第10話 ネモフィラを二人で(前編)
土曜日の朝、いつもより遅くかけたアラームの音に体を起こす。1本早い電車に乗るようになってから、朝の光を浴びて起きる習慣がついていたから、少し前には自然と目が覚めていた。
適当な場所を掴んで開けたカーテンの向こうから、すりガラス越しの明るい光が反射して降り注いでくる。降水確率40パーセントの予報にしばらくは杞憂しなくてもよさそうな天気を、モザイク越しの見えない景色に感じる。
顔を洗ってから、一人齧る焼いたパンに追加のバターを塗りながら考えるのは、常に真冬のことばかりだ。今から、昨日考えても決まらなかった服の組み合わせを考えなければならないのに。
時間になるまで少しだけ余裕があるけれど、ずぼらな自分のことだ。念のため、化粧の方を先にやってみて、それに合う服を考えるのが良いだろう。
一番良い姿を見せたいために張り切った私が家を出ようとするころには、だいぶ散らかった部屋が目に映る。私にとっては久しぶりのデートのようなものだから、これだけ張り切ってもいいだろうと思う。
準備を終えて、ふと机の上に立てかけてあるハンドミラーを見ると、先ほど完成したばかりの自分と目が合う。いつもと趣向を変えた、目の周りに色づくココアのシャドウが、春の温かさにぴったりな優しさを演出できているような気がする。
最近は、自身以外のことを考えることが自分の大部分を占めていた。自分の器から想いが零れるくらいの、1年以上秘めた分の恋慕の思いが、私をここまで突き動かしてくれる。
今日は歩くことが多い1日になるだろう。でも、できるだけ少し高いヒールを履いてみる。背筋の伸びた自分に自信がついたことをしっかりと感じて、玄関から1歩を踏み出した。
――――――――――――――――――――
待ち合わせをした公園は、電車よりもバスの便の方が、移動に都合が良い。かかる時間はそこまで変わらないけれど、歩く時間が少なくて済むこっちの方が今日に向いている。
5つ分の停車駅を経て、あらかじめ釣りの出ないよう、少し前から握っていた小銭と乗車券を投げ込む。精算機のカウンターが示す金額が、200円と少しを示したのを確認して、転ばないように降車した。
早く彼女と話したくて、トーク画面の電話マークをタップしようとした。でも、それをする必要はなかった。遠目で見てもわかる、昼間の星がそこにいるのを見つけたから。
公園の前よりも50メートルは手前のコンビニの前から、振り向いてこちらに気づくミモレ丈のワンピースがこちらに駆けてくる。
「こんにちは、お嬢さん」
「ふふ、何それ。ゆうちゃん、いいことでもあったの?」
「今、真冬に会えたのが嬉しくてね」
「私も嬉しいよ」
にっこり笑う真冬を、上から下まで眺める。
白色のワンピースが映える。肌の白さが際立つ健康的なふくらはぎが、揺れる布から覗く。いつもガードの硬い真冬の本来の美しさが強調されていて、褒めるためにぴったりな言葉を探すための思考が奪われる。
「真冬、可愛いね」
「うん、ありがとう……。今日本番だから、メイク頑張った。」
「デートの本番って意味?」
「え、もう、ゆうちゃんってば」
顔を赤くした真冬が動揺して口をパクパクさせて、数回はたいてくる。私も首より上一面が熱くなってきたから、冗談だよ、なんて保険のフォローを真冬に入れる。
前の時でさえ周りと比べてとびぬけていたのに、今日はいつにもましてかわいらしさが増していると思う。
ピーチカラーのチークとリップで彩られた端正な顔立ち。少しだけ巻かれた亜麻色の髪が揺れる。学校で見せてもらったときよりも、真冬の本気の魅力を見せつけられる。
気づいたら、周りの目が真冬に注目されているのに気付いた。公園の方へと、真冬の手を優しく掴んで歩き出す。
「本当に可愛い。でも、他の人に見られてる。真冬はあんまりそういうの好きじゃないでしょ」
「うん。でも、ゆうちゃんがいるから安心かな。ゆうちゃんと出かけるから、ここまでおしゃれしてきたんだよ」
その言葉に脈拍が加速してしまう。自分がそうだから、相手にもそうあってほしいと、欲望をはらんだ言葉が出てしまう。
「見せるのは、私だけ?わたしは、真冬のことしか見てない。」
「……うん」
下を向いた真冬がこちらの手を握り返して、返事をする。掴んだ真冬の手のぎこちなさから、甘えたことを言ってしまったと思う。恥ずかしくて後ろを見られない。
そのあとはあそぶ二人の手が落ち着いて繋がれるまで、3つもある、そこまで大きくない池の周りを歩いた。ゆっくり歩いているはずなのに、私と真冬が隣り合うまでには、周り終わってからも、もっと時間を要した。
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