第22話 高富と田中の父

 休み時間、教室では多くの児童達が大声ではしゃいでいる。

しかし、その一方でクラスメイトと殆ど会話もせず黙々と読書に勤しむ女児がいた。

 そして彼女のしている大きなメガネは、からかいの対象ともなっていた。


「おい、メガネウラ。ひもじくて、また本をかじってるのかよ」男児たちは面白半分にそう言う。


メガネウラは人類の記した古生物学上、2億9,000万年前の古生代石炭紀末期にいた巨大なトンボとされているが、児童は学校の図書館で古代の生物を学んだ際に知ったメガネウラの特徴から、メガネを掛けたトンボだと勝手に思い込んでしまい、それを高富に当て嵌めていじめているのだ。

 しかし、この場合のメガネウラのメガネは眼鏡を意味するものではなく大きという意味のメガと虫のはねの意味のネウラを合わせたものでありメガネとは全く関係ないものである。しかし子供にとっては、それが相手をからかう切欠があれば意味など何でもいいのだ。そして、これはいじめである。

 

 幼い高富は男児の挑発に全く耳を貸さずにいたが、男児の一人が高富が読んでいた本を奪い取り中身を見て言った。


「なんだこれ重いぜ、おまけに訳の分からない記号とか数字とか書いてあるぜ」


 その本はハードカバーの化学の専門書なのだ。


「こいつ、貧乏なくせにこんな意味も分からない大人の本持ってきて格好付けて気取ってやんの。メガネウラの癖に気にいらねぇーなぁ」


「どうせゴミ捨て場にあったゴミだろ、ゴミ捨て場に飛んでけー」


 もう一人の男児がそういい、高富が読んでいた本を無理やり奪い取り教室の外に勢い良く投げ捨ててしまった。

 

 高富は上履きのまま一階の窓から急いで外に出て、それを無言で拾いに行く。


「・・・・・・」


 ハードカバーの本は、地面に落ちた時にはほぼ半分に切れ掛かっており、高富が上に持ち上げた時に

「ビリッ!」

 最後の音と共に本は真っ二つになってしまった。

その本は数ヶ月前に亡くなった父の書斎にあった本を彼女が持ち出していたものだ。高富は目を真っ赤にしていたが、涙を流す事はなかったが


「くだらない連中」


 そう一言、呆れた様に彼らに告げた。


「やはり強行策しかないか」


 その様子を校舎の片隅が眺めて呟いている男がいた。田中あきら

回の父である。回は高富とは別のクラスだが、父の明は学校そのものに否定的だった。彼はたまにこうやって学校や教育委員会の許可をとって子供達の様子を伺っていたのだ。学校に否定的な一番の理由は高富がされた様に、学校でのいじめの問題が全く解決されていない点である。明は自身の研究職の傍ら、人は何故いじめを行うかをも詳しく分析していた。

 人がいじめを行う要因の一つは、仲間を集いたい為に自分が返り討ちに合わない弱い対象の弱点を見つけ、それを皆して攻撃し仲間との協調性を得たいというものがある。つまり、自身が孤独な存在で誰かを犠牲にしてでも注目を得て仲間を作りたいからと言っても過言ではないだろう。しかし、多数が楽しいからといって誰かを人身御供にしてもいい言い訳にはならない。

 他にも彼は人が(いじめ行為が子供に限る事ではない事は言うまでも無い)いじめを行う要因を4つ程解析出来たが、それは後に別の者の口から語らせよう。

 明は若くして物性物理というの研究の多大な功績において政界や官僚に一目置かれていたが、更に機械工学と有機工学を組み入れたロボットの活用や、人に代わるAIを目的とした人の心理プログラムの解析でも注目をされ、そしてその傍ら、いじめを分析する研究にも携わり各界の要人に注目された。そして、ついにある法案すらも可決されることになる。

 その法案とは《いじめがあった学校には、その子供を登校させてはいけない》という単純なものだ。これは、先ずいじめられた子は登校させず、早急に加害者であるいじめた側の人間の更正を図るものであり、これまでの様にいじめがあっても解決策をいじめられた当事者に負わせる様な理不尽さを改め、学校が一番に守らないといけないのは子供や大人問わず人権を優先したものだ。子供達がいじめられても思慮のない教師や親は立場や世間体に負け登校を進めるものである。その子供は学校で日々びくびく怯え、悲嘆し絶望し自殺してしまう事にも繋がる。しかし、この法案があればいじめがあっても無理に子供を学校に行かせる必要もなく、逆に違反すれば親や教師は罪に問われる事になるのだから子供達にとって、これ程心強いものはないだろう。しかし、これは至極当然のことなのだ。

 そもそも学校ではいじめがあって当たり前の時代が間違っていただけで、いじめがなくて当たり前なのだから。そんなことも出来ない学校など行かない方がいいというのが明の方針である。

 なお今回のクラスメイトによる高富へのいじめは明の教育委員会への報告により翌日にはなくなった。いじめを行った子の親達は自分達の子供が少年鑑別所に移送されるのではないかと恐れたが、こういった子供達は明自身が提案し設立した特別施設に送られそこで自身の行為の恥ずかしい正体を見せ付けられ反省していった。

 ただこの時の高富は、自分へのいじめが無くなった理由が何によるものかは理解していない。

 

 それから数年後、高富は中学生になっていた。

彼女に対するいじめこそ無くなったがクラスメイトからの高富への対応は距離を置いたものであった。その原因は両親がいないことによる同世代より悟った大人びた彼女の対応が招いたことからだ。

 また同学年のクラスメイトが持っている玩具や携帯、おしゃれな服や行楽地の話題など経済的に苦しい彼女にとっては無縁のものになっていたのも原因かもしれない。


「あの子、話が合わないよね」


 高富を敬遠する声が度々ある。携帯の所有など経済的な理由等クラスメイトと関わりが持てない事もあって、同性からも声を掛けられることが少なく孤立していた。高富は祖母と二人暮らしであり、更に数ヶ月前には祖父を病気で亡くしていた。高富は両親を亡くした後にすぐに祖父母に引き取られたが、その両親は会社に負担を掛けた事故死として扱われ、会社系列での保険会社だったためか保険金は殆ど得られず、葬儀を済ませるだけで精一杯な状況であった。そして高富は扶養家族の身として自身の贅沢を望まなかった。

 彼女の進学に希望の持てないそんなある日の事。


「高富、悪いけどここ教えてくんない」


 テスト前になると、いつも高富のストーカーとなる男がいた。そいつは何の遠慮もなしに相手がに頼りになると分かると無遠慮に近づいてくる厄介なクラスメイトの田中回である。

 

「しょうがないな、どこよ?」


 高富は面倒な素振りを見せつつも、自分が頼られる事にまんざらでもなく田中に丁寧に教える。


「サンキュー高富、お礼に家にあるいらないノートパソコンやるよ」


「え、でも・・・・・・」


 以前から自分のパソコンを欲しがっていた高富だが、中古でも祖母の負担になると思い躊躇っていた。更に同世代のクラスメイトが当たり前に得ている物がない羨ましさや悔しさも、その躊躇いに一役買っていた。


「中古のパソコンだし捨て様としていたやつだから、要らないのならそのまま捨てちゃうけど?」


「す、捨てるくらいなら貰うわ」


 この時、高富は恥ずかしいさよりも勿体無さが勝り、また折角のチャンスを逃さない為にとっさにそう答えた。


「じゃあ、今日の帰り家によってけよ」


「う・・・ん」


 田中の家と高富の住んでいる一軒屋の借家はやや近く、30メートルもない距離にある。田中の家は中流ぽい雰囲気の建物であり、田中自身は高富と違い親の存在の有り難味を感じていない様である。


「ええと、これだな」


物置の奥から埃を被ったノートパソコンを持ってきた田中。それを高富に突き出す。


「ほら、約束のPC」


「え、本当にいいの?」


それは埃こそ被ってはいるが、一昔の型でありながら十分なスペックを要しているものだった。


「ああ、遠慮するなって」


高富がやや遠慮がちにパソコンを手にしようとした時


「ダメダメ、ダメだよ」


そこに割って入ったのは田中の父親だった。


「ご、ごめんなさい、おじさん。分かっていたんですが捨ててしまうと聞いてつい」


頭を下げ、とっさに謝る高富。


「なんだよ、父さん。どうせ使ってないし、いいじゃんか」


「そうじゃない。というか、お前は本当に気が利かないな」


手を腰に当てて、呆れた様に言う田中の父


「何がだよ」


「アダプターもないし、それにパソコンだけあっても、ネット環境がないとつまらないだろ」


「あ・・・」


肝心な事に気付く、幼き田中回。


「どれ、まだバッテリーはあるな。ちょっと無線LANの設定を変えておくか」


そう言って田中の父はノートパソコンを起動して設定の変更を速やかに終わらせ閉じ、アダプターと共にそれを高富に手渡そうとする。


「ごめんな、玲子ちゃん。うちからの無線LANは30メートルは届くから、玲子ちゃんの家ではネットが使い放題になったよ」

 

 田中の父が言う玲子ちゃんとは高富の名である。高富の両親がなくなってから田中の家の近くに引っ越した際に高富が祖母と挨拶に来てから親交ができ、互いに親しくなった経緯がある。


「そ、そんなこと、せめてお金を・・・・・・」


無断ではないにしろ、他人の無線LANをただで使う事に流石に躊躇う高富。おまけにパソコン自体ダダなのだ。


「玲子ちゃん、遠慮することないよ。こういった道具は、頭のいい玲子ちゃんに使われてこそ意味があると思う。それにまわるのお世話代だと思ってこいつを受け取ってもらえないかい?」


「なんだよ、お世話代って」


顔を膨らませて文句を言う回。


「あ、ありがとう田中君のお父さん・・・・・・」


 記憶から薄れていた自分の父を田中の父に重ねた高富はその優しさに目をうるわせていた。いじめの件でその裏であった出来事こそ知らない高富だがそれ以前にも、田中の父は高富に優しかった。今は彼女にとって身近にいる頼りになる身内にも等しい存在となっていた。


それから暫く経ち高富は田中と同じ高校に進学することになった。高富のレベルなら、より学力の高い学校に進学することも可能だったが、田中が進学した高校に行く事になった。その理由として一つは、海外で飛び級で大学を卒業したにも関わらず日本のごく有り触れた高校で学びなおした明日川枝留香といった卒業生に興味を持ったこと、そしてもう一つの理由は田中の近くにいる事でクラスメイトを言い訳に尊敬していた田中の父と接触が得られると考えてのことだった。


「そうか、大学進学は諦めるのか」


「はい、祖母を早く安心させてあげたいので」


 田中が丁度家を留守にしていた時を見計らって、高富は田中の父に進路の相談をしていた。田中の母はテーブルで向かい合わせになった二人の下にコーヒーを置いて静かにその場を後にする。


「ところで、おじさんの父親ちちおやは大工だったんだよ。最初はとある工務店に勤めていたんだけれど上手くそこの経営者に騙されて安くこき使われていてね。だからまじめに働いても生活費もままならず、俺は公立高校の学費を払うのも難しくて高校に通いながらアルバイトで稼いでいんだ」


「え、でも公立高校って親の年収に応じて最低でも無償化されるのでは?」


公立高校でもアルバイトを強いられていたことに驚く高富


「その当時は高校の無償化なんて微塵もなくてね。クラスメイトが学費の事など気にすることもなく、その上親からお小遣いを貰って遊んでいる時に一方では学校に行くことすらままならず、自ら学費を稼がないといけなかった時代だから、よく貧困家庭の子供たちというのを聞くけれど、ああいうのは人事には思えないんだ」


自分の身の上に重ねた高富は、コーヒーカップに手を添えながら笑みを浮かべていた。


「おまけに大工の父は、みんなに綺麗な家を建てているのに大工当人の我が家は直す余裕もなくボロボロの掘っ立て小屋だったんだ、お陰で社会の理不尽さを嫌という程教えられたよ。でも、人を騙したお金で自分だけ綺麗な家に住む者よりかは遥かにマシだと今は思っているし、貧乏でもそんな親父で良かったと思っているよ」


「田中君のお父さんって、研究とかしていると聞いているから出身がもっとエリート層の人かと思っていました」


「はは、研究職でも元は貧しい家庭というのはいっぱいいるよ。昔は戦争で親を無くて努力して著名な科学者になったものもいるしね」


「そういう人もいるんですね」


 まるで昔からの友達か親子の様に会話を交わす高富。


「問題は学費、とくに大学の学費だよね。奨学金は借金でしかないし、国公立でも2百50万くらいは掛かるというのは親の経済力で半ば左右されてしまうと言っても過言ではないかな。特に医者不足というのは学費が高額である故に不足しているという、政治家の問題以外にあり得ない有様で、またそんな政治家を支持してきた国民の自業自得とも言えるかな」


「でも、仕方ありませんよ。世の中がそういう仕組みになっているのですから・・・・・・」


 田中の父がどんなに理想を語っても、全ての人間が諦め納得している社会の根本的な不条理に従わざる得ない状況に歯がゆい心情を吐露するしか出来ない高富。


 「ただ世の中、その仕組みを変えた偉い人もいてね。おじさんの時は運良く親友から進められて経済的困窮者を救済してくれる大学を勧められたんだ。学費が無料の上に生活の支援金も払ってくれる大学をね」


 高富は、前もってその名を知っていたかの様に笑みを浮かべて口にする。

 

「それって確か東京真理科大学ですよね。でも、あそこは余程成績が良くなければ入れない所では?」

 

 東京真理科大学は、学業は親の資産に影響されることなく公平にする事によって社会全体を大きく進歩できるという理念の下に明日川電機の創立者が設立したものである。


「はは、流石だね玲子ちゃん。合格条件はテストの成績がいいか、もしくは何かしらの認められる様な研究成果を出していればOK。でも玲子ちゃんならテストで堂々と合格できると思うよ。俺の場合はちょっとした発明が認められて入学できたけれどね」


 高富は照れながらこう返した。


「・・・・・・おじさんがそこまで言うのなら受けてみようかな」


「それは良かった。おじさんはね、この社会をどうにか変えようと思って努力したけれど、いつまでもみんなを労働の奴隷としてこき使って自分たち家族だけが金持ちのままでいたいって勢力がいてね。彼らの勢力を強引に抑えることも出来たんだけれど、それはしなかったんだ」


「どうしてですか?」


「会社というのは多数決を一応尊重した組織だからね。社長であろうと会長であろうと創立者の意思であろうと多数の意見を蔑ろにはできないものだから」


「多数決ですか・・・・・・でも、皆が正しいとは限りませんよね。私は小学生の頃から周りの方が間違っているものだと思っていました。そんな人達が嫌で私は皆から距離を置きもしました。私は間違っていますか?」


「はは、そんなことないよ。おじさんもね皆が間違っているそんな会社が嫌で辞めちゃたんだから」


「ええっ、会社辞めちゃったんですか!」


「辞めたというよりも、辞めた仲間と起業したかったというのが正解かな」


「すると、会社作っちゃたんですか?」


明のいい加減とも取れる発言に再び驚く高富。


「ああ。仲間はまだ少ないけれど、これから世界各地から集めて大きくするつもりだよ。人類がお金に左右されずに、また食べる為の仕事ではなく楽しむ為だけの仕事が出来る会社をね」

 

 資本主義に喧嘩を売るのが大好きな明であった。


「お、おじさん・・・・・・」


高富はこの突拍子も無い明の夢に引いてしまう。


「玲子ちゃんには、これが絶対に不可能な物事に思えるでしょ?」


「申し訳ないけれど、非現実的過ぎます。そもそも食べる為の仕事って誰が食べ物を作ったり運んだりしてくれるんですか?」

 

「それは一言で言えばロボットだね」


「確かに、ロボットの活用は良く聞きますけれどそんな高性能のロボットなんてまだまだ先の話だと思いますよ。少なくとも今の何十倍も進歩しないと」


「はは、流石に良く勉強してるね。でも、現在より何千倍も進んだ技術を手に入れたとしたら、どんなロボットが出来るかな?」


「そ、そんなのまるでSFなどでよく見かける未来の技術を手に入れた時の話ですよ。おまけにエネルギー資源だって有限ですから上手く行くはずありません」


「そうだね、世間一般的な答えはそうだよ。でも、それを理解した上で自然の原理をもう一度見直したら、とんでもない発見をするかもしれないんだよ。それこそエネルギー問題を容易に解決し、ロボットの技術を計り知れなく推進できる方法をね」

 

言葉をここで止めた明。そして上を向き、人類の悲嘆を語る。


「・・・・・・そう、本来なら既にある発見を見逃しているばかりに人類は生きる為に仕事、仕事と苦しめられているのかもしれない」


「ま・・・さか」


「もし、その発見を既にして現代の科学の何千倍も科学技術を進めていた会社があったとしたら?」

 

 高富の視線を見て、自信たっぷりに語る明。 


「・・・本当にそんな会社があったら、どんな大国も企業も敵わない世界の覇者ですよ。でも、冗談ですよね」


「どうかなぁ。人類に敵対する覇者になるつもりは無いけれど。でも、もし玲子ちゃんが科学の道を進むのなら、おじさんの会社には内定予約をしておくよ。それで本当かどうかを確認してみるのも悪くないんじゃないかな?」


「ふふ、じゃあ予約お願いします」


 高富は明の話が全て真実とは思わなかったが彼の会社に魅了され、東京真理科大学に入学する事になった。

 この東京真理科大学は、学業は親の資産に影響されることなく公平にする事によって社会全体を大きく進歩できるという理念の下に学費を無料として明日川の祖父が設立したものだ。しかし田中の父は、高富の大学進学から数年後帰らぬ者となる。

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絶対不可ノーのパラダイムシフト 小川かずよし @kazuyoshi

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