第20話
気候はもう既に夏真っ盛りだった。
陽に照らされる物すべてがその原色を暑い日射に映えていた。
この蒸し暑い中、近藤は相変わらずスーツを着込んでいた。
恵比寿のオフィスの中で、近藤はノートPCに向かい、黙々と仕事に取り組んでいた。
三ツ葉信用調査の件は、その普段の仕事の合間にやることだった。この件は会社にとって大事だったが、それに割ける時間は殆どなかった。
近藤の思い描いた作戦は現れては消え、立ち上っては霧散した。
どうすれば本間と三ツ葉信用調査と紐付けられるか、片倉自身を証拠として法廷の場に出廷させられるか、そんなことばかり夢想していた。
近藤はついに行動に出た。
「種沢さん、今日は早上がりします」
「どうしました?」
「三ツ葉銀行銀座支店に行ってきます」
おお、ついに、と種沢は言った。
「やっぱり正攻法でいきますよ。こっちにはちゃんと弁護士もつけちゃいましたからね。フォーカスエンジン社の近藤と名乗ってきます」
種沢には近藤の言葉が意外だった。
近藤が以前に宣言した通り、法的にグレーゾーンを突いてくるか、クロの仕業を仕掛けるのかと覚悟していたので、この一言は種沢にとって、フォーカスエンジン社にとって不安材料が一つ減ったことになる。
近藤は三ツ葉銀行銀座支店に電話をかけた。
「はい。三ツ葉銀行銀座支店です」
「もしもし、フォーカスエンジンの近藤と申します。本間課長をお願いします」
「本間ですか。少々お待ちください」
近藤の受話器に保留音が二分ほど流れた。
「もしもし。支店長の笹沼です」
支店長? 近藤は一瞬躊躇した。
「フォーカスエンジンの近藤と申します。本間課長をお願いしたのですが」
「ええ。本間でしたら長期の休みを取っています」
長期の休み? どういうことだ?
「あの、弊社への融資の件でお電話したのですが」
「ああ、その件ですか。本間に変わりまして新任の担当をいま検討している最中です。新しい担当が決まりましたらこちらからご連絡いたします」
新任の担当? 本間は融資課から外されたのか?
「あの、できれば急ぎで本間課長と直接お話したいことがあるんですが」
「ええ。ですから新任が決まりましたらこちらからご連絡します」
「本間課長に何かあったんですか?」
「ええ。詳しいことは言えませんが、本間は退職いたしますので有給休暇を消化中なんです」
退職だと? そうはさせてなるものか。
「至急にお話したいことがありまして、何とか本間課長とご都合できませんでしょうか。日にちが経つにつれて金利も嵩みますし」
「ご融資の返済ということでしょうか」
「はい」
「それでしたらご安心ください。今日の時点での日割りの計算で算出いたしますので」
「金利以外にも本間課長にご相談に乗っていただきたいことがあるんですが、なんとか本間課長と連絡できませんでしょうか」
「大変恐縮ですが、本間は近いうち部外者になりますので、機密漏洩にも繋がりかねませんから、引き継ぎ後のことは新任の担当が決まってからとなります。ご了承願えませんでしょうか」
「どうしても本間課長と連絡がつかないと」
「申し訳ありません」
こうも笹沼が本間との面会を拒否するということは、それだけ本間がこの不審な融資の根源を掴み、この笹沼がその背後の事後処理に当たっている証左だ、と近藤は判断した。
「……あの、笹沼支店長……」
「なんでしょうか」
「単刀直入に申し上げますが、本間課長と笹沼支店長は三ツ葉信用調査と関わりがありますよね」
笹沼はそう言われても全くの平静を保っていた。
「その件ですか。その件も含めて新任の担当者からご説明にあがりますので、しばらくお時間いただけないでしょうか」
笹沼はあくまでも知らぬ存ぜぬを突き通す積もりだ。
「あの、その件に関しまして金融監督庁と相談しようかと思っておりまして、その最後の事実確認のために本間課長とお話したいのですが」
金融監督庁という言葉をついに近藤は使った。これは最後の切り札として持っておきたかったのだが、本間を引き摺り出すにはもう四の五の言ってられなかった。
「そうですか。そうなりますと話が前後してしまいますから、まだ金融監督庁へご連絡しないほうが得策かと」
要するに三ツ葉銀行銀座支店としては金融監督庁への対策がまだ決まっていないということか。それなら今こそチャンスだ。
「分かりました。こちらでも無理を押しつける積もりはございませんので、これで失礼させていただきます」
「ご理解ありがとうございます。それでは失礼します」
電話が切れる音がした。近藤は受話器を置いた。
これで本間と笹沼が三ツ葉信用調査と関わりがあることは容易に推察できた。
だが裁判へ持ち込むには証言だけではなく物証が欲しい。
その物証があるとすれば三ツ葉銀行銀座支店の内部しかない、と近藤は推察した。
近藤には三ツ葉銀行銀座支店の内部の人間との繋がりがない。
どうにかして本間と連絡をとり、籠絡するしかない。
何とか本間と接触せねば。
「種沢さん、今日はもうあがります」
種沢は虚を突かれた。
「何か分かったんですか。三ツ葉信用調査のことで」
「残念ながら、今のままでは物証が手に入らない、ということが分かりました」
「……なんですかそれ」
「本間さんは三ツ葉銀行を辞めるそうです」
「え! となると……」
「本間さんは単なる使い捨ての駒にされたんですよ。本間さんは退職前の有給休暇をとっているそうです。これから本間さんを追います」
「追いますって、どうやって?」
「本間さんの自宅を直撃してきます」
「それで本当に本間さんと連絡がとれるんでしょうか?」
「種は既に蒔いてあります。これから収穫です」
「?」
「とにかく、これから本間さんの自宅へ行ってみます。ことが進み次第、報告しますので今日はこれで」
そう言うと近藤はノートPCを鞄に入れて本間の自宅へと向かった。
JR山手線恵比寿駅から埼京線で赤羽駅へ出た。そこで京浜東北線へ乗り換えて蕨まで来た。フォーカスエンジン社から結局一時間ちょっとかかった。
近藤は本間の自宅前まで来た。
まずはパケットキャプチャを回収し、本間宅からのネットでの通信記録を走査していった。本間宅のWiFiルータは製品出荷時のままのパスワードが使われており、近藤が持参したノートPCでネットを漁るだけで簡単に通信内容が傍受できた。
それによると、明日から本間一家は沖縄旅行へ旅立つのが分かった。
近藤は間一髪でその前に本間を掴まえられたのだ。
近藤が本間宅のチャイムを鳴らした。
すぐに本間の妻の応答があった。
「はい」
「すいません。フォーカスエンジンの近藤と申します。ご主人をお願いできませんか」
「少々お待ち下さい」
それから三分近く経って本間の妻が玄関先に現れた。
「申し訳ありません、いま主人は外に出ておりまして……」
「そうですか。急ぎで仕事の要件でご主人に報告しなければならないことがあるんですが」
「……そう申されましても……」
「明日から沖縄旅行ですよね? 今日中にご報告しないと何かとトラブルの元になるんですが」
沖縄旅行と聞いて本間の妻の顔色が変わった。どうもその件を誰にも口外していないのだろう。なのに急に訪れた人間がそのことを知っているのに驚いたのだ。
本間の妻は慌てて「ちょっとお待ち下さい」と言って家の中に引き返した。
今度は五分近く待たされた。
玄関先に本間の妻が現れ、「どうぞ中へ」と近藤を玄関に通した。
近藤はリビングへと案内された。
二〇平米はありそうなリビングは本間の妻の趣味と思われる簡素な造りになっていた。
物らしい物は徹底的に排除され、大きめのソファとローテーブル、五〇インチのテレビがあるだけだった。
そのソファにTシャツ短パン姿の中年男がふんぞり返っている。本間だ。
本間は渋谷のルノアールで見せた社会人の顔ではなく柔和な家庭人の顔をしていた。
が、スーツ姿の近藤を見付けると急にその容貌が変化した。頭の中が社会人としてのものに切り替わったのだ。
「まあどうぞ。そちらへ」
本間は近藤をソファに座らせた。同時に本間の妻が一杯の麦茶をローテーブルに置いた。
「フォーカスエンジンさんがどうして私の自宅にまで?」
本間はまだ近藤に探られていたことに気付いていないようだった。しかし、近藤が来たことでそれを悟った。本間はどこで失敗したのか、近藤に探りを入れたかったが急に言葉が思いつかなかった。
「本間さん、もう腹割って話ましょうよ」
近藤はそう言うと麦茶を一口つけた。
「単刀直入に言っていただきたい。何のご用ですか」
「三ツ葉信用調査のことです」
本間の顔が厳しくなった。
「本間さん、三ツ葉信用調査は社長の片倉さん一人のペーパーカンパニーのトンネル会社ですよね? 事実上、本間さんが取り仕切っていましたよね」
本間は無言だった。
「で、弊社が騒ぎ出したのでトカゲの尻尾切りにあったんですよね。違いますか?」
本間は表情を崩さずに応えた。
「トカゲの尻尾切りなんかじゃないですよ。私が三ツ葉銀行を辞めるのは単なる転職です。他にいい口のお誘いがあったのでそちらにお世話になろう、というだけです」
近藤は怯まなかった。
「それではなぜ片倉さんが突然失踪したんでしょう? そのタイミングで三ツ葉信用調査が解散し、本間さんも銀行を退職なさる。これはあまりにもできすぎですよね」
本間はまた黙った。
「本間さん、黙っててもいずれ三ツ葉信用調査が何をやってきたのか明るみになるんですよ。今からその時に備えて白状するところは白状した方が本間さんの身のためですよ」
「私から言えることは何もない」
「言えることがないんじゃなくて言えば報復されるから言いたくないんですよね。違いますか?」
「……」
「本間さん、これだけ教えてください。今、片倉さんはどこにいます? うちでも探してるんですよ。いずれ片倉さんは見付かります。そのとき本間さんがやってきたことは明白になります。まあ、こんないい家に住んでいられなくなるかも知れませんけどね」
「脅迫か。何が欲しい?」
「脅迫なんかじゃありません。過去の事実を正直に教えていただければ、片倉さんとの関係や現在の居所を教えていただくだけで結構です」
本間は片方の頬を上げた。本間は近藤が三ツ葉信用調査の実体を知らないと踏んだのだ。
「話がよく見えませんねえ。さっきから出てくる片倉さん? その方を存じてないのですが」
近藤は引き下がらなかった。
「そう出ますか。ですが証拠はあるんですよ」
「証拠?」
本間はたじろいだ風を見せず、ただ不思議がった。近藤は本間へ片倉のスマホの通信記録を録画した映像を見せた。
「これが? これが証拠?」
「そうです」
本間はにやけた。
「これが証拠になるんですか? 確かに『本間』という名前がありますが、それが私と同一人物であると? 同姓の別人では?」
近藤はこの本間のシラの切り方に怒りを感じた。
「そう思われるならそれで結構です。これでも片倉さんとの関係を否定されるなら、出るところへ出ても同じことが言えますか?」
「そりゃそうでしょう。本間なんてありふれた名前ですからねえ」
「そうですか。分かりました。あくまでシラを切り通すならそれなりの覚悟と証拠を用意しておいて下さい」
「なんのことかさっぱり分かりませんが、ご自由にどうぞ」
「次は法廷でお会いしましょう」
本間は少し間を置いてから言った。
「そうはならないと思いますがねえ……」
近藤はその言葉に何かしらの余裕を汲み取り、苛つきを感じた。
「それでは今日はこれで失礼します」
「どうも」
近藤は本間の自宅から蕨駅までの途中、フォーカスエンジン社へ報告の電話を入れた。
「もしもし。近藤です」
「お疲れ様です。岡谷です」
「いま本間さんの家を出たところです」
「何か収穫はありましたか?」
「それがまったく。本間さん、あくまでも三ツ葉信用調査とも片倉さんとの関係も否定してきました」
「そうですか……しかし、その自信はどこからくるんでしょうね」
「それはまだ不明ですね。直接会ってもヒントになるようなことは漏らしていませんでした。しかし……」
「しかし、何ですか?」
「次は法廷でお会いしましょう、と言ったら、そうはならないんじゃないか、と言ってました」
「近藤さんもずいぶん大胆なこと、仰いますね」
「ええ。こっちも一五〇〇万円がかかってますから。それに弁護士もついてますし」
「こちらから近藤さんへ連絡事項、一つあります」
「なんでしょう」
「アイゼル興信所から連絡がありまして、片倉さんの行方の途中経過の報告をしたい、と」
「なるほど」
「種沢さんと私と近藤とで、今日、午後三時丁度にアイゼル興信所へ行きませんか」
「了解!」
それから岡谷と近藤はちょっとした仕事の打ち合わせをして電話を切った。
近藤は蕨駅から新宿に出て、ちょっと遅めの昼飯を定食屋「やんばる」で摂った。「やんばる」は沖縄料理の店だ。明日からは本間一家が沖縄旅行へ出るのに合わせたわけではなかったが、自然と足が向いたのだ。
本間め、いまに法廷でお前の悪事を曝け出してやる。
その本間の思いは正義感からのものより、一社会人として本間ごときに負けたまるか、という思いの方が強かった。
近藤は新宿の猥雑な街並みを散策して時間を潰し、丁度良い頃合いを見計らってアイゼル興信所へと足を向けた。
午後二時五三分、種沢と岡谷は既にアイゼル興信所に着いており、近藤と担当者を待っていた。
またも四畳半ほどのパーテーションの中で三人が雁首揃えて待っていると、担当の野田が入室した。
「大変お待たせしました。今日は捜査の中間報告と今後の捜査についてのご相談になります」
種沢が口火を切った。
「中間報告ということは、まだ片倉さんが見付かっていないと?」
野田は営業スマイルで応えた。
「先に結論から申し上げますね。片倉さんは今週の月曜日、片道切符でマニラへ渡航しました」
海外!? 三人が間抜けにも同時に息を吞んだ。
「ですから、これ以上の捜索となりますと、お時間と費用が最初の契約以上のものとなりますので、これからも片倉様を追跡するかどうかのご相談にあがりたかったのです」
「……マニラかあ……こりゃ無理だなあ……」
近藤がそう呟くと、種沢と岡谷は溜息を吐いた。近藤が種沢と岡谷の二人に小さな声で囁いた。
「こりゃ誰かの手引きがあってのことじゃないとできませんよ。それにしてもフィリピンのマニラとは分が悪い。マニラの中での捜査は事実上不可能ですし、もっと田舎の方にでも行かれたら、そりゃ消息不明になっちゃいますからね……」
野田が近藤の言葉の句切りで口を挟んだ。
「それでは片倉様がマニアラへ向かうまでの状況報告をさせていただきます」
野田はA4サイズのコピー用紙に書かれた報告書をテーブルの上に広げた。
捜索開始日から始まり、一枚の紙が一日の報告書になっていた。捜索開始から三日後には片倉の潜伏先が判明していた。片倉は西新宿のビジネスホテルを毎日転々としていたことが分かった。灯台もと暗し。そういったことが本当にあるのかと種沢・岡谷・近藤の三人は呆れた。
探偵がホテルで片倉を発見したその日、片倉はそのビジネスホテルから一切外出せず、一日中引き籠もった生活をしていた。
そしてチェックアウトの前日の夜、ホテルのフロントへ片倉宛の封書が届く。送り元は不明。おそらくマニラ行きの航空券だったのだろう。
その翌日、片倉はその足で成田空港へ行き、マニラへの直行便、SKY SUITE 787のエコノミーシートで日本を後にしていた。
そこで報告書は終わっていた。
野田は三人に向かって言った。
「当所での調査は現状ではここまでとなります。もしこれ以上の捜索をご希望できたら、当所を通して現地の興信所での捜索となります。いかがしますか?」
種沢と岡谷は黙り込んでしまった。近藤だけが前を向いて野田に質問した。
「……そのマニラでの捜索ですが、お見積もりはできますか?」
「そうですね。現地は日本より物価が安いとはいえ、当社を通しての捜索となりますし、現地でいつ片倉様が見付かるかも予想できませんので、相当な金額になるかと予想されます。現状ではなんとも申し上げられません」
そりゃそうだ、と近藤は思った。
それにしてもこの片倉の逃走劇を策謀したやつはやはり相当なものだと近藤は感心した。現地マニラでは日本人観光客も多い。それに潜伏先も多い。それを日本から調査するのは事実上不可能だ。日本からの追っ手を振り払うならフィリピンのマニラかタイのバンコクだと相場は決まっているのを近藤は知っていた。
しかし、それは片倉が三ツ葉銀行銀座支店にとって重要人物であり三ツ葉信用調査の奥深くにまでに片倉が食い込んでいる証拠でもあった。片倉は三ツ葉銀行銀座支店にとって目の上のたんこぶなのだ。切り取るには大きすぎるし、かといって放っておくわけにもいかない。おそらく片倉は三ツ葉銀行銀座支店の金で数年間はフィリピン国内を転々とするのだろう。それを逐一追っていくのは現実的に不可能だ。つまり、近藤の胸中では結論は出ていた。
が、種沢は違っていた。
「つまり、現段階では捜査が不可能の線が濃い、と」
野田は相変わらず営業スマイルだった。
「申し訳ありません。当社でできることはここまでです」
「その僅かでも可能性はないんでしょうか」
「可能か不可能かと言われますと、不可能ではないんですが、時間と費用が相当に嵩むと見込まれます」
「いくらですか? 一〇〇万までは出します」
近藤と岡谷は驚いた。まさか種沢の正義感が経営者としての銭勘定を超えたものになるとは思っていなかったのだ。
「一〇〇万円までのご予算で捜索依頼、ということでよろしいでしょうか?」
野田の顔色も少々の困惑していた。
「ええ。それでお願いします」
「ちょっと待った」
岡谷が種沢を制した。
「よく考えてみろ。それだけのコストをかけても片倉さんが見付かる確率は低いんだぞ。それに見付けたとしても片倉さんを日本へ呼び戻して、うちにとっていいように証言や証拠を提示するとは限らないじゃないか。片倉さんは飛んだんだ。誰が裏で糸を引いているか知らんが、それなりに好条件を出したのは間違いない。これ以上の捜索は現実的じゃない。もう片倉さんのことは諦めるんだ」
種沢は真っ直ぐに岡谷を見た。種沢は自分の正義感だけで発言してしまったことを詫びている目線だった。
「今の今で恐縮ですが、片倉さんの捜索はこれまででお願いします……」
種沢が野田にそう言うと、岡谷も一安心したのか、種沢への苛立ちが収まったのか、軽く息を吐いた。それを確認するように野田は三人の顔を見て、全員が同意しているのを確認した。
「それでは捜査資料一式をお渡しいたします。後日請求書をお送りいたしますので、当社への振り込みをお願いいたします」
資料は岡谷が受け取った。
三人は野田に見送られてアイゼル興信所を後にした。
三人は恵比寿の社に戻り、小会議室で今後の作戦を練った。
「片倉さんの線もなし、本間さんは噓を吐き通す、証拠は映像のみで物証なし。さあ、次はどうする?」
岡谷は他人事のように種沢と近藤に言った。
「なんとか映像資料だけで告発できないか高槻先生に相談してみないか」
種沢が応えた。
「それでは証拠として弱い、と言ってたじゃないか」
「しかし、それしか手元の資料がない」
「だったらどうやって次の証拠を手に入れられるんだ?」
三人は黙ってしまった。
以降、三人の話は堂々巡りを繰り返し、最終的な結論は出なかった。
「証拠は次々に消されているんだ。次は何が消されるんだ」
岡谷がそう言うと近藤は自分を指さしていった。
「おれか、おれの持っている動画だな」
三人はまた押し黙ってしまった。
それを潮に三人のミーティングは終わった。
時刻は午後六時三七分。もう定時を過ぎていた。
社員たちはみな「残業禁止」を守り、社内には種沢・岡谷・近藤しかいなかった。
「近藤さん、敵がどんな手を打ってくるか分かりませんから、充分に注意して下さい」
種沢は珍しく弱音を吐いた
「分かってますよ。電車に乗るときはホームの端ではなく中央に立つようにしますから」
「それじゃあ、今日はこの辺で」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
三人は徒労感に襲われながら家路に就いた。
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