第十四話 

 竜也は、宿直室のベッドの一番奥の隅で体育座りをしていた。頭から毛布を被り、その毛布ごと膝を抱え込んで絶対にはがされないようにしている。


 眼を覚ましてから延々と —— ここはゲームの世界、ここはゲームの世界、ここはゲームの世界と、ブツブツと呪文のように呟き続けている。

 しかし頭の中には、先程の嬌声が鳴り響いていた。自分を取り囲む、飢えた野獣の視線。侮蔑したような、それでいて無遠慮な視線。恥ずかしそうに顔を覆っているが、指の間から興味津々に此方こちらを観察する視線が、局部に突き刺さる。


『可愛いね』『ちっちゃーい』『クスクス……』『あははは』『やだー』『きゃー!』


 囁き声のざわめきが、洪水となって竜也の思考を飲み込んでゆく。


『可愛いね』

『可愛いね』

『可愛いね』

『ちっちゃーい』

『ちっちゃーい』

『ちっちゃーい』


 その言葉が頭の中でリフレインする。いくら『ここはゲームの世界』と声に出して呟いても、バーチャル世界における特殊心理作用は湧いてこなかった。


 —— この身体はバーチャルな身体。いくら傷付けられても、本物の心も身体も傷付かない。


 そう強く意識してみるが、心の中に別の声が響いてくる。


 —— 本当に? 本物の身体をオールスキャンしたよね? その時点で、この身体は本物と等価の重みがあるんじゃない?

 —— それでも、ここはゲームの世界だ。この身体は偽物の身体だ。僕の本当の身体は、自分の家の自分のベッドに今でも横たわっている筈なのだ。

 —— そう言い切れるなら、死んでみれば?


 竜也は、しばし考え込む。


 —— そうだね。ゲームの世界で引きこもりになる位なら、一か八か現実世界に帰れるかどうか試してみるのも良いかもね。


 竜也が、後ろ向きネガティブな思考に囚われている真っ只中ただなか、扉がノックされた。


「入って良いかしら……」


 エレーナの声だった。

 竜也は、返事をしなかった。今は誰にも会いたくはなかった。


 ガチャリ……。

 扉が開く音が聞こえ、部屋の中に人が入ってくる足音が響いた。その足音はベッドに近付いてくる。


 竜也は、より一層毛布を強く握りしめて自分の殻に閉じこもった。


 エレーナは、ベッドの前で足を止めた。竜也は此方こちらに背を向けるように座っている。毛布を全身に被り、完全拒絶の意思が読み取れた。


「この度は、私の不用意な帰還指示により、貴方の名誉を傷つけ、甚大な恥辱を受けさせてしまった事を深くお詫び申し上げます」


 エレーナは、深々と頭を下げた。


 竜也は、身動みじろぎひとつしなかった。エレーナは心の底から反省し、自責の念に囚われている事が竜也にも痛いほど伝わって来た。しかし、だからと言って『はいそうですか』と言って水に流せるほど心の傷は浅くは無かった。


「随分と後ろ向きな思考に囚われている様ですが、ここが貴方の本当に行く筈だった世界では無かった場合の事を考慮いたしますと、非常に危険な考えであると言わざるを得ません」

「もう放っておいてよ……」


 竜也は投げやりに呟いた。


「使い魔に関する書物を図書室で読んだよ。僕が死ねば、来年また新しい使い魔を召喚する事が出来るようになるんでしょう? まれに見る使い魔とやらは妖精竜だけじゃないって書いてあったよ。それを獲得ゲットする絶好の機会チャンスじゃないか」

「私は貴方を召喚してしまった責任があります。もし仮に来年確実に稀に見る使い魔を召喚できるとしても、貴方をこのまま放っておく事は出来ません」

「三日間も放置してた癖に……」


 エレーナは、言葉に詰まる。停学の間の三日間、竜也の事をすっかり忘れていた事を思い出す。


「その件も重ねて謝罪いたします」


 エレーナは、またしても深々と頭を下げる。


「私も胸が小さいのがコンプレックスなので、貴方の気持ちは良く分かります」


 —— いや、一緒にしないでくれる?


 竜也は、思わず心の中で突っ込んでいた。

 女性の胸が小さくても、それが良いという男性は少なからず存在するが、男性のアレが小さい方が良いという女性は居ないような気がする。


 —— 兎に角これは、男の沽券こけんにかかわる問題なんだ。

 —— 男の沽券……。


 エレーナは、しばしその意味を考える。そして頬を染める。


「コカンじゃないから! コケン! 品位、値打ちって意味だよ!」


 竜也は思わず毛布を跳ね除け、エレーナと対峙たいじしていた。


「やっと顔を見せてくれましたね。マイナス思考は払拭ふっしょくされましたか?」


 竜也は、愕然がくぜんとエレーナを見つめていた。


 —— 今のは演技だったのか?


 心が通じている以上、嘘は見破れる。そういえば、深層心理までは覗けない事に気付く。エレーナが停学中に精神制御マインドコントロールの鍛錬をおこなっていた事は知っていた。その効果がこれなのだろうか。


「お互いの為に、タツヤ様にも精神制御の修業をお勧めします」


 竜也は深々と頷く。これは第二重要事項と脳内で選別する。


「タツヤ様が、第一重要事項に指定している案件って、いったいどんな物なのですか?」


 —— 人の心にズカズカと土足で入り込んで来ない!


 竜也の心の中の叱責に、エレーナは深々と頭を下げ、謝罪の言葉を発する。

 一見この行為は、非常に失礼な事をしているように見えるが、エレーナがわざとマイナス思考に陥らせる暇を与えないように配慮してくれている事が分かるので、この質問に答える事にする。


「第一は、やはりこの世界がゲームの世界か、そうでないかの見極めかな? 手掛かりとしてはメニュー画面を出せる人物が、この学院に居るみたいなんだけど、その人物は僕と同じ世界から来た可能性が高いんだ。この人物を見つけ出して事の真相を聞き出すのが一番かな?」

「すみません、その前にゲームの世界とは何なのでしょう」


 竜也は、しばし頭をひねる。この件に関しては、言って良い事と悪い事がある。考えている事が、ほとんど相手に筒抜けになっているとはいえ、言えない事もあった。


「まぁ、この世界によく似ているけど、ここでは無い世界と思っておいてもらうのが一番かな……」


 エレーナは竜也の説明に、というより心境に、やはり腑に落ちないという顔をしていたが、何やら察したらしく、とりあえずは納得したというように頷く。


「ではメニュー画面というのは、いったいどのような物なのでしょう」


 竜也は、またしても頭をひねる。テレビのない筈の、この世界の人間に薄型ディスプレイを言葉で表すのは、自分の稚拙な言語能力では限界がある。


「説明しにくいんだけど、右手人差し指を軽く振ると、これくらいの大きさの……」


 と言って、両手で適度の大きさの四角形を作る。


「半透明の紙が、目前に現れると思ってもらったら良いのかな?」

「その紙には、何が書かれているのです?」

「ありとあらゆるモノが表示できる筈だよ。知りたい事、検索したいモノもすぐに映し出す事が出来る魔法の用紙みたいな物だよ」


 エレーナは興味津々に聞き入っていた。そんな便利な事が出来る能力があるということ自体を初めて知った。


「もう一つは、これは図書室にある旧世界の文献と、僕の居た世界で見たオープニングムービーからの推測なんだけど、来年この国に魔物の軍団が押し寄せて来る可能性があるんだ。規模は数十万で、この国は滅亡するかも……」


 エレーナは、注意深く竜也の瞳を覗き込む。少なくても竜也は、そう思っているようだった。しかも『滅亡するかも』とは控えめな表現で言っているのであって、本人はほぼ確定だと思っているようだ。

 ここがゲームの世界? かどうかなんて事より余程の重要事項だ。すぐに学院長に報告せねばならない。


「最後にもう一つ……」


 真剣な表情で、竜也は目前に人差し指を立てた右手を振り上げた。

 大真面目ぶっているが、エレーナには悪い予感しか感じ取る事が出来なかった。


「この世界の女性は、ブラジャーをしてないの?」

 エレーナは、軽蔑の眼差しを竜也に向ける。


「意外に貴方のメンタルは図太いのですね。自殺するのではないかと心配した私が馬鹿でした」

「いや、ホントこれ大真面目に聞いているんだよ。ジュリアはあの巨乳でブラジャーしてなかったし、エレーナも今してないよね?」


 エレーナは、自分の胸を両手でき抱いた。ジュリアのような巨乳ならいざ知らず、自分のような小さな胸では、表面上から分かる筈が無い。


「そんな事が、第一重要事項に指定されている案件なのですか?」


 竜也は、大真面目に頷いた。

 嘘ではなさそうだ。エレーナは卒倒したくなった。誤魔化そうと色々考えると余計ボロが出るという事は、この前の経験で嫌というほど味わっている。ここは正直に話しておく方が賢明だと判断する。


「私はブラスリップを着用しています」

「ブラスリップ……?」

 竜也は小首を傾げる。彼の知識にはブラスリップは無いようだった。そして、どんなものか見たい! という心中が読み取れた。いや、心が読めない者でも誰でも分かるくらいに顔に書いてあった。


 エレーナは、眩暈めまいを感じてフラフラと後退った。

 その分、竜也はベッドの上を四つんいでにじり寄っていく。ベッドから降り、そのままエレーナの足元まで四つんいで進んで行く。


 エレーナの背中が、部屋の壁に突き当たった。もう後が無い。

 竜也は、エレーナの足元まで膝を進めて行く。

 エレーナは、い寄って来る竜也のあまりのおぞましさに、頭めがけて回し蹴りを放った。しかし空ぶってしまう。竜也の反射神経で避けられる筈が無い。驚愕きょうがくの表情で竜也を見下ろすと、竜也は土下座をしていた。


造詣ぞうけいを深める為です。どうか見せて下さい!」


 エレーナは、昏倒したくなる気持ちに何とか耐えた。ここで倒れたら何をされるかは、火を見るよりも明らかだ。しかし、これが勇者のする事なのだろうか……。


「エッチな気持ちは無いのですか?」

「ある!」


 即答が返ってきた。当たり前の事を聞いてしまった様だった。


「でもエッチな気持ちは二十パーセント位で、純粋に造詣を深める為に見たいんだ」


 エッチな気持ちが二十パーセントもあれば純粋じゃないとも思ったが、土下座までされて頼まれたら断りづらい。


「分かったわ。見せるだけよ」


 竜也は、土下座の状態から顔だけ上げてコクコクと頷く。エッチな気持ちは三十パーセントに引き上げられていた。


 長衣ローブ外套がいとうというより、ゆったりとした袖付きワンピースのような形質と役割をしている。前面にボタンが付いていて、それを外すことによって簡単に脱着が可能となっていた。


 そのボタンを一つ一つ外していく。竜也の興奮度は、ボタンが外れる度に徐々に上がっていく。全てのボタンが外れる。腰に巻かれているサッシュを解くと、もう身体を戒めている物は何も無くなった。


 しかし、エレーナは長衣ローブを脱ぐのを躊躇ためらっていた。その理由は竜也のボルテージが異常なほど上がっているからだった。このまま脱いでしまうと、これで終わらない可能性が出て来る。


「ねぇ、早く脱いで……」

「う、うん……」


 エレーナは覚悟を決めて長衣ローブを脱ぎ捨てる。その下からブラスリップが現れる。


 下着姿を見られるというのは、予想していたより相当恥ずかしい物だった。身体の芯が熱くなってくる。もし竜也が求めて来るなら、応えても良いと思うようになっていた。


 竜也は、ブラスリップをしばらく眺めていた。

 エレーナは、心臓が飛び出るのではないかと思うほどの羞恥心に耐えていた。これからの展開を想像すると余計に恥じらいが増してくる。


「うん。どんな物か、大体分かったよ。ありがとう」


 竜也は納得したというように、あっさりと言い放つ。余りにもサラリと流されたのでエレーナは、しばらく下着姿のまま放心して動けなかった。


「あの……。これで終わりですか?」


 竜也は、事も無げに頷く。

 そんな事は無い筈だ。竜也のボルテージも最高潮に達していた筈だ。自分の心も読まれている筈なのに……。


 ふと、竜也のボルテージが急降下している事に気付く。


 —— 何故に?


 エレーナは、竜也の心を覗き込む。竜也は心の中で盛大に溜め息を吐いていた。


 —— 流石さすがは残念な胸のヒロイン……。本当に残念だ……。


 エレーナの頭の中で、何かがブチ切れかけた。すんでの所で踏み止まり、前回同様の過ちを繰り返す事は無かったが、本当に紙一重の所だった。


 大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。


「タツヤ様は私の心境を知っていて、そのような態度を取られているのですか?」

「まぁ、僕にも好みがあるし……。僕は、大きなおっぱいが好きなんだ」


 エレーナは、握りしめた拳を竜也の目前にチラつかせる。


「ここは学院の中なんだよ。ここで、そんな行為にふけると停学間違い無しだよ」


 竜也は身体をすくめながら、慌てて言いつくろう。


「—— ってか、先程の教室での騒動は大丈夫だったの?」

「今回は不注意という事で、厳重注意で許して頂けました」


 しかし、こっぴどく叱られた挙句、また同じ事を繰り返したら停学と言い渡されている。


「次回からは帰還の命令を出す前に、ちゃんと貴方の承諾を得るように致しますが、如何いかな緊急時があるか分かりません。寝る時も短衣チュニックくらいは着て下さい」


 竜也は、少々渋い顔をする。


「僕、寝る時は素っ裸派なんだけど……」

「また素っ裸で召喚されたいのですか?」


 竜也は、渋々了承する。


「エレーナは、寝る時どんな格好をしているの?」

「私は……ブラスリップを着ています」

 いまだにブラスリップ姿のままだという事を思い出す。

 今更ながら、気まずそうに長衣ローブを着込む。


「普段、皆はどうしてるの? それとブラジャーは、みんな着用しているの?」


 ここで再度、本当にどうでも良いような第一重要事項が蒸し返されてきた。


「皆は多分、就寝時にはネグリジェを着ていると思いますよ。それとブラジャーは大半の人が付けています」


 竜也は、納得したように頷く。


「おっぱいついでにもう一つ……。これは第一重要事項では無いんだけど、どうしても気になる事なんだ」


 エレーナは、冷たい眼差しを送る。何処までおっぱい好きなのだ。この男は、おっぱいの話をしだすと止まらないのではないかと思えてくる。


 竜也は、気にも留めていない様子で続ける。


「僕が地下迷宮ダンジョンで死にかけている所を、助けてくれた人が居るんだ。その女性が物凄い巨乳だったんだけど、この女性を探し出したいんだ」

「何故?」


 エレーナは、冷たく言い放つ。おっぱいが気になるっていう理由だけならお断りだ。


 竜也は、しばし言いよどんでいた。『どうしても気になる』という以外、現在は何か確証のようなものがある訳では無かった。


「何故と問われても、此方こちらも困るんだけど……。別に巨乳が気になるって理由じゃないんだよ。いて言うならカンのようなものなんだけど、この女性は僕と同じ世界の人間かもしれないと思って……」


 そこまで声に出して言ってから、違和感の正体に気付く。 そうだ、この女性は何か知っている。そう思わせる何かがあった筈だ。


「やっぱりこの女性を探すのも、第一重要事項に格上げするよ」


 竜也の真剣な眼差しに、渋々了承する。

 丁度、二時限目の授業終了を告げるチャイムが鳴り響いた。


「丁度良いわ。お昼にしましょう」

 竜也は、朝から何も食べてなかった事を思い出す。その事を訴えるように腹の虫が鳴り響いた。

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