第五話 

 竜也は暇を持て余していた。学院長とおぼしき六十路過ぎの女性と三人の教師、それにロベリアと呼ばれていた爆乳ちゃんが奥の部屋に入って数十分経っていた。


 爆乳ちゃんは先ほど部屋から出てきて何やら奇怪な行動をして注目を集めていたので、いくらかは緩和されたが、周りにいる女生徒達の好奇の視線にさらされ続けて居心地が悪い。


 いまだに目覚めない女の子に視線を送る。本当に綺麗きれいだ。このゲームの世界に降り立って、初めて目にした女の子。周りの誰よりも可愛いこの子は、間違いなくこのゲームのヒロインだろう。


 ただ残念な事は、浅い呼吸に伴い微かに上下している胸が、ペッタンコである事だった。この娘を『残念な胸のヒロイン』と命名する。


 暇を持て余しているので、右手の人差し指を振ってみる。

 ここでステータスなど色々確認しておこうと思ったのだが、全く反応がなかった。


 —— イベント中は、メニュー画面を呼び出せないのかな……?


 もう一度振ってみる。無反応なので人差し指と中指二本で振ってみる。左手でもやってみるが、まったく何の反応も示さない。


「何をやっているのです?」


 隣の巨乳ちゃんが、不思議そうに首を傾げながら問い掛けてくる。

 竜也は何と説明して良いか迷う。メニュー画面を呼び出そうとしていたのだが、そんな事をNPCの彼女に言うのは無粋というものだ。


「いや、何でもないよ……」


 ますます居心地が悪くなる。オートで進んでいくイベントと違って、自分自身もその中に身を置いているフルダイブ式のゲームでの対応というものは難しい。これから『勇者様、魔王を倒して下さい』とでも懇願こんがんされるのだろうか……?


 Yes No ボタンを押すだけと違い、言い回しや微妙な対応の違いによって色々幅が出来ているのだろうか……?


 そんな事を考えていた時、聖堂の奥にある控室の扉が開き一人の教師が出てきた。教師は竜也の目前まで歩を進めてくる。


 ふわふわパーマの茶色の髪と黒縁眼鏡で、オドオドした態度が新米教師然とした印象を与えている。座っている竜也の眼の高さにある胸はかなりの物だった。


「タツヤ様、お話があります。此方こちらへお願い出来ないでしょうか?」


 自分の名前は知られているようだった。やっと話が進みそうだ。

 いまだに目覚めない残念な胸のヒロインをチラリと見やる。


「この娘をお願い出来る?」


 隣の巨乳ちゃんに気を失っている女の子を預けると、教師の後に続いて聖堂の奥にある控室へと入っていく。


 長方形に並べられた事務机の一番奥に学院長が座っていて、左右には一人ずつ教師が座っていた。促されるまま学院長の対面の席へ座る。


 自分を案内してくれた教師が左手の教師の横に座ると、学院長がおもむろに話を切り出した。


「私は、この学院の長を務めるスベントレナ・シモノフと申します」


 深々と頭を下げる。そして右手をさし伸ばし右手にいる女性を指し示す。


此方こちらは一年担任のサバティー・マヨーリ先生です」


 サバティーが頭を下げる。

 スベントレナは、今度は左手をさし伸ばし左手の女性を指し示す。


此方こちらは手前から二年担任のレベッカ・ワグナー先生と、三年担任のオリビエ・フラナ先生です」


 レベッカとオリビエが頭を下げる。

 竜也は、つり込まれるように御辞儀を返していた。


「まずは、気分は如何ですかな?」

「いきなり美女達に囲まれて気分は上々、と言いたいところですが、奇異の視線が痛いですね」


 竜也は、おどけたように肩をすくめてみせる。


 スベントレナは、それを見て静かに笑う。召喚されて気が動転しているかと思っていたが、なかなか肝が据わっているようだ。


「さすがは勇者様、異世界に召喚されても動じておられない」


 スベントレナは、僅かな表情の変化も見逃すまいと、男の顔を瞬きもせずに見つめていたのだが、些少さしょうの変化すら見つける事が出来なかった。多少心に引っかかるモノを男に覚えながらも、あらかじめ用意してあった言葉を続ける。


「この世界に召喚された理由も、分かっておられるのですかな?」

「まぁ、大体は……」


 ここにきてスベントレナは、この男に得体の知れない違和感を覚えていた。

 シナリオでは、いきなり異世界に放り出されて気が動転している男を勇者と担ぎ上げ、その気にさせようと思っていたのだが、男は初めから自分を勇者とでも思っている節がある。

 違和感は膨大に膨れ上がる一方だが、そんな事はおくびにも出さずに続ける。


「この世界に災厄が降り懸かろうとしています」


 この言葉には、三人の教師達が色めき立つ。災厄の事は、民衆に話さない密約になっている筈だからだ。


「学院長!」


 サバティーが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。


「王家の姫君との約束を、反故になさるおつもりですか?」

「彼は民衆ではありません。異世界より召喚された勇者様です」


 スベントレナは、涼しい顔で話を進める。


「脅威に対して詳しく此方こちらも把握し切れていないのですが、どうかこの国を救って頂きたいのです」


 スベントレナが頭を下げる。


「任せて下さい。と言いたい所ですが、レベル的にまだまだ先の話ですね。まずは簡単に金を稼げるクエストをいくつか消化してからですかね? 装備も強化しなきゃいけないし、そこら辺が出来るクエストとか紹介して頂けると有り難いのですが……」


 これには、さすがのスベントレナも言葉を失った。


 —— クエストとは……? この男の居た世界にはそのようなモノがあるのか……?


 レベルを上げるという行為は理解できる。勉学に励み訓練を行えばレベルは上がる。金を稼げるクエスト……。装備強化出来るクエスト……。


「クエストとは仕事の事ですかな?」


 話の前後から見当を付ける。


「まぁ、そのようなモノですね」

「ここはセント・エバスティール魔法学院という学校で、魔法を教える所です。仕事のたぐいはありませんが、レベルを上げる為の訓練なら、ここで受けてみては如何ですか?」

「ええ、お願いします」


 スベントレナは、サバティーに向き直る。


「午前中は一年生に交じって魔法語と魔法構成論を教えてあげて下さい」


 サバティーは了解したというように頷く。


「午後はタツヤ殿の体力に合わせて体力、精神力向上訓練。これは一度どれくらいの能力があるかを見てからプログラムを決めましょう。

 夕方からは実習という事で学院の地下に広がる地下迷宮ダンジョンで戦闘訓練をやってもらうというので如何ですか? もちろんクエストとやらをやりたいのなら、何時でもそちらを優先してもらって結構です」


 竜也は少し思案を巡らせる。もちろん二十四時間ログインしてはいられない。この世界の時計とリアルの時計との時差や、時間の進み具合の違いなどを把握していないので何とも言えないが、十九時にログインしたら必ず此方こちらの世界が夜という事は無いだろう。


 ふと、此方こちらの世界の時刻を見ようと右手の人差し指を振り、イベント中はメニュー画面が出せない事を思い出す。


「タツヤ殿! 今の行為は何をなさっておられるのですか?」


 スベントレナは、驚愕きょうがくの表情を浮かべて問い質す。技能スキルが無い筈のこの男がロベリアと同じ仕草をしているからだ。何か隠し能力のような物があるのかもしれないと思ったのだ。


 竜也はまたしても返答に困っていた。NPCはメニュー画面の事をどう思っているのだろう。プレイヤーは、何かしら動作を起こす時にメニュー画面を開くことが幾多となく有る筈である。そんな事は分かり切っている筈なのに、それをこうも色めき立って指摘されるというのはどうもおかしい。


 言いようのない不安を覚えながら、もう一度右手人差し指を振ってみる。やはり何の変化も現れない。


「すみません。メニュー画面の呼び出しは、右手人差し指一本を軽く振る、で良かったですよね?」

「メニュー画面……? タツヤ殿は、何か特殊な技能スキルをお持ちなのですか?」


 竜也は思考の停滞した頭で必死に現状を見極めようとする。数々のキーワードが頭をよぎる。『脱出不可能』『デスゲーム』『異世界』……。メニュー画面が呼び出せないイコールログアウトが出来ないという恐怖を無理やり頭の片隅に追いやる。


 まだそうと決まった訳では無い。イベントが終了したら、ちゃんとメニュー画面が開けられるかもしれない。いや、その筈だ。そうに決まっている。マンガや小説のような事柄が、そうあってたまるものか……。


 スベントレナは、急に物思いにふけってしまった竜也を心配気に見やる。三人の教師達も気遣わし気な視線を送っていた。


「—— 特殊な技能スキルがないとメニュー画面を開けられないのですか?」


 やがてポツリと竜也は言葉を発する。その様子は、今まで何事にも動じず悠然ゆうぜんと構えていた面影は微塵みじんもない。


「タツヤ殿の言うメニュー画面とやらが如何いかなものかは知りませんが、特殊な技能スキルが無い者がいくら指を振っても何も出てきません」


 それを聞いて竜也は、完全に思考停止に陥ってしまった。


「学院長、タツヤ殿はお疲れの御様子。今日の所は、この辺にしておきましょう」

「学生の様子も気掛かりです。使い魔召喚の儀式で何かしら問題があったという事は、もう全学年に知れ渡っているでしょう。早めに対応しないと取り返しの付かない事になります」


 スベントレナは席を立つ。


「三年生への対応はオリビエ先生、二年生への対応はレベッカ先生お願いします」


 サバティーが、竜也を気遣いながら席から立たせる。

 竜也はフラフラと、されるがままに席を立った。額には暑くもないのに玉の汗が浮いていた。


 絶望に囚われそうになる心を鼓舞激励し、パニックに陥りそうなもう一方の心を落ち着かせようと深呼吸をする。頭の中は疑問の羅列で埋め尽くされていたが、答えは全く浮かんでこなかった。


 今は、ただひたすら早くこのイベントが終わって欲しかった。

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