第二十一話 

 学院に着くとエレーナは、すぐさま竜也のいる宿直室へ向かった。

 登校中の視線は、ロベリアとジェレミーが隣にいる事で、かなり緩和されていた。それよりも、今のエレーナには竜也の身の方が心配だった。


「やぁ、エレーナ。そんなに慌ててどうしたの?」


 竜也は、宿直室に入って来たエレーナを怪訝けげんそうに迎え入れる。


「タツヤ……」


 エレーナは竜也のそばに駆け寄る。毎日思念で話をしていたとはいえ、こうして会うのは一週間ぶりだ。


「エレーナ……」


 二人は見つめ合う。心は通じているので、これ以上の言葉はいらなかった。


「はい! いちゃつき禁止です!」


 後方から声が掛かった。二人の世界から引き戻された二人は、後方を振り返る。

 ロベリアが宿直室の入口で、いつもの無表情で立っていた。その横にはジェレミーも居る。


 これで色ボケの自覚が無いのだから始末が悪い。恋は盲目とはよく言ったものだ。

 ロベリアは、内心の愚痴をおくびにも出さず、いつもの無表情で言葉を続ける。


「タツヤ殿には、これからとあるプロジェクトに参加してもらいます」


 そう言いつつ、先程エレーナに渡した用紙と同じものを竜也に渡す。


 怪訝けげんそうに受け取った竜也であったが、エレーナからの思念で、その内容は大体把握していた。


 いちおうエレーナが、その内容を読み上げてやる。

 竜也は渋い顔でその内容を聞いていた。なるほど不可能に近い、無茶苦茶な内容が書かれているようだ。


「これは不可能に近い事柄が書かれているように見えますが、タツヤ殿ならきっと成し遂げられる内容だと私は思っています」

「その根拠は? 僕自身が見ても、これは無理だとしか思えないよ。ってか、僕のチート能力は? 無敵で無双できるような能力は僕にはないの?」

「根拠は、まさにタツヤ殿のユニークスキルによるものです。普通の者は、治癒魔法を受けると副作用として眩暈めまいやけだるさ等が現れます。しかしタツヤ殿は副作用を物ともせず動けるので、インターバルは短くて済みます。限界まで走ってもらって、ぶっ倒れたら魔法で回復して、また限界まで走ってもらう、といった事が可能なのです」

「ちょっと待って!」


 竜也は悲鳴に近い声を上げていた。


「死ぬよね? どう考えたって普通死んじゃうよね?」

「普通は死にますが、タツヤ殿なら大丈夫です」

「いやいやいやいや……」


 竜也は口をパクパクと、酸欠の金魚のように開閉を繰り返した。そうしながら勇者育成計画と題された計画書に視線を落す。


「この四二.一九五kmを二時間以内で走破って絶対無理だよね」


 距離など突っ込みどころ満載であったが、とてもそれに構ってはいられなかった。


「人類は二時間の壁は越えられないって、なにかの本に書いてあったよ」

「エレーナさんは中等部一年生の時に二時間を切っています。今年の一年生でも二時間を切っている娘も居ました。ジェレミーさんも、今年なんとか二時間は切れたのですよね?」

「一時間五十九分五十九秒でしたわ……。そういえばエレーナさんの、今年初めの記録会の結果は……?」

「—— 停学中でした……」

「そういえばそうでしたね」


 何気なく聞いておとしめる。

 エレーナは、ジェレミーのすまし顔を睨め付ける。


「でも、それはいつも走っていて、ある程度の記録を持っているから出来るのであって、僕みたいな素人じゃ絶対八ヶ月では無理だよ。僕はそもそも四二.一九五kmなんて走った事ないし、走れたとしても四時間を超えると思うよ」

「無理でも何でも、これをやり遂げなければコスタクルタ王国は滅ぶのです。この国の命運がその双肩に掛かっているのです」


 竜也は、重大な責任を負わされて茫然自失ぼうぜんじしつに陥りながら、エレーナに救いを求めるような眼差しを向ける。


「ロベリアさんの中等部一年生の時の記録会の成績は四時間少々でしたよね?」


 エレーナは、昔の記憶をたどりながら、竜也に助け舟を出してやるべく言葉を発する。


「私は……。走るのが苦手なので……」

「ロベリアさんの基本性能スペックからすると、努力すれば二時間は切れると思うのですが、如何ですか?」

「それは……」


 エレーナが、何を言わんとしているのかを察したロベリアは慌てだした。


「私は、この胸が邪魔で走れないのです」

「ジェレミーさんも、これだけの無駄なお肉を持ちながら二時間を切っているのですよ」


 一瞬ジェレミーの眼が、炎でも吹き出しそうなほど燃え上がる。しかし竜也の視線が自分の胸に釘付けになっている様を見て、冷静さを取り戻した。ちょっとした悪戯心が湧いて来る。

「無駄なお肉かどうか、タツヤ殿に聞いてみましょう」

 ジェレミーは竜也の腕に自分の腕をからませる。思いっきり胸を腕に押し付けた。

 —— おおおっ……。

 —— あああっ……。


 竜也の歓呼とエレーナの悲鳴が重なった。


「タツヤ殿は、これが無駄なお肉だと思われますか?」


 ジェレミーは、誘うように少し開かれた唇と潤んだ瞳で竜也を見上げる。


「えっと、あの……その……」


 竜也は、腕に当たる胸の感触と、エレーナの恨みがましい思念の間で、板挟みになっていた。


「今は、ふざけてる時じゃないよ」


 竜也は、内心涙を飲みながらジェレミーの腕を解く。


 ロベリアは、一瞬出来た隙の間に必至で言い訳を考えていた。


「しかし、ジェレミーさんは無駄なお肉がどれほどあっても、戦闘系の能力はDEXデクスタリティーAGIアジリティー型です。私はSTRストレングスVITバイタリティー型なのでいくら基本性能が高くても、到底ジェレミーさんにはかないません」

「では勇者のステータス概念は、どのようなものだと思われますか?」

「均等……ですね。すべてにおいて万能」

「ロベリアさんの言い方だと、ステータス値の差によって可、不可があるように聞こえます。全てのステータス値が平均の勇者であれば、当然DEXデクスタリティーAGIアジリティー型の人達より遅くなると思われますが如何ですか?」


 ロベリアは、奥歯をみ締めて押し黙る。


「正直、タツヤの能力では二時間を切るのは、どう考えても不可能だと思われます」


 竜也は内心で、握り拳を振り上げてエレーナに喝采を送っていた。ロベリアを論破したエレーナの勝利だ。これで無謀なトレーニングに挑戦しなくて良くなる。


 と、思っていたのだが、ロベリアがとんでもない事を言いだした。


「分かりました。私も何としてでも、来年までに二時間を切って見せますので、タツヤ殿もお願いします」

「えええっ! ここは、もうちょっと交渉しあって、真ん中を取って三時間という線に落ち着くんじゃないの?」


 竜也は悲鳴を上げる。


「事は国家の大事です。妥協は出来ません」


 ロベリアは、頑として譲らないというようにキッパリと言い放つ。


 エレーナも、落としどころを三時間と考えていたのだが、こうもあっさりロベリアが根性論に出て来るとは思ってもみなかったのだ。


 —— ごめん、失敗しちゃった。


 思念で竜也に詫びを入れる。

 竜也は愕然がくぜんとしながら、もう一度計画書へ視線を落とす。


 妥協なしでこの計画を実行するとなると本当に命が危ない。

 一瞬、気が遠のいた竜也はフラフラとベッドに倒れ込んだ。


「まだ倒れるのは早いですよ。一度、私と走りに行きましょう。倒れるのはそれからです」


 竜也は、今すぐにでも治癒魔法を掛けてもらいたい心境でエレーナを見上げた。

 エレーナは、心配気に竜也を見守る事しか出来なかった。

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