第20話

 旭岳を後にしてからは特に急ぐほどの予定がある訳でもないのに、なぜか私は気の急くままに車を西に向けて走らせた。とりあえず先ずは、その前日、玉置さんのお兄さんに教えてもらったレストランに向かおうと思っていた。旭川市内に近づいてきて、その道を途中で右に折れて、私は永山町を目指した。石北本線の踏切を渡って、牛朱別川を渡り、あともう少しというところでお兄さんの描いてくれた地図を見てみると、どうやら私は左に折れなければならない交差点をもうすでに通り過ぎていたようだった。車を通り脇に停車した時には、私の左手にはN墓地があった。やはり1つの交差点を行き過ぎていた。私は警察がいないことを確認して、車をUターンさせて、一本手前の信号のない交差点を右に折れた。するとその通りに入ってすぐ右手に、教えてもらったそのHレストランの看板があった。車を敷地内に進入させて、ガランとした駐車場に車を駐車した。

 私は人気のない敷地を歩き出した。その広い敷地内には白樺を始め、様々な木々が植わっていた。ゆっくりと歩きながら敷地の周りを見渡すと、どこに目を向けても田園風景だった。そしてずっと遠くには、つい先ほどまで過ごしていた旭岳を含む大雪連峰が一望することができた。玄関先のほうへと私は歩いていった。建物の外観は、ツヤのない風化した素焼きレンガが貼り巡らされていた。そしてガラスをはめ込まれた木枠の観音開きの扉は、その木材はすっかり保護剤がそげ落ちてしまっていたのか、経年劣化し白っぽくなってざらついていたのだが、やはり人が長年触れ続けたせいか、その材の角は擦れて少し丸まっていて、歴史の温もりを感じさせる人肌感のあるものだった。アルミ製の扉がいくら年月を重ねたとしてもただ古くなるだけで、そのような木枠の扉の味わいには敵わないと思った。正面玄関のほうを向いて左手には、増築された真新しい全面ガラス張りのサンルームのような部屋が古い建物につながっていた。そちらのほうは、レストランというより気軽なカフェスペースのように思われた。そこだけがどこか今の時代のもののように感じられたのだが、違和感は全く感じなかった。というより、古いものと新しいものがうまく調和しているように思った。

 しばらく私は外を歩き回っていたのだが、全くそこに人の気配を感じることはできなかった。そのことを私は薄気味悪く感じ始めた。敷地の入口の看板には、確かに”open"という札が掛かっていたはずだった。しかし、いくらなんでもあまりにも人気がなさ過ぎた。あまりにも素敵過ぎる建物を前に少し気後れしたのと、あまりの人気のなさで、私は中に入るのを躊躇ってしまった。どうしようかと考えてみたが、やはり私はそこを訪れるためにわざわざやってきた訳であった。それならばと思い、私は敷居の高い玄関扉に手をかけるのではなく、隣りのいくらかは気軽そうなカフェスペースのほうにお邪魔してみることにした。

 ガラス扉を開けて入ってすぐのところに、磨きこまれたハーレーが置かれてあった。その奥の右手にはカウンター、そして左手一面はガラス張りになっていて、ガラス面に小さなテーブルが2つ、3つ置かれてあった。中に入ってみたのだが、やはり人気は全く感じられなかった。古い建物とサンルームの境目には、そこにもガラスのはめ込まれた古い木枠の扉があって、それは開け放たれたままになっていた。私はその向こうを覗いてみた。客として訪れたのだが、どうも気持ちは不法侵入者のそれであった。左手前には大きな薪ストーブが置かれてあった。右手前にはグランドピアノ、そしてその奥に3つほどの白いクロス掛けのテーブルが置かれてあった。床は一面、昔の小学校のような無垢の分厚い木板が張り巡らされていて、足を踏み入れてみると低い音がした。そのぐるりの壁は腰から下辺りに腰板が張り巡らされていて、その上は漆喰が塗りつけられていた。全体的には濃い目の茶色を基調としていて、窓から差し込む少しの明かりでどうにか中の様子が窺えるほどの薄暗い部屋だった。その部屋の歴史が、時の流れを拒みながら静かに呼吸をしているように感じられた。そしてその部屋の何ものかが、突然訪れた私を品定めでもしているかのようにも感じた。

 私は変に緊張していた。といってもそれは悪い緊張感ではなかった。だがやはりそうは言っても、私はかなり緊張していた。というのも、その部屋から私は、本当に音楽が好きかどうかを問われているような気がしだしていたからであった。かつての安全地帯がその20年ほど前、その場所で音楽合宿をしていたという意識が私をそんな気にさせたのか、それともその部屋自体に音楽の何ものかが本当に住みついていて、その何ものかが実際に私に問いかけてきていたのかはわからなかったのだが、不思議と私はそんな気がしだしていた。思い切って私は、その問いに対して微笑みだけを軽く返してみた。するとその部屋の空気がふと緩んだ気がした。受け入れられたような気がした。そして私の緊張は少し解けた。

 私はその部屋でしばらく立ち尽くしていた。そうしながら、かつては未成年だった青年たちがその場所で、一体どんな夢を見て暮らしていたんだろうと想像してみた。その時にふと私は、私自身の学生時代の頃のことを思った。音楽にのめり込んでいったあの頃の私などと較べると、彼らのその真剣の度合いは絶対に敵わないほど熱いものだったことだろうと容易に想像がついた。しかし音楽を愛する想い、仲間と音でつながる喜び、音を出さずにはいられない衝動、イメージに近づけない時の悔しさ、それを乗り越えた時の達成感など、体の内側にいつでも湧き起っていた様々な感情なんかは、どこかお互いに通ずるところのあるもののような気がした。レールに乗って社会人になるうちに、私は学生の頃のような熱い感情を脇に下ろしてしまったような気がした。そして彼らはといえば、何の先の保証もないままに熱い感情のまま、ただ一瞬一瞬を嬉々として音を鳴らし続けただけだったような気がした。生まれ持ってのもの、仲間と出会う環境、自らの手で喜びの日々の中で引き寄せた音楽の何ものかの寵愛を受けるという幸運、その他にも様々な要因が絡まって、彼らは一つずつ夢を叶えていったのだろう。いや、というか気づけば夢が叶っていたのだろう。しかしその根っこの部分は、実に単純なものだけしかないように思った。それは、音楽を愛さずにはいられなかった想い、たったそれだけだったように思った。

 私は、その日の朝、旭岳の頂きの向こうに隠れていた母に約束したことを思い出した。

「なんやわからんことばっかりやけど、苦しいことばっかりやけど、・・・、それでも僕、思った通りに生きてみるわな」

 私は、きっと彼らもわからないことや苦しいことを、音を鳴らし続ける中で乗り越えて、思い通りに生き続けたように思った。そして仲間とともに、その目の前の壁さえも笑いながら心弾むままに飛び越えていったようにも思った。私は、奈良に帰ったらまた昔のように真剣にギターに向き合うことを心に決めた。そして、また昔のように真剣に詩を書いてみることも心に決めた。その時私は、その部屋の何ものかが私に微笑んだような気がした。心の中で、

「こちらこそ、色々と気づかせてもらって、・・・、ほんとにありがとうございます」

 と私は話かけた。

 すっかり心はその場所に溶け込んでいて、意識はかなり遠のいたままでいた。ふと我に返った。私はレストランを訪れたのだった。私はすぐにまた不法侵入者の気持ちに戻った。その時だった。いきなり背後から声がした。

「いらっしゃいませ。お食事ですか?」

 ドスンと重たい、そしてとても低い声だった。その建物にいかにもお似合いの声だった。私は驚いて振り返った。その方は厨房の入口の所に立っていた。少し厳つい顔つきをしていて、細い目は笑っていなかった。私はすっかり気圧されてしまった。お昼頃で腹は減っていたが、その方を前にして私はとてもその場所で食事をしようという気にはならなかった。私は、

「コーヒーでもいただこうかと思って覗いてみたんです」

 と適当な返事をした。するとその方は、

「それでは、カフェのほうへどうぞ」

 と言ってサンルームのほうを手で示した。私はサンルームの窓辺の席へ向かった。

 コーヒーが運ばれてきた。その方は何も言わずにカップをテーブルに置き、そのまま厨房へ消えていった。悪いことをしていた訳でもないのに、変にまた緊張しだして、そんな自分のことが可笑しくなってきた。どこからかその方が、私の様子を窺っているような気がずっとしていた。そう思っていることさえも私はなぜか可笑しくて、それならばと思い、カフェスペースをわざと用もないのに歩き出した。その時に私は、カウンターの上に飾られてあった安全地帯のゴールドディスクを見つけた。私はとんでもないお宝に出会ったような気がした。胸がドキドキした。しばらくそれを眺めていると、その方が不意に顔を出した。そして、

「安全地帯のファンの方ですか?」

 と、またあの重く低い声で話しかけてきた。それにまた私は驚かされた。どうにか、

「そうです」

 と返事すると、そうですか、とだけ言い残して、またその方は厨房に消えていった。その不思議さまでもが、どうもその建物にしっくりと馴染んでいるような気がして、私はすっかりその店のことが好きになった。

 その後はじっと席について、私は外を眺めながらおとなしくコーヒーを楽しんだ。

 コーヒーを飲み終わって、

「お会計をお願いします」

 と厨房の奥に向かって声をかけてみた。私のほうから声を発したのは、それがその店に入って初めてのことだった。お会計を済ませて歩き出して、私がガラス扉の取っ手に手をかけた頃、その方が、

「またお越し下さい」

 と私の背中にぶっきらぼうに話しかけてきた。それは、その方が初めて私にかけてくれた精一杯の最初で最後の店員さんらしい愛想だと思い、そのことがまた可笑しかった。私は、だらしなくニヤニヤと笑いながら車に歩いて行った。

 たくさんの音楽の何ものかの気配を感じることができて、たくさんのことを気づかされて、そしてまた変な緊張や可笑しさまで味わうことができて、私はすっかり満足してその店を後にした。


 その後3日間は一切計画を立てることをせず、すべては行き当たりばったりに任せた。本当に心からやりたいこともなくて、ただ適当に車を走らせては景色のいい場所で立ち止まったり、腹が減ればラーメン屋を覗いたり、コーヒーが飲みたくなればドライブインや喫茶店に立ち寄ったり、そして温泉の看板を見つければ必ず浸かりに行ったりして時間を潰した。時間を潰したとは言っても、それはそれでかなり贅沢な時間の潰し方だった。旅に出ないで奈良にじっと留まっていたなら決して味わうことのできなかった心解放されたままの時間が、ただ贅沢に潰されるままに流れ去っていった。

 行動範囲はなぜか一切広げなかった。毎日毎日、国道237号線を旭川から富良野までの間を行ったり来たりしてばかりいた。富良野の小ぢんまりとした町を歩いてみたり、十勝岳を車で登ってみたり、美瑛の丘景色の中で車をのんびり走らせたりと、すぐに237号線に戻ってくることのできる辺りをごそごそと動き回ってばかりいた。恐らく私は、無意識のうちに、母が身を隠しているであろうと思われる大雪連峰がいつも目に入る場所からは離れたくなかったのかもしれない。

 どこで宿を取ったのかはもう忘れてしまったが、毎朝必ず早く起き出して、まだ暗いうちから外で日の出を待った。そして大雪連峰の背から昇ってくる朝日に全身を晒した。漆黒の空に濃い紫が滲み出して、そこから深い紺、青へと空の色が徐々に変わっていき、光のオレンジが急激に青を散らすように強まって、その後すぐに稜線の向こうから光が私を目がけて差し込んでくる、その時の興奮はたまらないものだった。鳥肌が立つほどにいつも全身が震えた。そして、生きる力が全身に蓄積されていっているのをいつも感じた。日が昇りきった頃にはもう嬉しくて、毎朝私は東の空に向かって必ず手を合わせ、そして頭を下げた。素直にそうせずにはいられなかった。それまでもいろんな旅先で朝日を拝むということもあったのだが、その旅を進めるうちに、大雪連峰から昇る朝日を拝むということは私にとって特別なことになった。

 そして必ず毎日したことと言えばもう1つ、夕暮れの頃にいた場所から一番近くて一番見晴らしのいいと思う場所を目指して車を走らせることであった。夕暮れ時に差し掛かると日が暮れるまでの時間は短いものだから、いつも慌ててそのような場所を探し回った。そんな場所まで懸命に車を走らせて、ここだと思う場所に慌てて車を停めると、私は毎日、外の冷たくなり始めた風の中で立った。身の引き締まるようなその北の大地特有の冷たさを、私はすっかり好きになった。雪を冠した大雪連峰が薄いピンク色に夕焼けていくのを東に眺めたり、太陽が西に急ぎ足で沈んでいくのを眺めたりしながらじっと一所に立ち尽くして過ごした。一日のうちで、なぜかその時だけは母のことをすぐそばに感じていた。気づけば口の中で、

「お母さん、ありがとうな」

 といつも呟いていた。私は、その場所に立つことができたのも、その旅に出ることができたのも、それまでの苦しくて悲しい日々を乗り越えてくることができたのも、すべては母のおかげだとただ素直に感じていた。その外の冷たさまでをも私は、私の命がもっと目覚めるようにと、母がそう願いながら私に届けてくれたもののようにただ素直に感じていた。冷たい空気も、旭川空港に降り立った時のようにやはり甘い味がしていた。

 その3日間、いつも何となく頭にあったのは、あまりにも人間は自然のサイクルから離れ過ぎた場所での生活を当然のことのように捉えすぎているようだということだった。たまに訪れた旅の空の下で、いつもそのままにそこにある大自然の中で日々繰り返し昇ってくる朝日のことを異常なまでにありがたく感じてしまうような、そんな私を含めた人間の営む街での便利で浮かれ調子な暮らしぶりのことを、私はどこか間違っているように考え始めていた。それはあまりにも不自然すぎるような気がしていた。

 もし他の生物が朝日のことをありがたく思うことがあるとしたなら、それは無意識のうちにただぼんやりと感じているだけのことだろう。しかし人が朝日にありがたさを感じることがあるとすればその時は、便利だと信じていた街の生活に気づけば疲弊し、逃げ込むようにして訪れた見知らぬ旅先で束の間の時間を過ごす中で朝日を前にし、日の光に照らされているうちに全身に力が駆け抜けるのを感じ、一時だけは自身も自然の一部だということをどうにか思い出し、すがるような思いで叫ばずにはいられないように、普段の癖で必死に両手を伸ばして掴みかかるように、朝日にしがみつこうとするのだろう。人は遠ざけてしまったものに気づくと、慌ててそれをそばに引き寄せようとする。本当はそのままの距離感を保っていればよかったものを、自らが遠ざけてしまったことさえもすっかり忘れ、場の空気を急に乱すほどに慌てながら手元に引き寄せようとする。神頼みと同じである。それはあまりにも悲壮すぎて、息苦しすぎる。

 そんなことをいつもぼんやり考えながら、私はまた別のことも考えていた。人間が血眼になってまで便利さを追求し具現化していくということは、それは果たして人間にのみ与えられた自然な行為なのか。それともやはり、それはただの不自然過ぎる行為なのか。それに関しては、どうしても私にはその答えにたどり着けなかった。自然なことだと考えようとすれば、私はそのままそこにある大自然に対して後ろめたさを感じてしまったし、不自然だと捉えれば、私自身が人として世の中から否定され、そしてはじき出されてしまうような気もしたからであった。

 毎日気が付けば、そんなことばかりを私は考えていた。いつも結局は最後は、せっかくのひとり旅なのにと自分に言い聞かせて、周りの景色に集中しようとするのであった。しかしそうしようと思っても、なかなかうまくはいかなかった。そして奈良に帰ってからのことを考えるのであった。また、旭岳での母との約束、思いのままに生きるという母との約束、そこに意識を無理に運ぶのであった。そうしながら、無計画の旅路の上に余計な考え事を振り切ることのできるような何かときめくものを探そうとして、私は車をただ走らせるのであった。


 最終日の前日、5/4、その日は朝からそれまでで一番いい天気だった。北海道に来てから一度も雨に降られることはなかったが、その日は特にいい天気だった。空が真っ青で、雲ひとつ浮かんでいなかった。その前日、どの辺りで宿を取ったのかはもう忘れてしまったが、私は宿を後にして朝一番から十勝岳方面に車を走らせた。それはというのも、奈良に帰る前日ということで旅の疲れを一度すっかり落とそうと思って、その旅の途中に一度だけ訪れてすっかり気に入った十勝岳温泉、カミホロ荘の湯に浸かることにしようと思ってのことだった。

 小ぢんまりとした上富良野の町を通り抜け、その奥の小さな村も通り抜け、そして両脇を様々な木々で囲まれた峠道を登っていった。その道のことを私は、その前回に一度通ってからすっかり気に入っていた。町を抜け出して自然の懐に溶け込んでいくような感じが、何とも言えないほどに素敵だった。

 20分ほど峠道と格闘し、私はようやくカミホロ荘に到着した。そんな格闘しているような時間こそが、そしてやり抜いた達成感こそが、私の余計な考え事を紛らわせてくれることだった。人はやはり、考えそうになったら動き回るべきなのかもしれない。そうすることで考えや悩みがたとえ消えることはなくても、そして解決することはなくても、それが深くなり過ぎてしまうことだけはどうにか避けることができるのかもしれない。ただ動き回っているうちに、考え事や悩みのうちでどうでもいいようなものは日々に塗れるうちに消え去り、どうにかしなければならないものだけが残っていく。そのどうにかしなければならないもののうちのほとんどは、元気に動き回ってさえいれば放っておいても解決するものばかりで、人が正面から真剣に向き合わなければならないものなんかはほんの僅かしかないのかもしれない。ほんの僅か、それは自分の命を守るということぐらいなのかもしれない。

 車を降りるとすぐに受付で日帰り入浴のお代を払い、私はそのまま温泉に向かった。5人も入れば少し窮屈に感じるような狭い脱衣場で裸になって、檜の張り巡らされた浴室に入っていった。浴室は脱衣場と較べてずっと広かった。私以外に人はいなかった。なぜかホッとした。かけ流しの湯が溢れ流れる音以外には何も聞こえなかった。とにかく静かだった。かけ湯をして、私はそのまま左手の扉の向こうの露天風呂に向かった。小さな長方形の露天風呂がその建物の外面ギリギリのところ、足元に埋め込まれていた。外もとにかく静かだった。露天風呂の眼下は斜面になっていて、そこにポツリポツリと背高いトドマツなどが植わっていた。その足元には、まだかなりの雪が残っていた。湯船に浸かった。すると斜面の雪は全く見えなくなった。その分、空が大きく開けて見えるようになった。その場所からすぐのところに1本だけ、トドマツが立ち枯れしていた。枯れてはいるのにそれは堂々と立っていて、その葉一つつけていない枝ぶりが青空に張り付いているように見えた。なぜか心を奪われて、私は湯船に浸かったままただそれだけをじっと眺め続けた。

 しばらくそれを眺め続けて飽きてきた頃だった。一度建物の外面ぎりぎりの湯船のふちに腕をかけて、木々の足元の雪を眺めてみようかと思ったその時だった。1羽のカラスがどこからか飛んできて、立ち枯れの木の頂辺に止まった。「うまいこと止まるもんだ」と思った。私が動けばそいつは私の気配を感じてどこかに逃げていってしまいそうな気がして、私は湯船の中で移動できなくなってしまった。まぁそれでもいいと思いながら、「さぁ、あいつは今からどうするのだろう」と思って息を殺して眺めていたのだが、飛んできて羽をたたんでからそいつはピタリと動かなくなった。そいつは、私からして左手方向にじっと顔を向けたまま完全に停止してしまった。そうなれば、もうそいつと私との根比べのような状況になった。

 じっと10分以上、私たちは動かないままに過ごしていたように思う。そうしているうちに、次第にそいつのことが私には立派に見えてきた。そして私はふと、ビートルズの"the fool on the hill"を思い出した。


来る日も来る日も丘の上でひとりぼっち

おかしな笑顔を浮かべた男はそこに佇んでいる

誰も彼のことを知りたがらない

みんな彼のことを馬鹿な奴だと思っている

そして、彼はまだ答えを出せていない

でも彼の瞳には太陽が沈んでいくのが見えていて

世界がぐるぐると回っているのがしっかりと見えているんだ


まだまだ道の途中、人の波に埋もれて

大勢の人々は大声で言葉を交わし合う

でも誰も彼の言葉には耳を傾けない

彼の方もまた何も話しかけようともしない

だから彼は誰にも見向きもされないのだ

でも彼の瞳には太陽が沈んでいくのが見えていて

世界がぐるぐると回っているのがしっかりと見えているんだ


彼のことを好きな人なんて誰もいないようだ

きっと誰もが彼のしたいことを理解できるはずなのに

彼は決して自分の気持ちを外に向かって表すことはない

でも彼の瞳には太陽が沈んでいくのが見えていて

世界がぐるぐると回っているのがしっかりと見えているんだ


そして彼もまた誰の話にも耳を傾けない

彼にはわかっているのだ 周りの人が愚かだということも

そして、誰もが彼を嫌っているということも

でも彼の瞳には太陽が沈んでいくのが見えていて

世界がぐるぐると回っているのがしっかりと見えているんだ


 私にはその時、そいつのことがこの歌詞の中の「彼」のように映っていた。そして自分のことが「彼」が馬鹿にしている周りの中の一人のように映っていた。私は自分のことが本当に馬鹿馬鹿しくなって、本気で「彼」に憧れた。そしてこんなことを考えていた。

 人がいくら偉くなったつもりでいても、そして大声で意見を主張してはいい気になって満たされた気になっていたとしても、そんなことは宇宙の営みの中では取るに足らないようなどうでもいいことなんじゃないか。人はいつも偉そうにしながら、物事がひっくり返ってしまう日が訪れることを怯えている。そしてすり減らす毎日に、いつまで身も心も無理が利くのかとばかり考えていつも不安でしょうがない。そんな心のままにあくせくして暮らしているくらいなら、黙っているほうが健全なんじゃないか。いつだって心穏やかでないならば、黙って静かに感じるままに、思い温めるようにしながら、「彼」のように、そしてまた目の前のあいつのようにただ生きているだけのほうがずっと健全なんじゃないか。

 そいつを見つめているうちに、旭岳で交わした心の中の母との約束に、少しもの寂しさを感じさせるような、しかし日の光に輝く銀白の大雪原の慎ましい煌きような、そんな心静けさが新たに加えられたような気がした。しかしそのもの寂しさは、街の暮らしに浸りすぎていたせいで感じられたもののような気がした。自然に暮らしていれば感じることのないもののような気がした。奈良に帰ればその日から、思いのままに生きながらも、それでいて周りに巻き込まれないような心静かな人間になろうと私は心に決めた。もの寂しさをいつも感じることになりそうな気もしたが、そんなものはどうにかうまくやり過ごせばいいと思った。そのもの寂しさをうまくやり過ごしながら、慎ましい煌きだけをいつも見つめるように努めながら、心静かに日々を生きようと思った。そんなふうに生きていけるようになることが何より命として健全に思った。

 その時だった。そいつが急に羽を広げて思いっきり飛び立っていった。私は慌てて湯船の淵に移動して、そこから外に顔を突き出した。しかしそいつはもうすでにどこかへ消え去っていた。さよならを言う暇もなかった。しかし私はそれでいいと思った。そんなもんだと思った。そいつとの出会いも別れも、そいつと私にとって必然の出来事だったような気がした。

 相当長い時間を浴室で過ごした。気が付けばもうお昼を回っていた。すぐに身支度を整えて廊下に出ると、かなりお腹が減っているのに気づいた。私は廊下を通り抜けて、フロントを左手に行き過ぎて、その奥の食堂に入っていった。そこでも私以外に客はいなかった。ガッツリと食べたくなって、注文を聞きに来てくれた店員さんに私は、

「トンカツ定食、ご飯大盛りでお願いします」

 と注文した。注文してからしばらくして、しまったと思った。旅行中、あちらこちらで食堂に入ってご飯大盛りをお願いすると、どのお店でも、大きめのご飯茶碗にたっぷりのご飯がきれいによそわれたのを出されたからだった。それはいつも、いくら私が大食いだと言えどもなかなか苦戦するほどの量だった。旅の途中で私はそれを、自分の中で勝手に「北海道サイズ」と名づけた。しまったと思い、一度だけ店員さんに普通サイズに変えてくれとお願いしようとも考えたのだが、もうそうはしなかった。というのも、旅先での最後の昼食だということで、私は変な闘志を燃やし始めたからだった。「どれだけの大盛りの北海道サイズが出てきても、きれいに食ってやる」。案の定、出されたご飯はとんでもない量だった。見事な北海道サイズだった。笑いがこみ上げてきた。私は手を止めることなくそれと格闘し、苦しみ悶えながらもそれを一気に平らげた。背もたれに全身を凭せ掛けて一息ついていると、店員さんが温かいお茶を運んできてくれた。店員さんは笑いをこらえていた。私は恥ずかしさに照れ笑いを返して、そしてすぐに窓の外に顔を向けた。勝者の気分だった。

 温かいお茶を飲みながらタバコを吸って外を眺めていると、旅ももうすぐ終わりだということに少し寂しさを感じ始めた。しかしどう足掻いてみたところで、私にはその日の午後と次の日の午前しか時間は残されていなかった。どうしようかと考えていると、とてつもなくきれいな景色の向こうに大雪連峰が見渡せて、そんな場所でもう車を走らせることなくゆっくりと夕方までコーヒーを飲みながら時間を過ごしたいと思い至った。私は、上富良野から美馬牛に向かう国道沿いならそんな場所があるんじゃないか、そして1軒ぐらい景色のいい場所に立つ喫茶店があるんじゃないかと期待して、慌てて席を立った。店員さんが、「ありがとうございます」と私に声をかけながらまだ笑っていた。私も、「ごちそうさまです」と店員さんに声をかけながら今度は大きく笑い返して、そそくさとその場を後にした。


 急いで上富良野の町に戻ってきた。そこから国道237号線に出て、私は北を目指した。その旅の途中何度も行き来したその国道に出ると、私はすっかり地元民気分だった。しばらく平らな道を走ると、丘を駆け上る坂道に差し掛かった。坂を上っていくに連れて、右手にはなだらかな丘の風景が見渡せるようになってきた。そしてその風景の向こうには、旭岳から美瑛岳、十勝岳、上富良野岳、富良野岳、そして前富良野岳までの稜線が連なっているのを一望することができた。もう少し坂を上っていけばもっと素敵な景色に出会えそうな気がして、私は右ばかりに何度も目をやりながら車を走らせた。すると坂を上り始めて数分くらいで、私の右手前方、通りから少し入っていったところに、私は1軒の真新しいログハウスを見つけた。私は慌ててウィンカーを出して、その敷地内に車を進入させた。そうしながら私の目に飛び込んできたのは、庭で洗濯物を干している60歳くらいの女性の姿だった。

 完全にそのログハウスを喫茶店だと信じていた私は、その女性のことをお店の方だと思って、

「コーヒーいただけますか?」

 と尋ねてみた。するとその女性は、少し微笑みながら不思議そうに、

「うちはコーヒー、出しませんよ」

 と答えた。私も不思議に思って、

「えっ、コーヒー、おいてないんですか?」

 と訊いてみた。するとその女性は、可笑しそうに笑いながら、

「ここはね、私の家なんですよ」

 という返事を返してきた。私はもう訳がわからなくなっていた。思い込みと、期待と、落胆と、可笑しさと、恥ずかしさと、素敵過ぎる景色のせいで、私は、

「あぁ、そうだったんですか。てっきり喫茶店かと・・・、すいません」

 とどうにか口にするのが精一杯だった。すぐに詫びてその場を離れればいいものを、どうも思うように動き出せず少しぼんやりしていると、その女性がまた笑いながら、

「時々カフェだと思って来られる方がいらっしゃいますのよ」

 と話しかけてくれた。その一言でどうにか私は救われた。そのおかげで、私は思い切って、

「旅の最終日ということで、この辺で景色のいい喫茶店を探していたところなんです。すいませんでした。・・・。どこかこの近くに景色のいい場所でコーヒーのいただけるお店、ございますかね?」

 と訊いてみることができた。するとその女性は、

「もう少し北へ向かえばね、赤い屋根のログハウスがあって、・・・、そこならきっと、・・・、多分ね、コーヒーくらいなら出してくれるんじゃないかしら、・・・。大きなログだから、すぐに見つかると思いますよ」

 と教えてくれた。お礼を言って、私はそそくさとその場所から立ち去った。

 国道をまた北上し、私は右手ばかりを目で追いながら赤い屋根のログハウスを探した。峠を上りきった辺りでなかなか見つからないと少し不安に思い始めた頃、左手に数軒の小さなお土産屋さんが並んでいたので、私は車の速度を少し落とした。ちょうどその時、右手に顔を向けると、白樺の中に立っている大きなログハウスが目に飛び込んできた。私はまた慌ててウィンカーを上げ、今度こそは、と願いながらその敷地内に車を進入させた。

 車を降りて、先ずはその佇まいの迫力に驚いた。堂々とした威厳が放たれていた。そしてとにかく風格があった。それでいて人を拒むようなところは一切なく、逆に人をぐいぐいと引き付ける引力のようなものを持ち合わせていた。なぜだかはわからないが私は、一目しただけでそのログハウスのことを、ずっとそれまでたくさんの人に愛され続けてきたんだろうなと思った。私はふと、それまでそこを訪れた多くの人々の笑い声が聞こえたような気がした。ひょっとするとそのログハウスに使われている丸太には、それまで訪れた様々な人々の記憶が深々と刻まれているのかもしれない。ふとそんなことを思って、私はそれをそのまま信じていいような気がした。

 玄関先に向かった。果たして私はそのログハウスを訪れたであろう多くの先人のように、その先も刻まれ続けるであろうその建物の歴史の一員として迎え入れてもらうことができるだろうかと思うと、永山町のHレストランの時のように少しばかり緊張した。少し歩いて私は玄関先で立ち止まった。見上げれば玄関扉の上の黒っぽい壁に、"SINCE 1983  レストラン ウッディ・ライフ”という白文字が貼り付けられてあった。1983年と言えば私が中学3年の頃だった。その頃と言えば、私が高校受験に向けて心身ともにすり減らしながら苦闘の日々を送っていた頃だった。そんな頃に私の知らない北海道で、そのログハウスが生まれ、そして開業したのかと思った。その後そのログハウスに出会う1996年を迎えるまでに、私はさらにすり減らすばかりの日々を送ってきた。かたやそのログハウスは、その場所でどっしりと構えながら威厳と風格を手にしていたのだった。自分のそれまでの来し方を思って、私は一瞬悔しい気分になった。しかしそれはもう動かせないことだった。もう過去の話だ。現に私はその場所にたどり着いたのだ。中に入るのに緊張する必要なんてない。私は偶然か必然か、その場所までやってきたのだ。そこまでやってきたというのは、その建物に迎え入れられることを許されたということじゃないか。そんなことを必死に自分に言い聞かせながら、私は戸惑いや緊張を振り切って堂々と中に入っていった。

 優しいカレーの匂いが漂っていた。足を踏み入れた時、私の五感の中で一番最初に鼻が反応を示した。その匂いに私は、柔らかく染み入る深い刺激、その次に全身の隅々にまで広がる心地いい弛緩を覚えた。次に目が奪われた。右手奥の窓の向こうの景色は、その旅の中で一番のものだと言い切ってもいいほどに素晴らしいものだった。しばらく私は呆けたように立ち尽くした。ずっと向こうに大雪連峰がそびえていた。その麓からその建物までの間には、パッチワークの丘のアンジュレーションがなだらかにうねりながら広がっていた。額縁にはめ込まれた一枚の美しい絵を眺めているような錯覚をした。その次に心が反応した。建物の野太い丸太同士が、「新顔がやってきた、新顔がやってきた」と賑やかに騒いでいる気配を感じた。そこでもまた私は、Hレストランの時と同じように品定めをされているような気がした。もうそれに対して私は、ただ素直に心の中で、「どうぞよろしくお願いします」と頭を下げる以外になかった。すぐに丸太が微笑んだような気がした。最後に反応を示したのが耳だった。先ずは最初に微かに聞こえるピアノの音を捉えた。それは高いところに取り付けられたスピーカーから流れていたのだが、私には丸太が、そして建物全体が鳴っているような気がした。その次に薪の爆ぜる音が聞こえてきた。店内を見渡すと、玄関を入ってすぐ正面、一番奥の4段ほど階段を下ったところに暖炉が据え付けてあった。そこで薪がゆらゆらと燃えていた。その不規則に爆ぜる微かな音は、「命よ、無邪気であれよ」と言いながら直に私の心臓をくすぐってくるように感じた。その音を聞きながら、私はアメリカにいた頃に覚えた「くすぐる」という単語、”tickle"を思い出した。あまりにも苦しい時、私は心の中で時々「ティックル、ティックル」と呟くことがあった。というのも、その言葉の跳ねるような響きが苦しみを和らげてくれることがあったからだった。とにかく、五感、そして心に響いてくるものすべてが見事に調和していた。命を癒し、くすぐり、そして弾ませる、そんな私の求めていたものすべてが濃密に溶け合い、調和しながらそこに広がっているような気がした。

 次第に私の心はその建物にしっぽりと馴染んでいった。上を見上げれば、むき出しの太い梁の丸太には古いオイルランプが多数吊り下げられていた。暖炉スペースの左脇には梯子がかけられていた。それは、ロフトスペースに設けられた素泊まり用のベッドが並べられているところに上がっていくためのものだった。店内のいたるところに観葉植物が配されていた。その艶やかな緑だけは、どっしりとした重厚な店内の雰囲気に柔らかな彩りと瑞々しい可愛らしさを振舞っていた。その他にもフクロウの置物、ドライフラワー、様々な貝殻など、その店の店主のこだわりであろういろんなものが店内のあちらこちらに飾られていた。

 店内の様子がおおよそ把握できた頃、丸太たちが私の品定めをもうすっかり終えたのか、突然話しかけてきた。

「まぁ、好きなだけゆっくりとしていったらいい。景色を眺めてコーヒーでも飲みながら・・・」

 それを聞いて、私はすっかり緩むことができた。

 これだけ店内に入ってからのことを長々と書き綴ってきたが、恐らく時間にしてここまでの話はほんの2分ほどのことだったように思う。しかしそれは、時間が止まっていたんじゃないかと錯覚してしまうほどの長時間の記憶として、私の中に残されている。

 入口を入ってすぐ左手には小ぶりのカウンターの上にレジが置かれてあって、その奥にパントリーが見えた。どうやらその奥が厨房とバックヤードになっているように見受けられた。私もすでに建物に受け入れられた気がしていたものだから、奥に向かって来店していることを伝えるために声を掛けようとしたその時だった。その奥から私の母と同年代と思われる女性が、何か考え事でもしていたのだろうか、少し険しい顔を俯かせながら私のほうに歩いてきた。そしてふと私に気づいて、顔を上げて立ち止まった。いかにも、あぁ、驚いた、という表情で私の顔をじっと見つめ、

「あら、お客さん?」

 と怪訝そうに顔をしかめて訊いてきた。そうです、と私が答えると、その女性は急に可笑しそうに笑って、そして奥に向かって、

「お父さん、お客さんよ。すごいわね。お店を開けているとお客さんが来てくださるものなのね」

 と叫んだ。私には、その女性が、客が来るという当たり前のことにそれだけ驚いてみせ、そしてはしゃいでみせたのが不思議なことだった。一体何をそんなに驚いて、そしてはしゃいでみせているのか、考えても一向にわからなかった。ただ、不思議なことを口にする人もいるもんだと思い、自然と笑いがこみ上げてきた。するとその女性が笑いながら、

「あのね、私たち、5月の1日にこの店をオープンしたばかりなの。前のオーナーさんからこの建物を譲っていただいてね、ほんと何もわからないまま、・・・、お店なんて一度もやったこともなかったのにね、思い切ってやってみることにしたの。まさかお客さんが来るなんて、思ってもみなかったから、・・・、もうビックリしちゃったわ。どうぞ、お好きなお席に座ってくださいね。お水、すぐに持ってまいりますから・・・。お父さん・・・」

 と言いながら奥に引っ込んでしまった。

 私は、一番景色のいい右手奥の窓辺の席に腰掛けた。腰掛けてからその女性のことを、少女のような人だな、と思った。すると今度は、そのお店のオーナーらしきご主人がドタバタと姿を現した。

「ようこそ、ウッディ・ライフへ・・・」

 と大きな声で言いながら私の前にお冷を置くと、

「いやぁ今日はねぇ、本当にいい天気だねぇ。なに、ご旅行、一人で・・・?」

 と弾むように訊いてきた。私は、先ほどの女性、奥様もそうだったが、そのご主人のグイグイと迫って来る雰囲気にすっかり気圧されて、そうです、と返事をするのがやっとだった。するとご主人が、

「あのねぇ、悪いけど今日はもう食事はできないんですよ。コーヒーくらいしかご用意できないけど、・・・それでいい?」

 と訊いてきた。私はすでに腹は十分満たされていたので、そうしてくれるようにお願いした。するとあっさりとご主人は背を向けて、パントリーに消えていった。そしてその建物は急に、もとの静けさを取り戻した。

 コーヒーをご主人が運んできたのだが、ゆっくりしていってくださいね、と私に声をかけただけで、そのまままたあっさりと奥に引き下がって行った。どうやら私からは人を寄せ付けたくないという気配が滲み出ていて、その気配を感じ取って御夫妻は、そっとしておいてあげようと気を回して下さったのかもしれない。ようやく私は窓の外の景色に集中することができた。

 私はトイレに立つ時以外、その場所から動かなかった。ピアノの音に耳を傾けたり、薪の爆ぜる音に命くすぐられたりしながら外の色移ろう景色を眺めていると、美しい夢の世界で過ごしているような気分だった。それ以上のものを何を望む必要があるのだ、もう十分じゃないか、大自然が届けてくれる光、匂い、栄養など、そこにあるものをそのまま頂戴するだけで、本当にもうそれだけで十分じゃないか。言葉にするに及ばないほどの自然な感謝の気持ち、人を怯えさせるほどに人が口うるさく教育と称して圧し込んでくる「感謝しろ」という言葉とは真逆の、本当にごく自然に湧き上がる感謝の気持ち、そんなものがゆっくりと私の胸に満ちてきた。そう私が感じるように導いてくれたのは、母の切なる願いのような気がした。それ以外には考えられなかった。私はそんな気がして、大雪連峰の稜線にしっかりと目を向けた。母がその背後から何度も、私をこっそりと覗き見ては嬉しそうに、そして無邪気に笑っているような気がしたからだった。

「お母さん、ありがとう」

 心の中で、稜線の背後に向けて、たったそれだけを呟いた。多くを話しかける必要などないと思った。その言葉だけで十分だと思った。母は顔を出さなかった。私も母を探そうとはしなかった。

 私はカバンからノートを取り出した。私は、学生の頃から旅に出る時は必ず、大学ノートを一冊カバンに入れるようになっていた。それは、特に毎日何か日記を書こうとか毎日思いついた言葉を記すというためのものではなく、旅のおこずかいの計算をしたり旅の行程を計画する上で便利なものだったからだった。その旅では一度もそのノートを開けることがなかった。初めてそのノートを開いて何かを書き記しておこうとも思ったのだが、特に言葉が浮かんでこなかった。それを私は別に悔やみもしなかった。言葉が浮かんで来ないなら来ないでそれでいいと思いながら、コーヒーを飲み、タバコを吸い、景色を眺め、建物の丸太のざわめきに耳を傾けたりしながら時間を過ごした。そうするうちに、やっとふと書こうと思って書き記すことのできた言葉は、「お母さん、ありがとう」だけだった。それで十分だと思った。

 コーヒーのおかわりを注文するために、私はパントリーに向かって声をかけた。するとご主人がすぐに姿を現した。そして注文を聞くと奥へ下がって、またすぐにコーヒーを運んできてくれた。その時に、

「あなたはどこから来たの?」

 と訊いてきた。私は、

「奈良です」

 とだけ答えると、

「そう、奈良ですか。いいところだねぇ、・・・。私たち、出身は名古屋なんですよ。近くですね」

 と言ってきた。私は、名古屋には一度も行ったことがなかった。

「そうですか」

 という以外、名古屋のついての何の情報も持たない私には答えることはできなかった。それをご主人は、私が人を拒んでいるとでも勘違いしたのだろうか、

「だんだんとね、これから大雪山の色がきれいに染まっていきますよ。今日みたいな天気の日はね、ほんとにきれいになりますよ。是非、ゆっくりと楽しんでくださいね」

 とだけ言い残して、またパントリーの奥へと消えていった。また静かな時間が戻ってきた。

 コーヒーのおかわり4杯目をお願いしようと奥に向かって声をかけた時だった。気づけば私の灰皿はもう吸殻でいっぱいになっていた。大雪連峰がもうかなり夕焼けて薄いピンク色に染まっていた。その時はご主人に代わって、奥様が私の前に姿を現した。怖い顔をしていた。そして私はいきなり怒られた。

「あなたね、あなたはお客さんよ。だけどね、そんなにコーヒーばかり飲んで、そしてタバコばっかり吸ってたら体に悪いじゃない。そうでしょう?もうコーヒーはお止しなさい」

 私はそれに驚いた。しかしそれ以上に、ただ嬉しかった。「昭和」を守り通してきた母の想いをそこに見たような気がしたからだった。命をつなぐ先輩としての責任を果たそうとして、凛と背筋を正した姿で後続の者にバトンをつなごうとする、「平成」に入ってからはなかなか出会うことのできなかった、大人らしい大人、先輩らしい先輩、大人として線引きのできるけじめある人、そんな人に久しぶりに出会うことができたような気分だった。私は奥様の言うことに素直に頷いた。恐らくそこに「昭和」を感じなければ、私はわがままを通したことだろう。素直に頷いてから、その温かさに心の氷が溶けだしたのか、私は泣きそうになった。それを必死で堪えた。奥様が、つい先のことは何もなかったように話を変えた。

「あなた、ノートに何を書いてるの?」

 話を変えてくれたことが救いだった。私は泣かないで済んだ。そのノートにはまだ、「お母さん、ありがとう」としか書かれていなかった。私はすっかり奥様に心を許していいような気になっていた。見知らぬ人に自身のことを話そうという気になるなんてことは、ずっと久しくなかったことだった。それでもやはり奥様に「昭和」を感じれば、もうそのまま心を許していいように思えた。私は、遠い昔の温かかった頃のような気分で話しだした。

「私、詩を書いたりするのが好きなんです。それで今日、この旅最後の日なんで、景色のいい場所で何か最後に言葉を書きたいって思ってここまで来たんですけど、まだほとんど何も書けなくて・・・。まぁ、それはそれで別にいいんですけど・・・」

「あなた、詩を書くの?」

 奥様はそう言ってからすぐに奥に向かって、

「お父さん、こちらの方、詩を書くんですって。すごいわね」

 と叫んだ。すると奥からご主人がやってきた。

「そうなの、へぇ、すごいね」

 と言いながら、ご主人はパントリーに近い席に腰を下ろした。そして、

「弘子、お茶でも入れてきて」

 と奥様に話しかけた。奥様は奥に戻っていった。その言葉で自動的に、私は御夫妻と同じテーブルにつくことになった。私は席を移動した。するとご主人がゆっくりと話しだした。

「我々もさ、こうしておかげさまでお店させてもらうことになったんだけどさ、第二の人生をこれに賭けているわけだよ。この先にね、恐らくいろんな方々と出会っていくんだろうと思うんだけどさ、至る至らないは別にしてその出会いをね、心から大切にしてお付き合いを重ねさせていただいて、そしてお互いの人生がね、より豊かになればいいなって願ってるんだよ。・・・」

 そこへ奥様がお茶を運んできてくれた。奥様が笑いながら、

「あなた、どんな詩を書かれるの?見せていただくわけにはいかないの?実はね、私、時々あなたの姿、覗いてたのよ。最初はね、少し心配だったの。だってそうじゃない?ねぇ、・・・。一人でこの観光シーズンじゃない時期に、こんな場所に現れるんだもの。心配するわよ。でもね、途中でノートを出したでしょ。その時からね、私、あなたのこと、なんかね、勝手なんだけど、一体あの人は何をしている人なんだろうって興味がそそられたのよ。作家さんかなぁ、芸術家さんかなぁって・・・。いろんなこと考えちゃった」

 と話しかけてきた。私は、奥様と最初に顔を合わせた時にふと思ったことを思い出した。ふと「少女みたいな人だな」と思ったことにどうやら間違いはなかった。すると今度は、詩のことはそっち除けで、奥様は少し心配そうな険しい表情をされて、

「あなた、どうしてひとり旅にわざわざ北海道までやってきたのかしら?」

 と訊いてきた。私はもうすっかり素直になっていた。私は御夫妻に、一人旅に出た理由をお話しして聞いてもらった。母が長い間難病に苦しんだ末、昨年の2月に亡くなったこと、母の葬儀を終えた日に季節外れの大雪が一晩中降り続いたこと、ふと母を思い出すと私の中に雪が降るようになったこと、北海道に来れば雪に触れることができるんじゃないかという思いで急に思い立ってやって来たこと、実際に旭岳の山頂附近で母に会って話すことができたことなど、家族や親戚との歪んだ関係のこと以外はほとんどすべてをお話しして聞いてもらった。その他にも、やっている仕事のことやギターに夢中になっていることなども聞いてもらった。

 話し終えると奥様は泣いていた。その姿を目にして母のような人だと思って、そして実際に母が目の前にいるような気がして、私も泣きそうになった。すると奥様がテーブルのウェットティッシュで涙を拭いながら、

「あなた、・・・、あなたは大丈夫よ。よくここまで来ることができたわね。あなたはね、きっと何ものかに護られてるの。そしてね、あなたがそう感じているのならきっとお母様はね、いつだってあなたのそばであなたを見守ってくれているの。私にはね、そういうこと、全部わかるのよ」

 と話してくれた。私は、泣きながらお話をされる奥様に、よく泣いていた母の姿を思い出していた。懐かしく温かな時間だった。

 その後は御夫妻から、お店を経営されるに至った経緯、そしてそれまでの来し方についてのお話を聞かせてもらった。以前はご主人が大企業にお勤めをされていて転勤ばかりを繰り返してきたということ、日本中を転勤するうちに移り住む先々で貝殻を集めるようになったということ、最後の転勤先は札幌だったということ、その札幌時代は奥様と二人で週末毎に道内各地を旅行ばかりしていたということ、その旅の途中で現ログハウスに出会ったということ、前のオーナーの写真家と偶然会うことがあって「こんなところに暮らしてみたいね」とそれとなく口にしたところ、ログハウスを譲り受ける方向に話が転がり始めたということ、覚悟を決めて第2の人生を富良野で始めるべく早期退職し、その退職金をすべて当ててそのログハウスに賭けてみたということなど、いろんなお話を聞かせていただいた。

 すっかりと辺りは薄暗くなり始めていた。私には何もかもが不思議な気がしていた。現実からすっかり遠く離れた夢の中にいるような気分だった。先ず何が不思議と言えば、旅の最終日、「昭和」の雰囲気を残す母のような人に会えたということ、その次に、御夫妻の来し方の先に富良野にたどり着いたということと私の来し方の先に富良野にたどり着いたということ、そしてその両者が出会ってすぐに普通にまっすぐに向き合って話し込んでいるということ、そしてその先もずっと御夫妻とのいいお付き合いが続いていくんじゃないかという気がしたこと、そしてまた建物までが私たちの話に真剣に耳を傾けているような気がしていたことなど、とにかく何もかもが不思議な気がしていた。不思議が重なりすぎて、いつしか宙に浮き上がっているような気分になっていた。しかし怖くはなかった。というか、少し怖いくらいに心地が良すぎた。

 私はふとそのログハウスに、そして御夫妻の門出に、何か詩をお送りしたくなった。少し戸惑ったがそうするべきだと思い直し、そしていろんなものに対して自然に湧き上がる感謝の気持ちのままに、私は、

「大したことなんてできませんが、私は今、このお店に詩を残したい気分なんです。どんなものになるかはわかりませんが、できるかどうかもわかりませんが、そして気に入ってもらえるかもわかりませんが、受け取っていただけます?」

 と訊いてみた。すると奥様が、

「もちろんじゃない。楽しみにしてるわよ。頑張って私たちに詩を書いてみて・・・」

 と嬉しそうに言ってくださった。母のような奥様だったのが、また少女の姿に戻っていた。

 ご主人が外のほうに目を向けて、

「あれ、もうすっかり暗くなっちゃったね。あなた、なに、・・・、今日はどうするの?今日の宿はもう決まってるの?もしまだなら、うちで素泊まりぐらいならできるよ」

 と訊いてきた。私はその日の朝のうちに、美瑛のユースホステルに予約を入れてあった。そのことをお話してから、ふと御夫妻に、

「あちらはキャンセルして、今日、ここでお世話になってもいいですか?」

 と訊いてみた。するとまた奥様は、急に少女の顔から母の顔に戻った。そして厳しい表情を浮かべて、力強い声で私を叱りだした。

「あなたね、それは絶対にダメよ。あちらさんだってね、あなたが無事に到着するのをね、お部屋の用意からお食事の用意まで整えて待ってらっしゃるのよ。そんなことしたらあちらさんに対して申し訳ないじゃない。わかるでしょ?もう時間も時間なんだし、急いであちらさんのところに向かいなさい。きっと心配してらっしゃるわ」

 私は、母に対して素直だったように奥様に対しても素直だった。確かに奥様の仰る通りだった。私は頷いてから、

「また明日、お邪魔してもいいですか?」

 と訊いてみた。すると奥様が笑いながら、

「あのね、うちだってお店をやってるんだから、来てくださるのはいつだって大歓迎よ」

 と言ってくれた。

 私は慌ててお店を後にして、美瑛に向けて車を走らせた。


 その翌朝、宿で朝食を済ませ、私はすぐにウッディ・ライフを目指した。勢いよく車を敷地に入れ込んで、小走りで店内に入ると、そこで奥様が掃除機をかけていた。そして私のほうに顔を向けながら、

「あら、ほんとにまた来たの?」

 と可笑しそうに笑いながら話しかけてくれた。

 私はコーヒーをお願いして、そのままお気に入りの窓辺の席に向かった。そしてすぐにノートを開いた。窓の外に目をやりながら、そして建物の中に目を走らせながら、迫り来る飛行機の出発の時刻を少し気にしながら、私は言葉を探し続けた。すると、外の景色も、その建物も、そしてその中にあるあらゆるものも、目にするものすべては人の想いに大切に守られるままにそこにあるんだという気がしてきた。私はそれまで、「愛」という言葉を詩に使うのが苦手だった。というか、使ったことなどなかったのかもしれなかった。というのも、いつも使おうとはするものの照れくささが顔を出してきて、どうもそれを避けて通るのが当たり前になってしまっていたからだった。しかし辺りを見渡し、そして薪の爆ぜる音やピアノの音に耳を傾けていると、もう「愛」という言葉は外すことはできないような気がした。

 いろんな人がいろんな思いでここを訪れたことだろう。この場所で守り通されてきたものに触れて、どれだけ多くの人が素直な気持ちになって普段の生活に帰っていったことだろう。忘れかけの夢、見失いそうな愛をもう一度何となく思い出して、無意識のうちに命をくすぐられ、誰もが元気を取り戻したことだろう。そういったすべての人々の喜びの声が、私の心に直に聞こえてきたような気がした。私の心の中にふと、「愛」がその場所で渦巻き、そして「夢」が空高く吹き上がっているというような絵が広がってきた。そして私の心の中に同時に、そのざわつく音がはっきりと響き出してきた。この場所は愛の場所で、そして夢の吹き上がる場所で、ただその歴史が積み重なっていくことが繰り返されていくことになっている場所なのだ。もうそれは理屈抜きにそんな気がした。

 私がその場所で感じたことそのままを言葉にしようとした時、窓の外で木々が揺れているのが目に止まった。そして実際には目にしてもいないのに、初夏の風に揺れる健気な小花を目にしたような気がした。それは、その場所をそれまでに訪れた先人の姿のようだった。もうすっかり書くことは見えてきた。そのまま感じたままに書こうと思った。書きすぎないように気をつけようと思いながら、ようやく私はペンを握った。


Woody Life


愛風 そよぐ

愛花 揺れる

聴こえますか?

あなたに・・・

ここは夢の都


 たったこれだけの言葉を書き終えるのに2時間もかかった。しかし私は、時間をかけてその時の精一杯の命を燃やしようやく出来上がったその詩に、心から満足した。そしてそんな私を見つめて、母がどこか遠くで微笑んでいるような気がして、そんな自分を心から誇らしく思った。

 私は飛行機の出発時刻が気になっていた。書かれたノートをちぎって、私はすぐにそれを奥様に手渡した。すると奥様がそれを目にして、そして奥に向かって、

「お父さん、素敵な詩を頂戴したわよ」

 と叫びながらはしゃいだ。いいことをすることができたような気がした。このくらいで人が喜んでくれるなら、私にも生きている価値があるような気がした。そんな気がしてふと、それまでの日々、すっかり自分には生きている価値などないと思っていたことに気づかされた。

 ご主人がやってきて、すぐに、ちぎった紙に書かれた詩に目を通してくれた。そして、

「いやぁ、嬉しいね。ここのことをあなたなりに詩にしてくれて・・・。そうだ、あのさ、ここのお店のね、パンフレットを作ろうって今思っててさ、この詩を是非とも使わせていただけないものかね?せっかく我々もこうしてお店をさせていただくことになってさ、こうしてお客さんと初めて交流することができて、この詩を使わせてもらうことができれば、我々も本当に嬉しいんだがね・・・」

 それに関してはもちろん、私には一切の異論もなかった。そんなことよりもただ嬉しく、そしてありがたいお話だった。

「どうぞご自由にお使いください。そんな嬉しいことはありません」

 私には、御夫妻に最後にひとつだけお願いしたいことがあった。それだけ喜んでくれて、私はようやくそれを口にする勇気を持つことができた。

「ここのお店、私の心のふるさとだってずっと思っていたくて、・・・。だから、・・・、これからもまた時々は帰ってきたいですし、・・・、これからおふたりのこと、お父さん、お母さんと呼ばせてもらっていいですか?」

 するとご主人が、

「よし、ここはこれからはあなたのふるさとだ。決まりだ」

 と笑いながら言ってくれた。そして奥様が、

「大きな息子が一人増えたわね」

 と言いながら可笑しそうに笑った。

 私にも帰る場所ができたという思いがした。それは私に、未来に対する大きな希望をもたらしてくれた。私は努めて精一杯明るく、

「じゃぁ、お父さん、お母さん、また来年のゴールデンウィークに必ず帰ってきますね」

 と、すこし照れながらも口にした。するとお母さんが、

「いってらっしゃい。また向こうで頑張って元気な姿で帰ってくるのよ」

 と、まるで実の息子を見送るように、そしてまるで私がアメリカに旅立ったあの日の母のように見送ってくれた。車に乗り込んで旭川空港に向かう途中、涙が止まらなかった。もう懐かしくて、切なくて、悲しくて、嬉しくて、そしてまたそのすべての感情がただ温かくて、胸が高鳴るばかりでどうすることもできないでいた。


 空港に着いたのは離陸15分前だった。走って構内に入ると、手荷物カウンターの女性の方から、

「柄本さんですか?」

 と訊かれた。そうだ、と答えると、

「ご案内いたします。お急ぎください」

 と言って、その方は駆け出した。カウンターに荷物を投げるように預け、私も慌ててその方の後を追った。

 機内に乗り込むと、すぐに扉は閉ざされた。どうやら私が一番最後の乗客のようだった。

 機体がすぐに動き出した。滑走路に出てエンジン音が唸りだした。そして猛スピードで走り出した。その圧を背に感じているうちに、すぐに機体は空に飛び上がった。私はその頃、ようやくしばし途切れていた深い感傷に舞い戻った。そして窓の外に目を向けた。大雪連峰は空から見下ろしても雄大だった。6日間車で走り回った富良野が峰々連なる大自然に甘えかかるように、寄り添うように慎ましくそこにあった。素敵な町だった。人が人として、そして自然の一部として生きるのに、その町の姿はすべてが理に適っているように思った。それ以上大きくなれば大自然を壊しかねないし、それ以下なら人として不足を覚えることだろう。私はまた必ず帰ってくることを心に決めた。そう意識しながら、私のふるさとなんだからいつでも帰ることを許されているんだと思い、心に決める必要もないんだと思い直した。

 大雪連峰の旭岳附近に目をやった。そして私は母の姿を探してみた。どうやら母にすれば、私の北海道の旅に同行し私を見守るという役目を終えて安心したのか、母はもうそこにはいなかった。それでも私は、旭岳の背後に向かって、

「お母さん、また来年、旭岳の上で雪の中で会おうな。絶対やで」

 と話しかけた。そして最後に、もう旭岳も見えなくなりそうになって、

「お母さん、いつもありがとう」

 と話しかけた。

 早く夢から目覚めなければならなかった。もう現実が2時間後に迫っていた。

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