022

 ――3日後。

 旧行政府ビル副大統領執務室。

「皮肉なものだな。そうは思わないか? ドクター・モフェット」ダグラス・ハウザー副大統領は愉しげに言う。「まさか彼女まで脳死になってしまうとは」

「彼女ではありません副大統領。彼は男です」

「おっと、そうだったな」

「あんなムチャをすれば、必然の結果ですよ。血圧を急上昇させるような薬物を濫用して、激しい運動をするなんて。脳の血管が破れて、くも膜下出血を起こしてもムリはないでしょう。“かくして因果はめぐりめぐってわが身にもだ。”」

 ウィリー・ヒューズも、そこまで負荷が大きくなるとは思わなかったのだろう。あそこまでムチャな使い方をすること自体、初めてだったのではないか。なにせ普通なら一瞬で勝負がつく。ヘスターのような存在は完全に想定外に違いない。

「CIAの報告によれば、ウィリー・ヒューズは元イギリスの情報部員だそうだ。それも、最重要機密にあたるような汚れ仕事をやらされていたとか。もしその情報を入手できれば、優位な立場で外交を行える。ケイス捜査官、きみの超能力で何とか彼の記憶を抜き出せないものかね?」

「あいにくですが、本体を失った今のおれに、幽体離脱ジャックアウトは使えません。他者に憑依するどころか、ヘスターの肉体から出ることさえ叶わない。もっとも、たとえ能力が使えたところで、脳死状態の肉体と感覚共有シムステイムするのはリスクが大きすぎる。最悪、情報を得るどころか、無事に帰還することも難しい」

「やはり、別の精神感応能力者を用意しなければならないか。となると、ウィリー・ヒューズのカラダがいつまでもつかが当面の問題だな」

「ご心配には及びませんわ。脳死患者は普通、延命処置を施しても数日程度で死に至ると言われています――が、交通事故などで脳以外の内臓も損傷している場合と違い、ウィリー・ヒューズのようにピンポイントで脳へダメージを受けた場合は、全身の状態が良好なので、はるかに長生きすることも少なくありません。そういったケースは長期脳死と呼ばれています。年齢にも左右されますが、最長で20年近く生存しつづけた例も確認されているとか。その患者は脳死になった当時まだ少年でしたが、カラダが成長して大人になったという話です」

「なるほど。それを聞いて安心した」

「……ですが、肝心の大統領暗殺を指示した黒幕については、結局わからずじまいです。ウィリー・ヒューズはフォーマイルを介して依頼を受けており、雇い主の顔も名前も知らなかったようです。もう少し念入りに記憶を探ったとしても、新たな事実が判明する可能性は低いかと」

 フォーマイルの焼死体は、ラファイエット川で発見されている。きっとリンダのしわざに違いない。それから、タイニー・ウッドマンを殺害した狙撃手の身元も判明した。リザ・B・ジェフリーズ、職業はフリーカメラマンだが、元は海兵隊に所属していて、フォーマイルの部下だった。彼と同じく不名誉除隊になっている。彼女もヘリとともに焼け死んでしまった。

 副大統領は思案げに、「私が思うに、フォーマイル自身が黒幕という線が濃厚ではないのか。ヤツには大統領を狙う充分な動機もある」

「確かにその可能性は考えました。一見、筋は通っているように思えますが――残念ながらそれはありえません。フォーマイルには、ウィリー・ヒューズを雇えるほどの金がない。むしろ金に困っていた。それはジェフリーズも同じく。だいたい、彼には瞬間移動ジョウントという都合のいい力がある。それを使って、自分で暗殺すればいい。復讐という動機から鑑みても、誰かを雇って殺させようというのは明らかに不自然きわまりない。ジェフリーズの場合も条件は同じです」

「だが黒幕が別に存在するとしても、それはそれで不自然というか、奇妙な違和感がある。ウィリー・ヒューズも、フォーマイルも、ジェフリーズも、単独で大統領暗殺を充分遂行しうる人材だったわけだろう。それをわざわざ3人も雇う必要性がどこにある」

「3面作戦だったと考えるしかないでしょうね。黒幕はよほど確実に、大統領を亡き者にしたかったのではないかと。本来は3人それぞれが独自に動き、誰が失敗しても残りの誰かが成功する――そういう思惑だったとすれば納得できます。しかし想定外のことにうろたえて、事態の収拾に手駒を集めてしまった。結果裏目に出て、全滅してしまうという大失態を演じてしまったわけです」

「つまり、黒幕が冷静でなかったおかげで、われわれが勝てたのはたまたま、運がよかったということか……。いや、神の采配とでも考えておこう」

「ですが副大統領、あまりに不自然すぎると思いませんか」

「何がだね?」

「黒幕にとっての不測の事態、それは当然タイニー・ウッドマンが幽体離脱を使って、ウィリー・ヒューズから記憶を抜き出されることだったのは、まず疑いようがありません。しかし実際には、ウィリー・ヒューズから奪われて困る情報なんてなかったはず。彼は黒幕の正体も、自分のほかに暗殺者が2人もいたことを知らなかった」

「だが、仲介役としてフォーマイルの存在を知ってはいただろう」

「それはなるべく知られたくないことに違いないでしょうが、これだけでは動く要素として弱いですね。せめてもうひとつ何かあれば別ですが」

「いえ、なくはないんですよ。口封じしなければならない理由が。真のターゲットが副大統領ではなく、大統領だったということ。実際、それを知られたせいで暗殺を阻止されてしまったわけですし」

「そう言うわりに、納得していない口ぶりだが」

「いえね、ではそもそもなぜシークレットサービスが、暗殺のターゲットをカンチガイしていたのかと言えば……」

「私の予知能力トータルリコールのせいだな。否定はしない」

 副大統領の能力では性質上、未来を通して好きなように知ることはできない。あくまで断片的なものだ。ゆえに、副大統領が暗殺される未来の陰で、大統領もまた暗殺されるとしても不思議ではない。そのことで副大統領を責めるべきではないだろう。

「けれど、ひとつ疑問が残ります。なぜウィリー・ヒューズは、未来で副大統領を暗殺しなければならなかったのか。少なくともおれが読み取った記憶に、副大統領の暗殺依頼はありませんでした」

「私の予知が外れたということか。予知できる機会が少ない分、精度には自信があったのだが……」

「そんなに予知が外れたことが信じられませんか?」

「君は驚くかもしれないがね、ドクター・モフェット。私は予知で君と会っているのだよ。このあと私はウィリー・ヒューズに殺されるはずだった」

「あら、そうなんですか」

「どんな話をしたかまでは憶えていないがね。あの美女はいったい誰だろうと不思議だったんだ。面会中に記憶が途切れて、場面が切り替わって私は殺されたのだが、あの場に君の死体はなかったな。まァ今となっては予知が正しかったかどうかはわからんよ。あるいは、未来に何か想像もつかない経緯があって、あの結果にたどりついたのかもしれん。私が言うのも何だが、未来がどうなるかなど誰にもわからんよ」

「そう考えるのが無難でしょうね。……しかし、しかしですよ副大統領」おれは覚悟を決めて、その先を口にする。「もしもあの予知が、あなたの真っ赤な嘘だったとすれば?」

「――いきなり何を言い出す」

「これはおれの単なる推測ですが、あの予知が嘘だとすれば、多くのことで辻褄が合う。副大統領が狙われているとなれば、当然シークレットサービスの警備は副大統領に重点が置かれ、大統領のほうは少なからず手薄になる。副大統領、あなたは軍事面の政策方針で、ウォルター・カーツ大統領と対立していますよね。大統領は軍縮を唱えて、中東への派兵も終了させようとしていますが、あなたはまったく正反対、軍備拡張したがっている」

「当然だ。世界情勢はますます混沌としてきている。軍縮などありえない」

「ゆえに、あなたにとって大統領は邪魔だった。副大統領になるために利用しただけ。あとは大統領を亡き者にすれば、暫定措置であなたが大統領の座に就ける。ウィリー・ヒューズはトレードマークである純金製の弾丸を、1発も所持していませんでした。彼は今回の依頼に、自分の犯行を主張するつもりがなかった。おそらく雇い主の意向でしょう。おおかた、イスラム過激派テロリストのしわざに見せかけるつもりだったのではないかと。そうして国民のテロリストへの憎悪を強め、戦意高揚する。大統領の地位だけではなく、世論の支持も得られて、まさに一石二鳥だ」

「なかなかおもしろい推理だ。ケイス捜査官」ダグラス・ハウザーは笑い飛ばした。「シークレットサービスなどより、ミステリー作家のほうが向いているのではないかね?」

「ありがとうございます」

「……だが、君自身が最初に告げたとおり、それは単なる推測――いや、妄想の域すら出ていないな。何ひとつ証拠のない戯言だ。そもそも、私がわざわざ嘘の予知をする意味がない。あの予知がなければ、そもそもウィリー・ヒューズという殺し屋の存在に気づくこともなく、完全に不意討ちで暗殺は実行されていたのではないかね。私の予知は、むしろ暗殺の成功率を下げてしまったとしか考えられない」

「おっしゃるとおりですわ。ケイスの戯言はお気になさらないでくださいね。お詫びに今度は、わたしの推理をお聞かせします。おそらく、副大統領が自分の殺される未来を予知したというのは、事実でしょう」

「そうとも。この私に嘘をつく理由などない」

「ええ。嘘ではないからこそ、あなたは戸惑い面食らった。どうして大統領暗殺を依頼したはずの殺し屋が、この自分を殺しに来るのか?」

 いつも通り人を食ったような微笑みで、ヘスターもまた副大統領が暗殺の黒幕であるとアッサリ告げた。

「おかしい。何が何だかわからないけれど、ひとまずわが身を守ることが優先。しかたなくあなたは、予知のことをシークレットサービスに知らせることにした」

「筋は通っているな。しかしそれも結局はケイス捜査官の推理と同じで、しょせん証拠のない妄想だ。だいたい、肝心のことが不明のままだ」

「肝心のこと?」

「決まっているだろう? なぜウィリー・ヒューズが私を狙ったのか」

「ウィリー・ヒューズは、あなたを狙ってなんかいませんよ」

「なら、やはり私の予知が間違いだったと?」

「いえ。あなたの予知は確実なのでしょう。そこは自信を持っていただいてかまいません。……ですが、よく思い出してください。あなたが予知した未来では、本当にウィリー・ヒューズに殺されたのですか?」

「なに――?」いぶかしげにしていたハウザーの表情が、徐々に驚きに染まっていく。

「あなたの予知がシークレットサービスに伝えた言葉通りなら、あなたが見たのは、ウィリー・ヒューズに殺される未来ではありません。あなたが見たのはあくまで、黄金銃を持ち、光学迷彩に身を隠した暗殺者です」

 そう言うや、ヘスターは自分のカバンから取り出した黄金銃をかまえ、光学迷彩をかぶった。「ほら、こんなふうに」

 今日は5月14日、月曜日。

 現在時刻は――

 ハウザーも、これがどういう状況か理解したらしい。目に見えてうろたえているのがわかる。「待て。何を考えている」

「何? 何をですって? そうねえ――正直、銃を使うのは趣味じゃアないのだけれど、まァたまにはそういうのも悪くないかなァ、と」

「ふざけるな。自分が何をしようとしているのか、本当にわかっているのか? 私はアメリカ合衆国の副大統領だぞ」

「だからこそよ副大統領。なにしろ、そうそう手に入るチャンスのない獲物だもの。それに地位を抜きにしても、わたしは以前からあなたに、とてもとても興味があったの。ダグラス・ハウザー。あなたの鍛え抜かれたカラダは、歯ごたえがあって――美味しそう」

 舌なめずりする。だらだらとよだれがこぼれる。〈人食いカニバル〉としての本性を剥き出しにして、ヘスター・モフェットは笑う。クリスマスのご馳走を前にした少女のように。

「天にまします父よ、糧を与えてくださり感謝します。アーメン」

 ――時刻は、午前10時28分。

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