お尋ね者ナディア
ナディアたちが次に流れ着いたのは滝がある街だった。
「俺、ちょっと滝を見て来るよ」
そう言ってパーシヴァルは宿屋を出る。ナディアはこっそり懐の小銭入れを覗いた。
「そろそろ営業するか」
小さなため息を漏らし、彼女は街へ出る。滝のある街は人で賑わっていた。観光名所らしく、あちこちに土産物の店も目立つ。
ナディアはカゴを置き、あぐらをかいて座る。四弦の楽器をそぞろに鳴らし、彼女は歌い始めた。
「見よ、川底は金の粒。花びらが輝き、夜を照らす。決して恐れることはない。誰もが帰る場所、そして憩う場所。我らが故郷」
彼女が歌うのは、先ほどパーシヴァルから教わった歌だった。子守唄らしいが、彼の故郷の歌はどこか切なく、それでいて温かみに満ちた歌だった。
通りをゆく人々が足をとめ、カゴに小銭を入れていく。中にはナディアの目の前でうっとりと座り込む者もいた。
ふと、ナディアは突き刺さるような視線を感じとった。歌いながら目を上げると、遠くから一人の男がこちらを凝視している。彼は手に紙切れを持ち、それと自分とを見比べているようだった。
演奏が終わり、ナディアが頭を垂れる。人垣から拍手が起こり、それぞれが小銭を投げ入れてくれた。
すっかり重くなったカゴの中身を素早くしまい、彼女は立ち上がる。早々に宿屋へ帰ろうとした途端、先ほど自分を見ていた男に呼び止められた。
「君、待ってくれないか」
ナディアは返事をせずに振り返る。声をかけてきた男は、青い顎をした中年だった。彼は手にしていた紙を懐にしまい、おずおずと話しかけてきた。
「君はもしや、ナディアという名かね?」
「そうだ」
ぶっきらぼうに答えると、彼は顔を輝かせた。
「そうか、ならばお願いがあるんだが」
胡散臭いと言いたげに顔をしかめると、彼は大きな身振りで続ける。
「怪しいものじゃない。実はこの街に住むとある方が吟遊詩人を捜しているんだよ」
「貴族か?」
「いや。バーン様という、この辺りの地主だよ。彼は重い病気をした後でね、慰めに歌を聴きたがっているんだ」
「他を当たってくれ。私の歌では気休めになるまい」
素っ気なく答えるナディアに、男はすがるような目になった。
「頼む。この街には吟遊詩人がいないんだ。君が来るまでどれだけ探したことか。礼ははずむ!」
金でナディアを呼び寄せようとする者にろくな奴がいたためしがない。断ろうと口を開いたときだった。
「ナディア、バーンって人はとっても可哀想な人なのよ」
女の声が降ってきた。見上げると宵の明星が光っている。
鼻筋の通った端正な白い顔に、薔薇を思わせる真っ赤な唇をした明星の精だった。
「……明星か」
ナディアが思わず呟くと、彼女はにこやかに笑った。
「とても優しくて、街のみんなから好かれてるわ。いつも空を見てため息ばかりなの。助けてあげたら?」
お前に言われることでもない。そう顔をしかめると、明星の精がさめざめと泣き出した。
「あなたは今まで人助けをしたこともあったでしょう? 私、彼が好きなのよ。とても優しい人なの。お願い」
ナディアがため息をつく。それが精霊であれ、女性と子どもに泣かれるのはたまったものではない。
「……いいだろう」
男が短い歓声を上げた。
「それでは、早速!」
ナディアは明星に『これでいいんだろ』と言わんばかりの視線を送る。明星の精はその美しい顔を輝かせて微笑んでいた。
一方、パーシヴァルは街の掲示板の前で、足を止めていた。今月の行事表や連絡事項に混ざって、とある一枚の紙が貼ってあった。
「なんだ、こりゃ?」
パーシヴァルが困惑した声を漏らす。その紙には肩に白い鳥を乗せたナディアの姿絵があった。瓜二つというわけではないが、特徴はよくとらえている。紙の下に『奇跡の踊り子ナディアを見つけた者はゴードン・バーンまで』という文字がある。その礼金の額は莫大なものだった。
「奇妙だな。これじゃまるで、お尋ね者じゃないか」
パーシヴァルは思わず腕組みをして、うなり声を上げた。
ナディアが奇跡の踊り子だということは、あの火山の街で彼女を見た者なら知っている。姿絵を描かれ、それが出回っても仕方ないだろう。その踊りを一度でも見たいと願う富豪が道楽を企んでもおかしくはない。
だが、パーシヴァルは釈然としないままだった。何故、奇跡の踊り子の名がナディアだと知れたのだろう。
「嫌な予感がするな」
彼はすぐに宿屋へ踵を返した。ナディアに忠告しなくてはと、足取りも速くなる。
だが、ちょうどその頃、ナディアは既にゴードン・バーンの屋敷に入るところだった。
その後ろ姿を見送る明星の精が袖で隠した口をつり上げる。そして、こう呟いた。
「いい気味」
ゴードンの屋敷に到着したナディアは大広間へ案内された。部屋の壁際には幾つもの蒼い陶磁器が飾られていた。それはまるで夜の空のような黒みを帯びた深い蒼をして見事な品々だった。ゴードン・バーンは熱心な陶磁器の収集家らしかった。
収集家の金持ちほど所有欲が強い者もいないと、ナディアが小さく鼻を鳴らしたときだった。背後にいた青い顎の男と、屋敷の使用人が二人掛かりでナディアの腕をとった。
「何をする!」
不意をつかれたナディアは腕を振りほどこうとするが、男二人の腕力には適わなかった。あっという間に両手を後ろで縛られ、床に膝をつかされた。
「悪いな。これが俺の仕事なんだ」
先ほどまでナディアに懇願するような目をしていた青い顎の男が、にやにやしながら彼女を見下ろしていた。
「騙したのか」
「お前を連れてくるように依頼されたのは嘘じゃない」
そう言ったとき、大広間の扉が開いた。
「でかしたぞ」
大股で入って来る男が上機嫌で言う。
「約束通り、褒美は用意してある。とっとと受け取れ」
「ゴードン様、ありがとうございます」
ゴードン・バーンは傲慢な態度にだらしない体格をした男だった。とても病み上がりとは思えない脂ののった腹をしている。
青い顎の男がナディアにそっと耳打ちした。
「すまないな。あんたには何の恨みもないが」
男はゴードンに何度も頭を下げながら出て行った。
「さて、取引開始だ」
ナディアの背筋に悪寒が走った。目の前のゴードンが、割れた顎と身なりがいいこと以外はどことなく施設長に似ていたからだ。
「何が目的だ?」
睨みつけるナディアに、ゴードンが冷たい笑みを浮かべた。
「あの『夜の雫』を手に入れるためだ」
「夜の雫?」
「陶磁器の銘品だよ」
ゴードンが壁際の陶磁器に歩み寄った。
「素晴らしい作品ばかりだろう。隣町は陶磁器だけが取り柄なんだが、そこの町長が実にいい仕事をする」
彼がうっとりと撫でるのは、月明かりを滲ませた夜空のような蒼い花瓶だった。
「彼の作品を集めて久しいが、どうしても一つ譲ってくれないものがある。それが『夜の雫』と呼ばれている皿だ。あの深い蒼の素晴らしさ! どうしても欲しいんだよ。ところが……」
ゴードンが忌々しげに舌打ちをする。
「あの若造め、この俺様に条件をつけやがった。ある者を連れてくれば譲ろうと言って来た」
そして膝をついて口の端をつり上げながら、ナディアを見据えた。
「……それがお前だ」
ナディアは眉間にしわを寄せる。
「何故、私を?」
陶磁器作家の知り合いなどいない。焼き物で有名な町など訪れたこともないし、名前すら知らなかった。
「俺の知ったことじゃない」
ゴードンが「よっ」と言いながら膝を伸ばす。酒樽のように突き出た腹が重そうだった。
「多分『奇跡の踊り子』に興味があるんじゃないか? これはお前だろう」
そう言って、彼は懐から皺だらけになった姿絵を取り出した。彼が見せてくれたのは、肩にセシリアを乗せたナディアの姿絵だった。その下には『奇跡の踊り子』という文字があるが、名前は記されていなかった。
ナディアは眉根を寄せる。姿絵は火山の街で見かけた誰かが描いたのかもしれない。しかし、何故、あの青い顎の男は自分の名が『ナディア』だとわかったのか。
「どうして私の名がわかった?」
すると、彼が首をすくめる。
「それは町長に訊くんだな。奴がこれを持って来て『彼女の名はナディアだ』と言ったんだから」
そしてゴードンは使用人の方を向いた。
「こいつを東屋にでも縛り付けとけ。今夜は祝杯だ」
「かしこまりました」
先ほどナディアを縛り上げた使用人の男が無表情な声で言う。だが、その顔には辟易したものが見て取れた。ゴードンは人から好かれる地主ではないらしい。
「立て」
ナディアは力任せに腕をとられた。ゴードンが醜い顔を寄せる。
「ふぅん、奇跡の踊り子だけあって美人じゃないか。まぁ、町長の奴が気に入るのもわかる」
「寄るな。虫酸が走る」
ナディアが睨むと、彼は両手を上げて高笑いをした。
「威勢のいい女だ。そう睨むな。『夜の雫』のためだからな。連れていけ」
こうして、ナディアは中庭の東屋の柱に縛り付けられたのであった。
一方、パーシヴァルは宿屋の部屋で思案していた。いくら待っても、ナディアが帰ってこない。
「まさか、あっさり捕まったんじゃないだろうな?」
彼はため息を漏らした。
「あいつは人間嫌いなんて言っておきながら、人を見捨てないところがあるからな」
そう言うと、掲示板から剥がしてきたナディアの姿絵に目を落とす。
「まったく、俺の連れはもっと美人だぞ。下手な絵描きだ」
彼は「やれやれ」と、椅子から立ち上がる。
「今までは誰もナディアを寄せつけなかったくせに、奇跡の踊り子となると誰もが欲しがる。皮肉なもんだな」
ナディアはあまり自分の過去を話したがらない。だが、パーシヴァルには彼女が愛されたくても愛されず生きて来たことが痛いほど伝わっていた。
「人間っていうのは、勝手な生き物だ」
彼はそう呟き、街へ出て行った。
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