第6話

 彼女と別れた私は一人、正月の明け方の空のもと、家路に就いた。一番冷え込む明け方なのに、寒いとも冷たいとも何も感じなかった。自分の口から繰り返し吐き出される白い息だけを見つめながら、俯いたままトボトボと歩き続けた。そして、つい先ほどまで一緒だった彼女のことばかり考えていた。

 別れ間際に彼女が口にした、「さみしい」という言葉、そして「頑張る」という言葉、その2つの短い言葉が頭の中でずっと鳴り響いていた。そのまましばらく歩いていると私は、彼女が口にした「さみしい」という言葉は、彼女が初めて私の前に、自身の心の奥底から正直で素直な感情を顕にして晒したものだったということに気づいた。彼女は、私から見るに、その内面に誰よりも強い芯を持った女性で、常に人前では自己を制御して、人を立て、人を安心させ、そしてそのことを自身の喜びのように捉える女性だった。あの「さみしい」という言葉は、つまりは他の誰にでもない、私という男だけに制御を外して心を開いたというふうに考えられた。

 たぶん彼女は、真っ赤に泣きはらした瞳のまま、人目を憚って扉の前に立って、窓の外のほうに顔を向けて、外の景色を眺めるのでもなく、電車の揺れに身を任せながら、今本当に寂しいって思いながら苦しんでいるのだろうな。一人帰っていく彼女の様子を想像しながら、彼女をただ守りたいと私は思った。しかしそう思った私も、1月3日にはアメリカに戻ることが決まっていた。

 初めて心を開いた彼女が、離れ離れになっても寂しさを感じないで幸せな心地でいられるために、一体私には何ができるのだろう。苦しくても、ひたすらアメリカでの日々に立ち向かって強く生きていることが彼女の喜びとなるのだろうか。それとも、時間を工面して頻繁にエアメールを彼女に送り続ければ、彼女の寂しさも少しは和らぐのだろうか。あるいは、一度アメリカに戻って、誰に何を言われようと速やかに向こうの生活を片付けて帰国すれば彼女に喜んでもらえるのだろうか。その他にもいろんな考えが頭に浮かんできたのだが、そのすべてが何一つ彼女の寂しさを拭うことのできるようなものじゃない気がして、自分の無力さに私は苛立ちを覚えた。

 10分も歩き続けると、駅前からずっと伸びる上り坂が途切れた。そして、昭和40年代に開発された関屋の住宅地の中で一番高くて見晴らしのいい場所にたどり着いた。私は一度振り返って、南方の真正面にそびえる二上山に目をやった。正月の朝は、小学生の頃から当たり前に見慣れている二上山でさえ何か特別なものに映るのが不思議だと思った。その日だけはどこか悠々としていて、厳かな新年の祈りを呈しているような気がした。私は白い息を思いきり吐き出して、二上山に深々とお辞儀をした。なぜかわからないがそうせずにはいられなかった。

 その先の下り坂を降りていけば、もう5分ほどで家にたどり着く。そのことを思うと、気持ちが少し怯んだ。私は足取り重く坂道を下って行った。大晦日までの実家での様々な気がかりが今度は頭をもたげてきた。ゆっくり歩いていると、先程までとは違って急に寒さが肌身に染みてきた。通り沿いの家々から外に迫り出した裸木の枝のせいで、ふと見上げた白み始めた寒空がひび割れているように見えた。そしてそんな寒空のもとで寒風に揺れるそこら中の枯れ草とともに、何か不穏な気配も一緒に音を立てているような気がした。

 私は、やはりあまりにも長い間、家族と離れた場所で過ごしすぎたのかもしれないと思った。どんな家族でも、その近すぎる関係性から傷つけたり、傷つけられたりという、何かと煩わしい事件が日々起こり続ける。いちいちそんなことで立ち止まって落ち込んだりしていると、とても家族というとても小さな、それでいて何よりも深い繋がりのある集団の中ではやっていけない。確かにこんな臆病で泣き虫な私でも、小学生の頃までは泣き笑いを繰り返し、それでも家族の中で飄々と暮らしていられたものだった。恐らく私は、長く離れて暮らしているうちに、あの頃は確かに持っていた家族という集団に対する耐性をなくし、煩わしさに立ち向かっていくだけの勇気、そしてそれを上手くすり抜けるための強かさもどこかで失ってしまったのだろうと思った。

 坂道を降り始めたあたりから、妙に頭が冴え渡っていた。家族と私との関係性、その中での私の苦しみの理由、そんなものが手に取るように見えてきた。しかしいくらよく見えたところで、それはもう何もかもが取り返しのつかないことばかりで、その先どうすれば家族の中に普通に溶け込んでいけるのかを考えると、私には何一つ名案など浮かんでこなかった。どうすればいいのか、もうさっぱりわからなかった。足取りが更に重たくなっていった。それでも家が徐々に近づいてきた。

 気配を殺してそっと玄関の扉を開けると、ちょうど洗面所のほうからリビングの扉のほうに向かって父が歩いてきた。私はドキッとして硬直した。父が立ち止まった。そこから、立ちすくむ私をギョロッとした瞳で睨んだ。そして怒っているような低い声で、

「今日、明日は家にいてるんやな?」

 と訊いてきた。私には、

「お前が出かけること、俺は絶対に許さんからな」

 というふうに聞こえた。私は、

「うん、出かけへん・・・」

 とだけ返事をした。

「幸治、お前な、お母さんが許してくれるからって、日本におる期間もそれほどないっていうのに出かけてばっかりしよって・・・。お前かって、お母さん、お前がそばにおって欲しいって思ってるの、わかってるやろ。浮かれとったらあかんぞ。ちょっとは頭、冷やせ」

 とだけ言って、父はそのままリビングの扉脇、玄関の真正面の位置にまっすぐ伸びる階段を登って2階にいってしまった。私は硬直したまま、まだ靴も脱がずに立ち尽くしていた。ようやく玄関框に腰を下ろして靴を脱いでいると、父に支えられながら母が階段を降りてきた。母は私を見て、いつもの変わらぬ微笑みで迎えてくれた。

「幸治、おかえり。寝んと遊び回ったら疲れたやろ?楽しかったか?」

 母のその言葉に救われた気がしたと同時に、私は罪悪感に苛まれた。


 例年の正月なら、朝の8時頃からボツボツと、父のすぐ下の長女の鈴江おばさん、その下の次男の真一叔父さん夫婦、そして三男の将一叔父さん夫婦らが銘々に我が家にやってくるのだった。そして誰かが訪れる毎に、その場の雰囲気も、徐々に正月らしく賑やかで華やいだものになっていくのだった。親戚の者がみんな揃えばしばらくの間は、女性陣は母を中心にお料理の用意をしながら台所でぺちゃくちゃと喋り、男性陣はこたつに足を突っ込んで、ビールを開ける者もいれば、ひたすらみかんの皮を山積みにする者など、それぞれが何のわだかまりもなく勝手気ままに振る舞いながら、正月の特別番組を眺めては笑って過ごしているのだった。その賑やかな雰囲気が私は大好きだった。そしてようやくお料理の支度が整えば、玄関を上がってすぐ左の8畳の和室で座卓を囲みながら、お酒を酌み交わしながらの朝食とも昼食ともつかない食事を、お昼過ぎまで2時間以上もかけて楽しむのだった。

 しかしその年の正月は違っていた。リビングに集まった父も母も由美子も、やはり正月というだけあって、どこかかしこまって澄ました中にも微かな微笑みを浮かべてはいたのだが、その表情の裏側からは、その前日の大晦日の日と同じ、どこか悔しさと何かに耐え凌いでいるかのような力みが滲み出ているように感じられた。時計が9時を指しても、親戚の誰ひとりもやって来なかった。テレビだけは例年と変わらず、正月の特別番組が流れていた。寂しい家の中で、そんなテレビが私には虚しく映った。何かがやっぱり変だと思った。しかし、なぜかわからないが、母のそばではそのことに触れてはいけない気がして、私はみんなと同じような顔を作って、虚しいテレビのほうに観るでもなく目を向けていた。

 恐らく10時頃だったかと思う。例年なら銘々時間もバラバラにやって来る親戚の者たちが、まるでその日はどこかで待ち合わせでもしたのか、全員が揃ってガヤガヤと玄関から家に入ってきた。例年なら玄関に親戚の誰かがやってくると、父を先頭に、その後に母、私たち子供がそれに続いてお出迎えしていたのだが、その日の父は違った。車椅子に腰掛ける母の左側に立ち上がり、まるで母を何かから護るような立ち姿で、リビングの扉のほうをまっすぐ見据えていた。その顔は無表情だった。父がそこから動かないものだから、由美子も私もリビングに留まる他はなかった。母にちらっと目を走らせると、その瞳の奥が怒りに震えているように見受けられた。今度は由美子のほうに目を向けると、その表情がひどく緊張していた。私にはそのすべてがもう、何が何なのかさっぱりわからなかった。ただその場の雰囲気からして、どうやら、親戚の者たちと気易く、そして愛想よく言葉を交わしてはならないようだ、ということだけは理解できた。

 真一叔父さんが一番にリビングに入っていた。その表情は緊張していた。その後に続いて、親戚の者たち全員がぞろぞろと入ってきた。一気に全員が入ってきたものだから、由美子と私は自動的にリビングの奥の食卓のほうへ追いやられた。私は、その後の成り行きを少し離れた場所から眺めることとなった。親戚の者たち誰もがその表情をこわばらせていた。全員が父と母の前に揃うと、父は無表情のままに一度、全員の顔をざっと眺め回した。しかし誰ひとり、そんな父と瞳を合わせる者はいなかった。どう見ても誰もが、どうにかペラペラの愛想笑いを浮かべながら、それぞれが巧みに父の視線を意識的に外しているようだった。父が、

「何や、みんな、待ち合わせでもして揃って家まで来たんか?」

 と、まるでどうにかその場を取り繕うように、歪んだ微笑みを浮かべながら誰にというでもなく話しかけたのだが、真一叔父さんがよそ見をしたまま返した答えが実に不自然なものだった。

「いやぁ、なに、・・・、偶然にな、関屋の駅前あたりからみんなの車が一緒になってな、同時に到着したっていうわけや」

 私はそんなことあるわけがないと思った。そのまま真一叔父さんが、あらぬ方向ばかりに目を泳がせていた一同に向かって、無理に鷹揚に振る舞いながら、

「おい、兄貴と姉さんにちゃんと新年のご挨拶、させてもらおう。いつもバラバラに挨拶してたけどな、今年は全員、偶然にも一緒に来たんやから、全員で横一列に並んで挨拶しようやないか。おい、さぁみんな、さぁ、さぁ、正座して・・・」

 と号令をかけた。

 全員が横一列に正座をして、まるで練習でも繰り返してきたかのように声を揃えて、

「兄さん、姉さん、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします」

 と言いながら、床に手をついて頭を下げた。その後すぐ、父が由美子に向かって、

「おい、由美子、ビールとおつまみ、用意せえ」

 と言ってそのまま、また誰にというでもなく、

「今年はな、うちの家内もまだ足がちゃんとようなってないからな、何の正月の用意もしてへんけど、まぁゆっくりしていってくれな」

 と口にした。それを聞いて真一叔父さんが、

「姉さんもこんなな、大変な時期やのに、・・・。そんなん、兄貴、俺らになんか気を遣わんとってくれよ。由美子、何も用意してくれんでええぞ」 

 と、途中からは台所の由美子に声をかけたが、由美子はそれには返事しなかった。

 私は食卓のほうから頻繁に母の横顔に目を走らせたのだが、母は一言も言葉を発することなく固く口を噤み、まるで仮面でもつけているかのようにぎゅっと力んだ微笑みを崩すことはなく、テレビ画面から一切目を逸らさず、車椅子の手すりを強く握り締めて座っていた。

 台所で動き出した由美子を追いかけて手伝おうとして、親戚の叔母さんたちも台所に入っていった。叔母さんたちが由美子に、

「由美子ちゃん、手伝うことがあったら言うて。何か先にみんなのところへ運ぼうか?」

 と話しかけても、由美子は叔母さんたちから視線を外したまま、

「大丈夫ですよ。今年はほんまに、何も用意してないから・・・。向こうで座ってゆっくりしててくださいね」

 と、微かな作り笑いを浮かべたままに叔母たちの侵入をやんわりと拒んだ。

 手持ち無沙汰になった叔母たちは、仕方なしに食卓前に腰掛けた私の所に流れてきた。その間に由美子は、叔父さんたちにビールやおつまみなどをひとりで運んでいた。私はそのまま、叔母さんたちの質問攻めに合うこととなった。

 アメリカでの生活はどうか、ホームシックで苦しんでないか、職場には馴染んだか、食事はどうしているのか、母の美味しい手料理が恋しくはならないか、アメリカ人の彼女なんて作ってはいないか、車の運転はすっかり慣れたのか、シカゴとはどんな街なのか、住んでいるところの治安はどうか、どこか旅行にでも行ったのか、・・・、そんな質問が延々と続けられた。

 私は、そんな不穏な空気の中、もうどう振舞えばいいのかさっぱりわからなかった。わからないままにどうにか質問攻めに答えてはいたのだが、親戚の者たちと家族との間に私の不在時に何があったのか何一つ知らず、だからそれをいいことに、何も知らないということを理由にして、家族の雰囲気を無視して昔のように親戚の者たちと無邪気に楽しんで話し込めばいいのか、それとも、親戚の者たちに無愛想に応じることで、たとえそうすることで親戚の者たちから「幸治も家族の雰囲気に感化され、そして毒されて、一丁前に適当に受け答えすることを覚えてしまった」と思われるようなことがあったとしても、それでも家族の一員として家族の者たちと同じように振舞えばいいのか。私の頭の中はそのような新たな悩みが生まれ、それが弾け飛び、そしてこんがらがっていた。そして更にその時の私は、親戚の者たちからも、家族の者からも、私の言動、振る舞いが厳しく監視されているような気がしていた。その場での私の言動、振る舞いは、きっと正月の集いを終える頃から両者それぞれによって事細かく評されるんじゃないだろうか、そしてまたその評価通りにその後の私の扱いが決定されるんじゃないだろうかという気がして、八方塞がりのような緊張の中、どうすれば両者に対して嫌な思いを残さないでいられるか、そんなことばかり考えていた。

 結局最後まで、何をどうすればいいのかも何もわからないままにその年の正月は過ぎていったのだが、一つだけはっきり見えたのは、私の知りえない無数のわだかまりがやはりあって、それでもそれまでの形式を嘘でもいいからどうにか守り抜くためだけの正月だったんだということだった。そのためだけに親戚の者たちもどうにか集い、そして父もそれをどうにか受け入れた。しかし、そんな形式を守るためだけの正月の集いは一切賑やかになることも華やかになることもなく、運ばれたビールもおつまみも減ることもなく、異様な雰囲気のまま冷え冷えとした感触だけを残し、1時間もしないうちにお開きとなった。事情を何も知らない私にとっては、ただの苦痛でしかなかった。

 そしてその後、親戚の者誰もが帰り際に、母に向かって、

「姉さん、今は辛いやろうけど早くようなること願ってます。どうか頑張ってくださいね」

 というような言葉を投げかけたのだが、母は一切固い表情を崩すことはなく、誰とも目を合わすこともなく、終始無言を貫いて、わかるかわからないか程度にかすかに頷くだけだった。母にとっても、苦痛以外に何ものでもない正月だったのだろう。そうこうしているうちに、親戚の者たち全員は帰っていった。

 由美子がすぐにバタバタと片付けを始めた。運ばれたのに減りもしなかったビール瓶を由美子は手に持って、

「もったいないから幸治、あんたがこれ、飲んでしまい」

 と言いながら、ドンと音を立てて私の前の食卓にそれを置いた。その硬い音を聞いて、明らかに、親戚の者たちを前にして取った私の言動、振る舞いは家族の者の満足のいくものじゃなかったと評されているのがわかった。訊きたいことがもう頭の中に溢れかえっていた。それは大晦日あたりから積もりに積もって、それでも家族の気配を察して訊くに訊けなかったのだが、そのように家族の一員としての下評を下されたとなれば、またさらに訊きづらい状況へと追いやられたようだった。

 お昼過ぎに美佐夫婦がやってきた。家族全員が揃ったことで、父も母も由美子も、その表情がようやく綻んだように見えた。美佐の夫、英明の相変わらずの得意気な週刊誌ネタで、我が家の正月の雰囲気も少しは賑やかなものとなっていった。恥ずかしげもなくど派手に着飾ったふたりの姿も、その日だけは気にもならなかったし、それ以上にどんよりと澱んでいた室内を華やいだものにしてくれているように感じた。結局親戚が残したビールを2本空けた私は、そのまま美佐夫婦が来てからも英明と飲み続け、心地よい酔で一時は親戚と家族との間の不穏な空気を忘れることができた。何一つ私の中で解決したわけではなかったのだが、午前中のほんの1時間のうちに緊張と戸惑いでどうにかなってしまいそうだった私には、美佐夫婦がやってきたことはその日だけはやはり好都合なことだった。台所に目を向けると、美佐と由美子が夕飯の支度をしながら妙にヒソヒソとずっと話し込んでいたのだが、多分その朝の出来事を、そしてその時の私の言動、振る舞いを事細かく話し込んでいたんだと思うのだが、酔もまわって私も気が大きくなっていたせいか、「好き勝手、言ってろ」とくらいにしか思わなかった。

 その夜は、賑やかに家族全員ですき焼きを囲んだ。母が本当に楽しそうだった。英明も相変わらず、べらべらと喋って楽しそうにしていた。母と英明以外のその他の者も楽しそうに振舞っていたが、何か胸の奥にわだかまりを隠し抱えているように見えた。「どうせ俺のことでわだかまりを抱えてそんな顔をしているんだろう。好き勝手にずっとそうしてろ」と思った。私はそんなことを思いながらも、ただ楽しそうに食事を楽しむ母の表情ばかり酔った瞳で追いかけては幸せな気持ちでいた。わだかまりを抱える者を隣り、前にしても、母さえ嬉しそうにしてくれていれば私はそれで満足だった。その前日の夜は彼女と過ごし一睡もしていなかった私は、酔の後押しもあって食後一気に激しい睡魔に襲われた。母がそんな私を見て、

「幸治、腹ふくれて眠たなってきたか?寝てへんもんな。もう、無理して起きてんでもええから、2階に上がって寝たらどうや?」

 と可笑しそうに話しかけてきた。

「うん、でも、兄さんも来てはるしな。ええんやろか?」

 私がそう口にすると、母は、

「幸治、そんな何から何まで気を使わんでええんや。幸治は気を使いすぎや。思ったように、思ったままに、何でも好きにやったらええ。気を張りすぎて疲れてしまうやろ、そんな気ばっかり使ってたら・・・。今日はもう休み。疲れた顔してるんやから・・・」

 と笑いながら言った。母はどうやら、その日の朝のことも合わせて話したようだった。私はそんな気がした。私は母に勧められるまま、2階に上がって休んだ。

 次の朝、目覚めて洗面所に顔を洗いにいくと、そこに美佐がいた。てっきり昨夜のうちに尼崎に帰ったのだろうと思っていたので、私はかなり驚いた。美佐が私を見るなり、怒りを顕にした顔でいきなり、

「あんたは調子乗ってるんちゃうか?いくら正月やいうても、英明さんはあんたよりずっと年上なんやで。それをやな、英明さんに遠慮もなしに一緒になって、同じように酒呑んでヘラヘラして・・・。お父さんも、お母さんも、恥ずかしいやろ。それとなあんた、由美子から聞いたけど、昨日の朝あんた、親戚の人らとえらい親しそうに話し込んでたらしいな。あの人らにお母さん、どれだけ悔しい目に会ったか知らんのか?知らんことないやろ。ちょっとはお母さんのこと、考えたらどないやの・・・」  

 私は美佐のことが面倒で、一言の返事もせずに背を向けて、その場を離れた。美佐がいるということは英明も我が家に泊まったということで、家族全員、その上英明までがいる正月2日目の家の中で、朝からひと騒動が起こるのを恐れたためだ。とりあえず顔を洗う前にトイレに入った。そのまま便座に腰掛けて、苛立ちながら美佐のことを考えた。

 美佐があんなふうに私を攻撃するようになり始めたのは、一体いつ頃からのことだったのだろう。美佐が由美子に対して、私に接するような態度でぶつかっていくことは想像もできなかったし、見たこともなかった。二人は、やはり小学生の頃からの記憶を掘り起こしてみても本当に仲がいい。私が親戚の者と接する時、丁寧に口を利くよう心がけてはいるが、さほど敬語にこだわってお話することはない。そんな私を誰も咎める者はいない。それと同じように英明にも接しているつもりでいるのだが、英明に対する口の利き方に関してだけ美佐があそこまで敬語にこだわるのは一体何事だろう。私がいる前で両親にベタベタと媚びを売る美佐はどう見ても異様で、私がいない時もいつもあの調子で両親に媚を売っているのだろうか。そんな美佐を両親はどんな思いで受け止めているのだろう。その反面、私を前にすると豹変する。どうして私を攻撃するのに父や母の目の届かない場所を選んで攻め込んで来るのだろう。正月の朝、親戚の者と私が話したことは、親戚と家族の間の不穏な空気の理由も何も知らないままに、私なりには精一杯家族の一員として接したつもりでいたが、じゃぁそれなら、不自然なほどまで口を噤んで来客を無視し続けろとでも言うのか。その場にいなかった美佐にとやかく言われる筋合いはない。・・・。あれやこれや考えていると、少し美佐という人間がわかった気がした。要は、自分に精神的にも金銭的にも利をもたらしてくれる人の前では、いい子でいたいのだ。取り敢えず私は、そんな結論にたどり着いた。二日酔いの頭で美佐のことで頭を働かせているのが馬鹿らしくなって、私はトイレを出て顔を洗いに洗面所に向かった。

 その日美佐夫婦は、お昼すぎまで家にいた。朝から美佐にあんなふうに攻撃されて、私は英明が話しかけてきても愛想よく話す気にもならなかった。英明が、

「なんや、幸治くん、今日はえらい静かやな」

 と話しかけてきても、どうせ美佐が逐一聞き逃さないように耳の穴をかっ開けて聞き耳を立てていると思うと、もう馬鹿らしくて、他所見したまま、

「そんなことないですよ。まあ、昨晩は少し、いやかなりですかね、正月ということで調子に乗ってしまって、私も飲みすぎたのかもしれません」

 といった、いかにも美佐が満足しそうな、それでいて癇に障るような返事を一言二言で返すしかしなかった。


 美佐夫婦が帰ってから、私はようやく年末から続いた緊張を解くことができた。そうは言っても残された休暇はその日一日だけで、その翌日の1月3日のお昼過ぎには伊丹-ロサンゼルス便の飛行機に乗り込むことになっていた。もう時は迫っていた。

 日本に残してしまうことになる気がかりが2つあった。それは、母のこと、そして上島のことだった。美佐夫婦がいなくなってから母のそばで、別に真剣に観るでもないテレビに顔を向けながら、私はそのことばかりを考えていた。母ももうすっかり昨日までの緊張を解いて、いつものような穏やかな顔をしていた。親戚と家族との不穏な空気の本当の理由を誰にも訊くこともできないまま、結局私は混乱と焦りの中で最後の日を迎えてしまったのだが、あれほど張り詰めていた母が緊張を解いたことに私はかなり安堵した。そうなると私の意識は、自然に上島のことのほうへと傾いていった。由美子は一人台所で母に言われるままに、私の好きな餃子鍋の準備をしていた。父はソファで眠たそうに凭れ込んでいた。私は母に、

「ちょっと2階で電話してくるわ」

 と言ってリビングを後にした。上島に電話するとすぐに彼女が出た。

「なんや、俺の電話、待ってたんか?」

「待ってたわけじゃないけど、・・・。でも、たぶん柄本くん、今日は電話してくれるって思っててん。電話鳴った時、あっ、柄本くんやってすぐわかったよ」

「えぇ、なんでわかってん?」

「私にはわかるの」

 と強く言って、鈴が転がるように彼女は笑った。

「ええ正月やったか?」

「うん、まあ例年通りやって言えばそうなんやけどね。柄本くんは・・・?」

「ウチもまぁ普通や。ぼやーっと正月番組観てただけやな。ほんまに普通の正月や」

 そこでピタリと会話が途切れた。そして少し間を置いて、先ほどまで明るく楽しそうに話していた彼女が少しかしこまって静かに、

「いよいよ明日やね・・・」

 とつぶやいた。

「うん、そうなんや」

 また会話が途切れた。その後、長く感じさせる沈黙が続いた。電話の向こうから彼女の寂しさと苦しさが、回線のノイズに乗って私のところまで届いてきているような気がした。電話でつながっていても彼女を寂しさから、そして苦しさから救い出せない自分の至らなさに、私はそんな自分が悔しくなっていった。私は思わず、

「今、姉貴がな、晩飯の用意しててな。俺が飯食った後になるんやけど、その頃に関屋まで出てこれるか?明日、もう向こうに帰ってしまう前の日に、俺もそんなに長い時間、家を空けることでけへんから、高田までは会いに行かれへんねん。関屋までお前、出てきてくれるんやったら少しやったら会える。会えたら嬉しいんやけど・・・。どうや?来てくれへんか?」

 と言ってしまった。父には、もうどこにも出かけないと約束していたが、そんなことはもう構ってなどいられなかった。

「うん、じゃぁ、柄本くんが夕食始まる前ぐらいに一度、電話もらえる?」

 と嬉しそうに彼女が言ってくれたので、そうすることにして私は電話を切った。彼女の、ぱっと花が開いたような嬉しそうな気配を、私も嬉しく思った。

 夕飯が済んで、

「ちょっと駅前まで友達が来てるらしいから出かけるわ。すぐに帰ってくるから・・・」

と父に話すと、

「お前、どこにも出かけへんて言うてたやないか。お前、明日からまた家におらへんようになるんやぞ」

 と怒鳴られた。そんなふたりを前に、母が悲しそうな顔をした。そして母が、

「お父さん、そこまで言わんでもええやんか。幸治もすぐに帰ってくるって言うてるんやから・・・」

 と言って私をかばってくれた。母には悪いと思ったが、その時の私にとって彼女のことは母とのことと同じくらい大切だったから、出かけない訳にはいかず、

「すぐ戻ってくるから・・・」

 とだけ言い残しながら背を向けて、玄関から飛び出していった。

 関屋駅の改札を出たところに、明るすぎるほどの蛍光灯に照らされて、彼女が一人俯いて立っていた。孤独な姿だった。大晦日の夜と同じだった。私は精一杯おどけたふうに、

「ひ・さ・し・ぶ・りー」

 と彼女に声をかけた。顔を上げた彼女は微笑んだ。そして、

「何を言うてるの?昨日の朝までずっと一緒にいてたやんか?もう忘れたの?」

 と言って楽しそうに笑った。

「そうやなぁ。ずっと一緒にいたいって思ってるから、会ったら久しぶりに思ってしまうんやなぁ」

 と私が言うと、また楽しそうに、

「うまいこと言うて、もう柄本くんは・・・」

 と彼女が言い返してきた。

 正月で駅前に1軒だけある喫茶店も閉まっていたし、時間も限られていたし、私たちにはどこも行く場所がなかった。さてどうしようかと迷っていると、彼女が不意に話しかけてきた。

「なぁ、柄本くん。もう明日の今頃は飛行機の中やね。柄本くん、私、今、柄本くんのこと、一番大事な人よ。柄本くんも私のこと、そう思ってる?」

「うん、そう思ってるで。俺にとって今、お前は一番大事な人やで・・・」

「でもね、私はね、柄本くんが思っているような特別な女の子じゃないんよ。好きになったら特別なんかもしれへんけど・・・。でも、やっぱり私はいたって普通の女の子よ」

「うん、俺もそうやろうな、普通の男やろうな」

「うん、・・・。この先、離れ離れになって、会えへんようになること思ったら、私、今ほんまに苦しいねん。あと1年以上も柄本くんが向こうにいったままで会えへんことを考えるだけで、今こうして会ってても、一緒にいるのにそれでも苦しいねん」

「俺、お前に何もしてあげられへんのが悔しいわ」

「違うよ、そんなん・・・。柄本くんは私のこと、いつも考えてくれてるの、私は私なりにようわかってるつもりよ。本当に嬉しく思ってるのよ」

 少し会話が途切れた。明るすぎる蛍光灯が鬱陶しかった。どこか照明の落ち着いた場所に行きたいと切に願ったが、そんな場所などどこにもなかった。また彼女のほうから話し出した。

「柄本くん、私にとって、今は柄本くんのこと、一番大事よ」

 また彼女は同じことを私に話した。私は頷くだけだった。彼女は続けた。

「柄本くん、こうして年末年始に会う前はね、だからまだ柄本くんが向こうから帰ってくる前はね、私、会えるのが楽しみでしょうがなかったの。年末にね、京都の飲み会の席でほんと久しぶりに会った時、その時からね、私、柄本くんがすぐに向こうへ戻ってしまうんやと思うとね、そこから寂しいてたまらへんようになってしもてん。大晦日の夜は2人で楽しかった分、余計に寂しかった。最後この下のホームでギュって抱き合ったでしょ。あの時が一番寂しかった。でもね、今日柄本くんの電話もらって、もっと寂しくなってん。・・・。私ね、今、全部正直に話してるよ」

「・・・・・・」

「柄本くん、私のこと忘れるくらい、向こうで頑張っていて。お願い。柄本くんにはそうしていて欲しいねん。私もこっちで頑張っているから。それで、お互い時々思い出すくらいでいよう。私ね、今のこの寂しさに勝てる自信、実は今、あんまりないねん・・・」

 と言って、彼女は申し訳なさそうに俯いたまま、しくしくと泣き出した。私は、そんな彼女にかける言葉を見つけられないでいた。長い沈黙が続いた。私は彼女のそばで一人、自分の正直なところの思いを巡らせた。アメリカに帰る直前に、やはりもう一度だけ彼女には会っておきたかった。きっと彼女もそう望んでいると信じていた。だから無理をして会う約束をした。しかし会う毎に寂しさを募らせて、彼女がたった一人では抱えられないほどにまでそれが膨らんでしまうくらいなら、その夜は連絡もせずにそっと一人にしてあげるべきだったんじゃないだろうか、と私は思った。私も思い返せば、会う毎に寂しさを募らせる彼女の気配には気づいていた。それでも、おどけながら、ふざけながら楽しく過ごせば、どうにか彼女の中に横たわる寂しさを振り落とすことができるんだと信じていた。しかしそう信じて、離れ離れになる直前にまで会う約束をした結果、それは彼女に悶え苦しむほどの止めの寂しさを与えてしまうこととなってしまったようだった。私はふと、彼女が正月の朝に別れてから苦しくてどうしようもなくて、それでも堪えようとしているところに私の電話があったから、そのせいで胸の苦しみ、そして思うことの全部を私にそのまま打ち明けようと思い、そのために私に会いに来たんだという気がした。本当は私さえ電話しなければ、彼女は一人で苦しみに打ち勝って更なる寂しさを募らせて苦しむこともなかったのかもしれなかった。私は、彼女に対する申し訳ない気持ちで一杯になっていった。

「上島、ごめんな・・・」

「柄本くん、なに?急にどうしたん?」

 急に謝った私に、彼女は驚いたようだった。

「お前が寂しいのは気づいてたんや。俺、頑張って楽しく過ごせば、お前の寂しい気持ちなんて振り切れるって思ってたんや。せやけど、無理があったかもしれんな。認めたくはないんやけど・・・。どうにかしようと思ってたけど、・・・。俺も寂しいわ、正直、今は・・・」

 そう言ってから私は、ひとり考えていたことを全部そのまま彼女に話して聞かせた。彼女がそれを全部聞き終えて、

「柄本くん、私のことわかってくれてありがとう」

 と言った。その顔はどこか晴れやかだった。そして自然な微笑みが浮かんでいた。それでもやはり寂しさには勝てなかったのか、それともありがとうと口にしただけあって余程何か嬉しかったのか、そこのところは分からないが、その後彼女は笑いながら、ぼろぼろと泣き出した。私はふと、これで彼女の涙を目にするのは何度目だろうかと思った。数えると3度目だった。卒業式の後のカラオケで、彼女の涙を初めて目にした。その理由を尋ねても彼女は微笑むばかりだった。その次は昨日のことだった。寂しいと言って、気が触れたように私にしがみついて、彼女は思いっきり泣いた。そして今日、彼女はスッキリとした表情で晴れやかに泣いた。

 私は自然に、彼女をそっと抱きしめた。そして自然に、彼女の頭を撫で回した。ただ大切に思った。だから彼女の言うことを全部尊重しようと思った。彼女は私の背中に軽く腕を回したまま、私の胸の中で泣き続けた。そして、

「柄本くん、本当にありがとう。頑張ろうね」

 とだけ言って、そのまま泣き続けた。

 その後、どんな会話を彼女と交わしたのか、どのようにして彼女と別れたか、その辺がどうしても思い出せない。完全に記憶から抜け落ちている。ただ、彼女と別れて、駅前の上り坂を懸命に走って家路を急いでいたことだけはなぜかはっきり覚えている。それは、彼女の晴れやかな表情と彼女の言った「頑張ろうね」という言葉が私を奮い立たせ、私に勇気を与え、そのお陰で一刻の早く母のそばへ戻らなければいけないと気が急いたためであった。私は、一目散に駅前から伸びる坂道を駆け上がっていった。

 家に帰ると母が嬉しそうに、

「早かったね」

 と話しかけてくれた。そのお陰で、私は父からも由美子からも責められずに済んだ。私はリビングに入るなり、母の車椅子の左脇に腰掛けた。そして彼女のことを思いながらぼんやりとテレビを観ていると、

「幸治、向こうに帰ったらな、こっちで家族に会うて、友達にも会うて、楽しい時間過ごせた分、余計に寂しく感じるやろうけどな、無理はせんでええけど、やれることだけこれまで通り精一杯また頑張るんよ」

 と、しんみり母が話しかけてきた。

 私はふと母に、堕落したアメリカでの日々を告白したくなった。そうすること以外、アメリカですり減った心は完全に癒えることがないような気がした。そしてそうすることできっと母は、ただ頷きながら私の話を最後まで聞いてその後に、

「幸治は大丈夫よ。幸治にはお母さん、そして家族が付いてる。安心してたらいい。何があっても、どんな暮らししてても、幸治は、結局最後は、自分で苦しいのも悲しいのも全部、乗り越えていくってお母さんはわかってるし、そしてそう信じてるよ」

 というようなことを口にして、私にただ前を向いて歩いていけるような魔法をかけてくれることだろうと思った。しかし、原因不明の足の症状に悔しがる母にそんなことを口に出来る訳もなく、私は、

「うん、頑張るわ。次に日本帰ってくる時は、もうお母さんの足、ようなってたらええな。お母さんも辛いやろうけど、無理のない範囲で頑張っててな」

 と母に話しかけた。母の顔を窺うと、その瞳は真っ赤に充血していた。私は母の左手をとって、

「お母さん、もう泣きなや。なぁ、お母さん・・・」

 と言いながら、その甲を摩り続けた。

 次の朝、ついにアメリカに戻る日がやってきた。母は家で私を見送ることになっていた。リビングでいつものように車椅子に腰掛ける母は、その大きな瞳を見開いて、朝から準備に動き回る私をずっと目で追いかけていた。母の視線を感じながら、昨晩の母の涙、母と交わした言葉、母に甘えたい気持ち、それらと並行して年末から年始にかけての母の悔しそうな表情など、様々なことが思い出されて、私はたまらない気持ちでいた。準備も整い、荷物も全部積み込み終えて、私は母のそばに行った。最初、母は微笑むばかりだった。私も、そんな母のそばで寂しさを向こうに追いやって、そばにいる喜びを噛み締めていた。家を出る時刻になった。私は母に、

「そしたら時間やし、もう行くな」

 と話しかけた途端、母は全身を震わしながら泣き出した。父が玄関先からリビングを覗いて、

「幸治、急がなあかんぞ。もう時間やぞ」

 と声をかけてきたが、とても母のそばからすぐには離れられなかった。私は母にかける言葉も見つけられずにいた。そして母の左手を握った。すると母が、

「幸治、頑張るのよ」

 と絞り出すようなか細い声で私に話しかけてきた。私はどうにか微笑みを無理に浮かべて、

「うん、頑張るな。お母さんも頑張って・・・」

 と話しかけた。

 振り返り母の顔を見つめながら、私は玄関へと向かった。母が先ほどよりももっと激しく泣き出した。私には、そんな母がまるで、原因不明のまま進行する自分の足の症状から自分のその先の運命に思いを巡らせて、私との最期の別れとなるかもしれないという嫌な予感を意識してしまい、そのせいであれほど悲痛なまで悶えるように泣きだしたように感じられた。私は心の中で母に向かって、「お母さん、どうかそんなこと考えんとって・・・」と叫びながら、手を振ることも忘れたままリビングを後にした。

 父は、私が幼い頃から、とにかく私が泣くのを嫌った。泣くとすぐに、「男のくせに泣くな」と怒鳴りつけるのがいつものことだった。父の車で伊丹空港に向かった。私は父の隣りで、必死に涙を堪えていた。父は終始無言のままでいた。泣きそうな私に苛立っているのか、それとも母のもとにできるだけ早く帰ろうと考えていたのか。私が帰国した時と同じように、父はその日も車を暴走させていた。父の無言は恐らく7割方、今にも泣き出しそうな私に対する苛立ちのように感じられた。だから私もそんな父を刺激しないよう、ただぼんやりと外の景色に目を向けながら、無言を貫いていた。空はどんよりと曇っていた。雪雲のようだった。阪神高速の左手に天王寺の通天閣が見えてきた頃、それは実家を後にして20分ほど経った頃だったが、少し気持ちが冷静になってきた私は、帰省中に一番気がかりだったことを父に尋ねた。

「今年の正月、なんで、親戚の誰もがあんな余所余所しかったん?」

 父の表情が瞬時に曇った。私は、父が私の不在時に起きたことを思い出して、悔しい気分になって、それで表情を曇らせたのかと思った。しかし父の口から出た言葉は、全く私の問い掛けに対する答えではなかった。

「幸治、お前が今、せなあかんことは何や?アメリカでの生活に馴染めるよう頑張って、泣き言も言わんと仕事に目一杯食らいついて、男として独り立ちすることやろ。それもロクに出来んと、泣き言を言うて、スコットの会社に迷惑かけて、家に帰ってきて・・・。今はアメリカに戻るために空港に向かってるんやろ。その車の中で、一体何や。何を家のこと、心配してるんや。家と親戚の間に何があったとか、そんなことは今、お前は知らんでもええんや。今は、どうやったら食らいついていけるか、独り立ちできるか、それだけに集中して、それだけを考えてなあかんのんと違うか?そのへんがお前は甘いんや。自分で自分の根性、本気で叩き直せ・・・」

 結局、それ以外は一言も話さないまま空港に到着し、私はその玄関口で下ろされた。「とにかくしっかりやれよ」とだけ言い残して、父は去っていった。一人になって、学生時代にいつも胸の中に横たわっていたほんの小さな余所者意識が起き上がってきた。そしてそれは私の体内を練り歩き始めた。私は、その先どこへ行っても余所者のようにしか生きていけないような気がした。そして、その余所者意識と生きることが私のその先の運命のような気がした。

 飛行機の機体整備が遅れ、伊丹-ロサンゼルス便の離陸が予定より2時間ほど遅れることとなった。待ち時間が長くなってしまった分、抱えた悩みも膨らみ、頭の中の混乱も激しさを増した。喫煙場でタバコばかりをふかしていたら、気持ちが悪くなってきた。それに釣られて気持ちが沈んでいった。喫煙場を出ると公衆電話があった。上島には離陸前にはもう電話はしないでいようと決めていたのだが、結局フラフラとかけてしまった。すぐに彼女が電話口に出て、しまったと思った。折角その前の晩に彼女は晴れやかな笑顔を取り戻したのに、またそんな彼女に寂しい思いをさせて、その結果また苦しませてしまうと思った。しかし、もう繋がってしまったものは仕方なかった。

「ごめんな、電話してしもた」

「何でごめんなん?私ね、柄本くんから電話、かかってくるってわかっててん」

「そうなん、なんでや?」

「だって・・・、柄本くんてそういう人やもん。だから電話のそばにいててん」

「そうなんや。それで俺ってどういう人やねん?」

「そういう人やねん。そうとしか言いようがないわ。電話くれてありがとうね」

 私は、彼女が私からの電話を待っていたことに驚いた。サバサバとした調子で彼女は話していたが、電話を切れば、彼女はまた寂しさに悶えるのだろうと思った。すると、彼女がそれまでのサバサバとした調子のままに、

「もうすぐ機内に乗り込むの?」

 と訊いてきたので、少し遅れていることを話すと、

「向こう行ったらまた手紙、頂戴ね。それと、・・・、本当に頑張ってね。頑張ってる柄本くん、私、期待してるよ」

 と言った。私が何か言おうとすると、そのまま彼女が先に、

「お母様に電話してあげて。私のことばっかり気にしなくてもいいから・・・。もうキリがないし、もう電話切ろうね」

 と言ってきた。私は、畳み掛けるように話すところからして、彼女は相当参っているのが見て取れたので、

「そうやな。また連絡するな」

 と言って、そっと受話器を置いた。

 彼女の言う通りに素直に、私はそのまま実家に電話した。由美子が電話口に出て、すぐに母に代わってもらった。

「幸治か、・・・。空港は雪、降ってるか?こっちはさっきから急にざぁーって降り始めたんや」

 私は振り向いて大きな窓の方へ目を向けた。景色が霞むほどに細やかな雪が吹き荒れていた。

「お母さん、気づかんかったわ。こっちも降ってたわ」

「そんなんも気づかんくらい、何してたんや?」

 私は母を笑わせるために嘘をついた。

「飛行機が出発、2時間遅れになってな、やることないからブラブラしてたら腹減ってきてな、朝もしっかりと食べてきたのに・・・。それでな、幕の内弁当買って食べたんやけど、それがえらいご飯の量が少なぁてな、もう一回同じ弁当買って、今食べ終わったところや」

 母は可笑しそうに笑ってくれてほっとした。

「幸治、それで、日本の弁当の食べ納めやな」

「そうやな。・・・」

 そこから話が途切れた。

「お母さん・・・」

「なんや?」

「お互い、頑張ろうな」

「そうやな、お互いにな・・・」

「また連絡するな」

「うん、楽しみに待ってるわな」

「そしたらまた・・・」

「うん、またね・・・」

 私はそのまま売店に行って、幕の内弁当を2つ買った。そして人目のつかないベンチに腰掛けて、私は泣きながらそれをかき込んだ。しっかり朝食も食べて家を出て、お昼前にお弁当を2つも平らげたものだから、すっかり苦しいほどにお腹の膨れた私は、そのままうとうとと眠りに落ちた。なんとも心地のいい眠りへの落ち様だった。搭乗案内のアナウンスで目が覚めた。午後3時前だった。私は一度も目覚めることもなく、2時間以上も寝ていたのだった。機内に乗り込んで、一番奥の窓辺の席に座った。外はもう雪は止んでいたが、雪雲は広がったままだった。寒そうな外の景色を眺めていると、また睡魔が襲ってきた。何か考えなければならないことが一杯あるのは分かっていて、頭の中でそれを整理して優先順位の高いものから並べなければと思っていたのだが、集中しようとすればするほど眠気が強まっていった。私はもう、考えることを投げ出した。そしてシートベルトの案内がなされる前にシートベルトをしっかりと締めて、私は目を閉じて眠る体勢に入った。まどろみに落ちていく意識の中で、私はふと、大晦日の夜のことを思い出した。

 それは神戸に向かう混み合った電車でのことだった。彼女と二人、窓際に並んで立っていた。私は、ちょうどその時にお気に入りだったドリカムの”眼鏡越しの空”を彼女にも聴かせてあげたくて、ウォークマンを取り出した。左右のイアフォンの片方ずつをお互いの耳に差し込んで、その曲を聴いた。

「いい曲やろ。切ないのに力強くて・・・。俺、今この曲、大好きやねん」

「うん、いい曲やね。私、この曲、好きやわ」

 たったそれだけのささやかな思い出である。その時の情景を思い出しながら、深く満たされたような心地で私は眠りに落ちた。

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