第10話 マクスウェル

 今日も朝から始まる良い子の授業、生徒は恒例の田中と葉華莉の二人


「今日は熱とエネルギーに関連するお話ですよ。以前に水飲み鳥のおもちゃで話した事とダブるけれど今回はその基本からお話しましょう」


 講師はもちろん、明日川教授です。


「まず熱を動力に変える機械といえば昔は蒸気機関、近代では内燃機関が思い当たります。では、蒸気機関とはどういったものでしょうか、葉華莉さん?」


「水を熱して、膨張した蒸気の力で動力を動かすものです」


 隙も無駄も無い葉華莉の解答。


「そうだね。熱を加えると体積が増えて、それが物を動かせる動力になります。これらの現象を関連付けて形式化にしたものを熱力学第1法則と呼んでるのよ」


「その第1法則ってのは知らなかったけれど、確かワットと言う人が子供の頃にやかんのフタが持ち上がったのを見て蒸気機関を思い付いたんですよね?」


 田中が珍しく知っている事を自慢げにひけらかし、明日川と葉華莉という強豪二人の中に割って入ろうとしたが


「残念、田中君。それは作り話よ」


 明日川が田中の唯一持っていた自慢の種を摘み取る残酷な事実を伝えた。


「確か17世紀末にフランスのパパンと言う科学者が、基本的な動力源となりうる蒸気機関を発明したんですよ」


 そして博識の葉華莉が容赦なく田中に追い討ちをかけた。


「・・・・・・べ、勉強不足でした」


 未熟な己を知り、落ち込む田中。強力な装備知識で、レベル90、60のパーティに一人レベル3がいる惨めな現状を少しでも打破したかったのは分かるが、まがい物の装備では相手にもされないと言う事である。


「しかし蒸気機関に関していえば、今から二千年近く前に数学のヘロンの公式で有名なヘロンさんが既に蒸気機関を発明していたのよ。もしこの頃に蒸気機関を産業に役立てていたら、人類は二千年早く産業革命に達していたかもしれないわね」


 明日川は何気にオーパーツを語った。


「それって、逆に言えば人類は二千年も無駄な時間を過ごして来たとも言えますね」


 レベル3の田中に言われてしまう人類って、結構馬鹿なのかもしれない。


「ええ、正にその通りね。重要な利点に気付いて進めていたら、今の社会はもっと進んでいたと思うけれど、ただそれは現代も変わらないかもしれないわよ」


 明日川が不安げな事を語る。


「じゃあ、重要な事に気付かないまま、あるいは勘違いしてこのまま何千年、万万年、或いは人類が滅んでも最後まで人間は気付かないままって事もありえるじゃん」


 田中がさっきの名誉挽回の如く鋭い事を言った。


「その可能性もありえるわ。だから何度も口をすっぱくして言うけれど、全てに対して疑う事が必要よ。例え既に実証されたものでも、そこに落とし穴が見つかれば再度確認して確かめる事」


 それが何よりも重要であるかの様に明日川は人差し指を立ててその意味を誇示した。


「ということで少し脱線してしまいましたが、次は熱力学第2法則の話をするわよ。以前やった運動の法則で他に力を移すと元の力は減ってしまうというのを覚えているかしら?」


「2+0=1+1の法則ですよね」


 明日川の質問に自作の法則で答えた田中。


「そうそう、それはね、熱の根源である分子の振動にまで小さくして表しても同じ事が言えるの。つまり、一度細かく分散した分子は自然には元には戻らないと言うこと。これを熱力学第2法則と呼んでいます」


「なるほど、ここに行き着く訳ですか」


 田中はこれまでの法則の関連性を少しだけ理解した。


「ところで田中君、蒸気機関と内燃機関両者の違いって何処かわかりますか?」


「えーと、えーと。蒸気機関は、さっき葉華莉さんが言った水を熱してその蒸気の力で動力を動かすもので、内燃機関は・・・・・・ガソリンを使った動力で当たってますか?」


 田中の内燃機関に関する知識はほぼ皆無だった。しかし、ガソリン車が内燃機関で動いているのだけは知っていたようだ。


「両者の違いを述べた質問ですので間違ってますね」


 予想していたのか、明日川の田中への何も期待していなかった返事。


「・・・・・・ですよね」


 寂しく呟く田中。田中は答えを間違える以前に、質問を理解するところから始めるべきだろう。


「蒸気機関は、別名外燃機関とも呼ばれていて蒸気機関の水蒸気、即ち水が動力を動かす媒体になっていると言えるでしょう。例えば、水車を動かしている源は何だと思いますか、田中君?」


 これはどう考えても明日川からの引っ掛け問題。


「水でしょ?」


 何の疑いも無くあっさりと答えた田中。


「あらら違いますよ。水を下流に流そうとする重力です」


 案の定、引っかかってしまった田中。でも、それが明日川の狙いなのだ。


「ではそれを蒸気機関に当てはめると、それを動かす源は水蒸気ではなく、水蒸気を作り出す燃料となります」


「なるほど、さっきの水車の例えが、これになるのか」


 前例の水車を蒸気機関に当てはめると水が水蒸気で、重力が燃料という例えである。ここまで来ると田中もその例えが理解したようだ。


「水蒸気なんて回りくどいもの使わずに直接動力にできなかったのかな?」


 動力の歴史を知らない田中ならではの意見である。 


「蒸気機関が活躍していた産業革命時は石炭が主だったのだけれど、石炭はご存知の様に固体よね。石炭と石油の熱機関における使い勝手さを比較するとどうなるか、これは、葉華莉さんから教えてもらえると嬉しいな」


「石炭はそれ自体の膨張率が水に比べると遥かに小さいので、石炭だけ燃やしても物を動かす力はほとんど得られません。おまけに燃焼後にススが大量に出来るので、稼動している箇所に直接石炭を入れると、ススの影響で動かなくなったり故障したりします。しかし、石油では元が液体ですので、それらの問題がほとんどありません」


 いつもながら模範解答を示してくれる葉華莉。こんなものを聞いてしまうと田中が落ち込む訳である。


「説明ありがとう。と言う訳で後に石油などの液化燃料の登場で機関に負担を掛けずに効率よく動力が得られる事が出来るようになったという訳です。ここまで来たら、ガソリン等で燃焼する内燃機関がどういったものかは分かるよね、田中君?」


 ほぼ99パーセントの答えを出してくれたが、田中は上手く答えられるのか?


「すばり内燃機関とは、やかんに石油を入れて燃やした力でフタを持ち上げる機関の事です」


「まぁ、その理解でもいいでしょう」


 どうしても、やかんからの思い入れを払拭できない田中に、やや複雑な顔の明日川だった。


「ただ、蒸気機関にせよ内燃機関にせよ、燃料を燃焼させて動力を得ている訳ですが、ここでは当然熱が発生します。この熱の原因は主に何でしょうか?」


「酸化現象による発熱反応です」


 切れ味のいい解答をする葉華莉。


「そう、燃料が空中の酸素と結びついて化学反応を起こし熱が発生します。熱が発生すると体積が膨張するから、それを動力に使用できると言う事ですね。そして、それが今日の文明の大半のエネルギーを支えている源になっているという訳です」


 まとめてもっと簡素に説明も出来るが、誰かさんの為に、あえて分かりやすく砕いて説明した明日川。


「エネルギーというと石油にばかりに目が行くけれど、一番の主役は酸素だったのか」


 科学の知識レベル3の田中だが変な所に鋭く、時に専門家も唸る一撃必中の意見を述べる。


「そうです、田中君。だからそういった燃料よりも、効率よく酸素を作れる方法があるなら今の化石燃料もほとんど不要になってしまう事でしょう。人類は日常で酸素を永久機関の如く無尽蔵の様に使っていますが、地球上にある単体の酸素は元々太陽光を主としたエネルギーを利用して、植物が長い年月をかけて作り続けてくれた物です。そしてほとんどの動物は、その酸素が無いと生きていけません。だから酸素が限られた場所にしか無かったら、これに勝る価値は見当たらないでしょう。酸素が無くなると言う事は生命が維持できない、つまり即死を意味しますからね」


 酸素の重要性とを深々と説明した明日川。


「身近に有り過ぎて、酸素の有難味ありがたみなんて微塵も感じなかったな」


 田中よ、それに気づく方が希だ。


「ところで燃焼で発生した熱というものは、通常の動力機関では無駄なエネルギーになってしまうのよ」


「廃熱の事ですよね」


「ええ、葉華莉さん。ついでに葉華莉さんに、簡単にその廃熱の説明をもしてもらえるかしら」


 明日川は喋り疲れたのか、椅子に座り葉華莉にしばしバトンを繋ぐ。そして教壇に立つ葉華莉。


「廃熱とは使われなくなった熱のエネルギーの事で、車のエンジンが熱くなったり、排出される排気ガスが暖かいのも動力として使用できなくなった熱だからです。例えば一リットルの燃料があっても、車や火力発電で利用できるエネルギーはどんなに良くてもその半分くらいしか取り出せられないので、そうなると実質五百ミリリットルの燃料分しかエネルギーが得られないと言う事になります」


「それ、何処のボッタクリよぉ? まぁ、ボッタクリにしては2倍はまだ良心的なのかもしれないけどさぁ」


 田中は騙された経験があるのか、怒りを表情に表す。


「確かに熱機関はぼったくりですね、大きな力を得られるけれども無駄も多いと言う事です。ただ設備コストは掛かりますが廃熱を上手く利用して、全体の効率を7割ほど上げられるあげるまでには達しています。結局、全ての熱を利用できる訳では無いという事ですけどね」


「ありがとう、葉華莉さん。続きは私が説明するわね」


 手をあげて、葉華莉に礼を言う明日川。


「ただ、廃熱のエネルギーは、この世から消える訳ではないのよ。その理由は流石にもう分かるわよね、田中君?」


「それは、エネルギー保存の法則ってのがあるからですよね。ついでにエントロピー増大号の法則があるので元には戻りません」


 堂々と自信を持って答えた田中だが、エントロピーは増大号を発行してないから。


「そうですね、エントロピー増大号は毎月26日販売です・・・・・・って、間違えました。でも、ほとんど正解ですよ、田中君」


 ご丁寧に相手のミスに乗って悪のりをする明日川である。


「でも、先生。その使えなくなった熱というか、バラバラに散っていった分子を回収できる方法があれば、そこからまたエネルギーを得られるんじゃないの?」


 素人の田中の発想は、たまに歴史上の天才の発想に匹敵する時があるのかもしれない。


「そうねぇ、かつて歴史上にそれを考えた天才科学者が一人だけ居たわ」


「へぇー、なんて言う人ですか?」


 自分と同じ発想を持つ者に興味を抱いた田中。


「ジェームズ・クラーク・マクスウェルよ」


「あっ、聞いたことがあります、マクスウェルって。ゲームのキャラで出てました」


 普通の教師ならそれを聞いたら失望感が大きい所だろう、だが


「そうか、田中君。ゲームの方は知識があったのね。多分、そのゲームの製作スタッフもその科学者から影響されてその名前を付けたんだと思うわ」


 という返し方が出来るのが明日川先生である。


「そのマクスウェルは、電磁気学という分野の基礎を築いたと同時に熱力学などにも精通していて、更には世界で始めてカラー写真を作った大天才よ。そして、あのアインシュタインも尊敬した科学者でもあるわ」


「あの、アインシュタインが・・・・・・」


 田中はアインシュタインの名前は知っていても、彼がどんな功績を残したかなどさっぱりで、ゲームなどの影響からタイムマシンと関係があるくらいにしか分かっていはいなかった。

ただ、その天才が尊敬していたマクスウェルという人物と同じ発想を持てた事に田中は、えもしれぬ高揚感を得た。


「そのマクスウェルが永久機関を構想し、その方法の一つとして熱の回収方法を考えたのよ」


「その名もマクスウェルの悪魔」


「悪魔って、召喚術か何かですか?」


 偶然天才マクスウェルと同じ発想を得たとは言え、真面目に残念な質問をする田中であった。


「ふふっ、違うわよ。現代で言えば、ナノマシン以下のものがそれに当たるのかなぁ。つまり分子一つ一つの動きを観測して、空気中に散らばった動きの早い分子と遅い分子とを振り分けられる悪魔の自動ドアを考えたの。そうすれば空気中から早い分子だけを取り込んで、エンジンに戻せば再び動力として使えるから廃熱を無駄なく使えるという訳ね」


「それが出来たとしたら熱効率100%の永久機関ですよね。第二種の永久機関とも呼ばれているんですよ」


 明日川に続いて博識の葉華莉が説明する。


「なんだぁ、永久機関ってとっくに実在していたのか!」


 浮かれている田中。


「そうねぇ、マクスウェルは19世紀に活躍した物理学者だけれどマクスウェルの悪魔退治は20世紀になってもできなかったわ。少なくともその間はそれを想定した第二種永久機関は否定されるべきではなかったわね」


 明日川は、科学史上の事実を述べた。


「それじゃあ、永久機関が絶対に出来ないって断言して否定すること自体間違っていたんじゃないですか? 出来ない事を証明できなかったのに全てひっくるめて否定するなんて単なる弾圧だよ」


 田中が反権力側に立って物申す。


「立場が無くなる自称偉い科学者さんも多く居るから、これこそ絶対に正しいという権威を振るいたがるものなのよ、でもそこからは何事も進歩は無いと考えた方がいいわ」


 達観している明日川。


「で、マクスウェルの悪魔は本当の永久機関だったんですか?」


 続きが気になる田中。


「残念ながら21世紀になってこの悪魔はついに退治されてしまったの。その理由としては分子一つを観測するエネルギーは、分子一個から得られるエネルギーと同等と言われているから。観測は情報といえるし、その情報を具体的なエネルギーとして算出した時、分子を振り分けて、そこからエネルギーを作り出したとしても最終的にはプラスにはならないと言うこと。つまりこのタイプの永久機関は不可能だと証明されてしまった訳」


 両手を広げ残念な表情をした明日川であった。


「それって確か実際に著名な研究機関や大学で実験を行った上での結果でしたよね」


 流石に葉華莉は、この会社に働いているだけあって永久機関の情報に精通している。


「こうなると私もお手上げね」


 明日川が白旗を揚げた。


「でも、そういった永久機関を真剣に考えただけでも救いがある様な気がするよ、普通なら非科学的と呼ばれて実験すらもしないと思うし」


 田中が良い事を言った。


「私も本当にそう思う。結果がどうあれ、やるだけでその価値が生まれると思うわ」


 明日川が失敗からの希望を見出す。


「私達以外に、永久機関を真剣に研究している仲間がいるって心強いです」


 葉華莉もそれにつられた。


「でも、結局その永久機関は不可能なんでしょ?」


 田中がしつこく質問する。


「以前、私が田中君に部屋中に漂った蚊取り線香の煙が集まると思うって質問した事があったけれど覚えているかな?」


 明日川はあまり期待せずに田中に尋ねてみた。


「そう言えば、そんなことを入社したての頃に聞いた覚えが、でもそんなの無理ですよね」


「日常ではそうだけれど、その煙の話とこの永久機関の話に共通点があるでしょ?」


「あ! そうですね。言われてみれば、この事だったんですか」


 過去の何気ない明日川の話が、ここに来るとは思っても見なかった田中であった。


「そして、その煙も時間に制限が無ければ絶対に元の場所に戻る事もね」


 明日川が述べているのは確率的な永久機関の事で、例えば100万枚のコインが全部裏になる事も時間さえ掛ければいずれ出来るという事と同意である。


「それは宇宙の寿命と勝負と言う事ですかね?」


 この時、永久機関完成の文字がかなり遠のいた気がした田中。


「宇宙が終わるのが先か、一度でも煙が元の場所に集まるのが先か、第二種の永久機関の解答はそれまでは誰も分からないのよ。でもそんなに気を長く持てないから、第一種永久機関でも作らないといけないわね」


「明日川先生、その第一種って何ですか?」


 順番から言うと第一種からなのだが、田中の力量を測る為にあえて難しい第二種の方を先に選んだという思惑が明日川に無かったとは言えない。


「第一種永久機関は、最初に与えた力のみでエネルギーが無限に増えていって熱の回収なども全く関係ない完全無欠の永久機関よ、以前に言った永久加速機関がそれに当たるわ」


 田中は、明日川の言った完全無欠の語句に惹かれたのか


「俺としては、そっちの第一種を作った方が手っ取り早い気がします」


 気合の入った田中であった。


「そう焦らない、まだまだ基礎の勉強は残っているからね」


「まだ続くんですか?」


 田中が疲れた顔で明日川に問う。


「永久機関開発に最低限知ってもらいたい知識は、あと半分位残っているわよ」


 そこまでが今の田中にとって最初の目標になった。 


「さて、今日のレクチャーはこの辺にして、後はみんなで近くの野菜工場に行きましょうか」


 明日川から、野菜工場の事を初めて聞かされた田中。


「野菜工場? この会社って作物も作ってるんですか?」


「ええ、当然よ。いざと言う時に備えてね」


 その、いざというのが皆目見当もつかない田中。取りあえず、黙って従う事になる。野菜工場へは、会社の軽トラと葉華莉の車にそれぞれ明日川とシーナと田中と神道とで二人ずつ乗り向かう事になった。


「葉華莉さん、その野菜工場って何処にあるの?」


 重労働が苦手な田中は、過酷な労働をさせられるのかもしれないと気が気ではなく葉華莉に尋ねた。


「車で5分もかからない直ぐ近くですよ、でもパッと見分からないかもしれませんが......」


「この辺に工場なんてあったかなぁ? それにしても、どんな仕事させられるのか」


「ふふ、着いてからのお楽しみです」


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