第十話
竜也は、部屋の扉をノックされる音で眼を覚ました。
天井は、現実世界の自分の部屋の物ではない。一瞬ここが何処だか分からずに
記憶が混濁していて気分が悪い。軽い頭痛を振り払うように額に手をやりながら、首を左右に振る。
ベッドから起き上がろうと足を踏ん張るが、平衡感覚が
腹部に微かな痛みを感じて手をやる。服の裾をめくってみて痛む場所を観察する。その途端、一気に記憶が
そうだ、小鬼に腹部を刺されたのだ。
今でも、あの見事な下乳は眼に焼き付いている。しかし、今はそれどころではない。
気を取り直して、小鬼に刺された箇所を観察する。
腹部の傷は傷跡ひとつなく治療されていた。右太腿、左腕、右
治癒魔法という言葉が脳裏に浮かんでくる。ファンタジー系
ふと疑問が持ち上がる。前回の戦闘でHPが半分減ったと仮定する。残りHPは五十パーセントだ。そこから治癒魔法で二十五パーセント回復したとすると、傷口はどのようになっているのだろうか……。
その思考は二度目のノックの音でかき消されてしまった。
しかし竜也はノックを無視して思索に
「タツヤ殿、起きておられますか?」
竜也の熟考は、スベントレナ学院長の声に邪魔され中断させられてしまった。
仕方なく竜也は返事をする。
「ごきげんようタツヤ殿。今回はタツヤ殿にお会いしたいという者がおりまして、お連れした次第です」
スベントレナ学院長の後から入って来た女性が頭を下げる。
「ごきげんようタツヤ殿。エレーナの母親のエミリアに御座います」
そう自己紹介をした女性は、確かにエレーナに似ていた。胸もペッタンコだ。エレーナの胸の成長は望み薄だなと、
竜也もふらつきながら立ち上がり、自己紹介をする。その一挙手一投足を観察するエミリアの視線は、大事な娘に取り
竜也の背筋に言いようのない悪寒が走る。
「タツヤ殿、どうなされました?」
スベントレナは竜也の様子に気付き、
「いえ、何でもありません」
竜也は取り敢えず椅子を進める。学院長室にあるような豪勢なソファーの
「昨日この部屋を宛がわれたばかりで、ここの備品もろくに分からず、お茶も出せなくてすみません」
「いえ、お構いなく」
スベントレナ学院長とエミリアは椅子に腰を下ろす。正面に座った竜也は恐る恐るという感じで、エミリアの様子を
エミリアは、まるで汚らしいゴミ虫でも眺めるような視線を竜也に向けていた。たまらず竜也は、スベントレナ学院長に助けを求める視線を送る。
「先程お渡しした物は、お役に立ちましたかな?」
気まずい雰囲気を察して、スベントレナは助け舟を出してやる。
先程渡された物とは、図書室のブラッドウッド材の扉の鍵だと察知した竜也は、その話題に跳び付いた。
「それが、まだ図書室には行ってないのです。あの後、オリビエ先生に
「ほう。どうでしたかな?」
「危うく死に掛ける処でした」
そう言って竜也は、引き
「死に掛けたとは、どうなされたのです? 身体の方は大丈夫なのですか?」
スベントレナは
「小鬼数匹に取り囲まれまして……。でも危うい所を助けて下さった方がいらっしゃいまして、気付いたらベッドの上だったという次第で……」
竜也は面目無さそうに頭を
「見たところ傷はなさそうですが、魔法で治療されたのですか?」
またしても竜也の物思いは、スベントレナ学院長の言葉によって
「それが、助かったと思った瞬間に意識を失いまして、魔法を使われたかどうかも分からないのです」
竜也は、バツの悪そうに身を縮める。
「傷を負ったという個所は何処なのです?」
「一番ひどい傷が腹部で、
「少し腹部の傷を見せていただけますかな?」
竜也は服の裾をめくって、刺された箇所を指差す。
「ここら辺です」
その場所には先程も確認した通り、傷跡は全く見当たらない。
「痛みはありますか?」
竜也は軽く首を振る。
「何か、違和感のようなものが微かにあるだけです」
「成る程、確かに魔法での治療跡のようですね」
—— しかしこれは……。
スベントレナは魔法で治療されたという個所を見やり、眉をひそめる。
「失礼……」
そう言って、刺されたと思われる場所に手を当てる。
間違いなく【
しかしこの男は、平然としている。確かに初めに自己紹介をした時には、ふらついていたが、現在はしっかりしている。
「助けて下さった方というのは、
「それが
「特徴とか覚えていませんか?」
竜也はエミリアをチラリと盗み見る。ここでおっぱいが物凄くデカい人でしたとは言いにくい。
「さぁ、特には……」
と、誤魔化すことにする。
その様子をエミリアは細大漏らさず観察していた。
今、何か隠し事をしたように見えたが、それ以外はごく普通の男と変わりはない。最悪な男を想定していただけに、極悪人ではない事には救われた。しかし、良い男とも言えない。勇者として見れば尚更だ。平民並みの能力しか無いとの情報は嘘ではなさそうだった。
「タツヤ殿は元の世界では、どのような職業に就いておられたのですか?」
エミリアに唐突に話を振られ、竜也は
「いえ、まだ学生なので職には就いていません」
恐る恐る、及び腰で答える。
「勇者としてこの世界に
「正直、勇者だと判断されたのは
エミリアはスベントレナに
理由は自分の娘、エレーナの
スベントレナは、エミリアが
「タツヤ殿を助けて下さった者というのは、
そう言ってスベントレナはエミリアを促しながら立ち上がった。エミリアは最後に一睨みしてからスベントレナに続く。
「それでは、ごきげんようタツヤ殿」
二人は宿直室を出る。しばらくは、元来た廊下を無言で進んで行く。
「タツヤ殿に会ってみての印象はどうでしたかな?」
校舎内を歩いている途中、スベントレナはエミリアに竜也の様子を問い掛けた。
「娘を
スベントレナは不意に立ち止まり、校舎の窓から見えるグラウンドの様子を眺め始めた。
エミリアも、それに習いグラウンドの様子を見やる。グラウンド内では、まだ生徒達がトラックを走っていた。
インフィールド内では武器を持っての戦闘訓練が行われていた。武器はランダムで決められてしまう。色々な武器の扱い方は中等部入学時に全て教えられるのだが、得手不得手は誰にでも多かれ少なかれある。しかし、そのような事は関係なしに、問答無用でランダムに決められた武器を使いこなさなくてはならないのだ。
エミリア自身は格闘戦が最も得意で、続いて
「エミリアさんの勇者に対しての概念は、どのようなものですか?」
グラウンド内の様子を眺めながら、スベントレナは
エミリアもグラウンドを見つめたまま、しばし思案に
「剣と魔法両方使えて万能。品性、素行共に優れた
「では、娘のエレーナさんはどうですか? 生まれ持っての素質に加え、あの勤勉さで今やこの学院トップの精神力を持ち、召喚魔法、精霊魔法、古代魔法、治癒魔法の全てがトップクラス。そして各武器の取り扱いにも精通しています。エレーナさんを勇者とは呼べませんか?」
「何かを成し遂げたという実績がありません」
エミリアの答えに、スベントレナは頷いて見せる。
「今、勇者の概念に実績が追加されました。それはエレーナさんを当て嵌めて考えたから出てきたものです。このように概念とは曖昧で抽象的なものです」
スベントレナはエミリアに向き直る。つられてエミリアも視線を合わせる。
「今後も勇者の概念は変わっていきますよ。いえ、あの者が変えていきます。ですから、早計な判断を下さないようにお願いします」
確かに慎重な判断を要した方が良さそうだ。エミリアは心ならず了承する事を、気恥ずかしさを隠すように顔を背ける事で伝える。
スベントレナは、苦笑いを漏らしながらグラウンドに視線を戻した。
グラウンドでは、先頭を走っていたと思われる生徒がゴールをした所だった。記録が水晶掲示板に表示されている。
四二.一九五km完走。記録一時間五十九分五十八秒。名前 アンジェラ・ワーズマン。
中等部一年生で二時間の壁を超える者は、学年で一人出るかどうかという度合いの中、今年も飛び切り優秀な生徒が入学してきたようだ。三年前はエレーナが成し遂げたのだ。それも一時間五十九分五十六秒という過去最高記録を打ち出してだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます