第十六話 

 エレーナと竜也は、食堂を出ると学院長室に向かった。

 コスタクルタ王国滅亡の危機が迫っている事を、学院長に伝える為だ。


 学院長室の扉をノックすると、すぐさまいらえがあった。エレーナは名前を告げて入室の許可をもらうと、竜也と共に中に入って行った。


「スベントレナ学院長、今回は大変重要な相談があって参りました」


 スベントレナは、エレーナと竜也を交互に見やりながら小首を傾げる。とりあえず席に座るように促しながら、飲み物の用意をする。


「重要な相談とは、いったいどのような事柄なのでしょう」


 エレーナと竜也の前に珈琲コーヒーの入った白磁のカップを置きながら、スベントレナは問い掛ける。


 エレーナは、竜也に目配せを送る。竜也はエレーナの意思を読み取り、口をヘの字に曲げて不満そうにエレーナを見やる。それでも渋々口を開く。


「先日は、旧世界の書物が保管されている部屋の鍵を貸して下さり、有り難う御座いました」


 竜也は不承不承という感じで頭を下げる。


「その様子だと、旧世界の書物は読めなかったのです?」


 竜也の様子が思わしくないので、そう判断する。


「いえ、読めたのですが、そこでこの国に関する重要な問題が判明いたしましたので、報告に参りました」


 スベントレナは、注意深く竜也の言葉に耳を傾ける。旧世界の書物は、最近とある遺跡から発掘されたばかりで、その難解な文字により一向に解読は進んでいないのだ。


 スベントレナ自身も解読に挑戦しているのだが、表紙に何と書かれてあるのかを、中の文章の読める個所や、前後の文脈から予想してラベリングするだけで、手一杯といった感じなのだ。


「読めたとは、いったいどれくらい読めるのですか?」

「流し読みですが、三日間図書室にこもって一つの本棚の半分程度の本は読めました」


 流石さすがのスベントレナも、眼を見開いて驚きを隠せないでいた。どれくらい読めるのかと聞いたのは、平仮名以外にどれだけ読めるのかを聞いたつもりでいたからだ。


「本棚の半分程度とは……? いえ、それより竜也殿は何故に旧世界の文章が読めるのですか?」


 興奮して素っ頓狂な声で、スベントレナは問い掛ける。


「あの文字は、僕が居た世界で日常的に使っている文字です」

「では、あの部屋にある旧世界の本を全て読めるのですか?」

「学院長……」


 話が横へ逸れていきそうになったので、エレーナは話に割って入った。


「そうでした……。私とした事が失礼いたしました」


 スベントレナは頭を下げ、話の続きを促す。


「僕が初めてこの世界に召喚された日に学院長は『この世界に災厄が降り懸かろうとしています』と仰いましたよね。多分その災厄とやらが来年に、このコスタクルタ王国にやって来ます」


 災厄の話を知らないエレーナは、驚愕きょうがくの表情で竜也を見やる。

 スベントレナは、更に注意深く竜也の言葉に耳を傾ける。


「規模は魔物の軍団数十万、コスタクルタ王国は滅亡するかもしれません」


 スベントレナはソファーに深々と座り直すと、瞑目めいもくして大きく息を吐き出した。


「災厄とは、いったい何なのですか? 学院長は、コスタクルタ王国滅亡の危機の件をご存知だったのですか?」


 エレーナは驚きのあまり、上ずった声で問い質す。


「災厄とは周期的にやって来る大厄、または厄年と歴史家に評されている出来事です。妖精竜が現れる時は、決まって災厄に見舞われて来ましたが、妖精竜を引き連れた勇者によって何とか無事に今まで乗り切って来られたのです。憶測ですが、ロベリアさんも選ばれた勇者として国家の災厄対策プロジェクトに参加して、色々策を講じていると思われるので心配には及びません」

「憶測では安心は出来ません。すぐさま確認を行い、そして民衆にも来たる災厄に対処するように警鐘を鳴らさなければなりません」


 エレーナは毅然きぜんと言い放つ。


「それは国の政策です。国家がこの件を公表しないと決定しているのであれば、我々が口出しする訳にはいきません。エレーナさんも、この件は機密事項として誰にも漏らしてはいけません」


 エレーナは、納得いかないという顔をしている。


「学院長。実を言えば、僕はコスタクルタ王国が滅亡した後の世界にやって来る予定でした。旧世界の書物には、神聖魔法暦二二七三年に魔界からの奇襲を受けてコスタクルタ王国は滅亡すると記されています。確かに、いつ、どこで、どんな規模で起こるか分からない災厄を説くのは危険極まりない行為ですが、これだけ情報が揃っているのであれば対策は取れます。もう一度ロベリアさんと話し合った方が良いと思います」


 スベントレナは、深くソファーに埋めていた身体を起こし姿勢を正す。


「分かりました。ロベリアさんに話を通してみましょう。今日、彼女は登校していましたか?」


 エレーナと竜也は、お互い顔を見合わせる。


「いいえ、見ていません」


 代表してエレーナが答える。

 スベントレナは、ヤレヤレというように肩をすくめる。ただし、その行為はロベリアに向けたものでは無く、ロベリアを見つけられないでいる二人に向けたものだった。


「ロベリアさんには、私から話を通しておきます。そろそろ昼休みは終わりますよ。次の授業に遅れないようにお行きなさい」


 エレーナと竜也は、挨拶をして学院長室を出て行く。二人の気配が遠ざかるのを確認してから、スベントレナは入口の扉の陰に眼をやった。


「扉の陰に隠れている人……。ロベリアさんかしら? 出ていらっしゃい」


 扉の陰から姿を現したのは、スベントレナの予想通りロベリアだった。


「私の潜伏ハイディングに気付かれていたのですか?」

「インスニだけでは不十分ですよ」


 スベントレナは、隠密の基本を指摘する。

 インスニとは、【姿隠し】インビジビリティーと【忍び歩きスニーキング】の略で本当はここに【消臭】デオドライザーの魔法が加わって隠密の基本となる。

「タツヤ殿だけなら【姿隠し】インビジビリティーだけで十分。そして、不用意な事を口走らせないように、常に全神経をタツヤ殿に向けているエレーナさんでは、インスニの簡略魔法だけで十分です」

「淑女たるもの、体臭にも気を使わなければなりません」

「私は臭くなどありません」


 ロベリアは、わずかに気色ばんで言い募る。


「香水の事です。CHRカリスマがプラス五十も上昇するような高級品で、しかもこの学院で一人しか使用していない物であれば、個人まで特定されてしまいます」


 ロベリアは、わずかに眉根を寄せる。


「よくこの香水の効力までご存知ですね」

「私も若いころ使用していましたから……」


 茶目っ気たっぷりに言い募るスベントレナを、ロベリアは何とも言えない渋い顔で見やる。


「ともかくお座りなさい」


 ロベリアに席に座るように促し、新しい珈琲コーヒーれなおす。


「ロベリアさんは、先ほどタツヤ殿が仰っていた件について、どのように捉えていますか?」


 ロベリアをソファーに座らせ、自分も対面に座ると、先ほどと打って変わって真面目な表情で問い掛ける。


信憑性しんぴょうせい不確かな情報で、国家が動く事はあり得ません」


 ロベリアは、即答する。しかし、そこから語調を和らげて付け加える。


「ただし、このような案件を処理する為に私が居ます。この件は、国の上層部に報告する事はもちろん、私が責任をもって対処いたします」


 スベントレナは、得心とくしんしたというように何度か頷く。


「しかし、いまだに合点がいかない事柄が一点……。何故タツヤ殿を尾行しているのかという事です」

「タツヤ殿には、使い魔達のフラグシップ的な存在、または役割があると私は考えています。まだ確証は有りませんが、その片鱗を探すために見張っています。それに、放置しておきますと地下迷宮ダンジョン等で命を落としかねません」

「なるほど、地下迷宮でタツヤ殿を救って下さったのは貴女だったのですね」


 ロベリアは小さく頷く。


「【全快リカヴァリ】の魔法を掛けたりして介抱して下さったのも?」


 ロベリアが再び頷く。


「その件で一つタツヤ殿についての情報があります。タツヤ殿は【全快リカヴァリ】の魔法の後に副作用なしで普通に動ける、という事です」


 ロベリアは、しばしその意味を推し量るように考え込む。


「【全快リカヴァリ】の魔法の副作用はご存知ですよね?」

「もちろん……。およそ丸一日は、立ち上がる事すら出来なくなる事です。私が考えている事はそのような事では無く……」


 急に押し黙り、何事か考えを巡らせるように中空に視線を彷徨さまよわせる。


「いえ……。これは私の想像で、おいそれと口に出せる事柄ではありませんので、お気になさらずに……」


 スベントレナは、その様子を細大漏らさず観察していた。


「そういえばタツヤ殿が、右手人差し指を軽く振ってメニュー画面とやらを出せる人物を探しておりましたよ」


 珈琲コーヒーのカップを口元に持って行こうとしていたロベリアの手がピタリと止まる。そのままスベントレナ学院長を睨むように見返す。


「もちろん『将軍ジェネラル』の技能スキルの事は喋ってはいません。ですが何故なんの技能スキルも持たないタツヤ殿が『将軍ジェネラル』の技能スキルの事を知っているのか……。

 タツヤ殿の行動を思い返してみて、もしかして彼は『将軍ジェネラル』の技能スキルを持っていたのではないかという推論が成り立つのですが、ロベリアさんはどう思われますか?」

「大いに考えられます」


 ロベリアは即答する。


「私が潜伏調査を続けている最中にも、無意識に右手人差し指を振って、何も変化が現れない事に落胆している様子を見せていました。此方こちらの世界に召喚された時に、何らかのトラブルが発生して、技能スキルを使用できなくなっている可能性があると私も考えております」


 スベントレナは、意識せず拳を強く握りしめていた。まさか、本当に勇者の卵ではないのかという希望が湧き上がってくる。

 旧世界の文字を読み解き、『将軍ジェネラル』の技能スキルを使いこなす知将……。これが竜也殿のポジションだ。剣が使えなくても頭脳で乗り切る新たな勇者像が頭に浮かぶ。


「あの……、学院長……」


 どこか上の空という感じになってしまったスベントレナに、ロベリアは声を掛ける。


「そろそろタツヤ殿の尾行に戻ります」

「ええ、そうですね……。タツヤ殿を頼みましたよ。そうそう、これを持って行きなさい」


 スベントレナは、我に返ると懐から水晶球を取り出す。

「この水晶球は、登録された個人の居場所が特定出来るように術式を組み上げています」


 差し出される水晶球をロベリアは、やんわりと押し返す。


「それは私も持っているので結構です」


 ロベリアは、立ち上がると一礼して学院長室を出る。

 懐から取り出した水晶球は、スベントレナ学院長の持っていた物と瓜二つだった。しかし中に刻まれている術式は、宮廷魔術師のサーヤに頼んで編み上げてもらった最高傑作だった。


 素早く魔法語ルーンを唱えて竜也の居場所を特定する。図書室に居るようだ。水晶球に映っている情報は、それだけでは無い。竜也の体力や精神力はもちろん、全てのステータスがリアルタイムで表示されていた。


 その数値をじっと眺めながら、通常の人間では有り得ない現象を見て取る。【全快リカヴァリ】の魔法の副作用といい、この男には謎が多すぎる。


 ロベリアは水晶球を操作して、学院長室から出た直後からの映像を見直してみる。


 二人は学院長室を出た後、並んで歩きだす。職員室を通り越し、階段に差し掛かった所で意見が分かれたようだ。何やら言い争いを始める。

 喧嘩けんかの内容は、次の授業の体力向上訓練に連れて行こうとするエレーナと、図書室で調べ物を続行したいと主張する竜也との意見の食い違いの様だった。


 結局二人はバラバラに行動する事になり、エレーナは一旦着替えを取りに教室に戻り、竜也は図書室に入って行った。


 ロベリアは、水晶球を懐に仕舞うと図書室に向かう。

 人気のない図書室に入る。ブラッドウッド材の扉から死角になる閲覧席に腰を下ろすと、妖精竜のソウイチロウを呼び出し、ブラッドウッド材の扉へ誘導する。


 ソウイチロウの特殊能力は、レイラの使い魔である蜘蛛くものコタロウから読み取った長距離探査能力のままだ。


 ソウイチロウは、易々とブラッドウッド材の扉をすり抜けていく。


 ロベリアは眼をつむり、思念をソウイチロウと同調させていく。


 竜也は事務机に向かい旧世界の本を読んでいた。時々右手側に置かれている用紙に旧世界の文字で何やら書きつづっている。そして再び本に眼を遣る。何かをまとめている様だった。


 ロベリアは、ソウイチロウに竜也の見張りを任せると席を立つ。

 竜也の言っていた魔物の軍団の奇襲、コスタクルタ王国滅亡の危機が来年に迫っている事を、災厄対策プロジェクトの本部へ報告に行く為だった。

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