023

 記憶の宮殿で、あのすばらしい和室のなかで、おれはふたたびヘスターと向き合っている。

「本当に副大統領を殺してよかったのか……」

「あら? あなただって言っていたじゃないケイス。彼の思想はあまりに危険だったわ。放っておけば、いずれ今度こそ大統領を排除して権力をわが物にし、新たな戦争へと突っ走っていたに違いないもの。殺す以外に止める方法はなかった」

 リンダは以前、副大統領の死を回避したことで第3次世界大戦が起こる――なんてジョークを口にしていたが、あながち間違っていない。彼の考え方は過激すぎた。

「だが、副大統領も言っていたとおり、彼が本当に大統領を狙う黒幕だったっていう証拠はどこにもない。ただの憶測だ」

「――“およそ芝居などというのは、最高のできばえでも影にすぎない。最低のものでもどこか見どころがある、想像でおぎなってやれば。”」

「なんだって?」

「今回の事件が、まさにそうだと思わない? 誰も彼もが自分勝手にアレコレ想像して、結果ややこしいことになったけれど、ひと皮剥けば、なんてことのない話だったような気がする」

「大統領が危うく暗殺されるところだったんだぞ。死人だって何人も出た」

「それ、自分で言ってて陳腐だと思わない? 大統領が殺されかけた。死人が出た。ついでに副大統領も殺人鬼の餌食。表面的に見れば実にくだらない」

「……本音を言えばな、おれはおまえに自首してほしいと思ってる。〈人食いカニバル〉だと名乗り出て、罪を償ってほしい。副大統領の件も含めて」

「わたしのカラダに間借りしている分際で、よくそんなクチが利けたものよね。――冗談よ。部屋は空いているから、好きなだけいてくれてかまわないわ」

「出て行きたくても出られないってのが、正直なところだがな。おれはこれから、いったいどうなるんだ?」

「あなたはずっとここから出られない。わたしが死ねば一蓮托生。だいたいそんなカンジでしょうね。もしあなたが、ここに閉じ込められていることに耐えられなくなったら、殺してあげてもいいけれど」

「物騒だな。というか、そんなことできるのか?」

 おれの能力では、肉体の主導権を奪うことはできなくても、ムリヤリ追い出されるということはなかった。ましてや殺すなんてことが可能とは思えないが。

「おまえが記憶の宮殿を持っているから、こうしておれの姿を具現化できているから、普通だったら不可能なことも可能になるってことか?」

 ヘスターは、違うと否定して首を振る。

 そしてとんでもないことを言い出した。

「――あなた、自分がホントにホンモノのヘンリー・ケイスだと、本気で思っているのかしら?」

「ハァ? おまえ、それこそ本気で言ってるのか。もしおれがヘンリー・ケイスじゃないなとしたら、今ここに存在するおれは、いったい誰なんだ? まさかウィリー・ヒューズだとでも?」

「ウィルには語ったことだけれど、わたしはあなたの超能力が、真の意味で幽体離脱とは信じていないわ。あなたの能力は精神感応、透視、念動力の3つ。幽体離脱のイメージは、あなたが能力を制御しやすくするためのものに過ぎない」

「チョット待て。それならタイニー・ウッドマンの件はどうなる? 彼女はおれの心臓を移植されて、幽体離脱したはずだぞ」

 もしおれの能力が、ヘスターの言うとおり3つの複合だとすれば、心臓を移植しただけで使えるようになるとは思えない。事実、ウィリー・ヒューズは透視能力を得るのに、角膜を移植する必要があった。

「タイニー・ウッドマンの幽体離脱は、よくある臨死体験よ。超能力でもなんでもない。夢でも見ていたのでしょうね。事実、彼女が幽体離脱したのはその一度だけ」

「だが、彼女のカラダはまだ目覚めていないはずなのに、そばで話していた家族の会話を把握してたじゃないか」

「意識の有無は1か0で断定できるものではないわ。だからこそ、意識不明という表現が使われている。彼女は半覚醒状態にあった。眠っているつもりでも、チャント家族の会話が聞こえていた」

「……おまえの言うことが正しいんだったら、このおれは何なんだ」

「わたしはあらゆるものを記憶して、この宮殿に保管しておけるわ。それは単に物だけじゃない。その気になれば、過去に経験したことも自在に再現できる」

 ヘスターが指を弾くと、世界が変貌した。ここは母校の講義室だ。見覚えのある教授が、教壇に立って授業をしている。

 次に指を弾くと、病院の診察室だった。患者はウィリー・ヒューズだ。「おれは男だ。これはおれのカラダじゃない」

 また弾くと、今度はブタ小屋にいた。薄汚れた幼い少女が、大量のブタを押しのけて、ブタの糞を素手でかき分けている。やがてそのなかから、小さな歯を見つけ出すと、少女は泣き叫んだ。「あんにば! あんにば!」

 ふたたび指を弾くと、もとの和室に戻っていた。

「ごらんのとおり、わたしはこの宮殿に人間をも保管することができる」

「つまり、おれはおまえの作り出した人形だっていうのか……」

「そうよ。記憶の宮殿は何かを憶えておくだけじゃない。保管した物を捨てれば、忘却だって自由自在だわ。だからケイス、ここであなたを殺せば、あなたという記憶は消えてなくなる」

「……おまえの言うことはおかしいぞ。矛盾してる。もしおれがおまえの記憶の産物だというのなら、おれはおまえの知っていることしか知りえないはずだ。だが、おれは知っているぜ。ヘンリー・ケイスしか知らないはずの事実を」

 あのときウィリー・ヒューズに憑依して、暗殺のターゲットが大統領ではなく副大統領だと知った。それだけじゃない。おれが物心ついたときからこれまでの記憶、ヘスターがけっして知らないはずのことをチャント憶えている。そのことが、おれがおれであることを証明している。

「浅はかね。浅はかだわケイス」ヘスターは笑う。「ヘンリー・ケイス自身しか知らないはず? どうしてそう言い切れるのかしら。わたしはあなたのことを、あなた以上に知っているというのに」

「おいおい、いくらなんでもその言い訳は苦し――」

「『おっぱいのない女なんて、タマなしの男みたいなもんだ。お呼びじゃない。』」

「お、おま――なんでっ」

 こいつなんで、おれが誰にも話したことのない、女の好みを知ってやがる? まわりには「女は顔じゃなくて性格」で通してるってのに。ありえない。そんなはずは……知っているわけが……。

「これでわかった? あなたは人形なの。わたしの記憶が作り出した人形。人形は人形らしく、部屋の隅に飾られているのがお似合いだわ。精神ゴーストなんて、この世には存在しない。あるのはただ血と肉、そして神経を行き交う電流だけ」

 その言葉に、おれはついおかしくなって、笑い出してしまった。アハアハアハアハアハ――

 そうだ。おれはバカか。なんでこんなカンタンなことに気がつかなかったんだ。チョット考えればわかることだったっていうのに。

「……ヘスター、おまえがおれを知っているのと同じように、おれもおまえのことはよく知っているんだぜ。おまえがひとをからかうのが大好きだってことは。こういうとき、面白半分に嘘をつかずにいられないヤツだってことは」

「わたしの話が信じられないというの?」

「そうとも。信じられないね。信じられるわけがない――“ワレ惟ウ、故ニワレ在リ”この何もかも不確かな世界で、ゆいいつ疑いようがないものは、こうして思考しているおれ自身の存在だけだ」

 おれはここにいる。

 ここにいるぞ。

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