第25話 土曜日 洋服屋で

 雨が窓を打つ音で目覚めた今日は、待望の土曜日。あれからずっと雨はやまなかったけれど、集合場所を最初からショッピングモールにしていたから、あまり差支えはないと思う。湿気で、モール内は少しムシムシするけど。


 カバンの中には、今日泊まるにあたって、必要なものを入れてある。楽しく遊んでから真冬の家に直行する予定だから、荷物が少し増えてしまった。


 コインロッカーに何とか荷物がおさまる。潰れたバッグの生地が、密閉された正方形の中でじわりと広がるのを見届けてから、待ち合わせ場所にしていた洋服店の前に向かう。


 今日はできるだけ、黒色が多めの格好になるように努めてきた。いつもよりかは違う雰囲気にした方が、私にドキドキしてもらえるだろう。


 そう思いながら、駐車場に隣接している洋服店の入り口に向かう。すると、すでにそこには可憐な美少女が立っていた。こちらに気づいたその子は、梅雨の雨が晴れるような明るい笑顔を咲かせて、私の名前を呼んでくれる。


「ゆうちゃん、おはよう!」

「お待たせ、真冬。……私より早いとか、ずるくない?」

「ずるいってどういうこと?」


 そういいながら笑う真冬。


「真冬にかっこいいところ見せたかったのに、てこと」

「ゆうちゃんはいつも素敵だよ」


 距離を詰めて来て、私の腕に、絡まってくる真冬は、上目遣いで微笑みながら続ける。


「それに、今日会うの、凄い楽しみだったから」

「私も。昨日会ったのに、また会いたいって思っちゃった。変かな」

「そんなことないよ、私も嬉しい」


 こんなに朝から堂々と、幸せな気持ちになっても良いのだろうか。隣から伝わる熱のおかげで、体がぽかぽかとしてくる。まだ気温の上がらない午前10時なのに、太陽が上っているときと遜色ない暖かさが心地よい。


 とりあえず、こんなところで真冬の可愛さを楽しむのも、通行人に見られるばかりで何だから。この洋服店の中に入ってみよう。







「ゆうちゃん、この服はどう?」

「可愛いよ」

「……さっきから全部それじゃない?」


 拗ねる真冬が前にいる。こちらとしては、本心を言っているだけなので困ってしまう。惚れてしまったひいき目もあるだろうけど、それ抜きでも全部似合うと思う。


「本心だよ。真冬が可愛いから、なんでも似合うよ」

「……じゃあ、どういう服が似合うと思うのっ」

「前みたいな肌色の多い服が好み――」

「もういい」


 何着か洋服を持った真冬が試着室に拗ねて行ってしまった。からかいすぎたと思う。実際本心ではあるんだけど、おどけて言ってるから本気に取られないのは私が悪い。


 反省して、いくつか見繕う。更衣室のカーテンの隙間から洋服を差し込むとびっくりしたのか、声にならない声が聞こえてきた。


「選んできたから、着てほしいな」

「ゆうちゃん意地悪だから着ないっ」

「好みの服なんだけどな……」


 ふと横を見たら、隙間から追い出されそうになっていた服が、じりじりと引っ込んでいく。それから衣擦れの音だけが聞こえる時間が過ぎた。なんだかんだ着てくれるようで良かった。


 私のことを好きな、私が好きな人がとてもかわいい。




「ゆうちゃん、こういうのが好みなんだ」

「うん。そろそろ夏服並ばなくなるし。帽子被った真冬が見たかった」


 拗ねた真冬がこもってしまう前に選んだカーキ色のシャツは、前を開けておくと真冬の持っているワンピースにも合うだろう。頭にちょこんと乗った黒色のキャップも、安定して可愛い。


「一着だけって決めてたから、どれがいいか悩むな」

「何が気に入ってるの?」

「ゆうちゃんが選んでくれたのにしようと思って」


 素でそういうことを言ってくれるのは嬉しいな。


「じゃあ、カーキ色のシャツだけ買って、帽子は私の貸したげる」

「いいの!?」

「うん。可愛くしてるの見たいし。私の服、着てみてもいいんだよ」

「そうするっ」


 ”約束”の小指を出してくる真冬に応えようとこちらも指を差し出したら、絡まる前にすっと引っ込められてしまう。


 指の戻る軌跡をたどると、恥ずかしそうにはにかむ真冬が映って。


「そういう優しいゆうちゃんは好き」


 目の前でシャッと閉まるカーテンに、網膜に焼き付けるシャッターを押すのを阻まれた。


 悔しいから、靴のかかとを踏んで脱ぐ。カーテンをがばっと開けたのは、まだ服を脱ぐには至ってないはずだから。


 びっくりした真冬の顔を背後に感じながら、蛇腹の布で二人を守って。振り向いてすぐに真冬の頬に右手を添える。


 こうするだけで、2人とも準備ができてしまうのだ。真冬の後ろの鏡にいる自分と目が合う。偽物の自分に”こっちを見るな”なんて内心で吐きながら、真冬に口づけをした。


「早く出て来て。」


 顔が真っ赤の真冬を数秒だけ至近距離で眺めて、その反畳ほどの空間から立ち去った。






 キスをしてから時計の分針が目盛一つ分進んだのに、真冬が一向に出てこない。


「真冬、どうしたの?」


 返答がないから近づくと、そのタイミングでカーテンから、髪がすこしだけくしゃくしゃの真冬が出てくる。


「……お待たせ」

「髪くしゃくしゃになってるよ」

「服、急いで着たから」

「そんなに時間かかる?」


 真冬が近づいてきて、私の袖を掴んで揺らす。


「さっきまで、何も考えられなかった」


 下を向いたままの真冬に、”もう1度”の心構えは出来なさそうだ。頬に添えかけた両手を押しとどめて、綺麗な亜麻色の髪の毛を手櫛で整えてあげた。


 その後は、お詫びが欲しいということで、頭を撫でた。私にとってもご褒美であるそれを、早く切り上げないといけないことだけは残念だった。けど、さすがに服を選ばないのに居続けるのは悪いから。早めに切り上げて、会計を済ませる真冬を待った。

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