第14話 散らばる服とか

 息抜きに掃除をしたのがダメだった。整理整頓が苦手な私の”素晴らしい手腕”で、衣装ケースの中身が全部出てしまった。


 明日は家で一緒に勉強しようと、真冬を誘った金曜の夜。勉強が捗らないから、せめて明日のために部屋の掃除をしようと、クローゼットの中をいじった結果がこれだ。


 仕方ないから予定変更だ。このありさまを写真に撮って、真冬に送信する。


『明日は真冬の日』

『片付けないと行かないよ』


 そっけない返事が来ると思わなかったから、慌てて返信する。


『冗談。数時間前の写真だから』

『じゃあ、いまはどうなの?』


 何も思いつかないまま困り果てて、既読をつけたまま数分経ってしまったところで、スマホの画面に電話マークが現れて体が跳ねる。思わず正座をして、通話に応じてしまう。


「こんばんは、真冬。ちょうど片付け終わったところだよ」

「ゆうちゃん、さっきと言ってること違う」

「さっきのも冗談だから」


 前に”少しは掃除しといて”と念をおされていたことを思い出す。洗い物だとか、掃除機をかけるとか。一般的な人間の生活はこなしたはずだから、何も後ろめたいことはない。


「じゃあ見せて。他の場所もこんなかんじなんじゃないの?」

「いや、これ以外はちゃんとやってる」

「これ以外?」

「……」


 いけない。真冬には、とてもじゃないが嘘はつけない。


「誘導尋問はずるいと思う」

「ゆうちゃんが素直すぎて、すぐぼろ出してるだけだよ」

「出してない」

「出してるの。それは良いから、カメラつけて」


 カメラ?なんに使うんだろうと不思議に思いながらも、真冬の言うことに従い機能をオンにすると、左下に私の顔が映る、長方形のウィンドウが現れる。


「…私だけ?」

「ちょっと待っててね…。はい、準備できた」


 画面に、想い人の顔が映る。


「じゃあ、片付け終わるまで見てるから。ゆうちゃんも、クローゼットから見えるところにスマホ置いてね」


 そういうことだったのか。1年半ぶりのビデオ通話が、こんな感じに使われることになろうとは。結構ショックなものだと思う。


 その後は何とか真冬の”ご指導”もありながら、30分ぐらいで片付け終えて。そのあとやっとのご褒美である真冬とのビデオ通話を楽しんだ。




 ――――――――――――――――――




 招き入れた真冬が輝いた顔をしながら、家の色んな所を1人で見ては”ほう”と息をついている姿が可愛い。


 今日は嬉しいことに、真冬が昼ご飯を作ってくれる。近所のスーパーで買ってきた食材の入ったエコバッグを運ぶ真冬を、部屋に通じる階段の前で迎えた。


 わたしもついていくといったのに、作るものを秘密にしたかったのか、真冬は頑なに同行を許してくれなかった。


 それで、荷物を自分で持ってきた真冬は、少し疲れている様子だったんだけど。ここまで足取り軽めに部屋を歩き回る様子を見ていると、なんだか恥ずかしくなってくる。


「ゆうちゃん、この家、凄い広いね……!部屋が二つもあるし、リビングとキッチンがつながっている感じの部屋だ!」

「結構家賃は安いよ。木造だからか、冬になるとすごい冷えるけど」


 真冬が買ってきた食材を冷蔵庫に詰めながら答える。真冬が私に気づいて、しゃがむ私の横にぴったりとくっつく。慌てて手伝ってくれようとするけど、大丈夫だよ、とやんわり断ってものを詰め続ける。


「でもいいな、こんなひろいお家。色々もの置けて楽しそう」

「そんなに羨ましいなら、一緒に住んじゃう?」


 半分本気で、隣の真冬に声をかける。真冬は私の方をずっと見ていたから、急に顔を上げた私と目が合って。言葉の意味を理解してから、顔の赤く染まるスピードは速かった。


 すこしだけツンとした表情の真冬は数十秒考えた後に声を絞り出した。


「…でも、ここベランダ無いもん」

「そっか。じゃあ仕方ないね」

「ゆうちゃんさ、最近いじわるじゃない?」


 少し不満げな真冬が、私の肩に軽い体重をかけてくる。冷蔵庫にとりあえず物を詰めて、真冬の方を向き直して喋る。


「そんなつもりないけどね。誰よりも優しくしてる自覚あるけど」

「…やっぱりいじわる。私の機嫌取って」


 顔を赤くしたままの真冬が手を引っ張ってきて、私はそのままソファまで連行される。


 隣り合った真冬にほぼ抱き着かれるような形で勉強することになったのは、もはやご褒美なので言うことはない。


 でも、頑なに分からないところは教えてくれないから、12時の少し前まで教科書やワークの答えとにらめっこしていた。



 ――――――――――――――――――



 真冬の料理する後ろ姿がまぶしい。綺麗な髪が、鼻歌とともに揺れる。


 残念ながら、ろくに自炊をしない私ができることは、ほこりをかぶった調理器具を洗うことしかなかった。


 手持ち鍋からいい匂いがしてくる。真冬の作る料理は、切っていた食材から何となく察せられる。


「ゆうちゃん、そろそろできるよ。味を見てほしいな」

「わかった」


 勉強をすっかりやめ、近くでずっと待機していた私は、すぐに真冬の隣に躍り出る。


 小さな椀に入った温かな汁を受け取り、すっと飲み干す。ここしばらくの間、食事では感じられなかった優しい味がのどを通り、胸の下あたりで温かくとどまる。


「美味しい。久しぶりにこんなにおいしいのを飲んだ」

「ほんとう?味の濃さとかはどうかな」

「いいと思う」

「もう。ゆうちゃんの好みに合わせたいの。薄いとか、濃いとか。ちゃんと教えて」


 真冬が少し拗ねている。本当においしいから、まったく不満なんてないのに。


「本当にちょうどいい味だよ。しいていうなら、味がもう少し濃かったら、ご飯が進むかもしれない」

「分かった。もうちょっとお醤油入れるね」


 微笑んだ真冬に鼻歌が戻る。醤油をスプーンで取って、少しずつ加えていく。


「やっぱり肉じゃがだ」

「うん。しばらく食べてないだろうと思って」

「あたり。何でも知ってるね」

「何食べたって聞いても、揚げ物かお弁当ばっかりだもん」

「ふふ、嬉しいよ。作ってくれてありがとう」


 後ろから、真冬の柔らかい体に手を回して抱きしめて、料理では満たされない欲求のほうを満たす。


「料理してるから危ないよ?」

「あとかき混ぜるだけでしょ。私のこと考えて」

「考えながら、肉じゃが作ってるの」

「それも嬉しいけど」


 結局、まとわり続ける私に、真冬は顔を赤くして無言のままだった。でも、調理器具の前にある鏡面の壁が、真冬の下がった眉を映すから、強く抱きしめるまでには至らなかった。







温かい料理が並ぶテーブルを前にして、隣り合う私たちの間で弾む会話は、いつも通りだったように思えるけれど、何となくさっきの悲しそうな感情が頭をよぎる。


洗い物は私がやると申し出たけれど、真冬は私のずぼらさはとことん知っている。ろくに水を切らない私の仕事ぶりを見て、横で食器を拭いてくれることになった。


「真冬、なにかあった?」


 横で、最後の食器を拭く可愛い人は、私を一瞥して、すぐ顔を前に戻してしまう。少し見える横顔と、耳朶と、首筋まで赤く染めている。


「何もないよ」

「真冬が少し悲しそうにしてるの、一緒にいるからわかるよ。わたしにできることある?」

「悲しくはないの。あのね」


 真冬が、拭き終わった食器を食器棚に戻しながら続ける。


「ゆうちゃんは、私のこと好き?」


 びっくりして声が出ない。何と伝えるべきか、今までの関係に甘えてしまっていた私は考えるばかりだった。


 久しぶりに声に出そうとする2文字のワードに込める想いを自分で整理していくたびに、首筋の血管の流れがどどどと聞こえて、それが滝壺に落ちて赤さを増していく。


 真冬がそんな私のことを見て、笑って言う。


「今ので、分かったからいい」

「何それ。今、覚悟を決めてたのに」

「ずっと待たなきゃいけなそうだね」


 余裕そうな真冬に少しいら立って、手を掴んで、どこか柔らかいところを探す。真冬は素直に従ってくれるから、1人掛けのソファに、できるだけ優しく押し倒す。


「真冬は、その気にさせるの上手いね。結構、余裕ないよ、わたし」

「わたし、何もしてないよ」

「してる。何でこんなことするの」


 真冬が私の頬を両手で包んで話し出す。


「前、若菜ちゃんから、優ちゃんが人気だったって聞いた」

「全部振ったから、今はそういうのない」

「ふーん」

「嫉妬した?」


 真冬は何も言わず、こちらを見つめてくる。そのまま時間が流れるのが惜しい。私をその気にさせるよう扇動したんだから、真冬も私を受け入れるべきだ。


 真冬のピンクに目が釘付けになる。真冬の手が、頬から首に流れて。まだかすかに濡れたままの手があった跡が、余計顔の熱さを感じさせる。


 中学の時、興味はあったけど、そういう欲がなかった。でも今は分かる。この可愛い女の子を自分のものにしてしまいたいという欲が、体中に秘められていることが。


 そのまま、真冬に近づいて、熱と影を落とそうとしたけれど、顔を背けられてしまった。

熱のこもった流し目で私をとらえながら、真冬が言う。


「だぁめ。まだ、付き合ってないでしょ?」

「言わせたいの?」

「ううん、待ってる」


 初めて見る、微笑む真冬の大人な顔と、私を信じてくれるその言葉に、何も言えなくなってしまう。


「ゆうちゃんも、思わせぶりな言葉ばっかりでいじわるだから、お返し」


 その言葉に、余計に熱が焚きつけられて。だから、私は真冬の赤く染まる頬に熱を重ねた。


「ちゃんと言うから待ってて。私のタイミングとかあるから」

「ばか。今キスした」

「してない。真冬が熱すぎて、勘違いしたんじゃないの」

「ゆうちゃんの方が熱かった」


 見つめあったまま時間が経ってほとぼりが冷めて私達は、ここまで盛り上がってしまったことに恥ずかしさを覚えて、顔を見られなかった。


 私はしばらく、真冬に覆いかぶさる形でいた。いつしか落ち着いて見つめあう私たちは、照れくさいから笑いあって、改めてお互いの心が通じ合ったのを確認した。



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