第十九話 

 黒装束の男は、竜也とエレーナの様子を物陰から観察していた。対峙した印象では、ただの平民という噂以上のものを感じさせはしなかったのだが、使い魔の男は治癒魔法の副作用を受けている気配を見せてはいなかった。


 あの時、短剣ダガーを繰り出した瞬間。使い魔の男は、眼を見開いて驚く事しか出来ていなかった。回避しようという初期動作さえ起こせてはいなかった。


 自分の素早さの数値を考えれば致し方ない事かもしれない。むしろ、不意打ちの状況にもかかわらず心臓めがけて繰り出された短剣ダガーの軌道を、手刀で叩き逸らしたエレーナの方が驚異的なのだ。


 その後のエレーナの行動を思い返して見る。一瞬の躊躇ちゅうちょも見せずに暗殺者である自分に背を向けて、使い魔の男に治癒魔法を唱え出したあの行動力。もし自分が使い魔の男だけでなくエレーナをも殺そうとしていたとしたら、間違いなくエレーナも死んでいたであろう。


 その後も背後から顔のすぐ横を通過する短剣ダガーに、全く動揺する事ことなく魔法の詠唱を続けていた。その行動からは、使い魔の男と運命を共にする覚悟が見て取れた。


 それなのに、その後の男の行動は、エレーナの仁愛に背いているようにしか見えなかった。その行動一つ一つ思い返して見るとはらわたが煮えくり返ってくる。


 もう一度、飛び出して行って使い魔の男を殺害してやりたくなる。だがそれはエレーナも望みはしないだろう。


 勇者の片鱗は確認できた。ここは引くべきだろうと結論付ける。

 男は、懐から奇妙な形をした宝石を取り出すと頭上に掲げた。


「転移、エルスミスト」


 男が小さく呟き、宝石を握りしめた手に力を込める。奇妙な形をした宝石は砕け散り、男の頭上に降り注いだ。粒子一つ一つが輝きながら男を覆っていく。

 粒子が全て地面に落ちた時には、男の姿は忽然こつぜんと消えて無くなっていた。



 一瞬の酩酊感めいていかんの後、男はゆっくりと眼を開けた。男が再出現した場所は、座標指定してあったエルスミスト領にある自分の部屋だった。


 男は、まず顔を覆っているマスクを引き下げ、大きく息を吐いた。続いて手に持っている短剣ダガーを壁の所定の位置に引っ掛けると隣の部屋へ向かった。


「あら、お帰りなさい、あなた。もう仕事は終わったの?」


 隣の部屋はキッチンだった。そこで女性が料理をしている。エレーナの母親のエミリアだった。


 最近、趣味で始めた料理だったが、何を料理しているのかは調理している原料を見ても想像がつかない。元は肉だったのか魚だったのかすら分からない物を煮込んでいた。


「暗殺は失敗した」


 男……ロナウドは、テーブルに着きながら短く答える。水差しから水を一杯グラスに注ぎ、一気に飲み干す。


「それで、おめおめと帰って来たの?」


 エミリアの眼が、すっと細められる。


「エレーナに邪魔されてな……」


 ロナウドは、右手の手首をエミリアに見せる。竜也に短剣ダガーを突き刺した時に、エレーナに手刀で叩かれた場所だ。青黒く変色している。骨にヒビが入っている様だった。


 エミリアはその腕を取ると、そっと手首に手の平をかざし治癒魔法を唱える。淡い光が手首を包む。


 ロナウドはそのまま眼をつむり、その癒しの効力に身を委ねていた。


 しばらくして光が収束してゆく。怪我が完治してきた証拠だった。それでもまだ眼は開けられそうになかった。治癒魔法の副作用だ。数十秒間、眩暈めまいに耐える。眩暈が無くなってからも数分は気怠けだるさが残るだろう。


「あの使い魔の男は、治癒魔法の副作用をものともせずに動いていたぞ」


 気怠けだるさを我慢しながらロナウドは言葉を発する。

 エミリアは、初めて竜也と顔を合わせた時の事を思い返していた。魔法の痕跡こんせきを調べていたスベントレナ学院長は、何かしきりに不思議がっていたのだが、その事だったのだろうか……。


「あの使い魔の男にも勇者の片鱗があったという事だ」

「そんな物、何の役にも立たないわよ」


 エミリアは鼻で笑う。治癒魔法は治療する場所に直接触れていないと効果が薄れる。最低でも相手の身体に接していないといけないのだ。離れた場所からでは効果が全く無い。

 って副作用が無いからと言って、後方から延々と治癒魔法の援助を受けながら戦闘を継続する事は出来ないのだ。


「まぁ、その通りなのだが、勇者という者は必ず何かしらユニークスキルがあるものだ。それに……」


 自分の命を顧みず、使い魔の男を助けようとしたエレーナの姿を思い浮かべる。


「エレーナは、自分の身を挺して使い魔の男を守った。命もいとわない行動の裏には、男への恋情が垣間見えた」


 ロナウドは、忌ま忌まし気に鼻の頭にしわを寄せた。世の父親の大半がそうであるように、ロナウドも娘の思い人である使い魔の男に対する心情は良くない。


「それで暗殺を中止したというの?」


 ロナウドは仏頂面で頷く。


「嫁ぎ先の選定は中止だ。退学させるという案も再度凍結する」

「分かったわ。そろそろ夕食にしましょう」


 エミリアは、謎の煮込みを皿に盛りテーブルに並べ始めた。


 ロナウドは、肉なのか魚なのかすら分からない煮込みを凝視する。いや、何だって良い。一番重要な事は、食べられるのか? という事だった。


               ◇


 ロベリアは寮の自室に帰ってくると、まずベッドに倒れ込んだ。

 制服がしわになるのもお構いなしでゴロリと一回転する。


 現在は、使い魔のソウイチロウに竜也の見張りを任せている。学院の防犯システムとサバティー先生の実力があれば、問題ない気もするのだが、暗殺騒ぎがあった直後だけに、もう一度見張りに行かなければならないかもしれないと思っていた。


 どうしようかと迷いながら仰向けに転がり直る。天井を仰ぎ見ながら右手人差し指を軽く振る。シャラランという軽快な効果音を響かせて、メニュー画面が目前に表示された。


 トピックスニュースの最上段にNewのマークを見つける。その題名を読んで驚愕きょうがくに眼を見開く。

 勢いよく上半身を起こしてもう一度よく見てみる。


 —— 竜也、特殊技能スキル習得!


 しかも更新時間を見てみると、ちょうど正門前で一悶着あった時間帯だった。


 ロベリアは慌ててセント・エバスティール魔法学院の一年生の名簿を呼び出す。エレーナの名前をタップして、下段まで猛スピードでフリックして行く。最下段にある使い魔詳細をタップすると、問題の技能スキルの欄を凝視する。


 技  能       おっぱい鑑定 三級


 ロベリアは、ものの見事に固まってしまった。『おっぱい鑑定』とは、いったい如何なものなのか……。


 意を決して特殊技能である所の『おっぱい鑑定 三級』の欄をタップする。


 —— エクストラスキル。女性の胸を見ただけで、誰のおっぱいか識別できる。


 ロベリアは、今度こそ本当に卒倒してしまった。意味が分からなかった。

 ベッドに仰向けにブチ倒れると右手の手の平をメニュー画面にかざして軽く振り、画面を消す。


 もう一度、見張りに行こうと思っていたのだが取りやめる。気力を根こそぎ持っていかれてしまっていた。


 しばらくして、頭を金槌かなづちで殴られたような衝撃が引いてくると、今度は沸々と怒りが込み上げてきた。コスタクルタ王国滅亡を救う鍵が、こんな男に託されているのかと思うと軽い殺意まで沸いて来る。


 —— いいでしょう。此方こちらの本気を見せてあげましょう。


 ロベリアは気合を入れて起き上がると、もう一度、メニュー画面を呼び出す。ホログラムキーボードも呼び出すと、画面は文書作成モードに切り替わった。


 ~勇者育成計画~


 最初にそうタイピングする。

 魔物の軍団が、この国に襲来するまで、あと八ヶ月と少々の猶予期間しかない。その間に、あの平民を勇者に仕立てなくてはいけないのだ。トレーニングメニューは殺人的なものになっていく。


 唯一の救いは、現在確定しているあの男の隠し技能は、治癒魔法での副作用が無いという事だ。


 通常、治癒魔法で体力を回復させると、副作用として眩暈めまいやけだるさ等が現れる。それは上位の治癒魔法になる程、強さを増していく。治癒魔法の最上位である【全快リカヴァリ】の魔法に至っては、体力が全快するかわりに副作用として、丸一日は立ち上がる事すら出来なくなるのだ。


 しかし竜也は、そんな副作用をものともせず動き回れるので、これを利用すれば死に至る寸前までトレーニングを行使し続ける事が可能……かもしれない。


 ロベリアは、暗い影のある笑み漏らしながら、拷問のようなトレーニングメニューを作成していった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る