第7話 長い道のり

 明日川の号令と共に出向した4人。その淡々とした流れに逆らえず、しぶしぶ従った田中であった。歩く歩道はセンターラインが引かれて歩行者用と自転車用とで別れ、綺麗に舗装されており、周りにはもうじき夏を思わせる青々とした葉が茂っていた。


「木々か綺麗ですね、田中さん」


「うん、でも俺は結構見慣れているけどね。そもそも、狭山湖さやまこ一周って、舗装されていない道や六道なんとかっていう場所の展望台まであった気がしたんだけれど?」


「そう言えば田中さん、この近郊に住んでいましたっけ。その展望台からの見晴らしも綺麗なんですよね」


 葉華莉にとってこの遠征は、ちょっとしたピクニック気分の様だ。


「あの辺は子供の頃に自転車でよく来てたけど、流石に歩きと言うのは初めてだよ」


 田中は先の苦労を嘆いていた。

それから更に歩いたところで、舗装されていない山道へと入る。道は土道つちみちで所々に小石が散乱して歩きにくい。勾配こうばいもあってちょっとした山登りとなっていた。


「明日川さん、流石に昼食抜きだと、ばてて来ましたよ」


 明日川が腕時計を見てみると、1時半を過ぎていた。


「そうねぇ、丁度この先にテーブルのある屋根付きベンチがあるから、そこでお昼にしましょう」


 昼食のサンドイッチはハム、ツナ、タマゴとセットとなったものが一人一つずつ用意され、、おにぎりはウメ、サケ、タラコと異なるものが用意されていた。

田中は優先的に好きな物を進められサケを選び、葉華莉は好物だったのかタラコを取り、明日川は最初から予測していたのか残り物のウメを手にとって満足していた。


「それにしても、最近の梅干は色んな添加物が入っていて不味いのよね」


 明日川は梅干に対して不満をこぼす。


「でも、逆に添加物を入れて美味しくさせてるんじゃないんですか?」


 葉華莉が聞く。


「それは、すっぱさを抑えて食べやすくさせているだけよ。梅干はやっぱりシンプルに塩とシソで漬け込んだ余計な味の無いすっぱいものが一番ね」


 と言いつつ、添加物入りの梅干のおにぎりを美味しく頬張る明日川であった。そして3人の食事が終わったところで、シーナの疲労度を調べる。


「シーナ、現在の疲労度はどれくらいかしら?」


 明日川がシーナに尋ねた。


「現在、大腿四頭筋と大殿筋を始め他2箇所に3パーセントの疲労が起きています」


 人間と同じ筋肉の名称を伝えるシーナ。


「今度は少し歩くペースを早めて見ましょうか」


「今更ですが、本当にシーナってロボットなんですね」


 自分で自分の体の状態を細かく分析できるのは、ロボットならではの特徴だろうと田中は感じた。


「そう言えばシーナに関しては、私の方から田中君に詳しく話したことは無かったわよね」


「ええ、シーナ自身からは聞きましたけれど」


「シーナは69番目に製作したロボットだけれど、最初の頃に作った物は田中君も知っている様なメカメカしいロボットだったの」


「主任、そう言えば私がこの会社に入社した頃には、もうシーナは居ましたよね?」


 それは、葉華莉も知らなかった事だった。


「それ以降は材質的に進展の余地が無くてね、そのまま開発が停滞しているのよ」


「俺の知っている範囲では、二足歩行や走るロボットや人間そっくりに外見を似せたロボットはテレビなどで良く見かけたけれど、動きも反応も人間と変わらないシーナの様なロボットは初めて見ましたよ。こうして直接シーナを見ている今でも、SF映画でも見ている感じですね」


 田中にとってシーナという非現実的とも言える存在は、それまで不可能だと言われているモノの実現性を示唆する一つの目安となっていた。


「ありがとう。多くのロボットは、モーターの数によって稼動数が変わるのよ。一般にステッピングモーターというのを使うけれど、一つのモーターを使った時は一軸、二つの場合はニ軸と言う様にね。当然増えれば増えるほど、構造もプログラムも複雑になっていくわ」


「シーナにも、そういったモーターがあるんですか? モーターが動く様な音はシーナからは聞こえてこないけれど」


 田中はモーターを回すと良く耳にする、ウィーンという音を想像していた。


「ぐるぐる回るモーターは無いけれど、それに値するモーターの様なものが3万個付いているわよ」


「へ?、3万......個」


 一瞬耳を疑った 田中。


「ええ、それも一箇所でその数、正確には500近いパーツにその数をかけることになるけれどね」


「なんか、良く分かりませんよ」


 田中には理解を超えていた。


「シーナが人工筋肉によって動いている事は知っているかしら?」


「そう言えば、そんなことを聞いた事があった様な」


 田中の記憶にはシーナとの会話した記憶はあっても、その内容はほとんど忘れていた。


「筋肉も一種のモーターなのよ、ただ滑る形のリニアモーター式だけれど」


「リニアモーターって、あの磁石で浮く電車の?」


 この時の田中の頭は、小さなリニアモーターがシーナの中を駆け巡るイメージであった。


「田中さん、ちなみにリニアという意味は線という意味ですよ。線というのはこの場合筋肉の繊維のことです」


 葉華莉が追加説明してくれる。


「でも磁気ではなく分子間の化学的特性によって稼動しているのよ。言うなれば分子モーターね。シーナの場合、0.1ミリくらいの人工繊維が束になっていて人間の筋肉と同じ配置で化学反応によって筋肉の収縮がされているの。支柱は、人間の骨格と形状が同じで、素材は金属よりかはもろいけれど骨に近くて軽くて丈夫な柔軟性のあるハイブリッドセラミックよ」


 明日川の説明を掻い摘んで言うとシーナの土台は、骨と筋肉を人から模写したものだと言うことである。


「だからシーナは、人間そっくりなんですか。でも、それなら普通のモーターを使ったロボットの方が楽に作れたんじゃないですか」


 珍しく、葉華莉が質問する。


「そうよ、最初は普通の磁力の回転型モーターを使っていたのだけれど、40番目に開発したタイプあたりから、そういったモーターの限界に行き着いたの」


 明日川の意見に続けて葉華莉が問う。


「どういった限界なんですか?」


「回転モーターによる稼動と筋肉による稼動箇所におけるロボットの大きな相違点ってどこだか分かる? 葉華莉さん」


 逆に葉華莉に質問を返す明日川。


「えーとですね。モーターの方がぐるぐる回れる分、稼動範囲が大きくて、筋肉だと動かせる範囲が狭いとかですか」


「そうね、それはモーターの利点ともいえるわね。間違っていないけれど、ここではロボットの稼動箇所における大きな相違点だから少しニュアンスがちがうわね。じゃあ、今度は田中君は、答えられるかな?」


 油断しているところで意見を振られた田中。


「え、俺?・・・・・・場所の違いですよね」


 ロボットのプラモやアニメから連想する田中。


「アニメとかだとモーターみたいのは、確か関節の所についていたな。でも、筋肉ってのはなんだろ? 関節以外の所についている......ということかな?」


「正解よ田中君、お礼にシーナが一枚脱いでくれるわ」


 とんでもない事を言い出す明日川。


「それ脱いだら全裸ですよ、嬉しいけどロボットでも捕まりますって。今は一肌の方でいいです」


 流石に焦った田中であった。


「上手く交わしたわね、田中君。じゃあ話の続きにいきましょう」


 田中をもてあそぶのが楽しいそうな明日川である。


「モーターが関節に付いているという事は、動きの制御をやりやすくする上では利点だけれど、負担がその箇所だけにかかって骨格に丈夫な金属を使わなかった場合、耐久的な欠点をともなう事にも繋がるのよ」


 明日川は問題点をしみじみと語る。


「それが筋肉の場合だと歩行の場合でも200近くの筋肉が連動して制御が複雑にはなるけれど、その分細かい作業ができ機械的負荷も分散させるから耐久性は増す事になるわね。だから人工筋肉によるロボットに切り替えたのよ」


 ここに葉華莉の指摘が入る。


「でも主任、チタンなら金属でも軽くて丈夫ですよ。それで骨格を作れば良かったのでは?」


「チタンは加工が難しくて高価だからねぇ、シーナはいずれ量産化を考えているから簡単な工程を選んだのよ。それに軽量化をはかった方が家などの人の体重を中心に考えられた環境では、その重量に合わせたロボットの方が利点となるわ」


 葉華莉はその話しを聞いて感心するも、田中の方はサンドイッチを食べながらシーナの心配をしていた。


「そう言えば、シーナってエネルギーはどうしているんですか? 以前シーナが食べ物は無理でも口からエネルギーを補給出来る様な事を言った覚えがあるんですけど」


 田中は、シーナの空腹度を心配した。


「シーナの筋肉の稼動原理は動物と同じで筋肉の収縮にクエン酸回路を作動させるためのブドウ糖摂取が不可欠となるけれど、そこがバッテリーの電動式とは異なる点ね。今は一日分の蓄えをシーナ与えたから、エネルギー補給の心配は無いわよ」


 ロボットと聞くと、どうしても電動形式を思い浮かべてしまう田中は


「バッテリーじゃないって、シーナの体内にも電気回路みたいのはあるんじゃ?」


「ええ、その通りで特に電子頭脳は完全な電力式よ。でもそのための電力は遺伝改良した細胞のイオンによる一種のコンデンサーでもたらしているわ。後々でレクチャーで教える事になるけれどコンデンサーというのは、電気を貯める事ができるのよ」

 

コンデンサー、その名は聞いた事はあっても現在その仕組みを知らない田中であった。


「つまり、体内で電気うなぎを飼っている様なものなのね。これと同じ原理ではないけれど、人工心臓の電力を人の体内にある栄養素から取り出すという研究は実際にされているわ」


「俺が知らないだけで、今の科学って随分進歩していたんですね」


 明日川からの話により、こうして社員としての経験値がまた一つ増えた田中であった。


「三人とも、休憩もここまでにして先に進みましょうか」


 

明日川の号令により、一行は先に向かう事になった。

山道ともいえる道は、大きなクモの巣が点在し動物達の楽園ともいえた。


「ここは、虫や動物たちの縄張りだから攻撃されない様に要注意ね」


 明日川が皆に注意を促す。


「はぁ、はぁ、まさか、スズメバチとか襲ってきませんよね?」


 田中が疲れた様子で不安がる。


「今の季節ならいてもおかしくないけれど、危険なのは夏から秋にかけてからだからそんなに用心することはないわよ」


 その説明で明日川が田中を安心させたが、葉華莉は思い出した様に野生の弱肉強食話を語る。


「そう言えば、こないだ会社の近くで大きな口でカエルを丸呑みしてる蛇を見ましたよ。赤い斑点模様がある蛇で思わず掴もうとしちゃいました」


 大胆な事を語る葉華莉であった。


「その蛇は多分、ヤマカガシね。日本のほぼ全国に生息して以前は無毒と言われていたけれど、後になってマムシを越える毒を持っていたことが分かったから、掴まなかったのは幸いだったわね」


 明日川の話で少し青ざめた葉華莉さん。


「はぁ、はぁ、そういう事もあるんですか、はぁ」


 田中が息を切らしながら、二人の会話に入ろうとしていた。


「それまで正しいと思われていた事が、間違っていたって事は珍しくないわよ。だからいかなる事も何度も再確認は必要ね」


 その後、主に田中はぬかるみにはまったり、狸に遭遇しにらみ合ったり、立ち入り禁止区域に入りかけたりと余計な時間をかけて中間地点の展望台にまで到達した。


「シーナ、現在の疲労度を教えて頂戴」


 明日川はシーナに自身の疲労度を確認させた。


「現在、大腿四頭筋と大殿筋を始め他4箇所に10パーセントの疲労が起きています」


「わかったわ、ここで休みましょう」


 シーナを一人ベンチに休ませ、三人は折角だからと小高い場所にある4階立ての展望台へと上がった。

展望台の最上階に付くと5メートル四方と狭いながら一望を見渡せ、都心の方向には数々の高層建築が並び、反対側には山々が連なっていた。

また、地平線に近い薄い青色の空は絵画を思わせる色彩を帯びている。


「綺麗ですねぇ、夜に見たらプラネタリウムの特等席ですよ」


 葉華莉は目をうるわせていた。


「葉華莉さん、ここは時間制限があって確か夜は安全の為に閉まっちゃうんだよ」


 田中は子供の頃に来ていた所為か、厳しい現実を葉華莉に告げた。


「それは残念ですね。でも何かこう水平線に続く空を見ていると、向こうまで飛んで行きたくなる気持ちです」


 葉華莉は決して自殺願望で言った訳ではない。


「何か、それわかるよ。あの地平線の向こうの空ってどうなってるのかなぁって、自由に空を飛んで行けたらなぁって」


 田中は妄想壁はあるが決してあの世に行きたがっている訳ではない。


「類は友を呼ぶか、二人とも感性が近いわね」


 明日川が二人の様子を見て、いやらしく独り言を放つ。


『えっ』


 田中と葉華莉は同時に声を出し、顔を合わせ二人は少し照れた様子を見せた。


「さてと、もうそろそろ生きましょうか。次の停車駅は狭天湖の堤防、狭山湖の堤防」


 明日川はどこかの車掌風に、二人に次の休憩場所を伝えた。狭山湖の堤防は会社の直ぐ近くにあり、以前に田中が葉華莉から望遠鏡の修行を受けた聖地である。

そこまでの距離は会社からこの堤防までの距離と同等の7キロあり、その道も容易ではない。

 案の定、見えないゴーストの様に足を引っ張る、ぬかるみの道、思わぬところに心理的ダメージを与えるクモの巣のトラップ、そして誰もがその音に恐怖し生き血すするモスキートの群れとの戦いなど、様々な障害が4人を襲った。

そして太陽が横から柔らかな日差しを向ける様になった頃、ようやく4人は堤防に着く。

 

「やっと到着、疲れたなぁ」


 田中はぐったりとなり、堤防にあったベンチに足を広げて座った。


「西日が指すここは、太陽の光りが湖に照らされて綺麗なんですよね」


 葉華莉は田中と比べて疲れをものともしていない様子だった。

周りは森に囲まれた湖と反対側の眼下には町並みが並び都心の高層建築も観望でき、それを夕日が照らし展望台の時とは少し違った美しい景観を見せていた。


「この場所は昔、子供向けの特撮場所としても使われていたのよ」


 それは、明日川の年齢を感じさせてしまう危険なセリフだった。


「さて、シーナの疲労度を調べてみましょうかね。かなりの疲労になっている筈だけれど」


 明日川の支持にシーナが反応する。 


「大腿四頭筋と大殿筋を始め他百箇所に60パーセントの疲労が起きています」


「後半にかけて半分を超えちゃったか、こんなものかな」


 明日川は想定内の予想ではあった様だが、やや落胆しているようだった。


「ところでシーナってロボットなのに、そんなに疲労が重要なんですか?」


 ロボットは人と違い長時間労働を要求される機械である。そういう意味では田中の意見はもっともな事だろう。


「そこが、この子の唯一の欠点ね。人との接触に柔らかさや温みを与える為に人に似せて全体を特殊な表皮で覆っているけれど、そうなると熱の排出で障害が出るのよ。体内の温度が上昇すると人工筋肉の効率が悪くなるから」


「パソコンみたいに、内側から扇風機で冷やせないんですかね」


 いかにも田中が考えそうな発想である。


「パソコンを見れば分かりますけれど、扇風機を体に入れても結局のところ、熱い空気を外に逃がさないと行けなくなりますよ」


 葉華莉は簡潔に伝えた。


「シーナの体内の熱は、口からの熱排出と冷却用の液体で冷やしてはいるんだけれど、それを更に冷やすのに皮膚に細いチューブを張り巡らせて外気に当てて冷やしているのよ。熱はエネルギーになるけれど、時にはいらない熱も出来てしまうという事ね。まぁ、冬場は問題はないのだけれど、暖かくなると効率がやや落ちるわ」

 

 それを聞いて田中はやっとシーナの姿に納得した。


「なるほど、だからレオタードなんですか」


「ええ、だから夏場のシーナは基本この格好よ」


「傍から見たらセクハラで訴えられますね」


 田中がそう言ってシーナを庇うと


「なら、全員レオタードにする田中君?」


 絶対に貰いたくないお返しを明日川から頂いた。


「いや、俺がレオタードを着るには敷居が高過ぎますから、せめて水着でお願いします」


 田中は返しきれないお返しを、限界の範囲内で返上した。


「ふふっ、残念」


 危険回避能力が高い田中である。


「そう言えば、哺乳類の多くは、汗をかいて温度調節を行いますよね」


 葉華莉が明日川に尋ねる。


「ええ、シーナの温度調節は外気温で調節する爬虫類型だけれど、いつか哺乳類の様に汗をかいて温度調節できるようにもしたわね」


 こうして明日川の野望が一つ増えた。


「汗?」


 田中には、それがどういう意味か理解していない様だ。


「田中さん、平和鳥の勉強で水が蒸発するとどうなるか覚えていますか?」


 葉華莉は田中に、過去のレクチャーを使って汗の疑問を説明しようとしていた。


「確か回りの気温が下がるんだよな」


「ええ、そうです、そうです。だから、汗をかくと同じ原理で汗をかいた皮膚の体温が下がるんですよ」


 葉華莉は、田中に対するレクシャーでの勉強が実った事を感じ喜ぶ。


「なるほどねぇ、それにしても汗をかくロボットですか? 確かオシッコもする様なことを聞いたけれど」


 田中はいらぬ事を思い出した。


「そうよ、人の労働の代わりをなすロボットを作ることを目的としているけれど、個人的には、無駄でも人と同じ様な色んな機能を取り付けて、どんどん人に近づけていつかは完全な人造人間を作りたいと思っているのよ」


 本音が出てしまった明日川。


「マ、マッドサイエンティストの領域ですね」


 そう言いながら田中の唇は震えた。


「それ、最高の褒め言葉」


 そう言い、明日川はにやりと田中に微笑んだ。



「相変わらずだな枝留香えるかは」


 黒いスーツと赤いネクタイをし、ショートレイヤーの爽やかな顔をした長身の見知らぬ男が、湖越しに続いている柵に背を寄せて明日川の方に視線を向けて言い放つ。

枝留香って誰?」


 田中が男の独り言だと思っていたが、その視線はどうも明日川に向いていて疑問に思う。


「田中さん、明日川主任のことですよ」


 葉華莉が説明する。  


「ひさしぶりね、雄太ゆうた


 今までと違って目が鋭くなる明日川。


「3ヶ月振りだね。それにしても、あの会社まだ存続していたんだ」


「まぁ、私がいるから当然よ。それにしても、こんなところで奇遇ね」


「君とは因縁の糸で繋がっているからだろう」


「その糸、きっと繊維の方の糸じゃないわよね?」


 二人の刺々しい会話が続く。


「何なんだよ、あいつ」


 田中が葉華莉に小声で質問する。


「あの人は定期的にうちの会社に嫌味に来る迷惑なイケメンさんです」


 見た目は人気俳優に引けを取らない位に格好いいが、それよりも田中には気に掛かる事があった。


「さっき二人とも、名前で呼ばなかったか?」


「主任と久杉くすぎ雄太さんは、かつて付き合っていたそうですよ」


 田中と葉華莉がそうやって会話していると、久杉は葉華莉の方に視線を向けて話しかけてきた。


「久しぶりだね葉華莉君、それと君は新入社員君かな?」


 久杉は田中の方にも話しかける。


「そんな長い苗字じゃありませんよ、田中です。久杉さん」


 久杉は見た目も落ち着いた振る舞いも、明らかに田中よりも年上相応だったが田中は挑発的な言動をした。


「これは失礼したよ、田中君。あの会社の居心地はいいかい?」


「それは、何かの調査ですか?」


 田中は久杉に警戒して、あえて話を逸らそうとしている。


「僕は以前あの会社にいたんだが、将来性に期待が持てなく辞めたんだよ」


「まぁ、永久機関の研究してるなんて世間では変人扱いでしょうけれど」


 そう言って世間の常識で応対し、早々に話を終わらせたい田中。


「全くその通りだよ、絶対に不可能な事に時間を費やす事ほど無駄なことは無い。そもそも楽して怠けて生きていこうとする自体、虫が良過ぎるんじゃないかい?」


 しかし田中の最初の挑発が久杉に燃料を注ぐ事になり、厳しい意見が注ぐ。


「・・・・・・」


無言の中田、だが躊躇わず久杉は話を続ける。


「現代では、永久機関をフリーエネルギーなとど言葉を変え誤魔化して研究している輩もいるが疑似科学やオカルトと同じで、科学的な再現性を全く見出していないんだよ。おまけに無限のエネルギーを得られるからと資金を募って騙される者も少なくなく、詐欺と言っても過言ではない」


 明日川は沈黙したままでうつむきく一方、我慢出来なくなった葉華莉が反駁はんばくした。


「久杉さん、私には分かりません。再現性も無く導ける理論も構築できていませんが、きっとどこかに取っ掛かりとなるヒントがあるんだと思っています」


 葉華莉にいつもの元気は無く、ただ焦りだけが垣間見れた。


「君にしては抽象的過ぎるね。それは理念や夢があるから実現できるはずだという、根拠の無い誇大妄想みたいなものだよ。葉華莉君の夢は、確か宇宙旅行だったね」


「・・・・・・はい」


 葉華莉は、か細い声で返答する。


「現実の宇宙旅行を見てごらん。人類は今だ上百キロ程度の地球から見たら薄皮一枚のところの宇宙に行くが精一杯だろ。また、月まで行った当時のアポロ計画での費用は10兆円、現在でも兆の単位を下がる事は無いだろう。いくら夢があるからって現代でそれをやったら人々の生活が苦しいのに、とんでもない税金の無駄遣いだと非難されるのがオチだよ。有人宇宙飛行など夢で釣った人の迷惑を考えない、身勝手ではた迷惑な行為と言う事だ」


 久杉は葉華莉の夢を、残酷なまでにけなす。


「だから私、私達はそのエネルギーを・・・・・・」


 必死に抵抗を見せる葉華莉。


「だから、永久機関を作って宇宙旅行? そんな非現実的なモノは捨てた方がいいよ。今なら民間でも二千万あれば、薄皮一枚までの宇宙なら行ける様になったんだから」


 久杉の相手を嫌みったらしく見下す言動と、夢を潰されかけた葉華莉は、抑えていた感情を表に出し徹底抗戦の構えを見せる。


「なら、永久機関ではなく、もっと現実的な核融合炉ならどうなんですか?」


「葉華莉君、問題のすり替えかい? まぁいいだろう。核融合は水爆として人類が手にしたよね。しかし、それを発電に利用できる形で安定的に取り出すという方法はまだ確立していない」


「でも、核融合炉の研究は毎年新しい進展がありますし、いずれは」


 葉華莉はひるまない。


「そんなものは、国から研究開発費を捻出させる為の他愛無い宣伝だよ。毎年、大した事でもない事を今すぐにでも実現できるように吹聴し世間を騙し、説得力を持たせるだけのね。そもそも、ローソン条件という投入したエネルギーよりも排出されるエネルギーを上回る状態は、いまだに成し得ていないし高速中性子といった放射線の安全の問題も解決されていない」


 この意見は真実なのか、久杉の性格から来る歪曲した考えなのかは分からないが、それでも葉華莉は納得する訳にはいかなかった。


「それは批判が行き過ぎてオカルト批判どころか、現代科学批判です。非科学的だとも言えます」


 葉華莉が語るも、久杉は淡々と冷静に分析に基づく事を語る。


「多くの者が核融合炉に希望を持つ大きな勘違いは、排出される高エネルギーにばかりに気を取られ、核融合が核分裂とはエネルギーの発生過程が根本的に違う事を見落としている点だよ。その程度は、葉華莉君にも分かっているだろ」


 葉華莉は久杉が何を言わんとしているか薄々気付く。


「ええ、核分裂は一つを壊せば1が2、2が4と続く累乗による連鎖反応で大変効率のいい現象になっています。しかし、核融合は重水素やトリチウムといった比較的核融合を起しやすい物質を使っても、核分裂の様な効率的な連鎖反応は不可能です。連鎖結合なんていう現象でも、できれば良いのですが......」


 久杉は葉華莉の説明に満足し結論を語る。


「効率的に核融合をもたらすには、大きなエネルギーをまとめて与えて一度に反応させるしか方法はない。しかも効率のいい方法としては、いまだに原爆のエネルギーに頼るものだけだ。1952年の人類最初の水爆実験から半世紀以上絶っていても、人類は核融合炉を一基もつくる事が出来なかった。これまで莫大な税金を使い続けていながらね」


 久杉の話は、核融合炉に携わっている研究者にはとても聞かせられない内容であるが、更にキツイ一言が


「そして彼ら研究者や技術者の言い訳は、もっと新しい技術が見つかれば可能だということだよ。それが出来るまで待つのかい? 本末転倒だね。ならば、最初からそっちの研究を先にすべきではないかな。まぁ、半世紀以上も経って出来なければ、核融合炉など諦めた方がいいと、僕は考えているけどね」


「・・・・・・」


 完膚なきまでの久杉の説明で葉華莉は、閉口しうつむいてしまった。明日川は、沈黙したままだがその視線は田中に向けている。


「ええと、全く知識もない俺なんかが言える事でも無いけれど、あんたに言いたい事がある」


 田中は、葉華莉を黙らせた相手に威圧感を発しながら近づく。


「うん、いいよ。疑問、反論、賛同何でもOKだ」


 久杉は田中を全く相手にもしない様な、いい加減な素振りを見せた。


「さっきのあんたの説明からすると、逆に核融合炉ってのは簡単だって事だよ」


 勝てる見込みの無い相手に、無謀にも挑戦状を叩き付けた田中。 


「ほぅ、どういう意味だい?」


「だって核融合は原爆があれば可能なんだろ、頑丈な壁さえあれば水爆を爆発させてその爆風で発電すれば核融合炉の完成じゃないか。ついでに安全性を考えて、月にでも水爆発電所を建設すればどうだ?」


 それは田中の苦し紛れの浅知恵という奴だったが


「はははぁ水爆発電所か、そりゃいい。今まで思い付かなかったユニークな発想だよ。確かに強固な外壁や爆風に耐えうる発電機があれば今直ぐにでも可能だね」


 久杉は顔に手を当てて、大笑いをした。


「あと俺は、怠け者は悪くないと思う。悪いのは人を騙して楽をしている連中だ」


 ここで田中のニート魂も炸裂した。


「・・・・・・君面白いね。その通り、この世は馬鹿な大衆から金を搾り取る為に、真面目や勤勉という耳障りのいいエサで餌付けされているんだよ。所得格差の是正など考える気もないくせに、みんなで楽な世界を作ろうではなくて、辛くてもみんなで真面目に働く社会を作ろうと洗脳してね。それにしても随分奇想天外な発想力を持つ逸材を見つけたな、枝留香」


「その子を拾ったのは、葉華莉さんよ」


 漸く、まともに口を開いた明日川。


「ふふっ、本当に君のいる会社には変人を引き込む不思議な力がある。今回は僕の負けという事にしておくよ」


「俺は、あんたと戦った覚えすら無いんだが」


 田中は縄張りを荒らされた野犬の如く久杉をにらむ。


「そうかい、今度は君達の会社に来て、君らにとってまた不愉快な言葉遊びをさせてもらうかな」


 久杉は西日が照りつける中、そう言って手を振りながら去っていった。


「明日川さん、どうして助けてくれなかったんですか!」


「そうですよ、主任!」


 田中と葉華莉は、明日川に詰め寄った。


「それは、彼が言っている事も正論だからよ。それをあなた達がどう切り抜けるか、それもあなた達自身の勉強になるかと思ってね」


「スパルタ方式ですか」


 そう言い、深くため息を付く田中。


「でも、田中君の発想は私を超えたマッドサイエンティストの発想ね。水爆発電なんて思いもつかなかったわ」


 明日川が感心する。


「正直、正攻法では、あいつには到底勝てない様な気がしましたから、その場凌ぎの思い付きです」


「でも、その発想があれば、いつか正攻法で彼を打ち負かせる日が来るかも知れないわよ」


 根拠の無い労いを、田中にかける明日川。


「それにしても主任、何であいつあんな嫌な事を言うんですか?」


「彼は、永久機関を嫌っているから」


 含み笑いで答える明日川。


「それだけ?」


「ええ、それだけよ。さあ、シーナの休憩も十分に取れたし出発しましょうか」


 

 何時の間にか西日が更に傾き、湖は太陽の照りつける光で鮮やかなモザイク模様を見せていた


「わぁ、綺麗ですよ皆さん」


 葉華莉が夕日を観賞していると、シーナは立ち止まり彼女なりの感性を語る


「人間は、この様な似通った波長のスペクトルが分散した割合を綺麗と表現するのですか?」


「うーん、シーナの感性表現はまだ不十分だったわ」


 明日川はシーナの欠点を告げていた。


「でも、感性は人間でも人それぞれだから難しいですよ。星空を見て綺麗だと私は思っても、人によってはそうでもなかったりしますから」


 葉華莉が珍しく明日川をフォローする。


「形のバランスだけなら、美的表現を示す事は容易だけれど、こと色に関して、私自身美的感覚が低いところがあるから正直苦手なのよ。感性の豊かな人の意識を分析しないとシーナに美的感覚を持たせることは難しいかもしれないわね」


「主任、私はあなたの子供と言えますから、美的感覚が無いのもそれを受け継いだからと考えれば自然だと思います」


 それは恐らく初めてとも言える、シーナの慰撫する意見だった。


「ふふっ、あなたに慰められるとは思わなかったわ」


 それを聞き、田中か調子に乗る。


「明日川さん。シーナの美的感覚はともかく、相手を思いやる感性は親譲りで優れていると思います」


「新人さんは、もっと言う様になったわね。ヨイショしても何も出ないわよ」


 そうして、会社までの道のりを皆で雑談を交わして過ごしていった。



「やっと着きましたよ。空はもう真っ暗です。しかも、雲ひとつ無く天文びよりです。でも今日は見る気力もありません・・くすぅ」


 葉華莉が目を擦りながら今にも倒れそうな疲労困憊こんばいした顔で半分寝ていた。


「よう、みんなごくろうさん。何か変わったことはあったかね」


 今回、何にも貢献していない元気な社長が皆を出迎えた。


「なんか今日は色々とあって大冒険をした感じですよ、社長。それに、さっき堤防で以前ここの社員だって言う久杉って人に会いました」


 田中は久杉について知りたがっている様だった。


「ほう、彼か元気にしてたかね」


「たっぷり、不愉快な事を言われましたが言い返してやりました」


 田中は白い歯をかみ締めて社長に言い放つ。


「そうか、それはご苦労だったね。彼は明日川君と同期で実力も同じ位の天才なんだよ」


 社長から意外な事を聞かされる田中。


「え、そんな凄い奴だったんですか?」


 田中は少したじろいだ。


「奴って、一応田中君より年上だし先輩に当たるから慎もうね」


「ぐぅ」


 悔しさを隠し切れない田中だった。


「そう言えばあいつ、いや久杉・・さんはこの会社に遊びに来るとか言ってましたけど」


「まぁ、その時は歓迎してあげようじゃないのよ、ねぇ明日川君?」


 目で明日川に確認を取る社長。


「そうですね、それまでに正攻法で彼を打ち負かせるように田中君はみっちり勉強しておかないとね」


 明日川の田中を見る目は期待と怪しげな策謀に満ちていた。


「うっ、分かりましたよ」


 しぶしぶ返事をする田中。他方、葉華莉はソファで熟睡していた。


「シーナ、悪いけれど葉華莉さんを彼女の自室まで担いであげてくれる」


「はい」


 シーナは軽々と葉華莉を、男がする様なお姫様だっこで持ち上げると彼女の自室へと向かっていった。


「シーナは、ああいった事も難無くこなせるんですね」


 田中は自分でも容易に出来ない行為をシーナがこなしているのを見て、その必要性に改めて気付いた。


「シーナ型の第一目的は、ああやって様々な家の室内の構造に備えて介護用に使う為なのよ。特に少子化になって年老いた時の私達が自分達より下の世代に迷惑は掛けられないでしょ?」


「全くですね」


 明日川の意見に激しく同意する田中。


「私は老後の問題以外にも、自分達の世代に起きうる問題は下の世代に頼るのではなくて、自分達の世代で解決するべきだと思うわ。そもそも本来、それを何十年も前に政府が気付いてやらなければいけなかったのに、直前に問題が露呈してから慌てる様になったの。正直、最も人口を占める今の中高年の世代がまともに動ける内に、直ぐにでも問題に取り掛からないと手遅れになってしまうわね」


「つまり、シーナの様なロボットの大量生産ですか?」


「その通りよ、田中君」


 田中の意見が余程嬉しかったのか、明日川は人差し指を田中に向けて言った。


「ても、明日川さんは現在進行形で、シーナを作ったりその問題に直接取り組んでいますよね?」


 田中は尊敬を込めて明日川を称揚しょうようした。


「ありがとう。でもシーナは、酷い用途に利用されないとも限らないし、せめて国がもっとましな体制になるまでは黙ってようと思っているの。だからシーナの量産化はそれまでお預けね。」


「シーナの事を秘密にするって、そういう理由からだったんだ」


 明日川の慎重な姿勢に少しばかりの謙虚を学んだ田中だった。こうして仕事を終えた田中は帰り道、自転車でふと先ほど寄った堤防に来た。少し遠回りだが、今日一日を振り返って感傷に浸りたい気分だったからだ。田中にとって皆で行歩こうほしたのは学生時代の部活や遠足くらいで、その懐かしさもあり、皆で歩いた堤防に感慨深いものを感じていた。

 夜の湖は静寂で昼間とは、また違った姿を見せており、堤防を挟んだ湖の反対側の町並みには生活を営む光が遠く都心まで続いていた。


「へえ、綺麗だなぁ」


 田中がそう呟くと


「そうですね。ここには良く来るんですか」


 直ぐ傍に見知らぬ初老の男性が立っていた。良く見ると、穏やかな目をしていて少し年季が入ったベージュのコートを着ていた。


「いえ、昼間はたまに来るんだけれど、夜は初めてかな」


 田中は社交辞令として取り合えず挨拶をした。


「そうですか、あの家々に灯されている明かりの一つ一つに人の営みがあるんですよね。

みなさん、どんな生活をしているのでしょう?」


「さあ、みんな学校や仕事から帰って疲れた顔をして、飯食ってるんじゃないかな」


 それは今の田中自身の声である。


「しかし、暗闇の中にも既に役割を終え、見えなくなった光もあったのでしょうね。そしてそこにも、いつか新しい光りが灯されます。灯火ともしびを引き継ぐ人々によって」


 その男は田中に何か言いたげだった。


「俺はそこまでは感じられないな。でも、そういう見方もあるんだな」


 田中が背伸びをしながらそう言うと、男は既に明かりのない林道へと消えていった。

田中は少し変わった男だと思い、澄み渡る星空と暖かい夜風が吹く中、暫く夜景を眺めていた。

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