008

 興奮して暴れ出したおれは、男たちに取り押さえられてムリやり鎮静剤を打たれ、眠らされた。

 そして次に目が覚めると、ベッドの脇に見知らぬ――記憶喪失だから当然だ――女が座っていた。

 女は自分で持ってきた差し入れのドーナツを食べながら、「はじめまして。アタシはクラリス・リンダ・モンターグ捜査官よ。親しいヤツはリンダって呼ぶ」

「捜査官? まさかFBIか」

「いんや、違う違う。シークレットサービスだよ」

「シークレットサービス? 大統領のボディガードが、おれに何の用だ?」

「チョット、マジで何も憶えてないの? こりゃアまいったわ……」

「疑わないのか。記憶喪失なんて荒唐無稽な話を。おれがデタラメ言ってるかもしれないのに」

「まァ記憶喪失のフリだなんて、そんな意味のないことをするとは思えないし。ケイスに思考を読まれたら、イッパツでバレるんだから」

「はぁ? なに言ってんだおまえ?」

 リンダは心底うんざりした様子で、「嘘でしょ……もしかしてそっから説明しなきゃいけないわけ……まァいいや。論より証拠ってね」

 そう言って、懐から黄色のアメリカンスピリットを取り出して咥えると、その先っぽに、突然火が点いた。ライターも使ってないのに。

 紫煙を深く吸い込んで吐き出す。「言っとくけど、手品じゃないからね。アタシらは超能力者なの」

 得意げに告げるリンダに、タバコの煙を探知したスプリンクラーから、冷たいシャワーが降りそそいだ。


 超能力なんてバカみたいな話だが、不思議とすんなり納得できた。記憶喪失とはいえ、知識までなくなったわけじゃない。ようするにおれは超能力の実在を知っていた。ビートルズのメンバーを知っているのと同じように。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター――あと1人誰だっけ?

「つまり、アンタはこう言いたいわけね? 記憶喪失で何も憶えてないけど、自分が男なことだけはわかる。だからそのカラダは自分のカラダじゃない」

 あらためてザックリまとめられると、とても正気とは思えない物言いだ。われながら理解に苦しむ。もしかしたら頭を打ったせいかもしれない。

 しかし、話を聞いたリンダはそう思っていないようだった。「まさか……いや、でも……そんなことが……」

「なんだよ? 言いたいことがあるんだったら、ハッキリ言えよ。もしかして、何か心当たりでもあるのか?」

「……さっきも言った通り、アンタは反動ですっ飛んだピストルが頭にぶち当たって、気絶したわけだけど……ちょうどそのとき、アタシの相棒であるヘンリー・ケイスが、そのカラダに憑 依ジャックインしてたの」

「憑依?」

「それがあいつの能力。肉体から精神を離 脱ジャックアウトさせて、他人の肉体に潜り込むことができる。あのときは疑似透視アナザーマン・アイで壁の向こうから発砲しようとしてたアンタを、何とか食い止めようとしてた」

 透視だって? おお、このカラダは透視能力が使えるのか。もしかして今も?

 自覚してみれば、あとはカンタンだった。意識すると左右の視界がズレたので、左目を閉じてみる。すると目の前に、全裸のリンダが現れた。浮き出た肋骨のラインがイイカンジだ。

「……チョット、何見てるの?」

「いや、別に何も」

「……それで、ケイスの能力は便利な反面、リスクが大きいものだった。発動中、残してきた自分の肉体は呼吸がいっさいできなくなるし、感覚共有シムステイムは強制的だから、相手の苦痛とかも全部感じるハメになる。一番厄介なのは、意識の有無まで感覚共有されることだね。憑依している最中に宿主が眠ってしまった場合、ケイスもそれに巻き込まれちゃうの。そしたら次に目が覚めるまで憑依先から脱出できない」

「だったら、憑依中に宿主が死んだら死ぬってわけか」

「もちろん実際試したことはなかったけど、そうなっただろうね。だからケイスはそういう事態をかなり用心してた」

「だが今回は運の悪いことに、なかに入ったまま気絶しちまったと」

 リンダが何を言おうとしているのか、おおよそ察しがついてきた。

 ヘンリー・ケイスの精神を宿したまま、ウィリー・ヒューズの肉体は意識を失った。ということは、少なくともこの肉体が目覚める瞬間までは、ケイスはこのなかにいたはずなのだ。

「で、ケイスは自分の肉体に戻ったのか?」

 その問いにリンダは答えない。つまりそれが答えだ。

「だったら、このおれはヘンリー・ケイスなのか」

 そう考えれば、何もかも辻褄が合う。女の肉体に、男の精神。この肉体に対するとてつもない拒絶感――。チャント理由があったのだ。

「……確かに、アンタの言動はアタシの知るケイスによく似てる気がするし、状況から見てもその可能性は高いね。アタシ自身、そうであってほしい」

「だろう?」

 ……だが待てよ。そうなると、この肉体本来の精神、ウィリー・ヒューズとかいう女の精神はどへ行った?

「おれの能力だと、憑依されたヤツは精神を押さえ込まれて、肉体の制御を完全に奪い取られるのか?」

「ううん、そんなことないはず。抵抗されても追い出されないってだけで、肉体の主導権はあくまで相手にあったってハナシ。そうじゃなかったら、今回みたいなことにはなってない」

「となると、やっぱりウィリー・ヒューズの精神はこのカラダにいない……」

 おれのせいで押さえ込まれているわけじゃないとしても、別の理由で精神が眠りについている可能性もなくはないか? だが少なくとも、おれはこのカラダのなかに、もうひとり誰かの存在を感じてはいない。

 だったら、彼女はどこへ行ったというのか。そのへんを漂っているのか、天へ召されたか。あるいは――

「ひょっとしたら、入れ替わりでおれの肉体に憑依してるとか?」

「エッ? いや、それは……」

「ああ、よく考えてみたら、それだと向こうはとっくに目覚めてるだろうから、すぐわかったはずだよな。このカラダと違って、別に頭を打ってはいないだろ」

 だいたい、単に押し出しただけならともかく、追い出された精神が、そこにあった空の肉体に、都合よく収まれるものだろうか? そもそもおれと違って、この女は幽体離脱が使えたわけじゃないし。

「アレ? そういやおれ、今の状態で幽体離脱ジャックアウトできるのか?」

 あわてて試してみるが、さっきの疑似透視アナザーマン・アイとは違って、これがまったく思うようにいかない。おかしいな? どうなってんだチキショウ。

「なるほどね。そういうことかァ」

「あァ?」

「超能力っていうのは、だいたいが肉体に依存するからね。失明すれば透視能力も失う、とかさ」

「でも、おれの場合は肉体を脱け出す能力なんだぜ?」

「そう、そこが盲点だったんだよ。アタシもすっかりカンチガイしてたけど、実際には肉体も少なからず発動に関与してたんじゃないかな。不測の事態で本体とのリンクが切れちゃったから、能力を使えなくなったのかも」

「おいおい! それじゃアもとのカラダに戻れないじゃないか!」

 冗談じゃない。一生、女のカラダのまま過ごせっていうのか。女になれっていうのか。最悪だ。おれの人生終わった……。

 ……いや、待て。あきらめるのはまだ早いぞ。

「ウィリー・ヒューズがおれのカラダに入って、好き勝手動きまわってるわけじゃないんだよな? そうだったらわざわざおれにアレコレ聞くまでもなく、事情に気づいてたはずだもんな」

 もし彼女がおれのカラダを使っていれば、幽体離脱も使えるはずだから、入れ替わったときと同じ状況をくり返せば戻れただろう。残念だ。

 しかし、まだ希望はある。

「ってことは、だ。おれのカラダは今も抜け殻のまま、眠り姫よろしく眠ってるってことだろ」

「…………」

 だったら何とかして戻る方法を探さなければ。思いついた方法はすべて試してやる。例えばそうだな……それこそ眠り姫みたいに、キスでもしてみるか? いや、でも、いくら自分相手だからって、男にキスとか気色悪いしなァ……うーん……。

「……ケイス……ねえ、ケイス……あのさァ」

「なんだよ。おれは今、大事な考え事の最中で――」

「アタシ、言ったよね。ケイスは超能力の発動中、抜け殻になった本体は呼吸できなくなるって。――あれからどのくらい経ったと思ってるの?」

「エッ? ――あ、ああっ!」

 おれはバカだ。大バカ野郎だ。チクショウシット! なんでそんなカンタンなことに気がつかなかった? 少し考えればすぐわかることだったってのに。

「つまり、おれのカラダはもう――」

「死んでない!」リンダは突然声を荒げて、「ケイスは――アンタは死んでなんかいない。そうカンタンにくたばるヤツじゃない。実際アンタは、その女のカラダでしぶとく生き延びてる。なら肉体のほうだって、きっと――」

「何なんだ? おれの肉体はいったいどうなっちまったんだ」

「……能力を発動したまま戻れなくなって、アンタの肉体は呼吸ができずに長時間経過した。言ってみれば、潜水ダイブ中に浮き上がれなくなって溺れたのと同じ」

 そんな状態でまだ生きてるっていうのか? 信じられない。それが本当だとしたら、とんだ不死身ダイハードだ。

「そうだね。死に損ないダイハードっていうのが一番しっくりくるかも。今のアンタの状態を表現するには」

 リンダは言葉を一瞬詰まらせながらも、告げた。「ヘンリー・ケイス。アンタは今、脳死状態だ」

「脳、死?」

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