第十二話 

 —— いったいどれくらいの時間を、ここで過ごしたのだろう。図書室を訪れたのは夕刻と言うにはまだ早い位の時間帯だった筈だ。時計が無いので正確な時間は分からないが、現実の世界の時計の基準で言うと午後三時といったところだった。


 この部屋には窓が無いので日のかげりで時間を計る事は出来ないが、それから一夜をここで過ごした感覚はある。


 現在必要でない情報は流し読みをした結果、この部屋にある一つの本棚の半分程度の本を読み終えていた。

 少し休憩を取ろうと腰を浮かせた瞬間、バランスを崩して椅子から崩れ落ちる。長時間同じ姿勢で頑張りすぎたようだ。


—— ガチャ……。


 扉が開く音がしたのでくずおれた体勢のまま首だけ回して振り返る。

 そこには、三つ編み眼鏡っ子の隠れ巨乳ちゃんが顔を覗かせていた。名前は確かジュリア・ベルガンプと言っていた筈だ。


「失礼いたしました。物音がしたものですから、つい……」


 部屋に入ってきて深々と頭を下げ謝罪する。しかしおもてを上げると、素早く左右の本棚に視線を向けている。やはり文学少女は、旧世界の書物に興味があるようだった。


「図書室は、先程私が鍵を開けたばかりです。もしかして、昨日からここにられたのですか?」


 竜也は肯定するように頷く。

 ジュリアは、左右の本棚を見回しながら部屋の中程まで入り込んでくる。


「もしかして旧世界の文字が読めるのですか?」

「本の背表紙は読めないけどね」


 竜也は、自虐的に肩をすくめてみせる。


「ところで先程から其処そこに座り込んで、何をしているのです?」


 ジュリアは、不思議そうに小首を傾げて竜也を眺める。


「立ち眩みがしただけだよ」


 竜也は、その場にゴロリと仰向けに転がる。


「あと、腹が減って動けない……」


 ジュリアはクスリと笑いをこぼす。


「何か食べ物を調達して参ります。その代わり、私のお願い聞いて下さらないかしら」


 意味深な笑みを浮かべたまま、仰向けに寝転がっている竜也に近付いて行く。竜也の頭上で足を止める。長衣ローブの裾は長くパンツが覗き見える事は無かったが、竜也はドキリとさせられる。

 竜也の頭上に立っている為、下乳が強調されている。地下迷宮ダンジョンで助けてくれた娘に比べれば小振りに見えるが、それでも凄まじい攻撃力があった。


 ジュリアは、二の腕で胸を寄せながら屈み込む。隠れ巨乳が破壊力を倍増させる。


「私にも旧世界の書物を、拝見させて頂けませんか?」


 竜也の視線は、核弾頭が浮き上がって見える双丘に吸い寄せられる。


 —— ノーブラ!


 竜也は、あまりの出来事に固まってしまう。そういやエレーナもブラジャーを付けてはいなかった。エレーナの場合、必要ないサイズだからと思っていたが、この世界の女性は皆ブラジャーをしていないのだろうか……。


 核弾頭を凝視しながら、あらぬ事を妄想する。まさに核爆弾級の破壊力。


「うん……。此方こちらも少しお願いしたい事があるんだけど、そのお願いを聞いてくれたら……」

「ええ、何でも仰って下さい。何でも致しますわ」


 そう言うと、ジュリアは妖艶に微笑んで部屋を出て行った。

 竜也は部屋を出て行くジュリアの様子を、寝転びながら眺めていた。扉が閉まると緊張を解くように深い溜め息をつく。


 —— 何でもする、だって……?


 女性に言わせたいセリフにランキングされていそうな言葉だが、いやらしい気持ちで願い事の件を言った訳では無かった。背表紙のタイトルを読むのを手伝ってもらえれば、本を読む前にどんな本なのか分かるので効率が上がるかな? と思っただけなのだが……。


 —— でも、せっかく何でもするって言ってくれているんだし……。


 色々な、いけない妄想が膨れ上がる。


 —— いやいやいや……。自分は学院規則に当てまらなかったので刑罰という御咎おとがめは無かったが、つい先日エレーナが停学になったばかりではないか。同じような過ちを犯す訳にはいかない。


 —— でも、部屋の鍵を掛けてしまえば、誰にもバレないのでは……?


 しばらく葛藤が続く。

 そうこうしている内に、扉がノックされる。竜也は緊張のあまり、裏返った声で返事をする。


 部屋に入って来たジュリアは、およそ女の子の弁当箱とは、思えない程の大きさのバスケットを持って来ていた。しかも二つも……。

 A4サイズ程の大きさのバスケットの中には、サンドイッチがぎっしりと詰め込まれていた。もう片方には一品物のおかずと見慣れない果物類が入っていた。

 二人で食べるにしても多すぎる量だった。


「あのー、これは何人前なのでしょう……」

「一人前ですが……、少ないのでしたら、購買でいくらでも買って参りますが……」


 不思議そうに小首を傾げる。その様子から、この娘だけが特別大食いという訳ではなさそうだった。


 ジュリアは大きな敷布を床に広げ、その上にバスケットの中身を広げていく。


「どうぞ召し上がって下さい」


 素焼きの超特大ミルクピッチャーから、ビールのジョッキと見まがうばかりの特大のグラスに注がれたミルクを受け取る。


 一品物の中から、から揚げや卵焼きなどを取り分けた小皿を受け取る。正確に表現するなら大皿だが……。


 サンドイッチに使われているパンは、固くて黒っぽい前日に食べたパンと同じ種類の物だったが、中に挟まれているレタスやキュウリ、トマトといった野菜は現実世界のものと遜色そんしょくは無かった。


 卵やチーズ、肉類も現実世界の物と遜色ないが、パンとの調和の為か、かなり食べ応えのある食感に切り分けられていた。独特のスパイシーな味付けも悪くない。


 この世界に来てから、ろくな物を食べていなかった竜也は、凄まじい勢いで取り分けてもらった料理とサンドイッチを平らげていった。


 満腹になり一息つく。それでも弁当は半分も残ってしまった。


「もうよろしいのですか?」


 ジュリアは竜也の正面に座って、その食べっぷりを観察していた。


「口元にソースが付いていますよ」


 そう言って指先ですくい取ると、自分の口元に持って行き、扇情的に舐め取る。


 竜也は満腹になって余裕を取り戻したようで、いくらか冷静に物事を考えられるようになっていた。ジュリアのそんな誘惑的な態度にも、取り乱す事は無かった。


「お弁当、有難う。すごく美味かったよ」


 竜也はジュリアに礼を言うと、先程読みかけだった旧世界の書物を一冊取り上げる。


「先ほど言っていたお願いっていうのは、この本の表紙、背表紙の文字を読んでもらいたいんだ。多分、スベントレナ学院長が検索しやすいように表紙、背表紙だけ此方こちらの文字に書き換えたんだと思うんだけど、僕は此方こちらの文字は読めないからお願い出来るかな?」

「それで此方こちらにある本を読ませてもらえるのなら、お安いご用です」


 ジュリアは肩透かしを食らったように、安堵あんどの溜め息を吐いていた。本が大好きな彼女は、ここにある本を読ませてもらう為なら何でもする覚悟をしていた。


 エレーナが停学になる切っ掛けとなった応接室での一件を目撃していたジュリアは、この男がエレーナをその気にさせたのだと思い込んでいた。エレーナの性格からして、校内であんな破廉恥な行為に及ぶ筈が無い。それを積極的に(と見えた)させたこの男は、相当の手練手管の持ち主だと推察していた。それなら、その方向に持って行けば旧世界の書物を拝ませてもらえると思っていたのだ。


「—— っと、その前にこの世界の暦法は、神聖魔法暦で良いの?」


 竜也は、コスタクルタ王国について書いてある本にあった年号を思い出していた。


「国によって紀年法が違いますが、一般的に使われている暦法は神聖魔法暦です」

「今は何年になるの?」

「神聖魔法暦二二七二年です」


 時間があまり無い事は予想していたが、一年後にはオープニングムービーで見たような惨劇が、この国を襲う事が予想される。


「一年って何日あるの? 一ヶ月は? 一日は何時間? それと今日は何月何日?」

「一年は三六五日で、一ヶ月は一、三、五、七、八、十、十二の月が三十一日。四、六、九、十一の月は三十日。二月は二十八日で四年に一度閏年うるうどしという年があって、二十九日になります。それと一日は二十四時間、そして今日は、四月十三日です」


 それを聞いて竜也はひとまず安心する。現実世界と同じこよみのようだ。三十日やそこらで一年が経過する事が無さそうなので、ひとまず安心する。月も十二月まであるようなので八ヶ月は猶予がある。


「あと、時間ってどうやって把握しているの?」

「それは、これで分かります」


 ジュリアが懐から取り出したのは、小さな水晶球を加工して作られたと思われるストラップだった。


 竜也は、その水晶球を覗き込んで唖然あぜんとする。ものの見事にデジタル時計だった。アラビア数字で、時間と分、秒に留まらず、温度、湿度、日付と思われる物まで表示されている。秒の進み具合は体感だが、現実世界と変わりない速さで時を刻んでいた。


「良かったら、これを差し上げます。安い物なので遠慮なさらず受け取って下さい」


 ジュリアから差し出された(これぞまさに水晶クォーツ時計)を有り難く受け取る。まじまじと、その水晶時計を眺めて曜日と思われる文字に小首を傾げる。フラクトゥールのような文字だからだ。


「これは曜日? 何て書いてあるの?」


 曜日はあまり関係ない気がしたが、一応聞いてみる。


「今日は曜日なのでと書いてあります。

「ひ? 曜日じゃなくて?」

ですが……」

 ジュリアは怪訝けげんそうに首を傾げる。

「曜日の種類って、いくつあるの?」

みずかみなりつちかぜこおりの六種類です」

「六曜制なの?」


 ジュリアは六曜制を知らないらしく、更に首を傾げている。


「僕の居た世界では、月、火、水、木、金、土、日の七種類の曜日があって、これを七曜制って言うんだ。この世界は六つの曜日からなる六曜制って事になるのかな?」

「なる程……。此方こちらの世界では、国によって紀年法は違えど、曜日は世界統一で絶対的なものなので、そのような概念自体ありませんでした」


 ジュリアは、眼を輝かせて話に乗ってきた。


「絶対的……?」


 曜日が絶対的なもの、という言葉に疑念を抱く。


「曜日は、精霊の支配力を表しているのです。今日は火曜日で火の精霊が優位に立っています。これは精霊と交信できる者は誰でも感じ取れる力です。やがて明日には水の精霊が台頭してきます。火は水に消され、水は雷を通してしまいます。しかしその雷も土に阻まれ、その土も風に削られ、風が強ければ強い程、氷は厚みを増し、その氷も火に溶かされて一巡します」

「なるほど……。でも、この六つの曜日では日曜日が無いけどいつ休日なの?」


 竜也は、ふと疑問に思った事を口にする。


「日曜日……?」

「僕の居た世界では、日曜日は休日という事になっているんだ」


 ジュリアは、腑に落ちないような顔付きで思考を巡らせていた。


「もしかして、この世界には休日という概念が無いとか……?」


 竜也は、ちょっと引きった笑いを顔に張り付かせる。


「いえ、休日はあります。ですが、その日曜日という日に全員休むとなると、世界経済が停滞して大混乱が起こるような気がしてならないのですが……」

「百パーセント全員が休みじゃないからね」


 竜也は苦笑いを漏らす。日曜日に買い物に行ったら店が全部休みでした。遊びに行ったら遊技場もすべて休みでした。電車もバスも何もかも動いていないというのでは、大混乱も起こるだろう。


「その日曜日とやらに働いている人も居るのでしょう? それなら、なぜ休日と指定されているのでしょう」


 竜也は頭をきながら思考を巡らせる。誰が日曜日を休日と指定したのかは、竜也も知らなかった。そもそも日曜日は、法律で定められた休日では無い事も知らなかった。


 竜也は、お手上げというように肩をすくめてみせる。


此方こちらの世界では、休日ってどうなっているの?」

「好きな時に休みを取ります。例えば今日、私は授業に出るつもりでいましたが、ここにある書物を読ませてもらえるのなら休む事にします」


 ジュリアは、身近にある本を取り寄せると胸にかき抱く。それから興味津々に装丁を見つめる。『ウリシュラ帝国旅行記』と題されている。この国であるコスタクルタ王国、そして、アルガラン共和国、オセリア連邦と並ぶ世界四大強国の一つだ。胸躍らせながら最初の一ページをめくる。


 しかしジュリアは、その最初の一ページを見て固まってしまった。数ページめくってみて、見知っている地図の説明らしき文章を読もうとする。


『だだっ○い○○が○がる○○と、○り○んだ○○の○○とでなるウリシュラ○○は……』


「どうしたの?」


 ジュリアの様子が急変した事を見て、竜也は心配気に問い掛ける。


「読めないのです。旧世界の文字はある程度覚えたつもりでいたのですが、私の今の知識では何が書いてあるのか理解する事は難しいようです」


 ジュリアは、落胆した様子で本を眺めている。


「この文字をタツヤ様は、読む事が出来るのですか?」


 差し出された本を受け取り、その文字をしげしげと眺める。日本語なので当然読むことは可能だ。


「そのページの最初の一行を読んで下さい」


 —— 読める事を疑われているのだろうか……。


 いぶかしみながら読み上げる。


「だだっ広い砂漠が広がる北部と、入り組んだ地形の南部とでなるウリシュラ帝国は……」


 ジュリアの眼が、大きく見開かれる。ウリシュラ帝国の地形の特徴に間違い無い。


「旧世界の、このやたらカクカクした文字を読めるのですか?」

「常用漢字ならある程度は……」

「常用漢字とは?」

「日常的に使う漢字の事かな? あまり意識して考えた事ないけど、二千文字位はあると思うよ。漢字の総数は五万文字と言われているから、僕が知っているのはほんの一部って事になるんだ」


 途方も無い数字を聞いて、ジュリアはしばし放心していた。

 平仮名の文字数が五十だけでも多いと思っていたのに、濁音、拗音ようおん、そして片仮名と、そのうえ極めつけは漢字という文字は日常的に使っている物で二千……、総数五万って……。


 —— 有り得ないっ!


 心の中で絶叫すると項垂うなだれる。解読は不可能に近い。ふと竜也を見上げると、彼は何気ない様子で本を読んでいた。


 —— さすがは勇者様……。


 ジュリアは、羨望せんぼうの眼差しで竜也を見つめ続けていた。

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