第九話 

 エレーナは、昼過ぎに眼を覚ました。昨晩は自責の念に駆られて、朝方までベッドの中でウジウジともがき続けていたのだ。


 学校の授業はとっくに始まっている。しかし停学中で寮謹慎を言い渡されている身としては、夕方まで寝ていようが、誰からも文句は言われないかもしれない。実際、まだベッドから起き上がる気力は無かった。


 —— 何故、あのような破廉恥な行為に及んでしまったのか……。


 堂々巡りの問い掛けが、またしても脳裏を過る。それと同時に、あの時の事が思い出される。特に初めて見た男性のアレが脳裏に焼き付いて離れない。


 —— 私は何を考えているのだろう……。


 こんな思考を、あの男に読まれているかもしれないと思うと、あまりの恥ずかしさにベッドの中でゴロゴロと転がり、のたうち回る。


 忸怩じくじたる思いにどっぷりと浸かりながら、そこから脱却する方法をスベントレナ学院長から聞いていた事を思い出す。停学三日間の間に、少しでも精神制御マインドコントロールの修業をするよう課題を出されているのだ。


 しかし、精神制御は数年かけて習熟されていくものだ。たった三日で上達するようなものではない。ひたすら心を落ち着かせて無の境地に心を置き、一切の邪念を払うことなど、今一番難しい事なのだ。


 意識して別の事を考えようとするのは逆効果だと、サバティー先生に言われた言葉が思い出される。今、まさにその通りの状況に陥っていた。


 心と身体を開いて全てをさらけ出し、意思疎通を密にすれば、おのずと察してくれるようになる、というくだりまで思い返したところで、ふと妙な違和感を覚える。


 —— 心と身体を開いて……。身体も開くの……?


 またしても顔が熱くなる。そんな言い回しでは無かった筈だ。自分で変な脳内変換をしてしまっている事に、またしてもベッドの中でジタバタと身悶みもだえる。

 抱き枕をギュッと抱き締め、ボーっと天井を眺めながら、深い溜め息を吐く。


 熱くなっているのは、顔だけではなかった。身体も熱い。我慢が出来ない。こんな思考まであの男に筒抜けになっているかもしれないと思うと、余計に熱くなってくる。


 —— あの男は、いったい今何をやっているのだろう。


 少しだけ意識を、あの男に向けてみる。

 寝ているのか全く反応が無い。今なら何をしていようが、心を覗かれる心配は無い。


 思う存分、抱き枕を抱き締める。


 エレーナは気付いていなかった。ベッドのすぐそばの床に書かれた魔法陣が光り輝き出し一人の人影がこの部屋へ転移してきた事を……。


 転移してきた女性は、目前の有り様に絶句する。


「エレーナ! 何をしているのです?」


 女性の声にエレーナは、驚愕きょうがくしながら跳ね起きる。


「お、お母様……。どうして此方こちらへ?」


 魔法陣を使って転移して来たのは、エレーナの母親のエミリアだった。


「貴女が停学になった件で、呼び出しを受けたのです。使い魔に男を召喚して風紀紊乱びんらん行為をしでかした挙句、反省をしているのかと思えばこの有り様。いったいどうしてしまったの?」


 エレーナは、気まずそうに身繕みづくろいをしながら身を縮こませる。


「お母様、私が召喚したのは男じゃなくて勇者様なのよ」

「その勇者様を、私も調べさせて頂きました」


 エミリアは近くの椅子を引き寄せると、そこへ改まった態度で腰を下ろす。エレーナもベッドの上で正座をして姿勢を正した。


「能力の程は平民並み、特殊な技能もないような勇者は存在しません。貴女だって、あの男の能力は大体把握しているのでしょう?」


 エレーナは、黙って項垂うなだれていた。


「今日、学院長に退学届けを出してきます。家に帰って花嫁修業を一から鍛え直します」


 エレーナは、退学という言葉に驚愕きょうがくの表情で顔を上げる。


「お母様、待って下さい。彼は本当に勇者なのです。いいえ、正確には勇者の卵です」


 焦る心のあまり身を乗り出しながら、どうやったら退学を免れるか必死で思案する。


「私が彼を、真の勇者様に育てなくてはいけないのです。その為には、私は勇者様を支える一流の魔法使いにならなくてはいけません。

 私はこれまでの三年間、必死で努力してきました。これからも努力は怠りません。必ず学年首席に返り咲いてみせます。どうか退学だけは御容赦を……。今までの努力を無駄にさせないで下さい」


 エミリアは、戸惑いを隠すことが出来なかった。娘の性格は熟知している。潔癖で努力家、間違っても風紀紊乱びんらん行為を仕出かすような娘ではない。


 何かの間違いで召喚してしまったどこの馬の骨とも分からない男が、娘をたぶらかしたのだと思っていたのだ。

 勇者である筈は無いと思いつつも確証はない。どうしたものかと思いあぐねる。


 しかし今更考えてももう遅い。さいは投げられてしまったのだ。泥は親である自分が被れば良い。それに真の勇者なら、これくらいの試練は簡単に乗り越えられるだろう。大事な娘を託せるかどうかを試すには良い機会だった。


 エミリアは娘の瞳を真っ直ぐに見つめ、真意の程を推し量る。娘の瞳に一点の曇りも無い事を見て取ると、ゆっくりと背凭せもたれに背を預けた。


「退学の件は保留にします。仮にあの男が勇者様であったとしても、男には変わりありません。心を覗かれて恥ずかしい思いをしたくなかったら精神制御マインドコントロールを練磨なさい」

精神制御マインドコントロールを極めれば、心を覗かれないようになるの?」


 この情報にエレーナは、遮二無二しゃにむに飛び付いた。今一番の悩みの種であるからだ。


「前例が無いので確証は有りませんが、敵の精神攻撃に耐える有効な手段である以上、鍛えて損は無いでしょう」


 もっともな意見だと思った。スベントレナ学院長も、その為に課題として選んだのだろう。数年かかっても良い、少しでも心を読まれないようになるなら、今からでも精神制御マインドコントロールの鍛錬に取り掛かりたかった。


「お母様、有難う。凄くやる気が出てきました」


 エミリアは、娘の迷いの無くなった瞳を見つめる。いつもの自信に満ち溢れた様子は、何かが吹っ切れた様だった。


 これなら大丈夫と判断し、席を立つ。


「貴女が今回起こした不祥事は、真に遺憾なものです。しかし、この失敗を糧に今後どのようにしていけば良いかを考え、何事にも積極的に取り組んでいきなさい」


 エミリアは部屋を横切り、外へ向かう。エレーナは扉の前まで見送りに付いて行った。


「お母様、今回の件は御迷惑をお掛けします」


 扉の前でエレーナは、申し訳なさそうに頭を下げた。


「これも親の務めです。昔から手のかからない子だったけど、まさかこんな事で呼び出しを受けるようになるとはね」


 エミリアは、エレーナをひしと抱き締めてから部屋を出て行く。扉を閉めかけて、そこからヒョッコリと顔だけ覗かせる。


「そうそう、失敗は成功の元だけど、性交は失敗の元ですからね。よく覚えておきなさい」


 最後にエレーナを一睨みして扉を閉める。

 エレーナは、しばし閉じられた扉の前で茫然ぼうぜんと立ちすくんでいた。しかし平静を取り戻していた彼女は、すぐに頭を切り替える事が出来た。


 部屋に戻ると魔法陣の真ん中に膝を付き、両手を組むと無念無想の境地を具現化していく。迷いの無くなったエレーナは、目前の目標に猛進する事が出来た。


 扉の前で、そこまで気配を読み切ったエミリアは、セント・エバスティール魔法学院へ向かって歩き出した。


 サラスナポスの町外れにある学生寮から三十分程度で魔法学院に到達できる。小さな丘の上にある学院は、ここからでも見て取る事が出来た。

 エレーナ一人なら何も問題は無いだろう。しかし、使い魔で男の勇者様が一緒となると不安は大きく募る。一度、その勇者様の人となりを見ておかなくてはならない。


 まだエレーナには話していないが、嫁ぎ先候補を絞り込んでいた所だったのだ。しかしこの計画も一からやり直しになる。意思疎通がダイレクトに行われる使い魔が人間の男となると、嫁のもらい手が無くなる可能性がある。嫁ぎ先第一候補は勇者様という事になりかねない。

 その勇者様が馬の骨なら生かしてはおけない。暗殺者アサシンは既に雇ってある。娘のために泥をかぶる覚悟もできている。


 形式だけの呼び出し、形式だけの対応はすぐに終わるだろう。その後に一度、勇者様に会ってこの眼で確かめなくてはならない。


 そのような事を考えながら、魔法学院へ続く坂を登って行く。

 学院までの一本道と、その両脇に連なる桜並木は昔から変わらない。エミリア自身もこの学院の卒業生だった。成績の程は十番位と伯爵位の血筋を引いているにしては悪かった。


 その為、自分の娘が公爵位クラスの魔力を秘めて生れて来た時には非常に驚いた。夫のロナウドも特殊な技能スキルを持っていた訳では無い。自分達には過ぎた娘だ。その娘のこれからの受難は想像に難くない。少しでも軽減してやる為の方法を色々模索している内に正門にたどり着いた。


 アーチ状の鉄柵門にはつるバラの一種のバレリーナが芸術的に蔓を伸ばしている。卒業の時に卒業生一同で植えたものだ。四季咲きのこのバラは今も見事に開花していた。


 懐かしく思いながら通り抜ける。

 そのまま真っ直ぐ校舎に入って行く。校舎の窓から見えるグラウンドでは生徒がトラックを走っている。インフィールド内では格闘術の訓練が行われていた。


 エミリアは苦笑いを漏らしながら学生の頃を思い返していた。魔法学院とは名ばかりで延々と走らされていた記憶を思い出す。

 魔法を唱えるには精神力が必要、その精神力は体力が無ければ使えない。体力を増大させるには走るのが一番。そう言われて延々と毎日走らされていたのだ。魔法使いといえども格闘戦が出来ないと接近されれば終わりだと言われ、格闘術も覚えさせられた。剣も使ってみないと対処法が覚えられないと握らされた。

 本に埋もれて魔法の研究を夢見ていたエミリアには、地獄のような日々だった。


 地下迷宮ダンジョンでの戦闘訓練では三人から八人のパーティーを組まされるのだが、前衛役を任された時には死にかけた事もある。


 そのような思い出が次々によみがえる。当時は嫌で嫌で仕方なかった学生生活だったが、今となっては良い思い出だった。


 やがて学院長室へたどり着く。ノックをすると、すぐさまいらえがあった。名前を告げると入室が許可された。

 エミリアは、そっとブラッドウッド材の扉を開く。


「ごきげんようエミリアさん」

「ごきげんようスベントレナ学院長」


 二人は優雅に挨拶をかわす。


「こうして二人っきりで話をするのは、二十五年振り位かしら?」

「いえ、エレーナの入学式の時にお会いしていますよ」

「あれは大勢の中であって二人っきりではありません。昔はよく生徒指導室で二人だけで話をしたものです」

「その件は、エレーナには内緒ですよ」


 二人はクスクスと笑い合う。


 スベントレナはエミリアに席を進める。エミリアは豪華な革張りのローカウチソファーに腰を下ろした。

 その目前に、白磁の品の良いカップが置かれる。特徴的な香りの高い紅茶がれられていた。


「私の好きな紅茶を覚えていて下さったのですね」

「貴女も、そして貴女の娘も非常に印象深い生徒ですからね」


 スベントレナは、エミリアの正面に座ると、昔を懐かしむように遠い眼差しを宙にさまよわせる。


「トラックを走る体力向上訓練では、魔法で自動カウントされている周回数を誤魔化す術式を編み出したり、地下迷宮ダンジョンでの戦闘訓練では一日さぼれるポイントを見つけ出したり、貴女のお転婆ぶりには散々手を焼かされたものです」

「私の事は良いのです。娘のエレーナの様子は如何なものです?」


 エミリアは、少し居心地悪そうに身動みじろぐ。


「さぼり魔の貴女の娘とは思えない程の努力家ですよ」


 スベントレナは、ここで一旦言葉を区切り、自分用に用意した紅茶入りカップを口元に持っていく。ひとくち紅茶を飲み干し、しばし間を開けてから真剣な表情で話を続ける。


「ただし、これから起こるであろう試練は、想像を絶する困難が待ち受けているでしょう。正直あの召喚された男の事は、どう扱って良いか持て余しております。エミリアさんは、どのようにすれば良いと思われます?」


 そして最後の一句を、途方に暮れたように小首を傾げて問い掛ける。


 学院長が曲者だという事を、学生の頃から見抜いているエミリアは、率直な意見を述べる事は愚行だと心得ていた。


「勇者様だと伺っておりますが、何か問題でも?」


 ここは当り障り無くとぼけておく。


「貴女の事です。男の素性は、既に調べてあるのでしょう?」

「噂をそのまま信じる程、愚かではありません。一度お会いして、この眼で確かめて見ようと思っております」

「そうですね。大事な娘の使い魔が、どのような男なのか見定める事は重要でしょう。今からその男の許に案内いたしましょう」


 スベントレナは懐から水晶球を取り出すと卓上に置き、両手をかざしながら魔法語ルーンを一言唱えた。


 水晶球は、淡い水色に輝き出す。やがて水晶球に竜也の姿が映し出された。どうやら寝ているようだった。


 水晶球の表面を右手人差し指と親指で軽くつまむようにピンチインしていき、周りの様子を映し出していく。

 簡易ベッドに合板のラック、教室に使われているものと同一の学習机だけという簡素な部屋模様が露になってくる。


「どうやら宿直室に居るようですね。行ってみましょう」


 二人は席を立ち、宿直室に向かっていった。

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