第24話
奈良に戻ってからのその後のしばらくの日々については全く記憶に残っていないのだが、北海道から飛行機で大阪伊丹空港に降り立った直後の数時間のことだけはなぜかよく覚えている。しかしその記憶には、ぼやけた写真のような景色さえも残されていない。すべてがただ感覚的なだけである。そして、とにかくその感じるものすべてがゴミゴミとしている。私はあの時、聞こえる周囲の音も、目に映る色も、私を追い越すような速さの街の時間も、どこか濁ったような不穏な空港構内の空気も、何もかもが殺気立っているように感じていた。そのせいで私は、手荷物を受け取るコンベアーの前に立った頃には、もうすでに軽いめまいを起こしそうな状態になっていた。その数時間前までの心平静で過ごしていたのが嘘のように、私は緊張しながら胸の中で、「嫌だ、嫌だ」と叫んでいた。そして離陸直前にレンタカーの中で掲げた目標のことなんかは、私はもうすっかりどこかになくしていた。
とにかく頭が混乱し、心の中は不安な気持ちで一杯になっていた。そのまま飛行機に乗り込んで富良野に帰りたいと思うほどだった。とてもそんな状態のまま電車を乗り継いで奈良の実家に戻る気にもなれず、とりあえず空港の敷地の外に出て、埃っぽくざらついた騒がしい空気の中をどこという当てもなく私は歩き出した。とにかく気を落ち着かせられる静かな場所が欲しかった。どのくらい歩いたのかは覚えていないのだが、私は歩道脇に古びた小さな喫茶店を見つけた。通り沿いのその喫茶店の窓から中を覗くと、店内は薄暗く、そして客の姿は見られなかった。その時の私の心理状態にとって恰好の休憩場所に思われた。私は少しそこで休もうと思い、その店内に入っていった。その店の中のことも全く記憶には残っていない。確か私はコーヒー1杯だけで、恐らく1時間以上もその店の奥のほうの席で時間を潰していたような気がする。
その、ただじっと座ってコーヒーを飲んではタバコを吸うだけだった時間の間に、私は、「嫌だ、嫌だ」と叫ぶことをどうにか諦めることができた。いや、諦めるというよりかは、すでに身に備わっていた悲しみや苦しみに対する耐性みたいなものが、私の叫びをすっぽり飲み込んだというほうが正確な気がする。諦めるというのは、嫌であろうとも自らの意図で放り出すという能動的な処理であるのに対し、その耐性による包み込みというのは、そこに私の意図の欠片も存在しない。ただそこにあるのは、自動的で受動的な処理による麻痺だけである。そこで静かに過ごすうちに、私はすっかり旅に出る前の私に逆戻りした。
ウッディライフでお父さんとお母さんと私の3人で過ごした温かな一時、そのほんの一時だけは「動」だった私も「静」に逆戻りしてしまうと、その場所はやはり私にとって「動」よりも長く慣れ親しんでいた場所だったせいか、私はようやく心落ち着くことができた。そんなふうに私の感覚は、もう完全に周りの人たちのそれとは真逆なものになっていた。「動」という温かな活動の中で幸せや喜びを人は感じるものだが、私はというと、温かな「動」を望みながら「静」という冷たい場所でしか安心を感じることができないようになっていた。「静」に逆戻りして私は、「さぁ、家に帰ろう」と思った。
私の「静」の時代はその後も当然のごとく続いた。そう簡単に抜け出せる場所ではなかった。しかしそれは、それ以前よりも厄介なものになっていった。
1997年、その年から国内の景気はどこもかしこも下降線を辿っていた。4月に消費税率が上がってからは国内消費が低下し、「アジア通貨危機」、「自動車販売不振」、「不景気」などという重たい話題が日々紙面を騒がせるようになり、その後、年の瀬の頃からは、大手の証券会社や銀行などが次々と経営破綻に追いやられるという情報が飛び交った。経済のことについて詳しくない私でも、その余波はジリジリと身近なものになりつつあるというのは肌で感じつつあった。それでも頭のぼやけた私はそれを、「どこか遠くで人々が束になって騒いでいる」というくらいにしか捉えていなかった。そして、そのような日々の世情をマスコミで発信する人々のことやそれを話題にして嬉しそうに話す人々のことを、「騒いだ者勝ちみたいだ」という冷えた見方をしていた。騒いだところでどうにかなるなら騒げばいい。どうにもならないことをわかっていながら人々が騒いでいるのが、私にはただ馬鹿らしかった。
どの得意先に出向いても、そこで働く人々の醸し出す雰囲気は以前のものと較べればすっかり変わった。誰もがピリピリとしていて、そして笑顔を浮かべる者など一人もいなかった。パソコンの画面に顔を向けたままで、挨拶をする私に顔を向けて挨拶を返そうとする者も一人もいなくなった。私はそんな人たちを前にしていつも、その時代にふさわしい険しい顔をすることで自分の椅子を死守しているようだと思った。そしてそんな人たちのことが私には、現場で稼働する心ない1機械にしか映らなかった。人なのに、母から生まれた人なのに、機械としか映らないその人たちが悲しいのか、自分の心の瞳が悲しいのか、私にはよくわからなかった。得意先巡りをするだけで、行き場のない悲しみが心の中に蓄積されていった。
配達途中、周りのトラックの荷台に目を向けると、どのトラックも朝一番だというのに荷台に少量の荷物しか積んでいないのを目にするようになった。そしていつしか、大通りを走るトラックの数も半分近くに減った。いつも配達時に渋滞していた道がすっかり空くようになった。得意先からの注文は納期なしの小ロットのものばかりとなった。同業者が倒産したという噂を、仕入先の営業の方が頻繁に騒がしく事務所のほうに持ち込んでくるようになった。その頃のある自動車メーカーの仕入れの値引き目標値というのが衝撃だった。確か、1年のうちに数回に分けて元の仕入れ値の35%カットというものだった。殺人的だと思った。
資本主義の社会の正体を見たような気がした。お金がありすぎるということは人の心を狂わせるとは何となくわかっていたのだが、仕事も減りお金が目減りし始めても人の心は狂うんだということを知ったような気がした。大手は、下請けが歯向かえない立場にあることをいいことに、その力を平気で下請けに振りかざす。下請けは下請けで厳しい条件を受け入れてでも仕事量を確保し、社内の人員の整理や無駄の見直しに心血を注ぐ。そしてゆとりがなくなっていく。その年の私が私事において無責任に自棄糞な気持ちまま荒んでいったのと同じように、私の身の周りの人々も、企業も、そしてまた社会も、その心が荒んでいっているように私は感じていた。
その頃のテレビのCMでは、こんな言葉が頻繁に聞こえてくるようになった。「人に優しく、自然に優しく、地球に優しく・・・」。大手の血も涙もない仕入れの見直しを知ると、そんなうっとりと甘い夢のような言葉なんてものは、私にとっては実に薄気味悪いものだった。裏でやっていることと表に発信していることがあまりにも違いすぎていて、私は大手に対して人を馬鹿にしているのかと思った。またどのCMも、放映される時はその音量が異常なほど大きくなった。その度にリモコンでテレビの音量を下げなければならなくなった。私は、それをまるでテレビの前の人の頭の中にスポンサー企業の捏造された贋素敵イメージを刷り込もうと襲いかかってきているようだと感じ、その頃からテレビを観るのが嫌いになった。とてもその贋素敵イメージも、そしてそのイメージの発信の仕方も、同じ人間の所業のようには思えなかった。大手の企業ともあろうものが本当にそんなやり方で業績が改善するとでも信じているのだろうかと、私はただ不思議で仕方なかった。しかし何の力も気力もない私にはなす術はなかった。冷えた瞳で心の中では人も社会も小馬鹿にしながら、そして悲しみを積もらせながら、私も心ない機械のようにそんな時代を動き回るしかなかった。
そんな時代の余波は、他所の同業者よりは遅いものだったのだが、やはり父の会社にも確実に押し寄せてきた。父の会社の売上の50%を占める名古屋方面の出荷量の激減に合わせてその値引き要請も激しくなり、やむを得ず父の会社もその年の10月頃から生産調整に入ることになった。その後約1ヶ月に渡り、週に8時間の残業はカットされる運びとなり、また通常なら残業終了時の7時以降11時まで自動タイマーで稼働していた本社工場の高速圧造機10台は、夕方の5時にそのけたたましい音を立てないようになった。
そのような状況になって、私は本心ではそれを嬉しく思っていた。私も周りに倣ってその状況を前に険しい顔を取り繕ってはいたものの、本心はそれとは真逆だった。というのも、私にとって週に8時間もの時間ができるということは、一人で過ごすことのできる時間を増やせるということだったからだ。離婚して、気づけば富良野にいて、そこから戻ってきた途端に不安で胸がいっぱいになり、怯えながら「静」の日々を騙し騙し渡る私にとって、その8時間というのは願ってもなかった一人になれるありがたい時間だった。しかし、人間なんてすぐに満足したものに慣れてしまうものである。一度短くなった拘束時間を経験すると、今度は朝8時から定時の5時までの9時間が私にとってただの苦痛となり始めた。ちょうどその頃から立て続けに、私にとっては辛い出来事がいくつか起きた。
当然生産調整に入れば本社工場からの半製品が上がってこないものだから、第2工場でも何台かの自動ねじ切り機が音を立てなくなり始めた。第2工場長では永谷をはじめ、その他の従業員の者もやることがなく、誰もが缶コーヒーを片手にタバコを吸いながら時間を潰すようになった。しかしそのような状況でも私はといえば、日々得意先からの納期なしの小口注文に朝からも昼からも走らされるような毎日だった。それは、それまでよりもさらに忙しいものになっていた。
そんなある日の夕方のことだった。配達から帰ってきた私に永谷が、人を小馬鹿にしたような瞳を浮かべたまま近づいてきた。そして私に話しかけてきた。
「幸治、お前、ちょろっとの商品をトラックの荷台に積んで、それで数千円の売上にもならんのんと違うんか?何をそんなしょっちゅうたった数千円のために走り回ってるねん。そんなことせんと機械が回るくらいの仕事、頭を下げてでも取ってこいや。ちょろちょろ走り回るだけがお前の仕事なんか?ええ・・・?仕事一つもよう取ってこんのか?」
現場の仕事も減ってしまい、やることもなく、余計なことばかり考える時間が増えた結果、永谷はそのような文句を私にぶつけてくることを思いついたのだろう。そしてなぜ私だったかといえば、永谷にすればその年の間にすっかりと覇気のなくした私なんかは文句をぶつけるのに恰好の捌け口に思えたのだろう。
永谷は、時代をわかった上でそんなことを口にしたのだろうか。ただでさえ悲しみを積もらせて胸がはち切れそうなところに突然そのようなことを聞かされたものだから、私はついカッとなってきつく言い返した。
「数千円の商品でも注文は注文やないですか。何ですか?永谷さんはそんな注文、断ってしまえって言うとるんですか?それやったら永谷さんが事務所で注文の受付でもして自分で断ってくださいや。そうしてくれるんやったら、永谷さんに代わって僕がここで検品したりしときますわ。それとですね、・・・・、僕は今、生産管理を中心にやってるんです。注文取りまではまだ僕にはできません。注文を取るんは今はまだ、社長と専務の仕事です。社長も専務も時々現場の中を歩き回ってますやろ。仕事が少ない、機械が止まってる、暇や、早う仕事を持って来い、って文句があるんやったら社長か専務に直接言うていったらどないです?いや、・・・、今日は社長も専務も事務所にいてるでしょ。今から僕と一緒に、話ある、っていうて二人に聞いてもらいましょ。それがいいですわ。一緒に事務所に今から行きましょ」
自分でもひどいことを言っているのはわかっていた。逆の立場だったら、そしてもし本当にその立場で無理やり事務所に連れて行かれたら、それはたまらないことだろうというくらい容易に想像することができた。それでもそんな言葉を飲み込んで胸に押さえ込むには、私はあまりにも頭に血が上り過ぎていた。永谷にすれば予想以上に私が反撃に出たことに相当に驚いたことだろう。そんな永谷は急に無理に歪んだ微笑みを浮かべ、
「何も社長や専務に話にいかんでもええやないか。ただ俺はやな、・・・、もう少し仕事が忙しなったらええなって思ってお前に聞いてみただけのことや。何もそこまでせんでええやないか」
とだけ言って私の前からそそくさと逃げていった。
胸がドキドキしてただ悲しかった。早くその場所を離れたくて、私は背を向けて歩き出した。その時だった。現場の奥のほうから私を罵る永谷の叫び声と、空のペール缶でも永谷が蹴飛ばしたのか、何かがガラン、ガランと大きな音を立てて床に転がるのが聞こえてきた。
そんな永谷とのどうしようもない諍いはその後も数ヶ月に一度は起こったのだが、それは益々醜いものになっていった。そして私が生産指示を出しても、永谷は平気な顔をして「今は忙しいからでけへん」などという言葉を口にするようになった。仕事がやりにくくなっていった。
ちょうどその頃のことだった。それは永谷との諍いがあってから数日後のことだったように思う。専務との関係もさらに歪んでいくような出来事が立て続けに起きた。先ずはこんなことがあった。定時上がりの頃に事務所に上がっていくと、専務一人がそこにいた。専務は事務所の蛍光灯も消したまま、そこで一人自分の事務机の上に両腕を載せ、その両腕で体を支えるようにしながら机の上に顔を落としていた。そんな専務は私が事務所の扉を開けても、そして蛍光灯のスイッチを入れても、まるで固まった置物のように微動だにしなかった。実に薄気味悪かったのだが、私はまだ在庫集計やその次の日の予定の見直しなどすることがあったので、専務の隣りの席に腰かけて一つ一つ片付け始めた。しばらくした頃だった。隣りで専務が急に体を起こし、両手の拳で自分の事務机を力いっぱい叩きつけた。静まり返っていた事務所内に一度だけ大きな音が鳴り響き、すぐにまたもとの静けさに戻った。あまりにも突然のことで、驚きのあまり私の心臓が激しく音を立て始めた。その音は耳の中でドクドクと鳴り響き、私はしばらくは気が遠のいたようになって、ぴたりと止まってしまった作業する手を全く動かせなくなってしまった。
どのくらいそのような時間が流れたのだろうか。今思い返しても、それが長い時間続いたのか、それともほんの短い時間のことだったのか、今の私にはさっぱり思い出せない。しかししばらくして、私の鼓動は次第に落ち着きを取り戻した。その頃になって私は、そのような暇な状況の中で専務の肩の上にどのくらいストレスがのしかかっているのかと考えてみた。すると、いくら専務が私の仕事を高評価してくれていて、そのおかげで私の給料が上がったとは言え、専務が抱えるストレスというのは私の仕事上の負担不足によるものなんじゃないかというような気がしてきた。相変わらず私の思考は、そのような時でも、全部自分を悪者にするほうが人を責めるよりも気が楽だというくらい、自分を責めることに関しては何の痛みも感じない耐性のもとに働いていた。私は専務のとったその時の行動を責める気にもならなかった。それよりは、私は専務に何か優しい言葉をかけてあげなければならないと思った。そしてそのままを素直に専務に話しかけた。
「どないしたん?何かあったら聞かせてや。僕もまだそれほど仕事できるわけやないけど、言うてくれたらできることやったら精一杯やるし・・・」
いくら日々専務との会話もなく、お互いの仕事には干渉し合わないような、そんな冷え切った関係性だったとしても、それでも私にはそう声をかけるだけの理由があった。私にできることで専務のストレスが減るなら、私は自分のできることすべてを差し出してもいいとさえ思っていた。それはというのも、専務といえば私の叔父で、東大阪に暮らしていた頃の叔父との楽しく温かかった思い出が私の中には色濃く残っていて、もう一度あの頃の叔父に会いたいという微かな願いが大人になった私の中にまだ残されていたからだった。私にとって未だに山口百恵や沢田研二が特別な存在であるというのは、あの頃将一叔父さんがふらっと我が家を訪れては私をドライブに連れ出してくれて、その車の中でいつも百恵やジュリーのカセットテープがかけられていたからである。音楽を楽しむという習慣がなかった我が家だったから、将一叔父さんの車に乗せられてドブ川のような東大阪の長瀬川沿いの道を走り、その車窓の景色に目を向けながらいつもテレビで耳にする音楽に包まれるということは、私にとっては特別贅沢な、非現実的な時間だった。大人になってからも私にとってはあの頃の優しく接してくれた将一叔父さんが本当の将一叔父さんで、私は、叶うならもう一度あの頃の将一叔父さんに会いたいという微かな願いをまだ捨てていなかったからである。
しかし次の瞬間、私はもうそんな微かな願いはバラバラになった。専務がいきなり椅子から立ち上がった。そしてもう一度握りこぶしで力いっぱい机の天板を叩きつけ、そのまま引き出しに仕舞われてあった自分のカバンを掴み、何も言わずに帰ってしまった。もうその頃は仕事を終えた従業員の者たちも更衣室で着替えを済ませて帰った後で、そのように専務もいなくなって、私は恐ろしいほどの静けさにひとり取り残される形となった。鼓動がまた激しく鳴り響き、頭の中が真っ白になり、しばらくの間は全く動く気にもなれず、そしてそのままでは混乱から抜け出せそうにないと気づき、私はやり残しの仕事をそのままに帰ることにした。帰りの道中、私の頭の中では「何でなん?」という言葉だけが引切りなしに浮かんでは消え、何に対する「何」なのかもわからない、そして当然その答えが見つかるわけもない、そのようなひどく心もとない精神状態のまま私は車を走らせ、家の近くまで帰ってくるとごく自然に酒屋の中に入っていって、ビールとウイスキーを手にして家に帰った。その日の夜の私はひたすら酒をあおった。
その後も専務と私の間にはいくつかの事件が起こり続けた。事件といえば大げさかもしれないが、私にすればやはり事件だった。それまで何ものかが意図的に私を家族との関係から引き裂こうとしているんじゃないかと感じていたように、専務との関係までをも何ものかが引き裂きにかかってきていて、ついに本格的に私をどこかに運び去ろうとしているんじゃないかと思えるほどの事件が立て続けに起きた。
ここからはその中で一番大きな事件の話である。
11月に入ってから父の会社は突然忙しくなり始めた。どこもかしこも売上が下降線を辿る中、国内の情勢とは全く無関係なほどに名古屋方面の仕事量が増え始め、その上為替が少し円安に振れたおかげで、しばらくはご無沙汰だった貿易の注文が次々と舞い込み始めた。すぐに生産の追い込みをかけるために、父の会社は以前の生産体制に戻った。残業も夜7時までとなり、本社工場の高速圧造機も夜11時までタイマーで稼働することとなった。日々舞い込む注文を生産予定に挟み込むため、そして要求される納期と数量を精一杯こなすために計算機を叩き続ける日々が始まったのだが、そうは言っても相変わらず小口の納期なしの注文が日々舞い込んできては外回りに時間を奪われるため、私はお昼休憩も10分ほどしか時間を取れないというところにまで追いやられた。すっかり定時に仕事を上がる日々にさえ苦痛に感じるほどに暇な状況に慣れてしまっていたものだから、急なその忙しさは私にとっては甚だ苛立たしいものだった。
それでも自分自身を押し殺してまでそんな日々に立ち向かおうとしたのは、専務との意味のわからない事件があってからは私はもう専務に微かな願いも期待もなくしていたのだが、私の中にはそれとは別に、自分がしっかりと仕事をこなすことで父にだけは認めてもらえるかもしれないという、そんな淡い期待がまだ残っていたからだったように思う。どれだけ父との関係がこじれていたとは言えやはり私にとって父はたった一人の親であり、きっと私は父が元気なうちに父から一家族、一大人、一社会人として認めてもらいたいと心の深い場所で強く願っていたのだろう。専務とのことをすっかり諦めてからは、恐らく私の中でその思いが一段と強いものになっていたのかもしれない。そしてまた、恐らく私は、無意識のところで、父からそう認められさえすればアイデンティティーをなくしそうな危うい状況から脱することができるという、最後の切なる期待をそこに寄せていたのかもしれない。
専務と私の仕事の振り分けはその頃にはほぼ確立されていた。簡単に言ってしまえば、二人が両輪となって、得意先の要求する納期と数量を満たしていたということである。それは、お互いに顔を突き合わせてそうすることに決めたというものではなく、父の会社に私が勤めるようになってから自然にそういう形ができあがったというものであった。専務の主な仕事はというと、材料の発注、おおよその絶対数量の管理、そして得意先の問い合わせへの対応であった。私の主な仕事はというと、大元の本社工場の高速圧造機から上がってきた半製品に優先順位をつけそれを適時に第2工場に流すこと、そして日々の梱包予定計画の指示、在庫管理、そして得意先回りをすることであった。そんな二人は、例えばあの商品の納期がどうも間に合いそうにないとか、数ヶ月先の予測を計算してみたがもう少し生産数量を上げる必要があるだとか、そのようにお互いの役割に関して気になることがあった時にだけ言葉少なく意見を伝え合うくらいだった。それ以外に二人には特に話すこともなく、そしてまたそれだけで十分日々の業務は回っていた。
突然訪れた忙しさの中での私は、自分のためでも誰かのためでもなくただ父に認められたいという一心で、いかにも時代が時代ということをよく理解した上で納期と数量を死守しようとしているんだという顔をしていたいという思いで、生産計画を完璧に立てることに日々打ち込み続けていた。そんなある日のことだった。11月の末の頃だったように思う。専務と私の間にその事件は起きた。どう見ても私が弾き出した数字では、それはその頃の貿易の受注内容、在庫状況、国内の商品の流れ具合など、考えられるあらゆる懸念材料を考慮した上で弾き出したものだったのだが、明らかに専務が計画していた生産予定が危ういもののように見受けられた。専務が計画した生産予定、つまりそれは本社工場で4台もの機械で6mmの商品を生産し続けるというものだったのだが、そのまま行けば8mmの商品が12月末頃には在庫が全く足りなくなってしまうと危惧されるものだった。私はそれを、本当はそうすることをあの夕方の事件があったせいで内心ではひどく怯え戸惑っていたのだが、父に認められたいという気持ちには変えられず、思い切ってある日の朝一番に専務に意見してみることにした。
「専務、・・・」
「なんや、・・・」
「このまま6mmを4台で作り続けたら半月後にはもう8mmの商品、不足気味になって、12月の末頃には全く足らんようになりそうやわ」
「そうか、・・・」
専務は気味の悪いほど気のない返事を返してきた。しかし一度意見を言いだしたものだから、私もそのままその場を離れられなくなった。
「8mm用の材料はあるん?」
「おぅ、8mm用はあるはずやぞ」
「そしたら今日から1台、8mmに段取り替えするように現場に指示を出しといてくれる?」
「そないに8mmが足りてへんのか?」
専務の返事は実に面倒臭そうだった。しかしそう訊かれたものだから、私は自分の弾き出した6mm、8mmそれぞれの商品の出荷量予測をまとめた資料を専務に見せ、そして一つ一つを専務に説明した。専務は私が話し始めても心ここにあらずといった感じで、聞いているのかどうかも私にはわからなかった。それでも一通り説明をし終えて、私は専務にお願いした。
「そしたら専務、1台、今日から8mmに切り替えるように指示しといてくれる?」
すると専務が、
「おい、幸治、今から出かけるんやろ。坂本にな、420-Dの機械、8mmに段取り替えするように言うておいてくれ」
と言った。本社工場の現場に指示を出すのは専務の役割だったのだが、そう言われても特にそれを断る理由もなく、私は、わかった、とだけ言い残し、そのままその日の配達伝票を手に事務所を後にした。
「坂本さん、坂本さん、・・・」
「なんや、どないしたんや」
坂本さんが近づいてきた。普段は本社工場に入ることの少ない私が声をかけたものだから、坂本さんは少し笑いながら不思議そうな顔をしていた。
坂本さんは、現場ではよく仕事をサボると周りに詰られ、そして実際に目にするといつも椅子に腰掛け雑誌を読みふけっているような人だったのだが、とにかく明るい人だった。その口から人の悪口や不満などが滑り出ることはなく、周りの声なんかは笑いながら一瞬にして跳ね返すような、私なんかとは真逆の人だった。坂本さんが周りにどう言われていようが、私はそんな明るさと逞しさに関しては筋の通った坂本さんのことが好きだった。
「坂本さん、8mmが足りてないんです。Dの機械、もうすぐこの材料、終わりそうですね。ちょうど良かったわ。この後8mmに段取り替えしといてもらえます?」
すると坂本さんは可笑しそうに笑いながら、
「おぅ、なんや幸治。ついに専務の仕事、お前が奪いにかかることにしたんか?」
と、私をからかうように訊いてきた。
「奪うもなんも、・・・、ただ専務から坂本さんにそうするようにって伝えといてくれって言われただけですやん」
現場の従業員とほとんど話すことのない私にとって、というか日々ほとんど誰とも話すことのない私にとって、そのようにごくたまに坂本さんと言葉を交わすことは楽しいことだった。
坂本さんはニヤニヤと笑いながら、
「なんや、専務は事務所でサボってるんか?」
と訊いてきた。
「サボってるんと違いますか?」
私も坂本さんに冗談で返してみた。しかしすぐに私は、あまり二人でベラベラと話し込んでいる訳にはいかないと思った。というのも、また誰がどこで私たち二人を見ているかも知れず、その後にどんな噂を面白可笑しく騒ぎ立てるかもわかったものでもなく、そのことを私は警戒したからだった。明らかに坂本さんと私の二人は、その頃の父の会社の中で恰好の噂の餌食になるだけの要素を孕んでいたのだった。あるいはひょっとすると今思えば、その頃の私は病的なほどに周りの視線に四六時中怯えていただけかもしれない。しかしその頃はその頃で私は私で真剣で、また深刻だった。
「とにかく坂本さん、8mmが急ぎやから、この材料が終わったらすぐに頼みますわ」
とだけ言い残し、私は急いで配達の準備をするために第2工場に向かった。
配達の準備を終え、配達内容に誤りがあるような気がして、それを再度確認するために私は荷台に荷物を積んだままのトラックで事務所に戻った。事務所で確認したのだが特に出荷内容に何の誤りも見当たらず、私は事務所を後にしてトラックに向かった。トラックに乗り込む前に本社工場を覗き込むと、坂本さんが機械の上に乗っかったまま私に顔を向け、そして笑いながら大声で、
「今から段取り替えするからな」
と叫んだ。それを聞いて私も大声で、
「お願いしますね」
と叫び返し、そのまま出発した。
何軒かの得意先を回って、私はお昼過ぎに本社工場に帰ってきた。その頃はというと、午前の配達に出ているうちに昼からの配達の小口注文が入っているのが当たり前になっていたので、私は事務所に駆け上がっていった。その日はなぜか、昼からも小口の注文が何件も入っていて、私の机の上にはもうすでに事務員によって上げられた納品伝票が何枚も置かれてあった。「今日も休憩なしか・・・」と思いながら私はすぐに事務所を後にしてトラックに乗り込み、第2工場に向かった。そこで荷物を積み込んでそのまま出発、あちらこちらを走り回って会社に戻ってきたのは夕方の4時頃だった。
くたくたになっていた。昼食は途中のコンビニで買ったおにぎりとお茶だけだった。トラックに乗り続けると食欲が沸かないというのはいつものことだった。とにかく気分が悪かった。本社工場の入口でトラックを停めてエンジンを切っても、体がまだ痺れたままだった。そんな体を引きずるようにして、私は運転席から外に出た。動くのも億劫で、私はとりあえず本社工場脇の自動販売機で缶コーヒーを買ってタバコに火をつけた。せめて5分10分はじっとしていたかった。通り沿いの本社工場の壁に持たれ、私はそのまま地面に腰を下ろした。するとそこに坂本さんがやってきた。私は、きっと坂本さんがトラックを目にして、わざわざ私に8mmを回し始めていると伝えに来てくれたんだと思った。しかしそうではなかった。坂本さんは苛立ちを抑え切れない声で私にきつく詰め寄ってきた。
「幸治、お前、専務の指示やって言うてたやないか」
私には何が起きているのかがさっぱりわからなかった。
「どないしたんです?」
「6mmから8mmに段取り替えして、材料も突っ込んで動き出した頃にやな、・・・、せやな、10時すぎやったやろか、・・・、専務が俺のところに来てな、何で8mm回してるねん、6mmにすぐに戻せって怒鳴りつけてきたからやな、俺、慌ててまた6mmに戻したんや」
私は、血管が破裂するんじゃないかというほどの怒りを覚えた。その後は、自分でもはっきりとわかるほど頭に血が上り始めた。そしてその血液はなぜか私の両耳に集中して留まったようだった。私の両耳は急激に熱を帯び、私は耳がちぎれるんじゃないかというほどの痛みを感じ始めた。
「坂本さん、それで今は・・・?」
意識が白けて、私にはそう訊くのが精一杯だった。すると坂本さんは、困ったような顔をして、
「それで今はって、・・・、専務があない言いよったら6mmを回すしかあらへんがな。段取り替えがどんだけ大変か、お前も何となくはわかっとるやろ。何で8mmに切り替えてくれっていうてきたんや」
と言った。それはまるで、坂本さんがその朝一番の私の指示を私の独断によるものだったと捉えているように感じられ、私は先ずは一番に専務の意図を確認しなければならないように思い、
「坂本さん、また後で・・・」
とだけ言い残し、缶コーヒーを飲み干したところに吸殻を入れ、それを道に置いたまま事務所の階段を一気に駆け上った。事務所には父も専務も事務員もいた。駆け上がってきた音が聞こえていたのか、扉を開けた時には全員が私のほうに顔を向けていた。父が私の平静さをなくした顔を睨んで、
「何や、どないしたんや?バタバタして・・・」
と苛立たし気な言葉を吐き出した。それには答えず、私はできるだけ冷静を装い専務に話しかけた。
「専務、今朝、話したやん、8mmが全然足りてなくて、6mmがまだ余裕あるって、・・・。それで専務、僕に、420-Dの機械を8mmに段取り替えしたらええって言うてたやん。せやから僕、坂本さんに8mmにかかってくれって伝えたのに、・・・、せやのになんでまた6mmに戻したん?」
すると専務は、8mmが語りていないという話を始めて耳にしたかのように、
「8mm、そないに足りてへんのか?」
と、朝と同じことをまた私に訊いてきた。私はそれに対してはもう馬鹿らしくて、返事する気すら起きなかった。
父はそんな二人の話を耳にしていながら、新聞の紙面に顔を落としたまま意見一つ口にしなかった。事務所内が嫌な静けさに包まれ、それがしばらく続いた。その静けさを破ったのは専務の怒鳴り声だった。
「8mmが足りてへんねんやったら、坂本にまた8mmに切り替えろって言うたらええだけの話やないか。違うんか?」
もうそれは、坂本さんに対しても私に対しても、実に無責任な言いっぷりだった。私は怒りで気が変になりそうだった。しかしどうにかそれを堪え、私はできるだけ冷静に、
「そしたら、朝のうちに専務に話した通りやから、・・・、それでもそのまま6mmを回し続けるんやったら僕はもうそれでええし、もし8mmにもう一回段取り替えしてもらわなあかんのやったら、それは専務から坂本さんに伝えてや。僕が坂本さんに指示を出すんはもう嫌やで」
とだけ言って、それ以上はもう何を言われても答えないことに決めた。
しばらくはまた嫌な沈黙の時間が続いた。とにかく耳が痛かった。早く冷やさなければならないと思い、私は洗面所に向かおうと思って立ち上がった。その時、専務が私に、今度は小さな柔らかい声で話しかけてきた。私がどこかに行ってしまうとでも思って慌てたのだろうか。
「幸治、坂本にな、6mmを8mmに切り替えてくれるように言うてきてくれ」
随分な言葉だと思った。人を散々振り回しておいて、その上まだ私に命令をするつもりかと思い、私は怒りを抑えられなくなって、かなりきつめの言葉を専務に投げつけた。
「専務が自分で言うてきたらええやんか。僕はもう本社のほうには一切指示は出さへんからな。僕かってな、これでもやな、・・・、専務や現場の人らがしんどい仕事、少しでも楽にできるようにって考えてやな、精一杯できることをやってるつもりなんや。それやなのにな、今朝みたいなことがまた起こるって考えたら、・・・、もうこれまで通り、余計なこと言わんと自分の仕事だけしてるほうがずっとましや。専務から坂本さんに言うてきたらええやんか。僕はもう嫌やで」
そこで初めて父が口を開いた。
「幸治、お前な、・・・、もうええ加減にせえよ。さっきから話、聞いてたら、お前は専務に向かって何ちゅう口の利き方や。専務の言う通りに素直にでけへんのか?お前、この会社で働き始めて何年や。まだ5年にもならへんやろ。一丁前な口の利き方するな」
私はその時思った。父にすれば波風の立たない状態というのが何よりも望ましいことで、私が成長しようとして日々精一杯仕事に打ち込もうとするいささか熱すぎる姿勢などは特に望んでもいなかったんだと。そしてまた、私はその時ふと不思議に思った。道理に合わない話をすぐそばで耳にしていて、なぜ父は会社の最高責任者として、的確な中立的意見一つ口にしないのだろうかと。恐らく父にすれば私なんかは、家にいても会社にいても波風を立ててばかりのただの面倒で厄介な奴に過ぎなかったのかもしれない。そんな私なんかに較べれば、専務は口数少なく黙々と仕事をする人で、父にすれば代表として扱いやすい人材だったのだろう。きっとその辺りの思いから、父の中にすべての非は私にあるという判断が自動的に下りてきたのだろう。そして父は凄むことで私を押さえ込みにかかったのだろう。
私にすればその時その場にいた父は、会社さえ動いていれば内情がどうであれ気にも止めない、些細な日々の問題には自分からは決して触れようともしない、そんなただの冷たくてずるい人だった。私は、父に対して微かに抱いていた尊敬の念を下ろさざるを得ないように思った。そして私は、父に対する最後の切なる期待を諦めることにしなければならないようにも思った。私は、技術も、経営能力も、経験も、何をとっても劣っている自分のことを悔しく思った。その劣等感というものは、父の会社に勤め出してから理不尽な扱われの中で私の中に積もり積もったもので、その時になって初めて私はその正体と真っ向から向き合ったような思いだった。
そんな私は、どう考えてもやはり、素直に自分の思い、考え、意見、感情などをそのまま外に出すことが許されていないようだった。そしてどうやらそれが、周りの人たちの私に望むところのようだった。私にはそんな気がしていた。そんな思いのせいで、もし私が何かを口にすればまたそのまま父に凄まれて、その上起き上がれないほどに押しつぶされるのだろうと思った。そう思うと息苦しく感じ、私は、父や専務のことを諦めたという流れのままに、自分のことまで自分を殺したように生きるしかないんだと諦めた。私はふらふらと立ち上がり、とりあえず両耳を冷やすために洗面所に向かった。水を流したまま何度も手のひらで水をすくっては、私は何度もそれを両耳に塗りつけた。両耳の熱が少しずつ落ち着いてから、何の感情もないままに私は坂本さんのところへ向かった。
「坂本さん、すんません。また8mmに戻しておいてくれます?」
坂本さんは気落ちした私に笑いかけながら、
「なんや幸治、専務にブンブン振り回されてるんか?」
と言ってきた。私はその言葉にほんの少しだけ緊張が緩んだ。頭に上っていた血が全身に下りていくのを感じた。
「そうですねん。坂本さんもたまらんな、すっかり今日は2階の人に振り回されてもて・・・。いや、今日もやな。いつも振り回されてるもんな」
私はあえて専務を悪者のように扱った。その後、私のその一言がどのような事態を招こうとも、私にはそんなことなんかはもうどうでもいいことだった。あるいは、何らかの自体が実際に起きればいいというくらいの投げやりな気持ちだった。
「いやいや、俺なんかよりもお前のほうが明らかに振り回されてるやろ。専務もな、あれももうちょっと人の言うてることに耳を傾けれるようにならなあかんな。・・・。よっしゃ、わかった。今から8mmやな」
それだけ話すと、坂本さんは機械のほうに小走りで駆けていった。坂本さんと私は父の会社内においては明らかな弱い立場同士だったから、言葉少なくても心通ずるものがあるように思え、その思いが私の心を少し楽にしてくれた。
その後も専務と私の間には、それまでと似たような諍いがたまに起きた。それは、いつも専務からの一方的なものばかりだった。専務はいつも勝手に痺れを切らし、私にそのままの感情をぶつけてきた。しかしそれに対してはいつも、私はただ無表情に応じるだけだった。専務がどのような態度でぶつかってこようとも、私にはもうどうでもいいことだった。こんなことを言ってくることもあった。「お前が親父の跡を継ぐんやろ。自分の意見一つもないんか」。そんなことを言われても私は専務に対して、好きに言って暴れて気が済むんならそうすればいいという気持ちだった。私にすれば、自分の仕事をしていればいいだけのことだった。
そんな私を扱いあぐねたのか、専務は私の機嫌を取ろうとしてくるようになった。時々は専務は、ヘラヘラとだらしなく笑って必死に私に話しかけてくることもあった。何を話しかけられたのかは何一つ覚えていないのだが、専務はそんな時はいつもその場を必死に明るいものにしようとしているようだった。私の態度が急に悪くなったせいで、専務自身、自分の仕事が思いのほかやりにくくなっていたのかもしれない。しかし私は、そんな専務を前にしても一切態度を崩さなかった。ただ心の中でそんな専務を馬鹿にしていただけだった。私はもうそんな専務になびくこともなく、あくまで事務的に応じるという姿勢を貫き通すだけだった。感情を表情に浮かべることもしない、意見一つも口にしない。そばにいるのが嫌になると、私はいつも何か用事を思い出したふりをしてその場を離れるのだった。専務が自分ひとりの責任で本社工場に指示を出し、そこから上がってきた半製品を私は自分ひとりの責任で振り分ける、そのように専務と私はお互いの仕事にほとんど干渉し合わないような形になり、意見を伝え合うこともなくなっていった。
今になってもあの頃のことを時々思い出す。そして、あの頃の父、専務、私に、あともう少し、あとほんの少し、人を思いやる優しさがあればよかったのになんてことを考えて、その悔しさや情けなさ、そして悲しみに飲み込まれてはいたたまれない気持ちになってしまう。しかしあの頃の私にすれば、意見を口にしないこと、感情を殺すことが二人に対するぎりぎりの優しさのつもりだったのかもしれない。その他に何ができただろうか。わからない。恐らくあの頃の私はそうすること以外にいい考えなど浮かばなかったのであろうし、そうすることが精一杯の優しさだと信じていたのだろうと思う。そして父も専務もきっとそれぞれがそれぞれなりに何かを信じていて、そんなバラバラの3人が集まれば、もうすべてはあのように歪みながらもガタガタと進む以外にはなかったような気もする。今になってあの頃のことを思い出し、そして考えてみたところでもうどうにもならないと重々承知しているのだが、家族というものはやはり家族で、親戚というものはやはり親戚で、そんな当たり前のことがなぜか年齢を重ねるにつれて重くのしかかってくるようになってきて、気がつけば私はぼんやりとあの頃のことをつい考えてしまうのだ。どうやらその一番大きな要因は、私が今、こんなにも家族、親戚と距離を取って暮らしているということにあるように思う。
実にうんざりするような日々だった。しかし、人には年月を重ねないと、そしてその場所から離れないと見えてこないことというものがあるように思う。あの頃にあともう少しあればよかったと思う優しさが、最近になって少しだけ見えてきた。父も、専務も、私も、それぞれが別々の人生を歩んできたのだ。それぞれがそれぞれの経験を重ね、それぞれの喜びや悲しみを知り、それぞれの幸せの価値基準を確立し、それを土台にしてその先へ生きていこうとしていただけだったのだ。そしてきっと今もそうなのだろう。それらすべてをお互いに許し合い、そして認め合う気持ち、それがあの頃に必要とされていた優しさだったんじゃないだろうか。最近の私はそう思っている。私にすれば、父や専務がどのような時代を生きた末にそれぞれの幸せの価値基準を手にしたか、そんなことはわからない。父や専務にしても、私の背景にあるものを理解することなんてできるはずもない。それでも、お互いがお互いに対してあとほんの少し冷静であれば、相手の背景を想像してあげることぐらいはできたんじゃないだろうか。そうできていれば、私はきっと父のことを「冷たくてずるい人だ」なんてことを思わずに済んだであろうし、専務に対して相手にしないような態度を取ることもなかったのだろう。また父や専務にしても私のことを、扱いあぐねるなんてことにはならなかったんじゃないだろうか。
今なら少しはわかる。つまり簡単に言ってしまえば、時代背景の違う3人が一緒に国内外の時代情勢の波に飲まれ、煽られ焦るうちに思うことを思うままに言動に移し、そのまま傷つけ合ってきた時代だったということ、誰も悪くはなかったんだということ、そしてあのような時代はただの通過点だったということ。年月を重ねないと、その場所から離れないと見えてこないもの、それは時間軸と空間軸の織り成す全体的な景色である。それはその時代にその場所の中で塗れていては決して見えない景色で、それをいずれ眺めることができるために人は手探りながら今を生きているような気がする。それを眺めることができた時、人は未来に向け生きていく勇気を手にすることができるのだろう。私があの頃の景色を今というこの場所で眺めてみると、全部それは、それぞれのそれぞれなりの命に対する願いだった。誰もがみな、ただ必死で「生きたい」、「生きよう」と叫んでいた。私も必死に「生きたい」、「生きよう」と叫んでいた。その景色は、そう叫び生きてきた者だけに見ることの許される景色なのかもしれない。
父や専務にすれば、日々の生活が不安なく送れるということだけが一番の幸せの基準だったのだろう。二人にとってのそれは明確なものだった。お金がさえあれば、それでそのすべては満たされるもののようだった。幼い頃から怯えながら生きてきた私にとっての幸せの価値基準は、日々の漠然とした恐れを忘れさせてくれるような「何か」だった。私にとってのそれは不明瞭なものだった。その「何か」が家でも会社でも見当たらず、いつも胸に大きな穴が空いたような状態だったから、私は父から「もう少し普通に気楽に過ごされへんか?」なんて言葉をかけられてしまうほどにあくせくと動き回っていたのかもしれなかった。ひとり旅に出たり、ギターに夢中になってみたり、詩を書いてみたり、様々な本を読みあさってみたり、突飛な行動を起こしてみたり、・・・。しかし何に打ち込もうとも「何か」が見つかることもなく、決して私の胸の穴は塞がることはなかった。それよりかは、ひたすら虚しさをかき集めているような日々だった。
その後の私は、無理が祟ったのか、起き上がれないまでに心身ともに調子を崩していった。
家族、そして私について らうのうた @raurau
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- 結月 花「すみませーん、流行りの溺愛作品、何か置いてますかー?」 「そこにないならないですね」 「じゃあ転生悪女からのざまぁは?」 「そこにないならないですね」 「ほのぼのスローライフは……」 「そこにないならないですね」 自分の書きたいものを書きたいだけゆるゆるのんびり書いている物書き。アタイの性癖、ここに置いておきますね(*^^*) ふんわりした可愛い女の子と肉体派系のメンズ(ようはマッチョ)の組み合わせがど性癖500%。長編はこの組み合わせが多いかもしれません。 恋愛ものをメインに書いています。読後に幸せな気持ちになれるような大団円のハッピーエンドが大好きです。 短編は基本的にカクヨムのイベントなどに合わせて書くことが多いのでジャンルは様々。 短編はコメディも書きますが、長編はシリアス多めです。短編からお越しになった方が長編を読まれるとコメディとシリアスの温度差でインフルエンザになります。 読むのも書くのも好きなので、たくさん絡んでください! ※当サイトに掲載されている内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。(Unauthorized reproduction prohibited.)
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