004

 シークレットサービス最強の超能力者は、異論の余地なくクラリス・リンダ・モンターグだ。

 けれども、シークレットサービスの捜査官として誰が最強なのかといえば、こちらも異論の余地なくメアリー・オブライエンがダントツだろう。

 彼女も一応超能力者ではあるのだが透視能力者テレスクリーンであり、ケイスと同じく戦闘力には直接結びつかない。しかし彼女の場合、それとは別に射撃と近接格闘のスペシャリストでもある。愛用のベレッタM92とMP5Kサブマシンガンを持たせたら、彼女に白兵戦で敵う男はいない。

 だが、死体安置所モルグで再会したメアリーには、そんな凛々しい面影はまったく残されていなかった。『マッドマックス』で焼死したグースの遺体は、片腕だけしかスクリーンに映らない。ああ、それで正解だったよ。おれだって出来ればこんなものは見たくなかった。しょせん捜査官といっても、FBIなんかと違って死体を見る機会はほとんどない。ましてやここまで損壊したものを見たのは、生まれて初めてだ。

「……先生、間違いないんですか?」

 検死官はハッキリうなずく。「歯型が記録と完全に一致した。メアリー・オブライエン氏本人だと保証しよう」

「そんな、メアリー――よりによってなんでこんなときにっ」

 リンダが涙をこらえきれず嗚咽をもらす。何より最悪なのは、大事な仲間が死んだっていうのに、悼んでいる余裕がないことだ。しかも別れに対する悲しみより、不都合なタイミングで戦力を失ったことへの怒りが大きいことに、われながら無性に腹が立ってしかたがない。

「……まさかシークレットサービスの血まみれブラッディメアリーが、火事で死ぬとはな。あっけないもんだ」

「だからアタシは、煙草なんかやめろって言ったんだ。何度も言ったのに、アイツったら聞く耳もたないから。メアリーのバカ。ビッチ。肺ガン予備軍」

 ふたりでメアリーの死体を散々罵倒していると、検死官が口をはさんできた。「悪いが夜も遅い。あまり大きな声を出さないでくれたまえ。ただでさえここは近隣住民からよく思われていないんだ」

「ああ、すみません」

「それと、死者の名誉のために言っておくが――彼女は間抜けな不注意のせいで死んだわけではない。殺されたのだ」

 その想定外の言葉に、おれたちは危うく呼吸を忘れた。

「殺された? 殺されたって、どういう意味です? 事前に聞いていた話では、火元は煙草の不始末だったと」

「確かに火事の原因はそれだ。しかし、断じて本人のうっかりのせいではない」

「つまり、事故ではなく放火だと? ですが、それはいったい何を根拠に――」

「遺体から、両目がえぐり取られていたとしたら?」

 ……なるほど。それなら確かに事故ではありえない。

「おそらく犯人はその事実をごまかすために、火事に見せかけたのだろう。しかし犯人にとって誤算だったのは、思いのほか火力が足りなかったことか。この程度の焼き加減では、眼球が完全に燃え尽きて消失することはない」

「ってことは、殺害されてから焼かれたってことですか」

「いいや、そのあたりは犯人も心得ている。火災発生時すでに死んでいたのが判明すれば、他殺だとすぐバレてしまうからな。睡眠薬や頭部を殴打した形跡は見られない。おそらく眼球を抉り出した際のショックで気絶させたんだろう。それが一番効率的だ。――おっと、今のは無神経だったかな」

「いいえ。……しかし、そうなると、例の連続殺人と関係が」

「ああ。あいにく血抜きの跡は確認できなかったが、肉体の欠損だけでも関連付けるには充分だ。市警はその方向で捜査を進めようとしている。というか、どこから嗅ぎつけたのかFBIが押しかけてきて、なかば強引に捜査権を奪い取ったとか。模倣犯という見方もなくはないが、それにしてはむしろ真似が中途半端すぎる。模倣犯の仕業なら、報道されている内容を忠実に再現しようとするはずだろうし」

「そうですか。……ありがとうございました」

 リンダと相談するため、おれたちは死体安置所の外へ出た。

「ひどい。ひどいよ。なんだってメアリーがあんな目に」

「落ち着けリンダ。おれだって犯人が憎い。ハラワタが煮えくり返りそうだ。だけどこれは殺人事件で、市警とFBIの管轄だ。いくらシークレットサービスの身内だからって、おれたちに出来ることはない。……それよりもおれたちは、今おれたちのやるべきことをしよう」

「……副大統領を狙う暗殺者を見つけ出す……。そうだね。メアリーがいなくなったんだから、よけいにアタシたちが頑張らなくちゃアね」

「…………」

 自分でそう言っておきながら、おれの頭のなかは、メアリーを殺したヤツのことでいっぱいだった。

 犯人は本当に〈人食いカニバル〉なのか? 確かに眼球を奪ってはいる。だが、それ以外のやり口がヤツとは違うように思える。遺体をライオンの檻に放置するなんて挑発的な真似をするヤツだ。それが突然、事故死に見せかけて工作するだろうか。もちろん絶対にしないとは言い切れないが、どうも腑に落ちない。

 それに、これまでの犯行は次の被害者が出るまでに、かなりあいだが空いていた。動物園の死体の前は先月、その前は確か3ヶ月前だった。それが昨日の今日でもうひとり? 上手くいきすぎて調子づいてきたとでも?

 常人では理解できない精神を持つ殺人鬼に、論理的な解釈をしようとしてもムダなのかもしれない。模倣犯とは違い、本人は自分自身を模倣する義務などない。けれども違和感をぬぐいきれないのだ。

 とはいえ、いっそのこと犯人が〈人食いカニバル〉であったほうが、納得できる部分もある。あのメアリー・オブライエンが殺されるとは、そういうことだ。彼女が負けるとすれば、怪物が相手でもないかぎりありえない。

 もし犯人が別にいるのならば、よけいわからないこともある。犯人の動機は、目的はいったい何だったのか。捜査官という仕事をしている以上、犯罪者から恨みを買うことはある。しかし手口からすると、報復のたぐいとは考えにくい。

 頭のおかしい殺人鬼のしわざでなければ、両目をえぐられたのはなぜだ? 単に彼女の透視能力を失わせるためであれば、目を潰せば済む。命まで奪う必要はない。あるいはただ殺すだけで充分だろう。

 あるいは拷問の結果とか。視力を奪うことは、拷問としてはかなり有効な手段だ。誰も好きこのんで失明したくなんかないだろう。ただしそうなると、ただ痛めつけたかっただけでなければ、メアリーから何かしら訊き出したい情報があったということになる。本人が実際知っているかどうかに関わらず。可能性としてはシークレットサービス関連、例えばホワイトハウスの警護について。このタイミングでそういう情報を欲しがるヤツに、1人心当たりがいる。副大統領を狙う暗殺者だ。

 だが、その可能性は現実的じゃない。透明人間がそのアドバンテージを最大限に活かすには、存在を悟られないことが一番だ。いくら事故に偽装するとはいえ、見破られて警戒されるリスクを侵す意味があるだろうか。だいたい偽装するならなぜ、〈人食いカニバル〉の犯行に見せかけなかったのか。結果的にFBIをカンチガイさせてはいるものの、完璧な模倣とは言いがたい。やるならもっと徹底したはずだ。いや、犯人が外国人だとすれば、アメリカ国内のニュースに詳しくなくても不自然ではない、か……

 ……やめた。もうやめよう。たいした情報も持っていないのに、これ以上推理してみたところで、しょせん妄想の域を出ない。不毛なだけだ。

 何だかドッと疲れた。今夜はとにかく帰って寝よう。むしろバーに戻って1杯引っかけたい気分ではあるが。

 そこへおれの携帯電話が鳴る。今夜は電話が嫌な知らせを運んできてばかりだ。なかばうんざりしつつも、相手を確認して逆に気分が高揚しつつ、電話に出た。

「フェリシア、頼むから朗報だと言ってくれ」

『さァて、どうかな? この話を聞いたら、おまえさんはある意味あたしを恨みことになるかもしれない。確実に忙しくなるだろうから』

 フェリシア・ライターはCIAのエージェントだ。おれと彼女は以前チョットした事件で知り合い、それがキッカケで懇意にしている。先月には彼女の結婚式にも出席したばかりだ。

「シークレットサービスが情報提供を依頼してた件か。さすがフェリシア、仕事が早い」

『本来ならそっちの局長を通すのが筋だろうが、おまえさんにはデカい借りがある。真っ先に教えてやるよ』

「恩に着る。今度1杯おごるぜ」

『――MI6からの情報だ。あそこには個人的に親しいヤツがいるんだ。おかげでかなり詳しい話まで聞き出せた』

「MI6っていうと、イギリスの情報部か」

『そうだ。結論から言うと、黄金のピストルなんてバカまる出しな得物を使う酔狂な野郎は、世界に1人しかいない。イギリス人の殺し屋だ』

「殺し屋か……」

 まいったな。殺し屋なら当然、雇い主がいるってことになる。となると予知された暗殺を阻止するだけじゃア解決にならない。この事件、思っていた以上に面倒そうだ。

『なんとピストルだけじゃなくて、銃弾まで純金製らしい。だからヤツのした仕事かどうかはすぐにわかる。裏社会じゃアそれなりに有名だとか。ウワサじゃア五年前に先代のMI6長官〈M〉が殺害されたのも、実はヤツの仕業だって話だ。一方で本名・容姿・経歴ともにいっさい不明、通称ウィリー・ヒューズもしくはミスター・サヴェッジなんて呼ばれてる』

野蛮人サヴェッジ?」

『殺された先代Mだが、遺体は全身の皮を剥がされていたそうだ』

「なんだって? それじゃア殺し屋っていうより殺人鬼だ。エド・ゲインじゃあるまいし。まさかベストでも作って着――」

 自分でそう口にした瞬間、とある可能性が脳裏に閃いた。まさか、そういうことだったのか。

『そう、Mは透明人間プロールだった。そしてウィリー・ヒューズは透明人間だという情報もある』

「……本当にそんなデタラメが可能だと?」

『確かにまともな発想じゃアない。だが、そう考えれば辻褄が合う。コンテンダーなんてバカでかいピストル隠し持てたのも、剥いだ皮を光学迷彩バーナム・ウッドとして被っていたからだろうさ。気色悪くて想像するだに鳥肌が立つが』

 おれたちの推理通りだとすれば、ある意味、普通の透明人間よりも厄介だ。透明人間は自分の姿を透明にするだけだが、光学迷彩バーナム・ウッドなら単に自分で着込むだけが使い道じゃない。例えばショットガンに被せれば手ぶらにしか見えないから、花束に隠すよりもはるかに効果的だ。

『現時点でわかったのはまァ、だいたいそんなところだ』

「そうか。……ありがとう。おかげで助かった」

『また何か情報が入ったら連絡する』

 フェリシアから聞かされた話を、さっそくリンダにも伝えた。

「ピストルだけじゃなくて、弾丸も純金製なんだ……じゃあメアリーを殺したヤツは別ってことだね……」

「なんだリンダ、そんなことを期待してたのか」

 まさかおれも同じことを考えていたとは言えない。

「だってさァ、もしそのウィリー・ヒューズが犯人だったら、シークレットサービスとして暗殺計画を捜査しつつ、メアリーの敵討ちもできるってことじゃん」

「純金製の弾丸なんて使ってたら、検死で真っ先にわかるはずだろ」

「あァー、だよねェ……」

 ……いや、しかし、いくらこだわりがあるからといって、依頼されたターゲット以外にまで、わざわざ純金製の弾丸を使うだろうか。殺傷能力という点で純金製の弾頭は有用だが、当然ながら1発1発のコストがバカにならない。また、副大統領を狙っているヤツと同一犯だとバレることは、デメリットだらけだ。ならば自分の存在と結びつけられないよう、違う手段を使うほうが賢い。

 とはいえさっき自分で否定したように、そもそも本命の副大統領を前に、シークレットサービスのメンバーを殺害するメリットがない。光学迷彩バーナム・ウッドを使って奇襲するのなら、事前に警護の戦力を削ぐのもたいして無意味だ。むしろリスクのほうが大きくなる。ましてや敵はプロの殺し屋、よけいなことをするはずがない。

 そうとも、今はよけいなことを考えている場合じゃない。フェリシアから得た情報を頼りに、ウィリー・ヒューズを捕まえなければならないのだ。

 今のところ手がかりらしい手がかりはない。ゆいいつわかったことは、透明人間なのではなく光学迷彩をまとっているということだけ。このささいとしか思えない違いが、こちらにとって何かの役に立つだろうか……。

「にしても、ホントに透明人間から剥いだ皮をかぶるだけで、姿を消せるのかな?」

「今そこを疑ってもしょうがないだろ」

「でもさ、これは考えれば考えるほど、深遠な問題だと思うんだ……。だって考えてもごらんよ。透明なマントを上から被ったって、中身が透けちゃって裸の王様状態になりそうなもんじゃない?」

「あー……アレだ。マジックミラーみたいになってるんだろ」

「なるほど。そうだよね。裏表はあるんだもんね」

「裏表……いや。いやいや、チョット待て。……おかしいな……おかしいぞ……。こいつはいったいどういうことだ……いよいよおかしい……?」

 透明人間の皮マントなんて、聞いたかぎりでは眉唾なのだ。リンダの言うように、裸の王様みたいになるほうが、はるかにしっくりくる。もちろん、実際は上手く姿を消せるのだろう。だが、いくらなんでもマジックミラーはない。そんな都合のいい話があってたまるか。透明人間が皮を剥がれるために存在するとでも? 少なくとも皮がマジックミラーになっているなんて、生前は明らかに役立たずの機能だ。もしもその通りなのだとしたら、まぶたをつぶっていても目が見えてしまうじゃアないか。

 だったら現実的には、2つのパターンしかありえない。かぶっても中身が丸見えか、かぶったら外が見えないか、その2つのどちらか。むろん敵が裸の王様であるはずがない。おれたちが今、検討すべきは後者だ。

 透明にはなれる。しかし外の様子がわからないのでは、とても実用的とは言えない。ならばどうすべきか。覗き穴を空ける? 敵がそんなマヌケなら大いに助かるのだが。――そうだ、透明人間の眼球を加工して穴にはめ込めば、望み通りのものが手に入るのではないだろうか。……だが、フェリシアは皮を剥がれたとは言っていたが、眼球がえぐられたなんて話はなかった。省略したとは思えない。あとで念のため確認してみるが、まァ空振りだろう。

 いや、待て……。眼球をえぐる、だって? そんな野蛮な行為を、ついさっきおれたちは聞いたばかりだ。

「……共感呪術」

「どうしたのケイス?」

「まったく……。世の中ってヤツは、おれたちが思っているよりも、ずっと都合よく出来ているらしいぜ」

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