第19話

 近藤は社に着くとフォーカスエンジン社と同じように三ツ葉銀行から融資を受けている会社を探した。

 こういった調査はググれば出てくるものではない。

 近藤の今までの人脈を活かしての作業となった。

 この作業には時間がかかった。

 なんせどこの会社が三ツ葉銀行銀座支店との取引があるのか、そんなことまでは普段の会話の中には出てこない。まさか三ツ葉銀行銀座支店の待合室で「御社はこの銀行から融資を受けていますか」なんて訊いて回ることはできない。

 近藤が真っ先に思いついたのが株式会社オーウェンシーズだった。種沢と岡谷が懇親会で浦沢と知古を得ていたのを近藤に話していたのだ。

 近藤はオーウェンシーズへ電話した。

「株式会社フォーカスエンジンの近藤と申します。浦沢様お願いできますか」

 浦沢はすぐに出た。

「もしもし、浦沢です」

「あ、私、株式会社フォーカスエンジンの近藤と申します。先日はうちの種沢と岡谷がお世話になりました」

「ああ! フォーカスエンジンさんですか。こちらこそお世話になります」

「実は折り入ってご相談があるのですが」

「なんでしょうか」

「御社は三ツ葉銀行とお取引がありますよね」

「ええ」

「実は弊社もそうなんですよ」

「ああ、その話は種沢さんと岡谷さんから伺ってますよ」

「その時のことなんですが」

「なんでしょう?」

「御社は三ツ葉銀行さんとの取引を止めようかと迷ってると伺いまして」

「ああ、確かにそんな話はしましたね」

「実はうちもどうしようかと考え始めたところなんですよ」

「何かあったんですか?」

「……ちょっと言いにくいことなんですが、弊社は三ツ葉銀行さんから融資を受けているんです。その融資の方法に疑問点がありまして。できれば参考に御社と三ツ葉銀行の間で何があったか教えていただけないかと思いまして……」

 そんな話ですか! と浦沢は笑った。

「いやあ、特にこれといったことはないですよ。三ツ葉銀行さんに問題があった、というより三ツ葉銀行さんの弊社担当に疑問を持っていただけです。その担当さんも配置換えするみたいなんで、これからも三ツ葉銀行さんのお世話になる積もりです」

「あの、銀行内の人事についてもご存じなんですか」

「いやあ、その弊社の担当さんが自分の身の振りようを考えてる、みたいなことを仰っていて、ああ、こりゃもうダメだなあ、と思った次第です。その方も思うとことがあるみたいでしたよ。実際、銀行員の仕事はハードですからね。それに気力と体力が保たない、自分の限界だ、みたいなこと言ってました」

「そうですか……もし差し支えなければ、その御社のご担当の方のお名前を教えていただけませんか」

「本間伸征さんです」

「その本間さん、いつ頃まで今のポジションにいらっしゃるんでしょうか」

「ははは! それは分かりませんよ。なんせ他社さんの人事情報ですからね。でも本間さんは銀行業務に嫌気が差している、みたいなことも言ってましたよ。何かあったんでしょうかねえ。まあ、こっちとしては想像でしかないんですが、出世の線路から外れちゃったのかな、なんて思ってます。ほら、銀行マンは一回のミスも許されない厳しい世界だっていうじゃないですか。その緊張感に参っちゃったんじゃないですか」

「そうでしたか……教えていただいてありがとうございます」

「いえいえ、お役に立てるのであれば何なりと」

「それじゃあ失礼します」

「失礼します」

 やはり本間か。本間が裏で何をやっているのか知らんが、三ツ葉銀行にとっても目の上のたんこぶなのは分かった。

 だがどうしてそんな窮地に立たされたのかが分からない。近藤の思い当たる節としては三ツ葉信用調査とその解散が何かしら関連しているぐらいしか思い当たらなかった。

 近藤は次の人物のスマホへ電話をした。

 相手は株式会社エーワンシステムズの太田だ。

 近藤と太田は学生時代からの友人で、近藤が経理へ転職するまでは一緒にSESをやっていた仲だ。近藤が経理へ、太田は独立する道を選んでいた。エーワンシステムズもご多分に漏れずSESの派遣業務をやっている。羽振りは結構いいと同窓会で言ったいたのを思い出したのだ。エーワンシステムズ社のホームページのIR情報にはちゃんと取引先に三ツ葉銀行とある。どこの支店かまでかは書いていなかったが、同じ三ツ葉銀行だ。取り扱う金融商品も融資の方法も同じはずだ。

「もしもし、太田社長ですか」

「おう! 近藤か、久しぶりじゃないか!」

「今、時間、大丈夫?」

「ああ。平気。それにしても『社長』って呼ぶなよ。お前にそう言われると気味が悪い」

「ついビジネスモードになっちゃっててね」

「で、要件は? 飲みに行くか?」

「いや、今日はそう言う話じゃないんだ。ビジネスの話だ」

 太田の頭の中でスイッチが切り替わった。

「御社、三ツ葉銀行と取引してるだろ」

「ああ」

「まさかとは思うが銀座支店じゃないよな」

「うちは新宿支店。何かあった?」

「いや。うちの会社、銀座医支店から融資を受けてるんだよ」

「融資が受けられるなんて立派じゃないか。ちゃんと与信調査がパスしたってことだし」

「それが、ちょっと変わった契約内容でさ」

「うちも新宿支店から融資を受けてるけど、普通の契約だったぞ」

「お前、三ツ葉信用調査って会社、知ってる?」

「三ツ葉信用……なんだそれ?」

 近藤はやはり、と思った。

 近藤は三ツ葉銀行銀座支店と三ツ葉信用調査との契約内容のあらましを太田に伝えた。

近藤の話を聞いている最中も、太田は怪訝な声色で相づちを打っていた。

「近藤、それは明らかに何らかのトンネル会社なんじゃないか」

「やっぱりそう思うか」

「しかし、三ツ葉銀行がそんな奇妙なことをするとは思えんがなあ……」

「しかし、実際起こってるんだ」

「もしかして、支店内での決済だけで済む悪事を働いてるとか?」

「やっぱりそう思うか」

「末端の人間はそうとも知らずに上の人間の言われた通り業務をこなしているが、実は支店長クラスまでも関与した悪事だったりしてな」

「もし本当にそうだとすると厄介だな。敵は天下の大三ツ葉銀行様だからなあ。おれたちみたいな新興ITベンチャーの敵う相手じゃない」

 太田はちょっと間を空けてから口を開いた。

「こう言っちゃ失礼だけど、お前の会社も、おれの会社も、銀行相手にドンパチやれるほど武器も兵隊も揃ってないだろ」

「うん」

「できることとすれば、弁護士に相談するとかかな?」

「実はすでに弁護士と契約済み」

「で、その弁護士先生は何て言ってた」

「あ、その前に言っとかなきゃならんことがある」

 近藤は三ツ葉信用調査が急遽解散したことを太田に伝えた。

「なんだそれ! どういうことだよ」

「どういうことなのかおれも知りたい。だからお前にも相談に乗ってもらおうと思って電話したんだ」

「その三ツ葉信用調査の元役員とか部長クラスの連中とはコンタクトできないの?」

「できない。冴えないオヤジが一人で社長やってたペーパーカンパニーだった」

「三ツ葉銀行銀座支店、確信犯だな」

「そうなんだよ」

「三ツ葉銀行の銀座支店から何かしらのアナウンスはないのか?」

「ない。会社が解散したばかりとはいえ、会社の解散なんてそうそう急にできることじゃない。裏で誰かが糸を引いていて、現場まで話が下りてきてないのかもしれない」

「どっちにしろ、まっとうな銀行業務が遂行できてないんだから、金融監督庁とかどっか、公的機関へ通報したほうがいいんじゃないか」

「現状では告発するほどの証拠が揃ってないんだ。契約上の支払先の三ツ葉信用調査が解散して、そこの社長と電話が繋がらない。自宅にいない。まだそれほど日にちも経ってない。それだけじゃ失踪者捜索依頼も出せないんだ。だからもしかしたらお前が三ツ葉銀行の内情をちょっとでも知ってるんじゃないかと思って相談したんだ」

「おれの知ってる三ツ葉銀行はその三ツ葉信用なんちゃらとかいうトンネル会社は使ってないな。今はそれしか情報を持ってない。悪いがおれの知ってる三ツ葉銀行とは違う、それだけしか言えることがない。力になれなくてすまんな」

「いや、いいんだ。とにかく三ツ葉信用調査が他の支店と絡んでないことだけでも分かったから、それだけで充分だ。ありがとう」

「じゃ、悪いがこれで。何か分かったら連絡するよ」

「ありがとう。じゃあな」

 近藤は電話を切った。

 近藤は他に知った会社のIR情報をウェブで片っ端から漁り、三ツ葉銀行と取引のある会社を探してみたが、徒労に終わった。

 頼みの綱は太田だけだったのだ。

 本間と直接対決したほうがいいのかなあ。

 近藤は薄らぼんやりとそう考えた。


 その頃、種沢と岡谷も薄らぼんやりとしていた。

 アイゼル興信所での片倉捜索の依頼が、あまりにも呆気なく終わっていたのだ。

 二人がアイゼル興信所に着くと、そこは真新しい壁紙が光る清潔な応接室だった。

 四畳半ほどのパーテーションで区切られ、その中に小さめの白い机が一つ、青い椅子が四脚あった。

 アイゼル興信所は二人が思っていた興信所のイメージとは大分かけ離れた見た目だったのだ。

 興信所と言えば七〇年代のテレビドラマの再放送で観た雑然とした室内を予想していたのだが、実際は銀行の相談窓口とそう変わらなかった。

 二人が並んで席に座っていると、「大変お待たせしました」と営業スマイルの若いスーツの女性が入ってきた。

 二人は席を立ち上がり、名刺交換した。

 アイゼル興信所

     お客様相談係 野田祥子

 彼女の肩書きはたったそれだけだった。

 挨拶も早々に、三人は着席し、野田が切り出した。

「今回はどういったご用件でしょうか」

 種沢が応えた。

「人捜しをお願いしたいんですが」

「お任せ下さい。そういったご用件は実績が多数ございます」

「で、この人物なんですが……」

 と、岡谷は片倉に関する記録を野田に見せた。

「あー、お探しの方の映像記録も残ってますし、住所も職業も氏名もお分かりと……で、連絡が取れなくなったのはいつ頃からですか?」

 あまりに事務的な野田の態度に種沢はポカンとしてしまった。

「今週の月曜日からです」

「この片倉様のご親戚はご存じありませんか」

 岡谷が応えた。

「ええ。いるかいないも知りません。この片倉さんの会社が解散になると同時に連絡が取れなくなりました」

「会社が解散? 珍しいケースですね」

「その会社は負債があるわけでもなく、何かしらの社内政治によって解散の憂き目にあったようなんです。まあ、これは私の推測ですが」

「そうですか。片倉様と繋がりのある方をご存じありませんか?」

「先ほどお見せした映像資料に映っているのがほぼ全てです。あ、特に三ツ葉銀行銀座支店の本間伸征さんと仕事上の付き合いが濃かったようです」

 野田は名刺交換してからずっと営業スマイルを崩さない。いくらこういう場に慣れているとはいえ、種沢と岡谷に「ここに頼れば大丈夫だ」という安心感より「こんな簡単なものなのか」という印象を与えた。高槻法律事務所の時の印象とは正反対だった。

「資料のご提供、ありがとうございます。映像資料のほうは先ほどお渡しした名刺のメアドへ送信お願いいたします。残りの紙資料はコピーをとって参りますので、ちょっとよろしいでしょうか?」

 種沢が応えた。

「ええ。お願いします」

 野田が紙資料一式を持って席を立った。

 狭いパーテーションで区切られた応接スペースで種沢と岡谷が残された。種沢がポツリと言った。

「……何か、探偵のイメージが違うなあ」

 岡谷も少々困惑気味だった。

「やっぱお前もそう思った?」

「思った。もっと強面のおじさんが出てくると思ってた」

「野田さん、仕事はちゃんとやってくれるだろうけど、『お客様相談係』っていう仕事が探偵業にもあるとは思わなかった」

「うん。ここ、そんなに大手なのかなあ」

「多分大手だろう。こんなにフロアが広いし」

「お前、本物の探偵、見たことある?」

「ない」

「おれもない。実際に捜査してくれる探偵は、やっぱりハードボイルドなおじさんなんだろうか」

「見る限り、そうでもなさそうだな」

「この依頼、ちゃんと契約しちゃって大丈夫なんだろうか」

「多分、大丈夫だろう。大手なんだし人捜しと浮気調査は探偵の基本らしいからな。どこの興信所でもお手の物なんじゃないかな」

 そう言っているうちに野田が戻ってきた。

「お待たせしました。それでは調査を始めさせていただきますので、契約書にサインと捺印をお願いします」

 種沢はまじまじと契約書を見た。秘密厳守、手掛かりとなる証拠類の機密事項を守る等々、極差し障りのない内容だった。

「で、料金の方はいくらぐらいでしょうか」

「基本料金が三万円、調査料金は一日五万円となります」

 種沢が質問した。

「で、今回の調査は何日ぐらいかかりそうですか」

「申し訳ございません。実際に調査してみないと分からないんです。弊社の実績といたしましては大体一週間から二週間といったところです」

 ということは大体四十万から七〇万か。

 片倉の居所を突き止めるにはコストがかかりすぎる、と岡谷は思ったが種沢はやむなし、という顔をした。

「分かりました。それではよろしくお願いいたします」

「弊社でも迅速に片倉様を見付けるよう努力いたしますので、何卒ご理解お願いいたします。調査が終わり次第、こちらからご連絡いたします」

「それではよろしくお願いいたします」

 その一言を潮に三人は席を立った。野田が種沢と岡谷をエレベーターホールまで案内してくれた。

 エレベーターに二人が乗り込むと、野田は「失礼します」と頭を下げた。二人もそれにならった。

 二人はエレベーターの中で溜息を吐いた。

 ビルの外へ出ると本格的な夏の湿気と暑さ、強い日差しが待っていた。

「種沢、探偵があんなサラリーマンみたいなものだとは思ってなかったよ」

「ああ。それはおれも思った」

「しかし、結構いい金額要求してきたな」

「多くても一〇〇万はいかないんだろ? 三ツ葉銀行からの融資額を考えれば、まあまあ納得できる金額だ。それに片倉さんをふん捕まえないと高槻先生への証拠の提出ができない。裁判で使う証拠も告発する材料も手に入らない。そこはきっちり三ツ葉銀行に痛い目にあってもらう」

「なるほど。そういう判断か」

 二人は山手線で恵比寿駅へ向かい、フォーカスエンジン社へ戻った。

「お帰りなさい」

 そんな声があちこちの社員から発せられた。

 種沢と岡谷は近藤を小会議室へ呼び出した。

 種沢が近藤に

「何か手掛かりはありましたか」

 と訊くと、近藤は嘆息混じりに応えた。

「それがどうも上手くいかなくて……知り合いの会社で一社だけ三ツ葉銀行の新宿支店と取引をしているところがあったんですが、三ツ葉信用調査のことは知りませんでした。おそらくですが、三ツ葉信用調査は銀座支店としか関係を持っていないのかもしれません」

 そうか、と種沢と岡谷は項垂れた。

「で、そちらの方はどうでした? 探偵さんは上手く掴まえられましたか?」

 岡谷が応えた。

「ええ。こちらの持っている片倉さんの情報は全て渡しました。普通は一週間か二週間で結論が出るとのことでした」

「料金は?」

「基本料金が三万円、調査料金が一日五万円。まあ、百万はいかない程度で収まりそうです」

 百万か。片倉をふんじばって三ツ葉銀行との示談金なり和解金をせしめるとなると、経費としてはちょっと高いな、と近藤は思った。

「で、結果が出るまで我々は待ち、ということでしょうか」

 種沢が頭を抱えた。

「いや……できるだけの調査は進めたいんです。銀行さんの不正が予想されますからね。これは見過ごすことはできません。しかし、今の我々は八方塞がりですが……」

「種沢さん、諦めるのはまだ早いですよ。まだ本丸の本間さんについての調査が不充分じゃないですか。本間さんの職場での人間関係、立場、今やっている仕事がまだ分かっていません。三ツ葉信用調査との接点は本間にあるはずです。そこを調査しましょう」

 種沢は少々のためらいを見背ながら言った。

「また『アイズ興信所』の登場ですか」

 近藤は笑って見せた。

「まあ、そういうことになります」

 岡谷が口を挟んだ。

「ちょっと待って下さい。高槻先生からも釘を刺されてるじゃないですか。違法や脱法はダメだって」

 近藤が即答した。

「相手はそう簡単に落とせる相手じゃないんですよ。なんせ三ツ葉銀行ですからね。こちらもそれ相応の『技』を使わないと歯が立ちませんよ」

 岡谷が慌てた。

「種沢、どうする?」

 種沢は左手を頭にあてて首を傾げ、目を堅く瞑った。

「近藤さん……お願いします……」

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