第18話

 月曜日、フォーカスエンジン社は引っ越し以来初の本格稼働を始めていた。全社員五三名が出勤していた。

 これは経営者の単純な思惑でそうしたのではなく、システム面でのエラーなり不具合を出すためのテスト稼働の意味であった。

 当初は予想通り、まごつく場面や応急処置が多発し、神林と幸田はその対応に追われていた。

 だが致命的な不具合はなかった。

 この二人のドタバタは定時を超しても続いていった。

 種沢が「残業禁止!」と二人に言ったが「このまま明日に対応を遅らせると、却って時間がかかりますよ」とか「今だから応急処置ができるんじゃないですか! 何言ってんすか!」と逆に怒られてしまった。

 近藤は黙々と仕事をこなし、定時で退勤した。

 こういう近藤のような「普段は何をしているか分からないが、彼の周りには問題が起きない」社員は実は優秀なのだ。近藤は問題の種を素早く摘み取り、問題の発生以前にその対処をしているのだ。そして仕事が早い。近藤は優秀だからこそ毎日定時出社、定時退社できているのだ。

 その近藤とは裏腹に、神林と幸田は学園祭前日の高校生のようにあちこちに指示を出し、自分たちでもトラブルの対応をして社内をグルグルと回っていた。

 そんなことをやっているうちに木曜日が来た。

 種沢と岡谷と近藤はその日の午前八時五〇分、JR神田駅の東口にいた。

 種沢と岡谷は相変わらずスーツが肌に合わず、服を着ているというより服に着せられていた。

 九時丁度に片倉と待ち合わせていたので、ちょっと片倉が遅れているかと思っていた。

 が、九時五分になっても片倉は現れなかった。

「ちょっと片倉さんに電話してみます」

 と、近藤がスマホを手にした。

 その近藤の顔色が急に変わった。

「近藤さん、どうかしました?」

 種沢が近藤にそう訊いた。

「この番号は現在使われておりません、て言ってきました」

 種沢はこの期に及んで片倉が電話番号を変えたと思ったが、岡谷はそれとは別の心配をした。

「近藤さん、ひょっとして片倉さん、逃亡したんじゃないでしょうか」

「あり得ないことじゃないな」

「念のためもうちょっと待ってみますか?」

「いや。種沢さん、高槻先生のところへ一報お願いします」

「分かりました」

 種沢が高槻法律事務所へ電話した。

「もしもし、フォーカスエンジンの種沢です。実は片倉さんが待ち合わせ時間に遅れてまして、電話しても出ないんです……はあ、なんでしょうか……ええ……はい!?」

 種沢の声のトーンが上がった。

「……分かりました。至急三人でそちらに向かいます」

 種沢が電話を切ると、二人に告げた。

「三ツ葉信用調査が会社を解散したそうだ」

「解散!?」

 岡谷は驚きを隠さなかった。が、近藤は苛立った。

「しまったな。先を越されたか」

「近藤さん、どういう意味ですか」

「どうもこうもないですよ。トカゲの尻尾切りですよ。とにかく現状を正しく知るために高槻先生のところへ急ぎましょう」

 その一言で三人は急ぎ足で高槻法律事務所へ向かった。

 三人は挨拶も早々に応接ソファに座らされ、対面には高槻弁護士一人が応対した。この部屋は相変わらず物だらけで狭い。特に一つのソファに種沢、岡谷、近藤が座らされると、余計に窮屈に感じた。

 二度目となる高槻弁護士との打ち合わせで、切っ先を切ったのは高槻弁護士からだった。

「やられましたね。先手を打たれたようです」

 種沢が前のめりになった。

「詳しく状況を教えていただけませんか」

 高槻が膝の上に肘を置き、両手を組んで話し出した。

「今週火曜日に三ツ葉信用調査の登記を調べに法務局へ行ったんですが、その前日に社長の片倉さん本人が会社の解散処理をしたそうなんです。倒産ではありません。会社の解散です。負債はありません。そこそこの利益があったらしいので、金が原因で解散したのではないでしょう」

 それからどうなりました、と近藤が話を促した。

「私もさすがにタイミングが良すぎると思いまして、先日教えていただいた片倉さんのご自宅まで行ってみたんですよ。驚きました。社長業なのに貧相なアパートでした。で、何度もチャイムを鳴らしたんですけど不在でした。隣の部屋の方に聞いたんですが、月曜日までは片倉さんの姿はあったようなんですが、それ以降、片倉さんは家を空けているとのことなんです。私の方から片倉さんへお電話するのもなんでしたし、もしかしたらフォーカスエンジンさんの方で保護されているのかと思いました」

 民間では身柄の保護はできないが、どこかのホテルに缶詰にすることぐらいはできた。近藤は今さらながら失敗した、と思った。

「でして、今日になってひょっこり片倉さんが姿を現すと思い込んでいました。これは何かしらの理由で失踪したのではないでしょうか。フォーカスエンジンさんの方では何か情報を掴んでいませんか?」

 いや、それがまったく、と種沢が応えた。

「そうでしたか。状況証拠的にはやはり三ツ葉信用調査はクロですね。ですがやはり裁判ともなると証拠が必要です。これは前もお話しましたが、何か新しい物証があったかと」

 近藤がスマホで撮影した片倉の電話帳や通話記録の動画を見せた。

「いやあ、撮影記録ですか。実際にそのスマホがあれば話は違ってくるんですが、撮影した記録となると、証拠としてはまだ詰めが甘いものになってしまうんですよねえ……」

 種沢の直情的な性格が声になって出た。

「片倉さんが失踪するなら、理由は三ツ葉信用調査以外に何があるんですか! 今からでも三ツ葉銀行の本間さんに話をつけに行きましょうか!」

 岡谷と近藤が待て待て、と種沢を宥めた。

 岡谷が種沢の肩をさすりながら

「もし本当に片倉さんが失踪していて、その原因の一つに本間さんが加担しているなら、本間さんも口を割らないだろうしアリバイだって作ってるだろ。相手は銀行屋だ。それぐらいの計算は既にしてるはずだ。とにかく落ち着け。急いてはことをし損じる、だ」

 近藤が提案した。

「片倉さんの捜索願を警察に出しましょうか」

 それは高槻弁護士が反対した。

「今の段階では片倉社長――元社長ですが、片倉さんと連絡が取れていない、というだけの状態です。それにまだ事件性があると決まったわけではありません。警察に通報しても今の状況証拠だけでは動いてもらえないでしょう」

 種沢、岡谷、近藤の三人は高槻弁護士の言葉に首肯した。

 近藤が高槻弁護士に訊いた。

「三ツ葉信用調査が解散したわけですから、弊社の三ツ葉信用調査に対する支払い契約はどうなるのでしょうか?」

 高槻弁護士は即答した。

「融資自体は存続していますから三ツ葉信用調査を通した額が減免されることはないでしょう。しかし、三ツ葉銀行さんもこれから三ツ葉信用調査さんを通すと契約した金額、どうするんでしょうね。追って何かしらの連絡が三ツ葉銀行から来ると思われますが、今はまだ来ていませんか?」

 近藤が、ええ、来ていませんと返事をした。

「そうですか……三ツ葉銀行さんの内情は知りませんが、この三ツ葉信用調査の解散は、三ツ葉銀行さんにとってもアクシデントだったのではないでしょうか。いや、銀行さんが金のことで連絡が遅くなるということは一般的にあり得ないことなんですが……」

 種沢が言葉を継いだ。

「そのあり得ないことが起こっているんです。片倉さんの身の上は大丈夫でしょうか? いや、余計なお世話かも知れませんが、知った顔が失踪するなんていうのは初めてのことでして、こういった場合、どうするのがベストなのか判断がつかないんです……」

 高槻弁護士が三人に言った。

「皆さん、こういうのはどうでしょう。まず私から三ツ葉銀行の本間さんへお電話して、三ツ葉信用調査の解散の確認をします。その際、片倉さんの現在の所在を聞き出してみます。やり方として融資された金の振込先が消滅してしまったので、その契約を履行できなくなってしまった。そのため再度契約の見直しをするのに三ツ葉信用調査の人間と直接話しをしたい、とでも言っておきます。もしそれができないのであれば、直接皆さんが今から本間さんへ契約の内容を確認しに行く、というのでどうでしょうか」

 三人は高槻弁護士の案に賛成した。こんな場面では近藤に何か打開案を求めるのが常であったが、その時に関しては近藤も案を出さなかった。実際のところ、近藤にも腹案が浮かばなかったのである。近藤はあくまでSE経験のある経理である。近藤の知っている法律の範疇外のことなので口を挟む余地がなかったのである。

「それでは」と高槻弁護士が執務デスクの電話から三ツ葉銀行銀座支店へと電話をかけた。

 会話の内容が三人にも聞こえるよう、スピーカをオンにした。

 呼び出し音が二回鳴って相手が出た。

「はい。三ツ葉銀行銀座支店の原田です」

「もしもし、高槻法律事務所の弁護士の高槻と申します。融資課の本間課長をお願いします」

「本間ですね。少々お待ち下さい」

 待ち受け音が鳴って一分が過ぎた頃、応答があった。

「はい、融資課の本間です」

「高槻法律事務所の弁護士の高槻と申します」

「お世話になります」

「お世話になります。私、株式会社フォーカスエンジン様の代理人に任命されまして」

「はい」

「融資されました際の契約について確認をとらせていただきたいのですが」

「はい。どうぞ」

「一五〇〇万円の融資のうちの五〇〇円を三ツ葉信用調査社を通して返済するという契約になっていますが」

「ええ。そうです」

「その三ツ葉信用調査社が解散になっているのですが」

「どうもそのようですね」

「そのよう? というと解散になったのをご存じないと」

「お恥ずかしながら、他のお客様からの同様のご連絡をいただいておりまして。それでこちらもその事実を知ったのが実情です」

「融資の際、口頭で三ツ葉信用調査社は三ツ葉銀行の子会社であるとの説明をあったとのことですし、今回の解散は法務省の記録によれば株主総会での特別決議によるもの、とあったのですが、それを御社が知らない、とはおかしくありませんか」

「何か誤解が生じているようですね。三ツ葉銀行と三ツ葉信用調査に資本提携などの関係はございません。三ツ葉信用調査は三ツ葉銀行の子会社ではないんです。ですから三ツ葉信用調査がどういった経緯で解散したのか、当行でも見当がつかないんです」

「それはあまりにも無責任じゃないですか。融資の契約の際、三ツ葉銀行さんと三ツ葉信用調査さんとの契約を同時に行っています。その一方の契約が会社の解散ということで支払い義務が履行できないんです。大体の事情は分かりました。これから直接、三ツ葉信用調査の方と相談しますので、お電話番号を教えていただけませんか」

「申し訳ありません。当行でも確認したのですが、三ツ葉信用調査さんにお電話しても誰もお出にならないんです」

「連絡が取れないということは会社を畳んで雲隠れ、ということですか」

「……実際のところはこちらからはなんとも言えないのですが、とにかく三ツ葉信用調査さんと連絡のとりようがなくなってしまったんです」

「今回の契約の場合、回収業者である三ツ葉信用調査が実際に解散してしまったため、融資の返済額の減免となりませんか? 私たちどもはあくまで三ツ葉信用調査さんとの契約を結んだのです。それが解散ともなれば融資額の返済をすることができない、つまりフォーカスエンジン社様の場合ですと、満額五〇〇万円を支払うに支払えない、ということなのですが」

「ですが当行からの融資額は一五〇〇万円となっております。返済の減免については当行としても考えておりません。三ツ葉信用調査が解散してしまっていますので、当行へ直接お支払いいただきますよう再契約させていただけないでしょうか」

「その前には正しい現状確認が必要です。直接三ツ葉信用調査社の方からことの経緯と今後の返済方法についてのご説明を求めます」

「そう言われましても、こちらも三ツ葉信用調査さんに逃げられた形になっておりまして……」

「分かりました。株主総会での特別決議での解散とのことでしたので、こちらで独自に株主と総会の参加者と連絡をとってみます。そこで解散までの詳しい事情をお伺いします」

「株主をご存じなんですか?」

「これからの調査になります」

「私どももご協力いたしますので、何か分かり次第、ご連絡いただけないでしょうか」

「ええ。それはかまいませんが……」

「なんでしょうか」

「本間さん、今までの三ツ葉信用調査の株主総会に出席されていますよね?」

「え……なぜそんなことが?」

「いや、実際のところ、三ツ葉信用調査はペーパーカンパニーであることは分かっています。片倉社長一人で社員数ゼロ。年に一度の株主総会を開くだけの幽霊会社も同然じゃないですか。それに融資の契約の際には本間さんが三ツ葉信用調査社の別契約も持ってくる。これは本間が三ツ葉信用調査と深く関わっている証拠になりませんかねえ」

「いや、とんでもない。私は上長の指示に従って融資の契約の際の段取りを踏んだだけです。三ツ葉信用調査の方とは直接の面識もないんです」

「そもそも論になって申し訳ありませんが、三ツ葉銀行さんの融資課の課長さんともなれば、融資金の流れは全て把握されているはずです。いや、知らないはずがない。単純な借金であれば回収業者が絡む例もありますが、今回は銀行融資です。回収業者を挟む理由がない。どうして融資の際に二つの契約をさせていたんですか」

「それは融資先の与信調査のためです。まず第一回の返済を滞りなくできているかどうか、それを審査するために三ツ葉信用調査が動いてくれていたんです」

「それはおかしいですね。融資額全額を三ツ葉信用調査社が請け負うなら百歩譲って分からなくはないんですが、最初の一回だけ、というのは不自然です。それにフォーカスエンジン様のご希望の融資額は一〇〇〇万円だったのですが、本間さんの提案により一五〇〇万円に増額されましたよね。明らかに過剰融資です。その増資された五〇〇万円、どこにいくのでしょうか」

「ですからこれから再契約させていただいて満額の返済をしていただこう、という段階なんです」

「それには返済業務の移管のため、三ツ葉信用調査の方の同意も必要では?」

「そういうことになりますが、今回は特例です。とにかく三ツ葉信用調査が跡形もなく消えてしまったので、現在、その再契約の必要な会社様をリストアップしてこちらから事情をご説明して再契約の準備をしているところなんです」

「三ツ葉銀行さんの事情は分かりました。ですが三ツ葉信用調査さんの解散の経緯と三ツ葉銀行さんとしての今後の方針をお伺いしたいです。そのために三ツ葉信用調査さんの関係者の方との面会を申し出ます」

「ご了承いただきありがとうございます。ですが三ツ葉信用調査とはこちらかも連絡がつかない状態でして……」

「分かりました。それでは融資の再契約の件のご連絡、お待ちしていればよろしいですか」

「そうしていだけませんか」

「分かりました」

「融資先が思いの外多く、ご連絡が遅くなるも知れませんが、その点も含めてご了承ください」

「分かりました」

「それでは失礼します」

「失礼します」

 高槻が受話器を置いた。

 三人は諦めの脱力で肩を落としていた。

 だが高槻弁護士は違った。

「どうも三ツ葉信用調査には触れられては困ることがあるようですね」

 種沢が頭を抱えた。

「これから三ツ葉銀行からの連絡を待つしかないんでしょうか」

「その手もあります。まあ今から三ツ葉銀行へ押しかけても同じことを言われるだけでしょうから、作戦変更としましょう」

 高槻弁護士は続けた。

「ですが、どうも怪しい。本間さんは、三ツ葉銀行さんは三ツ葉信用調査の存在そのものをなき物にしたいという腹があるようですね。組織ぐるみで悪事でも働いていた可能性もあります。そもそも融資の返済に回収業者が絡むこと事態が普通ではありません。その裏を調査するのも手ですが、それは弁護士の範疇を超えています。いかがしますか? このまま三ツ葉銀行からの連絡を待って融資の再契約をするか、御社が何らかの方法で三ツ葉銀行と三ツ葉信用調査の関連を調査するか、それによって私たちの対応も変わってきますが」

 種沢は即答した。

「片倉さんの消息を探ってみます。個人的に片倉さんの消息が心配だということもありますが、もし三ツ葉銀行になんらかの不正行為があったとしたら、片倉さんがその生き証人のはずです。司法の手によって裁かれることがあるのなら、そうしましょう」

 近藤が続けた。

「しかし、行方不明の人物を探すのは、私には無理ですよ。どうします?」

 これにも種沢は即答した。

「興信所に相談しましょう」

 そこまでやるか、と高槻弁護士は思った。

「ではそういう方針でしたら興信所の調査結果がでるまで、ひとまずこの件は動かないことにしましょう。あ、それと、くれぐれも皆さん自身で動かないで下さい。そうとは知らず違法な行為で調査をしてしまうかも知れませんから」

 近藤は「アイズ興信所」の件を思い出した。確かにあれはいけなかった。あれがバレれば裁判の際、こちらが不利になるのは明白だ。だがバレない自信はあった。自信はあったが、今後は自重する積もりもあった。

 三人は高槻法律事務所を出ると近藤は社へ、種沢と岡谷はネットで調べた興信所へ向かうことにした。

「そんな急にネットで上がってた興信所を信頼していいんですかね」

 近藤がそういうと岡谷が応えた。

「まあ、興信所なんてどこでも浮気調査か離婚調停の資料集めしかしてないだろうから、こういう企業案件は珍しいんじゃないかな」

 種沢が言った。

「まあ企業案件だけど、本質的には人捜しだから、多分お手の物なんじゃないかな」

 相変わらず種沢は楽観的だ。その種沢の楽観を近藤は丸々信用はしていなかったが、その種沢の性格があるからこそ、自分のような人間がフォーカスエンジン社に必要なんだとも思った。

 三人はJR神田駅で分かれた。

 種沢と岡谷は新宿の興信所へ、近藤はフォーカスエンジン社へ戻った。

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