第11話 生活の糧
結局、葉華莉から詳しい事は教えてもらえなかった田中。重労働は簡便と願いながら
狭山湖から僅かに東側に位置する浄水タンクに辿り着いた。
「浄水タンクって? そうか野菜ではなく水産物をここで作ってるのかぁ。考えてるなぁ」
悪くない田中の発想だが
「いえ、違うわよ田中君」
明日川から否定された。浄水タンクの前には何故か不釣合いの大きなシャッターが付いている。後付けで改装した感じのものだ。
「さあ、入るわよ」
明日川に言われ一同は中に入る。中は、内壁がほとんど無い三階立ての構造で鉄骨が組み重なり十分な補強がされていた。
「つまり、タンクの形は敵に悟られない為のカモフラージュだったんですね」
田中は恒例のボケをかます。いや、天然かもしれないが
「そう、野菜泥棒用のね」
とっさにボケをボケで対応する明日川も天然かもしれない。
「主任、乗り過ぎです。会社の近くに適当な場所がなかったから、廃棄されるタンクを補強して野菜工場に作り直したって主任本人から聞きましたよ」
話の進展上、葉華莉の様な突っ込み役がいてくれた事を感謝しよう。
「まぁ、たまには肩の力を抜いて生き抜きも必要なのよ」
「むぅぅ」
明日川にあしらわれ、可愛いいふくれ顔をした葉華莉であった。
「ところで、ここで何の野菜を作ってるんですか?」
明日川に聞く田中。
「折角だからそれは、あの子に聞いて見ようか」
明日川が指差した先には緑色をした円筒状の物体だった。
「ミク、この田中君があなたに聞きたい事があるんだって」
明日川がその円筒状に物体に話しかけた。
「なんなりとご質問下さい、田中様」
外見こそ異なるが言葉遣いはシーナと変らなかった。
「明日川主任、これってロボットだったの?」
「そうよ、シーナと姿が違うから驚いた?」
「ええ、まあ。シーナを作れる位だから、ロボットにも見えない円筒のロボットに衝撃を受けまして」
田中がそう思うのも無理はない。それは、ドラム缶にタイヤが付いているだけと言ってもいいものだったからだ。
「その子は39番目に出来たロボットで通称ミクよ。余分なものを排除してセンサーに特化させた管理専門のロボットなの」
どこまでも語呂合わせが好きな明日川であった。
「そう言えば、シーナは69番目の略称でしたっけ。他にも兄弟はいっぱいいそうですね」
「そうでもないわよ。成功した子が残っているだけで、失敗して廃棄された物も数多くあるわ」
明日川がこれまで自分で作り出したロボットを「子」と「物」との違いで表現している事に田中は捨てられて来た「物」への刹那さを感じた。
「失敗したロボットって何か可愛そうですね」
田中は寂しそうに語るが
「そうね。でもそれは私達も変わらないんじゃないかしら」
明日川は淡々と答えた。
「へ? それは弱肉強食の社会だから弾かれるのは当然だと」
田中は明日川がやや冷酷な人間の様に感じられ、皮肉をいう。
「田中君、それは卑屈過ぎるわよ。私が言いたいのは私達が誕生したのは、沢山の生殖細胞の中から選ばれたって事。つまり、私達は沢山いた兄弟の犠牲の上で存在が成り立っているとも言えるんじゃないかしら。生物は命を終えたら『物』となってしまうけれど、『物』になった先代の『子』の代償なくして次の『子』も成り立たないということよ。何かを受け継ぐということは、そういうことだと思うわ」
それはいわば生態系と通じるものがあるが、田中の方ががそこまで憶測をめぐらしているかは定かではない。ただ田中は
「なるほど、そういう見方は出来ませんでした。勉強になります」
自身の一方的な物事の捉え方を改める事は出来た様だ。
「あの、田中さん。私に何か尋ねたい事があるのでは?」
ミクが気を使って田中に話しかけた。
「ああ、そうそう。ここってどんな野菜を作ってるの?」
「この閉鎖型の水耕(すいこう)栽培工場では主に、トマト、レタス、ナス、ほうれん草などが作られていて果物もあり、イチゴも作っています。洗浄、収穫、包装は全てオートメーションで行われております」
ミクはその無骨な外見とは裏腹に、幼そうな女性の声で説明してくれた。こんな本体でも可愛い女の子の顔のイラストを貼り付ければ行けるかも知れないと田中は思った事だろう。
「ところで、ネギやにんじんや大根やジャガイモとかは無理なの?」
野菜と言えば、これらが無くてはいけないと感じた田中。
「はい、ここの工場では基本的に土に埋もれている野菜を作る、つまり土を使う土耕(どこう)栽培はなされておりません」
期待していた野菜はミクに拒否された。
「土と一言でいっても含まれる成分や微生物によって、うまく出来る作物が異なってくるのよ。おまけに衛生面も難しいしね。土の中には色々なばい菌があるし中には、1グラムで約100万人を致死に至らしめるボツリヌス菌もあるのよ」
明日川が理由を説明した。
「つ、土ってとんでもなく危険じゃないですか!」
ギョッと、驚く田中。
「もっとも、ボツリヌス菌といってもごく微量ならお腹の大腸菌がそれを退治してくれるから問題ないんだけれどね」
明日川のこの説明はあくまで大人に関してであり
「確か赤ん坊には危険なんですよね。蜂蜜にはボツリヌス菌を含んでるから口にしないようにって言われてますよ」
腸内細菌が少ない赤ん坊には、葉華莉が言う様に蜂蜜は危険。ただし、1歳までのこと。
「つまり土を使った野菜工場は出来ないということですか」
近くにいたミクを何気に擦りながら、明日川に質問する田中。
「衛生的に手間が掛かるというだけで、最近は粘性のある物質に養分を含ませたりした土の代用品もあるわよ。うちでもスライムの様なゲル状の物質に養分を含ませ、特定の微生物と共存させて、それぞれの植物にどう成長に影響が出るかを研究しているわ。その内、ジャガイモの大量生産も可能になるわね」
「ゲル状ですか、スライムの付着した野菜よりかは危険でも土の付いた野菜の方が美味しく感じるなぁ」
田中はそう言い、とても嫌な顔をしながら明日川の方に顔を向けた。
「でも仮に、食糧難になったらそんな事も言ってられなくなりますよね」
葉華莉が田中の我侭をバッサリと切った。
「いきなりスケールがでかくなったわ」
そう言い、田中はその意見を半ば馬鹿にする。
「そうでもないわよ。産業革命以前ならともかく、現代の人口に合わせた食料の生産と調達には乗り物を使っているでしょ」
だが、明日川は真面目に葉華莉の意見を補足する。
「ええ」
適当に相槌を打つ田中。
「その乗り物は何で動いているの?」
「ガソリンとかですよね」
明日川の話しに、何を分かり切った事をと内心感じた田中。
「そうね。そういった化石燃料が枯渇したりしたら、あっという間に食料危機よ」
「そう言えば、そうでした・・・・・・って、燃料の殆どを輸入に頼っている日本って、食い物作れなくなって餓死者続発じゃないですか」
事の重大さにやっと気付いた田中であった。
「だからこうして、うちの会社では永久機関の開発とそれに連動した食糧生産の効率化を考えているの」
「・・・・・・この会社先読み過ぎ、主任も社長もただ者ではないわ」
単に田中が、社会の事を何も考えていない様に見えるが。
「元々、永久機関の開発も、この食糧生産も最初に思い付いたのは先代の社長よ」
「先代って、今の伊藤社長の前にもいたんですか?」
明日川から、会社の意外な事を聞かされた田中。
「ええ、私なんか及びも付かない人がいたわ」
明日川が謙遜するその人物に関しては後日語ろう。
「私、初耳ですよ。そんな人がいたなんて」
3年もこの会社で働いている葉華莉にも、その話は聞かされてはいなかった様だ。
「葉華莉さんからは、聞かれてなかったからねぇ」
「むぅぅ」
明日川の遊び心なのか、軽くあしらわれた対応にむくれ気味の葉華莉さんであった。
「ところで、もし仮にここの野菜工場が成功したら農家の人って困りませんか」
「いい質問ね田中君。私は、人間にとって不可欠なものは競争などで煽るのではなく公務員化にした方がいいと思っているのよ」
「農家を公務員ですか?」
気を直ぐに取りなおした葉華莉が尋ねる。
「そうよ、高級食材はともかくとして食べ物を作ったり確保してくれる人がいないと人間は即死んでしまうでしょ? 社会を作る上で重要度を表すとしたら、食糧生産に携わるものがピラミッドの頂点にいるべきだと断言して言えるわ。農家、酪農、畜産、漁業等食に関わる人が困窮しない社会、次いで基本的な食と医療と住居は殆ど無料化する社会、つまり彼らも公務員化にすべきかな」
明日川が未来の社会構想を語った。
「大工さんとかの建築業の人も」
田中がその話に参入。
「もちろん」
明日川は即答。
「そういった基本的な生活を支える彼らが困らないためにも、第一に永久機関の様なエネルギー問題の根本的な解決策が必要といえるの」
つまり、永久機関の開発もここに行き着くと言う事である。
「主任、そうなるとみんな平等の共産主義って事になるんじゃないですか?」
葉華莉が資本主義に味方する姿勢を見せる。
「確かにそうなってしまうわね。でも資本主義の競争原理も私は否定しないわよ。基本的な医食住さえタダになるならその上で自由に競争を設けて、好きなだけお金を儲けてもいいと思うから」
「それは、凄くいいですよ主任。共産主義と資本主義のいい所取りです」
葉華莉は偉く賛同したようだ。
「だって、日本国憲法第25条にすべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すると書いてあるわよね。これは、それをその通りに従った結論よ」
確かに明日川の言う通りだが、田中ですら疑問に思う事があった。
「ニート希望の俺なんかが言うのもなんですけれど、そうなると働かなくなる人も出てくるんじゃないですかね?」
「基本的な医食住が得られたら、遊びが仕事になってもいいと思うのよ」
それは社会に必要性のある仕事の崩壊を意味していた。
「遊びが仕事?」
最早、田中の思考の限界を超えていた。
「例えば、巨大ロボットを作って乗って人と競い合ったり、ひたすら好きなスポーツをやったり、お金にならない研究に没頭したり、演劇をしたり絵を描いたり作曲したり冒険したりね」
こんな世界が出来たら、流石のニートでも仕事をする事だろう。
「人間って誰でも得意な才能を持ってると思うの。でも能力差は人それぞれで、現代は能力差によって優れた人しか望んでいる仕事を得られないわ。しかも、好きな仕事に就けたとしても、いつまで続けられるかという不安は尽きない。問題の根本さえ、改善すればそんな人の不安も払拭されるのにね」
「でも主任、仮に今の仕事が本当に好きならそのまま続けてもいいのでは?」
それは、この会社で働いている葉華莉自信が金銭理由ではなく、働いて行きたいという切望からだ。
「それは当然よ。ただ社員が残るかどうかは、それまでの社内の環境や経営者の人徳で判断されるんじゃないかしらね」
◎会社の経営者の伊藤社長に人徳があるかは分からないが、ニートだった田中が直ぐに辞めないくらいだから、◎会社の環境は良い方なのかもしれない。
「仮に会社が潰れて失業しても、医食住がタダなら食べる事には困らないから問題ないのかな。でも、医食住がタダでも、多少お金があった方が良くありませんかね?」
田中よ、それはいくらなんでも欲張りというものだ。
「その点は、ベーシックインカムって聞いたことがあるかと思うけれど。毎月、全ての国民にお金を支給すればいいと思うわ。無職で月15万、就業している人には月50万という風にね」
明日川の願望は、田中の欲望を余裕で越えていた。
「ええっ! そんな社会になったら税金がいくらあっても足りないじゃないですか、主任?」
葉華莉は唖然として、それを批判した。まぁ、当然であろう。
「私は永久機関という打ち出の小槌とロボットのシーナ型が量産化した時を想定して話しているけど、そうなったらそもそも税金そのものが不要になるわよ、消費税なんて論外ね」
確かに永久機関とシーナが量産化されれば、それも不可能ではない。
「例えば永久機関というエネルギーによってお金は無限に刷れるけど、最初に人の生活に必要不可欠な仕事をしてくれる公務員には優遇してお金を支給するとします。次いで、人が何か事業をしたい時は、国及び銀行からその人の信用に応じたお金をあげるとします。まぁ、公務員の仕事もほとんどロボットでまかなえられるようになると思うけれど」
明日川が奇想天外な、おかしな構想を持ち出した。
「あげるって、貸すんじゃないんですか?」
田中も唖然とした。
「資金が無限にあるのに貸すなんて、永久機関ならぬ永久奴隷制度になってしまうわよ。これは事業が無駄になっても、人が何かしらの行動によって社会を活性化させるのに貢献した事に意味があるとだから。当然、ちゃんと事業をしているかどうかの確認は必要になるけれどね」
「税金を払わなくてもいい、医食住がタダ、自分がやりたい事に対して国がお金くれるって何処の天国ですか」
それはニートだった田中さえも想定できなかった社会である。
「取らぬ狸の皮算用の話で、あくまで永久機関が出来た場合の天国よ。また出来たとしても、逆に愚か者達によって地獄に変えられてしまうかもしれないけれどね」
明日川は視線を外してそう語った。
「これって全部、社長や主任が考えた事なんですか?」
その妄想癖に感心した田中は、その立案者を素直に崇拝したい気持ちになっていた。
「実は全て先代の社長の受け売りなのよ。流石に調子に乗って少し恥ずかしくなったわ」
明日川はこの時、顔を赤らめた。
「そう言えば彼は永久機関で、理不尽に国や個人が抱えさせられている全ての債務を一度全て帳消しにして公平にしたいって言ってたわ」
「永久機関で借金の返済ですか?」
田中はその内容に興味を持った。
「簡単よ、宇宙の尺度で考えて見ましょうか。例えば、火星まで人を送るのに40兆円かかると言われているけれど、一番外側の惑星である海王星まで往復5年で人を行き来させたら、いくら位かかると思う?」
「それ知ってます、360兆円です。ただ、まだそれを実現させるエネルギーもありませんけれど」
得意げに語る葉華莉。
「流石は葉華莉さん、よく調べているのね」
「宇宙関係の情報収集は日課ですから」
明日川に褒められるも天文好きの葉華莉にとって、これくらの知識は常識であった。
「で、本当はコスト0円でもいいんだけれど360兆円をコスト1円で済ますことが出来たら、利益は359兆9999億9999万以下略でそれを20回でもやったら7000兆円を超える額になるでしょ? 全人類の資産は6000兆と言われているからこの時点で人類の総資産を超えちゃったわね。つまり、借金は永久機関のエネルギーで返済すれば問題なくなるということよ」
明日川のかなり強引な理屈ではあるが、辻褄としては合っている。
「でも、みんなが永久機関を手に入れたら利益にならないと思いますよ」
葉華莉の言う通りだろう。
「そうね、だからここで選択肢が二つできるのよ。永久機関が出来ても人類の債務が無くなるまで債務国、債権者に秘密にして売るか、それとも永久機関が出来たのだから、それを公表した上で倫理的にそれまでの債務を無くすよう債務国や債権者に働きかけるかのね」
つまり明日川が言いたいのは永久機関が出来た暁には高利貸しさえも、仏陀やイエスの様な聖人になれと言っている様なものである。かなり無理があるだろう。
「そもそも無限のエネルギーに比べたら、何千兆円、 何垓ドルあってもそんなものは限りなくゼロだし生まれた時から赤ん坊に借金を抱えさせて人を奴隷にし、返済を強制させるいる事ほど愚かな行為は無いって、先代の社長も言ってたわね」
余程、現代社会の現状に不満があるのか、明日川は棘のある言い方をした。
「そんな世の中だったら、見捨てられる子も減るんだろうなぁ・・・・・・」
うつむき加減で、葉華莉がぽつりとこぼす。
「!」
葉華莉の意味深な発言に一瞬固まってしまった田中であったが、直ぐに空気を切り替えようと話題を切り替えた。
「そうだ、永久機関できたら、地球まるごと買った方が早いかもしれませんよ。その上でみんなに公平に分配した方がいいですよ」
「ふふっ、そうかもしれないわね。さあ、もう無駄話もなんだから、ここいらでざっと工場の中を見学してみましょうか」
明日川の指示で4人は工場内の外周にある階段を昇り、それぞれの階で育てられている野菜を見回った。その後、下に行くと出入り口のシャツター前に、いくつもの野菜が綺麗に包装されてダンボールの箱の中に
「これ、俺へのお土産ですか?」
半分、本気で考えた田中。
「3日で食べ切れる?」
明日川が笑って質問する。
「無理そうなので、売りさばきます」
冗談で返す田中。
「そう、これは売り物なのよ。契約しているスーパーへの出荷分よ」
明日川が答えをばらす。
「これ売らないといけないほど経営に困っているの?」
ちょっと心配する田中。
「別に経営に困っている訳ではないけれど捨てるもの勿体無いし、売り上げから野菜の評価も分かるから一石二鳥でしょ」
首を縦に振り田中は激しく納得した様だ。
「じゃあ、みんなでこれをトラックに積んでスーパーまで行きましょうか」
4人は来た時と同じ構成で車に乗り、野菜工場を出て15分程の時間をかけ目的のスーパーに辿り着ついた。それから店長に野菜を渡し、帰りにスーパーで何か食べ物を買おうと4人で店内をうろついていた時にある母子を見かける。
「もう、なんなのあんたは。こんなもの買う余裕なんてうちには無いの。勝手に取らないでくれる」
20代くらいの若い母親に対して子供は背丈からして3歳くらいの様だ。子供が興味本位で単に手にしただけの様にも見られ、躾にしてもおおよそ幼い我が子に言う口調としては相応しくない。
「・・・・・・」
こういった光景は現代では珍しくも無く、皆黙って目に入れないようにしていた。
「あんなに子供を邪険にする位なら、最初から子供なんて作らない方が良かったのに」
葉華莉は、あたかもその母親に聴こえる様な口調で発した。
「なっ、なんなの」
その母親は、葉華莉をにらみつけ、半ば子供を引っ張る様な強引さでそこから去っていった。
「御免なさい・・・・・・」
葉華莉は三人にうつむいて謝った。
「取り合えず、会社に戻ろうか。戻ったら暫く休憩しましょう」
明日川がそう言うと4人は何も買わず、会社に戻ることにした。葉華莉と一緒に車に同乗している田中は、沈黙が続き重い空気を感じていた。
そんな中、葉華莉は交差点で信号無視直前の危険運転をもたらす。
「危ない!」
田中のとっさの叫びに、神道が急ブレーキを掛け事なきを得た。
「大丈夫、葉華莉さん?」
「はい、御免なさい」
「近くで車を止めて休もうか」
「・・・・・・うん」
葉華莉はコンビニで車を止め、田中はそのコンビニで飲み物を買って来た。
「少しは気が休まると思うけど、どう」
カップのホットコーヒーを手渡す田中
「あ、ありがとう」
田中が葉華莉に対する気休めなのか、他愛の無い事を話す。
「・・・・・・俺さ、根気の無い駄目人間で通勤ラッシュには耐えられず学校辞めたし、きついバイトも直ぐに辞めちゃったしで、世間で言うヒキニートまっしぐらな人生送ってきたんだ」
「でも、葉華莉さんに今の仕事紹介してもらって、少しはマシになったかなぁって・・・・・・その御礼といっちゃなんだけれど、相談くらいは乗れると思います」
「何の役にも立てないかもしれないけれど、葉華莉さんのプライバシーは断固死守するよ」
葉華莉はいつもの表情を取り戻し
「・・・・・・ありがとう、田中さん。じゃあ聞きますけれど、田中さんのご両親って、田中さんが学校やアルバイトを辞めても、それを咎めたりしなかったんですか?」
自分の事を問われるとは思いもしなかった田中。
「おっ、俺のこと?・・・・・・。親父は三年前に海外で事故で無くなって今は、お袋と二人暮しだけれど、咎めたりはされなかったよ。正直、過保護って言う位いつも俺の味方だった」
「そうですか、羨ましいです」
視線を合わせようとしない葉華莉。
「私の親は、私が幼い頃に離婚して私は母に引き取られました。そして、毎日硬いご飯ばかり食べていました」
「・・・・・・」
「多分、古いご飯だったんでしょう。でも、その硬いご飯も三日に一回とか、時には青いきな粉をまぶした様なご飯も出てきましたよ。野良犬さえ食べない様な・・・・・・」
それが何を指しているか田中でも気付く。そう、カビたご飯の事だ。
「母は、父と離婚してから私と一緒にご飯を食べた時など一度もありません。多分、外食していたんですね。その頃の私、先進国の子供なのにガリガリだったんですよ」
「・・・・・・」
恵まれた自分との境遇の違いに返す言葉を持てなかった田中。ただ、黙って聞いているしか他に無かった。
「それを見かねてなのか、誰かが児童相談所に通告してくれてたんです。私は運良く児童養護施設に預けられました。その事情も後で私が成長してから知ったのですけれどね」
「それで、お母さんとは?」
それが今の田中が選べる唯一の言葉だった。
「そのまま母とは会う事は無くなりましたよ。母は何時も口癖で私に言っていましたよ。貧乏はもう嫌、あんな男と結婚しなきゃよかった。あんたなんか産むんじゃなかった、もう育てるのめんどくさいって・・・・・・じゃあ、何でを私なんかを引き取ったんですかね?」
少し沈黙が続き、再び過去を語る葉華莉
「当時の私はそれでも母と一緒にいたいという思いがありましたが、母はそうではなかったようです。今考えると子供にとってどんな親でも、その元に居続けたいというのは、哀れな本能だったんでしょうね」
「・・・・・・」
実の親から見捨てられ殺されそうになった・・・・・・今まで会社の仲間として気楽に接していた相手が、普段は明るく振舞っている葉華莉が、そんな重い過去を背負っていたと言う事実は、それまで甘えられて人生経験もろくになく育って来た田中にとって、相談に乗るという自身の浅はかさを思い知った。
「田中さん、母の悪口でも何でも言って下さいよ」
田中は葉華莉から急かされ、それまで躊躇していた言葉選びを止めた。
「・・・・・・実の親による児童虐待って頻繁にある世の中だから、親なのにって奇麗事が言えなくなったよな。罪に問われなければ、どれだけの親が躊躇しないで自分の子供を殺すかもわからない。本当に何で子供を作ってしまったんだろうっていう親が多いよ」
田中の意見は、葉華莉への同情やその母親への気持ちと言うより、世間一般の親の有り方を問うものであった。葉華莉の母親や悪いと言うのは簡単である。しかし、そこに行き着き、悪口を言うだけで問題が解消されるものでは無いと未熟ながら田中は分かっていた。
「少子化で子作りを推奨している国も残酷ですよね。だって子供を作るのを推奨する前に子供に愛情を与えられる大人を作らなかったのですから。子作りを推奨したら、逆に子供が殺されて減りましたって、本末転倒になりますよ。そんなの親として相応しくない大人に子供を作らせているからに決まっているからじゃないですか」
葉華莉もまた自分の母親を直接非難する事を避けた。将来の経済成長を理由に、子供への愛情を無視して、ただ奴隷の様に子供を作らせようとする国の愚かさと、人として良識を欠如した者が子供を作る事への非難を告げた。
「だから、私は子供に対して身勝手な振る舞いをする親を見るととても許せないんですよ」
そう葉華莉が言い終えると、何かを整理した様に田中が自分の気持ちを伝える。
「葉華莉さんに比べて俺はとっても恵まれて、申し訳ないくらいだよ。でも恵まれた身として学んだこともあったんだ」
「何ですかそれは?」
それまでうつむいていた葉華莉が、田中の顔を見て尋ねた。
「俺が中学の時の事なんだけれど、些細なことで親父を殴ったことがあったんだ。その時親父、俺が殴った拍子に棚の角に頭をぶつけて大量に出血してさ・・・・・・」
「それで・・・・・・」
それまで自分の事で頭がいっぱいだった葉華莉が、田中の事情を気にしていた。
「でも、親父は頭から流血させて笑いながら俺の手の心配をしてくれたんだ『お前、手痛くなかったか?』って陽気な顔でさ。その時、自分の情けなさに涙が止まらなくなって親父に謝ったよ。生まれて初めて、心からごめんなさいって。その後、お袋が急いで救急車呼んで10針縫う大怪我だって分かったけれど・・・・・・その親父がよく言ってたんだ。子供を作る前に優しい大人になれよ、自分の子供が不幸にならない様な社会を作れって。子供が辛くなったら思いっきり甘えさせてやれってさ」
「・・・・・・いい、お父さんですね」
葉華莉の頬には一滴の雫が滴る。
「俺が親なら、子供が殴ってきたら多分殴り返してるよ。俺はあの時、親父の様にはなれないなって悟ったよ。つまり、親父と同じくらいでないと子供を持つ資格はないってさ」
「立場は違えと私と同じですね。私は親の反面教師から子供は安易に持つべきではないと考えています」
子供を作る事はどれだけ慎重になっても過ぎる事はない。二人はそういった結論に達したのだろう。
「もっとも俺なんかは、子供を儲ける相手もいないけどな」
田中は、落ち着きを取り戻した葉華莉に下心で言った訳ではない。恐らく、多分。
「ふふ、田中さんと話したら何だか気が休まりました。そうだ、さっきスーパーで買わなかった分コンビニで何か買って来ますね」
葉華莉と田中はパーティーでもする位の大量のお菓子を買い込み、会社に戻った。
「葉華莉さん、どうしたの誰かのお祝いかな」
明日川がわざとらしく葉華莉に聞いた。
「はい、私が少し大人になったお祝いです」
「それは良かったわねぇー、田中君」
いぶかしげな目つきで田中を見る明日川。
「え? なんで俺」
田中と明日川は小声で会話する。
「あれから二人で楽しい事してたんじゃないの?」
「違いますよ、色々とありましたが」
必死に言い訳に奔走する田中。
「そっか。ありがとうね」
明日川は全てを熟知しているかの様に田中に礼を告げる。
いつもの雰囲気が戻った職場では、賑やかな雑談が終業まで続いていった。
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