たった数週間でコロコロと考え方を変えてしまって悪いのですが、タイトル通りに〝ラーメン屋と小説家について〟は間違いがありました。
お見苦しい近況ノートで申し訳ないと思いつつも――この心変わりもちょっと面白いので書いてしまおうかなと思いまして。
では〝何が〟間違っていたと思うのかというと、実は話の内容自体は間違っていないと今でも思っております。
ただ、対象が間違っている。
さて、対象とはなんぞや? ってことなんですけど、私はこの話に当てはまるほどの実力がまだない――ってことです。
確かに、小説を売るために自分の感覚を全て信頼して、全ての要素において100%出して、何も考えずに売れるなんていうのは――超天才にしかできないことで、例え売れっ子のプロでも読者に合わせるというか、趣向を少し加工することはあると思うのです。
それは事実に違いないのですが、それは、そのレベルにならないと出来ないことでもあると言う事。
例えば、私は自分が正しくないと思っていたのですが、全てが正しくない訳ではないのです。私の持つ〝好き〟という感覚は、すでに売れて世に出ている作品から影響を受けているのだから、それが間違っていることはまずあり得なかったのです。
そもそも、間違っている部分は確かにあるかも知れないけれど、それをどう判断するのか――っていうのはとてつもなく難しい問題でした。
私は全てを変えなくてはならないと考えてしまっていたんですけれど、私の中にある〝この話が好きっていうひとつの核〟は間違っているハズが無くて、そこを失うわけにはいかないんですよね。
その核まで変えてしまう必要は全然なくて、その拘りというか、核こそが面白さの中心であることは間違いなく、その核がある作品の方が面白いに決まっています。
読者に合わせるべきは表面の皮の部分であって、それがズレているかどうかが分かるような能力も私にはまだなく、それに悩むほどのレベルには私はまだ到達していなかったんですよね。
例えば、物語の構成力やストーリー力、文章力や表現力といった当たり前のモノが私には遥かに不足していて、純粋にもっと自分の好きを信じて、まっすぐに挑戦するべき段階にまだいるのだと気づいたのです。
それぐらいには、私は自分の話が好きでした。
好きなのに、それを信じないのはダメですよね汗
ちょうど今、私の過去作を読んで下さっている方がいて、自分でも読み直して面白いなって(自画自賛)思ったりしました。
ただ、商業で考えるには完成度の低い作品だと思いますし『視えるヒトが視るモノは』での総評でも実力不足と私は書いてもらっていたりします。
なら、やることは考え方をこねくり回すことではなくて、もっと単純なことなんだと思います。
ち、力が欲しいぃっ!!
まずは自分の好きや面白いでもっと勝負して、間違っている部分というのはその先にある、もっと事細かな調整の話ぐらいに考えれば良いのかも知れないな、と、今では考え直しました。
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孤独なくせに時間がかかって、ちょっと踏み外せばメンタルにも来る――本当に大変なのが執筆活動だと思います。
普通に仕事をして、その上で書いているというだけでも、普通に考えたらとても凄いことですよね。
みんな凄い! かっこいい!
楽しく続けられるように、少しでも前向きになりたいですね。
お互い頑張りましょうっ!