第八話
エレーナの停学は、翌日には全学院生の知る所となっていた。
召喚の儀式で男を召喚した
竜也は学院の宿直室が与えられ、そこで寝泊まりする事になった。授業の時間割は、一年生担任のサバティーから聞いていた。しかし召喚された異世界でまで勉強はしたくはない。それよりも、ここがゲームの世界なのか、本当に異世界なのか見極める方が先決だった。
朝起きると早速図書室へ向かう。字が読めるかどうかも分からなかったが、行動を起こさないでじっとしては居られなかった。
宿直室を出ると、数人の女生徒が奇声を上げながら逃げ去っていった。どうやら覗き見されていたようだ。淑女の
遠巻きに
もし、ここが
図書室の場所はすぐに分かった。図書室と書かれている(であろう)プレートを見上げる。字は読めない。フラクトゥールのような書体なのだが、知識が無いのだ。
覚悟を決めて扉を開ける。中の様子は普通の図書室と同じだった。ずらりと並んだ本棚の間を適当に通り抜け、本の背表紙を見て回るが、とても読めそうなものは無かった。
試しに一冊の本を手に取ってみて、パラパラと数ページをめくってみる。紙はパピルスや羊皮紙ではなく、リアルの世界で使っている普通紙と
一通り見て回り、読めそうなものは無いと判断し、落胆しながら帰ろうとした時、図書室の更に奥に続く扉を発見する。ブラッドウッド材特有の赤褐色の重厚な扉に、引き付けられるようにそちらへ向かう。青銅製のドアノブに手を掛けてみるが、鍵が掛かっているのか開かなかった。
「そこは開かずの扉ですよ」
いきなり声を掛けられ、ビックリして振り返る。
そこには一人の女生徒が
「失礼いたしました。私はジュリア・ベルガンプと申します。図書委員を在任しております」
深々とジュリアと名乗った少女は頭を下げる。
「えっと、僕は……」
「存じております」
意味深な笑いが、その顔に浮かぶ。
「いまや貴方様は有名人ですから」
昨日の出来事は、全学院生の注目の的なのだから当然か……。召喚の儀式で召喚された使い魔の男。応接室での淫行行為。どれも一大スクープなのだろう。
「この扉の向こうには何があるの?」
多少の恥ずかしさはあるが、ここはゲームの世界と自分に言い聞かせて乗り切る。
「旧世界の書物が保管されていると聞いております」
「開かずの扉だと先程言ったけど、このドアノブを見て」
ジュリアは
「このドアノブが何か……?」
「青銅製のドアノブなんだけど、青銅は大気中で徐々に酸化して表面に炭酸塩を生じさせながら
「
ジュリアは首を傾げる。
「
「なるほど……。博識なのですね」
ジュリアは納得したように頷く。
「でも私がここで当番をしている時に、この扉を出入りしている人を見た事が無いのですが……」
「図書委員って君以外に何人いるの?」
「二年生のメアリー様と、三年生のソニア様の二人です」
多分この二人に聞いても、同じ答えしか返ってこないだろうと推測する。この扉の中には何かがあると直感が訴えている。是が非でも中を覗いてみたい。
「鍵は誰が持ってるの?」
「スベントレナ学院長です」
メニュー画面を呼び出せる人物を、聞き出さないといけないと思っていた所だ。早速会いに行く事にする。
ジュリアに学院長室の場所を聞き、礼を言うと早速向かう。
学院長室も、すぐに見つける事が出来た。その扉がブラッドウッド材だという事で、図書室の開かずの扉を出入りしているのがスベントレナ学院長であると確信する。
竜也は、学院長室の扉をノックする。
すぐさま
「ごきげんようタツヤ殿。昨夜はよく眠れましたかな?」
スベントレナは、竜也に席を進めながら問い掛ける。
竜也は肩を
「エレーナの
「強い思念は意識せずとも感じ取ってしまうものです。エレーナさんは、中等部の三年間、本当によく頑張ってこられました。その努力を水泡と化す行為をしてしまい、自分を責めているのでしょう」
竜也の前に白磁の品の良いカップが置かれる。香ばしい香りは
「ミルクと砂糖は……?」
「いえ、ブラック派なので結構です」
竜也は丁重に断り、カップをソーサーごと手に取ると、香りを楽しむように鼻先に持っていく。
カフェインの香りが、心を落ち着かせてくれる。
「それで今回は、いったいどのようなご用向きです?」
竜也の正面の席に着きながら、スベントレナは用件を尋ねる。自分用に用意した
「要件は二つです。まず一つ目は、図書室の開かずの扉の件です。あそこの鍵をスベントレナ学院長が持っていると聞きましたので、借りられないかとお願いに来ました」
「開かずの扉……?」
スベントレナは、しばし思案顔で考え込む。
「ブラッドウッド材の扉です」
「ああ、あの部屋の扉の事ですか。別に開かずでも何でもないですよ。あの部屋は、私が個人的に集めた旧世界の書物が保管されているのです。現在使われている古代魔法とは言語も文法も異なるものですが、古代魔法の基礎となったと推測されている書物です。解読された書物が図書室に少しならありますが、それでは駄目なのですか?」
「読めるかどうかは分かりませんが、一度眼を通しておきたいのです」
スベントレナは立ち上がると、事務机の元へ移動する。机の引き出しを開け、何やら取り出すと再び竜也の対面の席に戻ってくる。
「あの扉の鍵です」
竜也の前に青銅製の鍵を差し出す。
「あの中の本は貴重な物ばかりです。
竜也は鍵を受け取り、感謝の言葉を述べる。
「二つ目の用件は、メニュー画面を呼び出せる人物が誰なのか聞きたかったのです」
卓上の
スベントレナは、
竜也には、どのように話を誤魔化そうか思案しているように見えた。
「はて? メニュー画面とは、いったいどの様なものでしょう」
「右手人差し指一本を軽く振ると現れる半透明の画面の事です。スベントレナ学院長は『特殊な
スベントレナは組んだ両手を口元に宛がい、しばし思案に
「確かに私はその人物を知っています。ですが、その者との約束で名は明かせません」
「その人物は、僕と同じ世界から来た可能性があるのです。お願いします、教えていただけませんか?」
竜也はテーブルに両手を付き、身を乗り出して必死に食い下がる。
—— 同じ世界……?
その言葉にスベントレナは
現国王サルバドス・コスタクルタと、側室のカタリアの間に生まれたのがロベリアだった。
王位継承権の最末席に身を置くロベリアは、幼少の頃よりカタリアの実家であるイワノフ家で育てられる。イワノフ子爵家と言えば魔道の名門。ロベリアも幼少の頃より魔法の基礎知識を習い、十二歳でこのセント・エバスティール魔法学院中等部へ入学。当初、その絶大な魔力に期待されていたのだが、
その原因を担任であるサバティーが探り当てたのだが、どうやら特殊技能保持が王家側に露見し、何らかのプロジェクトに参加させられているというのだ。
出生より現在までの生い立ちは、何処にも不審な点は見当たらない。イワノフ家と懇意にしているスベントレナは、幼少の頃よりロベリアを見知っているので人物が入れ替わっているという事も考えられない。
竜也殿と同じ世界から来たという事は、あり得ないと結論付ける。
「同じ世界から来たというのは早計です。その者の事は幼少の頃から見知っております」
それを聞いて、今度は竜也が物思いに
もし、ここがゲームの世界だとしたら、NPC達は偽の記憶を植え付けられて、定められたルーチンワークを
結局自分で探し出すしかないのだ。しかしどうやって……? NPCは全員口止めされているとしたら探し出す手掛かりが無い。
途方に暮れて、竜也は大きくため息を吐いた。
今は、この青銅の鍵だけでも収穫だ。
再び図書室に向かおうと思っていたのだが、途中でオリビエ先生を先頭とした女生徒の集団に遭う。たぶん三年生の集団だと見当を付ける。
すれ違う時の、皆の好奇の視線が痛い。オリビエ先生が気を利かせて自分の
女生徒達が上ってくる階段の下を見下ろす。ここは一階なのだ。その下となると……。
「この下は、もしかして
隣に
「ええ、そうですが……」
オリビエは、竜也を心配気に見やりながら答える。
「もし行くのでしたら、無理はなさらないで下さいね」
「有り難う御座います」
女生徒達の最後尾と思われる一人とすれ違うと、竜也は階段を下り始める。
その姿を心配気に見守っていたオリビエは、誰かとすれ違う気配を感じた。その瞬間、敵探知
気配は消せていない。【
勇者様一人で
竜也は、
地下迷宮の入口のすぐ横に部屋が一つあったが、フラクトゥールのような文字で書かれたプレートは読む事が出来ない。
取り敢えずその部屋は無視する事にして、腰に
昨晩の就寝前の事が思い出される。宿直室を与えられた竜也は、ここがゲームの世界か異世界か知る方法として、自分の手をナイフで傷付けてみたのだ。
痛みがある事はエレーナに引っ叩かれた時に確認済みだ。果たして肉体をナイフで傷付けたらどうなるのか……。ゲームの世界では斬られた箇所は白い光の筋が入るだけだ。ゲームの世界でなかったら、言わずと知れた事だった。
結果は、血が
青銅の片手剣を目前に持ってくる。煮色仕上げされ、
皮の服も防御力が高いとは言えない。斬られたら血が出る。痛みもある。死んだら経験値数パーセントを失って
天然の鍾乳洞の表面を削るなどして、加工したような洞窟だった。所々に
しばらく歩いていくと、道が二股に分かれていた。地図を持っていないので迷うわけにはいかない。最悪、路頭に迷い飢え死にという事も考えられる。
迷路で迷わないようにする方法として、右手方が挙げられる。右の壁に手を付いてひたすら壁沿いに進むという方法だ。その法則を採用する事にして、右の道へ歩を進める。
だんだんと、人工的に加工された形跡が少なくなってくる。足元は歩き辛くなり始め、
鍾乳石は
気配を察知するには最悪な環境となっていた。
その悪条件の為だったかもしれない。いきなり開けた空間に出た瞬間、四方を何者かに囲まれてしまった。
醜悪な小鬼の姿をしたそれは、奇声を上げつつ、手にした
竜也は、後手に回ってしまった事に舌打ちをしながら、もと来た洞窟に猛ダッシュで駆け戻る。四方を敵に囲まれての戦闘など、余程のレベル差が無い限り、切り抜けられるとは思えなかったからだ。
正面にいる小鬼に向けて剣を水平に薙ぎ払う。身を屈めて避けられたが、突進力を生かして体当たりを
しかし、その僅かの隙に背後から斬り付けられた。
太腿に激痛が走る。足に力が入らず身体のバランスを崩して倒れ込む。
奇声を上げながら飛び掛って来る気配を感じ、振り向き様に剣を振るう。
確かな手応えと共に、小鬼に似た生物が吹っ飛ぶ。しかしそれと同時に左腕にも激痛が走った。飛び掛かって来たのは二匹いたのだ。その内の一匹は剣で撃退出来たが、もう一匹の小鬼に左腕を斬り付けられたのだ。
返す刀で、腕に斬り付けてきた小鬼に剣を振り下ろす。小鬼は難なく剣を
竜也は尻餅をついた状態から、剣を左右に小刻みに振り立てながら後退る。
体当たりで吹っ飛ばした小鬼が、唸りを上げながら起き上って来た。むき出しになっている乱杭歯が
剣で撃退した筈の小鬼は内臓を引きずりながら、それでも
血走った眼は尋常ではない。コンビニ前に
竜也は、生れて始めて本物の殺気を当てられ、恐慌状態に陥っていた。
太腿の傷は結構深いのだが、それすら気に留めてはいられなかった。死というモノがこれほど身近に感じられる事は、現実世界では有りえない。
竜也が怖気付いたのを見て取った小鬼達は、余裕の笑みを浮かべつつ間合いを詰めてくる。その残虐な表情は、とてもゲームとは思えない。
斬られたら血が出る事、痛みがある事、死ねば二度と生き返らないであろう事を十分理解していたつもりだったが、まだまだ覚悟が足りていなかった様だ。
小鬼が一斉に飛び掛ってくる。
竜也も死に物狂いで応戦する。横
二匹目は
三匹目の小鬼は
返す刀ではこの攻撃に間に合わないと判断した竜也は、剣を振るう威力を利用して蹴りを放つ。
足に激痛が走る。小鬼は足に
そこへ内臓をズルズルと引きずりながらやって来た小鬼が、怒りと憎悪に燃える血走った眼で竜也を睨め付けながら
深々と竜也の腹部に
「貴様ノ、内臓モ。抉リ、出シテ、ヤル」
たどたどしい舌足らずな発音だが、小鬼が喋ってきた。
その残忍な表情は、今まで死に物狂いでいた為、忘れていた恐怖心を一気に
痛みと恐怖で涙があふれてくる。死が目前に迫っているのだが、ここから挽回する気力も体力も尽きていた。
小鬼の凶悪な表情は、どのように苦しめながら殺してやろうか思案をしているように見える。まさに鬼畜の所業だった。
その時だった。
眼にも留まらぬ速さで剣を繰り出すと、寸分たがわぬ正確さで全ての小鬼の首を
竜也は仰向けに倒れ込んだまま、その人物を見上げる。頭上に
「おおおおお……」
竜也は自分が死にかけている事も忘れ、まるでストリップを見ているおっさんのような声を上げた。
「ここはレベル1の者が来る所ではありません。
それに対し言葉を発しようとした竜也は、血の泡を喉元に詰まられて
竜也は、その見事な下乳を眼に焼き付けながら意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます