二つ目の答え

 剣が話を終えたとき、テッドは何も言えなかった。

 父が何かに怯えているのは薄々感づいていた。ありのままの自分を晒すことを拒み、そういう生き方を自分にも強要するのには、それなりの理由があるのだということもわかっていた。

 そして、それがはっきりした今、父親の広い背中を思い出して胸が締め付けられた。彼の後ろ姿は、いつも寂しそうであり、心もとない雰囲気だったのだ。

 そして自分にも精霊の血が流れている。いつかは父と同じように、自らも背負う痛みなのだ。テッドは父のように火を操ることはできないが、彼には見えなかった物憑きの精霊が見える。それは祖父の鍛冶の力を受け継いでいるということなのだ。

 テッドはふと、ある日の父を思い出した。

 まだナディアと出逢う前、ある墓の前で『何かいるな』と見ていたテッドに、彼はこう訊ねた。


「ぼうっとして、何を見ている?」


 それはとても不安げな、どこか怯えたような声だった。即座に「なんでもない」と答えると、彼は少し安堵したものの、それでも複雑そうな顔をしていた。火の力を持たないまでも、精霊の血の影響を受けていることに勘づいていたのかもしれない。

 テッドがそんなことに想いを馳せているとき、ナディアが口を開いた。


「それで、あんたはレイが死んだのを感じ取ってきたのね?」


「あぁ」


 剣の精霊は墓の前で寂しげに呟いた。


「正直に言うと、俺はここに来るつもりはなかった。テッドが精霊を見ることができたとしても、火の王との約束なんか守る気はなかったからね。俺のレイを苦しめたのは火の王の力だ。そう思うとやりきれないじゃないか」


 もし、レイの子孫に物憑きの精霊が見える子がいたら伝えて欲しい。そう言った火の王の言葉を思い出し、テッドは答えた。


「父は僕を愛していました。だから、どんな過去を持っていたとしても、僕は否定しません」


「もちろん、レイはお前を愛していた。同時に恐れてもいた。彼は、お前が何かを見ていることに感づいていたよ。だけど、何を見ているのかまではわからなかったんだ。だから、俺も確信がなかった。今日、お前と会って話すまでは」


「ねぇ、来るつもりがなかったのなら、どうして来たの?」


 ナディアの問いに、彼は誇らしげに言った。


「主の弔いだ。俺の最初で最後の真の主にね。それにお前の父親は英雄の虚像の剣の持ち主だったが、俺には真の英雄だと伝えたかった。己の心に負けず、真っ直ぐに生きた男だとね」


「ありがとうございます」


 テッドは胸が熱くなり、思わず目を細めた。


「父もあなたと会えて嬉しいでしょう」


「そうかな。そうだといいな」


 そう呟く彼の体が、次第に光に包まれていく。


「俺はレイを誇りに思うよ。血にまみれた俺に、温かいものを教えてくれた。もちろん、ゾラもね」


 そう言い残し、彼は緋色の玉になった。

 彼の魂を手に取ると、ほんのりと温かい。それは彼に宿った心の温度のようでもあり、父と母の温もりのようにも思えた。

 これが、緋色の魂との出逢いと別れだった。


 テッドが語り終えたとき、ジゼルは静かに微笑んでいた。


「確かに聞き届けたわ」


 そう言って、彼女は魂を受け取り、そっと抱きしめるように胸に当てた。


「この魂は、大切に運ぶわね。私の両親なら、きっとこの魂に温かい来世をくれるわ」


「それでは、今度はあなたの番ですね」


「えぇ。何故、私がナディアにそっくりかという、二つ目の質問の答えね」


 ジゼルがナディアに向き直る。ナディアはぎくりと肩を震わせた。まるで、恐れていた何かを目の当たりにするかのように。


「私は母にそっくりなの。違うのは髪の色くらいね。そして、ナディアは私の母の姿を持っている。これがどういうことかわかる?」


 ナディアの顔つきが険しくなった。


「それじゃ、やっぱりあなたは……」


「そう、あなたの持ち主の娘よ」


「そんなの嘘よ!」


 咄嗟に、ナディアが大声を上げた。


「あの子は人間だった! 精霊なんかじゃない! そりゃ、不思議な力は持っていたけど、確かに人間として生まれたはずよ」


「そう。人間として生まれながら、彼女は精霊として生きているわ。あなたには母の想いの強さがわかるはずよ。あなたを生んだんですもの」


 そう言うと、押し黙るナディアを横目に、ジゼルは腰袋から小さな小壜を取り出した。


「これをテッドに。黄泉の帝王からよ」


「何ですか?」


 テッドは受け取った小壜をしげしげと見つめた。光を帯びる琥珀色の液体が中に詰まっている。


「物憑きの精霊の魂の報酬よ。言ったでしょ? 精霊と同じ寿命を授けるって」


「これが不老不死の薬だって言うんですか?」


 テッドは冗談を言ったつもりではなかったが、ジゼルが弾かれたように笑った。


「まさか。精霊だって老いて死んでいくわ。ただ、精霊の世界と人間界では老いる早さが違うだけよ。それは冥界の穀物で作られた火酒よ」


「……僕、お酒飲めないんですけど」


「大丈夫、一口で充分だから。その世界の食べ物を口にすると、契約が結ばれるの。体は契約を結んだ世界と同じ早さで老いるようになるわ」


「でもまた人間界の食べ物を口にしたら元に戻りますよね?」


「そうね。もしあなたがこれを飲んだら、私が定期的に食料を運ぶ役目を担うわ。帝王からそう言われてるから」


「それじゃあ、人間界の食料はもう食べられなくなるってことですね」


 戸惑うテッドを押しのけ、ナディアが詰め寄った。


「それじゃ、あの子は……ナディアは、精霊界の食べ物を口にしたのね?」


「あなたの主は冥界に属しているわ。あなたを迎えに行こうとしたようだけど」


 ナディアは返事をしなかった。その複雑そうな顔に、テッドはため息を漏らす。彼女はどうして素直になれないのだろう。何か理由があるのだろうが、テッドには少しもどかしく思えた。

 ジゼルは微笑み、白い鳥に手を差し伸べた。鳥はその腕に飛び移ると、また行灯のように輝き出し、部屋の片隅に闇を呼んだ。


「ナディア、母はよくあなたの話をしていたわ。彼女にとって、あなたは今でも大切な相棒みたいよ。……それじゃあ、また明日」


 そう言い残し、彼女は消えていった。

 闇がなくなった瞬間、ナディアの独り言が漏れる。


「だったら何故……」


 テッドはきつく握られた彼女の拳を見つめる。

 だったら何故。それは、テッドがナディアに問いかけたかった言葉だった。

 主の願いが何かは知らないが、どうしてそんな顔をするのだろう。拒みながらも、泣きそうな顔をしているのは、何故だろう。それに、だったら何故、生まれた瞬間、傍らにいたテッドをナディアと見間違ったのか。髪の色も瞳の色も、性別すら違うというのに。

 その後、ナディアは何も言わず、楽器に戻ってしまった。

 夜になって強くなってきた風が窓を揺らす。それはまるで、テッドの中に沸き起こる言いようのない不安を煽っているようだった。

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