第二章 竜也受難編

第二十話 

 エレーナが停学になってから、一週間が経過した。エレーナは、再び呼び出しを受けてこの部屋にやってきた母親に、酷烈に叱られはしたが、覚悟していた退学という話は保留になった。


 こうなると、次に心配事として頭に浮かんでくるのが、皆の視線だった。使い魔として竜也を召喚したその日、停学が解けた日、そしてその翌日の二回目の停学を申し渡された日と、使い魔召喚の儀式の日より毎日生徒指導室に呼ばれているのだ。


 前代未聞だとスベントレナ学院長にはあきれられた。史上空前の汚名は、今後延々と語り継がれていくだろう。『穴があったら入りたい』どころの心境では無い。もう消えてしまいたいという思いなのだが、もう二度と命を粗末にしないと竜也に誓わされていた。


 竜也とは、毎日思念で会話をしている。竜也の元いた世界の話や、逆に此方こちらの世界の話、ちょっと人には話せない二人だけの秘密の話や、真面目にコスタクルタ王国滅亡を阻止する為には、何をしていかなくてはならないのか、という事を延々と話し合った。時間だけはたっぷりあったので、夜遅くまで時間を忘れて語り合った。


 竜也には、ずっと励まされ続けてきた。今日、こうやって登校する皆の集団に紛れられているのは彼のおかげだった。


 緊張で昨晩はよく眠れなかったのと、連日の宵っ張りの習慣で身体がだるい。淑女たるもの生欠伸だなんてはしたない真似は出来ない。髪を整えるふりをして誤魔化しながら、こっそり手の平を口元に当てて欠伸をみ殺していると、背後から声を掛けられた。


「ごきげんようエレーナさん」


 エレーナは仰天ぎょうてんしながら振り返る。挨拶をして来たのはジェレミーだった。


 欠伸をみ殺している最中だったので涙目だ。最悪の一面をジェレミーに見られてしまった。


「ごきげんようジェレミーさん」


 また何を言ってくるのかと身構えていると、ジェレミーは以外にも何も言わずにそのまま歩き出す。これはこれで不気味だった。


 丘の上に建つセント・エバスティール魔法学院までの一本道を見上げる。両端に並ぶ桜並木は見頃を過ぎてしまい、かなり緑が目立つ色合いに変化していた。自分の不祥事が原因なのだが、壮大な桜吹雪のパノラマの見納めを逃してしまった事を少し残念に思う。


「桜の見頃、終わってしまいましたね……」


 ふと隣に眼を遣ると、ジェレミーも同じように桜並木を見上げていた。


「ごきげんようジェレミー様、エレーナ様」


 横合いから中等部の学生が、挨拶を交わしてくる。ジェレミーの名前が先に呼ばれていた。


 —— なるほと、これが目的か……。


 もう皆の眼には、完全にジェレミーの方が序列上位者に見えているのだろう。

 使い魔召喚の儀式の日より丁度二週間。出席ポイント等を考慮すると、ジェレミーだけでなく序列三位のシェリルにも順位を抜かされているだろう。この結果を招いたのは自分の軽挙妄動が原因だ。甘んじてこの状況を受け入れなければならない。


「悔しくないのですか?」


 ジェレミーが、そんな心境を読んだかの如く言葉を発する。


「昔の貴女なら、こんな状況に我慢できなくて怒りに震えていたでしょう。今の貴女は単なる色ボケ女です」


 さすがに眉根を寄せてジェレミーを睨み付ける。


「私がライバルと認めた貴女が、こんな事で落ちていく様は見たくありません。しっかりしなさい」


 意外にも心配されている様だった。


「お心遣い、感謝いたします。心配なさらずとも必ず首席の座は取り返してみせますわ」


 二人の視線が交わる。ジェレミーは、エレーナの瞳の奥に昔と変わらぬ強い意志の力を見て取ると満足気に頷いた。


「ごきげんようジェレミーさん、エレーナさん」


 そこに声をかけてきた者が居た。ロベリアだった。エレーナとジェレミーは、いぶかしみながらも挨拶を返す。


 滅多に授業に出てこないロベリアが登校して来た事と、決して誰とも係わりを持たない彼女が、自分から声を掛けてきた事を不審に思ったのだ。


「ジェレミーさん、お願いがあるのですが……」

「今度は何でしょう」


 ジェレミーは、多少呆れ顔でロベリアを見やる。


「お願い事ばかりで申し訳ないのですが、事は国家の治安に関係します。ジェレミーさん程の御方であれば、今いったい何が起こっているのか、もう調べられているのでしょう?」


 ジェレミーは、謎めいた微笑を浮かべている。肯定しているようなものだった。


「タツヤ殿に、剣術の基礎を教えてあげて欲しいのです」

「基礎くらいなら、エレーナさんでも教えられるのでは……?」


 ジェレミーは小首を傾げる。わざわざ自分に頼むような事柄では無い。


「エレーナさんは現在色ボケ中で、手心を加えてしまうと思うのでダメです」


 さすがにエレーナは、眼の色を変えてロベリアを睨め付ける。そこまで皆に指摘される程、色ボケしているつもりは無い。


 —— まさか、この一週間のタツヤとのやり取りを傍受ぼうじゅされていたのか……? いや、そんな事が出来る筈が無い。でも、もしあの会話を聞かれていたら……。


 顔がほてってくる。頬の熱を冷まそうと両手を添える。


 傍受ぼうじゅはされてなくても熱心に私信を交わしている事は、寮生全員が目撃しているのだ。その事に気付いていないエレーナは、やはり色ボケしていると言えよう。


 ジェレミーは、その様子を見やり、呆れ顔で溜め息を吐いた。


「格闘教官は、ドリーヌさんに頼もうと思っています。魔法教練教官は、私が勤めます」

「え? あの……。何を始める積もりなのですか?」


 エレーナは、怪訝けげんそうに問い掛ける。


「エレーナさんは、来たる日まであと何日あるか把握していますか?」

「えっと、二五二日と……、猶予期間?」


 素早く計算する。


「それまでにタツヤ殿を、勇者に仕立てなくてはいけないのです」


 ロベリアは、勇者育成計画と題された用紙をエレーナに手渡す。


 エレーナは、その計画書を読み進めて行くうちに、どんどん顔色を青くしていった。


「これは……。いくらなんでも不可能ではありませんか?」

「可能か不可能かではありません。これをやり遂げなければならないのです」

「他に方法はありませんか?」


 エレーナは周りを見回してから、他の誰にも聞かれないように声の調子を落として続ける。


「来年に魔物の軍団が押し寄せて来る事が分かっているのであれば、その前に此方こちらから軍隊を派兵すれば良いのではありませんか?」

「魔界への入口が何処にあるかご存知ですか?」

「いえ……」

「ちょうどアルガラン共和国との国境沿いにあります。ウリシュラ帝国や、オセリア連邦とも近いです。このような所に数万の軍隊を派兵すれば、どのような事が起こるか分かりますか?」

「それは、何となく……」

「現在、水面下で各国との調整、確約取り等を私の義兄であるスベイルが行っています。能力的には私に遠く及びませんが、此方こちらの件は義兄上に任せておけば大丈夫です。私達は勇者育成に全力を注ぐのみです」


 スベイルとは、コスタクルタ王国の第一王子だ。その王子に対してサラリとひどい事を言う。


 この前も胸の件でひどい事を言っていたし、ロベリアは案外毒舌家かも知れないと、エレーナは内心肩をすくめる。


 そのような考えが顔に出ていたのだろう。ロベリアはチラリとエレーナの顔を見ると、いつもの無表情で続ける。


「私が男であったなら、間違いなく次期国王は私です。これは事実です。別に毒舌を吐いているのでも何でもありません」

「私の鎧をロベリアさんが着られないのも事実ですものね……」


 エレーナは、自虐的に言うと拗ねたように口を尖らす。


「エレーナさんの胸の場合は、いじってあげているのです。いじってあげないと大きくなりません」

「なるほど、今まで身体の欠点を指摘するのはどうかと思っていましたが、これからはエレーナさんの胸が大きく育つよう私もいじって差し上げますわ」


 ジェレミーが早速いじってくる。


 —— えっ? なになに? おっぱいの話?


 何処からともなくおっぱいの匂いを嗅ぎつけた竜也が、思念で割り込んできた。


 エレーナは、盛大に溜め息を吐きながら、竜也の思念を追い払った。

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