第2話 新入社員、田中回
次の日の朝、昨晩の返事で会社名も分からない会社の社員となった田中の心の叫びが山林に佇むラブホテルに木霊する。
(正式名称が◎《ふたまる》研究所、冗談としか思えない社名。しかも会社の看板も無く見た目は廃屋のラブホテルかお化け屋敷。葉華莉という女の気迫に負けたとは言え、昨夜は名前と住所と電話番号を伝えただけで社長の一存で入社させられてしてしまった。まぁ、嫌だったらこれまで通り直ぐに辞めればいいや)
ボロボロの建物を見上げて田中は一言。
「まさか、俺がニートの世界を作る為の会社に就職するとはね」
田中は早速、事務所に行き挨拶をする。
「社長、おはようございます。昨日は色々とお世話になりました、今後は社員としてお世話になります」
田中は、社会人としての最低限の挨拶をこなす。
「まぁ、そんな堅苦しい挨拶はいいよ。取りあえず他の連中を紹介しようか」
社長は相変らず気さくな対応をし、ここで働いている社員の紹介をした。
「この会社は僕を含めて5人しかいないんだ、君を含めて6人になるけどね。先ず、今更ながらだが僕は社長の伊藤。この先の奥の作業台に女子が二人いるけど、一人はご存知ジャージ娘(むすめ)の葉華莉ちゃん、でもう一人の白衣を着ている小柄な女性が研究開発主任の明日川(あすかわ)君だ」
田中と社長が社員の紹介をしていると、長身で黒髪の紺のスーツを着た若い女性が挨拶をしに来た。
「始めましてシーナです」
「あ、田中です。始めまして」
相手がプロポーション抜群でうっとりする位の美人であったため、田中は緊張し、とっさに頭を下げて挨拶を交わした。
「この娘(こ)は、経理の明日川69(ろくじゅうきゅう)と言ってね、通称シーナと呼んでいるんだよ」
この69というの名に田中の関心は向かった。
「失礼ですが69なんて珍しい名前ですね」
シーナがその理由を説明した。
「私は、明日川主任に作られたアンドロイドです。私にとって彼女は母親とも言える存在です、だからその苗字頂きました。また、69という名は私が69番目に作られた子で英語でシックスとナインを合わせてシーナという愛称で呼ばれています」
田中は、この会社の社風として、こういった冗談を語って新人の緊張を
「えーと・・・・・・田中君だっけ」
シーナをそのまま子供にした様な小柄でタイトスカートをはいた白衣の女子が話しかけてた。
「は、始めまして、確か明日川さん・・・・・・ですよね」
「君、その子を見て緊張を
田中にはそこまでは思っていなかったが、シーナの雰囲気が気に入ったことは確かだった。そして明日川という女は体型とは裏腹に、上司としての貫禄がある様に田中は感じた。
「
会ったばかりの上司となる相手に、調子に乗って馴れ馴れしく会話を交わす田中。
「そう? オアシスに直行させてあげるから、あなたの右手を借りるわよ」
明日川はそういって、田中の右手をシーナの左胸のスーツの中に押し入れた。
「うわっ、何するんですか!」
明日川は、田中の右手をシーナの胸に押し付けたまま田中に尋ねた。
「田中君、何か気付く事が無いかしら?」
行き成り無理やりなセクハラ行為に身を投じてしまった田中は、上司命令だから仕方が無いと決め込み、折角だからと現状を堪能する事にした。
「え? 気付くって、俺の心臓がドキドキしてるとしか」
それはもっともな事だろう。
「なら、シーナの方は?」
明日川は視線を顔を赤らめた田中からシーナへと向けた。
「彼女は胸が結構あるから心臓の鼓動なんて・・・・・・あれ? それ以前に息してない様な」
田中の表情は赤から青に変化して行った。
「やっと気付いたわね」
田中は目をキラキラさせ現実のSFを目の前にして感動してしまった。これまで人間そっくりの人型ロボットをテレビで見た事はあったが、完全に人と見分けが付かないロボットを生まれて始めて見たからだ。同時に、田中のこの会社への不安は払拭された。
「も、物凄いです。まさか、こんな所でメイドロボが実現されていたなんて、信じられないですよ」
田中はじっくりとシーナを眺めていた。
「褒めてくれてありがとうね。ただ用途がメイドとは限らないけれど、彼女の存在はこの会社だけの秘密だよ」
彼女は威風堂々とした威厳を放っていた。
何時の間にか明日川の横にいたジャージ娘の葉華莉が、朗らかな笑顔で田中に言う。
「それじゃ今度は、田中さんの自己紹介してくれませんか?」
「え、俺の!」
唐突な対応に戸惑う田中だが、自分の心情を素直に伝えることにした。
「俺は、我慢弱い性格なのでとある専門学校に行ってたんですが、通勤ラッシュに負けて中退してしまいました。その後、バイトは何度かやってきたんですが辛いと直ぐに辞めてしまって、最近では何で働く必要があるのかを日々思いながら捨て猫状態だったところを、葉華莉さんに拾われました」
田中は、自己紹介というよりこれまでの鬱憤をぶちまけた。
「田中君、僕も学生時代での通勤ラッシュが耐えられなくてね、だから就職先は近場を選んだんだよ。自分が我慢したのだからお前も我慢しろという悪い習慣にも耐えられなくてね」
社長の甘えた意見に続いて続いて明日川が
「日本人って勤勉を強要する悪い慣習があるものね。私は、人はもともと怠けたい生き物だと思っているのよ」
「人が怠けたい生き物?」
ニートだった田中は明日川の話に聞き入る
「だって人類が道具を使ったのって、楽をしたいという願望から始まったと言えるでしょ? 例えば、狩をするのに素手と石を使ってではどっちが楽かは一目瞭然」
つまり文明は、楽したいという人の怠け心から始まったと言う事だ。
「楽をするという事は効率を上げたということ、そしてこの効率というものは文明社会の土台と言ってもいいわ。特に産業革命以降の科学技術は、人力や動物、自然の不安定なエネルギーから化石燃料という、それまでの何百倍もの安定したエネルギーを得ることで効率を破格に上げる事が出来たのよ」
明日川に続き、社長もこの話に便乗する
「でも、効率を上げても人々の生活は必ずしも楽にはならなかったんだよね。楽が出来る様な便利な道具を作っても、利益至上主義の経営者って奴はそれで人を楽をさせるのではなくて、それを利用して更に人々を働かせているんだから。そして、それが当たり前の様に習慣づけられて、特定の者にしか利益の配分が回らない様な相場を作り上げてしまった。お陰で、大衆はその状態に疑う事すらしなくなったんだよ」
「でも、それは結局、昨夜社長が話した様に今の社会のあり方がそんなものだと皆、思い込まされているからじゃないんですかね?」
田中の指摘に対して社長は
「そうだねぇ。国でも企業でもその場だけの利益優先で、従業員は機械の様にそこに尽くす様にしか他に考えが及ばない様にされているから、疑問さえ抱けない状況にされているのだろう。組合ですらその中の範疇だよ。それなら、自由気ままなニートの方が人としてマシなのかもしれないね」
「でも、俺今日からニートじゃないから、そんなにニートを持ち上げられても」
ニートという言葉に機敏に反応する田中。
「ごめん、ごめん。ちなみに、この会社は基本的に水、土日の週休三日制で一日三時間働けば帰宅してもいい事にしてあるから、楽な生活を営めるよ」
「それ、俺の理想としている体系です」
田中はすぐさま社長の伝えた社の規定に賛同した。
「ただ、一日三時間以上働いても給与は変わらないから気を付けてね。基本給は、社会保障付きの20万だから時給換算だと三千三百円くらいになるんだよ。三時間以上の仕事は、いわば自由時間で自分の為の仕事だと割り切った方がいいよ」
田中は、社長のその話を不思議がり質問を交わす。
「自分の為の仕事って、何をしてもいいって事ですか?」
「この会社の一番の目的は、永久機関を開発することで次いで様々な発明や雑用をすること。田中君の目的はエネルギー問題を解決してニートの世界を作る事でしょ、それはつまり自分の為の仕事ということになるんじゃないかな?」
「もっともです」
社長の簡素かつ簡潔な論説に屈服した田中であった。
話が一段落付いた所で主任の明日川が田中を連れて向かった先は、ガラクタが詰まった通称最終処分場と呼ばれる部屋だった。
「廃棄された電化製品の山の様ですが、これを一人で分解処理しろと?」
田中は明日川に尋ねる。
「そうよ、先ず作業前にはこの作業着に着替えて、この手袋と安全靴を履いて頂戴」
明日川の手元にはグレーの作業着と手のひら全体がラバーで覆われている黒い作業用手袋、そしてつま先に鋼が入っている黒い安全靴が用意されていた。
「使い方は分かると思うけれど、ここに電動ドライバーにペンチにニッパー、ワイヤーカッターにハンマーにドリルがあるから、最初は金属と非金属に分けて。それが終わったら、分かる範囲でいいから鉄、アルミ、銅とその他の各金属類への分類、基板、プラスチック、可燃物にも用意されたケースに振り分けて徹底的に分解すること。冷蔵庫とエアコンは予めガスを抜いてあるから心配要らないわよ」
淡々と話を続けている明日川に、仕事内容から動揺が隠せなくなった田中。
「ちょっと、これ単なるリサイクル業者の仕事じゃないですか?」
田中はここの仕事が夢の仕事と胸躍らせていたが、単なる分別の仕事と思い知らされて唖然としてしまった。
「そうよ、でもそれから学べる事の方が重要なのよ。千里の道も一歩から、取りあえずそこにある壊れた電化製品の山を独力で分解し尽くしなさいな」
そう言うと、そそくさと明日川は去っていった。
「そこまで言うなら、やってやろうじゃないの。えーと、ブラウン管テレビにビデオデッキ、洗濯機に冷蔵庫と電子レンジ、エアコンとパソコンと扇風機にファンヒーター、電磁調理器まであるのか。前途多難だな」
ゴミの山の中で田中が作業を始めて1時間後
「田中さん、はかどってますか?」
座って作業をしている田中の所に葉華莉が様子を見に来た。
「結構厄介だね。ネジを外せば簡単にバラせるかと思ったけれど、変な所にツメがあったりしてカバーが上手く外せなかったりして。他に、これでやっと外せるかと思ったら一箇所ネジを外し忘れていたりしてね。ネジ一つが凄いパワー持っているんだと思い知らされたわ」
田中はこうして、雑用の中で些細な発見をしていた。
「・・・・・・田中さんは後悔していますか? 私が強引にここに引き入れちゃったから」
葉華莉は不安げ気に田中を正視している。
「まだ始めたばかりだから後悔にも達していないけれど、この会社の仕事が世界を変える様な雰囲気だったから、実際にやっているこの仕事とのギャップが違和感ありまくりかな・・・・・・」
田中の不満を少しでも和らげようと葉華莉はリラックスさせる作戦に出る。
「そうですか、でも私も入社した時にこれをやらされましたよ。ここだけの話、この作業って無駄な雑用の様に見えますけれど、達人になるための通過儀礼みたいなものなんですよ」
田中はそれを聞いてふと笑みを浮かべた。
「これが修行の一環なのか、ところで何の達人になれるんだろう?」
「もちろん壊し屋ですよ。その内、触れる物みな分解のディスラプトアームという禁術が使える様になるかもしれません」
葉華莉は謎の異世界の冗談をかました。
「ふはは、ならもう少しがんばって見るよ」
「あと田中さん、くれぐれも危険な行為はしないで下さいね。疑問があったら私か主任に聞いて下さい」
「あいよ、葉華莉さん」
田中の安心した様子を見て葉華莉は自分の仕事に戻って行き更に2時間が過ぎた頃、今度は社長がやってきた。
「へぇー、上手く分解されているじゃないの」
「あれ、社長何時の間に」
社長が背後にいた事に気付かなかった田中。
「さっきから居たよ。田中君があまりにも作業に集中していたものだから気付かなかったんだね。それよりどうだい、何か感じたことがあったかい?」
田中は、はにかむんだ様子でドライバーを使って分解しながら
「最初はかったるいなぁと思ってたんですけど、こうやって分解している内に、これどういう構造してるんだろって興味が沸いてなんか面白いですね」
「そうか、そうか。それは何よりだよ」
社長は満足している様子だった。
「そう言えば、小さいは頃よく家にあるもの分解して楽しんでいた記憶があったっけ。普通の親なら怒るんでしょうけれど家の親父はそれ見て喜んでましたよ」
田中は仕事に慣れたのか自分事を話すようになった。
「いいお父さんだね。まぁ、取りあえず合格だ」
「はっ?何がですか?」
田中は今更ながら、テストでもあったのかと不思議に思った。
「本当の社員の資格だよ。これが楽しいと感じればそれで十分。多くの人は家電製品や乗り物を使いこなせても、その原理まで理解している人は少ないものだよ。純粋に仕組みに興味を持てる者こそ、今のこの会社では欲しい人材だからね」
今更ながら、この分解作業がテストだと気付いた田中であった。
「これって、 適性テストだったのか」
「そういう事。ところで田中君、もうご飯の時間だし休憩しようか」
会社には決まった食堂は無く、テーブルなどのある空き部屋で昼食を済ませている。皆コンビニで買った弁当やパンを持参している中、田中は一人ぽつんとしていた。
「田中さん、もしかしてお弁当が無いんですか?」
「葉華莉さんか、この近くにコンビニが無い事忘れてたよ。自転車ではちょっと遠いいし」
「ふふっ、現代社会はコンビニが携帯みたいに身近にある必需品になってますからね」
そう言うと葉華莉は、レジ袋の中から黄色の物体を取り出した。
「仕方ないのでおやつ用に買ってある私のメロンパンを進呈します」
「ありがとうごぜいますだぁ」
頭を深々と下げる田中。
「どういたしまして、いつかこのお返しを期待しております。できれば焼きそばパンを希望します」
葉華莉も深々と頭を下げ、互いの小さな笑声が部屋を暖めた。
午後になり午前と同じ作業に取り組む田中であったかが、そこに再び主任の明日川が来る。
「田中君、分解って楽しい?」
「え、まぁ」
田中は作業をこなしながら軽く返事をしたが満更でもない様子だった。
「取り合えず、この会社の規定時間の3時間は過ぎたけれど帰ってもいいのよ?」
入社当日で流石にそういう訳にも行かないだろう。おまけに、今の作業も中途半端に投げ出したくない気持ちを持った田中。
「いえ、このまま続けますよ」
「よしよし、でもこの作業って分解の楽しさを知ってもらうだけじゃないのよ」
「と言うと?」
田中は手を止め、明日川の方を振り向く。
「分解と同時に分別もしてもらってるけれど、これらを資源として再び再利用するよりかは原材料から生成した方がずっと安上がりなのよね」
明日川は、まるで田中の一般常識を確認している様だった。
「それくらいは俺にも分かります。テレビでもやっていましたしリサイクルはコスト的に見合わないケースが多いとかで」
「そうね。例えば原材料が半分位のコストで得られたとしても、リサイクルだとその倍になってしまったりすると経営的には本末転倒になってしまうから」
「でも、リサイクルの目的はゴミを減らすという目的もありますよ」
田中は腕を組んで明日川との会話に集中していた。
「ええ、そのゴミを減らす代わりに原材料の生成に使う以上のエネルギーを消費してね。だから、一番いいのはゴミを出さない事よ。ところで田中くん、エントロピーって言葉聞いたことがあるかしら?」
「確か何かのテレビでは、使う場使うほど質が悪くなって元には戻らないって事だった様な」
田中がテレビで知ったにわか知識である。
「でも、必ずしも元に戻らないって事では無いわよ」
明日川は近くにあった椅子に座り、長話モードの準備をしていた。
「どういうことですか? 明日川さん」
「一つは強引に元に戻す方法と、もう一つは自然と元に戻る現象よ」
明日川の答えに田中は、顎に手を当てて首を傾げながら質問する。
「強引というのはコストをかけて新品に戻すって事ですよね。でも、自然に戻るって言うのは、ここにある家電製品で例えると自然に新品になるって言う意味じゃないですか?」
「そういう意味に近いわね。ただし、家電製品ではなくて分子の状態の話よ。身近な例えだと部屋中に漂った蚊取り線香の煙って、また集まると思う?」
田中は即答する。
「それは無理ですよ」
「常識的には無理ね。でも確率的には可能よ」
納得の行かない田中は明日川の意見に食らいつく。
「明日川さん、確率的でもあちこち煙が散って人為的に集めようとしても無理ですよ」
明日川は腕と脚を組んで唯我独尊の如く 田中を見下ろして威嚇した。
「一畳のスペースにある煙でも多分、何千億年かかっても無理でしょうけれど時間に制限が無いのなら絶対に可能よ」
「その頃は多分、この宇宙が消えてますよね」
田中はその絶対に対して歯向かった。
「よくそう言う答えを聞くわよね。でも、本当に宇宙って消えて無くなるのかしら?」
明日川は不敵な笑みを浮かべて、田中に顔を近づけて話した。
「でも宇宙の年齢は、聞いた話しでは確か百何十億歳とか言われてますよ」
田中は最後の抵抗を見せる。
「それは一番遠くに見える星を基準にしたもので、本当の年齢なんか今の地球人には分からないのよ。そもそも不思議じゃないかしら? もし時間や空間が有限ならば私達の存在が都合よくここにある自体が。エントロピーという概念からしても最初から何も無い
エントロピーもまともに知らないのに、行き成り宇宙の限界に辿り着き、流石に田中はついて行けなくなった。
「俺には良く分かりません」
「そうね、行き成りこんな話をしたら混乱しちゃうわよね。ふふ、それじゃ続きがんばってね」
明日川があっさり去り、暫くしてから作業着を着たシーナが来た。
「田中さん、何かお手伝いしましょうか?」
「助かります、シーナさん。分解したはいいけれど分別が思ったより大変でね」
久しぶりに労働をした所為か、必要以上に
あった。
「シーナでかまいません、それに私に気を使う必要はありませんよ」
ほとんど人間と変わらない容姿から、つい人としての対応をしてしまう田中。
「田中さんは、コネクターから丁寧に部品を外していますね」
シーナは田中の作業中の細かい点に気付いた。
「はは、貧乏性でね。ひょっとしたら部品だけでも使えるんじゃないかって、でもこれって全部廃棄するんでしょ?」
「そうですね。残念ながら、一つ一つ部品の良否を判別しません。でも、そういった気持ちは大切だと思います」
「へぇー、ロボットでもそういう気持ちがあるんだ」
田中はシーナの気遣やその配慮に感心した。
「私の感情は主任から頂いたものです。ロボットを人間に近づける為には人間の心を分析しないといけないと申しておりました」
「人間の心?・・・・・・人間の俺自身も自分の心ってのがどういうものか分からないけどな」
田中は、手を止めシーナを見つめる。
「主任が言うには、プログラムには赤ん坊の気持ちや子供の気持ちがが大切だと言う事です」
「赤ん坊か、そう言えば幼い頃は何でも興味をもって触ったり舐めたりしたものだな。この作業にも似た事を小さい頃は楽しんでいたよ」
田中は分解した部品を手に取り、昔の事を思い出していた。
「そうです、私もそうやって学習しました。見る、触るという基本動作のプログラムから情報を得て、主任独自の組み合わせによるアルゴリズムで判断能力を養ってきました」
「恐らく考え方まで、人間そっくりなんだな」
改めてシーナを作った明日川に感心した田中であった。
「主任は、なるべく人間に近づける目的で私をお作りになりました。骨格は特殊なセラミックですが人間と同じ形状をしていますし、稼動には軽量化と柔軟性を得るため人工筋肉を使っています。また、人間の様にブドウ糖からエネルギーを作り出し水を取り込み循環させて古くなれば排尿の様な行為もします。流石に大きい方の排泄器官は付いておりませけれど」
恥じらいも無く淡々と話すシーナであったが、そのマニアックな設計に田中は少し興奮してしまった。
「そこまで生物に近づけているのか」
「主任は、少子高齢化への備えと人類の労働からの解放を考え、特に介護の負担を取り払う事を願って私を作ったそうです」
「・・・・・・俺は、自分が恥ずかしいわ」
田中は、シーナという完成品と崇高な目標を掲げている明日川に対して、ただニートの世界が欲しいだけで何も努力をして来なかった自分が情けなくなった。
「田中さん、私はまだ完全とはいいきれない状態だそうです。また、肝心のエネルギーが十分に無い事には、いくら精巧なロボットがあったところで人間に尽くすことも出来ません。それをクリアーしない限り、主任も田中さんも望んでいる世界は作れませんよ」
「それが、永久機関?」
「そうかもしれませんが、別のエネルギー源かもしれません。それらの問題を一緒にこの会社で解決しましょう」
シーナは優しく微笑み、そのまま田中の手伝いを行った。二人は黙々と仕事をこなし5時頃、社長が見回りに来た。
「殆ど終わっているな。ご苦労さん」
「この作業、明日も続けるんですか?」
田中は少し堪えたのか社長の様子を伺う。
「いや、これは適性検査みたいなものだから。これが好きだったら見込み有り、無ければサヨナラで、君は晴れて合格したという訳だ」
田中はホッと一安心し、別の話に切り替えた。
「そう言えば社長、今朝は3時間働けばいいと言ってましたが定時って何時になるんですか?」
「この会社では5時が定時で、仕事が好きならば何時間でもやってもいいよ」
「丁重にお断り致します」
田中は含み笑いを込めて断った。
「どう? 気に入ったかな」
田中はあまりにもご都合主義とも言える展開に一抹の不安を感じていた。
「俺にとってこんなに都合のいい会社があると逆に心配になって来ましたよ」
「何がかね?」
「俺みたいな得体の知れない者を雇って損しないかって」
社長は腰に手を当てて余裕の笑みを浮かべていた。
「それは大丈夫だよ。この会社は主に太陽光の売電で利益を得ているから、一人や二人働かなくても収入が入るんだよ」
田中は、この会社にニート扱いされせるのだけはごめんだと思い
「俺、ニート願望はありますけれど、何もしないでこの会社に養ってもらうほど落ちぶれちゃいませんよ」
「ごめん、ごめん、そう言う意味ではなかったんだよ。この会社では利益第一主義で稼ぐ為にしんどく仕事をする事無く、自由な研究や発明を進んでやってもらいたいと思っているからなんだ」
社長の相変らずの世間離れした理想論に田中はうつむいて呟く。
「そんな会社、人類史上何処にも存在しなかったし、これからも存在しませんよ」
「ここに存在してるじゃないの。他の会社がやってないのなら、昨夜話したエルンスト・アッベがした様に模範となる第一人者の会社となって、周りの人々が真似していけばいいと思うんだ。会社なんて絶対王政では無いのだからね」
田中はつくづくこの会社の通常を逸脱した人間達に思い知らされた。
「思えばここは、絶対に不可能な永久機関を開発しようとしている会社だったんですよね。それを考えれば利益どうのこうのなんて、ちっぽけな事だったかもしれませんね」
「ただ同じ様に永久機関の研究をしている者達はいるよ。永久機関をそのまま語ると胡散臭くなるから彼らはフリーエネルギーと呼んでいるけどね」
田中はフリーエネルギーと聞いて、自然からタダで手に入れられる類のものだと連想する。
「フリーエネルギーって太陽光や風力とかの自然エネルギーの事ですよね?」
「確かに、ニュアンス的にはそう捉えるね。でも、ここでのフリーエネルギーというのは、真空からエネルギーを取り出そうという類に近いものなんだよ」
「真空のエネルギー? 良く分かりません」
「それでいいんだよ。むしろ余計なものは知らずに真偽を一から学んだ方が、本当の答えに辿り着きやすくなるだろうから」
社長は悟ったかの様に田中に進言した。 そして時間は、5時間近くになった。
「もうそろそろ終業の時間だね。軽く片付けだけしてもらって、後は適当に帰ってもいいよ」
「明日からもお願いします」
田中の返事は、まだこの仕事を続けられる事の意思表示でもあった。社長は、にっこり笑い返していた。それは期待と言うより、来る者は拒まず去る者は追わずという、相手の自由意思を尊重しているからかも知れない。新人に最初から期待するというのはプレッシャーにも成りかねないからだ。
その後、帰路に就こうとした田中だったが、帰り支度をしない葉華莉を見かけ気になり話しかけてみる。
「あれ葉華莉さん、ひょっとして残業ですか?」
「いえ、私ここに住んでるんです」
「へっ?」
田中の脳裏には、葉華莉が社長の親族ではないのかという推測がよぎる。
「田中さん、昨日公園でここに来る前に私の家って言いったの覚えてますか?」
「ああ、そういえばそんな事言ってたっけ」
「ここってホテルだったので空き部屋がいっぱいあるんですよ、おまけに光熱費込みで家賃もタダにしてくれるんです」
田中は思わず引っ越したくなった。
「ところで田中さんは、どちらに住んでるんですか?」
「俺は、ここからそんな遠くない自宅で親と一緒だよ」
「じゃあ、田中さんも家賃タダですね」
「はは、そういう事だね」
葉華莉は、田中を無理強いさせてここに就職させてしまった事に少し気に病んでいた。
「良かったまたら会社に来て下さい。悪かったらこれでお別れなんでしょうけれど」
「明日も来るよ、ニートの世界を作るまではね」
こうして無事一日を過ごせた田中だったが、次の日は雑用から逃れられるのだろうか。
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