第21話
翌日は何事もなかったようにフォーカスエンジン社は定時の午前一〇時に始業した。
近藤の頭の片隅には三ツ葉信用調査の件がこびりついていたが、ポーカーフェイスで日常業務をこなしていった。
種沢も岡谷も同様だった。
「種沢さん、三ツ葉銀行さんからお電話です」
ある社員がそう言って電話を種沢に回した。種沢は来るべきものが来た、と身構えた。
「もしもし、種沢です」
「ああ、どうも。三ツ葉銀行銀座支店の融資課課長の長田と申します」
「お世話になります」
「お世話になります。先任の本間が大変お世話になりました。急で申し訳ありませんが、今日の午後三時にご挨拶がてら、御社の融資についてご報告とご相談にあがりたいのですが、ご都合よろしいでしょうか」
種沢はスケジュールを確認してから「大丈夫ですよ」と応えた。
「で、どんなご用件でしょうか」
「いや、電話口でお話するような内容ではございませんので、直接お話をさせていただけばと思いまして」
「分かりました。それではお待ちしております」
「どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします」
そこで電話を切った。
種沢はさっそく岡谷と近藤に長田の来社の件を伝えた。近藤は事務職だからすぐに「同席します」と返事をした。岡谷は「その時間は会議と被ってるけど、三ツ葉銀行の件ともなればリスケするよ」
と応えた。
その午後三時まではあっという間だった。
午後三時二分、長田はフォーカスエンジン社に現れた。
長田は中年男で肥満気味で汗みどろだった。その汗は夏の暑気だけがそうさせただけでなく、緊張と疲労によるものだった。
近藤が出迎え、大会議室に長田を招いて種沢・岡谷を呼んだ。
まずは四人で名刺交換をし着席した。
「いやあ、先任の本間が大変ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
長田の態度は平身低頭そのものだった。
近藤は長田が、三ツ葉銀行銀座支店がどんな手を打ってくるか、身構えた。
「今日は御社への融資の件でご報告とご相談にあがりました」
それは分かっている。早く手の内を見せろ、と近藤は思った。
「結論から申し上げますと、先の融資の契約は一旦全額返済いただいて、改めて同額の融資をいたしますので、そのご了承をいただきたく参りました」
岡谷が質問した。
「一旦全額返済というのはどういう意味ですか?」
「ええ、御社の場合一五〇〇万円の融資をさせていただいておりますが、一度当行へその全額を納めていただいて、新たな融資の契約で同額の融資をお願いしたいのです」
近藤が噛み付いた。
「ようするに、今すぐ一五〇〇万円を今すぐ用意しろと?」
長田の汗はその顔面に吹き出した。
「簡単に言うとそうなります」
即金で一五〇〇万。そんな金はフォーカスエンジン社にはない。近藤が言った。
「それは無理ですよ。うちみたいなベンチャーがすぐ用意できる金額ではありません。用意できないから銀行さんから融資を受けているんです。その辺のご事情はご理解いただきたいのですが」
長田は汗をハンカチで拭きながら言った。
「ええ。飛んでもない無理を言っているのは承知しております。なので今お支払いいただける額だけで結構ですので、ご入金の方をお願いします」
種沢・岡谷・近藤は頷いた。
「で、その千五百万円に達しない分はどうなるんですか」
長田は早口に言った。
「残りは当行への借り入れ、ということで、その借り入れの返済が終わりましたら再度一五〇〇万円の融資ということで皆様にお願いして回っているところです」
要するに借り入れ、借金をしろということか、と種沢は思った。
「長田さん、それはあんまりにも虫が良すぎるんじゃないですか。そもそも金がないから融資を受けてるんです。それを一旦とはいえ全額すぐに用意しろ、というのは無理だし無茶だ」
長田はテーブルに両手をついて頭を下げた。
「誠に申し訳ありません。ですが当行でも他社様にも同じお願いをしておりまして、当行の方針に沿った方法を提案させていただいている限りです。お怒りはごもっともですが、どうか、どうか、よろしくお願いいたします!」
長田の言葉は絶叫に近かった。が、ここはビジネスマンの世界・金の世界の話だ。どんなに熱心に頭を下げられても銭勘定の損得の話で話を進めるのが本来の姿だ。三ツ葉銀行ともあろうものが、こういった長田のようなやり方で融資される側に不利な方法を提案するのは間違っている。その共通認識を三人は持っていた。その思いを代表するように種沢が言った。
「長田さん、あなたの熱意は分かりましたが、弊社には即金で千五百万円を用意できません。それに新たに借り入れで補填するという方法は弊社としても受け入れられません。その金利分も弊社の負担になりますよね? それにいつ完済するかも目途がつきません。その間の資金繰りはどうしろとおっしゃるんですか? 今回の三ツ葉信用調査に関する件は、非常に言い辛いですが、三ツ葉銀行さんに非があります。その尻拭いは三ツ葉銀行さんがするべきです。申し訳ありませんが、長田さんの申し入れを受け入れることはできません」
長田はまだ頭を下げたままだった。
「本当に申し訳ありません! どうかご検討願えませんでしょうか」
近藤の目は怒っていた。種沢と岡谷は呆れていた。
これがお金屋・銀行のやり方なのか? 社会人経験の少ない種沢と岡谷にもこの長田の提案には違和感を覚えた。近藤には悪事を働いたのは本間や極少数の人間であろうとは予想できていたが、体面的には三ツ葉銀行銀座支店がやったことだ。そのツケを顧客に支払わせるのは間違っている。そう判断した。
ちょっとした沈黙があった後、近藤は種沢と岡谷を見た。二人もこの長田の提案には反対だというアイコンタクトをした。
近藤は長田に言った。
「御社のご提案に不服があります。つきましては弊社から弁護士を通して今後の方針についてお話させていただきますので、しばらくの猶予をお願いします」
長田はまだ頭を下げたままだった。
「訴訟と言うことでしょうか」
「場合によっては、です。示談の用意がないわけではありません」
長田は弱気な声で言った。
「なんとかそこを納めていただけないでしょうか……」
「それも含め、弁護士と相談の上で結果を出しますのでお時間ください」
「もしマスコミに露見しますと、当行としても傷手なのですが……」
「その傷手を作ったのは三ツ葉銀行さんの責任です。ちゃんとした銀行ならちゃんとした仕事をお願いします」
「ではこの件は一旦ペンディングということで……」
「いや、弁護士とは話を進めます。追って結論をご連絡します」
「……そうですか……」
「ではしばらくお時間下さい」
その一言で長田との面会は終わった。
長田を見送った後、三人は協議の上、高槻弁護士に連絡をとり、ことの次第を報告して次の月曜日に対三ツ葉銀行への対策を練るアポをとった。
無論、長田との会話は録音済みだ。これを聞けば、誰であれ三ツ葉銀行が顧客に不利な要求を突きつけてきたのが明白になる。
いよいよ銀行相手にドンパチが始まる。
種沢も岡谷も、近藤も腹は括った。
あとは戦うのみだった。
午後五時三十二分、フォーカスエンジン社へ浦沢から種沢へ電話が来た。
「もしもし、種沢です」
「あー、オーウェンシーズの浦沢です」
「お世話になります」
「お世話になります。聞きましたよ。三ツ葉銀行さんとのこと」
「何の話ですか」
「融資の借り換えの件ですよ」
なぜ浦沢がそのことをもう知っているんだ? 種沢はその疑問を持ったがそれを浦沢に問い質すのは愚問に思えた。
「ええ。三ツ葉銀行さんの申し出は蹴りました」
「いやあ、勇気ありますねえ」
「勇気じゃありません。ビジネスの問題です」
「まあまあ、そういうお怒りはごもっとも。それについて今夜、ちょっとうちの会社に遊びに来ませんか?」
遊びに行く? 意味が分からない。
「浦沢さん、三ツ葉銀行とはよほど仲が良いようですね」
「ええ。まあ。銀行さんにはお世話になってますから。もしかしたら弊社もフォーカスエンジンさんのお力になれることがあるかとも思いまして」
渡りに船か? しかし浦沢がそんなことをするようには思えない。しかし罠を張っているとも思えない。
「そうですか。じゃあ、岡谷と近藤も一緒に行きますので」
「ええ。お待ちしております。じゃあ、失礼します」
「失礼します」
種沢は嫌な予感がした。
その予感はただ情報が出回るのが早すぎるためだけではなく、浦沢の術中が見えないからであった。
種沢は岡谷と近藤に今夜の浦沢との面会の件を告げ、二人と同行する約束をした。
定時の六時になった。
三人は揃ってJR恵比寿駅から東新宿のオーウェンシーズ社へ向かった。
広いロビー。広いオフィス。広いだけではなくちゃんとデザインされた瀟洒な会社だった。残業している社員が五六名ほどいるだけで、社内は閑散としていた。
「まあ、ようこそ。こちらへどうぞ」
浦沢直々にエントランスに出てきた。
三人は会議室に通された。これから何が始まるのか、不安がなくもなかったが、その不安を払拭するほどの図々しさも三人は持ち合わせていた。この三人であれば何が来ても太刀打ちできる。種沢はそう思っていた。
「いやあ、業界の噂話は早いですねえ」
種沢は浦沢に言った。
「そうですねえ。まさかフォーカスエンジンさんが銀行相手に立ち回りをするとは思っていませんでしたよ」
近藤が言った。
「正直に言うと、今回の件は想定外でした。なんせ相手は銀行さんですからね。全幅の信頼をよせていましたから。うちとしても驚きですよ」
浦沢は身を乗り出して三人に訊いた。
「で、どうするんです? これから」
種沢が正直に応えた。
「これから弁護士と相談して対応を決めます」
浦沢は悪い笑顔になった。
「弁護士って、高槻先生ですか」
「ええそうです。紹介していただいて良かったです」
浦沢は声に出して笑った。
「そうですか。お役に立てて何よりです」
「そう言えばオーウェンシーズさんは今後も三ツ葉銀行さんと取引を続けると?」
「ええ。そうしました」
「しかし、浦沢さんが以前仰ってた三ツ葉銀行の悪い噂はどこから出たんでしょうね」
「それが分からなかったからメインバンクを替えるのをやめたんです。それに……」
「それに?」
「三ツ葉銀行と強いコネクションを持っている人材がうちに入社しまして」
三人はキョトンとした。
「ぜひ紹介したいので、ちょっとお待ちいただけますか」
そういうと浦沢は一旦席を外した。浦沢は一分もしないで戻ってきた。
浦沢の他にもう一人、スーツの男がいた。
「紹介しますよ。元三ツ葉銀行銀座支店の本間伸征さんです」
本間がそこにいた。三人は声にならない驚きを隠せなかった。
「元三ツ葉銀行の本間伸征です。その節は大変お世話になりました。これからもよろしくお願いします」
本間は深々と一礼し、着席した。
「種沢さんとお会いするのは初めてじゃなかったですね」
ええ、と種沢が嘆息気味に応えた。
「それと近藤さん、あなたも初めてではなかったですよね」
近藤はきつい口調で「はい」と応えた。
本間は悠々と語り始めた。
「なんでもフォーカスエンジンさんは三ツ葉銀行の申し入れを断って、もしかしたら訴訟する構えのようなんですってね。よろしくないですねえ。銀行を敵に回すのはよろしくないですねえ。相手は海千山千の相手をしてきたお金屋ですよ。これからなかなか難しいことになると思いますよ。まあ、近々私がお役に立てることもあるかも知れませんが、かなり難しいですよ」
浦沢は笑顔で言った。
「まあ、そう言うわけですから、何かあれば私と本間とで顧問みたいなことはできますよ。あ、もちろん顧問料はいただきますが」
近藤が刺すようにいった。
「その自信はどこに根拠があるんですか」
本間が応えた。
「私も三ツ葉銀行には長くいましたから、大体の銀行のやり方は心得てる積もりです。それに裏の裏まで知ってますから」
本間は裏帳簿のファイルを三人に見せた。
三人はそのファイルが何であるか知らなかったが、本間が渦中の人物であり、そのファイルが鍵となっていることは察した。
「まあ、当面は何事もないでしょうが、何かお困りのことがあればいつでもご相談ください。私と本間とでできるだけのサポートはさせていただきますから」
浦沢は得意満面だった。
事実としてオーウェンシーズ社に本間が籍を移した。「何かあれば相談下さい」という言葉に噓はないだろう。
この二人を、本当に信頼していいものかどうか、三人は思案したが即その答えは出てこなかった。
この浦沢と本間は敵なのか、味方なのか、三人には判断がつかなかった。
「敵は味方に引き入れて自分の配下にするか、復讐する気が起きないほど完膚なきまでに叩き潰すか」――この近藤の行動原理が浦沢と本間に対してどちらにするべきか、近藤は考えた。
浦沢と本間は得意満面の笑みで三人を見下ろしていた。
その視線は完膚なきまでに叩き潰した敵に対するもの、そのものであった。
四方詐謀 @wlm6223
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