第二十六話 

「では、今日はこの辺で魔法語の勉強を終わります」


 授業終了を告げるチャイムが鳴り響く中、ロベリアはホワイトボードから竜也に視線を向け、いっぱしの教師然とした口調で言ってのけた。


 魔法語学習は、その後の四時限目も続けて行われた。魔法語事態は英語の勉強の延長線上のようなもので、大して苦にもならなかった。


 ただし純粋な英語では無く、冠詞の類が無いなど若干の違いはあったが、一から未知の言葉を覚える事を考えたら楽な方だろう。

 しかし、何の問題も無いように思える授業内容だが、魔法発動に一抹の不安を覚える。


「どうかしたのですか?」


 そんな疑問というか焦燥感をにじませていると、ロベリアが問い掛けてきた。


「ええと……」


 竜也は、この懸念をどのように表現したものか迷いながら言葉に出す。


「魔法って、この魔法語を文法通り並べて唱えれば発動するの?」

「他にもリズム、テンポ、語調の強弱といった抑揚も重要になります」

「言葉自体に力がこもっているってのが、いまいち腑に落ちないんだけど……。例えば標準語で唱えるのと、魔法語で唱える事の違いは何なの?」

「言葉の重みだと思います。例えば『タツヤ殿のアレは小さい』と言われるとタツヤ殿はどのように感じますか?」

「ちょっと……。嫌なこと思い出させるね……。普通に心がえぐられる思いだよ……」


 竜也は憤然と答える。


「ですが、タツヤ殿のステータスを見てもらえれば分かりますが、精神力は減ってはいません。これをもし魔法語で同じ言葉を紡ぐと精神力が削られます」

「魔法語が理解できなくても効果があるの? 意味の分からない言葉で何を言われても、何も感じないように思うんだけど……」

「魔法語は遺伝子に書き込まれた言葉です。蜘蛛くもは親になにも教わらなくても巣の張り方を知っています。これと同様、人は生まれながらに誰にも教わらなくても魂が魔法語を理解しているのです。試しに魔法語で『タツヤ殿のアレは小さい』と言ってみましょうか?」


 竜也は憤慨した面持ちでロベリアを睨み付ける。


「十分に理解して頂けた所で、終わりとしましょう」


 竜也は尚も釈然としない様子を見せていたが、やがて肩をすくめてから大きく伸びをした。

 約半日も椅子に座りっぱなしだった為、あちこちが痛い。筋肉痛とあいまって相乗効果を生み出した痛みは、立ち上がる事すら出来ないほどに達していた。


「今日は一日疲れた……」


 肩を回し、腰を捻って身体をほぐす。


「魔法語の授業は終わりましたが、まだ特訓は終わっていませんよ」


ロベリアは、無慈悲にも平然と答える。竜也は腰を捻った状態から首だけもたげてロベリアを顧みた。その顔には後生だと言わんばかりの表情が浮かんでいる。


「放課後は、剣技の特訓をジェレミーさんにお願いしてあります。有志の方々が応援に来てくれるみたいなので地下迷宮ダンジョンに潜ろうと思います」


 竜也は、本当に重い腰をあげて椅子から立ち上がると、ふらついて机に手を付いた。

 まだ特訓は終わってないと聞かされ、急に身体が重くなったように感じられた。


「無理……かも……」

「無理は承知の筈です。たった八ヶ月で勇者になろうというのですから、辛いのは当然です。これを乗り越えてこそ、真の勇者となれるのです」


 竜也は、気力を振り絞って机から手を放し、自力で立ち上がった。これだけで限界だ。ロベリアに視線で、本当に無理だと訴えるが聞いてはくれない。


「大丈夫です。ナイフが目の前に繰り出されれば、自然と身体は反応するものです」


 暗殺者の短剣ダガーが、自分の心臓めがけて繰り出された場面を思いだす。あのとき自分は、眼を見開いて驚く事しか出来なかった。ほんの少し指先をピクリと動かす位で精一杯だった。身体が自由に動いた時ですら、あの調子なのだ。現在の満身創痍まんしんそういの状態では、より悲観的になる。


「無理……だよ……」


 竜也が再度、弱音を吐いた時だった。魔法実験室の扉が開き、エレーナが中に入って来た。その後には数人の生徒が見て取れる。ジェレミーとドリーヌ、それにセシルだった。


「治癒魔法が駄目なら、せめてリンパ循環を回復させるマッサージを受けさせてあげられませんか?」


 エレーナは開口一番、竜也への救護を願い出た。


「それは構いません」


 ロベリアの許可をもらい、エレーナは竜也を地面に寝かせる。

 竜也はエレーナに感謝の念を送る。エレーナは、自分の現状を読んで助けに来てくれたのだ。


「ちょっと痛いけど我慢して下さいね」


 エレーナは、うつ伏せに寝かせた竜也の脹脛ふくらはぎをマッサージしていく。ドリーヌも反対の足のマッサージを買って出る。足裏のツボをゴリゴリと刺激し、足首をねじ切る勢いでひん曲げる。


「いててててててて……」


 たまらず竜也は悲鳴を上げる。

 ジェレミーとセシルが両手をつかみ、それぞれ反対の方向に引っ張る。そして二の腕のツボを、STRストレングス1000を超える握力でギュウギュウと突いていく。


「ぎゃあああああああ……」


 皆は、竜也の悲鳴を無視してマッサージを続けていく。


 ロベリアが竜也の頭上に立ちはだかった。両手両足を拘束されている竜也は、頭上を見上げる事が出来ない。ロベリアの足元を嫌な予感と共に見つめる。


 ロベリアは予想に違わず背中を素足で踏みつけてきた。そのまま肩甲骨の裏辺りをグリグリと踏みにじる。


「ちょっと! これは治療じゃないよね? 虐待だよね?」

「これもれっきとした医療行為です」


 ロベリアは、いつもの無表情で弁明する。ただし声は、いつもより楽しそうだった。


「王女様に足蹴にされるなんて、普通は体験できない名誉な事よ。もっと喜びなさい」


 ジェレミーが、とんでもない事を言ってくる。


「僕に、そんな趣味は無いよ!」


 エレーナに助けを求めるべく、必死で首を巡らせる。エレーナは戸惑いの視線を此方こちらに向けていた。


「本当に嬉しくないのです?」

「なんでだよ! これはれっきとした虐待行為だよね?」


 皆は、それぞれ顔を見合わせて首を傾げている。


「ご褒美が嬉しくないのですか?」

「だから僕に、そんな趣味は無いよ!」


 エレーナの思考も戸惑い一色だ。この世界の男は全員M気質なのか? とにかく止めてもらうように頼んでみる。


「なにを言っているのです。これも医療行為だと言った筈です。ただ、よく頑張っているタツヤ殿の為に、ご褒美として足でマッサージしてあげているのです。—— これで立てる様になったでしょう?」


 ロベリアが、最後の止めとばかりに腰をグリグリと踏みにじって足をどけた。


「こんなので立てるようになるわけ無いよ!」


 怒り心頭に発した竜也は、ロベリアに食って掛かる。

 ロベリアは小首を傾げる。その無表情からは、本当に何を考えているのか読むことは不可能だが、悪い予感だけは感じ取れた。


「まだ治療は必要ですか……。では皆さん、仰向けにお願いします」


 予想は的中した。

 皆が両手両足をひねって竜也を仰向けに転がしなおす。手足を押さえ付けている四人のうちエレーナ以外の表情は楽しそうだ。


「まって! たぶん立てるようになってます。もう充分です!」


 竜也は必死に懇願こんがんする。そしてなんとか釈放してもらう。


 竜也は、とんでもない目にあったと心の中で文句を言いつつ立ち上がる。体が軽かった。筋肉痛はまだあるが、動けない程では無い。これは手足のマッサージによるものだと思いたい。決して足で踏みにじられて治ったものだとは思いたくなかった。


 ふと、エレーナが神妙な顔つきで此方こちらを見つめている事に気付く。エレーナは、竜也と視線が合うと少し頬を染めて視線を逸らした。


 —— こ……今度は、私がご褒美に踏んであげるんだからねっ!


 エレーナの青天の霹靂へきれきのような思念を受けて、竜也は再び身体が固っていくような感覚を味わっていた。何を勘違いしているのか、少しだけエレーナの心を覗いてみる。どうやらエレーナは自分の手前、ロベリアのご褒美を辞退したと思っている様だった。


 —— ご褒美ってなんなの? だいたい何のご褒美なの? 本当に足蹴のご褒美なんて要らないからね!


 竜也は、周囲をはばかりながらエレーナに向かって小さく首を横に振る。心の中で溜め息を吐きながら、この世界の男性がMなのか、それともこの世界の女性がSなのかという、どうでも良い事を考えていた。


 その様子をこっそり盗み見て、忍び笑いを漏らしている者が居た。ドリーヌだった。彼女の情報操作によって、この学院の女生徒の大半は、世の男性は、みんなM気質だと信じ込まされていた。


「動けるようになったのなら、地下迷宮ダンジョンに行きましょう」


 ロベリアの号令のもと、皆が教室を後にする。竜也も、少しだけ軽くなった身体を引きずりながら後に続いていった。

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