第十一話 

 スベントレナ学院長とエレーナの母親のエミリアが宿直室を出ていった後、竜也は心労の為しばらくベッドに仰向けに寝転がっていた。


 エミリアの視線を思い出すと、背中に悪寒が走る。あの眼は自分の事を生かしておいて良いモノなのか、それとも殺しておくべきモノなのかを推し量っている様だった。


 肩をブルリと震わせ、背中に走る悪寒を振り払う。

 考えなくてはいけない事が、沢山ありすぎる。まず先程から頭の片隅に引っ掛かりくすぶっている霞の正体について考えを巡らせる。


 前回の戦闘での疑問を解決するには、もう一度その場所に行ってみるのが一番だ。しかし、その場所は死と隣り合わせの危険な場所だ。もし同じ状況で助けが来なかった事を考えると、どうしても躊躇ためらいが出てしまう。まだやらなければならない事がある以上、この件は後回しにする事にする。


 もう一件早急に片を付けてしまいたい事案は、図書室にあるブラッドウッド材の扉の事だ。青銅の鍵はスベントレナ学院長から入手済みだ。あの扉の向こうには、何かがあると直感が訴えている。


 両足を大きく振り上げ、振り子の勢いで両足を蹴り上げるように腰を跳ね上げる。それと同時に両耳のすぐ横に着いた手を押し返す。現実世界と同等の動きで跳ね起きが出来る事を確認しておく。


 現実の世界で出来た事が、此方こちらの世界では出来ないでは、いざという時に命に関わる。

 死ねば二度と生き返らないという覚悟が足りていなかったと痛感した現在、もっと基本的な身体の動きから見直さなければならないと思い直し、色々検証しているのだ。


 このまま図書室に向かおうと思っていたのだが、先程から腹が空腹を訴えて鳴り響いているのだ。

 そういえば、今朝から何も食べてはいなかった事を今更ながら思い出す。昨晩はサバティー先生からもらったパンを食べた。今もその残りがテーブルの上に山のように置いてある。


 グラスに水差しから水をそそぐと、口を少し湿らせてから固いパンにかぶり付く。独特の酸味がある変わったパンだが、めばむほど麦本来の味わいが口中に広がる。

 最初は固さに不満を抱いたが、今は素朴な味わいのこのパンを、かなり気に入っていた。


 ゲームの世界での食事というものについて、効果とか色々考えても見たのだが、腹が減るものはしょうがない。純粋に栄養補給という事にしておく。


 簡単に食事を済ませると早速図書室に向かう。図書室までの道順は既に覚えていた。時間帯の所為か生徒に誰一人合う事は無かった。皆は授業中なのだろう。


 図書室と書かれてある(であろう)プレートを見上げる。フラクトゥールのような書体は読む事が出来ない。

 もしかしたら……。いや、かなりの確率で旧世界の文字は、フラクトゥールのような文字同様、読む事が出来ないかもしれない。


 プレートを緊張した面持ちで見上げながら深呼吸をする。こんな所で思い悩んでいても仕方がない。『案ずるより産むが易し』ということわざがあるように行動するしかない。


 覚悟を決めて図書室に入る。ずらりと並んだ本棚に、びっしりと詰め込まれた書籍の数々を流し見ながら奥へ進む。背表紙に書かれた文字は読む事が出来ない。それでも、もしかしたらと言う一縷いちるの望みを託して、一番奥にあるブラッドウッド材の扉までの道中にある書物の背表紙を確認していく。


 やはり読める文字は見当たらない。ここまでは予想通り。ここらが本番だ。


 ブラッドウッド材の扉の青銅のドアノブを見つめる。その中央に鍵穴がある。円筒錠シリンドリカルロックと呼ばれる室内ではオーソドックスな錠前だ。デッドボルトも有していないような安易な構造だが、ふと何か違和感を覚える。


 竜也は、ズボンのポケットから青銅の鍵を取りだすと凝視する。鍵穴と見比べてみる。そして違和感の正体に気付く。鍵が精密すぎるのだ。この鍵が安易な構造の鍵として使われているのは、現実の世界での話だ。


 中世ヨーロッパレベルの文明では、ウォード錠という鍵が一般的だった筈だ。構造は錠の内部にウォードと呼ばれる障害が設置されていて、そのウォードに合った形状をした鍵だけが、錠を回せる仕組みになっているのだ。


 この図書室にある本の紙質といい、どこかアンバランスでしっくりこない。

 ともあれ、ここであれこれ考えていても仕方がない。持っている鍵を鍵穴にゆっくりと差し込んでいく。シリンダーを一つ一つ押し上げていく感覚が手に伝わってくる。円筒錠だという証拠だった。一番奥まで差し込むと、ゆっくりと慎重に回していく。カチリと音がして鍵が外れる。


 竜也は鍵を抜き取るとポケットにしまい、ドアノブを回す。ゆっくりと開いた扉の中は八畳程の広さの部屋があった。

 両端の壁際に本棚がズラリと並んでいて、一番奥には事務用の机が置かれていた。その机に置かれている燭台しょくだいには、蝋燭ろうそくの炎ではなく魔法の光らしきものが輝いている。


 竜也は、左右の本棚を見回しながら部屋の中に入る。本棚の七割位を埋め尽くしている本の背表紙は、フラクトゥールのような文字だった。

 この部屋の外にある本と大して変りが無い事に落胆する。試しに一冊の本を手に取ってみてパラパラと数ページめくってみる。その手がピタリと止まる。開かれたページを見つめながら竜也は、あまりの衝撃に思考が停止してしまった。


「日本語……?」


 つぶやいた自分の声で我に返る。さらに数ページめくってみる。やはり日本語だった。内容はどこかの地名と地図、そしてその説明っぽい事が書かれていた。

 曖昧な表現になってしまったのは、その地名が現実世界に実在するものでは無いからだ。世界中の全部の国や地名を知っている訳では無かったが、少なくても不死者アンデッドが住み着いている町という場所は無いだろう。


 竜也は最初のページをめくり、目次を指でなぞりながらある地名を探す。無いと分かると、その本があった本棚にある本を数冊取り出し、目次を見て回る。数冊目にしてやっと目当ての地名を見つける。


 現在、竜也が知っている国名と言えばコスタクルタしかない。コスタクルタ王国という見出しの本を片手に事務机に向かう。そしてこの国について説明されている事柄を読み漁る。


 世界四大強国の一つ。しかし、神聖魔法暦二二七三年、魔界からの奇襲を受けて滅亡……。

 今が神聖魔法暦なる物の何時なのかが分からないので、いまいちイメージが沸かない。更に読み続ける。

 現在は魔王軍駐屯地として、当滅亡国以外の三大強国と交戦、現在に至る。


 現在に至るって、どういうことだ? 現在、コスタクルタ王国は存続している。これは歴史書では無い? 予言書? しかし現在に至るという言葉は、予言書としてでも不適切だ。


 更に読み続ける。内容は攻略本や設定資料といった感じだった。

 そこで竜也は、ある事柄を思い出す。ベータテストの時にはすっ飛ばしていたのだが、正式サービスの直前に一度だけ見たオープニングムービーの事だった。


 突如として現れた魔物の軍団が、平和で安寧あんねいな町並みを徐々に包囲していくシーン。一気に押し寄せる数十万の魔物の数々。奇襲をかけられ、恐慌状態に陥りながら逃げ惑う人々。焼き尽くされていく町並み。応戦むなしく倒されていく兵士達。崩れゆく城……。まるで映画のワンシーンのような映像があった事を思い出す。


 —— あれがコスタクルタ王国だったのか?


 では、今現在自分の置かれている立場はいったい何なのだろう? 色々辻褄つじつまが合わない。


 辻褄つじつまが合わないと言えば、先程コスタクルタの地名を探している時に見つけた一冊の本に眼をやる。

 使い魔召喚について書いてある本だ。気になって少しだけ読んでみたのだが、これは攻略本や設定資料という代物では無いように思える。


 何が何だか余計に混乱する。そもそも何故、旧世界の文字が平仮名や漢字なのか? まぁ、それを言ってしまえば、もしこの世界がゲームで無いのであれば、西洋人っぽい出で立ちで流暢りゅうちょうな日本語を喋っている此方こちらの人間は何なのだ? という所まで行き付いてしまう。


 思考停止に陥りそうな頭を無理やり左右に大きく振って覚醒させる。

 兎に角、ここにある本を全て読む必要があった。まずはコスタクルタ王国について書かれている書物からだ。


 竜也は先程の一冊を読み始める。現在聞いても意味が分からないものは割愛していく。本当は全てを読み覚えたい処だが、何せこの本の量だ。覚え切れるものではない。


 竜也は、そうして本に集中していく。身動みじろぎしない竜也の周りを、時間だけが過ぎ去って行った。

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