第2話 素敵という言葉

「ゆう、ちゃん……?」


 私の顔を見た美少女は、小さく声を零した。


 思わず見つめ返してしまう。久しぶりに自分のことを呼んでもらえたことに、懐かしさと嬉しさを感じてしまう気持ちがあったから。


 2秒もたっただろうか、思考を取り戻したようで、ハッとした表情を見せた美少女――真冬は、私から顔を少し背けたあと何事もなかったように、スマートフォンをいじり始める。


 私もなんとなく真冬の方を見ないようにして、リュックを机の左側にかける。


 左隣に真冬がいるからなんとなく気を付けてフックにかけたつもりだけど、ガサツな私のリュックは春休み前から入れっぱなしの教科書で重くなっていたようだ。机ががたんと揺れて、その音に連動して、真冬もびくりと揺れる。


「……知り合い?」


 手招きしてくる友人の方へと傾けた体を、斜めの椅子が2本足で支える。独特の雰囲気のなか、若菜が耳打ちしてくる。


「いや、何もない。カバンかけるときに目が合っただけ。」

「ふーん。結希のそういう顔、あんま見ないから」

「そういうのいい。はやく荷物置いてどっか行こう」

「行こうって言ったって、もうすぐHRなんだけど……」


 私はどっしり無視を決め込んで、椅子に座って前を見る。後ろからの”気になる”といった感情を含んだ視線が痛い。


 こっそり横を見る。すると、隣の真冬も私と同じ気持ちなのか、手元が遊んでいる。それを見て少しホッとした。


 少し時間が経って、チャイムとともに新担任が入ってきた。私たち以外の音が床に沈んでいき、静かになる。おかげで一息つけそうだと思うと、自然と肩の力が抜けていった。








「真冬ちゃんって普通と情報どっちのコース?」


「あ、情報の方?私も情報コースだからたくさん話せるじゃん、お昼とかも一緒に食べようよ!お弁当派?購買派?」


 いくらなんでも、打ち解けるのが早すぎないか。あとは帰るだけの私と、背中に背負ったリュックのコンビは立ち尽くす。


 隣の真冬と後ろの若菜が私を差し置いて談笑しているから、少し複雑な感情を抱いてしまう。


「私、帰る準備できてるんだけど」


 口を開かずに1分くらいは忍耐した私が若菜の方に話しかけると、彼女はカラッと笑いながら続ける。


「え~、一緒に真冬ちゃんとお話ししていこうよ。隣の席のよしみなんだしさ」

「若菜は隣じゃないでしょ」

「じゃあご近所さんってことで!ねぇいいでしょ」


 駄々っ子が生まれてしまいそうだから仕方なく、浮かした腰を椅子に戻して座る。会話が気になってないようなふりをしながら、隣の席に目線だけ向ける。


 前髪、長くなったな。目元まで隠れそうな中途半端な髪が、真冬の顔を隠している。


 中学生の頃はもっと可愛らしい顔が見えていたが、高校に上がったときには今の髪型になっていた。


 それを知っているのは、この高校でも私だけだろう。同じ中学校に通っていた生徒が、私しかいないのを知っているから。


「……」


 真冬が若菜と話すとき、ちょくちょくこっちの方を見ているのに気付いた。横目で見るつもりが、知らないうちに顔ごと向いて見つめてしまったようだ。悪いことはしていないのに少しバツが悪い。


「……なに」

「なんでもないよ!」

「結希ったら怖い顔しちゃって。いっつも無愛想なんだから」

「好きでやってるの、この顔は。生まれつきの顔が助長してるだけ」


 ”前半の言い分はいらなかったでしょうに”と呆れた顔でつぶやいた若菜はやがて、お手洗いに行ってくるといって席を立った。


 後方の扉からロケットスタートを切っていった若菜を見て、2人で顔を見合わせる。


「ははは……元気だね、若菜ちゃんは」

「そうだね。今日も朝からお元気の洗礼を受けたよ」


 ふふっと笑う真冬の髪が揺れて、少し早い春の日没に横顔が映える。


「そろそろ帰る準備したら。若菜が戻ってくる前に」

「え、うん。……ねぇ、ゆうちゃん」


 思わず見つめてしまっていた視線を外し、返事をする。


「どうしたの?」

「えと、背がだいぶ伸びたなぁ、と思って」

「あー」


 朝、桜の見え方が違ったような気がしたのはそれか、と腑に落ちた。健康診断はもう少し後にするだろうけど、高校に上がってからは5センチくらい伸びたような気がする。


「そうだね。中学生の最後から急に伸びた感じがする。あのときは同じくらいの身長だったもんね」

「うん。同じくらいの身長だった時も、お揃いみたいな感じでうれしかったかも。」

「なにそれ。変わってるね」


 二人とも小さな笑いがこぼれる。二人きりの時に真冬に対して正直な気持ちになれる自分は、あの時から変わっていない。


 そんなことを思っていたら、少し口を結んだ真冬が真剣にこっちを見てくる。そんな顔を見たから、耳朶の血管の音が聞こえてくるようになってしまう。そんな音をかき消したい気持ちになって、真冬に話しかける。


「何、じっと見て。どうしたの?」

「えっと、あのね、」


 1度言い淀んだようでまた結ばれた口が、1拍置いて開いた。


「背の高いゆうちゃんも、素敵だなって思ったの。思っただけ」


 —―言葉が出なかった。久しぶりにあって言葉を交わしただけなのに、こんなに感情が動くのはおかしいから。


 真冬の顔が赤く、自分の顔が熱くなっているのは、西日のせいだろうと必死で自分に自己暗示をかけたつもりになる。


 私の方は、顔に心臓がついてしまったような鼓動について、言い訳ができないけれど。







 真冬の”素敵”は、私の好きな言葉だ。


 —―格好良いとか、可愛いとか、いろんな意味が詰まってるから、ゆうちゃんにぴったりだと思うの—―


 そんなことをかなり前に言われたのを、今になって思い出した。自分の中で、時間と意識の流れるスピードが比例していないように思えたから。このまま夜になってしまうんじゃないかなんて、柄でもないことを考えてしまった。




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