第5話 望遠鏡の仕組みとニュートンより頭いい人

「どうでした、昨日の初のお休みは?」


 朝から社内で元気なジャージ娘のお出ましだ。


「おかげさまで、昔の友人とばったりあったりして充実しましたよ。ところで何かあったの?」


 取り分け何時もよりご機嫌な葉華莉が気にかかる田中。


「実は今日のレクチャーの為に色々と準備をしていたのでした」


「準備って?」


「今日は、望遠鏡作りの実習です。そして私が先生となって田中さんに教える事になりました」


 いきなりの展開で付いていけなくなった田中に大先生がサポートに回る。


「そういう事なのよ、田中君」


「何がそういう事なんですか?明日川さん」


「本命の永久機関以外に色んな科学の事を学ぶのが、この会社の仕事の一つだから、今日は光学分野の望遠鏡を作って実技で学ぼうって訳なのよ」


 さも当たり前の様に語る明日川に田中は


「納得いたしました」


 そして一同は前回の空き部屋、もとい教室に向かった。


「では手始めに、ここに用意した簡易望遠鏡組み立てキットでガリレオ式とケプラー式の望遠鏡を組み立てましょう」


「えーと、しん、葉華莉先生質問です」


 田中は最初、時間限定でも教師に対して名前で言うのは失礼と思い苗字で神道先生と呼ぼうとしたが、言いなれて無く恥ずかしいので急遽却下した。


「何かな田中さん?」


「ガリレオ式とケプラー式って何ですか?」


「そういう質問を待っていました。その前に望遠鏡は大きく分けると、対物レンズと言う大きなレンズを使うものと、大きな凹面おうめん鏡を使った反射式に分かれます」


 田中の余計な質問は、葉華莉にとって教え甲斐を増幅させるニンジンとなっていた。


「で、取り合えず今は大きなレンズを使ったケプラー式とガリレオ式について説明するわね。望遠鏡の筒の先に大きなレンズが付いているのは知っているでしょ?」


「それくらいは知ってるよ」


 葉華莉は馬鹿丁寧に説明したつもりでも、田中にとっては流石に本当に馬鹿にされていると感じたのだろう。


「実はそのレンズ自体はケプラー式とガリレオ式は変わらないの。違うのは、目の方から覗くもう一つの小さなレンズの形にあるの、それは一般的に接眼レンズ、又はアイピースとも言われています」


「望遠鏡のあの小さな覗き穴の事か」


 田中は、最初に葉華莉から望遠鏡を見せてもらった時の覗き穴を思い出していた。


「そうです、あの覗き穴に小さなレンズが入っていて、大きなレンズと小さな焦点距離の短いレンズの組み合わせで、望遠鏡は遠くの物を拡大出来る様になっているんですよ」


「ただ今日は、理論的な説明は置いておく事にしまして、この簡易キットを組み組み立てて、実物を確認してみましょう」


 手渡された材料には、太さが3センチ位で長さは20センチ位の縦に割られた筒があった。組み立ての際には、レンズをその間に入れて合わせる様に出来ている。また、レンズは袋に入っており手で面に触れないようにと、予め葉華莉から注意されていた。


 そして田中は、ケプラー式とガリレオ式の二組の組み立ての格闘に20分を要した。


「さて出来ましたね。それでは最初にガリレオ式の方を見て見ましょう」


 田中が外の景色を望遠鏡で見ようと筒を覗き込むと作り間違えたのか、不良品なのか全く見えなかった。


「・・・・・・先生、真ん中に小さな点が見えるだけで他は見えません」


「これまた思った通りの返答をしてもらって、先生嬉しいです」


 葉華莉は、預言者なのかその事態を把握していたかの様だった。


「田中君、それは見るべき所が違うからです。その小さな点を良く見てみましょう」


「小さな点って・・・・・・あっ、なんだこれ!」


 田中の驚きに葉華莉は勝ち誇った様に頬がほころんだ。


「分かりましたか?」


「このちっちゃな点の中に像が見えるぞ」


 田中は、その点の中を凝視する。


「そう、それがガリレオ式の特徴で、視野がとっても狭いんです」


「じゃあ、こっちのケプラー式って奴は」


 田中が右にガリレオ式の望遠鏡で覗いて左でケプラー式の望遠鏡を覗く。


「こっちは、ちゃんと大きく見える・・・・・・でも」


「でも、何かな?」


 葉華莉は何かを探る様な眼差しで田中を見つめる。


「像が逆さに見えるし、おまけににじんで見える。正直、汚いと言うかスッキリしないと言うか」


「ありがとう田中さん、それを聞きたかったの」


 葉華莉の瞳は、宝くじで大当たりを引いたかの様に何故か潤んでいた。


「な、何も泣くことは」


「これこそがレンズを使った、望遠鏡の長~い長~い、苦難の歴史なのよ」


 この時の葉華莉は、頭に花が咲いているかの様だった。


「ケプラー式が逆さに見える原因は、接眼レンズにとつレンズを使った特徴として説明できますが、にじみの正体は色収差というものでレンズを使うものには必ず起こる現象なのです」


「でも、ガリレオ式って方は逆さでは無かったし、にじみがもあまり無かったよ」


「それは、ガリレオ式には接眼レンズにおうレンズと言って、真ん中がへこんだレンズを使っていまして、対物レンズの焦点距離の手前に配置する事で正立像、つまり逆さでない像を見る事が出来るようになっているからですよ」


「・・・・・・ところで、焦点距離って何だっけ?」


 小学生でも知っている知識をど忘れしていた田中。


「太陽に虫眼鏡をかざすと熱い一点で紙を燃やした経験はあるかと思いますが、その距離の事ですよ」


 田中のど忘れに対して、親切丁寧に説明してくれる葉華莉。


「一方、ケプラー式の方は、ガリレオ式と違ってその焦点距離の先に接眼レンズがあってそこで見る事になるので逆さに見えるんです。簡単に言いますと、焦点を通り過ぎると像はくるりと回って上下が逆さまになってしまうんですよ。ハサミで例えるのなら、真ん中のネジに当たる支点が焦点になり、親指の握りの方を閉じると、支点を挟んだ反対側になる刃の方も連動して閉じるという様にです」


 田中は、ハサミの例えですんなりと焦点に関する理解を得た。となると、残りの疑問が沸いてくる。


「そう言えば、にじみの方の話は?」


 ハッと思い出したかの様な表情をする葉華莉。


「危ない、危ない、つい忘れる所でした。ガリレオ式にもにじみは出るのですが、倍率が低いとそのにじみも少ないから目立たないんですよ」


「なら、そもそも、どうしてそんなにじみが出るの?」


 つい調子に乗って、葉華莉を質問攻めにする田中。


「その理由は、レンズはガラスで出来ていますが光はそのガラスを透過します。でも、ガラスには光を屈折させる性質があって、光がガラスに入る角度に傾きがあると光が前に前進する内に途中で曲がってしまうのです」


「あれ、曲がるだけなら問題ないでしょ?」


 素朴な質問をする田中。


「そうですね田中さん、しかしですよ。なんと、目に見える光には色んな光が混ざり合っているのです。そして、その色んな光はガラスを通った時に曲がり方がそれぞれ違っていてそれが色んな色となるにじみとして現れているのです」


  田中の頭では理解に遠かった。


「先生、もう少し分かりやすく教えてくださーい」


「端的にいえば、光の色というのは実際、無限にあるといっても過言ではないのですが、実は三色あれば人が見える全ての色を表すことが出来るのです。さて、その三色の名前ってテレビでも使われていて結構有名なんですが、田中さん、それが何と呼ばれているか分かりますか?」

 

田中の頭には何とかの三なんとか、という曖昧なイメージだけが登録されていた。


「えーと、怒りの大三元!」


「おしいですが、麻雀ではありません。正解は光の三原色といって赤、緑、青の三つの光があります」


 大いに恥をかいた田中。それに対してあくまでマイペースの葉華莉。


「そして、その三つの光はレンズを通る際に屈折率の差によって分かれてしまい、それぞれ焦点が僅かにズレでしまうのです」


「つまりその赤、緑、青の焦点のズレってのがにじみの正体ってこと?」


「ピンポーン、大正解です田中さん」


 田中の正解にはしゃぐ葉華莉。


「いや、殆ど葉華莉先生が答えを述べてたから。でも虫眼鏡で焦げるのって、あれは光が一点に集まっているからでしょ? 赤、緑、青って焦点がズレているなら焦げないんじゃないの」


 田中の質問に葉華莉の目がきらめく。


「本当に田中さんは、私が望むとおりの質問をしてくれます。優等生です」


 流石に生徒役が恥ずかしくなってきた田中であった。


「実はですね、あの眩しく光る一点には、物を焦がすほどの熱は無かったりします」


「そりゃ、嘘だ。どうも見てもあのギラギラしたまぶしい光りで焼いてるじゃん」


 田中の反論も、もっともな事だろう、誰がどう見ても虫眼鏡のあの眩しい光りで焦がしているのだから。


「田中さん、目に見えるものが全てとは限りませんよ。これは光のズレというトリックです」


 名探偵(仮)葉華莉は、右の人差し指を左右に振って田中の反論を打ち消した。


「太陽の光というのは沢山の光りが集まったもので、焦がしている光の正体は、赤外線と言う熱を持っている目には見えない光なんですよ」


「赤外線なら聞いた事あるけれど、あれって目に見えないのか。イメージで赤って感じがするけどなぁ」


「赤外線の焦点は光の三原色の焦点と比べて少し遠くにありますので、光が一点に集まった眩しい場所よりかはほんの僅かだけ後ろと言う事になります」


「わ、分かりました。とっても良く分かりましたから続き行きましょう先生」


 一つの話に疲れを見せてきた田中であった。


「ああ、そうですね。取り合えず苦難のレンズの歴史に戻ります。当時、望遠鏡が出来たはいいけれど、そのにじみの所為で天体観測には不向きだったんですよね。17世紀に入るとあの有名なニュートンが登場します。彼はそのレンズのにじみをなくす研究をしました」


「ニュートンと言うと、あの万有引力で有名な?」


 ニュートンと言う名は知っていても万有引力が何なのかまでは知らない田中。ただの知ったかぶりであった。


「そうですよ、でも望遠鏡の研究もしていました。その彼の研究の結果としてレンズを使った望遠鏡では、にじみを消す事は出来ないという結論に達してしまったのです」


「ニュートンでも無理だったのか。ならもう、誰がやっても無理でしょ」


「そこは天下のニュートン、レンズの代わりに鏡を使った望遠鏡を作りました。それが、かの有名な反射式望遠鏡と呼ばれるもので実は、そのキットを用意しました」


 この講習への周到な準備に葉華莉の情熱が感じられた田中であった。


「では、早速作りましょう」

 

 田中の座っている机の上には、何時の間にか「年配者の科学」とか書かれた組み立て望遠鏡キットがあった。田中は説明書道りに組み立てていく。望遠鏡の筒は紙で出来ており、丸めて形を形成するものだった。組み立て開始、30分くらいを要して太さが10センチ、長さが30センチくらいある反射望遠鏡を田中は完成させた。


「葉華莉先生、説明書通り作りましたがまともに見えませんよ、また見る場所が間違ってるのかな?」


「反射望遠鏡は、中にある小さな鏡の調節が必要でして......」


 葉華莉が軽く調節し、それを田中に手渡しその望遠鏡を覗く田中。


「うお、見える見える、でも何か周りが歪んでいてに色のじみも僅かにある様な」


「そうですね、その歪みが反射望遠鏡の欠点です。化粧でよく使う丸い鏡には反対側に凹面鏡という真ん中がへこんでいる鏡が付いているものが多いですが、精度の違いはあれど原理は同じでレンズの様に光を一点に集める様に出来ています。鏡に顔を近づけたり遠ざけたりすると大きくなったり小さくなったりしますよね」


「お袋の使っている鏡で見た事があるけれど、あの鏡がこの望遠鏡に入っているのか」


 田中は日常品から安直に連想した。


「ええ、ただ望遠鏡の鏡は精度を上げる為に表面鏡と言って反射率は高いけれど、さびやすく出来てるんです。そして、なんと鏡を使うとレンズの様なにじみは出ないのです」


 しかし、さっき見たばかりの望遠鏡からして、レンズを使ったものと見た目に大差ない事に気付く田中。


「いや、でも覗いた感じではレンズを使った奴とあまり変わらなかったよ。同じ様ににじみがあったから」


「そうですねぇ、鏡だけを使えばにじみはでませんが、目で覗く場所にレンズが付いてるでしょ?」


「あ、そういえばこれレンズだな」


 自分で作った望遠鏡の接眼レンズ部分を見る田中。


「そう結局、一箇所でもレンズをつけるとにじみは出てしまうのです」


「じぁ、もうお手上げじゃん」


「そうかもしれませんね。その続きは、ひとまず休憩を終えてからにしましょうか?」

 

 10分間の休憩を取る事になった田中と葉華莉。それぞれ別々の休憩室に向かいくつろぐ。そこに明日川がそれぞれの様子を伺う。


「葉華莉さん、進行が上手いわね」


「いえ、私は主任の日々の立ち振る舞いを真似しただけですから」


「え、私ってあんな感じなの?」


 明日川が驚いた表情を見せる。


「そうですよ、お陰で癖が移っちゃいました」


「ふふ、後半もがんばってね」


 葉華莉に手を振り、今度は田中のいる場所に向かう明日川。


「どう、葉華莉さんの講義は?」


「馬鹿丁寧を通り越して、馬鹿にされていると思うくらいに分かりやすかったですよ」


「それは良かったわ。ところで昨日と今日と会社でのレクチャーが続いているけれど、田中君はやって行けそうかな?」


 田中をチラ見して、その表情から今後の対応を察し様とする明日川。


「ここは他の会社と比べれば遥かに仕事が楽だし、何より気が楽なのがいいですよ。他の会社は鞭でこそ叩かれませんが、時間に追われる上にミスすれば小言の様な注意も受けますし、この世って気楽に仕事をしてはいけないんですかね?」


 田中はしみじみ語る。


「田中君、君は肝心な事を忘れているよ」


「へっ? 何がです」


 田中はきょとんと目が点になる


「だって、永久機関を作って、気楽に仕事が出来る世の中を作ろうとしているのがこの会社なんだから。もっとも、その仕事も遊びが仕事になる様な世の中なんだけれど」


 それを聞いて、暫く口をぽかんと開けていた田中、一息して


「暫くここでお世話になりますよ、明日川さん」


 つかの間の休憩時間が終了し、再び葉華莉のレクチャーが始まる。


「さて、先ほどの続きからですが」


「確か、レンズで出来るにじみは、もうお手上げというところからだよ」


 田中がこれまでのあらすじを伝える。


「そうでしたね。でも、まだまだお手上げではありませんよ。昔は昔なりの解決策を作りました」


 人差し指を真直ぐ田中に向けて言い放つ葉華莉。


「その手始めとして、焦点距離を伸ばす事から始めました」


「焦点距離伸ばすって、それ望遠鏡が長くならないのかな?」

 

「その通りです、田中さん。しかし長くした分、分散した三色のそれぞれの光が一点に近くなってにじみが軽減させる事ができるのです。更に昔の人は、星の鮮明な像が見たくて焦点距離が50メートル近くもある望遠鏡を作って観測しました」


「50メートル! そんな望遠鏡じゃ元気な児童の徒競走ができるし、筒がへたるよ。昔の人、がんばり過ぎでしょ」


 呆れた様に田中は言い放つ、それ程までして星が見たかったのかと。


「田中さんの指摘は、当然と言えば当然ですね。だから昔の人は、筒ではなくて遠方に対物レンズを置いて手前で接眼レンズを使っただけのなんちゃって望遠鏡で見ていたんです。それは空気望遠鏡と呼んでいまして、当然、少しでも中心からズレると像を見失います」


「当時の人は偉い苦労したんだなぁ」


 田中は、昔の人の星に対する鬼の様な執着心に今度は感心していた。


「ええ、でもその苦労も17世紀、あのニュートンの没後二年後ににホールという人が、ある画期的なレンズの発明をした事で終わりを迎えます。その名も色消しレンズ」


 葉華莉はここぞとばかりにそのレンズを手に持って見せた。


「色消しなんて、そのままじゃん」


「まぁ、そうですね。英語ではアクロマティックレンズ、略してアクロマートレンズ、更に略してアクロマートと呼んでいます」


「アクロマート・・・なんだかアフロヘアーで賑わうスーパーみたいだな」


 田中は思いつくままの自由な連想した。多分、関連性の微塵もないのだろう。


「ふふ、素敵な指摘ですね。ところでこのアクロマートレンズを良く見てください。二つ重なっていますよね」


 葉華莉は重なっている二つのレンズを、くっ付けたり離したりして田中に見せる。


「一つは普通のレンズで、もう一つは何かへこんでるのか?」


 田中は、始めて見るその形状に興味を持った。


「そうです、形状が異なるレンズを組み合わせるとにじみを消す色消しの作用の一つが生まれるのですが、それ以上に重要なもう一つの要素が、このへこんだレンズには隠されているのです。さて何でしょうか?」


 葉華莉から困難な質問を振られた田中。


「確か、レンズを通り抜けると光は曲がるんだったよな。仮にレンズを二枚合わせても、そ三色ある光も同じ様に曲がって、効果出ない様な気がするんだよ」


「うんうん」


 田中の独り言を聞いて、それがあたかも答えが出掛かっているかの様なとても良い顔をして頷く葉華莉であった。


「そもそも色のにじみってのは、三色ある光の焦点距離ってのがズレて起きてるんだよな。それを一点に出来ればなくなる筈だから、へこんでいるレンズの方には光を一点に曲げられる様な材料で出来ているんじゃないかな?」


「ほぼ、正解です田中さん。正確には屈折率の異なるガラスを使って光を一点に集める様に工夫したのです」


 まるで、天井からくす玉が割れた様な歓喜に溢れた葉華莉。


「テンション大げさ過ぎだよ、葉華莉先生」


「いえ、いえそうでもありませんよ。この色消しレンズの原理は当時にノーベル賞があったら間違いなくそれに値していた光学界の大発明ですから。田中さんが素材に注目した点、惚れちゃいます」


「いや、今のノリで惚れられてもこっちが恥ずかしいので、続きをお願いします」


 折角の葉華莉の誘いを丁重にお断りした田中。


「とにかくこのアクロマートレンズによって望遠鏡は大きく進歩しました。とはいえ当時はその材料が高価だったため、安価な方法が出来るまでは少し時間が掛かりましたけどね。しかし、それまで何十メートルという焦点距離を使わないと見れなかった惑星の像などが、たった数十センチの長さの望遠鏡で見れる様になったのです」


「ならこれを発明したホールって人、凄い天才じゃないのか?」


 科学史では名の薄き人物も、素人の田中には公平な視点で評価が下される。


「実はホールという人は、科学者ではなく弁護士です。科学者でない人が趣味でこんな大発明をして、ニュートンが不可能だと言ったことを可能にしてしまったのです。だから素人の田中さんも、現代科学を超えられる発明ができる可能性はありますよ」


 こうして葉華莉の気迫の入ったレクチャーは午前で終了した。そして終始、明日川は、このレクチャーに口を挟まなかった。正確には、葉華莉の完璧な授業に挟む余地がなかったと言える。



 午後からは午前からの絡みで、葉華莉から望遠鏡の扱いを教わる事になった田中。

教わる場所は会社の直ぐ近くにある堤防で、その横には都民の水がめの為の湖が広がっていた。

その堤防からの見晴らしは良く、目を凝らせば都心の高層ビルも見える、正に昼間の望遠鏡での観望には打ってつけの環境だろう。


「では、まず田中さんが運んで来てくれたこの望遠鏡の説明からするわね」


 そこには、細長い望遠鏡とそれを支えている三脚の付いた経緯台けいいだいという物があった。


「この経緯台は、望遠鏡の動きを微調節できる装置があって横に付いている上下左右用の二種類のハンドルをネジ回しの様にクルクルと回転して向きを調節します」


 実際に葉華莉がハンドルを回し、それに合わせ微妙に動きを見せる望遠鏡。


「へー、これで調節するのか。便利だなぁ」


 その後、田中は扱いになれる為にハンドルを回して様々なものを見回した。


「流石にさっき俺が作った望遠鏡とは違うな、にじみも歪みも無くてすっきりして見やすいや」


 田中は午前中に作った望遠鏡と見比べて、その見えやすさをしみじみ語っていた。


「でも、この望遠鏡に行き着くまでに午前中で話した様に、大変な苦労をしたんですけどね」


「先人の苦労の賜物って事か。それにしても上下逆さまってのは、やりにくいし落ち着かないな」


「それはレンズの宿命ですよ。宇宙では上下左右は関係ないんですけれど、地上の風景では見慣れない状態ですしね」


 葉華莉もその辺は良く分かっている様だった。一方、田中は水平に望遠鏡を動かしている内にある特徴的な建物に辿り着いた。


「あれ、ひょっとしてスカイツリーか? 思ったより小さいな」


「それは倍率が低いからです、アイピースを変えて倍率を変えてみましょうか」


 葉華莉は背負ってきたバッグの中の小さなケースから10という数字が掘られたアイピース(接眼レンズ)を取り出した。


「倍率って、そのレンズで変えられるんだ?」


「はい、このレンズにはそれぞれ焦点距離の数字が書かれていて、この数字が小さいほど倍率は大きくなるんです」


 葉華莉の説明から、レンズに興味を持った田中。


「アイピースって方は、数字が小さい方が倍率が大きいの?」


「はい。倍率の計算は対物レンズの焦点距離をアイピースの焦点距離で割ったものになりますから、この望遠鏡だと焦点距離が1メートル、即ち千ミリあってそれを焦点距離10ミリのアイピースを取り付ける事になりますから、倍率は百倍と言う事になりますね」


 それを聞いて、田中は今見ている望遠鏡に取り付けてあるアイピースの数字を見てみた。


「これには40って書いてあるから、つまり倍率は25倍ってことか」


「そういう事です、田中さん」


「なら3とか2とか使えばもっと倍率上がるじゃん、5でも二百倍じゃないの?」

 

 何か新しい発見でもしたかの様に浮かれる田中。


「残念ながらそうも行かないんですよ。倍率を上げていくと像が暗くなったりして良く見えなくなってしまうんです。それを補う為には多くの光が必要になって、つまり対物レンズの口径を大きくしないといけなくなります」


「なんだぁ、でも確か葉華莉さんが最初に見せてくれた望遠鏡って三百倍くらいの倍率だったよね?」


 当時の事が余程印象深かったのか、その時見た三百倍を忘れていなかった田中。 


「あの望遠鏡は口径が30センチあるんです。最も良く見える望遠鏡の倍率は大体、口径のセンチメートルに10をかけたくらいなので、田中さんが今扱っている望遠鏡は口径が5センチなので本来なら50倍が適性倍率になりますね」


 葉華莉がそう言って、田中の見ていた望遠鏡のアイピースを40ミリから10ミリに変え覗きながらピントを調節をした。


「では田中さん、百倍のスカイツリーを見て下さい」


 期待を持って覗く田中。


「おぉ、すげぇスカイツリーの窓まで見える。でも、これで三百倍のあの望遠鏡でみたらどんな見え方すんだ」


「田中さん、ちなみにあんな重いものここまで運べませんからね」

 

 田中に念を押す葉華莉。


「冗談だよ、でもほんと葉華莉さんって望遠鏡の事詳しいよな」


「はい、そもそも宇宙の事が好きだし望遠鏡自体も思い入れがあって好きなんです」


 それはまるで望遠鏡に対する知的好奇心とは異なる意味合いがあるかの様な発言だった。


「ところで田中さん、次の課題です。今度は自力で半月のあの月を望遠鏡の真ん中に入れて見ましょう」


 そう言い、葉華莉は昼間の月を指差した。


「先ずは、全体を見えやすくする為にアイピースを40ミリに戻して倍率を再び下げます」


 田中は、ケースに入っていた40と書かれたアイピースを取り出しそれを10と交換する。


「交換した後は、大体でいいですから望遠鏡を月の方向に向けて下さい」


 田中は望遠鏡ごと動かし、この後ハンドルをぐいぐい回しながら月のある位置へと調節した。


「出来たよ、葉華莉さん」


「次に月を入れやすくする為に望遠鏡の上についている小さな望遠鏡、通称ファインダーと呼ばれているものですけど、それを覗いて見て」


「あれ、十字線が見えるな。なるほど、これで月を狙い撃ちする訳か」


 田中はスナイパーにでもなったかの様に笑みを浮かべる。


「その通りです。ですからその十字線の中心に月が来る様にハンドルで上手く調節して下さいな」


 田中は少し手馴れてきたのか、ものの数秒で済ませることが出来た。


「中心に入れたよ」


「飲み込み早いですね、それではいよいよ望遠鏡を覗いてみましょう」


 田中は高まる気持ちを抑えながら、自分の調節した望遠鏡をそっと覗いてみた。


「......見えない、全く見えない」


 田中の落胆は、人生最初の受験で合格者番号掲示に自分の番号が見当たらない位に大きなものだったと思う、多分。


「それは、ピントが少しズレているからですよ。近くの物から遠くのものを見たり、アイピースを変えたりするとピントがズレますから望遠鏡の筒の後ろの下についているタイヤの様なハンドルで前後に動かして調節するんです」


 葉華莉の説明後、暫くして


「駄目だ、やっぱり見えない」


 田中の落胆は底を突いた。


「そうですか、ちょっと私に見せて下さい」


 葉華莉がそう言い、望遠鏡を覗きこむ。


「何だ、ピントも合ってちゃんと入っていますよ。月は、右下の隅っこの方ですけれどね」


 田中が再度覗き込むと


「こ、これ?」


 そこには半月の尖った先端が僅かだけ見えていた。


「十字の真ん中に入れたら、こっちも真ん中に入るんじゃないの?」


「ファインダーの方の調整が少し甘かったのかもしれませんが、大抵ズレているものですよ。特に月もそうですが、星って地球が自転しているから常に動いて見えるじゃないですか」


「つまり、ファインダーに入れたら素早く見ないと駄目って事か」


「まぁ、数分位なら大丈夫ですけれど、地球の自転にそって動いてくれる電動式の赤道儀せきどうぎという物を使わないと星は待っててくれないんですよ」


 田中は原因を聞いて再び望遠鏡を覗き、今度は月を真ん中に入れようと試みる。


「なんだ、これ難しいぞ、ちっとハンドルを回すだけで大きくズレるし真ん中に入らない」


「慣れです、がんばりましょう田中さん」


 ここは甘えさせては駄目だと冷たくあしらう葉華莉。それから格闘する事10分後。


「やった、やっと入れられたぞ。見れくれよ、葉華莉さん」


 葉華莉が覗くと、その月は中心からやや、左にズレていた。


「これは、70点というところですね」


 田中の渾身の努力を遠慮なく、鬼の教官として判断を下す葉華莉だった。


「厳しいっす」


 流石に泣き言を言う田中。


「理由はですね、ここから倍率を上げていくと月の位置が更にズレて行ってしまうからです。今の状態だと、百倍にした時に月は半分以上外に外れて見えてしまいますよ」


「あんな大きな月を入れるのに、こんだけ時間がかかるのに点みたいな星を入れるとなると、どれだけ苦労するのか」


 腰を落として精も根も尽きる果てた哀れな田中であった。


「大丈夫です、私の下で修行を重ねればファインダーが無い百倍の倍率でも、二、三回調節するだけで星の一つや二つ軽く真ん中に入れられる様になりますから」


「師匠、お世話になります」


 田中はその身を上げで希望を持ち、葉華莉からの修行だけで今日の仕事? を終えた。 


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