第8・5話 抱擁と反省

「次、私の家に来るの、無しになっちゃったね」

「いいもん。ゆうちゃん部屋の掃除苦手でしょ。時間上げるから掃除しといて」


 からかおうとしたのを返されて、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしたゆうちゃんが面白い。


「掃除しないよ。前みたいに真冬がして」

「前と違って洗濯物とか、やること増えてるでしょ。手伝うのは良いけど、大体はやっといてね」


 しおしおとうなだれるゆうちゃん。それを見て笑うと、さっきまで泣いていた目の周りが少しヒリヒリした。






 そろそろ帰ろうとするゆうちゃんを見送る玄関前までの数メートルがこんなに楽しいおかげで、今日残りの時間を思うと寂しくなってしまう。


「明日も会える?」


 できないであろう約束を言ってみる。自分の顔が真っ赤なのを知られてしまうから、ここが暗がりの玄関で良かった。こんなシンプルな欲を、簡単にポロっと出してしまうほどに、時間を経ても色褪せない恋をしてしまったのだと痛感させられる。

 当の本人は、自分の魅力に自覚があるのか良く分からないけど。


「ごめんだけど、明日はちょっと用事があるから」


 そう言ったゆうちゃんは、私のすぐ前で立ち止まった後、振り向いて私を対面から抱き寄せた。

 こちらの顔をうかがう猶予の2秒はあったけど、いくら時間があったとしても、心の準備はできるわけがなかった。


「そういえばここに来た時、”まえは色々あったから”っていってたでしょ。なんのことを言ってるか、分かんないから教えてよ」

「っ」


 言葉に詰まる。ゆうちゃんは何を考えているんだろう。と思った矢先、答えさせるつもりのない速さで続けて話す。


「仲の良い友達なら、こういうことも普通だと思うけど」

「そ、そう。久しぶりに会ったから、今より前の方が、分かりやすく仲良しだったな、とかそういう意味でしゃべっただけ!」


 慌てて、そうまくし立てた私をつつむ体の強さが少し強くなって、お互いの息遣いをより意識してしまう。腰のあたりを撫でる手がきわどくて、そこと心臓に熱が集まる感覚にどうにかなってしまいそうになる。



「でも私、友達にこういうことする性格してない。別に、他の人にこういうことしたいって思わないし」

「ぇ」


 か細い声が出たところで、ゆっくりと体が離れる。そのはずなのに、体には2人分のものかと錯覚するほどの熱がたまっている。


「真冬の方からくっついたりするし、そういうスキンシップが好きなのかと思って、今日やってみただけ。」


 そう言い残したゆうちゃんは、スニーカーの踵をつぶして外に出ていこうとするから、あわてて声をかける。


「待ってっ」


 ドアノブに手をかけて、こっちをちらりと見るゆうちゃんに向かって、今伝えられる限りの想いを言葉にする。


「私も、他の人とこういうことしない……」


私の特別な気持ちを、あなたに分かってほしいと思う。


「……そろそろ帰ろうとしてるんだけど」


 少し間をおいて、ドアのほうからゆっくりと戻ってきたゆうちゃんに、またしばらく、優しく抱きしめられた。





 ――――――――――――――――――――



 真冬の涙を見た時にはびっくりした。何か傷つけるようなことを言ってしまったのか、と内心焦ったけれど、真冬にとっては良いことだったようで安心した。


 何度もありがとうと言われたけど、そんなにお礼を言われるようなことはしていないと思う。


 でも、真冬の内面をもっと深く知って、それでもっと、今日みたいに喜んでくれるようなことができるなら、私も嬉しいと思う。




 駅の券売機までたどり着いて、狭い待合室に誰もいないのを確認した私は、力が抜けてすごいため息が出る。荒い呼吸を整えるために、吸うだけ吸った息を全部吐きだしたような感覚だ。


「今日は甘えすぎた……」


 真冬の無自覚な誘惑に負けて、今日1日で何度も抱きしめてしまうなんて。


 2人きりだと自分の世界に入ってしまう悪癖の反動が強すぎる。ブレーキが利かない自分の情けなさというか、思い切りの良さに恥ずかしさを感じ、悶えてしまう。


 直近の電車を逃した私は、30分も次の電車を待つことになった。

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