと分かる。


 —— ここは我慢の為所しどころだ。


 エレーナは、自分にそう言い聞かせると、心を落ち着かせる為に深呼吸をする。

 その動作に同調シンクロするように、竜也も大きく深呼吸をした。顔を伏せ、眼をつむると考えをまとめようとする。


 どこまでがイベントなのか判断が付かないこの状況で、どうしたら此処ここがゲームの世界なのか、そうでないのか区別する方法は無いかと考えていたのだ。


 頬を引っ叩かれたのは偶然だった。『女の子に質問イコールバストサイズ』と反射的に口に出てしまったのだ。エレーナが予測できなくて当然だった。


 しかしそのおかげで、ここがゲームの中の世界ではないという事実に一歩近づいた。


 しかし、まだ確定ではない。此方こちらの世界でメニュー画面を開く事が出来る人間が存在するみたいなのだ。その人間は、自分と同じ世界から来た人間である可能性が高い。


 何故スベントレナ学院長との面談の時に、それに気付かなかったのか……。


 その時は混乱を超え、錯乱状態の思考だったので致し方ない。とりあえずその人物を探し出すのが先決か……。


「エレーナは何か特殊な技能スキルを持ってるの?」


 エレーナは、いきなり呼び捨てにされて頭に血が上ってしまった。


「良いですか、この学院では相手を呼ぶ時、名前に『様、さん、ちゃん』と言った敬称を付けて呼ぶのが慣例です。上級生には『様』を、同級生には『さん』を、下級生で親しい人には『ちゃん』親しくない人には『さん』と付けます。同級生と下級生の特に親しい友人は呼び捨てにする事もあります。

 そしてもう一つ注意事項として、身分は関係ありません。王家の姫君であられるロベリア姫も、ここではロベリアさんと呼びます」


 竜也は面倒臭そうに聞いていた。心の中で、べつに心が繋がっているくらい親しい仲じゃないか、と文句を言う。これから身体もつながる予定なんだし……。


 エレーナは、目くじらを立てて竜也を睨め付ける。


 冗談で言っている事は理解できた。理解は出来るが、この男の軽さは受け付けがたいものがあった。こんな男が勇者だとは、とても信じられない。


 —— それにしても、あの爆乳ちゃんが王家の姫君なのか……。さすがはすごい迫力!


 何を想像しているのか見当が付き、エレーナは軽蔑の眼差しを向ける。

 この男は、無類のおっぱい好きだと判明していた。


 眩暈めまいがしてきて卒倒したくなる。こんな男と仲良くやっていける気がしない。苛立ちは限界に達していた。


 あまつさえ、そんな思考を読んでか、面白がるように卑猥な想像を巡らせて、此方こちらの反応を楽しんでいる。


 エレーナは、狼狽うろたえながら視線をそらす。顔は羞恥心から炎を吹き出しそうな程、真っ赤になっている。


 いやらしい妄想から逃れる為に、他の事に注意を向けて逃れようとするが、よけいに妄想が広がり自滅する。心の中をすべて見透かされるのは、素っ裸になっているより恥ずかしい。両手で胸と股間を隠して身を縮こめているが、心は丸裸なのだ。


「ふぅん。エレーナって清楚な振りしてるけど、案外エッチなんだね」

「ちが……」


 違うと言いかけたが、心の中をすべて見透かされているので嘘は通じない。


 エレーナの頭の中で、何かがブチ切れた。


 おもむろに立ち上がると長衣ローブを脱ぎ始める。


 —— えっ……?


 思わぬ展開に、竜也は茫然ぼうぜんとその様子を眺める。

 ぱさり、と長衣ローブが足元に脱げ落ちる。その長衣ローブ唖然あぜんと眺めていた竜也は、ゆっくりと視線を上げていく。


 スラリと伸びた長い足は、間違いなく八頭身スタイルの要だ。太ももはスッキリと細いが、それでも色情をそそるに十分な色香を放っている。


 お尻は多少ちいさいものの、ツンと上を向いていて正に理想のヒップラインだ。


 そして、その上の小さな逆三角形の布切れに視線と全神経が集中する。思わず身を乗り出してしまう。


 腰はキュッとくびれていて、折れそうなほど細い。縦長の御臍おへそは愛嬌たっぷりだ。


 胸は……。まぁ、こんなものだ。


 腕は、すらっと健康的で指も長い。白魚のような手とよく形容されるが、正にそれだった。


 逆ハの字の鎖骨と首筋のバランスは、男なら誰しもキスマークを付けて所有権を主張したくなる程の絶妙な芸術作品だった。


 顔は……笑っている。しかし瞳の中に狂気の気配を感じる。羞恥心に耐えかねて頭のネジがぶっ飛んでしまったのか、いきなり心が全く読めなくなってしまった。それだけにこの眼は怖い。


 竜也は、ソファーの上で後退った。その分、エレーナは間合いを詰めてくる。


「あ、あの、エレーナさん……。からかい過ぎました。御免なさい」


 今度は竜也が狼狽うろたえる番だった。逃げ道はないか素早く左右を見回す。


 竜也が逃げにかかるより早く、エレーナは竜也に跳びかかっていた。ソファーの上に押し倒すと馬乗りになる。抵抗する竜也の両手をつかむと頭上で押さえつける。両手首をクロスさせて片手で押さえつけると、もう片方の手をズボンのベルトに伸ばす。


「ちょっと!」


 竜也は本気で抵抗しだすが、片手で押さえ付けられている筈の両手は、ピクリとも動かなかった。


 やがて、ベルトが外される。ブリッジをして腹の上に乗っているエレーナを振り落とそうとするが、絶妙なバランス感覚で耐える。それどころか腰を浮かした隙にズボンを膝下まで脱がされてしまった。


 たまらず身体を反転させてうつ伏せに逃れる。今度は腕を高手小手に関節を決められてしまい、外されたベルトで両手を縛られてしまった。


 そして今や、むき出しになっているパンツに指をかける。ゆっくりと羞恥心をあおるように脱がせていく。


「エレーナさん! 何をやっているのですか!」


 いつの間にか入口の扉が開いていて、スベントレナ学院長が入ってきていた。


「心配になって様子をうかがいに来てみたら、これはいったいどういう事ですか?」


 スベントレナは、この痴態を呆れたように眺める。


 エレーナは、パンツに手をかけたまま固まってしまった。この状況で我に返ったのだが言い訳のしようがなかった。


 スベントレナ学院長の後ろには、サバティー先生と数人の生徒の姿も見えた。その中にジェレミーの姿を確認する。


 ジェレミーは、これ以上ないという程のニヤニヤ笑いを浮かべていた。男を召喚したというネタを上回る一大スクープを手に入れ、小躍りしそうな勢いだ。


 エレーナの拘束する力が緩んだとみた竜也は、エレーナを腰に乗せたまま逃走を図った。


 エレーナは、もんどり打って引っ繰り返る。パンツに引っかかっていた指は、そのままパンツを足首までずり下げてしまった。そのパンツに足を取られて竜也は、前のめりに倒れ込む。


 両手は後ろ手にベルトで縛られているので、受け身を取れないと判断した竜也は、身体をひねり顔面から倒れ込むのを免れようとする。

 しかしその行為が仇となってしまった。エレーナの目前に前をさらけ出してしまう。


 エレーナは、そのモノをまじまじと凝視する。顔と同じく可愛らしいモノだった。


 その思考を読んだ竜也は、顔を真っ赤にしながら見る見る涙目になる。


 人の胸をさんざん虚仮こけにされたお返しが出来て、エレーナはやっと人心地つく。


「きゃーっ」

「えっ? なに? なに?」


 応接室の扉の外で、数人の生徒達が奇声を上げている。サバティーは、必死で扉の前に立ち中の様子を隠そうとしていた。


 エレーナは、顔を真っ赤にして涙ぐんでいる竜也が少々可哀そうになり、パンツを履かせてやる。ついでに両手を拘束しているベルトも外してやった。


 —— 先にベルトを外してくれよ。パンツを女性に穿かせてもらうとか、どんな羞恥プレイだよ!


 エレーナは、竜也の心の中の文句を無視して遠い眼差しを虚空に向ける。終わりだ。すべてが終わってしまった。三年間の努力が水の泡だ。この世の終わりとは、このような心境の事を言うのだろう。自分が情けなさ過ぎて涙も出てこない。いったい何故こうなってしまったのか……。


 ガックリと肩を落とし項垂うなだれる。

 そのうらぶれた様子からは、全学院生の憧れの的だった面影は微塵みじんも存在しなかった。

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