第二十五話 

 昼休みが終わって、竜也は魔法実験室Aという教室に向かっていた。三時限目は魔法構成論なる授業らしいが、魔法語初心者の竜也の為にロベリアが魔法教練教官を買って出てくれたのだ。


 ちょうど二階と三階の中間にある階段の踊り場で一息つく。足はパンパンに張っていて、階段を一段上がるたびに悲鳴を上げていた。

 重い足取りは、筋肉痛だけの為では無い。今まで一縷いちるの望みとしていた現実世界へ帰る手段がついえた事もかなり響いていた。自暴自棄にならないのは、エレーナの期待に応えたい一心がなせる業だった。


 竜也は、ロベリアに指定された教室にたどり着くとプレートを見上げる。フラクトゥールのような文字は読めないが、Aという文字は英字に見えない事も無い。


 意を決して教室に入る。教室の中は、普通の教室の倍の広さがあった。勉強机などの備品も何もない広大な空間の真ん中にロベリアはたたずんでいた。


「お待ちしておりました。此方こちらへ……」


 案内されたのは部屋の隅で、何も無いと思われた教室に、二つの勉強机が向かい合わせに配置されていた。その前にはホワイトボードが設置されている。


 ロベリアに座るように促されて席に着く。ロベリアが対面の席に腰を下ろした。


 竜也は広大な部屋を、落ち着かな気に見回す。魔法実験室というからには、ここは魔法の実験をする場所なのだろう。堅牢な造りの石壁に焦げ跡が彼方此方あちらこちらに見て取れる。

 更に注意深く観察すると、下界の音が完全に遮断されている事が分かった。防音というより結界のたぐいで、ここでどんな魔法を使おうが、被害が外に出ないようになっているのだろうと推測する。


「密室で二人っきり……。何だかドキドキするね」


 ロベリアは、鞄から一冊の本を取り出した。その本を竜也に差し出す。


「魔法語の基礎が書いてある本です。タツヤ殿は、此方こちらの言葉が分からないでしょうから、これは参考程度までに持っていて下さい」


 ロベリアは、いつもの無表情で竜也の言葉を完全にスルーすると言葉を続ける。


「まずは、タツヤ殿に知っておいてもらいたい身近な言葉から説明していきます」

「なになに? エッチな言葉?」


 ロベリアは右手人差し指を軽く振る。シャラランという軽快な効果音と共にメニュー画面が現れる。その画面を幾度となくタップとフリックを繰り返していく。


「タツヤ殿の腕にはめられた水晶時計の矢印を、右に一回スワイプして下さい」


 竜也は、ロベリアがまったく乗ってくれないので、つまらなそうに口を尖らせながら腕時計を操作する。


「文字が上下に分かれていると思いますが、上段がステータス名、下段が数値等の概況となっています。一番右の上段に書いてある文字が、標準語で『名前』と書いてあります。当然その下は『タツヤ』と書いてあります」


 ロベリアは、チラリと竜也の様子をうかがい見る。竜也はあらかじめ用意しておいた用紙に説明を書き止めている。王家の研究員でも難解な文字をスラスラと書きつづっていた。


「次の左横の上段には『職業』と書いてあります。その下段が『戦士 レベル1』と書いてあります」

「え? 勇者の卵じゃないの?」

「違います……」


 竜也はしばしその意味を考える。


「僕は、もしかして騙されてる? 勇者と担がれて、無理やり魔王とかと戦わされようとしているの?」

「戦士という職業が、勇者の卵なのです」


 ロベリアは、いま思い付いた事を適当に話す。


 竜也は、そんなロベリアの様子を細大漏らさず観察していた。無表情のロベリアからは情報が読み取りにくい。少し揺さぶりを掛けてみるために、少し小馬鹿にしたように鼻で笑ってみせる。


「ロベリアさんって、本当に脳筋だよね。嘘がバレバレだよ」


 ロベリアの眉根が微かに寄せられる。


「ノウキンの意味は分かりませんが、非常に気に障る言葉ですね。しかし、そんな言葉で私を惑わそうとしても無駄です。貴方の腕に付いているセンサーが、思考や心理状況を細かく分析しています。貴方の考えの方がバレバレなのです」


 竜也は驚愕きょうがくに眼を見開く。そして恥ずかしそうに言葉を発する。


「そんな……。それじゃ、この密室で二人っきりのシチュエーションにドキドキしてる事もバレてるの?」

「心拍数は平常時と同じですよ。そういう戯れはもう良いですから……。次に行きます」


 ロベリアはまったく取り合わず、次の説明を始める。


「次に書かれているのが『体力』です。この数字が0になるという事は死を意味します」

「7626って数字は、平均と比べて高いの? 低いの? ロベリアさんの体力って、いくらあるの?」

「数字は読めるのですか?」


 ロベリアは、驚愕きょうがくに眼を見開く。


「アラビア数字なら、もと居た世界のものと一緒だから問題ないよ」


 ロベリアは、アラビア数字という言葉に小首を傾げる。よく分からないので、とりあえず放置する事にする。


「体力の平均というものは意味を成しません。この国に住む平民の大半が七千から八千の間の体力を持っていると思われますが、タツヤ殿は勇者になってもらわないといけないのです」

「やっぱり平民の僕を、むりやり勇者に祭り上げようとしてない?」


 ロベリアは、小さく溜め息を吐く。


「正直に申し上げると、使い魔召喚の儀式で、あやまって人間の男を召喚してしまったエレーナさんの救済名目で、貴方を皆に勇者と紹介した節があります。ですが貴方が、どうやら本当に勇者ではないかという嫌疑が掛けられたので、こうして勇者育成計画というモノを立案したという訳です」


 —— 嫌疑って……。僕は犯罪者かよ……。


 竜也は心の中で、盛大に溜め息を吐く。この情報は聞きたくなかった。望まれて召喚された訳では無い事に心をえぐられる。


「ロベリアさんって本物の脳筋だったんだね……」


 せめてもの仕返しとばかりに、しみじみと呟いてやる。


「ところでロベリアさんの体力って、いくらあるの?」

「それは教えられません」


 ロベリアは、顔を赤くして外方そっぽを向く。


 竜也は怪訝けげんそうに、そんなロベリアの顔を覗き込む。


「次に行きます」


 ロベリアは、無理やり話を進める。


「体力の次に表示されているのが『精神力』です。厳密には違いますが魔力と称する事もあります。魔法を使うには、この精神力を膨大に必要とします。また何か行動を起こす時にも使われます」


 竜也は、仕方なしに要点を用紙に書きつづる。


「この数値が0になるとどうなるの?」

「0になる前に気絶します。0になれば体力同様、死ぬ事になります」


 竜也は微かに身震いをする。RPGロールプレイングゲームでは当たり前の事でも、これが現実に自分の身体に起こる現象の一つと考えると寒気を覚える。誰しも死にたくはないだろう。痛い目を見るのも、しんどい事をするのもだ。


 逃げ出したい気持ちになるが、まわりがそうはさせてくれないだろう。周囲に大きな壁が立ちはだかっているような気分だ。しかもその壁をよじ登って逃げようとすると、容赦なく尻に火を付けられるのだ。

 そして決められたコースをひた走らされる。そこに設置されたハードルは、まだ見ぬ未知の障害物だ。恐怖で足がすくむが、立ち止まっても容赦なく尻に火を付けられるのだろう。


 そのような状況に心を沈ませていくが、しんみりと黄昏れている暇はない。


「僕の2559って数字は高いの?」


 ロベリアは一瞬、言葉を詰まらせる。


「精神力は人種によって数値は大きく変わります」


 そう言いつつ立ち上がり、ホワイトボードに向かうと大きく一つの円を描いた。


「この円がレストーラ大陸だとします……」


 日本列島の島々を、すべて円で書いたほど乱暴な地図だ。本州まで楕円じゃなく円で書いちゃった的な地図に、竜也は心の中で盛大にずっこけた。呪われた腕時計で見た限り、測量技術はかなり進んでいて、精密な等高線まで見て取れたのに非常にお粗末な絵だった。


 ロベリアは期待を裏切らずに、その円に直線で×印を書いた。ホワイトボードに書くなら、もう少し細かくかけそうなのだが、ロベリアはお構いなしだ。


「タツヤ殿は、この大陸にある四大強国をご存知ですか?」

「コスタクルタ王国、ウリシュラ帝国、アルガラン共和国、オセリア連邦……」


 ロベリアは、大きく頷く。


「各国が、この地図のどの位置にあるかはご存知ですか?」

「向かって左にコスタクルタ王国、上がウリシュラ帝国、右がオセリア連邦、下がアルガラン共和国」


 ロベリアは、ホワイトボードに国名を書きつづる。


 —— フラクトゥールのような文字で書かれても、読めないよ……。


 竜也は心の中で突っ込みを入れる。ロベリアは、お構いなしに説明を続ける。


「国によって性格もパラメーターもかなり違います。ウリシュラ帝国は、およそ武人の国です。全員が浅黒い肌と筋肉質な骨格を持ち、魔法を使う者が四強国中一番少なく、魔力も多い者で2500程度と少ないです」

「じゃあ僕はウリシュラ帝国人タイプ?」


 ロベリアは、ジロリと竜也を睨め付ける。


「ウリシュラ帝国人の平民の体力は平均で8000はあります」


 竜也は首をすくめる。


「やっぱり僕は、勇者の器じゃないよ」

「先ほども申しましたが、タツヤ殿には勇者の素質があります」

「嫌疑が掛けられてるんだよね……」

「特殊能力については、現在調査中です」

「僕の行動一つ一つを、モニタリングしてるんだよね……」


 ロベリアはホワイトボードに向かうと、オセリア連邦と書かれているであろう場所をマーカーで盛大につついた。


 竜也は首を竦める。グチグチと文句を言い過ぎたのかもしれない。恐る恐るロベリアを上目使いに見上げる。


「次にオセリア連邦の人種的特徴は……」


 ロベリアは、まったくの無表情でいつもの様子で話を続ける。


 竜也は盛大にずっこけた。リアクション芸人も真っ青になるほどの勢いで椅子からずり落ちる。しかし、ロベリアは構わず続ける。


「ウリシュラ帝国とは真逆に、ほとんどの人間が魔法使いです。国民の半数がエルフという長耳長寿族というのも特徴です。軍事力はウリシュラ帝国にかなわないのですが、真面まともに戦ったら一番怖い国だと言われています」


 竜也は起き上がり、椅子に座り直す。この行動もロベリアは、完全にスルーしてみせた。もう竜也は、何も言わなかった。何を言っても無駄だという事が分かったからだ。


 ロベリアは、更に続ける。


「次はアルガラン共和国ですが、ウリシュラ帝国とオセリア連邦の、ちょうど中間的存在となります。戦士系の兵と魔法使い系の兵がバランスよく配備されていて、攻守共々侮りがたい国です」


 竜也はいったい何の話から、この話になったのかを思い出そうとしていた。ステータス画面の説明をしていた筈だ。そのあと魔力の話になり、そこからどうしてこの話になっのか考えを巡らせる。


「最後に我が国の軍事的特徴は、お分かりですか?」


 そういわれても、この学校から出た事すらない竜也には、皆目見当が付かない。


「全然わかりません」


 竜也は、肩をすくめながら正直に答える。


「この学校の教育方針でもあるのですが、魔法学院の生徒でも剣を教わりますし、騎士学校の生徒でも魔法を教わります。前衛より、後衛よりの差はありますが、我が国の兵は全員が魔法戦士なのです」


 竜也は、適当に頷いた。


「それは分かりましたが、なぜステータス画面の説明から、このような話になったんです?」


 ロベリアは、しばし無表情で押し黙る。どうやら思案している様だった。竜也はどうにも締まらない空気に溜め息を吐く。


「人種別魔力の在り方を説明しようとして、ついでに近隣諸国の地図的位置と軍事的特徴を説明していて、それで……精神力は人それぞれだと説明しようとしていたのです」


 やはり自分で何を言っていたのか、訳が分からなくなっていた様だった。


「次に行きます」


 ロベリアは、何事も無かったかのように次に進める。竜也は、またしても盛大に椅子から滑り落ちた。


「次は魔法語になります。『STR』とは strengthストレングスの略で『腕力』『力強さ』という意味合いの魔法語になります」

「英語だよね?」


 椅子に座り直すと、ホワイトボードに書きつづられたスペルを見て取る。Strengthの文字は英字に見えなくもない。


「魔法語です」


 ロベリアは、いつもの無表情で端的に答える。


「次の『VIT』ですが……」

「バイタリティーの略、英字のスペルは……」


 竜也は椅子から立ち上がり、ホワイトボードの前まで歩み寄ると、スペルをスラスラと書きつづる。


「これで合ってる?」


 自慢げにロベリアに視線を向ける。


「もうちょっと、こう……滑らかに……」


 ロベリアは、竜也の文字を微妙に修正する。

 レストーラ大陸の図を真ん丸に描き、あまつさえ国境を直線で×印と書きつづったロベリアに文字を微妙に修正され、竜也は眉をひそめる。


「タツヤ殿は、魔法文字を読み書きできるのですか?」


 そして、今ようやく気付いたかのように眼を見開いて驚く。


「微妙に書体が違うけど、英語なら普通程度には……」


 その普通の概念が、此方こちらの世界で通用するかは分からないが、とりあえず知っている英字を書きつづっていく。

 その中で『CHRカリスマ』の英字だけスペルが分からなかった。ロベリアに聞くとスペルを書いてくれる。

 Charisma「—— と書いてカリスマと呼びます。『魅力』という意味合いを持ちます」


 竜也はスペルを指先でなぞる。


「これは英語では無いような……。ギリシャ語だっけ……。ドイツ語だっけ……」


 英語の授業や雑学で得た知識を、必死に思い返しながら呟く。


「いいえ、魔法語です」


 ロベリアの無表情の呟きに、さすがの竜也もイラッと来て彼女を睨み付ける。


 ロベリアは、竜也の視線を気にする風でもなく、彼の書いた英字紛いの魔法語の横に整然と意味を書きつづっていく。


 —— だから標準語の方が読めないって……。


 竜也は心の中で嘆息する。


「次に行きます」


 ロベリアは、相変わらずマイペースに続けていく。


「次に書かれているのが、『技能』です。そういえばタツヤ殿は一週間前に新たな技能を習得しておられます」


 竜也のふぬけていた顔が驚きの表情になり、それからぱっと明るくなった。


「え? どんな技能?」


 期待に満ちた竜也の顔をロベリアは、いつもの無表情よりほんの少しだけ胡乱うろんな表情で見つめ返す。


「おっぱい鑑定 三級」


 この言葉には、さすがの竜也も固まってしまった。意味が分からないというより、意味を聞き返すというように、小首を傾げてロベリアの顔を見つめる。


 二人は少々間抜けな雰囲気で見つめ合う。


「それで……。その『おっぱい鑑定』とは、どんなモノなの?」

「女性の胸を見ただけで、誰のおっぱいか識別できるらしいです」

「その技能に意味はあるの?」

「私が聞きたいです」


 二人は間抜けな様子で、しばらく見つめ合っていたが、どちらからともなく気まずそうに視線を逸らす。


 竜也は落胆の溜め息を吐いた。そんなもの男なら誰でも持っていると、おちゃらけて言う気にもなれなかった。これこそ隠し能力とかにして、わざわざ表示しなくて良いような技能だ。


「次に行きます」


 ロベリアはマイペースを崩さない。この時ばかりはロベリアの性格に救われたような気分になり、竜也は苦笑いを漏らした。


「次に書かれているのが『特殊能力』です。使い魔の主人マスターが使い魔に一番期待するのが、この特殊能力です」

「僕は、この能力が無いんだよね……」


 竜也はしみじみと答える。エレーナの落胆ぶりは相当なものだった。最初の頃は、その件で殺気立っていた程だ。


「この能力を身に付ける術はないの?」


 ロベリアは小首を傾げる。


「前例が無いので何とも言えません。ですが、今まで特殊能力が無い使い魔は居ないのですからタツヤ殿には、いまだ自覚していない隠し能力があるのかもしれません」


 人間を召喚すること自体が、前例のない出来事なのだから何とも言いがたいのだろう。隠し能力を見つけるなり習得するなりして、エレーナを少しでも助けてやらねばならない。


「以上が基本のステータス画面の説明です。しかし、これは通常の人は見る事は出来ないモノだという事を覚えておいて下さい」

「どうして?」


 竜也は怪訝けげんそうに質問する。


「この『将軍ジェネラル』という技能スキルは王家の者以外には、めったに表れないモノなのです。恐らくコスタクルタ王国で、この技能を持っている者は私一人だと思われます。そして、この技能を持っていた代々のお歴々同様、私もこの技能の事を秘密に致しますし、滅多な事では使用しません」

「秘密にしないといけないような理由でもあるの?」

「本来は大規模戦闘で味方の攻撃力、守備力、配置、バランス等を量る事に使われていましたが、個人情報侵害と取られる方が居たのです。たしかに自国の国民の一人一人の詳細まで詳しく把握できる技能なので不快に取られる方が多いのです。

 この能力を持っている事を知られた、ある先祖が策略にはまおとしめられた事があり、それからこの技能保持者は能力を隠す事になったのです」

「なるほど……。プライバシーを覗かれるのは、あまり良い気がしないからね……」


 竜也は、腕時計にチラリと視線を送る。そしてロベリアに見せ付けるように、腕時計を目前にかざす。


「勇者にプライバシーはありません」

「人を芸能人みたいに言わないでよ。それに僕は戦士だよ。—— ってか、勇者にプライバシーはありませんって、それいま思い付きで言ったよね? 戦士という職業が勇者の卵ってのも思い付きで言ってたよね?」


 ロベリアは、何気ない風を装って視線を明後日の方向へ泳がせた。


「次に行きます」


 ロベリアは誤魔化すために、ホワイトボードに向かい竜也の胡乱うろんな視線を避ける。

 竜也は、ヤレヤレというように盛大に溜め息を吐いていた。

     

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