019
発見が遅れるよう、リンダとウィンストニアの死体を隠し――何なら〈
暗殺を遂行する予定の期日まで時間がない。まずは足の確保だ。リンダの死体をまさぐり、車のキーを手に入れる。彼女の愛車――フォード・ファルコンのキーだ。やっぱり車はフォードにかぎる。アメリカという国は好きになれないが、フォード車だけは認めている。
北北西に進路を取れ。まずはワシントンDCへ戻る。行き先はシークレットサービスの本部。証拠品保管室へ行って、商売道具を取り戻さなければ。
ウィリー・ヒューズとしての仕事を果たすために。
まだおれは救出されていないことになっている。敵だともバレていないはずだから、それを利用するのも手ではあるが、リスクは可能なかぎりヘッジする主義だ。
前回あそこへ行った際、警備員と監視カメラの位置は把握済み。あえて注意識していなくとも、自然に記憶するようカラダに染みついている。
こちらの目論んだとおり、拍子抜けするほどではあったが、無事に
行きは良いなら帰りも良い良い。たとえ酔いがまわっていたとしても朝飯前だ。
ところが、物事はいつまでもそう都合よく進まないものだった。
シークレットサービス本部からの脱出は上手くいった。だが運の悪いことに、近くに止めておいた車が、ちょうど駐車禁止の取り締まりを受けていた。しかもそのことに気づくのが遅れて、警官に悟られてしまった。
おれのバカ! なんだってよりによって駐車禁止の場所に、車を停めてしまったのか。リンダのフォード・ファルコンは目立つので、本部の駐車場ではなく、少し離れた路上に駐車したのがアダになった。しかしそれにしても、もっとチャント確認すべきだった。大仕事を前に、少なからず浮き足立っていたってことか……。
警官が歩み寄ってくる。「チョット、このイカした車。オネーサンのだよね? 本官、さっきキミがこの車から降りるの見ていたんだよ」
「人違いじゃないですかね」
「いいや、間違いない。こう見えて記憶力には自信があるんだ。ましてや、オネーサンみたいな美女を見間違えるわけがないって。うんうん」
誰が美女だ。ぶっ殺すぞ。
なんて言うわけにもいかず、苦笑いを浮かべながら、何とか誤魔化す手立てを考える。考えろ。考えるんだ。
――そうだ。あわてることなんてない。免許証を見せて、わずかな罰金を払えばそれで済む話だった。気がついてみれば、数秒前の自分がバカバカしい。
「しっかし、とぼけるなんて怪しいなァ。……もしかして、何かやましいことでもあるんじゃアないの?」
「ヤだなァおまわりさん。そんなわけないじゃないですかァ」
「だったら、そのアタッシュケースのなか、見せてくれる?」
「……エッ?」
「ヤマシイことがなかったら、見せられるはずだよね」
まずい。このなかには黄金銃やら何やらヤバイものが――「このなかには下着やら何やら恥ずかしいものが……」
「大丈夫。気にしないから。本官はゲイだから」
嘘つけ。絶対下着見たくて都合のいいこと抜かしてるだろ。いや、仮に真実だとしても、見せるわけにはいかない。護身用に持つには明らかに過剰な銃が出てきたら、事態がよけいややこしくなる。
どうする? どうする――。
「どうしたの? 早く開けてごらんよ」
さりげなく周囲を確認する。人目はない。誰に目撃される心配もない。
「……わかりました」おれはアタッシュケースをボンネットの上へ置く。「ただこのケース、チョット調子が悪くて。開けるのにかなり力がいるんですよ。だから、おまわりさんが代わりに開けてくれませんか。開け方自体は難しくないので」
「いいよ。こう見えて力には自信がある」
下心まる出しの警官はまったく疑うこともなく、アタッシュケースを開こうとした。――途端、その顔面めがけて催涙ガスが噴き出す。「グワーッ!」
たまらずうしろへのけぞったところを、脚を引っかけて転ばせ、地面に後頭部を叩きつける。念には念を入れ、トドメに全体重を乗せたひざで首の骨を折った。ミスター
再度周囲を確認する。目撃者はいない。死体を担ぎ上げて、手早く車のトランクへ押し込む。あとで車ごと捨てればいい。死体とドライブなんてロマンのカケラもないが、背に腹は代えられない。今は時間がないのだ。
運転席に乗り込み、アクセル全開。トップスピードで目的地を目指す。
ホワイトハウスと旧行政府ビルを通り越して、ワシントンDCを出た。ルート50に乗って、まっすぐ東へ。ひたすら東へ――。
そうして1時間かからないうちに、メリーランド州アナポリスに――
今日は金曜日、恒例行事である海兵隊新兵の卒業式が行われている。どうやらすでにセレモニーは始まっているようだ。
ホワイトハウスの警備は非常に厳重だ。やってやれないことはないだろうが、リスクが大きすぎる。首尾よく仕留められたとしても、脱出が上手くいくかどうか。やはり狙うなら出先にかぎるだろう。ケネディ大統領がパレードの最中に殺されたように。シークレットサービスがどれだけ努力しようと、警備レベルはホワイトハウスよりも落ちざるをえない。
ウォルター・カーツ大統領は、予定に余裕さえあれば、かならずこの卒業式に出席する。たびたび行っていれば、ルーチンワークとなって気が抜けやすくなるし、シークレットサービスのあいだではこの習慣に反感を抱いている者も少なくないという。そもそも海兵隊びいきの大統領があまり好かれていないとも言えるが。まァ自業自得だろう。
そして、おれにとって何より都合がイイことに、シークレットサービスの連中は、副大統領のほうが狙われているとカンチガイしている。ダグラス・ハウザーの
ひとつ解せないのは、副大統領まで始末する依頼など受けていないし、個人的にも殺す理由はないということだが……それはあとで考えるとしよう。どうせくだんの予知の日時まで、あと3日ある。とにかく今は大統領だ。さっさと済ませてしまおう。
卒業式会場の裏手にまわる。新兵の家族など観客が大勢いるし、普通なら人混みにまぎれてターゲットへ近づくものだが、
「待っていたわ、ウィル。思ったより遅かったのね」
そこにヘスター・モフェットが立っていた。
人を食ったような笑みを浮かべ、手には袋に入った棒のような物を携えて――中身はいったい何なのか――いや、そんなことはどうでもいい。
「なんでおまえがこんなところにいる」
「卒業式を見学しに来たの。あなたもそうではないのかしら」
「ふざけるな。マジメに答えろ」
「そうは言うけれど……あなた、わたしが大統領暗殺を阻止するために来たって言ったら、素直に信じる?」
「ありえない……」
「ほら、やっぱり」
だってありえないとしか言いようがない。シークレットサービスはターゲットが副大統領だとカンチガイしている。真のターゲットが大統領だと知っているのは、顔も名前も知らない依頼人と、その仲介役だったガリヴァー・フォーマイル、それとこのおれだけのはず。ましてやアナポリスで襲撃することも含めれば、なおさら。いったいどこから情報がもれた?
加えて、なぜシークレットサービスではなく、一般市民のヘスターがひとり、この場に現れたのか。ある意味、計画が露見したこと以上に不可解きわまりない。
「ああ、言っておくけれど、わたしは別に精神感応能力者というわけではないから。もっとも、あなたは記憶喪失だったし、フォーマイルとの接触も病室での一瞬だったから、どちらにせよ情報を引き出すのは難しかったでしょうね」
「だったらどうやって」
「――おれだよ」
おれは思わず困惑を顔に出してしまった。
突然、ヘスターが普段と違う声色で、まるで別人のようにそう告げたからだ。
「おれが教えたんだ」
「おまえは、何を、言っているんだ……」
「何だかんだで、こうしてチャント言葉を交わすのは初めてだな。となると、まずは自己紹介が必要か」
まるでほかの誰かがカラダに乗り移っているみたいな様子で、ヘスターはその名を口にする。
「おれは、ヘンリー・ケイスだ」
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