第15話

 ある日の午後だった。梅雨の頃だったように思う。確かその日は仕事が休みだった。美佐が実家に帰ってきていた。母が年明けに実家に戻ってきてからの美佐は、以前と変わらず、月1回ほどの頻度で家に帰ってきていた。確か美佐は、その日はお昼前には実家に帰ってきていたような気がする。リビングではいつものように美佐と由美子が連んでいて、そこでこそこそと何か話し込んでいた。どうせひどくぼやけた私のことをべらべらと喋っているんだろうと思いながら、私の気持ちはどんよりと沈んでいった。その日は、12時から2時までの2時間、私が父と交代して母のそばについていることになっていた。そして2時からは、美佐が私と交代することになっていた。その日はなぜか、朝から異様に体がだるかったことをよく覚えている。

 2時前に美佐が和室に入ってきた。そして私は、そのまま何も言わず和室を後にして自分の部屋に行った。そして胸の中で、「なんで今日はこんなにしんどいんやろ」と呟きながら、私はベッドに腰掛けてタバコに火をつけた。すると、ゆっくりとタバコを吸う間もまだ持てないうちに階下から、

「幸治、もう少しお母さんのそばにおって。ちょっと由美子と大事な話があるねん」

 という美佐の軽々しい声が聞こえてきた。面倒なことになったと思いながら、仕方なしに私は下に降りていった。そして美佐に、

「すぐに話、終わるんか?」

 と訊いてみた。すると美佐は

「うん、5分、10分くらいやろ」

 と口にしながらリビングに消えていった。

 20分くらいしても美佐が戻ってこなくて、体がどうしようもなくきつくて、私は母のそばを少し離れてリビングを覗いてみた。するとそこで、美佐がテレビの前に足を伸ばして座っていた。そして由美子と一緒になって、連続ドラマの再放送を観ていた。完全に怒りで頭に血が上ってしまった私は、

「お前はテレビを観に家に帰ってきたんか。尼崎ではゆっくりとテレビ、観れへんのか。かわいそうにな。何が由美子姉ちゃんに話あるや。よう俺のこと、前に、お前なんか人間ちゃうって偉そうに言うたもんやな。お前こそ、それで人間のつもりなんか。いつもなんやかんや、偉そうなことばっかり言いやがって、・・・」

 と美佐を怒鳴りつけた。私はそのまま背を向けて、ドタドタと2階の自分の部屋に走っていった。部屋に入ってからも頭から血が下がることはなく、私は苛立たしさで気が変になりそうだった。そしてまたタバコに火をつけた。

 その後すぐに、階段をドタドタと音を立てながら誰かが上ってくるのが聞こえた。次は何が起こるのかと思った。すると、思いっきり私の部屋の引き戸を開けた由美子がその勢いのままに怒鳴りつけてきた。

「あんた、お姉ちゃんに対する口の利き方、なってないんちゃうか?いつからあんたはそんな偉あなったんや。あんたは一体何様や?」 

 気づけば、私の左腕から血が滴り落ちていた。そして由美子が大声で、

「お父さん、幸治が頭、おかしなって窓ガラス割りよった」

 と叫んでいた。私はただじっと呆けたように、布団の上に溜まっていく血を見ていた。俯いていた私はゆっくりと顔を上げた。そしてベッドの左の窓のほうに顔を向けると、確かに窓ガラスが割れていた。自分でも少し驚いた。しかしそれは他人事のような感覚だった。その後、父が現場にやってきて何か怒鳴っていたような気がするのだが、それについては何も覚えていない。

 その後、父の指示でそうなったんだと思うのだが、私は由美子の運転する車で、母がその1年前に呼吸困難を起こした時に担ぎ込まれたZ病院に連れて行かれた。車の中で由美子が、走り出してからしばらくしてから、声を荒げないようにどうにか気を静めているような様子で、

「いくらむしゃくしゃしたからっていうてもな、そんなん、堪えんでどうするの?あんたももう少し、お父さんの気持ちにもなって考えてみいや」

 と話しかけてきた。私は、見慣れた国道165号線沿いにずっと伸びる錆びたガードレールに目を当てたまま、一言も返事をしなかった。由美子ももうそれ以上は何も話しかけてはこなかった。私は何も返事しないまま胸の中で、「お父さんの気持ち?じゃぁ、これまでの俺の気持ち、誰が汲んでくれるんや」と叫んでいた。そしてそう叫びながら、「自分の今の気持ちなんか、苦しみや悲しみなんか、全部、言葉にするだけ無駄や」と思っていた。

 病院で処置を受けた。10箇所以上にガラス片が刺さっていて、それを全部取り払ってもらった。その後薬局で、塗り薬、化膿止めと一緒に、精神安定剤も処方された。自分のことを少し精神的に異常だとは思っていたが、医師からもそう判断されたということは屈辱だった。


 もうひとつの事件は、左腕に怪我を負ってからしばらくした頃だったと思う。恐らく梅雨が明けてすぐの頃だったのだろうか。その頃になると、自分が怒鳴りつけたせいで私が怪我をしたという負い目からなのか、由美子は私に対してほんの少し、以前よりも優しくなっていた。いつ何時どんな攻撃が父や由美子から仕掛けられるかもわかったもんじゃないと怯えながらも、母に似た由美子が優しく接してくれるということはやはり心緩むものだった。私はそんな由美子にほんの少し、心を許してもいいような気がしていた。すると由美子も、そんな私のそれまで張り詰めていた心が少し緩んだのを察知してか、ひとつの相談をごく自然に持ちかけてきた。それは夕食後、慌ただしく入浴を済ませ、由美子が父に代わって母のそばにつく前のほんのわずかな時間でのことだった。

「幸治、まだ起きてるんか?」

「うん、起きてるで」

 そして由美子は私の部屋に入ってきた。

「これからどうなるんやろうな」

 私は警戒して何も答えなかった。由美子はそのまま続けた。

「お母さん、このままずっとやっぱり生きてて欲しい。せやけどな、私もな、結婚したい。そして子供も欲しい。そんなん思てもな、今はな、・・・、このままの状態があと何年続くかもわからへんし、・・・。とてもじゃないけどそんなこと、お父さんには言えへんしな・・・」

 由美子は女性として、自分の将来を不安に思っていた。そして同時に、母をなくしたくないと願っていた。その時由美子は27歳だった。私は、そんな由美子の話を聞いて、由美子がそんなことを考えていて当然だと思った。

「お姉ちゃん、僕はな、そのままお父さんに全部言うたらええと思うで。お母さんが生きてて欲しいって思てるんもほんまの気持ちやし、それにお姉ちゃんが結婚したいって考えてるんも、それもほんま、当たり前の気持ちやんか。何も悩まんと、そのまま先ずはお父さんに聞いてもらいや。そこから1つずつ、また考えていったらええやん。彼氏はおるんか?」

「うん、もうずっと長いこと、付き合ってるねん」

「そうか。・・・。うちの今の状況、その人は知ってはるの?」

「うん、知ってる」

「それでもええって言うてくれてるんか?」

「うん、言うてくれてる」

 その後、恐らくその次の日の夕方だったと思うが、由美子はリビングに父を呼び出し、そしてそこで結婚の意を父に伝えた。私はその時、一人で母のそばにいた。和室を離れていた父がすぐに戻ってきた。そして、続いて由美子も入ってきた。二人の表情からして、どうやら父は余計なことは何も言わずに由美子の結婚を即承諾したのだろうと思えた。由美子はそのまま母のもとに行って、神妙な面持ちで、

「お母さん、私、・・・、結婚するねん」

 と報告した。そして泣き出した。それを聞いて母も、嬉しそうな表情でじっと由美子を見つめながら、泣き出した。そんな母は、いつも無茶なことを文字盤で訴えてくるばかりの母ではなかった。ただ、ただ嬉しそうに、瞼を何度も瞬かせながら、由美子に「おめでとう」と何度も、何度も話しかけているようだった。私は、その先由美子が家からいなくなった後のことが少し気になったが、そんなことよりも事がすんなりと運んだことのほうがずっと嬉しかった。

 その数日後、由美子の婚約相手の太田さんが挨拶に来た時のことだった。お昼すぎのことだったと思う。由美子が玄関先から、

「お父さん・・・」

 と声をかけた。確かその日、私は仕事が休みだったように思う。私は一人でリビングにいた。その由美子の声で、私は立ち上がって玄関先に出ていった。すると父も私と同時に、和室から玄関先に出てきた。私は何となく、ごく普通に挨拶が交わされるものだろうと勝手に想像していた。しかし、そうはならなかった。太田さんの顔を見るなり、父は血相を変えて怒鳴りつけだしたのだった。

「お前はうちが今どんな状況なんか、全部わかってるんやろうな。それでもうちから由美子を奪っていくつもりなんか。ようぬけぬけと挨拶やって言うて顔を出したもんやな。お前はどのくらいの覚悟があるんか。どうや、言うてみいや。それでも奪っていって由美子を幸せにするって言えるんか。どないや。ニヤニヤしてんとはっきり言うてみい」

「・・・、はい、・・・必ず幸せにします」

 太田さんはそう言いながら、腰が引けていた。父は怒声のままに、全身が前のめりになっていた。由美子も太田さんも玄関先で靴を履いたままだった。由美子はその場で、

「お父さん、もう止めて・・・」

 と泣き叫んだ。しかし父は止まらなかった。まだ前のめりになっていった。

「なんや、その弱々しい声は・・・。そんな根性で人の家から娘をいただこうって思ってるんか。そんな根性で由美子のこと、お前は幸せにできるんか。どないや。俺はお前からはな、根性も、本気も、熱意も、なんも感じられへん。そんな奴が由美子のこと幸せにできるとは思えへん。もう帰ってしまえ。もう二度と顔を出すな」

 私にはそんな父が、ただの野蛮な荒くれ者にしか映らなかった。ついに父がいつもの外面を家の中でも顕にしたような気がした。私は、玄関先で泣き震える由美子のほうに目を向けた。それまでずっと、時々は感情を爆発させながらも、それでも途切れることなく家族の世話を一手に引き受けてきた由美子の涙を見ていると、私の中で荒くれ者の父に対する怒りがグツグツと沸き上がってきた。それをどうしても抑えきれなくなって、私は父に向かって、

「なんで、昨日までお姉ちゃんの結婚を許したような顔をしてて、・・・、なんや今日は、・・・。言うてたこととやってること、滅茶苦茶やないか」

 と怒鳴りつけてしまった。すると由美子が泣きながら、

「幸治、止めて。あんたはお父さんに何ていう口の利き方してるんや」

 と、私を止めに入った。それでもまだ全く言い足りない私は、そのまま父に向かって怒鳴り続けた。

「こんな状況でお姉ちゃんのこと、お嫁にしてくれるって言うてくれてはるのにやな、ようその人を前にして怒鳴りつけたもんやな。いっつもそうやってやってきたんやろ。これからもそうやってやっていくんやろ。そうしたいんやろ。そうすればええやないか。あっちこっちで凄んでみせて・・・。僕もな、いっつもあれやこれや言われ続けてな、正直もうしんどいねん。少しは言われる人の身になって考えたことあるんか?お父さんだけが全部正しいんやないで。お母さんには悪いけどな、お母さんのこと心配やけどな、もうお父さんのそばに僕はこのままようおれへんわ。このままおったら僕、気が変になってしまうわ。あとは勝手にやりや。好き勝手言うて、好き勝手したいんやろ。・・・」

 言うだけ言って、そのまま私は2階に上がって服を着替えた。そして玄関から飛び出そうとした。そうしようとする私を引き止めようとしたのは由美子だけだった。泣き叫びながら私の腕に掴みかかる由美子を思いっきり力任せに振り切って、私は関屋駅へと駆けていった。

 気が付けば朝だった。あたりがざわついていた。Tシャツが汗で体にへばりついていた。嫌に頭が重かった。足元には缶ビールの空き缶がゴロゴロ転がっていた。見渡せば出勤途中のスーツを着込んだサラリーマンの人波の中にいた。そこは大阪城公園の敷地内だった。私はそこのベンチで横たわっていた。目を走らせると、あたりを歩く人の怪訝な瞳とぶつかった。そしてぶつかれば、誰もがすぐ私から瞳を逸らした。顔を上げると、西の方に大阪城が見えた。どうやら、どこで飲んでいたのかはわからないが、相当飲み歩いた末にその公園に迷い込んだようだった。何一つ覚えていなかった。あまりにもきれいに整備されたその敷地には、ヨレヨレの私なんてものは全くそぐわないというのは明らかだった。惨めな気分だった。それでも自棄糞になっていた私は、「このままもっと腐りきってやるんだ」という気持ちで梅田に向かって、そこで立ち飲み屋のカウンターの暖簾をくぐって煽るように酒を飲みだした。

 次に気が付けば、大学時代の友人、富田の加古川の実家にいた。そこの1階の和室で、私は布団の中で休んでいた。学生時代から何度も泊めてもらってお世話になってばかりいたその家が、心寒い日々をずっと渡ってきた私には、懐かしさ、そして恥ずかしさや申し訳なさ以上に、ただ温かいと感じられた。どういう経緯でそうなったのかはぼんやりした頭ではわからなかったのだが、そんなことはさておいてもとにかく温かかった。そしてその温もりは、身に染みるほどの安らぎを私にもたらしてくれていた。

「柄本くん、気づいたか・・・」

 富田の親父さんの声が聞こえた。懐かしい声だった。私は親父さんの、少ししゃがれた、小気味良く跳ねるようにしながら言葉が口からサラサラと流れ出る、そんな喋り口調が以前から大好きだった。年季の入った落語家さんの喋り口調のようだといつも思っていた。そしてそんな親父さんの喋り口調には、人の心を瞬時に和ませるような、笑いだとか、祝福だとか、祈りだとかといった粒子が一杯含まれているようだといつも思っていた。

「あぁ、おやっさん、・・・、なんで僕、・・・」

「かあくん(富田家での私の友人の愛称)の会社に柄本くん、電話してきたんやて。一緒に飲もうやって言うて・・・。覚えてへんのか?」

「はい、・・・」

 何も覚えていなかった。

「何か僕、・・・、ほんま、すいません・・・」

「いや、そんなんはどうでもええんやで。かあくんがな、柄本くんと待ち合わせした場所で柄本くんと会った時、これはあかんわって思ったそうや。それでそのまま柄本くんのこと引っ張って、ここまで連れ帰ってきたんや」

「そうなんや・・・」

「かあくんからはな、前から柄本くんところのお母さんのこと、いろいろと聞かされててな、わしも心配してたんや。一度だけ今年に入って柄本くん、かあくんに電話してきたやろ。お母さんが呼吸器つけて実家に戻ってきたって・・・」

「そうでしたかね・・・」

「柄本くんのとこのご家族の方、みんな大変なんやろうなって、わしもずっと心配してたんや。学生時代から柄本くん、いっつもかあくんと仲ようしてくれてて、うちにもよう遊びに来てたからな。わしも柄本くんと何度も会うたことあるし・・・」

「・・・・・・」

「今回のことはな、もうええやんか。わしになんかな、悪かったなんか何も思わんでええよ。気にしたらあかんで。何があったかはわしも聞かへんしな、柄本くんも話さんでええ。話さんでもな、みんなわしにはわかってるから・・・。せやけどな、柄本くん、いろいろ大変やろうけどいずれはな、どういう形であれ、何もかもがどっかに落ち着いていくもんなんや。柄本君の今の居場所はな、柄本君の家なんやで。戻らなあかんで。そしてそこでな、また一から始めるつもりでな、・・・、じっくりと頑張っていくんやで」

 親父さんの話、そして喋り口調には、やはり以前と変わらず人の心を和ませる何かがあった。実家に戻ることは、まだ考えると薄気味悪く感じたのだが、私の心は親父さんのおかげでかなり緩んでいた。するとふと、私は富田に会いたくなってきた。そして私は親父さんに、富田はどこにいるのかと訊いてみた。

「かあくん、今な、ちょっとそこまで出てるわ」

「そうですか・・・。どこに?」

「かあくん、柄本くんを休ませてからな、柄本君のお父さんに電話したんや。お父さんな、いま奈良からこっちに向かってはって、もうじきこの辺に来はるやろからって、表の広い通りに出て待ってるんや」

 それを聞いて私は、数日前に太田さんを怒鳴りつけた荒くれ者の父を思い出し、全身が震えだした。呼吸が苦しくなり、涙が堰を切ったように溢れ出して止まらなくなった。ちょうどその時、表で車の停る音が聞こえた。そしてすぐに富田の家の玄関先から、

「帰ってきたで」

 という富田の声が聞こえた。富田が和室に入ってきた。それに続いて父も入ってきた。父は震える私の枕元まで来て、心配そうな表情で私の顔を見つめながら、

「幸治、もう何も考えんでええ。何も心配せんでもええ。大丈夫や。なぁ幸治、・・・。今からな、お父さんと一緒に家に帰ろ。お母さんも幸治がおらんようになってからな、ここ何日か、ずっと心配そうな顔してるんや。お母さんにな、幸治、帰って顔を見せてあげてくれ。なっ、今から一緒に家に帰ろ。・・・」

 私は、父の言葉、父の表情、全部嘘だ、と思った。騙されるもんか、と思った。私はもう何もかもが嫌になった。周りも、自分も、思い出も、未来も、生まれてきたことも、何もかも、・・・。もう、ただ死にたい気分だった。呼吸がさらに苦しくなってきた。そしてそのまま呼吸が荒くなって、過呼吸状態になっていった。意識が遠のいていった。そんな白んでいく意識の中、「このまま消えるのかもしれない」と思った。そしてその思いを、平静な心で「それでいい」と思っていた。そのまま、私は意識を失った。

 目が覚めると、私は病院の処置室の中にいた。腕に点滴の針が刺さっていた。気味の悪いほど、心は静かだった。そんな心で、私は点滴の雫がぽたぽたと規則正しく落ちていくのをずっと眺めていた。心配事も何もない、不安に感じることも何もない、恐れるものも何もない、そんな、それまでに一度も感じたことのない穏やかな心持ちだった。どのくらいの時間、一人で心地よさに浸っていたのかはわからないが、しばらくして父が処置室に入ってきた。

「幸治、もう何も心配はいらんからな。大丈夫やから・・・。この点滴が終わったら、もう家に帰ってええらしいわ・・・」

 父がそう話しかけてきた。あれだけ怒りをぶつけ、騙されてなるものかと疑ってかかり、顔を見るのも嫌になっていたというのが全部嘘だったと思えるほど、父を前にしても私の穏やかな心は一切乱れなかった。そんなことを不思議に思いながら、私は父に、

「なんで僕、ここにいてるん?」

 と問いかけた。ようやく口を開いた私に安堵したのか、父は顔を少し綻ばせた。そしてゆっくりと話しだした。

「幸治が意識なくしてな。・・・。富田がすぐ救急車、呼んでくれたんや」

「そうなんや。・・・。それで富田は?」

「お父さんが救急車でここまで来てな、富田にはお父さんの車でここまで来てもろたんやけどな、幸治がもう大丈夫そうやってわかってから、もうタクシーで帰ってもろた。もう1時間ほど前になるかな・・・」

「そうなんや・・・」

 そこで私は、急に母のことを思い出した。

「お母さんは、・・・。いま、誰が見てるんや。大丈夫なんか?」

「うん、大丈夫や。もう美佐が奈良に帰ってきてるやろ。由美子と美佐がおったら大丈夫や。余計な心配はせんでええ。それより幸治、・・・、気分はどないや?気持ち悪うなってないか?」

 私は父の口にした、「気持ち悪うなってないか?」という言葉に、嫌に引っかかるものを感じた。そしてそれを父に尋ねてみた。すると父は、少し不安気な顔をして、

「点滴にな、少し強い目の精神安定剤が入ってるらしいてな、人によっては気分が悪うなることもあるって先生が言うてはったんや・・・」

 と正直に話してくれた。それを聞いて私は、左腕に怪我をした時のことを思い出した。確かあの時は、自分のことをもうすでに少し異常だと感じていたし、そして医師にそう判断されたことで屈辱を覚えたものだった。それなのに今回は、自分のことを全く異常だとも思わないし、点滴で精神安定剤を投与されていることを知らされても、そのことに何の屈辱感も湧いてこない。そのことを多少不気味に思わないでもないが、精神安定剤でここまで楽な気持ちでいられるのなら、なんだっていいじゃないか。そんなふうにどこか、それまでにないほどに私は楽観的になっていた。

 点滴が終わって、父の車に乗り込んで病院を後にした。阪神高速で神戸を過ぎる頃に、朝焼けのオレンジ色が空一杯に広がり始めた。それを目にして心は愉快だった。薬がよく効いていたのだろう。すっかり気分のいい私は、私が幼かった頃の父とドライブにでも出かけているような気持ちでいた。

「えらい朝焼け、きれいやな。こんな景色を見るの、久しぶりや」

 と嬉しそうにはしゃぎながら父に話しかけたのを、私はなぜかよく覚えている。そして父は、

「おう・・・」

 と一言だけ返事を返してきたことも・・・。そんな父のほとんど気のない返事ですら気にも止めないほどに、私はただ愉快なままだった。それよりもそんな無愛想な返事しかできない父のことを、私は心の中で「しょうがない人やな」と呟きながら笑っていた。

 家に帰ってきた。父からの指示があったのだろうか、家に上がると美佐も由美子も、それまで私に見せたこともないような微笑みで私を迎えてくれた。私はそれを不審に思うことも全くなかった。そんな姉たちに私も、打てば響くように素直に微笑みを返した。そしてそのまますぐ、私は母のそばまで行った。母だけが泣いていた。泣き腫らした目で泣いていた。そんな瞳で、母は済まなさそうに私を見つめ続けた。その時になって初めてはっとして、私は素面の自分に戻った。もう少しで私は、「お母さん、ただいま、ごめんな、心配かけて・・・」と軽く話しかけるところだった。はたと私は口を一度噤んだ。そして心を落ち着かせて、

「お母さん、心配ばかりかけて、ほんまにごめんなさい。もう心配かけへんから、・・・。これからはいつもお母さんのそばにいてるから・・・」

 と母に丁寧に謝った。私はやはり、母の前では絶対にいい加減な振る舞いはできないということを思い知った。そのくらい母という存在は、その以前からも時々は感じていたことなのだが、やはり愛そのものだということを再度私は思い知った。そんな私の言葉に母は、ただ何度も瞼を柔らかく閉じることで、

「もういいよ。ちゃんと帰ってくれてありがとうな。お母さん、幸治が辛い時、何も力になれんで、ほんまにごめんな」

 と、必死になって伝えようとしているようだった。そんな母の涙をそばにあったティッシュで拭いながら、私も母と一緒になって泣いた。

 その日から私は、父から休んでいるようにと言われ、2日ほど自分の部屋にほとんど閉じこもったままに過ごした。その間にすっかりときつい目の精神安定剤が体から抜け切ったのか、好ましくないことなのだが不安、不満、苛立ち、恐れといった、以前から当たり前に私の中にのさばっていた感情が、相変わらずのさばっていることに気づいて、私はそのことに安堵した。素面に戻ると、精神安定剤の力はやはり強力だったということがよく理解できた。効き目が働いていた時の自分というものが、全く普段の自分ではなかったということがよくわかった。薬の恐ろしさを初めて知ったような気がした。その頃になって、美佐は尼崎に帰っていった。

 それからしばらくして、由美子の婚約者太田さんが再度我が家に挨拶に来た。その時の父は、前回の時とは打って変わって別人のようだった。確かその日は、鈴江叔母さんが母の世話をしに来てくれていたんだと思う。そのおかげで、私も父と一緒にリビングで太田さんを迎えることができた。リビングに敷かれた座布団の上、父と私の前に、太田さんと由美子が腰を下ろした。

「うちの家の中がこのような状態やから、由美子の親として何もしてあげることはできません。そのことが本当に申し訳ないです。できたら、どうか理解してやってください。由美子は、由美子の母親が体調を崩してから、ずっと一人で家のことを全部引き受けてくれました。多少気が強すぎるところもありますが、本当に心優しい娘です。どうぞ大事にしてやってください。よろしくお願いします」

 そう言って、父は深々と丁寧に頭を下げた。由美子はすぐさま、

「お父さん、頭を上げて」

 と慌てて口にした。そして泣きながら、

「お父さん、ありがとう。もうええから・・・。幸せになるから・・・」

 と言いながら父のそばに行って、父の肩を掴んで、父の頭を上げさせようとしたが、なかなか父は頭を上げなかった。その様子を前にして、太田さんも父と同じように、

「お父さん、こちらこそ精一杯由美子ちゃんを幸せにします。どうぞこれからもよろしくお願いします」

 と言いながら深々と頭を下げた。

 その様子をすぐそばで目にしていた私は、あの日父が太田さんを怒鳴りつけた時のその真意がわかったような気がしてきた。そしてそれと一緒に、頭を上げようとしないその時の父の真意までもが見えてきたような気がしてきた。

 妻のことがあって、今の俺は親として娘の結婚の準備をしてあげることもできない。そんなことに奔走する日々の中でしか知りえない婚約者の人となりを、今の俺はまったく知ることもできない。本当なら、何もできないこんな時期に娘を嫁になんか出したくはない。本当なら、どこの誰かも知りえないままの男に娘を嫁になんか出したくはない。それでも、由美子はここまでただ家のためだけに尽くしてくれた。由美子も婚礼期を迎えた立派な女性だ。もう巣立ちの時期を迎えているはずの由美子を、このまま俺のわがままで家に縛り付けておくわけにはいかない。それならば昭和の荒くれ親父を目一杯演じることで、たった一度だけ、相手の男に深々と釘を刺してやろう。「由美子のことを不幸にしたらどうなるかわかってるやろうな」と、一度だけ、思いっきり相手の男を震え上がらせてやろう。本当はそんなことはしたくはないんだ。本当は普通に嫁に送り出してあげたいんだ。だけど一度だけ、俺は滅茶苦茶な態度で暴れてやるんだ。そう思って俺はその通りにやり切った。その結果、想定外に幸治が一番暴れだした。そんなことになるとは思ってもいなかった。それでも幸治もどうにか無事に戻ってくることができた。俺のやり切ったことで、もう十分に由美子の婚約者には釘を深々と刺すことはできただろう。俺に対して恐れのあるうちは、相手も滅多なことを起こさないだろう。これで当座の由美子の幸せも保証されるはずだ。あとは我が家の代表として、俺は一度だけ由美子のため、こないだの荒くれ親父のことなんか忘れてしまったかのように振舞って、相手に深々と頭を下げよう。心から深々と頭を下げよう。そして、「しっかりと由美子のことを幸せにしてやってください」と素直にお願いをしよう。

 恐らく父には、あの日あのように荒くれ親父を演じ切る以外には由美子を幸せに向かわせる手はなかったのだと思うと、浅はかな苛立ちを父にぶつけた自分が情けなくなってきて、そしてそれと一緒になって、なぜかそれまでの由美子との諍いの日々が急に懐かしさを伴って胸に湧き上がってきて、胸に複雑にもつれ合う感情のままに、堪えようとするのだがどうしても堪えられずに、私は肩を震わせてしくしくと涙を零した。すると由美子が、

「幸治、なんであんたまで泣く必要があるんや」

 と泣きながら話しかけてきた。私は、

「いや、・・・、よかったなって思てな、・・・」

 と答えるだけで精一杯だった。

 その夜、自分の部屋にいると由美子がやってきた。

「幸治、お父さんにちゃんと言うてよかったわ」

「うん、・・・、ほんまやな」

「ついさっきな、私、台所におったらお父さんに呼ばれてな、由美子、これって言うて、印鑑と通帳手渡されて・・・。お父さんな、お父さんとお母さんからやってだけ言うて、そのまま和室に入っていってしもてな。せやから私、追いかけて、お父さんにありがとうって言うて、その後、お母さんのそばにも行って、お父さんとお母さんからのお祝い、大事に結婚の準備に使わせてもらいますって報告したんよ」

「うん、そうか。・・・。お母さん、どうやった?嬉しそうにしてたか?」

「うん、お母さん、ほんま、嬉しそうにしてたで。・・・。いつもな、殺してくれとかな、そんなことばっかり言うお母さんも、ほんまはそんなん、本気で死にたいなんて思ってないと思うねん。ほんまはな、家族に迷惑かけてるんが苦しいて、そんなことばっかり言うてるんやと思うねん。そうじゃなかったら、由美子の結婚のこと、あんなに嬉しそうにはせえへんやろ・・・」

 いつも感じていたことだが、母の言葉、思いを拾い上げるには、どうもやはり文字盤だけでは不十分だった。限界があった。母の思いというのはもう、母が言葉をなくしたあの日からはほとんど母の表情だけを頼りに、自分たちの想像を働かせてすくい上げる以外には方法はなかった。つまりはそのほとんどは、母にはそうあって欲しいという願いの紛れ込んだ想像の産物だった。そんな想像の産物でも、素直に信じていられるということは幸せなことかもしれない。私はそんな由美子を羨ましく思った。そして私は、信じては疑い、疑っては信じをぐるぐるぐるぐる繰り返し、その果にいつも苦しんでばかりいる自分を、なぜ素直になれないのかと思い、そして面倒な奴だと思った。

 8月の末、由美子は太田さんと二人きりでハワイで式を挙げた。その間の1週間ほど、美佐が実家に泊まり込んだ。見る見るうちに美佐の顔が疲労で歪んでいった。眉間に皺を寄せながら苛立たし気に、まるで鬱憤を晴らそうとでもするように、いつものように私に向かってどうでもいい小言を投げかけてくるのだが、疲れ切った美佐のそれには何の迫力もなかった。それは、適当に私が受け流すことができるほどの弱々しいものだった。そんな、思うように私を懲らしめられない毎日に苛立ったのか、美佐はある日、

「あんたのキチガイはもう治ったんか?」

 と訊いてきた。「最後の切り札を使ってきやがった」と思った。「このキチガイ」と思った。そこからはもう何を振ってきても、私は美佐を無視し続けた。

 由美子がハワイから帰ってきた。そして挙式の記念写真を大事そうに抱えて母のもとに走り寄った。

「お母さん、今、ハワイから帰ってきたとこやねん。結婚式の写真、撮ってきたで」

 と言って、大きく引き伸ばされた記念写真が一枚だけ収められたアルバムの表紙を開いた。そしてそれを、由美子は母の顔の上に持ち上げた。

「お母さん、よう見えるか?」

 母は、返事をするように瞼を何度も忙しく瞬かせながら、嬉しそうな顔をして涙を零した。由美子はそのまま、

「お母さん、私、きれいやろ。なぁ、ほら、お母さん、よう見て、・・・。私、きれいに撮ってもろたわ。ほんまに・・・」

 と嬉しそうにはしゃぎ続けた。その様子をじっと眺めていて、私は、その前の年の私の誕生日の時と同じだと思った。私もギターを買ってきて、ギターを母の顔の上に持ち上げて、「お母さん、見えるか、よう見えるか」と頻りに母に話しかけていた。しかしあの時はまだ、母には声があった。

 その後の由美子は、恐らく新居での生活を始めたんだと思う。そして昼間のうちは、実家の家事をしてくれていたんだと思う。そうなれば夜間は父と私の二人で母の世話に当たっていたと思うのだが、どのようにしてたった二人だけでやりくりをしていたのか、そのあたりのことを私は全く覚えていない。

 

 丁度、由美子が結婚した頃だったと思うのだが、医療機器商社の方の提案で、我が家にパソコンと手の指に装着するセンサーが届けられることになった。それはというとつまりは、そのセンサーを装着することで母の微かに動く右手の人差し指を使ってパソコンモニター画面上のカーソルを自由に動かすことができ、母が思った時に思いのままに文字を拾い上げ、そして並べることができるという、文字盤に変わっての新たな即戦力として非常に期待されるものだった。その頃の母はというと、春以降特に目立っての衰弱もなく、特に痩せたというでもなく、呼吸器をつけたままの状態での安定期にあったように思う。その前年の仮の住処での最後の覚悟を踏みにじられたこと、そしてK病院に救急で運ばれた時、自分のその先に対する選択の自由を全く与えられなかったこと、その2つのことが依然として過去の悔しさとして母の中に動かしようもなく横たわっていたようだったが、現実的な日々の母の一番の悔しさとしてはやはり、文字盤を使ってのなかなか上手く成り立たない会話のことだったんじゃないかと思う。

「お母さん、お母さんの右手の指はまだ少し動かすことができるやろ。その指を使ってな、お母さんが言いたいこと、自由に文字に起こすことができるようになるんやで。明日、やっとその機械がうちに届くからな。しばらくは慣れるまで練習も必要やけどな、慣れてしまったらもうこっちのもんやで」

 そんな父の話を聞いて母は、久しぶりにワクワクとした嬉しそうな表情を見せた。

 そしてついに、それら一式が我が家にやってきた。母の足元には背の高い棚が置かれていて、そこの母から見やすい高さの棚板にテレビが置かれていた。そしてその上の棚板が空いていて、そこにパソコンモニターが置かれたることとなった。その日、母の右手人差し指にセンサーが取り付けられ、ついに画面上のカーソルが震えながらも動き出した。画面上には、ずっとそれまで使ってきた文字盤と同じように文字が映し出されていた。母は、画面上に震えるカーソルを思う文字の上まで運ぼうとしているようだった。母の表情は真剣そのものだった。そんな母はまるで、その10年ほど前から数年間習っていたペン習字の練習に打ち込んでいた頃の母のようだった。

 その頃の母は、たまに私が外の生活から帰省すると、いつも要領よく家事を片付けては時間を確保し、その空いた時間を使って和室の座卓の前に座り続けていた。そこで母は、ひたすらペン習字用の升目用紙に向き合いながら、枠内にバランスよく、そして望む形の文字が収まることを意識しながら、丁寧に、ただ丁寧に、黙々と文字を書き続けていた。それはものすごい集中力で、練習に打ち込み始めるともうその後の母の表情は、傍の者が気軽に声をかけられないほどに真剣そのものだった。そんなふうなひとり黙々と繰り返す作業に打ち込むことは母の性には合っていたようで、母はそうしていることがかなり好きだったのかもしれない。そんな母は、納得のいく一文字が書き上がる毎に嬉しそうにその文字を見つめながらひとり微笑み、納得がいかなければ険しい表情で小さく舌打ちをしてはまた次の一文字に取り掛かった。私は遠目から、そんな母の真剣な表情をこっそりと眺めているのが好きだった。今思い返せば、私というものはやはり母のそういった性を引き継いでいる気がする。

 その機械が来てからの一週間ほど、朝も、昼も、夜も、母はひたすらその機械を使いこなせるようになろうとして、モニター画面に目を当て続けた。そうしながら人差し指を使って、カーソルを思う場所に運ぼうと躍起になっていた。しかし母は、いくらその練習に打ち込んでも、その機械をなかなか思うようには扱い切れないでいた。そんな母を見て父が時々、

「そんな根詰めてやったら、お母さん、疲れてしまうやろ。休み休みにやらなあかんがな」

 と声をかけるのだが、そんなことを父に言われる度に母は、「うるさい、余計なことを言うな」と言い返しているような瞳で父を睨みつけるのだった。しかしいくら母が練習を積んでも、ずっとそれまで使い続けてきた文字盤のほうがその機械よりもお互いにとって使い勝手がいいというのはもう明らかだった。そのくらい、母にとって期待されたその機械というものは、どうやら扱うのに肉体的に無理があったようだった。

 どことなくそんなことがお互いにわかり始めた頃だったと思う。その日も母は、それでもどうにか思う文字を打ち込もうと、モニターに目を当てていた。しかしその日の母はいつもとは少し違っていた。上手くその機械を扱い切れないことに特に苛立つ様子も見せず、ただ丁寧に向き合おうとしているようだった。その時は私が一人、和室で母のそばについていた。母が真剣にモニターに目を当て始めて恐らく1時間以上経った頃だったと思うのだが、私がふとモニターを覗き込むと、

「あ・か・い・く・つ・は・い・て・た・お・ん・な・の・こ」

 という、童謡の「赤い靴」の冒頭の一節がそこに映し出されていた。

 私は、母が懸命に打ち込んだモニターのその文字を見て、母に何て声をかけていいのかわからなくなった。というのも、「お母さん、すごいな。初めてちゃんと文字を打ち込めたな」と話しかけることも一瞬考えたのだが、私の母という人に、その子供である私がそんなことを口にすれば、それはまるで私が母のことを子供扱いしているような気がして、それが母という人に対してすごく失礼なことのような気がしたからだった。じゃぁ、他に何と話しかければよかったのか。「これからどんどん練習すれば、もっと思ったこと、自由に言うことができるようになるな」なんてことはとても言える訳がなかった。たったそれだけの文字を打ち込むのに1時間以上もかかっている上に、母の筋肉というものは使えば使うほど衰えていってしまうもので、いずれはすぐにセンサーも反応しなくなるというのがわかっていたからだった。じゃぁ、じゃぁ、・・・、と私は頭をひねり続けたが、ふさわしい言葉が浮かんでこなかった。母は、私の言葉を待っているようにずっと私を見つめていた。しかし私が言葉を口にできないままでいると、そのまま瞳を閉じてしまった。そして私は、その場のどこか気不味い空気を取り繕うように、

「お母さん、頑張ったな」

 というつまらない言葉を、ふわふわと、動揺しながら口にしてしまった。母は瞳を閉ざしたままだった。私の言葉を口にしたタイミングも、その内容も、その軽々しさも、その揺れる心も、何もかもが母の求めるあたりからずれていたようだった。

 その後、母はモニターに見向きもしないようになった。指は、ALSの症状がやはり進行して動かなくなった。そしてその機械一式は、ひと月も使われることもなく和室から取り払われた。

 その頃から母は、必要なこと以外はもう何も訴えないようになってしまった。表情で、瞬きをすることで、多くのことを語っていた母が、ほとんど無口を貫くようになってしまった。それまで使ってきた文字盤で何か言いたいと要求することも、すっかりと減ってしまった。母は、完全に心を閉ざしたようだった。

 母がそうなってしまって以降数ヶ月のことが、全くといっていいほど私の記憶に残っていない。二つの大きな事件を起こしてしまい、そして目の前の母がすっかりと無口になってしまい、私は自分の心というものに、陽の光も通らないような膜を広く覆い被すようになった。というのも、私というものが人を傷つけそうな気がして、そして私というものが自分でも扱いきれないような気がして、そんな自分がただ恐ろしく感じるようになっていたからだ。そして、心を膜で覆い被すことできっと、嘘でもどうにか目の前の居場所というものに留まっていられるんじゃないかというような気がしたからだ。私も母と一緒だった。心を閉ざし、無口になって、死んだように日々を渡り歩くようになっていった。

 今でも時々、ふと思い出すのだ。「あ・か・い・く・つ・は・い・て・た・お・ん・な・の・こ」。そして、あの時母は何を思ってこの動揺の一節を必死になって文字に起こしたのだろうと考えるのだ。そして結局最後は、あの時にそのままを訊いてみればよかったんだと思うのだ。そしてそうされることをきっと母は望んでいたんだと思うのだ。

 人は時代の風潮に揉まれて大人になっていくうちに、余計なものを身につけては不自由になっていく。ふと思うままに動き出せばいいものを、時代の風潮や周りの目、自身の驕り高ぶった似非気遣いなどに惑わされるうちに、嘘を生きるようになっていく。もっともらしい立派な面をしている人ほど怪しいものだ。そんな人間ほど、その内面はほとんどが嘘でできあがっている。どうしてこんなことを偉そうに言えるかというと、あの頃の私がきっとそのような奴だったからだ。

 東大阪の長屋時代の心のままの私だったらきっと、母に、「なんでお母さん、『赤い靴』の動揺、思い出したん?」と普通に訊くことができたのであろうと思う。そんな普通の心でいられないほどに、私は周りに対して、そして私自身に対して、もうすでに嘘ばかりでできあがっていたようだった。あの頃のそんな自分が今でも悔やまれる。

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