第12話 あの足跡を追って

 何度でも好きになる。かえの利かない、世界でただ一人の想い人を胸に抱きながら。


 それなりにうまくいっていた人生の中で、一番つらかったときのことを思い出した。



 ――――――――――――――――――



 私の地元は、幅が10キロの正方形の中に収まってしまうような、小さな田舎だ。属する村はもっと大きいけれど、合併してできた村だから、それぞれの”正方形”へ移動するには10分くらい来るまでかかる。



 わたしと真冬が初めて関わったのは、中学2年生の修学旅行のグループ決めの時だった。


 学級で隣席同士の私たちではあったが、私の1人でいるのが好きな性格と強い言動のおかげで、最初は何となく避けられていた。


 容姿の良さと控えめな性格もあって、友達は多い印象だった真冬。それなのに、5人までのグループを組むとき、真冬は最後あたりまで残ってしまっていた。


 仲のいい人に見えた”友人たちの多く”は、真冬の容姿をそばに置いて、誰かと話すための呼び物として使っているようなのは、何となくわかっていた。もちろん、そうではない人もいるけれど。


 私は自分の容姿に自信があるから、似たようなことは経験済みで。私の場合は、性格がきつかったのもあって、そういうことはなくなっていたけれど。


 そのときは、可哀そうな人だな、と思って声をかけただけ。ただ、それだけだった。







 真冬を後ろに連れて、アニメ好きの人が3人固まっている感じのグループに入って。優しい人たちのおかげで、何を決めるにも窮屈な思いはしなかった。


 真冬のことを理解するのは早かった。周りのしたいことについていくばかりだった彼女は、自由行動のルート決め中もずっとイエスマンだったから、むずむずして後から啖呵を切ったのを覚えている。



 ”適当でもいいから行く場所1つ決めて。どうせ行ってみなきゃ面白いとかつまらないとか判断できないから。周りのことなんか考えなくてもいい”



 なんて。初対面ですら少し怖がられていた節があるのに、この時はもっと怯えさせてしまって。顔が真っ青になった声も出ない真冬を覚えている。


 結局、真冬が選んだのは浅草のメロンパン屋さん。私たちが言った時には目玉商品のデカいやつが売り切れていて食べれなかった。


 でも、そこから移動する途中で陽気なおじいさんに捕まった真冬の、和柄のハンドミラーを売りつけられそうであわあわしている顔が面白くて、皆で笑った。そのミラーは私が買って、今も部屋の机に置いてある。


 ほとんどのルートは他の3人に決めてもらったから、アニメのグッズショップに連れられて、良く分からないけど物の多さに驚いたり。すごくおもしろくて、2人で顔を見合わせて笑った。


 帰る前の駅に続く、無駄にカラフルで長いアスファルトの道。


 ”1つ決めといて良かったね”とからかい気味に言ったわたしの言葉に、当時の私が見る限り、最高の笑顔を咲かせた真冬の”ありがとう”に一瞬時間が飛んだ。


 集合時間に設定された、午後6時間際の駅前に、オレンジの線がビルの間から差し込んでいた。後光をさしていたように見えるそれも併せて、私の心を奪うには十分すぎるほどだった。








 真冬を本気で好きになるのには、そう時間がかからなかった。2か月後のクリスマスイヴに、初めて選ぶプレゼントを、寒さだけが沁みる何もない公園で渡した。


 どうせ友達がいないから失敗しても平気だなんて、思春期の私は冷めた感じを必死に出していたんだけれど、徹夜で決めた告白の台詞が受け入れられたときは相当嬉しかった。


 真冬を好きになる過程の中で、付き合った後の経験のなかで、あいまいだった自分の形を掴めた気がした。性別など関係ない。この手元にある感情は永遠になくなることはない、そう感じた。


 春は神社の桜を見て、夏は岩肌の見える海岸を手を取り合って歩いて、秋のころには寒いからなんて理由をつけて、お互いの家を行き来することが多くなって。


 だけど、2人で迎えたはずの冬は、途中で終わりを迎えた。





 小さなコミュニティでの情報が拡散されるスピードは速いから、あえて私たちは付き合っているのを秘密にしていた。


 でも、私たちの距離感に何となく察した人もいたのだろう。ゴシップ好きな田舎の性分だ。クラスメートにとっては”面白いネタ”だったようで、もはや剝がれかけていた二人の秘密のメッキを、ふざけてめくろうとする人が増えてきた。


 決まってそんな時使う、はぐらかすための言葉は「付き合ってない」だったのに、気持ちはどうかとか、もっと下品に探りを入れてくる人たちがいたから。


 お互い「親友」「仲のいい友達」といったグレードダウンした言葉を使う中で、いつしか私たちが紡がざるを得ない守りの言葉は「好きじゃない」になっていた。





 そういった言葉をひたすら言わなければならず、日を重ねるにつれて心に影の差す私の顔に、真冬は気づいていたようだ。


   







 12月24日の、クリスマスイヴを待たずして。放課後の誰もいない教室の中で、「別れよう」と、終わりの言葉を告げられた。


 思い返せば、あれは以降、未練を断ち切ろうとする真冬なりの誠意だったのかもしれない。


 ストーブの電源の切られた、冷気の音がする教室の中、わたしは簡単な別れの言葉を理解できなかった。悲しさの感情が生む静かな熱だけを自分に感じて、周りの世界すべてが凍ってしまっているんだと、子供みたいなことまで考えた。


 でも、そんなのは自分勝手な願望に過ぎない。



 当時の私は泣きながら、”なんで”と”嫌いになったの”の繰り返ししかできなくて。ひたすら首を振る真冬に怒りさえ湧いて、バッグを掴んで教室を出て、外へと走った。


 でも、真冬に対して怒り慣れていなかった私は、学校を出てすぐの下り坂で感情がぐちゃぐちゃになってしまった。何度考えても、思考の中は一緒にいたい、別れたくないの言葉だけで。


 どうしたら別れなくて済むのかと考えた私は、まだ別れたい理由を聞いていないことに気づいた。聞かない限り帰れない、そう思って、また教室まで走り戻る。





 色々遅すぎたのだと思う。手順を誤った。取り返しのつかないことをしたと思った。


 教室で立ったまま、大量の涙が零れ落ちるのもいとわぬ真冬が、いない私に謝りながら泣きじゃくっているのを見てしまったから。


 よく考えればわかることだった。真冬は、私を守るためにああしてくれたのだと。私の面倒くさい性格や行動を肯定して、ずっとそばにいてくれた真冬が、理由もなしにそんなことをするわけがないと。


 別れを切り出されたとき、まだそこにいて、理由さえ聞いてさえいれば。二人で歩いて行ける道もあったのかもしれない。そんなの、いつもの私なら分かるはずだったのに。






 その後の、無理やり体を動かして通って過ごした毎日のことは、あまり覚えていない。


 2人で行こうと決めていた高校受験に真冬が来ていたのは驚いた。しばらく、周りのクラスメートとすらもろくな会話をしてこなかったから、ここにくることなんて露にも知らなかった。


 ここを受験する同じ中学校の生徒は2人だけだと、並んだ受験番号順の席と、違う制服の入り乱れる中で分かった。私の後ろにいる真冬の目線は、私のものと交わることはなかった。


 約束を覚えていたのかもしれない、と心が躍ったけれど、間にある世界が分断されたような空気のおかげでその日は話すこともなく、ただ机に向かって問題を解き続けた。


 正直、勉強が手付かずだった私の頭だと、合格ラインに達せられるかは本当に当日の出題次第で、先生や親には心配されてしまうほどの出来だった。


 それでも、たとえ、都合の良い妄想だったとしても。二人とも合格して、もう一度話ができる機会があるならば、今度は絶対に間違わないと。帰りの車で、一人固く誓った。




……結局言い訳ばかりで、ここまで遅くなってしまったけれど。今年の運命の巡り合わせがなければ、一生後悔していたかもしれない。






 ――――――――――――――――――





「サンダル、持ってきてるのはずるくない?」


 ネモフィラの花壇を鑑賞し終わって、そこから5分ほど木々の道を進んだあたりから見える、急に開けた土地。その向こうには、整備された砂浜と、透明な波が映える海が広がっている。


 結局、ツーショットは私が撮った。真冬の顔は私の胸にうずまっていて、私は真顔に近い、そんな感じの写真。後ろには気持ちちょっとだけ、群生したネモフィラが見える。


 加工アプリなんて、お互い入れてないから素のカメラで撮ったわけだけど、真冬はこんな写真で大層満足したみたいだ。取り直そうといっても駄目の一点張りで、そのままテンションの高い真冬に、手を引っ張ってここまで連れてこられた。


「朝、サンダル持っていこうって送るの忘れてた」


 白色の可愛い人は、さっさと靴下まで脱いで、水面の方へとかけていく。私は遠い方から眺めていたから、慌てて、同じようにして裸足で追いかける。


 置きっぱなしのヒールやサンダル達に後ろ髪をひかれるが、まあいいかと、可愛い人の方へと走る。


「サンダル、つかわないの?」

「ゆうちゃんと一緒が良いかなって」


 2人、裸足で波の揺れを受ける。"あっちの海"と違って、埋め立てられてできた海特有の、規則的な波の前後するさまをふたりで眺める。


「ここの海は違うね。水が透明で、凄く綺麗だと思う」

「ね。ラムネみたい」


 水のしぶきが残す白いあぶくをたどるように、真冬がジグザグで歩き出す。もう少ししたら、日が落ちて、きれいな日が見えるだろう。でも、その光景は帰る時間が近いことの合図になる。


「今日は楽しかった。また2人で、いろんなところに行きたい」


 何度かジグザグの足跡を辿るうちに、気づけばそんなことをつぶやいていた。


「私も楽しかった。ここの公園ではやらないけど、他だと夏に屋台もやるんだよ。それに、電車で山を越えたら、花火大会もあるし」


 真冬は続ける。


「"ラムネみたい"って喋ってから、夏のこと、たくさん考えちゃう。絶対、一緒に行こうね」


 その真冬の笑顔が、初めて恋した時の顔にそっくりだった。それを収めたい欲が出て、ポケットからスマホを出して写真を撮ろうとするけど、気づいた真冬が逃げる。


「何で撮らせてくれないの!」

「恥ずかしいし、撮っても面白くないよ!」


 真冬より私の歩幅の方が大きいし、足が速いのもあって、簡単に捕まえられる。後ろから、細い体を抱きしめる。

 次第に、もぞもぞとこちら側に向くように動いてくる、微笑む真冬が可愛い。


「捕まっちゃった」

「捕まえた。もう、どこにも行かせないから」


 しばらく歩いていたから、それなりに遠いところに来てしまった。でも、2人きりだけの世界が広がっているのが強く感じられる気がして心地よい。


 真冬も同じことを思ったのか、私の背中に手を回して、引っ付いてくる。胸にあたりに若干の頬ずりをしてくる想い人に我慢できず、強く抱きしめ返した。


 海に反射する日の色が濃く、大きくなる。あいにく、映画みたいにきれいに沈むロマンチックな夕日なんてものは、ここには無いけれど。遠くにそびえる造船所が光を受けて発する、もっと輝かしい山吹色が、帰るまでの私たちを見守ってくれていた。



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