第6話 空回り
見られるかもしれない、という考えが無かった。というか、そこまで考える余裕が無かったと言う方が正しい。何というか、2人だけで電車に乗っているような感覚に夢中になっていたから。
そんな心地よい朝を過ごしてしまった私の自制心の無さを今、凄く憂いてしまう。
「2人の仲が良すぎるもんだから、遠くの方で静かに見ちゃってたんだよ。私とも仲良くしてね、真冬ちゃん」
「う、うん!明日は一緒に乗ろうね」
「乗ってたは乗ってたんだけどね。邪魔しちゃいそうだったからさ。遠くの方で一緒にいるつもりだった、なんてね」
明日まで待てないどころか、今にも軽く抱き着きそうな若菜を、購買で買ったペーパーキャンディで遮る。
「見てないで、私に話しかければよかったでしょ。」
「嫉妬?」
「違う。そんなわけない。」
もう少し何か言ってた気がするけど、その言葉を無視して、パンを頬張る。
自分の悪い癖がまた出ている。真冬のことになると、のどから出てくる天の邪鬼。他人も自分も傷つけてしまうこの呪いに、久しぶりに手を焼いている。
真冬が本当に良い子だっていうことは私も分かってるけど、あまり他人と触れすぎなのは好きではない。
他の人はもう少し私に遠慮した方が良い、と理不尽なことを思ってしまうようになった。勝手に牙を向いてしまう、自分の弱さが嫌いだ。
「とにかく、真冬とはそんなに仲良くないし、近づきすぎるのもみっともないからやめて」
「仲良いってだけで、そんなにムキにならなくてもいいのに」
若菜が続ける。
「凄い目立ってたから、誰でもそう思っちゃうんだけどな。結希はもとから目立つんだから、本当にそう思ってるなら気を付けなよ」
「そんなの知らない。私は好きにやるから、皆が壁の方を向いてればいい」
とんでもないことを言っている自覚はある。いっそ笑ってくれた方が助かるとはいえ、私を指さして笑う若菜にムカついてきた。
若菜の買ってきた、まだ中身の入ったコーラのプルタブを外して、そのまま中に突っ込む。
そもそも、目立つほど私は素行が悪かったり、何か良いことをしているわけではない。
わめく若菜を放って、その後もだらだら話して。うわの空で受けていた授業は、いつのまにか一通り終わっていた。
待ち遠しかったはずの帰り途中の会話は、昼と違って楽しいもののはずなのに。
若菜が電車を降りた後に残った私たちの間には、微妙な雰囲気が流れている。私の愛想のない振る舞いと言動のおかげで、困った顔をさせてしまっている。
理由はわかっている。私は二人の世界にこだわりすぎていて、真冬もそんな私を優しく尊重してくれている。だから、私の期限の一喜一憂に真冬はより大きく左右されているのだ。
でも、私が真冬に与えられることは悪いものばかりではないと思う。嬉しそうに笑ってくれる顔が見たいから、真冬を少しでも喜ばせる何かを、明日には絶対しようと思う。
―――――――――――――――――――――
「今日は甘いパンと総菜パン、どっちの気分」
なんて質問をされた朝の真冬は、なぜそんなことを聞かれたか見当がつかないようで、戸惑いつつも総菜パン、と答えた。
私の腕にくっついている真冬は私の方を見て不思議そうな顔をしているが、私はそんな顔を、真剣に見つめ返してうなずく。良く分からないけど、私の真剣な顔を見てうなずいてみた、そんな感じの真冬が可愛かった。
私の頭で真冬を喜ばせることを、そんな簡単に考え付くわけがなかった。
一緒に行きたいところや、そこで買ってあげたいものはあるけれど。今日は平日だし、何より私はそこまで踏み出せるほどの勇気がない。
学校の中でできることを考える。少ない中から考え抜いて、何とか結論をだした。
”今日私は、購買で真冬にパンを買って教室に帰る”のだ。
混み合うのが好きではない私は、後から余ったパンを買うようにしているけど、今回こそは早めに出向かなければならない。
真冬はいつも弁当を持ってきている。前日の帰り道、購買でなかなか買い物をすることはないと話していた。
うちの購買は、目玉の物はすぐ売り切れるし、なかなかいきたい気持ちが起こらないそうだ。
だから、真冬のためにパンを買ってきてあげようという結論に辿り着いた。ささいなことでも、真冬の笑う顔が見たい。だから、今日は特別頑張ろうと思う。
4限終了のチャイムが鳴る。今いる教室から玄関前の購買コーナーまではたったの20メートルくらいだ。
移動教室の授業で本当に良かったと思う。急いで3冊の教科書ノートと、筆箱を抱えながら、教室前方のドアを出る。
私が小走りで購買に来るのが珍しいのか、後ろから結構な注目浴びるけれど、そんなことはどうでもいい。
チャイムが鳴る前に来ただろ、といった感じの男子生徒に混じり、パンの入っている箱を吟味する。早く真冬のもとへ向かいたい一心で、混む前に引っ掴んだ、いくつかのパンの会計を済ませて教室へとよたよた帰る。
「ごめんね、ちょっと食べられそうにないかも……」
眉を八の字に下げて申し訳なさそうにする真冬と、その言葉を聞いて机に突っ伏した私を見て、若菜が笑い転げている。
「結希さあ、いくら何でも、パン3つとお弁当を合わせて食べるのは無理があるでしょっ」
「何馬鹿なこと言ってるの。選べるように買ってきただけだから。1つ選んでもらえたらいいの」
「えと、私はお弁当でおなかがいっぱいになっちゃうかも……?」
冷静になって考えてみると、その通りだと思う。いつも弁当を食べているのに、ただパンを買ってきてあげただけでは食べきれるはずがない。その当たり前を、感情に入れるのを忘れていた。
そんな大馬鹿な考えをこの場で認めるのは恥ずかしい。さも考え抜いたうえで行動を起こしたような素振りを見せなければ。
「じゃあ結希さんは、余ったパンをどうするつもりなんですか?」
「全部食べる。」
「いつ?」
「さあ。」
「はぁ。」
ぼろが出たところではない。満足するまで笑い切った若菜は冷静になってしまって、呆れた表情で私の方を見てくるけれど、無視して真冬の方を見る。
「1個好きなのを選んでくれればいい。家に帰ったあととか、好きなときに食べればいいし」
「でも、太っちゃうかも」
「真冬は太る体質じゃないし、そもそもスタイル良いでしょ。いいから、早く選んで」
急に、真冬が顔を手で覆う。そんなに食べたくないのだろうか。
「食べられないならいい。また今度にする。」
眉間にしわが寄るのが隠せなくなるから、机の上にあるパンの中から、2つ入りのカツサンドを選んで頬張る。
パンを飲み込んだあたりで、私が手を付けていないカツサンドを引っ張る真冬と目が合った。
「帰りまでに、1個だけなら食べられるかも……?」
「無理しなくていい。今度でいいの。」
「だって、せっかく買ってきてくれたのに」
ハの字の真冬の表情に耐えられなくて、正直に話す。
「今日は空回りした。昨日悪態つきすぎたと思ったから、何かいいことでもしてあげたいと思ったんだけど。今度から、してほしいことを聞くようにする。」
「してほしいこと?」
「うん。私にできる範囲なら、何でもいいよ」
真冬が微笑む。
「嬉しい。何かしてほしいことがあったら伝えるね」
にっこり笑った真冬が続ける。
「でも、ゆうちゃんは、あんまりそういうの考えなくていいかも」
「なにそれ。今日頑張ったんだけど」
「うん。偉いよ。でも、高校に上がってこんなに楽しいの初めてだから。ゆうちゃんが気づかないうちに、いろんなものを貰ってるよ」
真冬が、私の頭を撫でる。恥ずかしいからよけたいけれど、悪い気はさほどしないから、おとなしく従うことにした。
「私はそんなつもりない。」
「そんな感じのこと、言うと思った。」
「しらない。ていうか、真冬が総菜パンの気分って言ったから頑張ったのに」
「ふふ、拗ねちゃうの?」
こちらに伸びる腕の向こうに、すごく嬉しそうな真冬がいる。何で喜んでいるかわからないし、どう返すのが正解か分からない。
私はされるがまま、微笑む真冬に頭や顔の横を撫でられ続ける。顔の熱がどうにか逃げていってはくれないかと思って、机の脚が持つ、スチールの冷たさを掴んでいた。
――――――――――――――――――――
帰りの電車では残りのパンがつぶれないように、抜き忘れた教科書が一緒に入ったバッグを真冬と囲むようにして守らないといけなかった。
「結局余しちゃったね」
「今日と明日で食べればいいから大丈夫」
「賞味期限は今日までだから、本当に気を付けてね」
真冬が心配そうにこっちを見てくる。
「大丈夫。こういうのは今日限りだから」
「そっか。」
そこで言葉を区切る真冬。話したいことがまとまるまで、私は待つ。山際を走る車窓から覗き始めた海が、また格子の木々にちらほら隠れだす。少しの時間が経ってから、真冬が話始める
「えっと、次からは私も連れていってくれるとか、ない……?」
「真冬も?」
「うん。ダメ……?」
真冬がしたいと思ってくれることは、できる範囲でかなえてあげたい。私の続ける言葉は決まっている。
「いいよ。次はちゃんと聞いてから買う。」
「お金の使い過ぎはダメ、私がちゃんと買うよ。他に行きたいところができてもいけなくなるし」
「?、大丈夫、私がお金出すから」
「そうじゃなくて、えぇと、どこかに二人で出掛けるかもしれない……」
ごにょごにょと続ける真冬の言葉に、私は頭を回転させる。二人って、わたしのこと?
「わたしとどこかに出かけたいの?」
「そう。ゆうちゃんは行きたくなかったりする?」
「いや、行きたい。どこか、行きたい場所があるなら教えてほしい」
「まだちゃんと決めてない。決めてないから、それまでの約束ね……?」
真冬が小指を控えめに出してくる。少し子供っぽい仕草に指を出せない私は、その手に私の手を被せることで応えた。お互いに顔の熱が交わされるような感覚になる。
向かいあった真冬が幸せに笑うから、こちらにもその気持ちが伝染してきて、付き合っていたときのような感覚を思い出す。どうせ、余韻は寝るまで残るから、もう少し浸っていても良いだろう。電車を降りるまで、包んだ小さめの手を離さなかった。
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