第22話

 11月に入った頃のことだったように思う。休日の朝、起き出してきた私に父が、

「今日は出かけるぞ」

 と言った。すごく意思的な顔をしていた。そんなことを父に言われるのは新居に移り住む前にあったきりで、それはもう半年以上も前のことだった。何を急に、と思ったのだが、私は戸惑いながらもその理由を訊いた。

「幸治な、お前、家買え。ええ物件、お父さんが見つけたから・・・」

 あまりにも突然のことだった。私は何事かと耳を疑った。そしてすぐに私の頭の中に2つの考えが浮かんできた。1つは、一緒に住もうと約束はしたのだが家に全くいつかない私に嫌気がさしたのかということ、もう1つは、無理をしてでも自分の家を構えさせることで大人としての自覚を私に埋め込もうとでもしているのかということだった。私は訳がわからないまま、とりあえず曖昧な返事をした。

「そんなん、僕、・・・、ここに住む気でいてるのに・・・」

 すると父が微かな微笑みを浮かべた。「ギターなんか弾いてなんになるんや」と怒鳴りつけられてからは、ただでさえほとんど必要なこと以外何も話さない私はさらに塞いでしまっていて、父は微笑みかけることでそんな私を緩めにかかっているような気がした。父のその心遣いを汲み取るかどうかは、どうやら全部私にかかっているようだった。私は変に緊張し、そして父を警戒した。父がまた話しだした。

「幸治もな、いずれは結婚するやろ。結婚したらな、金のやりくりとか、ローンの返済とか、1回はお父さんと一緒に住まんと自分らでやらなあかんのや。そのずっと先に幸治はこの家に帰ってきたらええんや」

 いくら憎むようなところのある父でも、そんなことを聞かされて広い家に一人住む孤独な父の姿を想像すると、それは私には耐えられないことだった。しかし父の意思はすでに強いもののようだった。母がいなくなり、私までいずれいなくなって、本当に父はそれで平気なのだろうか。また無理をしようとでもしているんじゃないだろうか。いつものことだが、また父の中で人の意見なんかは置き去りのままに父なりの計画の形が出来上がっているのかもしれない。私の中で様々な憶測が飛び交った。そして私は胸の中で、「もう無理に無理を重ねないでくれ。なぜ思いついた良いと信じることを、そのまま全部すぐに形にしていこうとするのか。なぜ何かに急かされるように動き回るばかりで、一所に落ち着こうとしないのか」と叫んでいたのだが、そんな思いをうまく言葉にして父に伝え切れないような気がして、そしてどうにか言葉にしたところで、どうせそんなものは父の巧みな手腕で丸め込まれるのがオチだというような気がして、私は何も口にできないでいた。ただ胸がドキドキとしていた。

 父はふと私に訊いてきた。

「お前、今、貯金はどのくらいあるんや?」

 私には、それが多いのか少ないのかの何の理解も実感もないままに、手を一切つけずにぼんやりと積み立ててきた貯金が600万ほどあった。それを父に伝えると、

「なんや、そんだけしかあらへんのか」

 とぼそっと呟いて顔を曇らせ、そして一度だけきつく私を睨んだ。金使いの乱れた生活ぶりを非難されているような気がして、私は苦しくなった。それと同時に、数字、特にお金に関するそれに対して頭が鈍くなっていた私は、600万という金額なんてものは大人になればちっぽけなもんなんだと誤った理解をしてしまった。その金額の数字を改めて頭に置いてみても、私には何の感情も沸いてこなかった。私が仕事で取り組んだことも、私が流した汗や涙も、私が出した結果も、耐え抜いた日々も、私の中ではその数字とのつながりは一切なく、その数字というのは私にとっては遠い余所事のような感覚だった。

 父は気を取り直すかのように、

「まぁええ。とりあえずもう見に行く物件は決まってあるんや。そんだけあったらなんとかなるやろ。住宅ローンを多めに組まなあかんけどな。・・・。不動産って言うたら資産や。土地の値段も家の値段もここまで景気が悪うなったらもう下がることはないんやからな。このままか、あるいは家を持ってるだけで価値が上がるかのどっちかや。資産を自分のもんにするのにローン払いながらいずれ結婚してそこに住めるんやったら万々歳やろ」

 と自信たっぷりに言った。どうやら父は私の資産を増やすことに目を向けているようだった。恐らく父は1980年代に、私に話したような方法で確実に自分の資産を増やしてきたのだろう。そしてその方法を私にも当てはめ、そして私の資産を増やそうというつもりだったのだろう。

 しかしそれが得なことなのか損なことなのか、その父の話に乗っていいものなのか悪いものなのか、あまりにも突然過ぎたせいで、そしてあまりにも私自身が壊れすぎていたせいで、私にはその判断が全くできないでいた。やはりどこか遠くの余所事のような感覚のままだった。ただ一つ確かだったのは、父の行動があまりにも強引だったものの、父が私のことに気を回してくれていたんだということに、私は久しぶりに家族の一員として素直に幸せな気持ちに少しばかりなっていたということだけだった。その話に乗ってその先にどこへ運ばれていくのかということも全く頭で想像もできないまま、その少しばかり幸せな気持ちの先を信じることにして、私は何となくその話に乗っかかった。そしてその日のお昼過ぎ、私は父を車に乗せてその物件を見に出かけた。

 その物件は、父の家から南北に走る大通りにまで出てそれを南下し、東西に伸びる中和幹線にぶつかるその1つ手前の交差点を西に入ってしばらく進んだところの左手にあった。その物件の前の通りを車でゆっくり進んでいくと、その通りの両脇はずっと奥のほうまで、8台の駐車共有スペースを4棟が取り囲んでいるという小分けされた同じ区画で埋め尽くされていた。その1棟1棟は、「2戸1」という2住居1棟形式の棟で、2住居がひとつ屋根の下で隣同士くっついていた。昭和の時代における大阪のベッドタウン開発時に一気に手っ取り早く建設が推し進められた区域なのだろうと思うのだが、どの棟も全く個性がなく同じ顔をしていた。その姿、佇まいから、どの家も同じ間取りであろうことが容易に想像することができた。そしてどの区画の家々のどれもが古いものだった。その古さに関しては、私には特に異論はなかった。ただその通りの両脇から、どこか街の暮らしというものの様々な疲弊感が漂ってきているような気がして、そのことに関してだけはひどく不気味さを感じた。私は次第に、こんな所に住むといずれはその不気味さに飲まれるんじゃないかと不安に思い始めた。車を走らせながら、私は嫌な気分になっていった。それはどうも受け付けがたい不気味さだった。

 その通りをしばらく走って左手の区画の奥のほう、建物の南面を中和幹線に面した2戸1の右手の家が、父の探したというお目当ての物件だった。父の家からは車で5分ほどの距離だった。先に父を車から降ろし、私は駐車スペースの脇の通りの電柱のすぐ後ろギリギリに車を停めた。車の外に出ると、いつも車で走る中和幹線からのやかまし過ぎるほどの騒音が耳に飛び込んできた。その時私は、中和幹線の騒々しさを初めて知った。というのもそれはそうである。中和幹線はその街一番のメイン道路でいくら馴染みがあっても、街の人にとってそれは歩くために利用するものではなく、車を走らせるためだけのものだったからだ。どこにいても気が休まることもなく緊張したまま日々を過ごしていた私は、その頃は特に耳が異様なほどに敏感になっていた。そして私は、微かな音でさえ過敏に反応してはひどく怯えるようになっていた。中和幹線のその騒音は私の耐えられるレベルをはるかに超えていて、とてもその物件は私が落ち着いていられる場所ではなかった。車の外に出てすぐに、私はこんな騒がしい場所は絶対に嫌だと思った。神経がヒリヒリと痛み出した。早いうちにこの話はなかったことにしなければならない。いつのことになるのかはわからないが、こんな騒がしい場所で暮らせるわけがない。私はもうすでにその物件を見学する前から嫌になって、慌ててそれを父に伝えた。

「僕はな、耳がものすごい敏感なんや。こんなうるさい場所は僕には無理やわ」

 案の定、父の顔色が曇った。そして父は苛立ちを隠さないままに話しだした。

「贅沢言うな。何を訳のわからんことを言うてるんや。こんなもん、うるさいうちに入らへんわ」

 私は執拗に父に食い下がった。

「こんなうるさいところ、これまで住んだことないし絶対無理や。止めとくわ、こんな物件、・・・。もう見る気もないわ」

 ついに父を怒らせてしまったようだった。

「あのな、幸治、・・・。せっかくお父さんがな、一生懸命に見つけた家やのにやな、それをまだ見もせんと、こんなとこは嫌やってどういうことや。この辺は人気があって、物件一つ見つけるんも大変なんやぞ。見つかっただけありがたい思え。それにな、どの家も車が停まって人が住んでるやろ。気にするほどうるさないんや。こんだけの人が住んでるのにお前が住めへんわけがないやろ。もうそれ以上はいらんことは言うな。贅沢言うんもええ加減にせえ」

 私はそれまで、家を買いたいと言った覚えも、贅沢を言った覚えもなかった。父の言っていることはまるで、私がいつでも贅沢を求めてわがままを言い、その上家まで買いたいと口にしたかのようだった。私はふと、まるで自分が父の自由になる所有物扱いされているような気がしてきた。

 思い返せば昔からそうだった。「お父さんの言う通りにせえ。間違いないから・・・」。父からすれば、やはりただ私の幸せを願ってのことだったのだろう。しかしそれはいつも私の望むものではなかった。強引に押し通されては父の願いだと無理に納得し、バランスを崩しそうになりながらも、そして歪みながらもどうにか幾多の壁を乗り越えてきた日々は、いつも私の心はヒリヒリとしたままだった。それでも母が元気なうちはまだ良かった。どうにかなっていた。母が父と私の間に挟まって、ふたりの思いの行き違いやズレを調整し、緩衝役となり、そしてふたりの心の癒しとなってくれていたからだった。しかし母が言葉をなくしてからは私の態度、行動が父の気に入らなければ、私は直に怒鳴りつけられ、そして殴られるようになってしまった。そんな時期も過ぎ去って、次第にふたりとも全く干渉し合わなくなってしまった。また、私の気も知らずに父は勝手に母の車を下取りに出し、引越しの計画を進めてしまった。

 そして今度は、父は凄んで見せることで、嫌がる私に無理やり家を買わそうとしているのだった。それも、私が稼いだお金を父の意のままに使い込むことが決まっていたかのように振る舞い、そしてその上ローンまで組ませようとしているのだった。父からすれば、私が貯め込んだお金なんてものは、会社の社長として、そして家長として私に分け与えてやったものくらいにしか考えていなかったのだろうか。そしてそれは、父の自由な意のままに動かせるものだと当たり前にでも思っていたのだろうか。確かに私は、お金に関する数字に対しては頭が相当鈍くなっていた。それでも、欲しいと思わないものに大金を注ぎ込むのが平気だというほどにまで頭が鈍っている訳ではなかった。

 ぐだぐだと物思いに耽っていると、そこに盛田さんが現れた。お会いするのは久しぶりだった。以前お会いした時のようにニコニコと微笑みを浮かべながら近づいてきた。そして父に向かって、

「春に社長のお宅をお世話させていただいたばかりですのに、今回は息子さんの物件をまたお世話させていただくことになりまして、嬉しい限りです。この盛田、また精一杯勉強させていただきます」

 と、まるで家の購入がすでに決まっていることを含ませたような挨拶をされた。それを聞いて父が、

「こいつ、・・・、うちの息子が嫌がっとるんや。うるさいところは嫌やって言いよって・・・。こいつの年齢で家なんか買えるなんて、そうできることやないのにから・・・。ほんま贅沢を言いよってから・・・。盛田さんからもちょっとよう説明してやってくれ」

 と、盛田さんにすがるように話しかけた。家の購入計画に素直に頷かない私をまるで父が悪者扱いしているような気がして、実に不愉快だった。そんな私に盛田さんが話しかけてきた。嫌だと思いながらも、昔から目上の人に口答えするのがどうも苦手な質の私は、やはりその時もうまく盛田さんに向かって強く拒否を示すことはできなかった。そんな自分に苛立ちながら、私は仕方なく盛田さんの話に耳を傾けた。

「幸治さん、今ですね、真美ケ丘はね、昔の開発がひと段落してから人口もすっかり増えた状態で落ち着きましてね、そのおかげでここ数年は様々な商業施設が入り込んできまして・・・。すると今度は住みやすいという評判が方々に散らばりましてね。・・・。それでこの周辺の村とか、また大阪の方からも移り住みたいって言う希望者が急激に増えているんですよ。ですからね、空家が出たらすぐに売れてしまうっていう状況が続いてるんです」

 そんなことを聞かされても嫌なものは嫌だった。そんな私の気配を盛田さんは察したのか、

「まぁ、外で話しててもなんですし、中を見ながら話しましょう」

 と言って先に歩き出した。ちらっと隣りにいた父の顔を窺ってみると、盛田さんが話を進めてくれるようになったことで父は少し余裕のある顔をしているような気がした。

 北面の玄関から中に入ると、私はまた、外で感じたのと同じ疲弊感漂う不気味さを感じた。居抜きということで、前の住人の住んでいた頃の使用感が残っているからという理由でそう感じたわけではなく、人の無意識の領域でのみ感じ得る、そんな街の暮らしの疲弊感がその部屋の壁に、床に、天井に、柱に、そして空気にまで染み込んでいるような気がした。ずっと顔を険しくさせたままの私に父が、

「今はな、居抜きやから多少汚いけどな、クロス張替えて床も張り替えたらな、そこそこ見栄えのええ家になるもんや。何の問題もないやろ」

 と笑いながら話しかけてきた。私は、そこに漂う疲弊感の不気味さをどう説明すればいいのかわからなかった。すると盛田さんも父の話にすかさず被さってきた。

「いやぁ、ほんと、お父様のおっしゃる通りですよ。リフォームさえすれば見違えます」

 二人にそう言われても、問題はそこではなかった。私の無意識がとにかく拒んでいるのだった。

 1階は、玄関を入ってすぐ左手に台所、その南にリビング、そして正面の奥にもう1部屋、そのすべてが6畳の部屋という間取りだった。そしてすぐ右手に洗面所、トイレ、お風呂が1箇所に押し込められていた。中に上がって何となく3人で南のリビングにいる時だった。騒音が激しく響いてきて、南の窓が微かに震えたのを私は目にした。窓を閉め切った状態でもかなり酷い騒音だった。外にいた時は、どうやら辺りの建物が防音壁となって騒音がいくらかは抑えられていたのだろうか、中に入ってからのほうが私にはやかましく感じられた。私は、感じている不気味さをやはりうまく説明できそうになくて、その代わりにまた外の騒音のことを口にした。どうにか拒否し続けるつもりでいた。

「やっぱりうるさいわ、外の車の音が・・・。外にいてた時より中のほうがずっとうるさいやんか。こんなもん、窓も開けられへんわ。先から1,2分おきにえらい音がしてるやん、窓も震えるくらいに・・・。こんな家はやっぱり無理やわ。僕はもうええわ」

 すると父がまたすぐに、ええ加減にせえ、と声を荒らげた。その後すぐに、盛田さんがまた父の援護に回りだした。ふたりして私に頷かせようとして必死だった。私はもううんざりした気分だった。

「幸治さん、住めば都って言葉もあるくらいですし、・・・、すぐに慣れるもんですよ。最初のうちくらいじゃないですか、ちょっと気になるのは・・・」

 そう言ってから盛田さんは真顔になって、外での話の続きをそこにつなげてきた。

「今ね、どこもかしこも不景気やっていう時代でしょ。ですけどね、真美ケ丘は恐らく世の中の景気とは関係なく、しばらく物件の売買はかなり強気なままに進んでいくと思うんです。需要と供給ってあるでしょ。真美ケ丘はね、今、価値が上がり続けているもんですから、売ろうと思っている人はもう少し値が上がるのを期待して売りに出さないですし、買おうとしている人は売り物件が見つかれば多少お金の無理をしてでも買おうとしているんですよ。幸治さん、幸治さんはね、お父様に時代と状況を見極める目があって、そしてそのおかげでこの物件に出会うことができて、いうなればラッキーなことだと思うんです」

 そこに父がいいタイミングで被さってきた。

「幸治、もうようわかったやろ。もうここに決めてしまえ」

 私はそれに対して一切返事を返さなかった。そんな私の態度に苛立ったのか、

「何が気に食わんのや。せっかくのええ物件やっていうのに・・・。盛田さんにこれだけ説明してもろてまだわからんのか。これだけのええ資産価値のある物件はそうは見つからへんのやぞ。それを見す見す見逃す気か」

 とまた父は声を荒らげた。

 私には、父がそれほど私の資産を増やすことに躍起になっていることに何の意味があるのかがわからなかった。そして私には、父が私の資産を増やすことだけに私の幸せの価値を見つめているような気がした。父と私とでは、どうやら幸せの価値観が全く違っているようだった。父は動き回ることで私の資産を膨らますことに価値を見つめ、私はと言えば、家に全くいつかないような自棄糞の日々を送りながらも本当は、どこか一所に腰を落ち着けての心癒されるような穏やかな時間に価値を見つめていたのだった。つまりそれは、誰かとただ一緒にいるだけで、別にそこに話題一つなくてもよくて、おいしい料理も酒も、・・・、何となく温もりをぼんやりとそばに感じることができて、気づけば心身の緊張が解けていて、何だかいいなとその状況のことを自然に思っていることができて、知らぬ間に活力が全身に満ちているというような、そんな何気ない時間、そんなものに私は幸せの価値を見つめていたのだった。ウッディライフで富良野のお父さんとお母さんと共に過ごしたあの僅かな時間、あの時間こそがその頃の私は一番価値のあるものだと信じ、そして何よりも必要なものとして求めていたものだった。

 そんなことをぼんやりと考えていると、父の推し進め方も、そして不気味さを感じさせるその物件も、私の心の中の状態も、何もかもが私の幸せの価値観とは対極のところにあるんだということに、私はようやくはっきりと気づき始めた。

 父が声を荒らげたせいで、どことなくどんよりと曇ってしまったその場の空気に困ったふうな盛田さんは、

「まぁまぁ社長、幸治さんもあまりにも急やったもんやから、まだそうすぐには決心がつかないんでしょう。それはしょうがないことですよ」

 と言いながらやんわりと父をなだめ、すぐに私のほうに向き直って、

「幸治さん、この物件、ほんとに人気物件ですからね。・・・。まぁ、真剣にじっくりと、ですが素早く結論を出してくださいね。私もここ数年は真美ケ丘の物件を扱うことばかりで、その私がお薦めする物件ですからね、ほぼ間違いのない物件だとは思うんです。ほぼ損をすることのないはずです」

 と言って微笑みかけてきた。

 その後の私たちは、どことなく重たい空気を引きずったまま洗面所脇の階段を上って2階の部屋をさらっと見学し、もう一度私は盛田さんから間違いのない物件だというようなお話を聞かされ、静かに家に戻った。

 それから1週間ほどの間、父は私にこんこんと諭すように話しかけ、私をなだめ、不機嫌になっては私を怒鳴りつけ、そしてまた私にゆっくりと丁寧に話しかけるというのを、会社でも家でも執拗なまで繰り返した。「お父さんの言う通り、黙ってあの物件に決めてまえ」、「幸治、あの物件は本当に値打ちのある物件やとお父さんは思うんや。間違いないぞ」、「何が気に入らんって言うんや。お父さんのわかるように説明できるんやったら説明してみい」。朝から晩まで同じようなことを延々と聞かされるということは、まるでTVコマーシャルの洗脳をだらだらと目と耳の中に押し込まれ、そしていつの間にかそれを実感も乏しいままに信じ込まされているような気分だった。そのうちに私自身、父のぐるぐると繰り返される言葉に疲れ切り、抗う気力をなくし、投げやりな気持ちになって、ついに何の感情もないまま首を縦に振ってしまった。

 父は喜んだ。その後の父は、ぼんやりとした私を嬉しそうに自分の車に乗せては、盛田さんの事務所での仮契約、銀行での住宅ローンの申込、銀行での本契約などに連れ回した。父は本契約が済むまではずっと浮かれ調子だった。私はどこに出向いてもぼんやりとしたままだった。

 どこに出向いても書類に私の個人情報やいろんな金額の数字の記入を強いられる訳だが、ぼんやりとしたままにただ連れ回されていただけの私は、書き忘れや書き違い、それに金額の誤記入を繰り返してばかりいた。そんな私に父は、今度は感情を殺して柔らかく微笑みかけながら、

「幸治、しっかり見て丁寧に記入していくんやぞ」

 と、まるで小さな子供に話しかけるようなことを口にし、そして係りの人に向かって、

「ちょっと、悪いけどこの用紙をもう一枚持ってきてくれ」

 などと叫びながら、そばで私を見守り続けてくれた。私はといえば、意識のしっかりとした人たちに混じって私一人、どう気合を入れようにも意識がぼんやりしたままで、出向く先々ではっきりと「俺は壊れている」と思い知らされているような気がして、惨めな気持ちをただ募らせるばかりだった。

 惨めさを味わってからの私はもう自分でもわかっていた。もう限界だった。私自身、もう完全に壊れ出していた。そう認めるのは嫌だったが、もう認めるより他はなかった。どうにかそれを認めようとせずに隠し押さえ込み、そして仕事だけはまだ結果を出し続けてきたのだが、もうそのままの状態ではその先に進めそうになかった。私は嬉しそうな父のそばで時々考えていた。果たして父は私のそのような状況に気づいているのだろうか。きっと父は、何か息子の様子がおかしいと勘付いていたのかもしれない。しかしそれは父からすれば、いつもの父の「精神力が足りない」という一言で十分片付けられてしまうくらい、取るに足らないほどの気がかりだったのかもしれない。そんな精神論を持つ父に私自身の状態を話す気にはなれなかった。話したところで結果は知れていると思っていた。

 11月の末、何の思い入れもない家のために、私は貯金を使い果たし、その上35年返済予定3,000万のローンを組む羽目になった。今でこそ、3,000万と聞くと莫大な金額だと理解できるのだが、600万を何の感情もなく遠い余所事のように捉えていた私は、3,000万に関してもそれと同じような感覚でしかなかった。600円と3,000円の違いでしかなかった。つまりはそれは、私にすれば痛いものでも痒いものでもなかった。


 12月に入ってからの父と私の間の雰囲気は、その以前にも増してさらに悪いものになっていった。恐らく父は私に対して家を構えさせてやったという気持ちでいて、一向に嬉しそうに浮かび上がってこない私のことがおもしろくなかったのだろう。私は12月に入ってすぐに、銀行の口座から毎月4日に自動的に引き落とされることになっていた通帳上のその明細を初めて目にして、その時になって運ばれた事の重大さに気づき愕然とした。そしてその時に、何の思い入れもない家を薦められるままに無理に買わされたという悔しさが急に胸に膨らみ出してきて、私は私でおもしろくなかった。そんな私たちの間にいい雰囲気が挟まるはずもなかった。

 その頃から急に、私の体調が狂い始めた。いつもの漠然とした辛さを抱えたままの出勤がさらに辛く感じるようになり始め、そのせいか私は毎朝ひどくお腹を下すようになり、体重が見る見る落ちていった。62kgほどあった体重はほんの2週間ほどの間に58kg前後にまで落ち込んでしまった。そのくせ食欲だけは落ちることがなかったのだが、いくら食べたところで元の体重に戻ることはなかった。急激に体重が落ちたことで、仕事中も体に力が全く入らず、そしてすっかり疲れやすい体になってしまった。そしてそれと並行して、体中の痛みがひどくなった。そのためにビタミン剤や栄養ドリンクをせっせせっせと服用したのだが、それは気休めにもならないほどのもので、全く効果は現れなかった。

 今思い出しても奇妙に思うのだが、そんな時期に私はとんでもない計画を立ててしまった。なぜかはわからないが、私はふと思いついたのだった。そしてその思いつきを、私はすぐにでも行動に移すべきだと強く信じ込んだ。自分のことなのだが、あの時の自分の真意が今でも全くわからない。完全に狂っていた。不本意な家購入の鬱憤が爆発したのかもしれない。このまま実家で暮らしていれば、精神だけでなく体まで駄目になってしまうと恐れたのかもしれない。父との関係がさらに悪化したことで、何でもいいから何かめでたいことを真剣に求めたのかもしれない。父に気兼ねなく自由にギターを弾くことのできる環境がただ欲しかっただけなのかもしれない。昔の仲間が結婚していく中で、私もそれに強く憧れたのかもしれない。その他にもいろんなことが絡み合ったせいで、とんでもない計画を思いついたのかもしれない。あの頃の私の真意を思い起こそうとしてもさっぱり掴み所がなく、今の私からすれば、やはりあの時の私はただ狂っていたとしか思えない。

 私は父に、

「お父さん、僕、結婚するわ」

 と口にした。12月の半ばの頃だった。仕事から帰ってきて、やることを全部片付けて、テレビの前に腰掛ける父のそばに珍しく私も腰掛けて、いきなりそう口にした。

 父はそれを聞いて、心の奥底からの喜びが自然と湧き上がってそれがそのまま全部表情に現れたかのような、そんな何とも言えない幸せそうな顔をした。父にすれば私の言葉は、母に対する最後の約束、責任をようやく確実に全部果たし終えることができると思えるほどの、深い安堵をもたらすような言葉だったのかもしれない。父はじっくりと幸せを噛みしめ味わうような顔をしたまま、あらぬ方向に視線を向けて、しばらく黙り込んだ。そんな父は、心の中で母の姿を思い浮かべ、そして母に何か話しかけているように見えた。私にはそんなふうに映っていた。

 そんな深い幸せにうっとりする父を前にすることは、大人になってからそれまでに一度もなかったことだった。そんな父のそばで時間を過ごすことは、私が一番に望んでいたひと時だった。何となく温もりをそばに感じることができて、何だかいいなと自然と思えるような何気ない時間、そんな父との時間を私はずっと求めていたのだった。父の深い幸せの波動のようなものが私にまで届いてきた。そしてその波動は、ふたりの間をぐるぐると忙しく巡り回っているように感じた。私もそれに釣られ、自然と幸せな気分になっていった。確かに私の口にしたことはあまりにも唐突で、そしてあまりにもその真意も定かでなくて、そしてそれは明らかに狂ったものだったのかもしれない。そう口にしてからすぐに、私は無茶を言い放ってしまったような気がしていた。しかしそんなことはもう私にはどうでもよかった。父がそこまで幸せそうにしてくれているなら、もう自分のことなどどうでもよかった。その後にどう事が転がろうとそんなことはどうでもよく、そのひと時だけ何となく父と二人、温かな幸せに浸っていられるなら、もうそれだけで十分だった。

 ようやく父が静かに話しだした。

「幸治もな、もうお父さんが思てた以上に仕事も立派にこなせるようになって、社会的にも立派な地位にな、今はもう立てるようになり始めてて、・・・。もう十分に嫁さんをもろて、養っていけるくらいのところまできたって自覚があるんやな。せやから結婚しようって思えるようになったんやな。・・・。お母さんもな、遠くできっと今、すごい喜んでることやと思うぞ。・・・」

 私には自覚も何もなかったのだが、それなのに私は父の話を夢心地でうっとりと聞いていた。声を荒げない父の丁寧な言葉の響きが心地よかった。そんな私に父は微笑みながらゆったりと、

「幸治はお付き合いしてる彼女はいてるんやろ?その子と結婚するつもりか?」

 と訊いてきた。

 私は夏頃からお付き合いしていた彼女がいたのだが、その彼女とは何となく11月に入ってしばらくした頃から連絡を取り合わないようになっていた。今だからわかるのだが、最初の頃は彼女との関係もうまくいっていた。しかしお付き合いを重ねるにつれ、日々の鬱憤を晴らすようにお互いがお互いに多くを求め過ぎたようだった。次第に二人とも疲れてしまい、距離が離れてしまった。そして自然にふたりの関係は消滅した形となってしまった。私はそのことを父にそのまま話して聞かせ、そして、

「美佐姉ちゃんがお見合いして結婚したやろ。僕もそうしたいって思ってるんや」

 と父に伝えた。父はそれを聞いてすぐ、余計なことは一言も言わずに、

「よっしゃ、わかった。美佐もな、お父さんの知り合いで結婚の世話する人がいてて、その人のおかげでええ人に出会えて、おかげさんで今、幸せにやってるんやからな。お父さん、明日にでもその人に連絡いれとくわ」

 と言った。

 父を見ていると、もうすでに父の頭の中は、我が家の一人息子の一大事をどう滞りなく事を運んでいくか、その計画に早くも集中し出しているようだった。その様子から、私の家の購入時以上にずっと興奮しているというのが見て取れた。父が私の結婚に向けてあまりにも大きく動き出しそうだということに気づき、私はそこで初めて自分の無責任過ぎた計画にはたと気づき、そして戸惑った。自分の計画なんてものは、冷たい氷のような日々の悲しみを蹴散らすための最後の大博打のようなものだったのだ。しかしそう気づくのがもう遅すぎた。深く幸せに浸り、そして次の未来に頭を働かせているような父を前にして、私はもう後には引き下がれないと思い、崩れそうな気分だった。しかし私にはすべてをひっくり返す勇気がなかった。私はもう父が描く計画にそのまま乗り込もうと覚悟した。そしてその計画が吉と転がることを祈るしかないと思った。

 忙しい日々が急に始まった。12月下旬の週末、もうすでにお見合いの段取りは父のお知り合いを通じて組まれていた。父の車で、父と二人スーツに身を包んで、大阪城脇にあるOホテルに出向いた。初めてのお見合いで私は相当おどおどとしていたのか、そしてそんな私が相手には頼りなく映ったのか、その日の夜に先方さんからの断りの連絡が父のお知り合いを通して伝えられた。

「結婚相手なんかな、なんぼでもおるんや。気にせんでええ」

 父はそんなことを言って私を慰めた。私はお見合いが流れたことに胸をなでおろした。

 次は、父のお知り合いが主催する年末のお見合いパーティーに出席するようにと父から言われ、それに何となく出席した。そこで黒髪の綺麗な小柄な可愛らしい女性との出会いがあったのだが、そしてその女性も私に興味を示してくれて年明けにデートをしたのだが、なぜか私のほうからお断りをした。恐らく私は、何の夢も希望も見いだせない大博打のような結婚前提のお付き合いに二の足を踏むことで、父の勢いを鈍らせようと考えていたのかもしれない。父はそんな私に、多少非難、苛立ちを含ませながら、

「ええ子やったんと違うんか。なんでその子に決めてしまわへんのや」 

 と言って私に圧力をかけてきた。私は結婚から逃げ通せないかもしれないと思った。

 その次は間髪を入れず、1月の中頃だっただろうか、またも父と二人スートに身を包んでOホテルに向かった。その車で父は圧力をさらに強めて言った。

「幸治、結婚相手なんてもんはな、別に悪い子やなかったらみな同じやぞ。そこそこ良さそうな子やったらな、もうそろそろ今日で決めてまえよ」

 私はドキドキしながらも、やはり父と私の件で動き回っている日々が嬉しくて、薄笑いを浮かべながら自分のことは脇に放り投げたような気持ちで、

「うん、わかってる」

 と返事をした。

 薄笑い、それは私にとって、父が勢いよく動き出した頃から私が自身のやせ細った顔面に無理やり貼り付けるようになった仮面のようなものだった。それは粗悪な仮面で、その裏で引きつる私の苦渋に満ちた表情のせいで、その仮面がひび割れたり、あるいは剥がれ落ちたりしないかと、私はいつも不安を抱えていた。

 その3度目のお見合い相手は物静かそうな女性だった。そして終始浮かべる微かな微笑みも、私にとっては好印象だった。もうそろそろ相手を決めてしまわなければ私の粗悪な仮面が不具合を起こしそうな気がしていた。結婚の話が動き出してから僅かひと月の間に、私はその仮面が剥がれてしまうことを何よりも恐れるようになっていた。その仮面の裏の私の正体なんてものはとても人には見せることができないほど醜いと、私はなぜかそう思い込むようになっていたのだった。

 1月中に2度ほど私はその女性とデートをした。そして1月の末、夜になってデートから帰ってきた私に父が、

「もう決めてまえよ、ええ子やったら・・・。見合いって言うたらな、結婚するためのもんや。好印象やったらそのまますぐに話を進めるもんや。いつまでも普通の恋愛みたいにデートを繰り返すもんとは違うんやぞ」

 と、まるでもう痺れを切らしたかのように語気を強めて言ってきた。

 私はその縁談話を断るつもりでいたのだった。というのも、2度の二人きりのデートの途中、その女性は早くも私に気を許し始めたのか、私は彼女の笑い方が品のないように感じ、とても一緒に暮らす気にはなれないと思い始めていたからだった。私にとって真の女性とは、やはり母であり、そして上島だった。やはりその二人が、いくら博打のような結婚とは言え私の結婚相手の価値基準となっていた。その女性に笑い方は、母や上島のそれとは真逆のものだった。慎ましさの欠片もなく、大きくみっともないほど口を開き、それを手で覆い隠そうともせず、しつこいほどに笑い声を発し続けるという、嫌に私の神経に触るものだった。私は、仮面が剥がれないように気遣いながら、柔らかくそれを父に伝えた。

 父の顔色が曇った。そして父は話しだした。

「幸治な、あの子はなかなか明るうてええ子やと思うぞ。笑い方がとか、品がないとか、そんなもんこの先また見合いしても同じやぞ。絶対に気になるとこが相手さんからは見えてくるもんやぞ。いろいろ文句を言い出したら、そらもうキリがないやないか。それにな、見合いなんかは普通は何度もするようなもんとは違うんや。多少我慢してでも、もうその子に決めてしまえ」

 父の顔をそっと窺うと、父が「俺はこの話、破談にすることは絶対に許さへんからな」とでも叫んでいるかのように映った。私はそれに怯んだ。私は本当は、思い切って仮面を引き剥がして、思いっきり大声で泣き叫んで暴れたい気分だった。しかしそうはできなかった。いざ仮面を剥がそうと思うと、皮膚までもが一緒に剥がれ、日に日に醜さを増す本心がそこに現れそうな気がしていたからだった。そしてそんな姿を幸せそうに私のために動き回ってくれる父に晒すことだけはどうしても避けたかったからだった。そんな思いとは別に、私の中にはもう不本意な家購入時と同様に、父の意見に歯向かっていくだけの気力も残されていなかったからだった。私はもう簡単に諦めた。諦めを意識して、ふと自分が消えたかのような気がした。命が薄まったというか、ふんわりと抜け出てしまったというか、そんな実に危うい感覚だった。そんな感覚に陥って私は、もうどうにでもなれ、と思った。そして、知ったことか、とも思った。投げやりな気分だった。私は一切の力みもない薄笑いの仮面のままに、

「うん、わかった。あの子と一緒になるわ」

 と口にした。そして私は、そこにせめてものささやかな希望をどうにか付け加えた。その後の最悪の事態を予測して、その時の被害を最小限に止めたいという危機意識がぼんやりとした意識の中で強く働いたのかもしれない。

「お父さん、あんまり派手な式はしたくはないんや。できるだけ小ぢんまりとした形で済ませたいんや」

 すると父が大きく笑いながら言った。

「そんなもん無理に決まってるやないか。お父さんは会社を経営してて、そこの跡取りとしてお前も今、頑張ってるんやから・・・。そんなお前の目出度い式を小さくまとめるなんか、出来るわけないやないか・・・」

 私のせめてもの希望はそれだけの話で終止符を打たれた。

 その頃からその女性との結婚までの日々の私は、薄笑いの人形のようだった。どんな思いで父が急いだのかはわからないが、式の日取りは5月の末に決まった。父がそう決めて、薄笑いの人形はただそれに頷いてみせただけだった。

 忙しさがまた加速した。姉たちも父の兄弟たちも、その上何年も会うことのなかった親戚も、誰もが口々に「目出度い、目出度い」と言ってはしゃぎながら、何か事がある毎に我が家に集まった。私は、何がそれほど目出度いのかと不思議な思いで集まった人達の顔を眺めてばかりいた。異様な盛り上がり様だった。中には、

「幸治くん、お母さんが元気やったらなぁ、・・・。どれだけお母さん、喜ばはったやろうなぁ・・・」

 なんてことを口にする酔っぱらいまでいた。私はそれに対しても薄笑いを浮かべるだけで、心の中では、

「お母さんが元気なら、あんたらみたいにみっともないほどだらしなく騒ぎ回ったりはせえへんわ」

 と叫んでいた。

 本当にそうだった。嬉しければ嬉しいほど気を引き締めなおす、母にはそんなところがあった。家の中で異様な盛り上がりを見せる浮ついた酔っぱらいの親戚の者と、母は全く違っていた。嬉しいこと、幸せなことを前にした時の母は、まるで何ものかのお導きに対してひれ伏し、恐れ、そして崇めているような、そんな自然と湧き上がる気持ちがそのままその表情に凛として現れていたものだった。微かに微笑みを浮かべながらも決して浮き上がることも、みっともないほどはしゃぐこともなく、その内側で密やかに、そしてじっくりと頂戴したそれらを噛み締めている、そんな気配を母は全身から静かに放っていたものだった。私はそんな母のそばにいることが好きだった。そばにいるだけで、母の全身から放たれたものが私の中に染み込んできて、陽光差す雲の上に寝転がっているような、そんな夢心地のような浮遊感を感じたものだった。

 そんな母とともに過ごした時代の感覚が私の中にはしっかりと残っていた。だらしなく浮かれる周りの親戚の者たちの中に、誰一人私の中に残るその感覚に近いものを放つ者はいなかった。そんなことよりも誰もが、「目出度い、目出度い」と我先に口走っては賑わいを貪ることに躍起になっているようにしか見えなかった。

 周りの者のことをそんなふうに思っていても私は、全部私の一言で動き出してしまったんだという責任を感じ、そしてその流れをもう断ち切る訳にもいかず、もう賑わいを貪る周りが担ぐ神輿に乗せられたままにその上で薄笑いを浮かべ続けているしかないんだと思っていた。

 その後どのように式の日までを過ごしたのか、私はほとんど覚えていない。

 次に私の記憶に刻まれているのは、披露宴での祝辞電報の読み上げの時のことである。司会者の方がウッディライフからの祝電を読み始めた。どうやら私は式までの数ヶ月の間に、富良野のお父さんとお母さんに連絡を入れていたようだった。私にはその覚えが全くなかった。恐らく、その年のゴールデンウィークは結婚が決まったために富良野に帰れないとでも連絡を入れさせていただいたのかもしれない。司会者の方が、

「次の祝辞は、北の大地、上富良野でペンションを経営されている濱本御夫妻からのものです」

 という言葉を耳にした時、とんでもないことをしでかしてしまったものだと私は思い、ひな壇上で私は深く項垂れた。その後、司会者の方が富良野のお父さん、お母さんの祝電を読み上げたはずなのだが、私は胸が苦しくなるばかりでその内容は全く私の耳に入っては来なかった。

 薄笑いの仮面をつけたまま新郎となり、何の思い入れも馴染みもない自分の家に住み始め、運び込まれた真新しい家具一つ一つに孤独を覚え、新妻の品のない笑いに苛立ち、周りの賑わいがようやく落ち着きを見せた7月に私は独り身になった。その僅か2ヶ月の新婚生活のことを、私はほとんど何も覚えていない。微かに覚えているのは、耳障りの悪い、品のない、相手の笑い声だけである。

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