第十五話 

「ちょっと、エレーナ……。どこ行くの?」

「食堂よ」


 竜也は、エレーナに連れられて廊下を歩いていた。

 宿直室を出て図書室の前を通り越し、階段を上がって行く。二階には、向かって右側に一年、二年、三年の教室。左側には講堂、食堂、購買と続く。


 チャイムが鳴って、教室から出てきていた生徒達は、階段を登って来るエレーナと竜也の姿に騒めく。

 竜也は、やはり気恥ずかしさが先に立ち、エレーナの後ろに隠れるように付いて行っていた。


 竜也を見て、皆クスクスと囁き合っている。その声は、竜也の耳に悪意ある騒めきとなって広がっていく。


 食堂に入るなり、皆の視線が一斉に竜也に集中する。竜也の被害妄想目線では、視線が一斉に股間に集中していた。


「確かに男の沽券こけんにかかわる問題のようですわね」


 エレーナが、ポツリと呟く。


 —— いや、多分意味をき違えてるから!


 すかさず心の中で突っ込みを入れる。

 しかしエレーナが、わざとマイナス思考に陥らせない為に、とぼけた事を言ってくれている事が感じ取れたので感謝の念を送っておく。


 視線が軽く感じられる。竜也は余裕を取り戻し、エレーナに伴われて食堂内に入って行った。


 適当に空いている席に着く。食堂はかなり広さがあり、ゆったり間隔をあけて席が設けられていた。レトロなダイニングテーブルとダイニングチェアは、この空間にピッタリとマッチしていた。


「ここで待っていて下さいね」


 エレーナは席を立ち、厨房のカウンターに向かう。竜也は辺りを見回して、皆が食べている物を観察する事にした。サンドイッチが八割を占めている。サンドイッチのパンにも種類があり、ハードタイプのパン以外にも、日本でお馴染みの柔らかい食パンで作られたと思われるサンドイッチも少なからず見受けられた。その他にもハンバーガーや、ホットドッグ等も見て取る事が出来た。


 中の具材も種類が豊富で、ハム、ベーコン、ローストビーフ、カツレツ、卵、チーズ、キュウリ、トマト、レタス等の定番ものから、名前の知らない物、未知の物まで色々取り揃えられていた。


 そしてジュリアとの食事の一件で、ある程度予測していた事なのだが、その量の多さには辟易へきえきさせられる。

 皆は、トレーに山のように積んだサンドイッチを、せっせと口に運んでいるのだ。


「お待たせ……」


 エレーナが、トレーに山のようなサンドイッチを積んで帰って来た。他の人の一.五倍の量だ。


「積み切れなくて、これだけしか持って来られませんでしたが、足りなかったら遠慮なく言って下さいね」


 竜也は、その量を見ただけで食欲が無くなってしまった。日本で良く売られている三角形に切り分けられたオーソドックスなサンドイッチを一切れ手に取る。ゆで卵をつぶしてマヨネーズで和えてある卵サンドだ。

 独特の酸味のある固いパンで作られているボリューム満点のサンドイッチも悪くは無いのだが、具が少なめの日本風サンドイッチの素朴な味わいが、なんとなく懐かしさを感じさせた。


 竜也が一切れ食べ終わる間に、トレーに山積みされているサンドイッチは、どんどん無くなっていく。

 素焼きの超特大ミルクピッチャーから、ビールジョッキと見紛う程のグラスに半分程度のミルクを注ぐ。そのグラスにチビチビと口を付けながらエレーナの食べっぷりを観察する。


 決して口に頬張るような事はしていない。あくまで上品に食べている。そうで有りながらも凄まじいスピードでサンドイッチは量を減らしていった。


「あら、エレーナ……」


 山のようにサンドイッチを積み上げたトレーを持った娘が、エレーナの前の席に座りながら話しかけてきた。

 ゆったりした長衣ローブの上からでも分かるムチムチ感。この存在感抜群の胸の膨らみは確かドリーヌ・エマーソンと名乗っていた娘だ。


 その隣に物静かに座ったのは、ドリーヌといつも一緒に居る長身の女性だった。

 使い魔召喚の儀式で召喚された直後、スベントレナ学院長と三人の教師、王家の爆乳ちゃんが聖堂の奥にある控室で話し合いをしている時に名前を聞いた筈なのだが、どうも思い出せない。まぁ、それくらい存在感のない胸という事だ。


 エレーナは、失礼な人の見分け方をしている竜也の太腿ふとももをつねり上げる。


「停学は免れたの?」

「厳重注意で許してもらえたわ」


 エレーナの周囲を一定の距離を空けて様子を うかがっていた周りの皆は、ドリーヌとセシルが同じ席に着いたのを皮切りに、次々とエレーナと同じテーブルに集まりだした。


 皆は一様に、竜也に好奇の視線を向けている。

 竜也はテーブルに集まった皆の顔と、いまだに一定距離を空けて此方こちらの様子をうかがっている者達を交互に見比べる。


 このテーブルに集まった者達は、エレーナと比較的親しい仲の者だと分かる。一定距離を空けている者達は、男を召喚したエレーナを侮蔑しているような空気が感じ取れた。


 ここは勇者としての威厳を見せ付けてやらねばなるまい。

 しかし行動に移す前に、顔面を蒼白にさせたエレーナによって阻止されてしまう。


 —— 何をする気ですか! 貴方こそ勇者の意味を履き違えているのでは無いでしょうね? そんな事をしたら停学、いや退学ものです!


 エレーナと竜也が視線で会話しているのを周りの皆は、好奇の眼差しで見やる。


「エレーナさんにも春が来たのですね」

うらやましいですわ」


 羨望せんぼうの声が上がる。


「そんな穏やかなものではありませんわ。春一番を通り越して台風が来たような荒れ模様で、いつ停学になるかと心穏やかではありません」

「確かに、今朝の騒動は見物でした」


 クスクスと忍び笑いが漏れる。

 エレーナは、顔を真っ赤にしながら何か言わねばと狼狽うろたえる。


「春一番って春に吹く強風の事?」


 唐突に竜也は話に割って入た。

 春一番なんて言葉は、日本の風物詩の筈だ。図書室で見たコスタクルタ王国の地形からは春一番なんて吹くとは思えない。所々に見え隠れする違和感の一端でもある。


 皆は顔を見合わせ、それから竜也に視線を戻す。


「ええそうですが、それが何か……?」

「原語の由来は? 発生条件は?」


 またしても皆で顔を見合わせる。そして一様にかぶりを振る。


「私共では分かりません」


 代表して、エレーナが答える。


「私がお答えしましょう」


 話に割って入って来たのはモグラを召喚していた細身ながらの巨乳ちゃんだ。確かジェレミーという名前だった筈だ。


 ジェレミーは、同じテーブルの空いている席に座ると解説するように話し出した。


「神聖魔法暦一八五九年二月十三日、アルガラン共和国のセポールという港町の漁師が出漁中、おりからの強風によって船が転覆し、五十三人の死者を出して以降、漁師達がこの強い南風を春一番と呼ぶようになり、それが広まったのが由来です。発生条件は立春から春分までの期間の風曜日でコスタクルタ王国、ウリシュラ帝国の北方に低気圧が発生している事です」


 風曜日というのが謎だが、おおむね日本における春一番と定義は酷似している。

 竜也は、この世界の地図を頭の中に思い浮かべる。コスタクルタ王国、ウリシュラ帝国の北方に低気圧があったとしてアルガラン共和国側からの強風が大陸を吹き荒れるイメージを思い描く。ひょっとして自分が思っているより大陸は小さいのかもしれない。大陸の定義が元いた世界のものと違うと仮定して考える事にする。


「それで春一番がどうかしたのですか?」

「いや、おっぱいが……」


 目にも止まらぬ速さで繰り出されたエレーナの手刀が、竜也の口に叩き込まれた。そして、そのまま竜也の口を手の平で押さえ付けながら睨み付ける。


 不用意な事を口走らせないように気を付けて、注意深く心を読んでいたのだが、完全に意表を突かれてしまった。


 —— 今の話の流れと、思考の何処からおっぱいが出てくるのですか?

 —— いや、勇者としての威厳を見せ付けてやろうかと……。

 —— 私をまた停学にさせる気ですか!

 —— 前回の停学も、そして今朝の騒動も僕の所為せいじゃないよね? 自業自得だと思うんだけど……。


 エレーナは、ぐうの音も出ないという様子で悔しそうに歯噛はがみする。


 再び視線で会話しだす二人を、うらやましそうに周りの皆は見やる。


「おっぱいが何か……」


 いささかいぶかしみながらジェレミーが訊ねる。竜也の視線を受けて反射的に胸を両手で隠す。


 エレーナは、竜也の頬をつねり上げながら自分の方を向かせる。


 —— 何処を見ているのですか?

 —— おっぱい!


 エレーナは完全に言葉を失った。呆れ果てて言葉が出て来なかった。このおっぱい好きは救いようのないうつけ者だ。


 —— まぁ、エレーナをからかうのはこれ位にして、真面目に話すから手を放して……。痛いよ……。


 エレーナは竜也の瞳をじっと覗き込む。これ以上不埒ふらちな事を考えていない事を見て取ると、つねり上げている頬を更に捻りながら放す。


 竜也は頬に手をやりで摩りながら、恨みがましくエレーナを見やる。それからテーブルに着いている面々を見回しながら話し出した。


「僕が地下迷宮ダンジョンで死に掛けていた所を助けてくれた人物を探しているんだけどね。その娘が凄くおっぱいの大きい娘だったんだ」


 皆の視線が一斉にドリーヌに集中する。

 ドリーヌは、知らないというように両手と首を振る。


 次に皆は、ジェレミーに視線を移す。

 ジェレミーも知らないというように首を振る。


 次にシェレミーの前の席に座るレクシアに視線を移す。

 レクシアもまた、知らないというように首を振る。


 皆の視線は、レクシアの右横に居るレプリーに注がれる。

 レプリーは、皆の視線が来る前からかぶりを勢いよく振って否定していた。


 皆の視線が、レプリーの右横に居るエレーナを通り越して、当然その横に居る竜也をも通り越してアリシアに向けられる。


「ちょっと!」


 エレーナは視線の誘導に、悪意のようなものを感じて声を上げていた。


「どうして私を飛ばしたのかしら?」

「貴女、勇者様の言われた条件に当てはまるとでも思っているのです?」


 ジェレミーは、まんまと罠にはまったエレーナを愉快でたまらないというように見やる。


 エレーナは悔しさに歯噛はがみする。ここは受け流すべきだったのだ。自分は竜也と心が通じているので、どんな条件でも自分が竜也の探している人物ではないのだから……。

 それをあからさまな視線の誘導に、つい抗議の声を上げてしまった自分を呪いたくなる。


「まぁ、これだけみんな胸が大きいと、小さい人を探す方が手間取る位だよね」


 竜也の発言にエレーナは、素早く右斜め前に座るセシルに眼を向ける。


「私以外にも胸の小さい人は居るわよ」

「私は男装の麗人をイメージして胸を小さく見せるようにしているだけであって、エレーナほど小さくはありません」


 セシルは多少気に障ったようにムスッと答える。


 エレーナは、セシルの右横に居るナターシャに眼をやる。


「ごめんなさいエレーナさん……」


 ナターシャは、極上の猫なで声で謝罪の言葉を口にする。しかし、謝っているというより挑発している感じだった。


「最近、急に大きくなっちゃって……」


 ナターシャは、皆に見せ付けるように胸を張る。かなり大きいという事が一目で分かる位に育っていた。


 エレーナは、愕然がくぜんとつい最近まで同じ位の大きさだった筈のナターシャの胸を眺める。ショックのあまり茫然自失ぼうぜんじしつに陥っていた。


「一人にしちゃって本当にごめんなさいね」


 ナターシャは優越感に浸りながら、上から目線でエレーナに詫びを入れる。


 —— 一人? いや、もう一人貧乳シスターズの仲間がいた筈だ。


 エレーナは隣の席をも見回す。一年生の大半は、この席と隣の席に居る筈なのに見つける事が出来ない。


 —— 何故?


 食堂中を見回してみる。しかし見つける事が出なかった。



 アナベルはエレーナの隣の席に居た。一年生の大半がエレーナ達の居る席と、この席に座っている。

 エレーナと勇者様の一挙手一投足は、今や話題の中心だ。勇者様を召喚した日も、そして今朝も彼女は騒動を引き起こしている。今も彼女達の隣の席で、こっそり聞き耳を立てていたのだ。


 そこで話が不穏な方向に向かい始めると、アナベルは使い魔を呼び寄せた。カメレオンのマサヒロだ。マサヒロは、すかさず主人マスターの意を酌み特殊能力を発動させる。


 これで誰からも、自分を認識する事は出来なくなったのだ。

 ひとまず安心する。自分のバストサイズは、エレーナよりも一つ上なのだ。巨乳ぞろいの皆からすればドングリの背比べだと笑われるかもしれないが、それでもエレーナと同類に見られるのは御免だった。



 エレーナは、アナベルを探すのを諦めた。多分、使い魔の特殊能力で姿を隠したのだと推測する。


 悔しそうに周囲を見回し、八つ当たり気味に竜也を睨み付ける。


 —— エレーナの胸が小さいのは、僕のせいじゃないよ。

 —— こんな話の流れに持っていった貴方が悪い!


 二人はしばし睨み合う。竜也は、やがてあきれたように肩をすくめてみせる。


「みんな心当たりはない?」


 竜也は、隣の席にも声をかけてみる。

 隣の席の皆も、顔を見合わせて各々かぶりを振ってくる。


「胸が大きいだけでは、ほんの一部の者を覗いて、全員大きいので探しようがありませんわ」


 ナターシャは『ほんの一部の者』という言葉を強調して言いながらエレーナを見やる。周りの皆も同意するように頷き合っている。


 すべてが完璧なエレーナの唯一の泣き所を責める機会を与えられた皆は、ここぞとばかりにつつき回る。


 —— 覚えていなさいよ……。


 という意思を込めて、エレーナはナターシャを睨む。そして親友でありながらジェレミーと組みして策略に加担したセシルをも睨む。


「先に私の胸にちょっかい掛けて来たエレーナが悪いのよ」


 セシルがプイッと、外方そっぽを向く。


 —— 確かに……。全員がアメリカンサイズで探しようがないな……。


 竜也は困ったというように考え込む。やはり現場にもう一度足を運び、何かしらの手掛かりを探さなくてはならない。


「もう食べ終わったのかしら? 食べ終わったのなら、さっさと行くわよ」


 竜也の物思いを遮るようにエレーナは声をかける。

 何処へ? と問い掛ける間もなくエレーナの思考が読めたので、仕方なしに付き合う事にする。


 チラリと目前のトレーを見やると、いつの間にか綺麗きれいさっぱりサンドイッチは無くなっていた。


 いつの間に全て食べ尽されたのか……。竜也は呆気に取られながら、トレーを見つめていた。

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