第二話 

 —— ピピピピピ……。


 スマートフォンにセットされていた起床アラームと、バイブレーター機能のたてる微かな振動音で竜也は眼を覚ました。


 頭上の定位置に置いてあるスマホを取るとアラームを止める。その横に設置してあるアンティーク風の目覚まし時計が、僅かな時間差で鳴り響く。


 竜也は、素早く目覚まし時計のアラームも止める。アラームが鳴っていた時間は、合計しても一秒にも満たない。


 そこで、ようやく眼を開ける。昨夜は今日の為に早く寝るつもりだったのだが、結局興奮で夜遅くまで眠る事は出来なかった。

 しかし、目覚めは非常にスッキリとしていた。興奮冷めやらぬといった所か。いやいや、興奮のるつぼにドップリ浸かるのはこれからだ。


 掛け布団を勢いよくね除けると、寝ている状態から勢いよく両足を振り上げ、両耳のすぐ横に両手を付き、押し返すと同時に振り子の勢いで両足を戻しつつ腰を跳ね上げる。ベッドのスプリングの補助もあり楽々と跳ね起きる。


 白を基調とした室内にはベッド以外には学習机にパソコンラック、本棚と簡素な部屋模様だ。


 素早くパソコンの電源を入れる。その横に置いてあるフルフェイス・ヘルメットとほぼ同じ形状をした物を取り上げる。

 両手で放り投げるように一回転させ、バイクのヘルメットとの違いを確認していく。頭頂部にUSBケーブルを差し込むジャックがある以外、見た目はほぼ同じ形状をしていた。


 右手人差し指と中指、親指だけで持ち、勢いよく回転をかけて人差し指の上で回す。これ一つが、今まで一五年間貯めた小遣いと、お年玉すべてを注ぎ込んだ高価なモノだという事を意に介さない扱いだが、落とすようなヘマは絶対にしない自信があった。


 こいつが興奮冷めやらぬ状態にしている根源だった。


 Virtualバーチャル Realityリアリティー Massivelyマッシブリー Multiplayerマルチプレイヤー Onlineオンライン Roleロール-Playingプレイング Gameゲーム 通称VRMMORPGと呼ばれている代物だ。


 今までゲームと言えば、スマホの落ちゲー位しかやってこなかった竜也を、このゲームに導いたのは友人の内藤義明だった。

 竜也は、義明に勧められて始めてニルヴァーナ・オンラインのベータテストの世界に降り立った時の事を思い返していた。


 MMORPGというものは知っていた。ゲーム画面を見つつ、マウスやキーボードでアバターを動かし、チャットでコミュニケーションを取るゲームだ。攻撃や防御、魔法と言った動作は、基本的に決められた項目から選択して行う。ここにアクション要素は、そんなに存在しない。


 これに対してVRMMORPGとは、アバターとして仮想現実空間にダイブし、五感すべてがリアルと変わりなく感じ取る事ができ、そしてアバターを自分の身体として動かす事が出来るのだ。

 おのずとアクション要素満載になってしまう。ここで重要なのは反射神経と言っても過言ではないだろう。


 それでもゲームという事で、期待はしていなかった。荒いポリゴンで出来た仮想世界と思っていたのだが、これがとんでもなくリアルに近かった。何時の間に技術が進化したのか、その辺に詳しくない竜也には、これが最近開発された新世代のブレインコンピューターインターフェイスと想念技術の賜である事を知らない。


 竜也は、まず見渡す限りの草原と、その先の地平線を目の当たりにして、感嘆の声を漏らしていた。

 空気にも匂いがある。異臭ではない。何の臭いかしばし思案する。昔、田舎の森の中を探検した時に嗅いだ事のある自然の匂いだ。懐かしく心が落ち着く。排ガスと自動車の騒音に慣れた竜也には、大自然の騒めきも新鮮なものだった。


 背後には町の入口があり、衛兵が左右を固めている。


 自然に身体が違和感なく動いた事に今更ながら驚き、自分の姿を確認してみる。

 茶色の皮の服に皮のズボン、腰には片手剣をいていた。左手には、現実の世界の傷と同じ傷跡が見て取れる。指紋も現実と同じものだ。


 これらは細かいパラメーターによって、どのようにも操作は可能なのだが、あえて現実の身体と同じように設定してある。

 正直な話、あまり期待してなかったのでオールスキャンして、そのままスタートしたのだ。オープニングムービーもチュートリアルもスキップしている。

 そのため、早くも何をして良いのか分からなくなっていた。


 腰の片手剣を抜いてみる。結構重い。振り回してみるが片手剣の使い方が分からないので無茶苦茶だ。

 モンスターを探してみるが見当たらない。町の門の前に立っているNPCの衛兵に近付いていく。べつに斬り付けようって訳では無い。


「すみませーん」


 衛兵に向かって声をかける。四十歳くらいのオジサンだ。茶色の髪に同じ色の瞳、日本人にしては彫の深い顔立ちをしているが、西洋人ともいえない中間的な顔立ちをしていた。


「おいおい、そんな物騒なモノは仕舞ってくれよ」


 衛兵は、剣を片手に近づいてくる竜也を認識して及び腰で答える。NPCとは思えない的確な受け応えだった。

 ちなみにNPCとは Nonノン playerプレイヤー characterキャラクター の略で、プレイヤーが操作していないキャラクターの事を指す。プレイヤーが操作しているキャラクターはPCと言う。


「戦闘がしたいんですが、敵って何処に居るんです?」


 竜也は、素直に腰に剣を収めると質問をしてみる。


「町の見える範囲には敵はいねーよ。もう少し離れた場所に行かねーとな。それよりも町でしっかり冒険の準備しておけよ」


 竜也は衛兵に礼を言うと草原に足を向けた。町が見えなくなるまで移動する。見渡す限り一面の草原に小さな隆起を発見する。


 竜也は、そこへ向かって歩き出した。やがて隆起は二つに増え三つに増え、どんどん数を増やしていく。その隆起が目視で正体が分かる様になると、竜也は立ち止まった。


 隆起の正体は、人の身長程もある巨大なスライムだった。緑色の半透明の体躯たいくで、ほぼ球体の形状をしている。


 彼方此方あちらこちらで、そのスライム相手にプレイヤーが戦闘をおこなっていた。竜也は、しばしその戦闘を観察する事にした。


 皮の服に皮のズボン、片手剣も自分が持っている物と同じ剣だ。いわゆる初期装備という奴だろう。

 プレイヤーの男が剣を振り回す。剣が当たった場所に光の線が走る。剣技は無茶苦茶だが、的が大きいのとスライムの動きが鈍重な為、なんとか優位に戦闘を進めている。


 スライムが大きくハイジャンプをする。人間の頭上より遥かに高い。スライムが最高到達点に達した瞬間に男は回避に移る。

 今まで男が居た場所に、スライムがその巨大な身体を着地させる。地響きが十メートル程離れた竜也の所まで響いてきた。


 着地したスライムに対し、男は剣にもう片方の手も添えて渾身の力を込めて水平に薙ぎ払った。野球ならフルスイングといった所だ。

 スライムに真一文字の光の筋ができる。そして一気に爆発するかのごとく光が爆散するとスライムは消滅していた。


 男は、すぐさま次の獲物を求めて走り去っていく。


 竜也は、すぐ横で繰り広げられている別の戦闘を観察する。

 剣の扱い方が、先程の男よりもかなり危うい。スライムの鈍重なボディーアタックにすら回避出来ずにダメージを食らっていた。


 ふと気になって男を注視する。その途端、男のHPヒットポイントゲージと名前等が視界の右下に表示される。戦っている敵のHPゲージは左上に表示されていた。


 HPの相対比率や攻撃力等が分からないので確かな事は言えないが、男がやや不利な状況のようだ。

 男はボディーアタックを食らって、HPは四分の一まで削られている。男の攻撃が当たってもスライムのHPはまだ三分の一も残っていた。


 スライムがハイジャンプをする。

 パニックを起こした男は、猛ダッシュで後方へ逃れようとする。しかしハイジャンプしたスライムは、男を追尾するように急降下していった。


 男は逃げきれずにスライムのボディープレスを食らってしまう。HPはほんの数ミリだ。

 さらに遁走とんそうを計った男に追いすがり、スライムが追い討ちのボディーアタックを食らわす。HPは本当に一ミリだ。

  さらに止めの一撃を食らった男は、光の粒子となって爆散してしまった。


 今の男が自分と同じ初心者で同レベルなら、今の戦闘からボディーアタックが数ミリのダメージ、ボディープレスが四分の一弱のダメージと推測する。


 用心を期すならもう一戦くらい戦闘を見ていても良かったのだが、先走る衝動に駆られて竜也は剣を引き抜くと、スライムに特攻を仕掛けていた。戦闘を意識した途端に自分のHPバーと敵のHPバーが視界に映し出される。


 初撃は上段からの右袈裟けさ斬り。スライムのHPバーが数ミリ削られる。そこで初めて此方こちらを認識したようで、此方こちらに向き直るとボディーアタックを仕掛けてくる。仕掛ける瞬間にプルプルと二回大きく震える事は前の戦闘で確認済みだ。


 難なくかわすと更に一撃を加える。何だか格好良く戦闘を進めているように思うかもしれないが、剣の扱いが分からないのでごしで、なんとも無様だった。


 剣道の達人なら、あるいはこのゲ―ムで最強になれるのではないかと思われるが、如何いかんせん『体を動かすのは嫌いじゃない』程度のごく普通の身体能力しかない竜也には、これが精一杯だった。


 一撃は微弱なダメージしか与えられないが、手数でダメージを稼いでいく。スライムがプルプルと震えた瞬間、一歩飛び退って元々自分の元いた場所に渾身の一撃を叩き付ける。カウンターが決まり敵のHPが一センチ弱削れる。


 スライムがハイジャンプをする。自分の頭上の遥か上まで飛び上がったスライムの巨体は、すごい威圧感がある。分かっていても足が勝手に後退る。


 スライムが自分に向かって急降下してくる。その瞬間猛ダッシュで後ろに下がる。自分が元いた場所に落ちて来るかと思われたが、スライムは自分を追尾してきた。


 直撃を受けて押し潰される事は無かったが、その巨体の威力で跳ね飛ばされる。

 変な倒れ方をしたり、障害物にでもブチ当たったりしたら、洒落にならないダメージを食らいそうで、咄嗟とっさに受け身を取ろうとする。しかしその瞬間、威力が急激に緩和されて衝撃が軽減されていた。


 ショックアブソーバーシステムという機能を思い出す。衝撃を緩和してくれるシステムだ。


 そういや痛みもなかった。ペインアブソーバーシステムという代物で、痛みを軽減してくれるのだ。確かにこれがないとゲームにならない。斬られた痛みがそのまま伝わってきたらシャレにならない。


 体勢を立て直しながら自分のHPを確認してみる。四分の一は削られていない。スライムのHPは約半分といったところだ。プルプルと震えてボディーアタックを仕掛けてくる。


 竜也はバックステップで回避すると、剣を両手に持ち水平に薙ぎ払った。カウンターとクリティカルが決まり、ごっそりとHPが減少する。更に小技を二撃ほど当てHPを削り取ると、次は敵の攻撃に備える。


 敵の攻撃は当たる気がしない。カウンターも確実に取れる自信はある。

 スライムがハイジャンプをする。竜也は巨体の威圧感に気圧されながらも、グッとその場に留まった。


 先程ボディープレスを食らってから、頭の片隅で二つの可能性を考慮していた。一つは最高到達点に達する前に動いてしまった事で、スライムが追尾して降下してきてしまったのではないかという事。もう一つはそんな事は関係なしに、追尾攻撃もしてくるという事だった。それを解明するためにも色々検証しなくてはならない。


 スライムが最高到達点に達する。竜也は、落下してきたスライムを確認してから回避に移った。スライムは、地響きを立てて自分が元居た場所に着地した。


 その瞬間、振り返り様に下段から剣を斜めに跳ね上げる。袈裟けさ形に白い光の線が走ると、一瞬動きを止めたスライムは光の粒子となって爆散する。キラキラと光り輝きながら霧散していく光の粒子の残光が見えなくなると、次の獲物を見繕みつくろう。


 —— それから九匹のスライムを倒して、レベルが2になった。しかし体力も限界に近付いていた。義明と約束していた時間もそろそろだった。


 右手人差し指一本を軽く振る。シャラランという軽快な効果音と共に、半透明のメニュー画面が目前に現れた。


 画面を最下段に向けてフリックして行く。最下段のログアウトボタンをタップすると、カウントダウンが始まった。


 竜也は、大きく一息つくと辺りを見回した。そよ風が吹き付けてきて、火照った身体に心地よく通り過ぎていく。自分の心臓の鼓動が早鐘のように鳴っている事まで認識できる。


 風にたなびく草原は、現実のものと区別が付かない。小さな名も知らぬ花々に、白い蝶が戯れるかの如く舞っている。空の彼方には、鳥らしきものが数羽群れをなして飛んでいた。


 その遥か彼方、地平線の向こうには何があるのか知りたいと思った。

 カウントが0になると、世界は柔らかな白色に染め上げられ、やがて現実世界に戻っていった。



 その後、何度か義明の家でプレイさせてもらった。その圧倒的な現実味を帯びた戦闘が病み付きになり、購入を決意したのだった。


 そして今日が、待ちに待ったニルヴァーナ・オンライン正式サービス開始の日なのだ。


 軽い食事とトイレを済ませておく。水分は昨日から控えめにしている。

 パソコンはゲームスタート準備が整っている。キャラクターも制作済みだ。と言っても全身オールスキャンで簡単に済ませてある。


 パラメーターを、あれこれ操作してみたりもしたのだが、あまりにも細かすぎて面倒臭くなったのだ。それにまるで別人の超かっこ良い顔にしたとしても逆に気持ち悪そうだし、自分の顔を微調整するにしても、別に自分の顔が嫌いなわけでもなかった。


 女性キャラが作れるのだったら、おっぱいの感触を楽しめるのでは? と期待したのだが、性別を変える事は出来なかった。


 不意にスマホのメール着信音が、微かなバイブレーター音に交じって鳴り響いた。

 サービス開始の時間まで後一分。


 —— 誰だよ、こんな切羽詰まった時間に……。


 もどかしく思いながら、急いでメールを開ける。それは隣の家に住む幼馴染の高橋今日子からのメールだった。


『準備は出来てる? 今からインしまーす。PS. 置いて行かないでね』

 —— うざい!


 竜也はスマホを放り出すと、急いでログイン準備を始める。


 別に今日子の事を、本気でうざいとは思っていなかった。今日子を誘ったのは自分なのだ。仲は良い方だ。付き合っているのか? と、皆によく聞かれるが、それはNOだ。現在の関係は、友達以上恋人未満という曖昧なものだった。


 フルフェイスのヘルメット型ゲーム端末機の頭頂部にUSBケーブルを繋いで被り、あご紐を留めるとベッドに横になる。

 遮光シールドを落とすと、透明だったシールドが暗転する。これがスイッチになっていて、ゲームタイトルのロゴが浮かび上がり、遥か彼方へフェードアウトしていく。


 色々なチェック項目が赤から緑へものすごい勢いで流れるように変わっていく。オールグリーンになると、視界は真っ白に染め上げられた。その眩しさに眼をつむる。

 一瞬の酩酊感めいていかんの後、竜也はゲームの世界に降り立っていた。



 酩酊感を振り払うように頭を軽く振ってゆっくりと眼を開けると、目前には一人の女の子がたたずんでいた。年齢は自分と同じか少し上くらいだろう。金髪碧眼のまさに美少女だった。純白の長衣ローブは、その清楚な顔立ちによく似合っていた。


 周囲を見回してみる。教会を思わせる厳かな雰囲気の部屋には、二十人ばかりの美少女の集団が、此方こちら驚愕きょうがくの眼差しで見つめていた。


「おお~」


 感嘆の溜め息が漏れる。


 —— オープニングイベントか何かかな?


 目前の美少女に視線を戻す。


 —— 世界を救ってくれとでも頼まれるのだろうか……。


 期待を込めて事の成り行きを待つ。しばらく茫然ぼうぜんと自分を見つめていた女の子はハッと我に返ると、いきなりパニックを引き起こしてしまった。周囲に助けを求めるように視線を走らせる。

 紅潮させた頬に、両手を添えて周章狼狽しゅうしょうろうばいしている。


「男を召喚するって、どれだけ淫奔いんぽんなのかしら」


 誰かが冷やかに侮蔑の言葉を投げかけた。それを皮切りに、ヒソヒソと彼方此方あちらこちらで同様の言葉が囁かれる。


「ち、違うのよ……」


 目前の女の子は、シドロモドロに何やらブツブツと呟く。

 恐慌をきたしている女の子は羞恥に耐えかねたように、ふっと意識を失ってしまった。


「おっと!」


 竜也は、気を失ってしまった女の子を素早く抱き留める。両膝の下に右手を入れて胸元まで抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこという奴だ。


 しかし気を失う直前に睨まれたような気がしたのだが、いったい何だったのだろう。オープニングイベントにしても、いきなりすぎる展開に付いていけない。


「こ……、この娘をどうしろと……?」


 竜也は、気を失ってしまった女の子に視線を向けながら途方に暮れながら呟いた。

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