第3話 アインシュタインも分からなかった日本の玩具

「おはようっす」


「おはようございます、田中さん」

 

 田中の砕けた挨拶に爽快な挨拶で交わす葉華莉。


「あれ、明日川さんとシーナは?」


 田中が社内を見回すと事務室の目の前の葉華莉と奥で椅子に座っている社長しかいなかった。


「彼女たちは出張だよ」


 社長に田中の声が聴こえた様だ。


「へぇー、こんな会社でも出張なんてあるんですか?」


「田中くん、こんな会社は酷いな」


 田中の失礼な物言いに指を立てて笑って警告する社長。


「はは、ごめんなさい。でも出張かぁ。明日川さんなら海外でも不思議じゃないよな」


「いや、出張先は地下だよ」


 社長が言い間違えたのか、田中が聞き間違えたのか社長に問い直す田中。


「地下?」


「社員になった君は、一度行ってみてもいいかもしれないな。悪いが葉華莉ちゃん、彼を明日川君のいる地底世界に案内してくれないか」


「はい」


 聞き間違いではなく、明確に地下世界と語る社長に田中はどこかの鉱山か鍾乳洞を連想した。


「ちょっ、地下って何処の?」


「ここに決まってるじゃないですか」


 葉華莉は当然の如く語る。


「え? この建物の下に」


「そうですよ」


 田中は半信半疑で葉華莉に連れられ、会社のエレベータの前に来た。

「なんだ、地下って言うからどこかの深いトンネルを連想しちゃったよ。単にホテルの地下だったんだ」


「ふふ、がっかりしましたか?」


「まぁね、これまでこの会社で予想外の事が連発したから、ちょっと期待してしまったよ。せめて地下10階まであるとかのオチでもあるのかなぁ、はは」


 田中が笑いながら葉華莉に視線を移すと、彼女はエレベータのボタンを押した。


「いえ、一階だけです。さあ乗って下さい」


 エレベータの表示は地下へは確かに一階だけになっていた。


「なんだ、本当に一階だけなのか」


 少し現実離れした事に期待していた田中は、そんなものだろうとフッと一息ついた。だが、二人がエレベーターに乗ってからいくばくかの時が過ぎていく。


「・・・・・・あの葉華莉さん、ひょっとしてこのエレベータ故障してるんじゃ、たった一階なのに何時までたってもドア開かないんだけれど」


「まだ、5分位しか経ってませんから」


 田中は奇妙な世界にでも入り込んでしまった様な錯覚を抑え、葉華莉に問い直す。


「5分位しかって、階段で行った方が早くない?」


「地下へは階段なんてありませんし、あっても半日以上掛かってしまいますよ」


「半日以上って......まさか」


 田中は尋常でない事にやっと気付いた。


「目的地は地下千メートルの研究所です」


 やはり予想外が品揃えしていた会社であったのだ。


「せ、千メートル! 一体何の研究・・・・・・というかこの会社って何なの?」


「永久機関などという物を作ろうとしている会社ですから、これ位の予想外には慣れた方がいいですよ」


「・・・・・・わかりました、葉華莉先輩」


「ふふっ」


にこやかに笑う葉華莉に対して、敗北を喫した田中であった。エレベータに乗って10分くらいした時だろうか


「さあ、着きましたよ」


「ここが・・・・・・」


 高さが3メートルはある天井からは、赤くほの暗い照明が照らされ、目の前には真直ぐな通路が続いていた。


「堅牢な作りと言うか、まるで核シェルターみたいだ」


 田中はSF映画で見たワンシーンを思い出していた。


『そうよ、核シェルターよ』


 スピーカーから発せられたであろう明日川の声が、何処からともなく通路にこだました。


『二人ともそのまま真直ぐ進んで手前のドアを開けて部屋に入りなさい。おもしろいモノリスを見せてあげるわ』


 田中は、事情を知っているであろう葉華莉にモノリスについて聞いてみた。


「モノリスって葉華莉さん知ってます?」


「いえ、私も初めて聞きました。モノリスって単一の岩盤や岩石の事ですけどね」


「昔のSF映画じゃいわく付きの代物として有名なんだけれどなぁ、モノリス」


 目的の部屋のドアを開けると、そこで二人が目にしたのは小さな体育館くらいはある部

屋とその中央には、5メートルはある鈍い銀色の立方体の塊があった。


「金属の塊ですか?」


 葉華莉が尋ねる。


「さぁ、一体これは何でしょ?」


 答えをはぐらかす明日川。


「当然、現代科学では想像も付かない未知の物質でしょ?」


 田中は予想どうりのボケに入る。


「だったらいいんだけれどね」


 更に回答を伸ばす明日川。


「田中さん、これは窒化アルミニウムですよ。私と主任はこれの劣化調査に来たのです」


 シーナが何の躊躇いも無く田中の夢をぶち壊す事実を淡々と述べた。窒化がどんな意味かは分からなかったが、アルニミウムという聞きなれた言語が入っていたからである。


「なんだ、がっくしだよ。でも地下深くにこんなものがあるなんて、それだけでもロマンの香りがしますので許します」


 田中の失望は予想をやや下回った程度で済んだ様だ。


「それは良かったわ」


 明日川はどんな時でもマイペースで返す。


「それにしても、なんでこんな物がここにあるんですか。そう言えばさっき核シェルターって言ってませんでしたっけ?」


 田中は疑問の本題に戻る。


「そうよ、ここは核シェルターになるって事よ。3メガトン級の核爆発の直撃にも耐えられる構造になっているわ」


 緊急事態に備えた設備を目の前にして、能天気な田中も流石に真面目に質問を交わした。


「この会社って、そんな危険な国から襲われる様な危ない会社だったんですか?」


「実はそうなのよ、これは国家機密でね」


 しかし明日川のジョークは健在であった。


「主任、そうやって田中さんで遊ぶの止めて下さい。私も何度そういう冗談で踊らされた事か」


 明日川に過去にからかわれた経験があるのか、葉華莉は腕を組んで口をへの字にしていた。


「はは、ごめんね。本当の事を言うとこれはある発電装置に不可欠な部品の一つでね、そうね二人ともちょっとこのアルミの塊を触ってみてくれる」


 田中と葉華莉は中央にある巨大なアルミの塊を恐る恐る触った


「・・・?、べつに何ともありませんが」


 田中はきょとんとしている。


「私も、変わった所なんて無いと思います」


 葉華莉は明日川の意図が分からなかった。


「そうよね。じゃあ、今度は全体をくまなく触ってみてくれる」


 田中と神道互いに逆方向から立方体の金属を擦りながら一回りした。


「!」


「!」


「どうやら二人とも気付いたようね」


「主任これ、対極部分が冷たくて暖かいですね」


 現象を語るだけの葉華莉と違い、田中は理解に苦しんでいる。


「まるで、ストーブと冷蔵庫が一緒になった様な......」


「一般に温度差があれば発電は可能になるのだけれど、ここではあえて発電はしないで無駄を作ってそれを調べているのよ」


 明日川が何を意味しているのかは二人には分からなかったが、次の明日川の説明で謎

は解けた。


「実はこの下に温泉が出る様な熱源があるのよ。温泉を含めた地熱を利用した発電は、国から百万から2億近い額までの補助金が出るの」


「つまり、この大掛かりな設備は温泉による発電の為だと?」

 

 あまりにも常識的な回答だったので田中は拍子抜けしてしまった。


「主任、アルミの暖かい部分は温泉の熱だとしても、冷めている部分があるのはどうして何ですかね?」


 モノリス本体の疑問に立ち戻る葉華莉。


「この会社の直ぐ近くに冷媒があるでしょ」


 明日川はそう言い、指を上に向けた。


「湖の水ですか」


「そうよ葉華莉さん。そこから水管を引いて冷却部分を作っているの」


 そこに田中が素人考えで明日川に提案する。


「温泉を使うなら、そこからの蒸気でも利用してタービンで発電した方が早くないですか?」


「確かにその方が早くて効率もいいわね。でも同時に稼動部分があるから耐久性やメンテナンスにコストがかかるのと温泉には不純物が含まれるから、その環境被害や温泉そのものの枯渇の懸念も想定できるのよ」


 田中の提案は当然ながら、完膚なきまでに明日川に叩きのめされた。


「だから稼動部分や温泉が外部に漏れない様な工夫をしているという事ですか?」


 田中に対して、明日川に反らない意見をする葉華莉。


「ええ、使えるような段階になったらアルミの塊からペルチェ素子そしに変えて直接発電をするつもりよ」


 明日川の放った聞きなれない言語に反応する田中。


「何ですか、そのペルチェ装置というのは?」


「装置ではなくて素子ですよ、田中さん。ペルチェ素子というのは、金属の間に半導体を挟んだもので、そこに電気を流すと熱くなる部分と冷たくなる部分が出来るんです。逆にその温度差を利用すると発電も可能になるんですよ」


 葉華莉が丁寧に説明してくれた。


「この窒化アルミニウムの塊を使用しているのは、熱伝導率が好ましくペルチェ素子を使った発電の効率をシュミレートしやすいからです」


 続いてシーナが補足する。


「俺には良く分からないけど、ただ温泉が出るなら、ここにいるみんなで一緒に入りたいな」


 どんな状況でも、前向きな発想を持つ田中であった。


「温泉が出ても混浴とは限りませんよ」


 にやけている田中に前もって忠告する葉華莉。


「まあ地下に、こんな物があるんだという事だけは覚えてくれていればいいのよ・・・・・・今はね」


 明日川の含みのある言葉が何を意味するのか、この時の二人にはまだ知る由もなかった。


「それじゃあ、私とシーナはもう少しこれを調べるから二人とも地上に戻っていいわよ」


 その後、二人は再び長いエレベーターに乗り地底世界から無事帰還した。


「ちょっと幻想的な景観だったでしょ?」


 事務室で待機していた社長が二人に感想を聞く。


「そう言えば葉華莉ちゃんは、新人の田中君同様にあの部屋は初めてだっけ」


「地下の奥にあんな施設があったなんて私、初めて知りましたよ」


「俺はこんな辺ぴな地にある会社の地下に、如何わしい地底国家を建国していたのが驚きでしたよ」


 妄想のエッセンスが追加された田中の感想だった。


「ははは、実はあそこには壮大な計画があってね」


 社長のこの計画を知っている葉華莉は


「私、ここから温泉が出るなんて聞いてませんでしたよ」


 その野望をぶちまけた。


「温泉? ばれちゃったか。大丈夫、温泉が出たらちゃんと混浴にしておくから。そうすれば、田中君もここで住む込みで働くことになるだろうしね」


「もちろんです、社長」


 この時、田中は社長が初めて尊敬できる上司だと敬意を払い相槌を打った。


「もう、二人とも」


 葉華莉、二人の会話に呆れていた。


「社長、異常は無かったみたいですよ」


 明日川が何時の間にか戻って来ていた。


「明日川君、ご苦労さん。それと、今日からレクチャーを二人にしてあげたらどうかな?」


「わかりました、社長」


「え、私もですか?」


 葉華莉が意外そうに明日川に社長に聞いた。


「葉華莉ちゃんが十分な知識は持っているのは分かっているさ。でも、おさらいとして田中君と一緒に学ぶのは悪くないと思うよ」


「そりゃ私は、博士号持っている主任とは違いますし、大学院までは行っていないし、大学を卒業しただけですけれど・・・・・・」


「ほらほら、新入生もいるんだし学歴なんかでふて腐れていないで」


 葉華莉の些細なひがみに明日川がなだめる。


(おいおい、俺なんか専門中退で実質高卒だよ)


という学歴底辺の田中の心の声がした。


 三人は机と教壇と大きなマジックボードのある空き部屋に来た。


「ここは、学習塾ですか」


「そうよ田中君、この会社に入社してくる新入生の寺子屋です。さて、これから永久機関開発に向けて物理の基礎から勉強をするけれど、とりあえず二人とも何処でもいいから席に座って」


 二人は二列ならんだ長机の前列の方に進み、互いの間に一人分のスペースを開け設置されていたパイプ椅子に座る。そして次に明日川が怪しい鳥のデザインをし砂時計にも似た模型を教壇の上に置いた。


「これは水飲み鳥、別名平和鳥と呼ばれているものでコップに水さえ汲めば永久に動く永久機関だったりします」


 明日川はコップに水を入れ、ガラス管で出来た鳥のおもちゃが頭とお尻をシーソーの様に上下している様を見せた。


「主任、そのカラクリなら知ってますよ」


「葉華莉さん、授業中は主任ではなく先生と呼んでください。ペナルティーとしますので発言権は田中君に譲る事にします」


「俺ですか?」


 予備知識も無い状態で困惑し緊張とパニック状態に陥る田中。


「田中君、ここは別に学校では無いから間違ってもいいのよ。リラックスして観察した事実だけを述べるだけでいいの」


 明日川に言葉のマーサージを受け、水飲み鳥の各所を触ったり色んな所から確認する田中。


(頭に付いているのはフェルトみたいだな、これで水を吸い取りやすくしてるんだ。でも何の為に?)


 明日川は田中の観察対象にヒントを送る。


「頭が上にあがると、ガラス管の中で不思議な現象が起きてるわよ」


 それを聞いて田中は、下の膨らんでいるガラス管の中にある液体の変化に気付いた。


「これ、鳥の頭が上にあがると自動的に下の液体が上昇してる。なるほど、それで上に液体が溜まって重くなり頭が下がるのか」


 田中は、ゲームの難問をクリアしたかの様に、表情にささやかな喜びを放っていた。


「OK。今は、それだけ分かれば十分かな」


 明日川は、小さな子供でも容易に分かりそうな田中の答えに満足そうだった。


「なら、田中君。今度はどうしてガラス管の中の液体が上に上昇して行くかわかるかな?」


 明日川が中級問題を称えた。


(この液体に原因があるのか、それとも別のところに理由があるのか)


 田中は更に観察を進めあちこちを触っている内に、いくつか気付いた点を見つけた。


「明日川さ、いえ先生。液体が上昇していく理由はよく分かりませんが、この中の液体が

指で触るとぶくぶくと沸騰するのと、頭のフェルトぽい布が水に濡れても直ぐに蒸発して乾燥するみたいです」


 淡々と観測事実だけを述べる田中。


「答えまであとちょっとだったわね。まぁ、70点というところかな。ちなみに、このカラクリはかのアインシュタインを悩ましました」


「マジですか? なら70点でも仕方ないですよね」


 アインシュタインさえも分からなかったと聞いて、安堵の表情を浮かべる田中。


「ええ、これはとある和菓子職人さんが考えたもので、ひょっとしたらその人の方が名だたる科学者よりも天才なのかもしれないわよ。まぁそれはともかく、今は頭に水が昇る原因である蒸発熱という現象について話さないとね」


「では葉華莉さん、100点満点の説明をお願いしますね」


 葉華莉に説明を振る明日川。決して説明するのがめんどうくさい訳ではなく、葉華莉にも出番を作ってあげたい老婆心からなのだろうと思う。


「わかりました! 先生」


そして、明日川に代わり教壇に立つ葉華莉。


「まずこの水飲み鳥には、蒸発熱という現象があります。それは気化熱とも言われていまして・・・・・・ところで田中さん、暑い日に道路に水を撒く打ち水を掛けると涼しくなりますよね?」


「ああ、そりゃ、確かに水をかければ涼しくなるよな」


 田中の頭の中では水=冷たい程度の認識しかなかった。


「では田中さん、なぜ涼しくなるんでしょうか?」


「そりゃ、熱い道路を冷やしてくれるからだろ」


「そうですね、水は道路を冷やしてくれます。しかし、代わりに熱い道路から熱い成分を水が奪って水が温かくなってしまうんですよ」


 その話を聞いて田中の頭でも不思議に感じた点があった。


「あれ、水が暖かくなるなら全体的には温度は変わらなくね?」


 ひょっとして俺頭良くね、という勘違いスイッチが一瞬入った田中であったが


「水は熱せられ蒸発して水蒸気になりますが、そのまま空気中に留まっていればそうなりますね。でも、水蒸気は気体ですから風が来たら分散したり上昇したりで散らばります」


 葉華莉の詳細な説明に田中の意見は容赦なくあしらわれた。


「だから一見永久機関にみえる水飲み鳥も、周りを箱などで囲んで気体を分散できなくさせると止まってしまいます。道路や水を掛けたその一体が冷えるのもそういう理由だからです」


「なるほど・・・・・・そういうことだったのか」

 

 格好付けて、納得したふりをした田中だった。


「更に補足しますと、打ち水の例からフェルトに含まれる水の蒸発で水飲み取りの頭は冷える事になります。冷やされると鳥の頭のガラス管の中は気圧が下がるんですけど、それによってガラス管の中の液体がどうなるか分かりますか?」


 その質問に答えるに相応しい人間は、この場に田中しかいなかったので苦心して答えを導き出す田中。


(気圧が下がっている→読んで字の如く、圧力が低いのだろう→一方で鳥の尻の方は気圧が下がっていない→ガラス管の液体は、圧力の低い所に液体が流されていく)


「中の液体は、気圧の低い所にになだれ込んで行くってか?」


 田中は、葉華莉からの99パーセントのヒントと1%の自力によってようやく水飲み鳥の謎の解明にたどり着くことが出来た。


「田中さん、ご理解おめでとう御座います。ちなみに水飲み鳥のガラス管の中に入っている液体は、気化しやすい物で、空気も抜いていますので指で触れたくらいのちょっと体温でで沸騰します。だから重力に逆らって上に液体が昇っていく様に出来ているんですよ」


「葉華莉さん完璧ね、説明ありがとう。後は私が代わるわね」


 葉華莉と入れ替わり、再び教壇に立った明日川。


「さて、気圧の現象を強引に行った文明の利器に冷蔵庫やエアコンがあるんだけれど、さっきの説明からそれらがどういう仕組みで冷やされるか分かるかな」


 田中は自分で自分に人差し指を向けて、俺が答えるんだろうなぁという仕草をする。


「水飲み鳥の場合、水を蒸発させると冷えるから、水を温めて沸騰させれば冷えるのかな?」


「おしいなぁ、田中君。沸騰させるまでは合っているんだけれど、水を温めたら熱くなちゃうからダメなのよ」 


 明日川は仕方が無いかなぁという、にこやかな表情で答えた。


「でも、沸騰させるのに温める以外に方法なんてないでしょ?」


 小学生並の知識で応対する田中であった。


「少し勉強していると分かることなんだけれど、気圧を下げると冷水も沸騰させる事ができるの」


 田中はそれを聞いてさっきの葉華莉の話を思い出す。


「そう言えばさっき葉華莉さんが、ガラス菅の空気を抜いていて、液体が沸騰しやすいとか言ってたか」


「そうよ。通常、空気という圧力によって水は押さえ付けられているけれど、その圧力の源の空気がなくなると水は瞬時に回りに水蒸気として分散しちゃうの、それが沸騰ね。だから冷たい水でも空気を抜けば沸騰するのよ」


 そこからエアコンの原理に薄々気付く田中。


(周りの圧力を減らせば沸騰する→圧力の変化による沸騰なら、温度を下げる事が出来る)


「つまりエアコンは、ポンプか何かで空間を無理やり広げて圧力を下げる事で冷やしていると」


「正解よ、田中君。ただ、冷蔵庫やエアコンは特別の液体を使っていて一昔前は、オゾン層を破壊するフロンが使われていたわ。その液体を外に漏らす事無く循環させたいから、空間を広げて圧力を下げた分、別の場所で空間を狭めて圧力を上げて循環させないといといけなくなるの」


 田中はここで自宅のエアコンで思いつく。


「そう言えば、室外機って付いているけれどあれがそうなのかな」


「感がいいわね。圧力を下げた場所は冷えるけれど、逆に圧力を上げた場所は熱くなるのね。だからそれらを一緒の部屋にするとプラスマイナスゼロでエアコンの意味がなくなっちゃうのよ。エアコンの場合は室内と室外とで機械を分けて、夏は内を涼しく外は暑く、冬は内を暖かく外を涼しくしているの」


 ここで葉華莉が普段思っていたことを漏らす。


「前から思っていたのですけれど、みんながエアコンを使うと夏場の外は更に暑く、冬場の外は更に寒くさせているんですよね」


「それが液体を圧縮、拡散させて熱い部分と冷たい部分の二箇所を作っているエアコンの宿命なのよね」


 それを聞いて葉華莉は今朝の事を思い出した


「そう言えば今朝地下で見たことを思い出したんですけれど、冷たい所と暖かい所があれば発電できるのなら、エアコンをを使いながら室内と外との温度差で発電できないものでしょうか?」


「効率は悪そうだけれど、みんなが行えば気持ち程度の電力は得られるかもしれないわね」


 ここで田中がうつむいて何かを思い悩んでいた。それを見ていた明日川が様子を伺う。


「田中君、どうしたの?」


「うーん、何か引っかかってるんですよね」


「何か疑問になる事でも見つかった?」


「いや、明日川先生の説明は完璧でした」


「どう致しまして」


 謙遜する明日川。


「ただ、熱を作らずに冷やす方法がないものかなぁと思いましてね。つまり室外機の無いエアコンです」


「だから田中さん、それは無理ですよ。磁気冷却だって熱を生じるんですから」


 葉華莉は呆れた様に田中に分からない専門用語を追加して説得させようとしていた。


「どうかなぁ葉華莉さん、永久機関はそれよりも遥かに無理筋な存在よ。ひょっとしたら出来ちゃうかもしれないわよ」


「それはそうですけれど」


 明日川の意見にしぶしぶ返答する葉華莉。


「今は、そうやって考える事が大切だと思うわ、何時か田中君の手によって、さっきの不可能な冷却装置が出来るかもしれないしね、ふふ」


 明日川の微笑と共に、レクチャーはこうして午前中で終わった。

そして午後からは、工作部屋で製造の仕事が田中を待っていた。


「明日川さん、この鉄板を図面を見ながら組み立てるんですか?」


「これは正面、平面、右側の三面図で表しているけれど、前、上、横で考えるものなの。ネジは一箱に付き16個使用して、それを電動ドライバーで箱を組み立てればいいだけよ」


 明日川は工場のリーダーの如く田中に支持を出す。


「組み立て台数は20箱、それに使用するネジはこのネジ箱に沢山あるけど、なるべく綺麗に早く正確にできる方法を考えて組み立ててみてね」


 午前の勉強からうって変わって、工場でやる様な単純組み立て仕事をするとは思わなかった田中であった。その後、明日川がその場を離れ田中の独り言が続く。


「やっぱりこれが現実なんだよな。地道に働かないとやっぱ稼げないんだ。でも給料はいいし、がんばってみるか」


 工具類の扱いには少し長けていた田中だったので、2時間位で終える事ができ、特別な究室にいる明日川に報告に行った田中。


「明日川さん、終わりましたよ」


「へぇ、結構早かったわね」


「へへ、電動工具には少し慣れているものですから」


「じゃあ、ちょっと確認して見るわね」


 20個の箱をくまなくチェックする明日川


「ネジ忘れが三箇所、傷が付いているのが5箱、ネジガレが12個ね」

「・・・・・・30点というところかしら」


「げ、厳しい」


 明日川の厳しい採点に、褒めてもらおうと躍起になっていた田中は一気に気落ちしてしまった。


「でも中には完璧な物もあるから、これは最後に出来たものかしらね。最後の一つはどれ位時間が掛かったのかな?」


「大体2分位だと思います」


「へぇー、それは新記録ね。私でも3分くらいかかるのに」


 流石に一つや二つ褒められた位で調子に乗れない田中は謙虚に


「いや、そんな自慢できる事じゃありませんよ。ミスがいっぱいあったし単純作業だったし」


「作業効率もそうなんだけれど、そのミスも今回の作業で大切なのよ」


「へっ?、どういうことですか」


 田中は、明日川から想定外の意見を受けた。


「実は前もって言うと意識しちゃうから言わなかったんだけれど、この部屋に隠しカメラをいくつかセットしてあるの。そこから、起しやすいミスのパターンや作業方法による効率さを確認しているのよ」


「そんな、俺の独り言もダダ漏れ?」


「流石にそれは悪いと思ってマイクは仕掛けていないわよ」


 それを聞いて田中は、ホッとした。


「でも、なんでそんなことを」


 当然の疑問を持つ田中。


「作業効率を上げるロボットの為よ。人の動作から最適な動きや、起しやすいミスを認識させるためにね。一般の工業用ロボットは、作業は正確で早いけれど予め指定された位置での単純な動作しかできないのよね」


 明日川から、過去の実務的な話を聞かされる田中。 


「それに対して色んな場所で自由に作業をこなさなければならない汎用型の場合、いくつものパターンによる学習をさせないといけないの。つまり、経験値を積むという事ね。今回、田中君にやってもらった事はそういったロボットと多くの人間の作業パターンとどれだけ相違点があるのかを確認したかったから」


 田中は汎用型と聞いて、見覚えのあるロボットが浮かんだ。


「シーナみたいな完璧なロボットがいるのにですか?」


「あの子は単なるデータのプログラム入力と違い、主な情報の入力は外界から学習できる感覚型コンピューターというシステムで出来ているの。人工知能で、ぶつかり合う車が何度も学習を経て互いに当たらなくなる様なプログラムがあるけれど、その発展型ね」


「感覚型コンピューター?」


 それは田中が始めて聞く名前で、当然疑問符が付いた。


「人、いや生物はどうやって自分と別の存在との認識を持てるか分かるかしら?」


「い、いきなり哲学ですか?」


 明日川からの突然の禅問答の様な意見に、田中は異空間に放り出された様な気持ちになった。


「いえ、科学よ。自分が幼かった頃、いえそれよりもっと小さな赤子の頃や或いは他の生き物になったつもりで考えて見て」


 それを聞いて暫く瞑想もどきにふける田中。


「うーん。先ず目で見えるもの、明るさかな。いや肌で感じる事かな?。そこに何かがあると触れて見て認識すること」


「ふふふ......そうよ田中君。それが最も重要なプログラムよ。人や動物の様に感覚に対して感覚で返す。自身で見て触って、それが持つ硬さ温度、動く方向そして自身が受ける痛み、特に痛覚を自己認識する事で自らの安全性を確認するの」


「痛みって、ロボットが痛がるんですか?」


 田中にとって痛みを感じるロボットなど意味がないと感じたが


「感情と言うのは、最初に自身の安全性の認識が根底にあるからと私は分析したの。危険を伴う事、苦しみ痛みを伴う事を経験した場合、それを回避しようとする。これは生物の捕食と同等の基本原理よ、それがロボットに感情を持たせ飛躍的に人に近づけられる切欠となったのよ」


「感情ってそれじゃ人間と同じじゃあ?」


 田中の脳裏にロボットによる支配の未来世界をイメージした。


「ただシーナは、どんなに痛がっても人には危害を加えない事を前提にしているから安心して」


「そんなことを言ったら、シーナに変な悪戯しちゃいそうです」


 田中の脳裏にロボットによるハーレムの極楽世界をイメージした。


「ふふっ、親の私が公認の範囲なら許します」


 それを聞いて妄想にふける田中であった。


「とにかく大切なのは痛みを知る事で危険を事前に回避したり、人の危険な行為も本人の様に自覚できる様になったという事よ。でも、それは同情という形で人間にも言えるかもしれないわね」


 ここで今朝あった事や水飲鳥のことを思い出す田中。


「楽だけではなくて痛みという温度差が無いと人もロボットも成長できないんですね」


「へぇ、今日の勉強の締めくくりを上手い例えで締めたね田中君」


「ははっ、狙った訳じゃありませんけど」


 謙遜する田中であった。


「ということで、本日の仕事はこれで終了。ふふっ、今日も収穫あったでしょ」


「ええ、お陰さまで豊作でしたよ」


「そうそう、この会社は週休3日制だから土日と明日の水曜日は定休日だからゆっくり休みなさい」


 こうして入社二日目の仕事も無事終えた田中であった。

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